第675話 ゲルギフ (2)

俺が…正確には、俺の演じるバンダークが、貴族の娘であるヴィスカに対して贈り物をした事で、ヴィスカとバンダークの間に一つの道が出来上がった。

最高級の香水一個を贈ったという行動の中には、ヴィスカの一家に対して恩を売ったという意味が込められているからである。


言ってしまえば、ただの香水一個分という細い道ではあるが、細い道を太く強くするよりも、最初に道を作る方が何万倍も難しい。

まずは出会うという運から始まるのだから、確率としてはかなり低いだろう。


そんな状況が、たった今、ゲルギフの目の前で起きた。それが商人にとってどんな意味を持つのかは聞くまでもないだろう。

ゲルギフも、この流れに乗って、バンダークやヴィスカとの関係を持っておきたいと考えるのは至極当然の事と言えよう。


「私の方からも何かしらの贈り物を差し上げたいのですが…」


「ふふふ。そんな事をされなくても、また来ますわよ。」


「いえいえ!ほんの気持ちですから!」


ピルテの『また来る』という言葉を聞いて、額面通りに受け取る商人は一流以上には居ないだろう。

ここでヴィスカの気持ちを掴めなければ、二度と彼女がこの店に足を運ぶ事は無いかもしれない。これが一般市民ならばゲルギフもここまで焦ったりはしなかっただろうが、相手は高価な香水をポンと渡されて、それをポンと受け取る貴族の娘。ポンと受け取れるという事は、それと同等かそれ以上の物を、普段から買ったり扱ったりしている証拠。となれば、上客も上客。大口だと考えるのが普通だ。

当然ながら、ゲルギフもそう考えてコネクション作りの為のを探しているという事である。


さて……ここまで事が運べば、後は大体分かるだろう。


ピルテがゲルギフに求めるというのは、である。当然、求める情報はソイヌジャフや魔族関連の事。特に、ソイヌジャフに関する情報が欲しい。この店にやって来た目的なのだから。


「そこまで仰られるのであれば……」


ピルテは斜め上に視線を送り、口元に扇を添えて考える素振りを見せる。

ゲルギフは、それを見て、何を求められるか緊張しながら待っている。


「あ!そう言えば!

確か、この辺りにソイヌジャフという魔族の方が居ると聞きましたわ。

私、魔族の方々とはお付き合いが無く、折角ならばお話をしてみたいと思っていましたの。」


上手い。

この言い方ならば、ソイヌジャフとの橋渡しが無理だったとしても、他の魔族との橋渡しをしてくれるはずだ。しかも、こちら側との接触を嫌わないような魔族とだ。


「ソイヌジャフ様ですか?それでしたら、私の方でお話する席を設ける事が出来ます。」


「本当ですの?!それは嬉しいですわ!」


「ただ……」


「ただ…何ですの?」


「ソイヌジャフという男は、人当たりこそ良いのですが、どこか信用ならない男だと感じます。」


「外からの干渉を受け付けない魔族なのだから、それくらい警戒しているのは当然の事ではないかしら?」


「それはそうなのですが……とにかく、お気を付け下さい。もし、会われるというのであれば、必ず護衛をお供に付ける事をお勧めします。護衛の都合が付かないというのであれば、私の方で…」


「それには及びませんわ。こちらで護衛は用意しておりますので。ご忠告痛み入りますわ。」


「左様でございますか。分かりました。

それでは、後日、ソイヌジャフとの話し合いの場を設けます。準備が整い次第ご連絡差し上げますので、ご連絡先をお教え下さいますか?」


「ええ。」


しかしまさか、たったの一日…いや、数時間でソイヌジャフと会える段取りが整うとは思っていなかった。これは思わぬ収穫というやつだろう。


俺達は、そのまま商人と貴族の娘として店を出る。

但し、どこで誰が見ているか、聞いているのか分からない為、気は抜かない。ここまで上手く事が進んでいるのに、気を抜いた事で全てが水泡に帰すなんて笑えない。


俺とスラたんは、店を出たところでピルテ達と一度離れ、馬車へ。

そのまま別々の道を通って帰路に着く。


「思ったより早く状況が動いたな。」


「まさか、適当に選んで入った店で、いきなり上手くいくとは思わなかったわ。」


無事に帰ったところで、変装を解いて状況確認を行う。


「ソイヌジャフと話し合いが出来れば、何かしらの進展は有るはずだよね?」


「良い方向か悪い方向かは分からないが、何も出来ない状態からは脱する事が出来る…と思いたいな。こればかりはやってみないと分からない。」


「ゲルギフという店主が言っていた、ソイヌジャフは信用ならない男…というのは、単純に諜報員だからという理由でしょうか?」


「恐らくはそうだと思うけど…」


「どうかしら。それにしては随分と警戒しているように見えたわ。

ただの商人があそこまで警戒するとなると、諜報員という理由だけではないかもしれないわ。」


「そうなのか?俺も諜報員だからだと思っていたのだが…」


ニルの質問に答えた俺。その俺の答えに対して、ハイネは少し思案した後、口を開く。


「諜報員というのを、ゲルギフが無意識的に感じ取って、信用出来ない相手だと考えているという事も考えられるけれど、本来、ソイヌジャフのような諜報員は、そうやって怪しまれないようにしっかり教育されているし、本人もそこは十二分に気を付けているはずよ。

諜報員である事を、毛程も気付かせない。それは当たり前に出来なければならない諜報員の能力。それが例えやり手の商人であってもよ。」


「言われてみれば、当然の事…だよね。」


ハイネの言葉に、スラたんも納得している。


ハイネの言う通り、街に入って情報収集しているのに、街の人達、特に情報を得られ易いやり手の商人から警戒されてしまうなんて、普通は諜報活動大失敗と言える。

そうならないように細心の注意を払っているはずだ。


勿論、それでも中には勘の良い人が居て、警戒されてしまうという事も有り得るのかもしれないが、情報収集の相手として有力なゲルギフに怪しまれるようなミスは流石にしないはずだ。しかしながら、それをしてしまっているというのは、どうにもに落ちない。ハイネの話を聞いた後だと、その印象がより強くなる。


「もし、ハイネの言うように、単純な諜報員じゃないとしたならば、どんな理由が考えられるんだ?」


「ゲルギフのような諜報対象として優秀な者に怪しまれても問題無い何かが目的…ですよね?」


「流石に理由までは分からないわね。ただ、単純な諜報員ではないのではないか…という推測が出来るだけね。」


「恐らく、特定の情報を探っているのだろう。」


ハイネの話を聞いていると、俺達より少し遅れて戻って来たエフが言葉を発しながら部屋へ入って来る。


「あら。戻って来たのね。どこかでヘマでもして死んでいるかと期待していたのに。」


「馬鹿な蝙蝠こうもりとは違うから、そんなヘマはしない。

それよりも、なかなか板についた演技だったな。フッ。」


「今笑ったわね?!もう我慢出来ないわ!確実に息の根を止めてやる!」


本気でキレたハイネが、かなり野蛮な感じになって怒ったが、何とか落ち着かせた。

というか…エフは他意無く、ハイネを婆や役にした…んだよな?悪意を感じるのは俺だけだろうか…?

いや、それよりも今は、ソイヌジャフについてだ。


「エフ。ソイヌジャフが特定の情報を集めようとしていると言っていたな?」


「ああ。恐らくな。」


「何故分かるんだ?」


「こういう場合の諜報活動には、いくつかの種類が有る。

例えば、このザザガンベルという街やドワーフ族についての大まかな情報を探るような、広く浅い情報収集。

逆に、ある特定の情報を探るという狭く深い情報収集。

他にも言葉にしてしまうと多種多様に有るが、今回の場合、恐らく後者。広く浅い情報を収集する場合と違い、その情報を持っている者以外からの印象については、そこまで気を使う必要が無いからだ。もしくは、敢えてそうしているという可能性すら有るだろう。」


「敢えて…?そんな事をして何かメリットが有るのか?」


「色々と有る。例えばだが、そうやって胡散うさん臭い男を演じる事によって、自分達の事を敢えて警戒させる。そうする事によって、気付かせたくない何かに対する注意を逸らす事が出来たりする。」


「潜入している誰か…とかかな?」


「そういう事だ。ソイヌジャフが諜報員の一人だとして、たった一人で諜報活動を行っているとは考えられない。他にも何人か街に入り込んで諜報活動を行っているはずだ。

広く浅く情報を得ようとしているならば、誰かに警戒されるというのは悪手だが、特定の情報を得ようとしている時に、そうやって囮のような役割を担う者が居る事で、他の者達が活動し易くなる。」


「なるほど…なかなか奥が深いな。」


「ただ、これは推測であって、他の理由で悪目立ちしているという事も考えられる。絶対にそうだと決め付けるにはまだ早いだろう。」


エフやハイネにとっては当たり前とも言えるような知識なのかもしれないが、俺やスラたんは、そういう事にうとい。こうして色々と教えてもらえるだけでもかなり有難い。エフが居なければもっともっと情報収集に時間が掛かっていたはずだ。


「最悪の場合、私達を誘き寄せる罠かもしれない。

悪い意味だったとしても、目立ってさえいれば私達に気付かせる事は出来るからな。」


「そうして餌を撒いておいて、食い付いたところを…ってやつだね。

でも、その可能性は低いんだよね?」


「ああ。その可能性はまず無いだろうな。捕獲にしろ殺害にしろ、我々黒犬がどうする事も出来なかったという事実が有る以上、下手に攻撃を加えては来ないだろう。

有るとするならば……私達を更に大きな罠へ誘導するとか、間違った情報を掴ませて、私達を混乱させようとしている…というところだろう。」


「それって危険って事だよね…?」


「だとしても、いきなり戦闘が起きるわけではないのであれば、情報を取りに行くべきだろう。

それが例え嘘の情報だとしても、嘘の情報を掴ませようとしてきたという事が分かる。まあ…嘘に気付く事が出来れば…だがな。」


「どちらにしても、情報は手に入るという事か。」


「今の私達は、そんな情報すら欲している状況だ。危険度が増すとしても、時間的に多少の無理は必要になる。

最終的な判断は任せるが……残された時間は多くはないだろう。神聖騎士団の動きも有るからな。」


「はぁ……同じ神聖騎士団という敵が居ながら、何故こんな事になっているのか…」


「………………」


嘆いても仕方の無い事ではあるが、打倒神聖騎士団という考えを、魔族も持っているのは知っている。それならば、手を取り合いましょう。良いですよ。で終わる話だ。こうも話が難しくなってしまうと、溜め息も出てしまうというものである。

今となっては、エフも同じように考えてくれいるのだろう。少し申し訳なさそうな顔をしている。


「私が正体を明かしてどうにかなるのであればそうするのだが…敵に寝返った裏切り者として扱われるのは目に見えているからな…」


「あー…いや。そんなつもりで言ったわけじゃないさ。

ランパルドか何か知らないが、魔王に手を出している何者かのせいでややこしい事になっているのは分かっているからな。」


「ああ。黒幕は未だ分からないが、この借りは必ず返さなければ気が収まらないな。」


エフのせいではないし、ハイネ達のせいでもない。

寧ろ、彼女達は誰よりも魔界の事を考えて行動しているのに、裏切り者とされてしまっている状態だ。

溜め息ならば彼女達の方が吐きたいはず。エフの場合は溜め息ではなく暴言を吐いているが…


「誰のせいだとしても、今は自分達の出来る事をやって前に進むしかないよ。

イラつくのは分かるけど、それよりも今後どうするのかを決めるべきじゃないかな?」


「スラたんの言う通りね。」


やっと怒りから立ち直ったハイネが会話に参加する。


「先の件でソイヌジャフと話が出来る事にはなったけれど、色々と決めないといけないわ。」


「状況的に、ピルテとニルは前の変装のまま行かないとな。」


約束を取り付けたピルテは当然の事、ピルテ演じるヴィスカの奴隷という形のニルも同行するだろう。

ニルの話では、ヴィスカのように人間扱いしてくれる貴族の娘が主人であるならば、奴隷は死ぬ気で守ろうとするはずだとの事。

そんな主人が死んで、別の所へ売り飛ばされるくらいならば、いっその事、そんな主人を守ろうとして死んだ方がマシだと考えるだろうと。

つまり、ヴィスカが危険かもしれない場所へ行くというのならば、ヴィスカが危険だから来るなと言っても、無理にでも同行するというのが自然ということで、ピルテとニルが前の変装と同じ変装で行く事は決定である。


「ハイネは…」


「あの変装は二度としないわ。」


確固たる決意を持った力強い口調。


「……お、おぅ。」


ハイネにあの格好をもう一度しろとはとても言えなかった。目がマジだったから。


「執事が…という話をしたから、俺かスラたんが変装して執事として侵入するべきだろうな。」


「僕は既に似たような印象の変装をしたから、シンヤ君がするべきだろうね。

いくらエフさんの腕が良くて執事への変装がバレないとしても、僕が同系統の変装をするより、シンヤ君が変装する方が良いだろうからね。どうかな?」


この質問は俺ではなく、エフに対するものだ。


「その通りだ。」


エフは短く返事をして頷く。


「後は護衛役だな。」


「貴族の場合、専任の護衛を同行させると思いますよ。」


「だとすると、騎士風の護衛か。騎士風……鎧?」


騎士と言われて、パッと思い浮かんだ単語を出してみる。


「街中の、ただの話し合いの場に鎧兵士を連れて来る奴は居ないわ。」


「あ、はい…」


街中でも、鎧兵士というのはたまに見掛けるが、それは街中の警備兵だ。鎧こそ着ているが、鎧としての機能というより、警邏けいら隊の制服みたいな効果を期待してという面が強い。言わば警察の制服と同じようなものだ。

当狭ながら、こんな世界だから街中でも武器を使おうと思えば使えるし、防具としての役割を期待されてもいるが、『悪い事はするな!』という無言のメッセージを伝えているという意味合いの方が大きい。

貴族に雇われている騎士は、その機能を必要としない為、街中で鎧など着ないし、今から討伐クエストに向かう冒険者ではないのだから、街中でそんな物を着て歩いていたら何事かと大事になる。

あくまでも、変装は騎士である。


「変装の事は私に任せろ。シンヤに任せると大変な事になりそうだしな。」


「お願いします…」


変装の事はエフに任せる事にしよう。うん。


「そうなると、私とスラタンは護衛役。二人なら数も良さそうね。」


護衛をゾロゾロ何十人も連れて歩くなんて事も有り得ないし、今回のような場合、二人程度がベストだろう。


「エフさんは裏方かな?」


「私の場合、見た目の特徴がかなり強いからな。万が一、私がダークエルフだとバレてしまうと、全てが台無しになる。姿を見せない方が良いだろう。」


エフの腕が有れば、種族さえも変装で誤魔化せるだろうが、変装は変装である以上、バレるかもしれないという危険度は変わらない。そもそも姿を見せないというのがベストだろう。


俺とスラたんに関しては、ゲルギフとの面識が有る為、ゲルギフを含めての話し合いとなるとかなり危険だが、護衛を勧めてきたりした事から察するに、ゲルギフは場を設けるが話し合いには参加しないはずだ。

全員が初対面ならばバレる危険性は低くなる。


問題は、ソイヌジャフがどこまで俺達の事を調べているのかだが…ここで考えていたとしても、答えは出ない。もしもの時の為に備えはするが、後は当たってみるしかないだろう。


その後、直ぐにゲルギフから連絡が届き、話し合いの場を設けてくれたのは三日後。それまでの二日間で準備を行い、三日後。


「やはり、この格好は落ち着きませんね…」


ピルテが、例のお嬢様スタイルの変装を行い、派手過ぎる自分の服装にモジモジしている。

ヴィスカになり切って話をしていた時とは大違いの反応である。


「ふふふ。そういう服を着るピルテも可愛いですよ。」


「もう!ニルはまたそうやってー!」


ピルテとニルがキャッキャしているのを眺めつつ、準備を進める。


今回、変装の方向性が違うのは、俺、スラたん、ハイネの三人。


俺の変装は、前回スラたんがしていたような格好で、カッチリとした執事の服装。眼鏡も掛けて、ピシッと髪を後ろへと流し、整えてある。

社会人の時でさえ、ここまでピシッと整えた事は無いのではないかなという程だ。

そんな俺の変装を見て、ニルがモジモジしながら小さな声で褒めてくれたので、ありがとうと伝えておいた。


スラたんとハイネは、二人共貴族お抱えの騎士という設定。

革製の胸当てをして革製のブーツに手袋。白いシャツに黒いピタッとしたズボン。ただでさえ二人が普段使わない直剣の、更に高そうな物をチョイスして腰に吊るしている。

スラたんは髪を半分程後ろへと流して整え、ハイネは後頭部で束ねて止めている。

ただ、流石にそれだけでは少し足りないらしく、顔に傷跡を作ったり、化粧をしたりと、手を加えてある。二人共、いつもとは全く異なる印象を受ける変装であり、顔も別人に見える。

エフが二人の顔に加えた加工はほんの僅かなものなのだが、僅かでもまるで別人に見えてしまうのは本当に不思議である。


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