第649話 アバマス大渓谷 (4)

ニルに声を掛け、次の隙を狙って氷魔法を撃つように促す。

俺達前衛三人が岩亀からの攻撃を誘った事で、岩亀の動きや攻撃手段の確認は済んだ。これでニルが魔法を放つタイミングを調整し易くなったはず。


「口を開いたタイミングで放ちます!」


「私に任せて下さい!!」


ニルの声を聞いたエフが、岩亀の眼前へと躍り出る。エフの身のこなしならば、岩亀から攻撃を受ける事は無いだろうという事で、俺とスラたんは援護に回る。


それにしても…表情が変わらなくて分かり辛いが、どうやら、エフは張り切っているようだ。

ニルに良い所を見せたいのか、自分が使える者だと証明したいのか…友達というのはそういう事ではないのだが、エフの話を聞く限り、友達という存在が黒犬であるエフには居らず、どういうものなのかよく分からないのだろう。

ニルとしては、セナ達のような対等な関係を望んでいるのだろうが、どうしてもニルの配下みたいな立ち位置になってしまうらしい。

これまで、黒犬として魔王の命令に従い、それを遂行する事しか考えて来なかった影響だろう。


こういうのは、時間を掛けて解決するしかない事だし、少しずつ慣れてもらうしかない。取り敢えず、今はニルの為に…と考えてくれるだけでも有難いと思っておこう。


「気を付けて下さい!」


「お任せを!!」


ズガガガガガガッ!!


タンッ!


目の前でチラチラと動き回るエフに対して、岩亀は前足を横へと振り、それをエフが飛び越えて避ける。


スラたんが近付くまで、岩亀が俺達の存在に気が付かなかった事を考えると、ハイネが言っていたように、恐らく視覚と嗅覚、それと聴覚は鈍い。どれかが優れていれば、もっと早く俺達に気が付いたはずだ。

それなのに…目の前で挑発的に動くエフを正確に攻撃している。

そうなると、恐らくだが、振動を察知して、相手の位置を把握しているのだろう。


ここは森の中で、落ち葉が地面に敷き詰められており、一面腐葉土のような状態になっている。フカフカした地面の上を歩いても、振動が腐葉土に吸収されてしまい、岩亀には届かず、俺達には気付けなかったのだろう。そう考えると、戦闘開始から動いていないニル、ハイネ、ピルテが、岩亀の攻撃対象になっていない理由も説明出来る。

地中ならば、そんな心配は要らないし、相手がバンシーのような巨体ならば、腐葉土など関係無しに振動が伝わる。

地中で生きるモンスターが地上に現れた事、そして相手が、バンシーと比較すると小さな人間である事が、岩亀にとって非常に大きなマイナスとなっているのではないだろうか。


「皆!岩亀は地面の振動で位置を把握しているかもしれない!援護側は出来る限り動くな!」


「なるほど!そういう事ね!」


「逆に僕達はバンバン走り回れば良いんだね!ヘイトの管理がし易くて助かるよ!」


タンッ!


ズガガッ!


スラたんが地面を蹴って跳ぶと、その位置を岩亀の後ろ足が抉る。


タンッ!タンッ!


スラたんは近場に残っている樹木の幹を蹴り、空中を華麗に移動して、岩亀の混乱を誘っている。


「チッ!なかなか口を開かないな!」


ズガガッ!


エフは、ずっと岩亀の鼻先で走り回っているみたいだが、なかなか食い付いて来ない。


ギィンッ!


「チッ!」


何とか食い付かせようと、エフは岩亀の顔面に刃を走らせているみたいだが、まるで効いていない。

目を狙った攻撃もしているみたいだが…どうやら瞳の上に硬い薄膜のような物が有るらしく、目にさえ攻撃が通らないらしい。

俺も何度か攻撃を当てているが、未だに本体を傷付けるには至っていない。


「っ?!」


三人で岩亀を囲んで攻撃を続けていたのだが、なかなか有効な攻撃が出来ないまま数分が経った時、岩亀の正面に居たエフが、何かを感じて一気に後ろへと下がる。


「何か来るぞ!」


エフの言葉を聞いて、俺とスラたんも大きく距離を取る。


「ゴポッ……」


岩亀が薄く口を開くと、その中から嫌な音が聞こえて来て、岩亀の口の中が赤く光るのが見える。


「クソッ!エフ!下がって水魔法を用意しろ!」


ブシャァァ!!

「「「っ!!」」」


岩亀の口内から吹き出したのは、真っ赤に光る溶岩。


森の中でもお構い無しに、体内に有る溶岩をぶちまける岩亀。


ジュウウゥゥゥ!!


大量に飛び散った溶岩が、周囲の樹木や腐葉土に付着すると、煙を発生させる。


ボウッ!


「火を消せ!」


森の中に溶岩が振り注げば、火が出るのは当たり前だ。そして、火が森に広がれば、俺達はそれだけでヤバい状況に陥ってしまう。


ジュウウゥゥゥッ!


「私も手伝うわ!」


幸いな事に噴火とは違い、吐き出される溶岩の量は決まっている為、水を掛ければ消火出来る。

岩亀の相手よりも先に、俺、エフ、ハイネで周囲の消火を行う。赤く光る溶岩に水が触れると、水蒸気が大量に上空へと昇っていく。


岩亀の体ならば、燃える森の中に居ても問題など無いだろうし、俺達にだけ不利に働くような状況は作らせない。


「このっ!」


ギィィンッ!


スラたんが岩亀に攻撃をして注意を引いてくれている間に、消火を終える。


「エフ!」


「分かっている!」


消火を終えると直ぐに、エフと俺は岩亀の対応に戻る。


「いい加減口を開け!!」


ギィィン!


「っ!!」


エフがイラつきつつ攻撃を岩亀の頭に打ち込むと、遂にその時が来る。


「エフさん!」


タンッ!!


エフの攻撃に対して、ガパリと口を開く岩亀。エフに食い付こうとしているのだ。

岩亀の口内は、先程溶岩を吐き出したばかりで真っ赤に光っている。


ゴウッ!!


エフがニルの声とほぼ同時に、射線から離れる為横へと跳ぶ。

その後ろからは、ニルの放った上級氷魔法、アイスジャベリンが岩亀に向かって飛んで行く。


アイスジャベリンは、アイスランスの上位互換で、一本のデカい氷の槍が飛んで行くという魔法だ。攻撃力の高い氷魔法な上、氷結効果が上乗せされている魔法で、対単体への威力はかなりのものだ。

生成される氷の槍も、槍と言うよりも、寧ろ一本のデカい柱のようにさえ見えるサイズで、人間相手ならば当たっただけで全身の骨が粉々になる。


真っ直ぐに飛んで行くアイスジャベリンは、岩亀の頭部に向かって走り、先端を岩亀の口内へと突き込む。


これ以上無い程のドンピシャなタイミング。


ガガガガガッ!!!


俺達の予想通り、岩亀の口内も岩石と同じようなもので、アイスジャベリンが捩じ込まれると、岩が削れるような音が響いて来る。

岩亀も、アイスジャベリンも、互いにとてつもない質量を持っている為、まるで大岩同士がぶつかったかのような衝撃を発生させる。


バギィィィン!!!


近付きたくないような音が響いた後、アイスジャベリンから放たれる冷気が、岩亀の頭部から甲羅の半分程までを完全に凍結する。

どうやら、岩亀の防御力も、胃の中の温度もアイスジャベリンの凍結効果の前には意味が無かったらしい。


「よしっ!」


氷魔法でも岩亀が討伐出来ないという可能性も考えていたが、アイスジャベリンだけで問題無さそうだ。ただ、即死しているのかは微妙なところだ。という事で…


「はぁぁっ!」


バギャッ!!


俺は全力で足を蹴り出し、凍った岩亀の頭へぶつける。


芯まで完全に凍り付いていた岩亀の頭は、俺の蹴りの衝撃によってポキリと折れる。超低温まで冷やされた事で脆くなり、蹴りの衝撃だけで破壊出来たのだ。


「スラタン!上!!」


岩亀の頭部が折れて地面の上に落ちると同時に、ハイネが叫ぶ。

木々が薙ぎ倒されてポッカリと口を開けた森の上部から、いくつかの影が急降下して来ているのが見える。それらはスラたんを狙っているらしく、いち早く気が付いたハイネが叫んだのだ。


バシュッ!!


バキャッドスッ!


一番先頭で急降下して来ていた影に向かって、ニルが仕込みボウガンの金属矢を発射し、見事に命中させると、影は、スラたんではなく地面に激突する。

まだ仕込みボウガンを作ってからそれ程経っていないのに、既に、ニルは仕込みボウガンを使いこなしていると言っても良いような腕だ。単純な戦闘センスに加えて、超絶努力家であるニルにとって、補助武器の一つを使いこなすのにそれ程時間は必要無いという事なのだろうか…相変わらずのハイスペックだ…


「エメラルドバードよ!」


落ちて来たのはエメラルドバード。Aランクモンスターで、ロックバードの希少種。トパーズバードというモンスターが居たが、それの同類というところだ。


「ピルテ!」


「はい!お母様!」


ビュッ!ビュッ!


ザシュッザシュッ!


「僕だって!」


タンッ!ザシュッ!


急降下して来た影の残りは、一体がエメラルドバードで、二体が普通のロックバードだった。

俺達が岩亀と戦っている隙を狙ったみたいだが、ハイネとピルテのシャドウクロウでロックバード二体を、スラたんが残りを跳躍して斬り付けて片付けた。


飛行型のモンスターというのは厄介な存在だが、自分達から手の届く位置に来てくれるならば、普通のAランクモンスターと変わらない。


餌だと思って特攻して来たところが、逆に狩られてしまったという事だ。

岩亀を倒した時点で、危険な相手だと分かりそうなものだが…デカいとはいえ鳥は鳥らしい。


まだ上空には何体かの影が飛んでいるのが見えたが、流石に俺達が強敵だと認識したらしく、その後は襲い掛かって来なくなった。


「何とかなりましたね。」


「ああ。」


一安心と言った感じで、戦闘が落ち着いたタイミングでニルが声を掛けてくる。


「仕込みボウガン。なかなか良い感じだな。」


ニルが仕留めたのはエメラルドバード。岩亀程ではないが、体表を硬い鉱石で覆っていて、そこそこ防御力の高いモンスターだが、ニルの放った金属矢は、それを貫いて、見後にエメラルドバードの胸部を捉えている。貫通まではしなかったが、致命傷を負わせるの事には成功したらしい。


「最高まで引き絞った時の威力は、かなりものですね。」


「エメラルドバードの体表くらいならば、難無く貫通するみたいだし…結構ヤバい物を作り出したかもしれないな。」


「作り方が分かったとしても、アラクネの糸を回収出来る冒険者は少ないですし、量産される事は無いと思いますが…あまり他人には見せないように気を付けますね。」


「ああ。そうしてくれると助かるよ。」


ポンポンと頭を撫でると、いつものように擽ったそうに笑うニル。


「ニル様!助かりました!」


そのタイミングで、エフが走り寄って来る。


「ですから…様付けは止めて下さいと、何度も言っていますよ?」


「その…わ、私とて魔族の端くれです。王族に連なる方に無礼な態度を取るなど、いくら友である事を許して下さったとはいえ、そのような事は出来ません。」


「まあまあ。その話は後にしようよ。上のモンスターもまだ諦めてはいないみたいだよ。」


スラたんが言うように、俺達の真上、上空の高い位置をモンスターがグルグルと回っている。とんびが油揚げでも狙っているような感じだ。


岩亀の死体を狙っているのか、俺達を狙っているのか…どちらにしても、ここに長居するのはよろしくなさそうだ。


「狩ったモンスターは俺のインベントリに入れて先に進もう。取り敢えず、上から見えない位置に移動だ。」


「分かったわ。」


岩亀の死体と、落としたエメラルドバード、ロックバードの死体をインベントリに素早く収納し、俺達は急いで森の中へと入る。


「暗い森の中の方が安全に感じるなんて、おかしな話ね。」


上空を飛んでいるモンスターの方が、岩亀のようなSランクモンスターよりもランクが低い。しかし、飛んでいるというだけで厄介だし、上からずっと監視され続けるのは辛い。

現在は、モンスターの数が少なく、ランクの高いモンスターがポツポツと居る区域である為、森の中の方が幾分か楽だと感じてしまっている。

Sランクモンスターを、ある程度簡単に倒せるパーティだからこその感覚だろう。


「周囲の様子はどうだ?」


「今のところ何の気配も無いわ。」


岩亀との戦闘は、予想より派手になってしまった為、他の縄張りからモンスターが寄って来ていないかと気になっていたが、少し森の中を進んでも、気配は無いとの事。


「そうか…そろそろ日が暮れる時間だと思うが……休息を取るか、このまま進むか、どうする?」


休息は大切だが、Sランクのモンスターが歩き回る場所での長い休息は、あまりよろしくない。

モンスターの種類によっては、休息している場所に向けて、いきなり上級の魔法をぶち込んで来るという事も考えられる。一応、防御魔法等で対策は出来るが、対策するよりもさっさと抜けてしまった方が良い。


「盗賊団との戦いと比べれば、こんなの散歩みたいなものよ。私もピルテも休息は必要無いわ。」


「僕もまだまだ大丈夫だね。」


「黒犬では何日も寝ずに任務を遂行する事だって有る。この程度問題にはならない。」


どうやら、全員大丈夫そうだ。ニルも平気そうだし、このまま一気に進むとしよう。


「よし。それならばここまま進んで、Sランクモンスターの縄張りを抜けてしまおう。」


普通ならば、結構大変な進行だと思うが、予想よりずっと皆が元気だ。多少でも疲れが見えれば休もうかと思っていたのだが、その必要は無いらしい。

残りは約百キロ。一日で森を抜けるのは無理だが、残りの道程の半分くらいは、明日の朝までに消化出来てしまうと有難い。


という事で、俺達は夜の間も北へ向かって歩く事に…


結論から言えば、翌日の朝までに五十キロ近くを踏破した。


途中、二体程モンスターの気配をハイネが察知したが、どちらも上手く避けて通る事が出来た。要するに、戦闘無しで五十キロを踏破出来たのだ。

そして、残り五十キロ程にまで迫ったところで、一旦休息を挟む事になった。

理由は、周囲のモンスターがAランクのモンスターに変わったからというのと、戦闘が無かったとはいえ、森の中を歩くだけで体力は消耗する為である。

不眠で一気に百キロを歩いたのだから、ある程度の休息は取るべきだろうという事だ。


休息を取っている間、何度かモンスターの襲撃を受けたが、どれも見知ったAランクのモンスターばかりで、特に問題も起きず休息を取れた。

どうやら、このアバマス大渓谷は、中央付近にSランクのモンスターが集まり、外に向かう程ランクの低いモンスターが生息しているという事で間違いないらしい。


そうと分かれば、後は残った五十キロをガンガン進むだけ。


俺達は、更にその翌日の夜間に、アバマス大渓谷を抜け切った。


「あっ!やっと外が見えたよ!」


スラたんが、木々の間から見えている月明かりを指し示して、テンション高めに言う。ずっと暗がりで歩いていたから気が急くのも分かる。正直、俺も外が見られてホッとしたくらいだ。


俺達は、足早に森を抜ける。


「抜けたー!」


「あまり騒ぐと、またモンスターが寄って来るぞ。」


「うぐっ…」


エフの的確なツッコミによって、スラたんが口を噤む。


俺達が抜けて来た山脈は、アバマス大渓谷を抜けた所で東西へと分かれて大きく湾曲しているらしく、月明かりに山脈の稜線が照らし出されて遠くまで続いているのが見えている。

よく見ると、東西に分かれた山脈は、ずっと北側で再度近付いて、一つに重なっているのが薄らと見える。


アバマス大渓谷に入るまでは全貌など分からなかったが、どうやらこの山脈は、大渓谷部分が「Ⅱ」の形になっており、その先は『Ω』のような形になっているらしい。


そして、『Ω』の形になっている山脈に囲まれた内部は、大きな坩堝るつぼ型、所謂おわん型になっており、中心部分が最も標高が低い形になっているようだ。


坩堝の部分には、山脈の至る所から小さな川が中心部分に向かって流れ込んでいるらしく、水が月明かりを反射して、山脈の山肌がキラキラして見える。


坩堝型になっている部分には、多種多様な植物が育っているらしく、どんな植物かは知らないが、所々で電飾のような光が仄かに光っている。

また、坩堝の中心部には、大きな湖が出来ているみたいで、空に浮かぶ月が映し出されているのが見えており、その光景は、まるで湖に浮かぶ月に、光の粒が集まっているようだ。


「ここから先が、混沌の坩堝。二つ目の難所だ。」


「混沌の坩堝……混沌なんて言葉が付いているから、どんな禍々まがまがしい場所なのかと思っていたけど、凄く綺麗な場所だね…」


「確かに…まるで絵画のような景色だな。」


壮大で美しく、感動する景色というのは、この世界に来てから何度か見たが、こういう空想の中でしか見られないような景色というのは、ファンタジー系RPGの醍醐味だいごみの一つとも言えるだろう。


「本当に綺麗な景色ですね…」


俺やスラたんだけでなく、ハイネ達も、感動しているらしく、うっとりとした視線で景色を眺めている。


ただ、エフだけは険しい表情だ。


「先に言っておくが、私の得ている情報が正しければ、ここから先は、アバマス大渓谷よりずっと危険度の高い場所だ。」


「こんなに綺麗なのに…ですか?」


「はい。森の中に見えている光は、モンスターの放っている光です。」


ニルへの受け答えだけ露骨に丁寧だな……いや、別に良いのだけれども…


「という事は…あの光の数だけモンスターが居るって事か?」


「ああ。あの光を放っているモンスターは、リクコウクラゲと呼ばれるSランク級のモンスターだ。」


「リクコウクラゲか…」

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