第655話 ケルピー

湖の水は澄んでおり、緩やかな弧を描いて続いている木々の蒼色が美しい。こんな状況でなければ、水辺で休憩したいくらいに美しい場所だ。

しかし、残念ながら、悠長に湖を眺めている時間は無い。


バシャッ!バシャッ!


左手に目を向けると、俺達と同じように水飛沫を上げながら森を抜けて来たスラたん達が見える。

そして、その後ろからスラたん達を追っているのは、背の高い樹木の、更に上から頭を出しているケルピーの姿。

黒いモヤを纏っており、そのモヤの奥で怪しく光る青色の瞳。


「スラたん!こっちだ!」


「っ!!」


俺が叫ぶと、スラたんが俺達に気付いて、直ぐにこちらへと進路を変える。


「僕が注意を引き付けるよ!」


「頼む!」


スラたんは、エフとピルテを俺達の方へと走らせ、自分は踵を返してケルピーの方へと向かう。


「ヒィィン!!」


バシャッ!バシャッ!


スラたんは、ケルピーの足元で右に左にと走り回り、ケルピーの動きを制御する。


ケルピーの動きを知っているのは、この中では俺とスラたんだけ。スラたんがケルピーの注意を引いてくれている間に、俺が全員に指示を出す。


「ケルピーはあのデカさ故に足元で動き回られるのが苦手だ!足の動きに注意しながら動けば、そう簡単に足での攻撃は貰わない!

だが、魔法攻撃は別だ!頭上から降ってくる、もしくは地面から襲って来る闇と水魔法に注意しながら動いてくれ!」


「はい!」


「ケルピーの纏っている黒いモヤは、敵からの攻撃の威力を減衰させる効力を持っている闇魔法だ!引き剥がすには光魔法か火魔法を使うしかない!しかし、引き剥がせるのは一瞬だけだ!その間に攻撃を打ち込む!」


「厄介な魔法ね!」


ニルの使う黒霧眼に似た効果を持っている魔法だが、黒霧眼とは全く別の物だ。

ニルの使う黒霧眼は、物体や魔法を減衰させるのではなく、完全に消失させる。相手の攻撃が物理だろうが魔法だろうが、そんな事は全く関係無く、触れた物が全て消えてしまう。しかも、何かを消失させた際に、黒い霧が消えたりもしない。


これに対して、ケルピーの使う黒いモヤは、攻撃の威力を落とす効果しかない。つまり、無理矢理攻撃を通そうと思えば、それも不可能ではないという事である。

また、魔法をぶつけた際は、弱点属性と言われている火属性魔法に対して、相殺するような形で黒いモヤが消える。どういう仕組みなのかは分からないが、他の属性魔法ではそうはならず、威力を殺されてしまうのだが、火属性の魔法だけはモヤを消す事が出来るのだ。

勿論、黒霧眼の方は、そんな事が起きたりはしない。弱点属性など存在しない。故に、全く別の魔法である事が分かると思う。


「火魔法で…」


「シンヤさんの魔法で一気に消し飛ばす事は出来ないのかしら?!」


当然、聖魂魔法で一気にケルピーを消し飛ばせないかが気になるとは思うが…結論から言うと、無理だ。


「黒いモヤは常にケルピーから出て来ている!俺の魔法でもケルピーを傷付けるのは無理だ!とにかく魔法への耐性が高いモンスターだからな!」


聖魂魔法を使用したとしても、ケルピーの黒いモヤは常に放出し続けている為、どれだけ高火力であろうとも、魔法である限りケルピーには届かない。被害がゼロという事はないだろうが、ダメージは微々たるもの。数秒後には黒い霧も完全に復活してしまう為、聖魂魔法が無意味になってしまう。

圧倒的な質量を持った物で押し潰すというのも可能と言えば可能かもしれないが…ケルピー相手にどこまで有効なのかは未知数。それに、ケルピーはこの巨体ながら、馬というだけはあってなかなかに素早い為避けられる可能性が高い。

要するに…魔法攻撃は、聖魂魔法も例外ではなく、ほぼ全て無効化されると考えた方が良いという事。魔法使い殺しのモンスターでありながら、魔法使いが居ないとダメージを与える事が出来ないという…何とも極悪なモンスターである。


但し、火魔法で全身を覆う黒いモヤを剥がして物理的な攻撃を加えるという攻略法さえ分かれば、ダメージを与える事が可能。

例えばロック鳥のように、触れる事さえ出来ず、一方的に殴り続けられる…という事にはならないし、SSランクモンスターの中には、物理攻撃だろうが魔法攻撃だろうが、全てが通らないという信じられないモンスターも居る。

それと比べてしまうと、ケルピーがSSランクモンスターの中で最も弱い部類に入ると言われている理由が分かるだろう。


「シンヤさんの魔法が通じないモンスター…」


一応言っておくと、全く通じないわけではない。


例えば、火魔法で黒いモヤという鎧を剥ぎ取った後、間髪入れずに聖魂魔法を叩き込めば、威力の減衰を最小にする事が出来る為、攻撃は通る。

ただ、ケルピーも俺達がそうやって攻撃して来る間、じっと待っているわけではないし、ケルピーの巨体の動きを止めるのは至難の業。そう考えると、聖魂魔法を使っての一発逆転攻撃より、地道に物理攻撃を叩き込んでいく方が良い。


「ハイネとピルテは火魔法でモヤを消してくれ!ケルピーからの魔法攻撃に対する処理も頼む!」


「分かったわ!」

「分かりました!」


「エフ!ニル!俺達はスラたんと一緒に、モヤの消えた部分に斬り込むぞ!一回のダメージは少なくても、確実に蓄積はされていく!根気強く行くぞ!」


「ああ!」

「はい!」


「スラたん!待たせた!」


ケルピーがスラたんを足で潰そうとしている所に、俺、ニル、エフが合流する。


「気を付けて!動きは速いよ!」


「ヒィィン!」


バシャッ!!


スラたんが注意してくれて直ぐに、俺の元へと振り下ろされた足が、地面を打ち、水を跳ね飛ばす。


「ケルピーは周囲に水を常に張って移動する!足を取られないように気を付けろ!」


「はい!」

「ああ!」


バシャッ!バシャッ!


足元でうろちょろする俺達に対して、ケルピーは何度も前足を打ち下ろす。


これだけのサイズとなると、今まで森の中で戦って来たモンスター程度は、全て一撃で押し潰す事が出来てしまう。恐らく、岩亀の甲羅も踏み付けて粉砕する事が可能だろう。

そんな、巨人族の振り下ろす戦鎚のような足が、何度も頭上から打ち下ろされるのは、肝が冷えるどころの騒ぎではない。それでも、俺達はしつこくケルピーの足元で動き回る。


「次に足が下りて来た所に合わせます!!」


ケルピーの攻撃を避けていると、後ろからピルテの声が飛んで来る。


火魔法の準備が整ったのだろう。


「モヤが消えた所に攻撃を仕掛けるぞ!油断するなよ!」


バシャッ!!


ボウッ!


ケルピーの足が打ち下ろされ、水飛沫が上がると同時に、後方からピルテの放った中級火魔法、フレイムスピアが飛んで来る。


前衛組の配置的に、攻撃を仕掛けられるのは、俺とエフだけ。


ゴウッ!


ピルテの放った火魔法が、ケルピーの纏っている黒いモヤと触れ合うと、入り交じり、どちらの魔法も消えて行く。


「今だ!!」


ピルテの火魔法が当たったのは、ケルピーの右前脚部分。俺とエフは、完全にモヤと炎が消える前に、僅かな時間差で飛び出し、武器を振り上げる。


「魔法が来るわ!!」


俺とエフが飛び出したタイミングで、後ろからハイネの叫び声が飛んで来る。


「っ!!」


ハイネの声を聞き、頭上を見ると、中級闇魔法、ブラックスピアが飛んで来ているのが見える。狙いは俺だ。


タイミング的には、俺が貫かれるタイミングだが、後ろで中級闇魔法、ダークシールドを構えていたハイネが、俺の頭上に魔法を展開させてくれる。

ブラックスピアは、ダークシールドに当たり消えて行く。


「「はぁぁっ!」」


ザンッ!ザシュッ!


俺の紫鳳刀がケルピーの右前脚に届き、表面を切り裂いた後、エフの短剣が同じ箇所を斬り付ける。


「ヒヒィィン!!」


バシャッ!バシャッ!


ケルピーに対する初めての攻撃にしては、上手く連携が取れていた。悪くはない。


「クソッ!浅い!」


連携は悪くなかったが、ケルピーの足を止める程の傷にはならず、表面を斬れただけ。表面を覆う黒いモヤが、瞬時に追加される為、どうしても攻撃の威力が若干ながら落ちてしまうのだ。エフがイラつくのも分からなくはない。


「焦るな!一度で倒せる相手じゃない!何度も繰り返し攻撃するんだ!」


「分かっ…っ!」


バシャッ!


会話をしている暇も無く、痛みを受けたケルピーが、怒りのままに足を打ち下ろして来る。


SSランク級のモンスターとなると、一撃で倒せるという事はまず有り得ない。相手によっては何時間、何十時間と戦ってやっと倒せるような相手だって居るのだ。一撃が浅かったからと言って焦る必要などない。寧ろ、攻撃が当たり、傷を与えたという事が重要なのだ。


「また魔法が来るわ!!」


「下だ!」


ハイネの声を聞いた後、自分達の足元で変化が起きているのに気が付いて、短い言葉で注意を促す。


ケルピーの使う闇魔法と水魔法は、かなり多彩だ。

単純に、魔力量がSランク以下のモンスターとは比較にならない程多いという事も有って、上級から初級まで、色々な魔法を使って来る。

特に、警戒しておかなければならない魔法は、やはり全体に被害を及ぼす範囲魔法だろう。特に、地面に張られた水を利用した範囲水魔法には気を付けなければならない。

そして、今現在、俺達を襲おうとしている魔法は、その範囲水魔法である。

ケルピーが得意とする、水針すいしんという上級水魔法。地面から水の槍が何本も突き上げて来るという範囲攻撃魔法である。

本来であれば、土の地面の上に展開させても良い魔法なのだが、ケルピーの場合、既にアクアグラウンドという魔法で周囲を水浸しにしている為、その威力が通常よりも強く、そして効果範囲も大きくなる。

しかし、その代わりにというのか、水針の発生する位置には、予備動作的に水が小さな渦を巻く。その部分からどのように水針が出てくるのかまでは分からないが、渦が巻いている場所から素早く逃げる事が出来れば、攻撃を躱す事が出来るのだ。


「下をよく見て避けるんだ!」


ザザザザザザッ!!


俺の言っている事の意味を把握したニルとエフは、渦を巻いている場所から離れ、地面から生えてくる水の棘を回避していく。

土魔法に、この水針と同じような範囲攻撃魔法で荊棘けいきょくという魔法が有るが、土魔法とは違い、水魔法は棘の形状を保つ事が出来ず、地面に流れて行く。


「次は上から来るぞ!」


「ヒヒィィン!」

バシャァァン!!


ケルピーが前足を地面に打ち下ろす。


下から、上からと、非常に忙しいが、これがケルピー戦の最も基本的な形である。

踏み付けられてしまえば、一撃でお陀仏であるという緊張感が絶えず襲って来るのに、こちらの攻撃は少しずつしかダメージを与えられない。こんな危険な状態を、長時間続けなければならないのだ。


「もっと良い方法はないのか?!」


「無い!!」


ケルピー戦と分かっていて、下準備が出来るのであれば、罠を仕掛けたり、有利な位置に誘き寄せたりしながら戦えるが、俺達にその時間は無かった。


この状況で戦うとなった時、最も危険な攻撃というのは、ケルピーが走り回るというものだ。


ケルピーが自由に周囲を走り回った場合、俺達は追い付く事も出来ず、ケルピーの走り回る足に吹き飛ばされるか踏み潰されるかで死ぬ。そうならない為には、とにかくケルピーの足元に張り付いて、地道に攻撃を当て続けるしかない。


「次いきます!」


後ろからピルテの声。


ゴウッ!


ケルピーの動きに合わせて、フレイムスピアが飛んで来る。


今回は、ニルとスラたんが攻撃に入る。


「はぁぁっ!」

「やぁぁっ!」


ゴウッ!


フレイムスピアと黒いモヤが入り交じり、消える。


ザシュッザシュッ!


スラたんのダガーとニルの小太刀、蜂斬ほうざんが、先程俺とエフが付けた傷を更に抉る。


「ヒィィン!!」


バシャッ!バシャッ!


二人の攻撃も、そこまで深い傷は与えられていないが、同じ箇所を攻撃され、ケルピーも嫌がっているように見える。


「俺も魔法を準備する!三人で撹乱してくれ!」


「了解!」

「はい!」

「ああ!」


ピルテの火魔法だけでは、どうしても攻撃の頻度が少な過ぎる。ハイネは、俺達が危なくなった時の為に防御魔法を準備してくれているし、攻め手の魔法を増やすならば、ある程度動きながらも魔法陣が描ける俺しかいない。


俺は三人から見て一歩下がった位置に立ち、魔法陣を描き始める。


「ヒィィン!」


「っ!!」


バシャッ!!


しかし、俺が魔法陣を描き始めると、直ぐにケルピーが俺に向かって前足を打ち下ろして来る。

魔法を使おうとしていて、攻撃の届く範囲に居る俺の事を、即座に潰そうとするのは、人でもモンスターでも同じ。ヘイトが一瞬で俺に集中してしまう。

だが、それで良い。


俺は、ケルピーの攻撃を避けながらも、魔法陣を描き続ける。


俺がヘイトを受けている間は、他の全員が完全なフリーになる。


「もう一度いきます!!」


ゴウッ!


俺がケルピーのヘイトを受けている間に、ピルテが更に魔法を放つ。


「はぁぁっ!」


ザシュッ!


「ヒィィン!」


ピルテの魔法に合わせて、エフが短剣をケルピーに走らせる。


「魔法が来るぞ!!」


「ハイネ!ピルテ!下がれ!」


「「っ!!」」


後衛のハイネとピルテが鬱陶しいのか、今度は二人に向けて魔法を発動させるケルピー。


使ったのは上級水魔法、大爆水。二メートルサイズの圧が掛かった水球を飛ばす魔法だ。水球に飲み込まれてしまうと体を捩じ切られ、爆発に巻き込まれると水圧で吹き飛ばされる。

最も簡単な対処方法は、大きく回避する。これに限る。


ズバァァァン!!


「流石に当たらないわよ!」


「こちらは大丈夫です!」


幸い、二人はケルピーから大きく距離を取っている為、大爆水の範囲からは簡単に離脱出来た。

そう簡単に後衛を落とせるわけがない。


「シンヤさん!武器に火魔法を付与するのはダメなのかしら?!」


何とか別の突破口が無いかと、ハイネも考えてくれているみたいだが、大抵の事は既にプレイヤーが試している。


「それだと炎の威力が足りない!」


「この方法で地道にやるしかないのね…」


「大丈夫だ!俺達なら倒せる!」


「そんなに自信満々に言われると、気合いも入るってものね!ピルテ!次の魔法で私と交代よ!魔力の消費量を分散するわ!」


「分かりました!お母様!」


この戦いが、長丁場になると分かった時点で、ハイネがその為の指示をピルテに出す。流石はハイネと言ったところだろう。


「途中で前衛と後衛を入れ替えるから、それも頭に入れておいてくれ!」


「了解よ!それまでこっちは体力を温存しておくわ!」


「頼む!」


ここまでは、順調にケルピーに攻撃を当てられているが、状況によっては、同じ箇所を攻撃出来ない時も有るし、そもそもタイミングが合わず、上手く攻撃出来ない時も有る。

それに、頭までの高さが十メートル近く有るようなデカさのモンスターだ。俺達が回避行動も頭に入れて攻撃出来る高さは、ケルピーの足の付け根辺りが限界。

急所と言えるような部分は、膝くらいだ。故に、攻撃をしっかり当て続けたとしても、ケルピーの動きを制限する程のダメージを与えるまでは、かなりの時間が必要になる。


戦闘から数十分。


「はぁ……はぁ……」


エフが息切れし始める。


「エフ!ニル!ハイネ達と代われ!」


「っ?!私はまだ戦える!」


俺が指示を出すと、エフが言い返す。


「戦えるのは分かっている!全員で疲れを分散する為のローテーションだ!」


息切れし始めているとしても、エフはまだ戦える。それは俺も分かっているが、まだまだケルピーを倒すまでは時間が掛かる。全身に傷を負わせてはいるが、致命傷に至るような傷は一つも無いからだ。

この戦いを続けるには、二人が後衛、四人が前衛というのを維持して戦うしかない。となると、ローテーションで前衛と後衛を入れ替えながら戦うのがベスト。


「エフさん!ご主人様の指示に従って下さい!後衛の仕事も重要ですよ!」


「っ……分かりました!」


エフは、プライドが高いのか、こういう時に意地を張る癖のようなものが有るが、それはニルが上手く抑えてくれる。


「ハイネ!ピルテ!」


「行くわよ!ピルテ!」


「はい!お母様!」


エフとニルが下がり後衛。代わりにハイネとピルテが前に出て来る。


「スラたんはまだ大丈夫か?!」


「まだまだいけるよ!今回は全力で走る事も無いからね!」


「よし!ニル!エフ!後衛は任せるぞ!」


「はい!」

「任された!」


ハイネとピルテに代わり、ニルとエフが防御魔法と火魔法を発動し、後衛の役割を果たしてくれる。


それから更に数十分後、今度は俺とスラたんが後衛に回る。スラたんは魔法が得意ではない為、防御魔法のみを使ってもらい、攻撃は俺が担当する。


それでも、なかなか状況は動かず、数十分ごとに後衛を入れ替えながら戦い続け、変化が訪れたのは、何と三時間後の事だった。

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