第672話 ソイヌジャフ
「魔界へ入る方法なんて、僕が知っていると思う?」
ペップルは、答えの代わりに、俺達に向かって質問を投げ掛ける。
魔族の手を借りるという誰でも知っている方法ならば、わざわざペップルには聞かない。特殊な侵入方法を聞かれているのだとペップルも分かっている。だからこそ、ただの吟遊詩人が、魔界への入り方なんて知っているとは普通は思わないのに、敢えて自分に聞くのか?と問い掛けているのだ。
しかしながら、俺は既にペップルの持っている情報に驚いている。
神聖騎士団の事はともかく、ソイヌジャフという男の事を知っているのは普通とは言えない。何せ、ドワーフ達に聞いてもこの情報は手に入らなかったのだから。
このペップルという吟遊詩人が、噂の鳩飼かどうかは分からないが、そうであったとしても、そうでなかったとしても、俺達に情報が入るのであればどちらでも構わない。だが…本当に鳩飼が居るとするならば、このペップルという男が、その鳩飼では…?と考えてしまっている。流石に安直過ぎるだろうとも思うが…
もし、彼が鳩飼であるならば、この質問に対して、それなりの反応を示すはずだ。
「どうだろうな。知っているかもしれないし、知らないかもしれない。だから聞いているんだ。」
「あはは。それはそうだよね。」
楽しそうに笑うペップル。
どうやら俺との相性が良いらしい。
「否定しないのか?」
「うーん…そうだね。否定はしないよ。でも、それを教える気は無いかな。」
ペップルにとって、ここから先は金では買えない情報…という事らしい。
彼が鳩飼かどうかは置いておいたとしても、ドワーフ達でさえ気を使っている魔族との関係に対する情報を、そう簡単には渡してはくれないだろう。もしくは…
「鳩飼って奴の噂のせいか?」
「その名前は知っているんだね。」
「色々と聞き回っていたからな。」
「鳩飼の名前を出したの?」
「いや。直接は出していないぞ。」
「賢明な判断だね。ドワーフ族にとって、それは禁句に近い扱いになっているからね。」
「そこまでの話なのか?」
一応、固有名詞を出さないようには気を付けていたが、禁句という程に重くは受け止めていなかった。
少し怖い噂話程度だと思っていたのだが…
「鳩飼の名前を出したからと言って、街から追い出されるような事は無いけど、ドワーフからはあまり良い顔はされないよ。
無難に過ごしたいならば、あまり目立つ事はしないように気を付けないと。
彼等は他の種族に比べて、ずっと純粋な種族なんだよ。その分、影響を受け易い…と僕は思っている。
そして、純粋であるが故に、彼等は一度話を信じてしまうと簡単には疑わない。それが原因で、技術の流出が起きたくらいだしね。」
ペップルの言うように、ドワーフというのは義理人情に厚いというイメージが強い。シドルバ達だけではなく、イーグルクロウのセイドルも義理人情に厚い男だ。
騙されて疑り深くなったはずのドワーフ達。それでも尚、他人を信じて疑わないというのは…種族的な特徴なのだろうか。それとも、ドワーフ族だけの街を作った事による弊害なのか…
「技術の流出が起きた事で、他種族を疑う事を覚えたみたいだけど、自分が一度信じたものを疑わないというのは、純粋な精神だから出来るって事さ。
だから、それが例えどんな噂だろうと、彼等が信じているのならば、それは彼等にとっては真実のようなもの。自分達が嘘だろうと考えて軽く話をしていると、周りのドワーフ達に嫌われてしまうよ。」
これまたペップルの言う通り、肝心なのは、俺達がどう思っているかではなく、ドワーフ達が俺達に対してどう思うかだ。ドワーフ達が俺達の行動が鬱陶しいと感じてしまうのであれば、その時点で俺達の行動は間違っていると言える。
「助言、助かる。気を付ける事にするよ。」
「うん。まあそれ以外は特に話す事は無いんだけどね。」
「…そうか。」
本当に話す事は何も無いのかどうかは分からない。どう見ても彼が鳩飼その人に見えてしまっている俺としては特にだ。
ただ、彼が鳩飼だとして、それでも話さないと言うならば、恐らく無理矢理聞き出そうとしても話してはくれないだろう。
俺とニルは、既に街で聞き込みを行っていたし、噂も広がっていた。彼が鳩飼ならば、話し掛ける前から俺達の事は知っていたはず。それでも、彼が何も言わないというのが、既に答えという事だろう。
ただ、それは俺達の事をよく知らないから…だと思う。俺達との交流が深まればあるいは…いや、先程の神聖騎士団の話もそうだが、俺達には残されている時間が予想以上に少ないかもしれない。あまり悠長にしている時間はない…しかし、彼以外にこの先へ通じる方法は、この街に居るか分からないソイヌジャフという男だけ。
確率の低いソイヌジャフを探すよりも、鳩飼かもしれないペップルに時間を使った方が賢いはず。
「ペップルはいつもここに居るのか?」
「そうだね。大体ここに居るかな。
神聖騎士団のせいで、世界はどこもかしこも臨戦状態。そんな場所では僕のような吟遊詩人はお金を稼げないし、当分はこの街に居るつもりだよ。」
「そうか。また来る。次に来た時は歌でも聞かせてもらおうかな。」
「そうしてくれると有難いね。それこそが僕の本職だからね。」
ペップルはそう言って笑うと、また鼻歌を歌いながら弦楽器を優しく鳴らす。
俺とニルは、ペップルの奏でる音色を聞きながら、広場を後にした。
その日の夜。
「…という事が有ったんだ。」
「吟遊詩人のペップルに、魔族…ウィンディゴ族のソイヌジャフ…ね。」
俺とニルが手に入れた情報を、スラたん達に早速共有した。
「そのペップルという吟遊詩人。鳩飼だとしたら、あまりにもあからさま過ぎないかしら?」
「まあ…俺もそう思っているが、ペップル以外のそれらしい人物は見当たらないからな…」
「街を全部回ったわけでもないし、あれは都市伝説みたいな噂だよね。今決め付けるのは時期尚早じゃないかな?」
「うーん……」
スラたん達の言う事は間違いない。あくまでも都市伝説でしかない鳩飼の話を信じ、それをペップルに当てはめるべきではない。しかし…それらしい人物である事にも間違いはないし、完全に無視する事も出来ないだろう。
「切り捨てて考えるって話じゃなくて、ペップルに
それに、ソイヌジャフという魔族の事も聞いているんだし、都市伝説に
「私もスラたんの意見に賛成ね。」
俺の出した結論とは逆の結論に至るスラたんとハイネ。
言われてみると、少し鳩飼という存在に固執し過ぎていたかもしれない。
「私も、そのペップルという男の事より、ソイヌジャフという男を探した方が良いと思うぞ。」
考えを改めようとしていたところに、エフのダメ押し。これで方向性は決まったと言えるだろう。
「……分かった。ペップルには適度に会いに行ってみるとしよう。
その間は、話に出てきたソイヌジャフという男を探そう。
ハイネとピルテは知らない男なのか?」
「ええ。私もピルテも、ソイヌジャフという男は知らないわ。
ただ、この街ではドワーフ族以外は目立つし、この街に居るとするならば、見付けるのにそれ程時間は掛からないかもしれないわね。」
「そうだと嬉しいが…」
「フラフラと街を歩き回っているという事は、この街に来て、ドワーフ族や魔界外の情報を集める任務だと思うわ。
私達の動きも知られているとするならば、向こうから接触して来る…なんて可能性も無いとは言えないと思うわよ。」
「その場合は、何が目的で接触して来るかが問題になりそうだな。」
魔王が俺達を敵視しているという事から考えるに、俺達を殺す為に近付いて来る…と考えるのが妥当だろう。しかし、そこで関係が断ち切られてしまうと、魔界への侵入は絶望的となる。
そして、その可能性は極めて高い。魔界から送られて来ている者で、各所にて情報収集を行う諜報部隊。これが魔王との繋がり無くして送られて来ているとは考えられない。確実に魔王の息が掛かっている者だ。そう考えた上で、ソイヌジャフに接触するかどうかを考えなければならない。
ただ…それ以外に俺達が取れる行動は少なく、ソイヌジャフへの接触は必要不可欠とも言える状況である。要するに、実に危険な橋を渡る事となる。
それが分かっているのだろう。スラたんも、ハイネ達も、表情に僅かな緊張が見て取れる。
「この街に派遣されて来るくらい優秀な者なら、流石に自分と護衛だけで手を出してくるという事は無いと思うわよ。」
「黒犬の一件で、こちらが簡単には潰されない相手だと理解しているでしょうから、間違いないと思いますよ。」
「ここは接触してみるべき…か。」
危ない橋だとしても、それ以外に道が無いならば、渡るしかないという事だ。ここは覚悟を決めるべきだろう。
「意外と友好的に話せるかもしれないからね。」
スラたんの意見は楽観的過ぎる気がするものの、それくらいの気持ちで接触してみるべきなのかもしれない。
という事で、俺達はソイヌジャフを探す事に決めた。
言う程簡単な事ではないとは分かっているが、やるしかない。
方針を決めた俺達は、早速、翌日からソイヌジャフの捜索を行った。
ハイネ達は、相手の方から接触して来る可能性について示唆していたが、そんな事は無く、情報収集の為に街を練り歩く必要が有った。
しかしながら、ドワーフ族以外の者達は、この街で目立つという予想は的中しており、予想よりずっと早くソイヌジャフの情報を手に入れる事が出来た。
「これ程早くソイヌジャフの情報が手に入るとは思いませんでしたね。」
「ああ。何せ昨日の今日だからな。」
何人かに話を聞く必要こそ有ったものの、数人目で、ソイヌジャフの事を知っているというドワーフ達に会う事が出来た。
どうやら、ソイヌジャフはザザガンベルではかなり有名な魔族らしく、名前は知らないけれど見た事が有るとか、話した事が有るとか、そういった情報があちこちで手に入った。
ただ、ソイヌジャフの居場所を知る者は少なく、話した事は有るが、その居場所は知らないという者達が多かった。
フラフラと街を歩き回っているという事も関係しているとは思うが、そもそも自分達の居場所を特定されないように工夫しているのだろう。
とは言っても、街に居るのだから誰も知らないという事は有り得ない。特に、ソイヌジャフは情報収集の為に色々な場所へ赴いているので、彼の最近の動向から、今現在居る場所は直ぐに割り出せる。
俺達がソイヌジャフを探そうと決めた翌日には、彼の大体の居場所を把握する事が出来た。
しかし、こんにちはー!とソイヌジャフの元に向かうなんて馬鹿な真似は出来ない為、俺とニルは一旦戻る事に。
すると、スラたん達も同じような調査結果になったからか、昼過ぎ頃には全員が集合。ここまで共に旅をし、戦って来たのだから、敢えて言わずとも同じように考えてくれるだろうとは思っていたが、帰って来るタイミングまでほぼ同じというのには驚いた。
「皆帰って来たって事は、同じ結果に落ち着いたみたいだね。」
「そういう事みたいだな。」
帰って来た皆と話し合ってみると、やはり同じ結果となったらしい。
今、ソイヌジャフは街の中心地、東側付近をウロチョロしている様子で、主に酒の出る店を回っているとの事。
護衛らしい護衛は連れていないと聞いたが、たった一人で諜報活動しているとは考え辛い為、黒犬のような連中が密かに護衛しているだろう。
ソイヌジャフ本人は、ある宿に泊まっているという話も聞いているが、宿に行くのは出来る限り避けたい。外敵への対処方法も考えられているだろうし、歩き回っているソイヌジャフを探し出す方が安全だ。
「そうなると、ここからは全員で街の東側へ向かうって事で良いかしら?」
「そうだな。目的が定まっているから、バラバラに行動する利点より、まとまって行動する利点の方が大きいだろう。
ただ、変装はして行こう。俺達の容姿は間違いなく伝わっているだろうからな。」
俺がエフの方を見ると、エフはゆっくりと頷く。
黒犬が絡んでいた以上、俺達の容姿は勿論、戦闘能力についても詳しく説明が入っている。エフは結局、俺達と行動を共にする事となったが、彼女達黒犬には相当苦労させられた。それだけ彼女達が優秀だという証拠だ。俺達の事を報告していないなんて有り得ない。そして、エリート諜報員であろうソイヌジャフに、それが伝わっていないという事もまた有り得ない。
「盗賊とは違って、相手は教育された諜報員のはずよ。変装もしっかり行わないと見破られるわ。」
「しっかりと行ったとしてもバレる可能性さえ有ると考えるべきだな。少なくとも、私ならば素人の変装など、容易く見破る事が出来る。」
「ま、まあそうだよな…」
エフの言う通り、結局俺達の変装など素人のそれだ。ひたすら訓練された者達から見れば、変装していないのと変わらない。一応、偽見の指輪は有るしそれなりには変装出来るとしても、魔法による変装についても厳しく訓練された者達の目は騙せない。
「前にハイネとピルテにも同じ事を言われたからな…」
「お前達が考えているよりも、変装というのは奥が深いものだ。
布を被ったり持っている物を変えたり程度は変装でなくてもする。魔法を使って髪色を変えたりなんてのもそれ程珍しい事ではない。」
「うぐっ…」
「完璧な変装となれば、性別や年齢、種族くらいは偽装するのは当たり前だ。
より完璧を目指すならば、職業やら何やらも徹底的に作り込み、完全にその者にならなければならない。そこまでしてやっと変装と呼べるというものだ。」
職業とか戸籍を偽装するなんて…まるで映画やアニメの世界だ。
「そこまでしなければならないのか?って顔だな。」
「え?!い、いや…」
エフに表情を読まれたらしい。
「我々黒犬は、敵地に潜入して情報を集めるという事も有る。中には数年も潜入を行っている者だっている。」
「数年?!」
本当に映画やアニメの世界観だ。
「諜報対象との接触を行えば、当然相手は自分の事を知る。自分の過去に綻びが生まれないよう、街に溶け込む為、数年を潜入地で過ごす事なんて普通だ。
それでも、たった一つのミスで死に至る事も有る。」
「その間…ずっと変装しているのか?」
「当然だろう。」
「……………」
改めて、黒犬という組織の凄さがよく分かった。
本当に…よく俺達で対処出来たな…黒犬が、力押しではなく、本気で俺達を暗殺しようとしていたら、気付いた時にはあの世なんて事も可能性としては有っただろう。運が良かったとしか言えない。
「それくらい、変装というのは奥が深いという事だ。」
「わ、私も気を付けなければなりませんね…」
「ニル様はお美し過ぎますからね…変装しても、そのオーラを隠すのは至難の業でしょう。」
「美……そ、そんな事は…」
真面目な顔で悩むエフに、恥ずかしがるニル。
相変わらず、エフはニルへの対応だけ全くの別物だな…
「ソイヌジャフもそこまでの訓練を受けているのか?」
「いや。流石に我々黒犬のような訓練は受けていないだろう。受けているとしても、基礎的な部分程度だ。それでも、素人の変装くらいは見破るぞ。」
「だよな…」
こうして本職の者と行動を共にすると、今までの俺達がどれだけ
「まあ…その点は安心しろ。私が何とかする。」
「へー…」
エフの言葉に、ハイネが目を細める。
「何だ?」
「別にー。犬もたまには役に立つのね。」
「何だと…?」
「はーい!そこまで!何で今の流れでそんな話になるかなー。」
またしても険悪なムードになりそうだったエフとハイネをスラたんが止める。
二人のいざこざもお約束になりつつあるな…
兎にも角にも、本職であるエフがどうにかしてくれると言うのであれば、変装に問題は無いだろう。
「エフ。必要な物が有るなら言ってくれ。俺達の方で用意する。
変装して出るとなると、明日に回した方が良いか?」
「いや。一、二時間程度で何とか出来る。今日中に、少し偵察へ向かう程度は出来るはずだ。」
エフの言っている事が正確だとしたら、遅くなったとしても、出来上がるのは三時くらいだろう。その時間ならば、東地区に行って多少話を聞いて回るくらいは出来る。今は少しでも時間が惜しい。一時間でも情報収集出来る時間が有るなら行くべきだ。
「分かった。そういう事なら、準備が出来次第東地区に向かうとしよう。大体の行動範囲は分かっているし、運が良ければ今日中に接触出来るかもしれないしな。」
「そうと決まったならば早速取り掛かるぞ。」
こうして俺達は、何故かやる気になっているエフの手によって変装する事となった。
そして約二時間後。
「す、凄いな……」
「元の姿が全然分からないね…」
全員の変装が完了し、その出来栄えに全員が驚いていた。
俺は商人で、スラたんはその付き人。
俺は、ぽっこりお腹の商人という見た目に変身させられ、スラたんはピシッとした付き人。他の街中ではよく見る類の商人らしい風貌だ。
俺の方は体型を上手く隠す為に服の中に色々細工したり、口に綿を詰めたりしている為、少し動き辛いが…
「ご、ご主人様がご主人様ではないみたいです…」
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