第642話 弟子入り

「謝る必要なんて無いぞ。その……恥ずかしくて出て来ただけだからな…ニルに背中を流してもらえて、本当に嬉しかったよ。」


自分でも、今の自分がどんな顔をしているのか分からない。顔から火が出そうという言葉が有るが…まさにそれだ。


ニルは本当に綺麗だ。お世辞とかそういうのは抜きに、絶世の美女と言える。それは、最初にニルと出会った時に、子供姿のニルを見た時も思った。

薄汚れた格好で、痩せ細っていたのに、それでもそう思ったのだから、どれ程のものか分かるだろう。

それが、俺と一緒に旅をする中で、体も鍛えて、栄養もしっかり取れたから、更に美しく見えるようになった。最早、首や手足に付いた枷すら、アクセサリーのように見えてしまう程の美女だ。


そんな女性が、自分の背中を流してくれるのだ。不満など有るはずがない。


「そ、そうだったのですね…嬉しい…です…」


俺も、ニルも、互いに真っ赤な顔をしているのは、自分でもよく分かっている。何か変な空気になりそうだったが、その前にニルが口を開く。


「その…ご主人様でも、恥ずかしいと思われるのですね…?」


「いや。普通に恥ずかしいって。ニルみたいな綺麗な女性に…というか、女性に背中を流してもらえるなんて、生まれて初めてだからな。」


「そうなのですか…?ご主人様の事ですから、向こうでも相手の一人や二人くらいは居らっしゃるのかと…」


「いやいや!本当に居なかったから!」


一応、ニルには特定の相手は居なかった事を話してあるが、謙遜の類だと思われていたらしい。


「前にも話しただろう?俺は向こうでは嫌われ者で、いつも一人だったって。」


「ご主人様が……」


ニルは、信じられないとでも言いそうな表情をしている。


「ま、まあ…それが事実で、そういう相手ってのは一度も居た事が無かったから、どうして良いか分からなくなるし、恥ずかしいって事だ。だから、ニルが謝る事なんて何も無いんだ。」


「そうだったのですね…」


何故こんな話をしているのか…自分でもよく分からなくなってきたぜ…


「その……ご主人様。」


「ん?何だ?」


未だに顔を赤くしていたニルだったが、ゆっくりと俺の近くに寄って来た後、小さな声で言葉を紡ぐ。


「その……私の水着姿は…本当に…」


「あ、ああ。可愛いと思ったし、よく似合っていたと思うぞ。」


「本当ですか?」


「ああ。本当だ。」


ニルが着ていた水着は、間違いなくニルに似合っていた。これは自信を持って言えるから、問題は無い。


「その……」


ニルはモジモジしながら、頬を染め、視線を俺から外しながら言葉を続ける。


「…スラタン様が居らっしゃったので、肌をあまり見せないような水着を選びました。ですが…」


俺にしか聞こえていない声。

煌めく銀髪の先から落ちた水滴が、ニルの鎖骨を滑るように落ち、胸元に吸い込まれて行く。


「実は、もう一着……皆様には内緒で買った物が有りまして…ご主人様がお望みと有れば、そして、二人きりであれば……私はいつでも……」


ガチャッ!


「「っ?!!?!」」


「た、助かったー……」


唐突に更衣室から飛び出して来たのは、死にそうな顔のスラたん。


心臓が止まりそうになった。


ニルの言葉が頭の中をグルグル回っているが、何とか理性を保つ。


「ぶ、無事に生還したみたいだな!スラたん!」


逆上のぼせるところだったよー…」


中で何が有ったかは聞かないでおこう。まあ、エフ達も居たし、ハイネ辺りに遊ばれていただけだろうが…


「駄目だぁー…精神的に疲れたー…」


スラたんはフラフラとベッドに歩いて行くと、そのままうつ伏せに倒れ込み、動かなくなる。


南無。


そっと手を合わせてやった時。ニルが俺の耳元へ顔を近付ける。


「ご主人様がお望みならば……水着など着ずにお背中をお流しします…」


「っ?!?!?!!!」


耳元で囁かれた言葉に驚き、ニルの方を見るが、スラたんも驚きの速度で、隣のベッドの布団を頭の先まで被ってしまったニル。


恥ずかしいなら何故言ったの?!今日、寝れる気しないよ?!


結局、俺は悶々としながら夜を明かす事になり、翌朝よく眠れなかった俺とスラたんを見て、ハイネが笑っていた。腹立つぜ……

まあ、結婚していたハイネのような女性に何を言っても、女慣れしていない俺とスラたんに勝ち目は無いのだから、ここは大人しく負けを認めるしかない…無念…


コンコン。


俺達が部屋の中で準備を終えた頃。部屋の扉がノックされる。


「ミャルチちゃんかしら?」


「はい!お約束していました工房のご案内を!」


ミャルチは今日も元気なようだ。


ガチャッ。


ハイネが直ぐに扉を開くと、ミャルチが頭を下げる。そして、その横にはミャルチの母、アーリュも立っていて、俺達に向けて頭を下げる。


「この度は、娘が一人で色々と話を進めてしまいまして、大変申し訳ございませんでした。」


「いえいえ!頭を上げて下さい!

話を聞いて頼んだのは私の方ですから、アーリュさんが謝る必要はありませんよ!」


アーリュさんの言葉を聞いて、直ぐにテトラが対応する。


「恐れ入ります。

工房の方へは、私も同行させて頂きたいのですが、宜しいでしょうか?」


「はい!勿論です!ありがとうございます!」


テトラも低姿勢でペコペコと頭を下げている。


「ありがとうございます。工房の親方には、先に連絡をしまして、工房へ向かう事を伝えてありますので、早速向かっても宜しいでしょうか?」


「はい!」


「テトラ様の他に同行されるのは、三名様だとお聞きしておりますが、変更はございませんか?」


「ああ。」


テトラに同行するのは、俺、ニル、スラたんだ。


全員で向かうと、流石に大所帯過ぎる為、それは却下。となると、鍛冶について多少なりとも知識を持っている俺。世間の常識や相手の感情を読み取れるという事からニル。そして最終的に作りたいという医療器具について詳しいスラたん。この三人で向かう事に決めた。

とは言っても、何も無いところからのスタートである為、結局はテトラ自身がその道を切り開く努力をしなければ、俺達が同行して手を貸したくても手を貸せない。つまり、同行とは言っても、俺達の出番は、テトラが親方に認められて、弟子入りを許されてからという事になる。

一応、親方自身の事も見極める必要が有ると思って同行しているという意味も含んでいるが、それについてはあまり心配していない。ミャルチやアーリュさんは、ただの客である俺達に対して、わざわざここまでしてくれる人達だ。その二人が紹介してくれるのだから、悪い人ではないはずだ。

当然だが、宿屋で、普通はこんな事までしてくれない。何がミャルチ達にそうさせたのかは分からないが、客が話をしていたからと言って、仕事先を紹介してくれるなんて有り得ない話だ。

ミャルチが俺達に話を振った時は、何か裏でも有るのかと勘繰ってしまう程に、普通は有り得ない。

しかし、ミャルチにもアーリュさんにも、悪意が無いのは、見て直ぐに分かるし、ニルも大丈夫だと言っていたから、恐らく単に紹介してくれるだけだろうという事で言葉に甘える事にしたのだ。


ただ、確実に大丈夫だとは言えないし、テトラをここで放り出してしまうのは違う為、一応で俺達も同行するという事だ。


アーリュさんとミャルチの二人に同行し、俺達は宿を出て西へと向かう。


目的地は、街の北地区。


中心街程の賑わいは無いが、色々な工房が立ち並んでおり、職人達の集まる地区といった感じだ。

鍛冶屋は火を使うし煙も出る。薬屋となれば調合の時に独特の臭いが出たりもする為、住宅地区や中心街からは離されている。


「結構色々な工房が有るんだな?」


「そうですね。薬、武器、防具、調度品等、一通りの工房はこの地区にまとまっていますね。」


俺の質問には、アーリュさんが答えてくれる。


「今から行くのはどういう工房なんだ?」


「調度品を主に扱う工房ですね。武器や防具といった物は基本的に扱っていませんので、冒険者の方々はあまり利用されない工房ですが、生活用品を揃えようと思った時は、工房主であるバヌラ親方に言えば、大抵の物は作って下さいます。」


「へえ。腕が良いんだな?」


「はい。このアゼシルゼでは、かなり有名な親方ですよ。」


「そんなに有名な親方なら、弟子の一人や二人くらい直ぐに来るんじゃないのか?」


「そうですね…何人かは親方の技術を学びたいと弟子入りしたみたいですが…厳しい人なので、皆直ぐに辞めてしまったみたいです。結局、今はお一人で工房を回しています。それが大変らしく、人が欲しい…出来る事ならば弟子としての方が良いとの事みたいです。」


「そ…そんなに厳しい人なのか…」


「私には、厳しいのかどうかは判断出来ませんが……妥協しないから良い物が作れる。妥協しないから弟子にも厳しい。と旦那が言っていました。」


料理人も、職人と言えば職人だし、どこか通じるところが有るのだろうか。


「確かにな……優しい師が良い師であるかと聞かれれば、否だろうな。特に職人の世界では、それも顕著だろうな。」


「皆は頑固者だとか変わり者だとか言っていますが、バヌラ親方の腕は皆が認めております。」


俺はチラリとテトラの方へ視線を向ける。


「それだけ作る物に対して真摯な方という事ですよね。もし、弟子入りさせて貰えるのであれば、これ程光栄な事は有りません。」


今更、この程度の話で怖気付くような覚悟ではないようで、テトラは真っ直ぐに前を見て答えている。


「あれがバヌラ親方の工房です。」


そう言ってアーリュさんが示したのは、大きな煙突が上に飛び出しており、そこから煙が上がっている工房。

バヌラ工房という看板が扉の上に掛けられており、建物は無骨の一言。色気などまるで無い。

ただ、汚いという感じも無く、扉や壁、窓は綺麗で、入るのを躊躇うという事は無い。


「行きましょう。」


アーリュさんが、工房の扉に手を掛けて、手前へと引くと、扉に取り付けられている鈴がチリンチリンと鳴る。


「バヌラさーん!おはようございまーす!」


元気に挨拶したのはミャルチ。


テトラを先頭に、俺達も工房内に入る。


工房とは言っても、入って直ぐに作業場!という造りではなく、店もやっているらしく色々な物が陳列されている。

木製の小さな棚や椅子に始まり、金属製の日用品。ちょっと変わった物だと、簡単な魔具も置いてある。それだけを見ても、色々な物を作っている工房だと分かる。


「バヌラ親方ー!ミャルチでーす!」


店内にはバヌラ親方なる人は居なくて、奥に続いている扉に向かってミャルチが叫んでいる。


「おー!!すまんすまん!!」


ガタガタと音を立てて、奥から慌てて出て来たのは、小さな背の男性。ドワーフ族だ。


長くボサボサの赤髪を三つ編みにしており、頭には黒い布地を巻き付けて後頭部の辺りで縛ってある。赤い髭もモジャモジャで長く、三つ編みを三つ作ってまとめている。

白い半袖のシャツの上から紺色の分厚い前掛けを着ており、黒い汚れが所々に付いている。

小さな背には似合わない程に太い腕で、これぞファンタジーのドワーフ!という体型をしている。


「おっと!」


バヌラ親方は、思い出したように前掛けを外し、店内の方へと出て来る。


「悪いな!ちょっと手が離せなくてよ!だははは!」


豪快に笑い、赤い瞳の目を細める。


「いつもそれなんだから!」


「そう怒るなって!だははは!」


「ミャルチ。親方に対して、そんな言い方をする子に育てた覚えは無いわよ?」


「うっ…」


「だははははは!良いんだよアーリュさん!約束していたのに作業していた俺が悪いんだからな!」


「ごめんなさいね。この子ったら…」


どうやら、バヌラ親方とアーリュさん達は、長い付き合いらしく、会話に親しみを感じる。


「も、もう良いでしょ!今日は私達が話をしに来たわけじゃないんだからさ!」


「そうだったな。それで?」


バヌラ親方は、俺達の方を見る。

話をしてあるという事だったし、弟子入りしたいという話は伝わっているはず。つまり、どいつが弟子入りしたいという者なのかと聞いているのだろう。


「私は、テトラと申します。」


その意図を汲み取ったテトラが、前に出てバヌラ親方の前に立つ。


「……女とは聞いていたが、随分と細いな。こういう仕事をするのは初めてって感じだな。」


「はい。」


「…………………」


「………………」


バヌラ親方は、テトラの目を見て押し黙る。テトラも、バヌラ親方の目を見て押し黙る。


「……なるほど。女でも今まで来た連中よりは肝が据わっていそうだな。」


「はい!!」


「先に言っておくが、この仕事は楽じゃねぇ。女の体では辛い仕事だ。」


「はい!!」


「……なるほど。覚悟は出来ているって事か。

女で初心者と聞いて、適当に突っぱねようかと思っていたが……来い。」


「はい!!」


「そっちの三人は付き添いか?」


「ああ。」


「それなら、一緒に来ても構わないぞ。」


「良いのか?」


「ああ。」


工房の中に通されるというのは、普通はあまり無い事だ。職人にとって、重要な…聖地のような場所だから、面白半分で入れる場所ではない為だ。恐らく、アーリュさん達の紹介だからという事も含めて、バヌラ親方が気を回してくれたのだろう。


アーリュさんとミャルチの二人には宿の事も有るし、これ以上連れ回すと迷惑になる為、礼をしてその場で別れた。


バヌラ親方の後を追って工房へと入ると、外から見るより広く、炉や作業台等が置いてあり、どれも綺麗に整理整頓されている。それに、どの道具もしっかりと手入れされているのが分かる。

それを見ただけで、このバヌラ親方が、しっかりとした腕を持った誠実な職人だという事が分かる。オウカ島で刀鍛冶をしていたセナを思い出すような、しっかり管理された工房だと感じたから間違いない。


「ここが俺の工房だ。」


「はい。」


「……これを持ってみろ。」


そう言ってバヌラ親方がテトラに手渡したのは、一本の金槌。

釘を打つような金槌よりも二回り程大きく、結構重そうだ。


「っ?!!」


テトラは、バヌラ親方から金槌を受け取り、その重さに驚いている。


「どうだ?重いか?」


金槌を持たせたバヌラ親方が、テトラに聞く。

当然、重いだろう。テトラにとっては初めての事だ。

この答えは、素直に答えて良いのか微妙な質問に感じる。もし、素直に重いと答えたら、こんな物も持てないならば、鍛冶屋なんて出来るかー!ってなりそうな気もするし…


「は、はい。」


しかし、テトラは素直に答えた。


「…そうか。

下手な経験者よりも、初心者の方が良いのかもしれないな。」


「どういう事…?」


バヌラ親方が言った一言を聞いて、スラたんが質問する。


「前に何人か弟子入りしたいとここに来た連中は、この金槌を持った時、重くはないと答えた。

全員経験者だったし、それなりのプライドは有ったみたいだから、そう言いたくなる気持ちは分からんでもないが、この金槌は特別性でな。鉄で作られている普通の金槌の倍程に重い。毎日これを振っている俺でも、重いと感じるくらいだ。重くないはずがねぇ。」


テトラの持っている金槌は、鉄で出来ていても重いサイズだ。それの倍となると…大人の男でも重いはずだ。


「俺の自分勝手な言い分かもしれないが、職人ってのは、道具と製品に対してだけは、実直でなければならない。

下手に見栄を張って、重くないなんて答える奴の作る物は、見栄えが良いだけでろくな物にはならない。だから、毎回聞いているんだ。

別に、重いって答えたから何って話じゃねぇ。仕事をしていく内に考えなんて変わっていくだろうし、それだけで弟子入りを断るなんて事はしない。だが……全員直ぐに辞めたのは事実だ。」


バヌラ親方なりの判断基準の一つという事だったのだろう。

正直に答えたテトラは、正解だったらしい。


「その点で言えば、他の連中よりはマシかもしれないって事だ。初心者で女という事が、素直にさせたのかもしれないが、それでも、下手な経験者より素直に吸収するだろうから、弟子にするにはその方が良いかもしれないなって事だ。

とは言っても、初心者は初心者だし、この仕事の辛さを感じて、直ぐに辞めたくなる可能性は経験者より高いと思うがな。」


バヌラ親方が言うように、大変な仕事だということは間違いない。それに加えて、経験者でも辞めてしまった辛い親方の元で仕事をするとなれば、初心者には、より辛いだろう。


「私には、絶対に成し遂げたい事が有ります。」


そんな話をしている中、テトラが口を開く。


テトラの口から出て来たのは、短い言葉だった。

具体的な事は何も言っていないし、テトラのこれまでの人生も知らないバヌラ親方からしたならば、何を言っているのかさっぱりだろう。


「……………」


だが、バヌラ親方は、そう言ったテトラの目を見て、少し沈黙した後、口を開く。


「今は宿に泊まっているとなると、住む所は無いんだろう?ならば、ここの三階に空いている部屋が有る。そこを使え。」


テトラの何かを感じ取ったのか、バヌラ親方がそう言う。


「はい!ありがとうございます!!」


思い切り頭を下げるテトラ。


どうやら、バヌラ親方への弟子入りが決まったようだ。


「今日中に荷物を運び込んでおけよ。明日からは朝早いぞ。」


「はい!!」


テトラが夢のスタートラインに立てた瞬間だった。

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