第646話 アバマス大渓谷

ピルテの言葉通り、俺、ニル、スラたんは、腰から提げているランタンに火を灯し、光量を調節して視界を確保する。


「いやー…ランタンを使っても、この暗さは辛いね…」


見えるのは、良くても数メートル先まで。もし、俺とニルだけだったならば、この大渓谷へ入ろうとは思わなかったかもしれない。それ程.、届く光が極端に少ない場所だ。


「左右の山脈を少し登って、森の上を進む事は出来ないのか?」


「不可能とは言わないが…切り立った崖を進む事になるし、ここには飛行型のモンスターも数多く居る。それを相手にするよりは、こっちの方が楽だと思うぞ。」


「うっ…確かに、崖に張り付いて飛行型のモンスターと戦うよりはマシか…」


「でもさ…これって、休憩する場所なんて無いよね?」


目の前には先の見えない森。周囲からはモンスターの気配。ここで野営するぞとは言えない環境だ。


「山肌に寄って横穴でも作るしかないか…いや…このランクのモンスター相手となると、壁を作っても簡単に破壊して来そうだな。」


「ブラウンスネークのようなデカい体躯のモンスターは、体当たりだけでもかなりの圧力になるからな。」


「魔具を使った障壁を使っても、意味は無さそうだから…」


「しっかりと休憩する時間は無いと思った方が良いだろうな。」


「ですよねー…」


エフの容赦無い言葉に、スラたんは深く溜息を吐きながら言う。


「危険な区域だという事は伝えてあったはずだ。これくらいは覚悟していただろう?」


「はい…その通りです…」


エフの言葉に、反論する余地はなく、スラたんはしゅんとしながらエフの言葉に頷くしかなかった。


エフの言う通り、この大渓谷を抜けるまでは、しっかりした休憩というのは取れないだろう。エフやハイネ達の話では、大渓谷を抜けるまでの直線距離は、俺達が歩いて大体二日分程度。ざっくり考えて、大体二百キロといったところらしい。

この暗闇の中には、モンスターかゴロゴロ居るから二日で踏破するのは無理だ。順調に行けば四日前後というところだろう。一応、それを目標にして森を進む事に決めたのだが…


「一日に約五十キロって話だったけど、どこを見ても同じ景色だし、モンスターとの戦闘も有るし、どれくらい進んだか分からなくなっちゃうね…」


「気を抜くと、どの方角を向いているのかさえ分からなくなりそうだからな…」


「山肌に沿って進むのは駄目なんだよね?」


「さっきも言っただろう。飛行型のモンスターが居るから危険だ。

それに、私達の左右にそびえ立っている山脈を外から見ただろう。切り立った崖ばかりの形状になっているという事は、それだけ山肌が脆くて崩れ易いからだ。

こうして木々に視界を遮られているのに、山肌の近くを歩いたりしたら、突然真上から巨石が降ってくるなんて事になりかねない。私はまだ死ねない。」


「頻繁に小さな地震が起きているみたいだし、この辺りは活火山が多いんだろうな。

俺も、巨石に押し潰される恐怖は二度と味わいたくないぞ。」


「このまま進むしかないんだね…」


「………スラたん?」


「何?」


「何故か、今回はやけに嫌がるな?」


「うぐっ……な、何の話かな?」


スラたんは、基本的に愚痴や弱音を吐いたりしない。やらなければならない事は腹を決めてやるし、グチグチ言うのは珍しい。


「……………」


「……な、何?」


俺がスラたんに視線を送り続けると、スラたんは視線を外して泳がせる。


「もしかして、スラたん。こういうの苦手なのか?」


「なななな何を言っているのさ!」


「分かり易っ!!」


明らかに挙動がおかしくなるスラたん。


「こういうのって…どういうのかしら?」


「スラタン様は、森に住んでいましたし、豊穣の森も暗かったですよね?」


「何も苦手じゃないよ!平気平気!」


「あっ。スラたん。後ろにレイスが居るぞ?」


「ひっ?!!!」


俺の言葉に、スラたんはビクッとして俺の影に隠れる。


本当にレイスが居るとしたら、こんなテンションで言わないし、当然嘘だ。


「だ、騙したね?!」


レイスが居ない事を確認したスラたんは、俺に向かって怒って来る。


スラたんとはゲームの時も何度か一緒にクエストをこなしたが、アンデッド系のモンスター討伐や、それに関わるようなクエストは一つも行っていない。


「やはり、アンデッドが苦手なのか。」


「にに…苦手じゃないし!」


「あら。スラタンにそんな弱点が有るなんてねー。」


このアバマス大渓谷に入ってから、何度かアンデッド系のモンスターとも戦闘を行った。戦ったのはハードスケルトンで、骨だけのモンスターだが、その時、スラたんの動きが鈍っていたようにも感じた。


「苦手なら言ってくれれば良かったのに。」


「うぐぅ……はいはい!苦手ですよ!

そもそも、アンデッドって何さ?!死んでるのに動くって意味が分からないよ!治療も出来ないし!中には物理攻撃が意味無いなんてモンスターも居るんだよ?!理解不能だよ!」


言ってしまえば、オバケが苦手という事らしい。


「おい。あまり騒ぐな。ここは危険地帯だぞ。」


俺達は、一応声量を抑えて、先に進みながら、そして周囲を警戒しながら会話している。しかし、危険地帯である事に変わりはない。


「うっ……」


「苦手な事を隠す必要は無いだろう?苦手ならばそう言ってくれれば、アンデッド系のモンスターは俺達で対処するのに。」


「い、いや…別に戦えないわけじゃないんだよ…ただ、理解不能な存在だから…」


「苦手は苦手なんだろう?」


「ぬぐっ……」


「だ、大丈夫です!私が何とかしますから!」


アンデッド系モンスターを嫌がるスラたんに対して、ピルテが声を掛ける。


「ふふふ。スラタンにも、こんな可愛いところが有るなんてねー。」


「苦手なものなんて、誰にでも有ります!」


「まったく……お前達はここが危険区域だって本当に分かっているのか?」


エフは、こんな場所でもそんな話をしている俺達に対して、呆れたように溜息を吐く。


「すまんすまん。だが、こんな面白…こんな危険地帯だからこそ、苦手だという事は把握しておくべきだろう?」


「シンヤ君から悪意を感じたのは僕だけかな…?」


「はぁ……まあ言っている事は正しいが、ほのぼのと話をしていて良い場所でもない。その辺にしておけ。」


真面目なエフの言葉通り、ここは危険地帯。ふざけるのはここまでにしておこう。


「そうだな。すまん。

アンデッド系のモンスターが出て来た時は、スラたんではなく、俺が切り込む役をするから、スラたんは周囲の警戒を頼む。」


「う……分かったよ…」


苦手だと分かっているのに、無理して相手をした場合、それが危険に繋がるかもしれない。そうなる可能性が有る事を、スラたんは理解してくれたらしく、大人しく頷いてくれる。


今回の場合、オバケが苦手という理由で、少し普通とは違うが、使う武器や戦闘スタイルによって、苦手なモンスターというのは誰にでも居る。

大剣等の重い武器を使う者にとって、素早いモンスターは厄介だし、逆に素早い動きの戦闘スタイルで武器が軽い者にとって、防御力が高いモンスター等は厄介になる。

相手によってパーティでの動きを変えて、その都度最も適切な戦闘を行うのは冒険者の常識とも言える。

それ故に、スラたんにとって苦手なアンデッド系モンスターを相手にするとなれば、それをカバーするように皆が動けば良いだけの事だ。

一応、スラたんが自分で言ったように、戦えないという程ではないみたいだが、他の面子でどうにか出来るならば、そうするのが良いだろう。


「それにしても…やはり、こういう場所にはアンデッド系モンスターが結構居るんですね。」


「討伐依頼なのか、他の目的なのか、冒険者達が入って来るんだろうな。」


「入ったは良いけれど、この数のモンスターを相手に出来なくて、そのまま…って事よね。」


「だろうな。」


ある程度進んで来たが、相対するモンスターはBランクばかり。上手く討伐出来れば、その素材はそれなりの値段で売れる。Bランクのモンスター程度ならば…と甘く考えて入って来た連中が、そのまま命を落とし、ここでアンデッド化したのだろう。


「私達もそうなってしまわないように気を付けないとね。」


「ああ。」


一度気を引き締め直し、奥へと進む。


アンデッド系モンスターは、この森で戦うモンスターの中の一割から二割程度と、それ程多くはない。その為、そこまで気にする事はなかったのだが、先に進み続けていると、少しずつ周囲の状況が変わり始める。


「嫌な感じね…」


「どうした?」


ハイネが、森の奥に広がる暗闇を見詰めながら、ボソリと呟いたのを聞き、俺達は一度足を止める。


「周囲に居るモンスターの強さが一段階上がったわ。」


「…森を抜けるまで同じようなモンスターを相手にしていれば良い…とはいかなかったか…」


ひたすらBランクのモンスターを相手にしていれば良いという事ならば、楽な話だったのだが…どうやらそういうわけにはいかないらしい。


「今はどれくらい居るんだ?」


「ざっと二十体ね。」


「二十体…これまでで一番多いな。」


ハイネが足を止めたという事は、既に俺達の事は敵に捕捉されているはず。そして二十体と言ったということは、その二十体全てが、俺達を狙っているという事だ。


「どんなモンスターか分かるか?」


「この存在感が薄い感じ…恐らくウィークファントムね。」


「ファ……」


スラたんが青い顔をしている。


ウィークファントムは、視認性が非常に低いファントムで、Aランクに指定されているアンデッド系モンスターだ。

海底トンネルダンジョンでも戦ったモンスターである。


中級の闇魔法をバンバン撃ち込んでくるし、物理攻撃は基本的に無効。怨嗟の剣と呼ばれる闇魔法で、武器にアンデッドを傷付けられる魔法を付与しなければならない。もしくは魔法でも攻撃は通るが…周囲からモンスターを引き寄せてしまう可能性を考えると、出来る限り攻撃系の魔法は使いたくない。


「武器での攻撃が出来るように、怨嗟の剣という魔法を掛ける。」


「私とピルテは自分で掛けられるわ。」


「私もだ。」


流石は闇魔法を得意とする魔族というところだろうか。ハイネ、ピルテ、エフは自分達で怨嗟の剣を武器に付与する。


「スラたんの武器にも、一応付与しておくぞ。」


「う、うん!」


ウィークファントムが近寄って来る前に、全員の武器に怨嗟の剣を付与する。


「しかし……この暗闇でウィークファントムか…」


普通のファントムでも、半透明のアンデッド系モンスターで、視認性が悪いというのに、ウィークファントムはそれより更に視認性が低い。

真っ暗な森の中では一番相手にしたくないタイプのモンスターだ。


「ピルテ。最悪、魔法で攻撃してくれ。他のモンスターが集まって来るかもしれないが、見えない敵と戦い続けるよりマシだ。」


「分かりました。」


俺の指示に従って、ピルテは攻撃系統の魔法陣を描き始める。


二十体という数を相手にする為、俺達は輪になるような形で陣形を取り、どこからの攻撃に対しても対処出来るように構える。


「…気配は感じ取れるかしら?」


「ふん。馬鹿にするな。この程度造作もない。」


ハイネが、エフに一度だけ視線を向け、挑発するように声を掛けると、エフがそれに答える。


「シンヤさん。私とエフで仕掛けるわ。」


「分かった。援護は任せろ。」


俺の方を見ずに言ったハイネに対して、直ぐに返答する。


どうやらエフも、ウィークファントムの気配を感じ取れるらしい。


「片腕だからって足を引っ張らないでよ。」


「黙れ。片腕とて、この程度で後れを取るはずがないだろう。」


互いに挑発的な物言いをするハイネとエフ。


ハイネは、右手に深紅の鉤爪、左手にシャドウクロウを展開し、エフは右手に短剣を握っている。


「「…………………」」


二人は、周囲の気配を探るように視線を何度か動かす。


「「っ!!」」


タンタンッ!!


静寂の中、二人がほぼ同時に地面を蹴り、俺から見て、ハイネは西側、エフは東側へと走る。


「はっ!」

「シッ!」


二人は、ランタンの明かりが届くギリギリの距離にまで進むと、そこで武器を振る。


ザシュッザシュッ!


よく見えないが、ハイネもエフも、ウィークファントムを斬っている…らしい。本当に、この暗闇の中でよく分かるなと言いたくなるが、今はそれどころではない。


「ニル!抜けて来たのは俺達で仕留めるぞ!」


「はい!」


「ピルテ!魔法は準備だけで良い!まだ放つなよ!」


「はい!」


「半透明で攻撃してくるとか意味が分からないよー!!」


半泣きのスラたんと、魔法を準備しているピルテを挟み込むように、俺とニルが構える。


ハイネの感覚では、敵が二十体。俺とニルが構えている間に、ハイネとエフがもう一体ずつ仕留めたようだから、残りは十六体。

流石に、その数全てをハイネとエフで塞き止める事は出来ない為、何体かは抜けて来る。


暗闇の中で目を凝らすが、殆ど透明な敵である為、ぼんやりと視界が歪んでいるように見えるかも…という程度。ただ、俺とニルも、海底トンネルダンジョンを通過した時と同じではない。

色々な経験をして、強くなっている。


「来るぞ!」


「はい!」


俺の方に抜けて来たのは、二体…いや、三体。


ニルは俺の背中側に居る為、どうなっているか分からないが、ニルならば大丈夫だ。


「はっ!」


ザシュッ!ザシュッ!ザシュッ!


「やぁっ!」


ザシュッ!ザシュッ!


ウィークファントムの姿は、殆ど見えていない。見えていないが、居るのは間違いない。そして、何となくではあるが、視覚ではなく、他の感覚でウィークファントムの位置を朧気ながら感じ取れる。

ウィークファントムの存在を感じ取れるのであれば、そこへ刃を振り下ろすだけの事だ。


「魔法が来ます!」


俺とニルが、接近して来たウィークファントムを処理していると、後ろからピルテの声が聞こえて来る。


直ぐに視線を暗闇の奥へと走らせると、暗闇の中で魔法陣が光っているのが見える。


「っ?!」


ザンッ!!


魔法陣が見えた瞬間に、俺は横へと跳ぶ。


俺の立っていた位置を、黒い大鎌が通り過ぎ、地面の黒い落ち葉を巻き上げる。


中級闇魔法のブラックサイスだ。


地面も樹木も暗い色である為、かなりブラックサイスが見え辛くなっているが、何とか躱せた。


ギィン!


後ろからは、ニルが敵の魔法を弾く音がしている。


「そこね!」


ザシュッ!


「シッ!」


ザシュッ!


相手が魔法を使った事で、魔法陣の光が見えて、ハイネとエフがウィークファントムの位置を把握する。

ハイネは即座に深紅の鉤爪を伸ばして魔法陣の中心を貫き、エフは一足で素早く魔法陣の目の前にまで跳び寄り、短剣を振り抜く。


「一気に片付けるわよ!」


「指図するな!」


ハイネとエフは、互いに攻撃的な言葉を投げているものの、動きはしっかりと合っている。やはり、どちらもプロという事だろう。いがみ合っているのに、難無く敵を倒している。


結局、スラたんがアワアワ言っているうちに、ハイネとエフが残りのウィークファントムを撃破。ピルテの準備していた魔法も使わずに、全て片付けてしまった。


「私の方が一体多く倒したわ。」


「はは!数も数えられないのか?私の方が一体多かった!」


ハイネとエフは、そんな事を言い合いながら、俺達の方へと戻って来る。


「おいおい。ここは危険地帯だぞ。そんな事を言い合っている場合じゃないだろう?」


「なっ……チッ!」


先程、自分が言った事なのに、今度は言われる立場になってしまい、エフはハイネの方を見て盛大な舌打ちをする。


「フンッ!」


それに対して、ハイネは私のせいじゃないとでも言いたげに横を向く。


戦闘になれば二人で動きを合わせられるみたいだが、気に食わないのは気に食わないらしい。ただ、意外と良いコンビに見えるのは俺だけだろうか…?


「おーい。スラたーん。生きてるかー?」


二人はさておき、俺は青くなったスラたんの目の前で手を振る。


「この森嫌い…」


一応、スラたんは戦わずにウィークファントム全てを倒したが、スラたん的には、二十体もウィークファントムが居たというのが問題だったらしい。


「スラタン様…」


「行くぞー。」


「シンヤ君が厳しいっ!」


「それだけの反応が出来れば大丈夫だ。」


「ぐふっ……」


「だ、大丈夫です!一緒に頑張りましょう!

アンデッド系モンスターばかりというわけではありませんので、大丈夫です!」


「うぅ…」


スラたんは半泣きだったが、正直ここでのんびりしているのは良くない。


ウィークファントムはAランクのモンスターだ。それがこの辺りに居たとなると、そのウィークファントムと渡り合えるランクのモンスターがこの辺りには生息しているはず。

Aランクのモンスターも俺達ならば難無く倒せるが、ダンジョンとは違っていつどこから何が来るのか分からない。そんな場所でモタモタしているのはかなり危険だ。

スラたんの精神が削られているのは分かっているが、まだ余裕が有る事は見て分かったし、ここは安全を優先させる。


「ハイネ。他のモンスターはどうだ?」


「そうね……今のところ近くには居ないわ。

でも、ここは広い一本道と変わらないし、ボーッとはしていられないわよ。」


「ああ。分かっている。Aランクのモンスターが出て来たし、あまり悠長にしていられない。ここで足を止め続けるのは危険だから、さっさと先へ進もう。」


「そうね。どこかに休めそうな場所が有ると良いのだけれど…」


「どうしてもヤバそうなら、周囲を吹き飛ばしてでも安全を確保する。ただ、あまり派手にやり過ぎて、この森の中から外にモンスターが出てしまうと、周囲の村や街に被害が出てしまうかもしれないから、出来れば控えたいな。」

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