第643話 弟子入り (2)

「バヌラ親方。荷運びは俺達がやるから、このままテトラを頼めないか?」


「えっ?!そんな!自分の事は自分でやります!」


「どっちにしろ、荷物を持っているのは俺達だからな。弟子入りの祝いにそれくらいさせてくれ。それに、荷物って程の量は無いだろう?」


「ですが…」


「俺はどっちでも構わない。部屋は三階に行けば分かる。中には何も入っていないから、勝手に上がってくれ。

上への階段は、店側に戻って工房とは逆側に有る。」


「テトラ。荷物は俺達に任せて、色々教えてもらえ。」


「あ…ありがとうございます!!」


「気にするな。それと…バヌラ親方。後で少し話をしたいんだが、大丈夫か?」


「分かった。荷物運びが終わったら声を掛けてくれ。俺はここに居るからよ。」


「了解。後で声を掛ける。」


俺、ニル、スラたんは、一度工房から出て店の方へ戻り、上への階段に向かう。


二階、三階へ直接向かえる直線の階段で、俺達は二階を越えて三階に向かう。


三階に行けば、部屋が分かるとバヌラ親方が言っていた理由は、三階に上がって直ぐに分かった。

三階には部屋が一つしかないらしく、階段を上がって真正面に扉が有るだけ。


「確かに、これは迷いようが無いな。」


ガチャッ…


扉を開いて中を覗くと、バヌラ親方の言っていたように何も無い部屋だ。本当に何も無い。

見えるのは壁と床と斜めになった天井だけ。

特別な物と言えば、斜めになった天井に四角形の天窓が付いていて、朝日が入り込んでいる事くらいだ。


「屋根裏部屋だね。」


「でも、壁も床もしっかりしているし、広さも十分。良い部屋だ。」


「だね。これから、テトラさんはここで生活して行くんだね。」


「そう言えば、バヌラ親方と二人で生活する事になるよな……大丈夫か?」


親方と弟子という関係になるわけだし、変な心配は要らないとは思うが、一応男と女だから、そういう所も気にしておかないといけない。


「流石に大丈夫じゃないかな…?」


「私も、そこは大丈夫だと思いますよ。ミャルチさんの話では、ドワーフの男性にとって、髭の無い女性は女性ではないらしいですからね。」


「髭…そう言えば、ドワーフの女性は髭を生やしているんだったな。」


これまで、ドワーフの女性に会った事は無かったが、この世界の女性ドワーフというのは、基本的に髭を生やしている。

背は小さいのに、胴回りや腕が太く、他の種族の女性より数段力が強い。流石に男性ドワーフよりは細いが、それでも見ればドワーフと分かる。

ドワーフのテンプレとでも言えば分かり易いだろうか。


「そういう事なら、バヌラ親方はテトラさんにとってこれ以上無いくらい安全な男性かもしれないね。」


正直、その美的感覚は理解出来ないが、種族によって美的感覚が異なるのは当然だ。特に、女性についてとなると、大きく違うだろう。

ドワーフ族の男性にとって、美しい女性というのは、背が低く、胴回りや腕が太く、立派な髭の生えているというところに有るのだろう。


「そこに心配が要らないなら、一先ず安心か。」


「はい。」


「そうと分かったのならば、早速作業を始めようか。

ニル。天窓を開けて中の埃を外に出すぞ。」


「分かりました。」


ボーッと立って話をしている時間は無いし、俺達はさっさと動き出す。

部屋の中は、埃まみれという事もなく、汚くもない為、掃除はされているはず。故に、俺が言っているのは、一応、荷物を運び込む前に一通り掃除はするという程度の意味だ。


「ニル。バヌラ親方の事はどう思った?」


俺は、掃除をしながらニルに話を振る。


「そうですね……仕事では、自分にも他人にも厳しい人だと思います。ただ、厳しい人だとは思いますが、話を聞いてくれないとか、理不尽な事を言う方には見えませんでしたから、大丈夫だと思いますよ。少なくとも、私はテトラさんの師匠として申し分無い方だと思います。」


「ニルが言うなら間違いなさそうだな。」


「でも、経験者の人達も辞めたってなると、かなりのものだよね?」


「そうですね…ですが、例えば、いきなり出来ない事をやれと言うような方には見えませんでした。そういう理由で辞めて行ったのではないとすると、単純に物凄く厳しい方なのかもしれませんね。」


「なるほどな……経験者からすると、今までの経験を全て無駄だと言われているような気持ちになるから、それが辛かった…というパターンかもしれないな。」


バヌラ親方は、下手な経験者よりも、初心者の方が良いかもしれないと言っていたし、変なプライドの有る経験者には耐えられない教え方なのかもしれない。


「そうなると、後はテトラさんの根性次第だね。」


「その点は心配要らないと思うが…後は俺達に手を出せる話じゃないし、頑張ってもらうしかないな。」


「テトラさんならば、きっと大丈夫です。その辺の男性よりずっと根性が有りますからね。」


ニルは心配などしていないと微笑む。


「そうだな……よし!サクッと終わらせるぞ!」


「はい!」

「うん!」


俺とスラたんは、インベントリの中からテトラの荷物と、門出の祝いにいくつかの物を部屋の中へ置いていく。


テトラの荷物は、替えの服とその他細々した物が数点だけ。

それでは流石に生活が辛いだろうから、布団や替えの服を数着等の生活必需品をプレゼントする。

後は、暫くの間、生活する上では困らないくらいのお金。テトラ自身に渡そうとしても受け取らないだろうから、勝手に置いて行く事にする。


「こんなところかな。」


「まだまだ殺風景だが、ここは工房だし、必要な物は自分で作る事になるだろう。そう考えると、このくらいで丁度良いはずだ。」


「何も無い部屋に、自分で調度品を作って物を増やして行くなんて、ワクワクしてしまいますね。」


「テトラもそう思ってくれるはずだ。

荷物運びは終わったし、下へ行ってバヌラ親方と話をしようか。」


「分かりました。」


俺達は部屋の扉を閉めて、一階へ戻る。


「違ぇ!!こうだ!!」


カァン!


「はい!!」


カァン!


一階に戻って直ぐに、工房の方から怒鳴り声と、金属音が聞こえて来る。


壁の意味が無いくらいの大声だ。


何事かと工房の方へ入って行くと、バヌラ親方とテトラが、金槌を持って何度も振り下ろしているのが見える。


「初心者だからって甘えんじゃねぇ!やる気が無ぇなら追い出すぞ!!」


「有ります!!」


「そんならもう一度やってみやがれ!」


「はい!!」


カァン!!


先程までの親方とは全く違い、テトラに対しての言葉は荒く、声がデカい。しかも…顔も怖い。


だが、よく見ると、テトラが持っている金槌は、バヌラ親方が持っている金槌の半分程の大きさ。

初心者であり、人族の女性である事を考慮しているのが見て取れる。


バヌラ親方の気迫は見ているだけの俺達でも一歩引いてしまう程のもので、怖く厳しい。だが、テトラが食い下がるのを、嬉しく感じているように見える。


「バヌラ親方。」


「ん?おう!

テトラ!戻って来るまでに金槌の振り方くらい覚えとけ!」


「はい!!」


テトラは、真剣な顔で金槌を握っている。

細い腕で、それでも絶対に諦めないと目が言っているのが分かる。


俺達はバヌラ親方と共に店の方へと出る。


「テトラはどうだ?」


「今始めたばかりで、どうかなんて分からん。」


「それもそうか…」


ごもっともです。


「……だが、根性は有るように見える。

俺が怒鳴っても、泣くどころか、目をギラギラさせやがる。」


バヌラ親方の口元は髭で見えないが、微かに笑ったように見えた。


初心者に、いきなり怒鳴るような教え方で大丈夫かと心配ではあったが、バヌラ親方はバヌラ親方なりの教え方で、テトラを見ている。

怒鳴られた程度で心が折れるような奴では、自分の技術を教えるに値しないという事なのだろう。職人気質の代表例みたいな親方だ。


「今まで来た連中の中には、男でもビービー泣くような奴も居たからな。それに比べれば大した根性だ。」


考えてみれば、それなりの腕を持っていて、既にそれで生活出来ているならば、わざわざバヌラ親方の元に弟子入りするような事はしない。

うだつが上がらない職人が、バヌラ親方の弟子の話を聞いて門を叩くのだ。根性が無いから成功していないのだから、そんな連中が来るとなると、あの怒鳴り声には耐えられないだろう。

あの怒鳴り声と厳しい指導は、第一関門というところか。


「問題は、あの体だな。細い腕に筋肉も大して付いていない。あれだと一日どころか、半日仕事をするだけでも辛いはずだ。まずは体作りからだろうな……」


バヌラ親方は、色々と考えてくれているらしく、テトラの体作りからどうにかしようとしているみたいだ。


確かに、鬼のような怒声だったが、それ以上に弟子の事を考えてくれる最高の師匠だ。

諦めず、折れず、腐らず、バヌラ親方に付いて行く事が出来れば、テトラは最高の職人になれるだろう。


これ程の良い師であるバヌラ親方ならば、恐らくこれから先も何人かの弟子が入って来るはずだ。

その一番弟子という位置にテトラが入れたのは、幸運だと言える。


「それで?話ってのはそれだけか?」


「いや。実は、テトラの言っていた成し遂げたい事について少しな。」


俺がそう言ってスラたんを見ると、スラたんが何枚かの紙を取り出す。


「テトラさんは、最終的に医療器具を作る職人になりたいらしくてね。僕の知識から、いくつか医療器具の構造を紙に起こしたんだ。」


「ほう。医療器具か…面白いな。」


紙を受け取ったバヌラ親方は、紙を見ながら笑う。


「どれも俺が教えられる技術で作れる物だ。問題無い。これは預かっても良いのか?」


「うん。その為に書いてきたからね。」


「分かった。テトラが一人前になるまでは、俺が預かっておく。今はそんな先の事じゃなく、基礎を磨く時だからな。

しかし…医療器具となると、繊細な技術も必要になるな。これは、俺の全てを教え込まねぇとな。」


これだけの会話で、このバヌラ親方が、どういう人間なのかよく分かった。テトラの心配は一切要らないだろう。バヌラ親方に任せておけば大丈夫なはずだ。


「話はそれだけだ。後の事は頼んだ。」


「おう。任せておけ。テトラ自身が辞めると言わない限りは、俺が何とかしてみせるからよ。

それより、別れの挨拶は良いのか?」


「集中していたみたいだし、邪魔はしたくない。街を出る前にまた寄る。」


「そうか。詳しい事は知らないが、あの嬢ちゃんは、良い友人を持ったみたいだな。

工房は、日が出ている間は基本的に開けているから、好きな時に来てくれ。別れの挨拶を邪魔するような無粋な事はしねぇからよ。」


「分かった。それじゃあまた来る。」


「おう!」


俺達は、テトラを任せて、工房を出る。


「上手くいきそうで良かったですね。」


「そうだね。作業中のバヌラ親方は怖かったけど、客への対応とか、そういう所では気の良い人って感じだったし、交渉とかも学べるかもしれないね。」


「あの親方の元で一人前になれれば、食いっぱぐれる事は無さそうだし、後はテトラの頑張り次第だな。」


「そうなると、色々終わったら、僕も本格的に医者を目指さないとね。」


「医療器具を作ったら、それを使うと約束したからな。」


「まさか、こっちの世界で医者になる夢を追い掛ける事になるなんて思っていなかったよ。十年近くも森の中に引き篭っていたのにね。」


「ハイネとピルテに出会えた事が、スラたんにとっては大きかったのかもな。」


「そうだね。あの二人に出会わなかったら、医者を目指すって発想にはならなかっただろうね。でも、それを言うならシンヤ君とニルさんに出会ったのも、同じ事だよ。」


「そのせいで大変な事に巻き込まれてもいるんだがな。」


「マブダチの危機を知らないままの方が、僕には辛い事だよ。」


「はは。そう言ってくれると嬉しいよ。」


魔王のあれこれを片付ける事についても、まだまだ不透明な部分が多くて上手くいくのか分からないのに、俺達には、その先に神聖騎士団との戦いも待っている。

お先真っ暗とまでは言わないが、厳しい状況だ。

それでも、今回のテトラの事や、スラたんの未来の事を考えると、気持ちは明るくなる。


「さてと…昼になる前に、一度宿に戻って、全員で飯に行こうか。

そのまま、必要な物を買おう。」


「はい!」

「だね!」


俺達は、気持ちを明るくしたままに、宿へと戻る。


宿に戻って直ぐに、ミャルチとアーリュさんに事の次第を説明し、礼を言った。二人は気にしなくて良いと言ってくれて、その時に、何故ここまでしてくれたのかの理由を聞いたら、笑いながら教えてくれた。


ギラギルさん、アーリュさんの二人は、元々行商人をしながら、色々な地域を回っていたらしい。行商人としての儲けは、そこそこの物で、そのまま行商人を続けるのも悪くはなかったのだが、ギラギルさんとアーリュさんの夢は、一つの場所に留まって、店を開く事だったらしい。

行商人の夢として、『自分の店を持つ』というのは珍しい話ではない。ただ、気に入った街の、気に入った場所に店を構えるとなると、それなりの金額が必要になる。大抵は、行商人をしながら交渉や契約等の事を学びつつ、必要な金額を稼ぐ。

最初は、二人で行商人をしていたが、その内にアーリュさんがミャルチを妊娠し、一度行商をストップし、ギラギルさんは料理店で雇ってもらい金を稼いだ。その生活は、ミャルチが産まれて行商に耐えられるようになるまで続いたらしい。


実は、この時、ギラギルとアーリュは、店を構えるという夢を諦めようかと思っていたらしい。


エルフ族は人族を嫌っている。恨んでいると言っても良い。それは、人族がエルフ族を奴隷にしていたからだ。そんな状況の中、二人が行商人をしたいとエルフの里を抜け出したのは、二人がそれなりに戦える者達だったからだ。

人族に襲われたとしても、返り討ちにしてやれる自信が有ったわけだ。実際、相手の数が少ない時は、二人で相手を返り討ちにする事も有ったらしい。


しかし、二人の間には、ミャルチという娘が産まれて来た。

エルフ族三人の親子で、エルフ達の住む街から離れた地での行商は、危険が大き過ぎる。そう考えた時、夢を諦めるべきだと判断したのだ。


しかし、そんな時、二人の夢を繋ぐ人物が現れた。


それこそ、若き日のバヌラ親方である。


バヌラ親方は、元々Bランクの冒険者だったのだ。


二人の時から、何度か護衛をバヌラ親方の所属しているパーティに依頼した事が有り、その時に仲良くなったらしい。

そんな折、子供が出来て夢を諦めようとした二人の話を聞いて、バヌラ親方は、わざわざ二人の元を訪れ、自分達が長期契約で護衛をするから、夢を諦めるなと言ってくれたらしい。


迷った末、二人はミャルチが少し大きくなったところで、行商に戻る事にして、バヌラ親方を含めた護衛の人達と、また各地を渡る事に。

そうして何年か行商人をしていると、やっと必要な金額が貯まり、このアゼシルゼに店を構える事になったらしい。

因みに、バヌラ親方も、その時に冒険者を引退し、今の工房を建てたらしい。


こうしてアゼシルゼに定住する事を決めたギラギルとアーリュ。しかし、建てた店は、単純な商売の店ではなく、宿屋。


何故なのかというと…

行商人として働いている時、宿に泊まる事も多かった二人。しかし、宿によって状態が最悪な宿も有ったり、ぼったくられたり、かなり酷い宿も多かったとか。

そういう色々な宿を知った二人は、自分達と同じように行商人をしている人が、せめて宿屋くらいでは安心してくつろいで欲しい!と思い、ここでその宿を形にしたのだ。

風呂が有ったり、靴を脱いで歩けるスペースが有るような宿というのは、非常に珍しく、宿としては奇抜なものだ。チャレンジと言って良いだろう。

当然だが、行商人から宿屋へなったのだから、知らない事も多く、苦労は耐えなかった。しかし、どうにかこうにか、色々な人に助けられながらここまで来たのだ。


そうして、紆余曲折を経て今へ辿り着いた三人にとって、同じようにこれから新たな事にチャレンジしようとする人を見ると、応援したくなってしまうらしい。


何とも、人情味溢れる登場人物ばかりの話だ。


こんな話を聞けば、アーリュさんとミャルチが、バヌラ親方へ紹介した事を気にしなくて良いと言ったのが本気だという事くらい理解出来る。

しかし、ここまで親切にしてくれた人達に何もしないわけにはいかない。テトラ自身がお礼をするならば、職人として恩返しすれば良いが、俺達はこの街を去る身だ。今礼をしておかなければ、最悪一生礼が出来ない。


という事で、俺達は、その後買い出しに行った時、お礼としてお土産をいくつか買って戻った。

最初はそんなの良いと言っていたが、俺達が持っていても使わないからと強引に渡すと、何とか受け取ってもらえた。


こうして何とかアゼシルゼの街でやらなければならない事を一通り終えた俺達は、翌日出立する事を決めて、英気を養う為、この宿で最後の湯浴みをする事になった。


前日のフィーバータイムの事が有った為、風呂に入る順番を決めてから入る事に。と言っても、クジだが……

俺は何とか最後を勝ち取り、安全の確保に成功。

しかし……


「シンヤ君…」


「何だ?」


「僕と順番…変わら」

「断る!」


「ぐぬぅぅー!!」


スラたんは、何と一番手。最も危険な位置となってしまった。

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