第647話 アバマス大渓谷 (2)

いくら大渓谷とは言っても、結局はダンジョンではなくただの森だ。聖魂魔法を使えば、周囲の木々を吹き飛ばして、安全を確保する事は不可能ではない。

ただ、聖魂魔法の威力だと、色々と余波で問題が起きる可能性が有る。地震が多く、活火山だろう事は分かっているのだし、最悪噴火を誘発する可能性だって有る。

その最悪が起きた場合、谷間であるこの場所に溶岩が流れ込むのは必至。噴火時の落石以外にも、溶岩から追われる事になるなんて、考えるだけでゾッとする。聖魂魔法を使わなければならない状況に陥ったならば、迷わず使うつもりだが…出来ることならば、使わないまま踏破したい。こういう時、聖魂魔法を使うと、大体痛い目を見てきたから…


「この森は危険だが、流石にそこまで追い込まれる事は無いはずだ。」


「??」


俺が最悪の場合を考えていると、エフがそこまで気合いを入れる事は無いと言ってくる。


「このアバマス大渓谷は、周囲のモンスターが集まり易い環境となっている為、モンスターの数は多い。

しかし、帯のように続く谷間の道では、モンスター同士の縄張り争いも起き易いし、数が多いのは入口付近だけだ。ここから先は、戦闘もここまでよりずっと減るはずだ。」


「そうなのか?」


「あくまでも、情報収集した限りの話では…だがな。」


「情報収集って……ここを抜けた人達が居るって事?」


「ああ。Sランクの冒険者パーティが、何組か抜けているらしい。」


「Sランクの冒険者パーティか…」


「最高でSランクのモンスターが出てくると聞いている。それ以下の冒険者パーティが、この森を抜けたという話は聞いていないな。」


「調子に乗ってAランク以下のパーティでこの森に入った人達の末路が、あのアンデッド…という事ですか。」


「自分達の実力を見誤った結果、命を落とすというのは珍しい話ではないわ。私達も、魔界の外に出て来てから、そういった話は何度も聞いたわ。」


「戦闘において最も必要な事は、剣の腕ではなく、自分の実力と相手の実力をしっかりと把握する事だからな。それが出来ないと、私のようになる。」


エフは無くなった左腕を見て言う。


「自業自得というやつだ。ここで倒れた者達に同情など必要無い。」


エフは、真面目な顔でそう言い切る。


冷たい言葉だが…これは黒犬と言うより、恐らく魔族の考え方だろう。


ハイネとピルテは、魔族ではあるものの、魔界を出て来てから数年が経っている。その影響で、考え方が魔界の外に合わせたものに変わっているが、エフは魔族の考え方を色濃く持ったままだ。

こういう薄暗い場所で死んで行った冒険者達の事を想像すると、思う所は有るものだ。自業自得!と簡単に切り捨ててしまうのは感情的に難しい。

ただ、それが自業自得だというのは、誰の目にも明らかだ。それを自業自得!と割り切って考えてしまうのは、魔族の考え方が色濃いからだろう。

ハイネとピルテも、時折そういう一面が顔を覗かせる時が有るから、魔族全般でそういう考え方が根付いているのだろう。


ただ、単純に冷たい奴だ…とは思わない。


実際、冒険者がモンスターとの戦闘やダンジョンで死ぬというのは、よくある話だ。クエストを受ける受けない、パーティを組む組まない、その他諸々が、全て自己責任というのが冒険者である。

相手との力量差を見抜けず、死に至ったとしても、それは自己責任だ。

そうやって割り切って考える事で、魔族の者達は、邪念を戦闘に持ち込まないようにしているのだと思う。アマゾネスにも、そういうところが有ったから間違いないだろう。


「まあ、ここで死んだ者達全てが冒険者というわけでもないだろうが…今はそういう事を考えている場合ではない。私達がアンデッドの仲間入りを果たさないようにしなければならない時だ。死者に同情している暇など無いぞ。」


魔族というのは、戦いの中で、自身というものを証明する。そういう、実に豪胆な種族であるというのが、少し垣間見える言葉だ。


「エフの言う通りだな。こんな場所はさっさと通り抜けるのが吉だ。長く居れば居る程危険が増す。さっさと抜けるぞ。」


「はい!」


「ほら!スラタンも歩く歩く!」


「わ、分かってるよ…」


ハイネに喝を入れられて、何とか歩き出すスラたん。


エフの言っていたように、ウィークファントムとの一戦が終わった後から、極端にモンスターの襲撃が減った。

ゼロにはなっていないものの、連戦も無く、たまにAランク級のモンスター達が襲って来るだけ。俺達は、特に大きな問題も無く、目標である五十キロ程を消化した。


「結構進んで来たが…景色は一向に変わらないな。話では、出口までこの森が続いているとの事だったが、本当にこの森がひたすら続いているみたいだな。」


「こう暗いと、こっちの気分まで落ち込んでしまいそうになるね。

日が差し込む時間は短い上に、殆ど光は森の中へ入って来ないし…」


俺達は、土魔法で壁を何枚か作り、その中で休息を取る事にした。と言っても、壁はただの気休めでしかなく、Aランクモンスターの前では無いに等しい。ランタンの光を外に漏らさない為という役割の方が大きいくらいだ。まあ…それも、俺達の気配を察知して近付いてくるモンスターに対しては、殆ど意味の無い事だが…


「これだと昼夜の判断も難しいし、結構厄介だな。」


「こんな森の真ん中では、ろくに休む事も出来ないし、予想よりも厄介な森かもね…」


「今のところはAランク級のモンスターしか出会っていないが、Sランクのモンスターも出るって話みたいだし、森を抜け切るまでは油断出来ないな。」


「常に気を張っていないといけないってなると、結構疲れるわよね。」


「その辺は交代で休息して、何とかやっていくしかないだろうな。」


「気が休まらないね…」


「スラたんの場合、別の緊張も有るみたいだがな。」


「うぐっ…」


「ですが…スラタン様は、豊穣の森で過ごされていたんですよね?」


豊穣の森に入ったから分かるが、殆どアバマス大渓谷と変わらないような暗い森で、アバマス大渓谷よりジメジメしていた。不気味なのは寧ろ豊穣の森の方だと思うが…


「いや。僕が住んでいた場所は豊穣の森の中心部。森の中は暗いけど、中心部は木々も無くて普通に明るいから。

それに、僕が苦手なのは、暗闇じゃなくてアンデッド系モンスターだけ。

豊穣の森には、植物系モンスターが多くて、もし、誰かが森の中で死んだとしても、植物系モンスターに取り込まれて、骨すら残らないから、アンデッドは居なかったんだよ。」


「言われてみると、アンデッド系モンスターは居なかったわね。」


「森に入るのも、インベントリが有れば年に数回で良いし、そもそもアンデッドが居ないって分かっていたから、別に恐れる必要は無かったんだ。」


「そこまで冷静に状況分析出来るのに、アンデッドの何がそんなに嫌なのかしら?あんなの、動く死体じゃない。」


「いやいや!それが意味不明でしょ?!死体は動かないって!

そもそも、人が体を動かすのは、脳が電気的な信号を体に送って、筋肉を動かす事で体が動くんだ。

それなのに、あいつらは筋肉どころか脳すら無いよね?!」


「ゾンビはどちらも有るわよ?」


「いや、有るけど!有るけれども!死んでるし、中には腐っている奴も居るし!それで動くとか意味不明だよね?!

レイスとかファントムとか、最早物体ですらないし!せめて物体であってよ!」


科学的におかしな話だって事は分かる。

どういう原理なのか分からないし、そもそも生物ですらないアンデッド系モンスターは、モンスターの中でも異質と呼べるだろう。

その理解が及ばない相手に対して、苦手意識を持っているというのは何となく分かる。

結局、苦手なものは苦手だという事だ。その理由を別の人に聞かせても、その人が苦手意識を持っていなければ、理解など出来ない。


「何が理由でも、スラたんにとってアンデッド系モンスターは、苦手な相手って事だな。理由を聞いたところで、今直ぐ苦手意識が無くなるわけじゃないし、俺達で何とかするしかない。」


「それもそうね。」


「人には苦手なものの一つや二つくらい有るものですよ。私も、アンデッド系モンスターは平気というだけで、得意という事はありませんし。」


「ピルテさん…」


「少し意外ではあったけれど、別に責めているわけじゃないのよ。どの程度苦手なのかとか、しっかりと知っておけば、いざと言う時に、どう動くべきかが分かるでしょ?」


「う、うん…」


「アンデッド系モンスターが苦手とは言っていたけれど、逃げ回る程じゃないし、いざとなれば戦うくらいの事は出来るみたいだから、そこまで心配する必要は無さそうだがな。」


「だとしても、私達で対処出来る時は、私達で対処するべきです。」


ピルテは、スラたんの意外な弱点を聞いて、母性本能でも刺激されたのか、自分が何とかしなければと張り切っている様子だ。

スラたんにはピルテが付いていると考えれば、アンデッド系モンスターが出て来るとしても、まず大丈夫だろう。


「そういう事だから、アンデッド系モンスターが出て来た時は、俺達の方で何とかするって事で良いか?」


ハイネ、ピルテ、ニルが俺の言葉に頷く。


「も、申し訳ないね…」


「気にしないで下さい!こういう時は助け合うのがパーティです!」


私に任せてくれと言わんばかりに、ピルテが胸を張る。


スラたんは、医学や薬学に精通しており頭が良い。戦闘も自慢のスピードで人並み以上に出来るし、ハッキリ言って超人的な存在だった。それなのに、ここに来て意外な弱点が分かり、ピルテのやる気スイッチがONになったようだ。

アンデッド系モンスターが出て来た時、スラたんの事はピルテに任せておけば良いだろう。


「エフ。周囲の様子はどうだ?」


円形に立てた壁の上に向かって声を掛ける。

現在はエフが周囲の警戒を行ってくれているのだ。

光は壁の外には殆ど漏れていないから、視界は通っておらず、俺、ニル、スラたんでは周囲の状況を詳細に把握出来ない。

一応、スラたんはスライムを周囲に展開して索敵する事も出来るが、この辺を彷徨うろついているのはAランクのモンスターばかり。いくら数が居るとは言っても、スライムはスライムだから、展開させておいても無駄に殺される。一応、それでも索敵としての役目は果たせるが、スラたんが、そんな死んでしまう前提の索敵にスライムを行かせるはずもない。

どうしてもそれが必要な事ならば、スラたんも頷いただろうが、その前にエフ、ハイネ、ピルテが、自分達だけで大丈夫だと言うので、索敵は三人に任せる事とした。


という事で、エフと俺、ハイネとニル、ピルテとスラたんという組み合わせで見張りをして、残りは休息を取る。

その間も、モンスターの襲撃は有る為、モンスターが寄って来た時は全員で対応する。故に、休息と言ってもしっかりした休息は取れず、疲れが完全に抜ける事は無いが、休息出来るだけで良しとする。


そうして数時間の休息を取った俺達は、再度谷間を北へと進む。


時間の感覚がおかしくなりそうだが、木々の葉の隙間から微かに見えている朝日の光から、今日が二日目で有る事を知る事が出来る。


「陽の光が無いと、どうにも調子が狂うね。」


「視界は黒一色だしな。」


「気持ちは分からんでもないが、そろそろこの森の中でも一番危険な区域に入るはずだ。気を引き締めた方が身の為だぞ。」


エフが言うには、谷間の中心部辺りには、Sランク級のモンスター達が縄張りを持っており、通る者達の行く手を阻むらしい。

どんなモンスターと当たるかは分かっていない。いや、正確には分かっているみたいだが、ここを通り抜けた事の有るパーティの話では、その都度戦ったモンスターの種類が違うらしく、当てに出来ないとの事。


ダンジョンとは違って、決まったモンスターが出て来たりはしないし、その時その時で縄張りの主が入れ替わるのは自然の摂理。

聞いた話の中には、厄介なモンスターも居たとの事だし、ここからは気を抜けない。


「陣形を崩さないように気を付けて進むぞ。」


「はい。」


エフの言葉に、全員が気合いを入れ直し、黒い森の中を進む。


地面に敷き詰められている黒い落ち葉を踏み締めると、その音だけが森の中に響く。


エフからの情報通り、森の奥へと進むにつれ、襲って来るモンスターの数が減り続け、数分前からはモンスター達の襲撃がピタリと止んだ。


これは、他の地域でも同じだが、Sランク以上のモンスターの縄張りというのは、基本的に他のモンスターが居ない。

Sランクのモンスターとなると、この世界の人間にとっては、かなりの脅威度となり、それは他のモンスターにとっても同じ事。近付けば殺されると分かっている相手に、わざわざ近付くような事は、人もモンスターもしないという事である。

故に、Sランク以上のモンスターが居る縄張りは、こうして特有の静けさというのを感じる。


「近いな…」


静けさの中に入ってから数十分後。


エフが何かに気が付いて、足を止める。


「どんなモンスターか分かるか?」


「デカいやつだ。三メートルは有る。」


「三メートルか…」


Sランク以上のモンスターとなると、三メートル以上のモンスターくらい当たり前のように居る。それだけではどんなモンスターか分からない。


何が相手かを探っていると…


「キィィィェェェェエエエエ!!!」


「「「「「「っ?!!?!」」」」」」


森の中に響く鼓膜を破る程の鳴き声。


「この鳴き声はっ!!」


ハイネとピルテの顔が青くなる。


暗闇の中に浮かび上がったのは、女性…のようにも見えるシルエット。だが、サイズ感がおかしい。デカ過ぎる。ギガス族の女性なのかと思ってしまうようなデカさ。いや、それ以上だ。


「バンシーよ!!」


バンシーは、Sランクのモンスターでハイネとピルテが魔界外に出て来てから戦ったという話を聞いたモンスターだ。

鋭い牙と爪、ゴリラみたいな体型。体毛は黒で、頭部の毛だけが白く長い為、髪のように見える、

顔はしわくちゃで老婆のようにも見えなくはないという風貌である。


鋭い爪と牙での攻撃を得意としており、そこそこ速い上に斬撃が効き難く、同時に魔法攻撃も効き難い。

弱点は火魔法だが…この森の中という環境では火魔法は使えない。


「叫び声が厄介なやつか!ピルテ!ハイネ!風魔法でバンシーの声を止めてくれ!

ニル!スラたん!エフ!一気に仕留めるそ!」


俺の指示を聞いた全員が一斉に動き出す。


ピルテとハイネは直ぐに風魔法を準備し始める。


その間に、俺を含めた残りの四人はバンシーを取り囲むように走る。


「キィェエ!!」


ブンッ!ズガッ!


バンシーはゴリラのような太い腕を振り回し、俺達を寄せ付けない威力の攻撃を繰り出す。


「攻撃を貰うなよ!」


「はい!」


「キエッ!」

ブンッ!ズガッ!


ニルも、防御ではなく回避するようにしている。それくらいにバンシーの攻撃は重い。


「風魔法行きます!」


「よし!!」


ピルテの声が響いた後、俺達は一斉にバンシーの方へと走り出す。


「キィィィェ………」


叫び声が空気を震わせようとした時、ピルテの魔法が発動し、バンシーの声が途切れる。


「今だっ!!」


俺、エフ、ニル、スラたんが、一斉に四方から攻撃を仕掛ける。


ブンッ!ブンッ!


叫びながら腕を振り回すバンシー。しかし、叫び声は俺達の耳には届かず、振り回した腕も、俺達を捉える事は無かった。


「「「「はああぁぁぁっ!!」」」」


ザシュッザシュッザシュッザシュッ!!


全員の攻撃が見事にバンシーの体へと深く突き刺さる。


ブンッ!


バンシーはそれでも即死には至らず、腕を振り回すが、俺達は既にバンシーの近くから離れている。


ブンッ!ブンッ!ドサッ!


バンシーは何度か腕を振り回したが、遂に力尽き、前のめりに倒れ込み、そのまま動かなくなる。


「あ、あんなに苦戦したバンシーが、こうもあっさりと倒せるなんて…」


ハイネは唖然としているが、ハイネ達が戦った時より人数も多いし、話を聞いていて対処方法は分かっていたのだから、こんなものだろう。


「まさか、二度もバンシーと戦う事になるとは思いませんでしたね…」


「だけど、戦った事の有る相手で良かったわ。」


「そうだな。だが、まだまだ油断は出来ない。ここから先はSランクのモンスターが縄張りにする区域のはずだ。休息もろくに出来ないだろうし、出来る限り早く通り抜けるぞ。」


「そうね。普通に考えるのならば、二分の一に近い範囲にSランクのモンスターが縄張りを持っている事になるものね。」


「そうだな。あと何体のSランクモンスターを討伐しなければならないのか分からないが、この調子ならば大丈夫だろう。」


「はい!」


バンシーを、素早く制圧した俺達は、休息する事もなく、そのまま北を目指す。

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