第656話 悪くない
後衛をローテーションして、何とか疲労や魔力消費を分散する事で、ケルピーへの攻撃を途切れさせずに斬り付け続け三時間。
流石のケルピーも、魔力が尽きてきて、身体中に受けた傷から血を流し、苦しそうにしている。
当然だが、ケルピーも知能は有る為、俺達を引き剥がすように走り出そうとしたり、魔法を乱射したりと、色々な事を仕掛けて来た。しかし、走り出そうとしたケルピーの邪魔をして釘付けにしたり、魔法を尽く避けたりと、全てに対処した。
ケルピーのこれらの行動は、全て、プレイヤー達が集めたケルピーの情報の中に有るからだ。
俺が、この六人ならば、ケルピーを討伐出来ると考えたのは、この情報が頭の中に有ったからだ。これがケルピーではなく、別のSSランクモンスターで、情報を持っていないモンスターだった場合、即座に逃げる事を選んだだろう。それくらい、SSランクモンスターというのは危険な存在なのだ。
そんな相手に、三時間掛けてだが、何とかダメージを与え続け、蓄積されたダメージがやっとケルピーに届き始めた。
「はぁ……はぁ……」
「はぁ……はぁ……流石はケルピー…だね……」
今現在は、ハイネとピルテが後衛の状態だ。
一撃でも貰えば即死と言えるような状況で、交代しながらとはいえ三時間も戦っているのだから、俺達の方も消耗は激しく、全員の体力が限界に近付いている。最初は余裕そうだったスラたんも、既に肩で息をしている。それは俺も含めて全員同じだ。
「ああ……だが、そろそろだ…」
ケルピーを見上げると、俺達が付けた傷で両前脚はズタボロ。足がガクガクと揺れており、立っているのもやっとな状態だ。
「もう少しだ!気を抜くなよ!」
疲れている体に鞭を打って、全員に向けて声を張る。
「は…はい…」
何とか返事をしてくれたのはニルとスラたんだけ。他の三人は頷いてくれてはいるものの、呼吸をするので精一杯な様子だ。
この様子だと、後一、二回攻撃を加えるのがギリギリ…と言ったところだろうか。
ケルピーの様子を見る限り、どちらが先に動けなくなるのか、かなり微妙だ。最悪の場合、俺だけでも何とかダメージを与えて倒し切るしかない。
「はぁ……はぁ……」
「ヒィィン!」
ケルピーも、そろそろ決着が近付いている事を感じているのか、一度大きく鳴き声を放つ。
「……来るぞぉ!」
「ヒヒィィーーン!!」
ケルピーが、震える前脚を高々と持ち上げる。
「い、いきます!」
ゴウッ!
ケルピーの攻撃に合わせて、後ろからピルテのフレイムスピアが飛んで来る。
ピルテもかなり辛そうだ。
その魔法を無駄にしない為に、俺達は、ここで確実にダメージを与えなければならない。
「はぁ…はぁ…はぁぁぁぁっ!!」
バシャッ!
エフが、残った体力を振り絞って走り出し、水飛沫を上げる。
こうして長丁場になると、地面に張られている水が非常に鬱陶しい。深さなど殆ど無いようなものなのに、走り出す足がやけに重く感じるのだ。
服が水を吸って重くなっているのも関係しているとは思うが…まるで鉄の鎧でも着せられているかのように、自分の体が重く感じてしまうのである。
それでも、その疲れを、気力でどうにか吹き飛ばし、俺達も足を前に出す。
「ヒィィン!!」
バシャァァァン!!
ケルピーの両前脚が打ち下ろされ、地面の水が激しく飛び上がる。
しかし、ケルピーの動きも随分と遅くなっており、その攻撃を避けるのはそれ程難しい事ではなかった。
ジュッ!!
後ろから飛んで来たフレイムスピアが、飛び散った水滴を蒸発させながらケルピーへと向かう。
ゴウッ!
ケルピーの黒いモヤと炎が入り交じり、消えて行く。
「今だ!!」
「「「「はぁぁっ!」」」」
俺、ニル、スラたん、エフが、ケルピーに向かって武器を振り上げる。
ザシュッザシュッザシュッザシュッ!!
連続して、俺達四人がケルピーの右前脚に斬撃を打ち込む。全員、これで終わらせたいという気持ちが前面に出た攻撃だ。
「ヒヒィィィン!!!」
ズガァン!!
ケルピーは、自分の体重を支える事が出来なくなり、その場に足を折って体を地面へと落とす。それでも、体を横には倒さず、伏せの状態に留めているのは、SSランクモンスターとしてのプライドだろうか。いや、そもそもモンスターのランクというのは、人間が危険度を分かり易くする為に設定したものだ。モンスターには関係の無い事だろうし、プライドを持っているとしたら、強者としてのプライドだろう。
とは言っても、これだけデカい生き物が地面に落ちて来るとなると、物凄い衝撃が地面に走る。地面が大きく揺れ、体勢を崩してしまう程の衝撃だ。
「まだだ!気を抜くな!」
ケルピーは足を折って倒れはしたが、それだけで死ぬ事は無い。ただ走り回ったり足で踏み付けるような攻撃が出来なくなっただけの事だ。
「完全に仕留めるまで気を抜かないようにね!!」
「まだ…はぁ……はぁ……戦うのか……」
「はぁ…はぁ…あら…弱音かしら…?」
いつも激しく言い争いをしているハイネとエフも、今回ばかりは言葉に力が無い。いや…こんな時でさえ言い争っている事を驚くべきだろうか…?
まあ…言い争う元気が有るならば、大丈夫だろう。
「ここからは全員でひたすら攻撃するだけだ!魔法と噛み付き攻撃にだけ気を付けろ!側面か背面から攻撃を仕掛けるんだ!」
「行くわよ!」
「は…はい!」
最初に飛び出したのはハイネとピルテ。続いてエフ、スラたん、そしてニルが走り出す。
「合わせろ!」
ゴウッ!
俺が用意しておいた魔法陣を発動させる。上級火魔法、炎波だ。扇状に広がる範囲攻撃火魔法で、伏せて動けなくなったケルピーに対してならば、一気に攻撃を仕掛ける切っ掛けとしては持ってこいの火魔法だろう。
俺の目の前に広がって行く炎。それがケルピーの右の腹部を一気に包み、黒いモヤと共に消えて行く。
「はぁぁっ!」
「やぁぁっ!」
ザシュッザクッ!
バシャバシャと水飛沫を上げながら、五人がケルピーに側面から走り寄ると、右の腹部に向けて攻撃を仕掛ける。
まずハイネとピルテが、同時に深紅の鉤爪を突き立てる。
「あぁっ!!」
ザシュッ!!
エフは飛び上がり、腹部を切り裂くように短剣を縦へと走らせる。
「はぁぁぁぁっ!!」
ザザザザザザザザシュッ!
スラたんはここぞとばかりに、その超人的なスピードと、二本のダガーを使って斬撃を連続で繰り出す。
「はぁぁぁぁっ!!」
「やぁぁぁぁっ!!」
そして、俺とニルが同時に斬り込む。
魔法を放ったから終わりではなく、俺にも攻撃出来る時間が有るのならば、勿論攻撃する。
ザシュッ!!ガシュッ!!
ニルが三人の斬り付けた場所へ、斜めに斬撃を走らせ、俺はその上から同じ箇所に斬撃を走らせる。
ケルピーは、既にかなり弱っている為、黒いモヤの勢いも緩まり、ニルの斬撃はケルピーの肉を、俺の斬撃はケルピーの肋骨を切り裂く。
「ヒヒィィィィィン!!」
ズガガガガ!!
ここまで、致命傷と言える傷は与えられていなかったが、これは間違いなく致命傷と言える。
ケルピーも、悪足掻きとして、俺達に噛み付こうとするが、既にその場からは全員が離れている。
「はぁ……はぁ……どうだこのデカブツがぁ!」
エフが、短剣をケルピーに向けて叫ぶ。
ケルピーは、そんなエフに真っ青な瞳を向け、睨み付けている…ように見える。
既に、勝負は決したと言えるだろう。
どうやら、ケルピーに俺達を攻撃する体力は残っておらず、魔力も枯渇したらしく、纏っていた黒いモヤが徐々に薄くなり、消え去って行く。
ケルピーの全身は、真っ黒な体毛に覆われており、頭の先から首元に掛けて、真っ青な
俺やスラたんは、その姿を画面越しに見た事が有るが、やはり画面越しで見るのと、生で見るのは全く違う。
大きさも有ってか、ケルピーという生き物が、とても力強い生き物なのだと本能的に理解させられる。
こうして俺達に負けたと分かった後も、ケルピーは騒いだりせず、ただジッとこちらを見るばかり。
弱肉強食の世界で生きてきたケルピーは、自分が狩られる側になったのだと悟り、それを受け入れている…ように見える。
これが、強者の風格というやつなのだろうか。
俺達は、別にケルピーが憎くて殺そうとしたわけではない。ただ、狩るか狩られるかの戦いだっただけの事。
故に、ケルピーを苦しませるなんて事はしたくない。
「一撃で終わらせる。」
ケルピーが、人の言葉を理解しているとは思っていなかったが、俺はケルピーに対して言葉を放っていた。
「…………………」
「………………」
ケルピーは、そんな俺の目をジッと見詰めた後、ゆっくりと頭を下げ、俺の前へと下ろす。
「スー……」
細く息を吐き出し、両手で持った紫鳳刀に神力を出来る限り集める。
「はああああぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
ザンッ!!!
全力で突き下ろした紫鳳刀は、神力の刃と共に、ケルピーの脳天へと突き刺さり、深く深く入り込む。
ケルピーは、一度大きく目を見開いた後、ゆっくりと瞼を閉じ、そのまま全身から力を抜く。
「モンスターのくせに…まるで人間のような死に際だったな…」
エフは、ケルピーの最期を見て、予想とは違ったのか、何とも言えない表情をしながらそんな事を言う。
「モンスターも生き物だからな。長く生き、知能が高ければ、人と同じような死に際を迎える事だって有るさ。」
「……………」
ハイネ達吸血鬼族は、元々モンスターとして扱われていたという過去が有り、そのせいで魔族との衝突が起きていたという事から、魔族にとってもモンスターは敵だという事が分かる。そして、恐らくモンスターというのは、ただただ人を襲うだけの生き物で、そこにはそれ以外の感情など無いと考えている者達が殆どだと思う。
実際、モンスターの殆どは、人を見るや襲い掛かって来るし、間違ってはいない。変に感情移入などして殺す手が鈍れば、死ぬのは自分達になるだろう。
しかしながら、全てのモンスターがそうではないということを、俺達は知っている。
ラトやリッカ。ピュアスライムも、そもそもはモンスターだ。聖獣という普通のモンスターとは違う変化を受けた個体ではあるが、モンスターであった事に違いはない。
そして、ラトの過去の話を聞けば、モンスターにも生き物としての感情が有る事は分かる。
だからと言って、手を抜いたりはしないが…この世界のNPCと同様に、モンスターもまた感情を持ち、ただ人を殺す為だけに作られた存在ではないと言える。
「考え過ぎるなよ。殺らなければ殺られる。それは変わらない事実だからな。」
「…分かっている。敵である事に変わりはないからな。」
「それにしても……本当に倒せてしまうなんてね……」
息を引き取ったケルピーを見上げるハイネが、息を整えつつ言う。信じられないとでも言いたそうだ。
「六人だけでケルピーを倒したなんて…魔界に戻って誰かに話しても、きっと信じて貰えませんね。」
「そうね…素材を持ち込んだとしても、恐らくは信じて貰えないでしょうね。まあ、誰かに話したいとも、信じて欲しいとも思わないけれど。」
「取り敢えず、ケルピーの素材は、しっかりと使わせて貰うとしよう。
というか…このサイズでもインベントリに入るのか…?」
一応、馬車はインベントリに入る事を確認済みだが、ケルピーのサイズは馬車の倍では収まらない。
「取り敢えずやってみるしかないか……」
結果から言うと……特に何事も無く、インベントリへ収納された。ケルピーが丸々入るとなると、恐らく大きさに制限は無いのだろう。
ただ、あれだけデカいものが入ったのに、表記では『ケルピーの死体』と書かれているだけ。それはそれで寂しい気がする。
「しかし……疲れたねー……」
「流石に、三時間ぶっ通しで戦い続けると、もう動きたくないな…」
「ここはケルピーの縄張りだったみたいだし、他のモンスター達が、今日明日で寄ってくるという事は無いと思うから、暫くは安全なはずよ。」
「体を休める時間くらいは取っても問題は無いという事ですね。」
「ええ。問題は……」
「この水だよな…」
ケルピーを倒せはしたが、俺達が居る場所は水浸し。流石にこの場で腰を下ろして休憩というわけにはいかない。
「俺が土魔法で休む場所の土台を作るから、今日はそこで休もう。少しだけ待ってくれ。」
「ご主人様。私も…」
「ニルも休んでてくれ。もう魔力も残っていないだろう。これから休めるってのに魔力回復薬を使うのは勿体無いしな。」
「わ、分かりました…」
自分の魔力が枯渇寸前である事は、ニル自身がよく分かっている事だ。ニルは、俺に言われてしゅんとしてしまったが、頷いてくれる。
気にするなと頭を撫でてやると、直ぐに気持ちを取り戻してくれたみたいだし、大丈夫だろう。
という事で、俺達は何とかケルピーを倒し切り、湖の前で一夜明かす事になった。
ハイネの言っていたように、周辺からモンスターが寄って来る事はなく、全員が完全復活するまでしっかりと休息出来た。
そして翌日。
「湖は渡れそうか?」
「ええ。水位は一番深い所でも膝くらいまでだと思うわ。」
ハイネとピルテが湖の深さを調べてくれて、歩いて渡れそうだという結論に至った。
「よし。それならばこのまま湖を渡って北に抜けるぞ。」
「またあのモンスターハウスモドキを通り抜けないといけないのかー…」
「気持ちは分かるが、一度抜けて来られたんだから、遠回りする必要は無いし、それ以外の選択肢は無いぞ?」
「分かってるけどさー…」
「大丈夫よ。湖を反対側まで抜ける頃には、モンスター達の密度も、少しは緩和しているはずだからね。
ほらほら!行くわよ!」
「はーい…」
ハイネに急かされて、スラたんは足を湖の方へと進める。
湖は、かなり緩やかな坂になっているらしく、僅かずつ深くなって行く。
「綺麗な場所ね…」
湖の中で足を前に出すと、その波紋がゆっくりと広がって行き、その波に反射した太陽の光がキラキラと目に映る。
湖の中には、小魚も泳いでいて、波紋が通り過ぎると、慌てて何処かへと泳いで行く。それが見えるくらいに水が澄んでいるのだ。
「モンスターさえ居なければ、観光地になっていてもおかしくないような場所だな。」
ジャブジャブと水音を立てながら進んでいるが、周囲からモンスターの気配は一切せず、俺達は安心して話をしながら前へと進み続けている。
船を作って渡る事も考えたが、浅過ぎるという事で歩いて移動している。
「ケルピーを倒したから、モンスターが居ないこの湖を見るのは、最初で最後かもしれないね。」
「言われてみればそうだな……スクショ撮りてぇ……」
「あはは!だねー!」
混沌の坩堝と呼ばれる地域にしては、あまりにも美し過ぎる光景に、俺達の気持ちも幾分か和む。
「エフさん?どうかしましたか?」
北へ進んで歩いていると、静かなエフに気が付いたニルが、声を掛ける。
「あっ。いえ。何か有ったわけではありません。」
「???」
「ただ…黒犬として動き回っていた時は、こういう光景を見ても、特に何とも思わなかったのですが…黒犬という役割を諦めた今は………どこか、少し違った景色に見えてしまって…」
「嫌いな風景ですか?」
「い、いえ!」
「では、好きな風景ですか?」
「好きな……正直、分かりません。ただ……悪くないと…」
「ふふふ。悪くないですか。エフさんらしいですね。」
「わ、私らしい…ですか?」
「エフさんは、これまで黒犬として殺し殺されの世界を生きてきたと思います。ご主人様のお言葉を借りるのであれば、殺伐とした環境…でしょうか。」
「……………」
ニルとエフの会話に、俺達は耳だけを傾ける。
「私も、この枷を見れば分かるように、長い間、殺伐とした環境に居ました。」
自分の枷に手を置いて、少しだけ表情を曇らせるニル。
「ですが、私はご主人様と出会い、そんな世界から連れ出して下さいました。
それからは、私の目に映る景色や人々、全てのものが美しく映るようになったのです。エフさんの言うところの、悪くない…ですね。」
そう言って笑うニルの笑顔は、見なくても綺麗なものだと分かる。
「私も最初は戸惑いましたが、そうやって少しずつ目に映るものが違って見えて来て、ある時気が付くのです。
あー…これはきっと、私にとっての宝物なんだな…と。」
「宝物…」
「形有るものや無いものも含めて、その全てが私という存在を形作っているのだと思っています。
今は、悪くないという感情だとしても、必ずいつかエフさんにとっての大切なものになるはずです。ですから、この光景を悪くないと思った事。今はそれを大切にして下さい。」
ニルがそんな事を思ってくれていたとは……ちょっと泣きそう……
「悪くないと思った事を大切に……」
ニルの言葉を聞いて、エフは、もう一度周囲に目を向ける。
エフがどんな生活を送っていたのかは知らないし、知りたいとは思わない。多分、エフも話したいとは思わないだろう。
ただ、エフはそんな生活から離れ、少しずつ色々な部分で変化しているのだと思う。それが良い変化なのか、悪い変化なのかは、彼女自身が決める事だと思うが……きっと、悪くない変化ではないだろうか。
二人の会話を聞きながら、俺達も周囲に目を向けて景色を楽しむ。
写真は撮れないが、目に焼き付ける事は出来る。また一つ、頭の中に保存しておきたい景色が増えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます