第644話 出立

俺は優雅に部屋で待っていると、渋々風呂に入るスラたん。


案の定、スラたんが入って直ぐに、ハイネがピルテを連れて風呂の中へ…

念の為言っておくが……一応、止めた。しかし、俺の言葉はハイネには届かなかった。


スラたんが風呂に入ってから、暫くすると、ぐったりしたスラたんと、ニコニコしたハイネ。真っ赤になったピルテが風呂から出て来る。


予想通りの結果と言えばその通りだが…スラたんもなかなか大変そうだ。


その後、エフが風呂に入り、残るは俺とニル。


その時までに薄々分かってはいたが…


「ご主人様よりも先に入る事など、出来ません。」


一切引かないニルを、何とか先に風呂へ入れようとしたが、頑なに動かない。絶対に首を縦に振らないのだ。


「もー!面倒ね!二人で入れば良いでしょ!ほら!行った行った!!」


俺とニルが風呂に入る順番を譲り合っていると、それを見兼ねたハイネが、俺とニルを無理矢理更衣室へと押し込もうとする。


「いやいや!それは違うだろう?!」


「違わないのよ!男なら黙って入る!」


「男は関係無いよな?!」


バタンッ!!


結局、俺とニルはハイネに更衣室へと押し込まれてしまう。


どうにかしようとしていた俺に対して、ニルはあまり抗おうとしておらず、少し顔を赤らめているだけ。


「ご…ご主人様…」


「えーっと……ははは……」


互いに何を言ったら良いのか分からず、更衣室で固まる。


「あの……ご主人様がお嫌でなければ…お背中を流させて頂けませんか…?」


「えっ?!」


「お嫌でしたか…?」


「嫌ではないぞ!嫌ではないが…」


「その……折角買った水着なので……ご主人様に見て頂きたく…」


「っ!!」


ここまでニルに言わせて、それは出来ないとは…流石に言えない。そういう経験が無いとはいえ、ここで断るのは男としてダメなやつだという事くらい分かる。


「さ!先に入っているから!」


俺は、更衣室に有った衝立ついたてを使って服を脱ぎ、そそくさと浴室へと入る。


既に心臓はバクバクと音を立てており、頭に血が上るような感覚が有る。それくらい緊張している。

どうしたら良いのか分からないまま、俺は取り敢えず落ち着こうと、湯の中へと入る。


二日続けてニルと風呂に入る事になるとは…

前日、ニルが俺の耳元で囁いた言葉を思い出しそうになり、俺は頭を横へ振る。


「ご主人様…?」


その時、更衣室の方からニルの声がしている事に気が付いて、俺はハッとする。


「す、すまん。考え事をしてい………た。」


俺はいつもの調子で、ニルの声を聞いて後ろを振り返り、そこで固まってしまった。


振り返ったところに立っていたニルの着ている水着は、黒色。シルクのような素材で出来ているらしく、ツヤツヤした質感のように見える。

そこまでは良い。いや、良くはないが…いや、凄く良いのだが……とにかく、俺が固まってしまった理由は、水着の布の面積に有った。

上は、肩紐は有るものの、布の面積は、前日にハイネが着ていた水着よりも小さく、胸の谷間が凄く強調されて見える。

しかも、飾り気は殆ど無く、シンプル過ぎて水着よりもニル自身の方に目が行ってしまう。


下は、腰の横で細い紐を結ぶタイプの物で、こちらも布面積が小さく、結構際どい水着だ。


「そ、その……どど…どうでしょうか…?」


耳まで赤くしたニルは、モジモジしながらも、俺の視線から逃げようとはせず、感想を求めてくる。


「す……」


「す…?」


「凄く綺麗……です……」


何故敬語にしたのか、自分でもよく分からない。というか…もう何をしているのかよく分かっていない。


ただ、今日はまとめていない長い銀髪が、肩や胸元に流れ落ちるところや、透き通るような白い肌。その白い肌を際立たせる黒くシンプルな水着。そして、恥ずかしさを耐えつつ、赤くなりながらも、俺の目をチラチラと見る青い瞳が、とてつもなく綺麗だという事だけは間違いなかった。


「あ…ありがとうございます……」


ニルは、自分の正体を俺に明かす時…その……全てを見せてくれたが、その時と今とでは、状況が全然違う。


「御一緒しても…よろしいですか…?」


「…あ、ああ。」


ニルがいつになく積極的というのか…恥じらいながらも、肩がぶつかりそうな程の距離に入って来る。


ニルは、お湯に浸かり切る前に、自分の髪を両手で持ち上げて、簪で止める。


真横でそんな事をされてしまうと、男としては見てしまうわけで…


髪を持ち上げた事で見える綺麗なうなじについつい視線を向けてしまう。


いかんいかんと視線を外し、精神を落ち着けようとするが…………無理だ。

手を伸ばせば触れられる距離に、絶世の水着美女が居て、一緒に風呂に入っているのだ。落ち着けるはずがない。しかもだ…その女性は、他の男性には見せない、俺にしか見せる事のない水着を着ている。

これで落ち着けというのは、酷な話だ。


「よ…良かったです…」


「へっ?」


緊張のあまり、変な声が出てしまった。


「その……私のような者でも、綺麗だなんて言って頂けて…本当に嬉しいです…

ふふ。水着…買って良かったです。」


顔を赤らめながら俺の方を見て、本当に嬉しそうに笑うニル。


俺の横に座っているのは、何て言う天使だろうか?


「こ、ここまで肌を晒すのは、少し恥ずかしかったのですが…頑張ってみて良かったです…」


綺麗でありながら可愛らしいとか…それはもう最強と呼んで良いのではないだろうか…?

というか、ニルの場合、これを狙ってとかではなく、素でやっているのが恐ろしい。裏が無い事は、俺が一番よく知っている。自分なんかが…みたいな事を言っているのも、本気で思っている。それが分かるからこそ、余計に破壊力が増しているのだ。


「何度も言っているとは思うが…ニルは、誰から見ても綺麗だと思うぞ。」


「え…えっと……ありがとう…ございます…」


「う、うむ。」


自分のキャラが崩壊しているのが自分でも分かる。

あまりこの状態を続けているのは、心臓に良くない。


「…そろそろ体を洗うかな。」


「あっ…お背中を…」


「そうだな…頼むよ。」


「は、はい!!」


ニルはやけに気合いを入れて立ち上がる。


昨夜と同じように椅子へ座り、ニルを待つ。


背中側でチャプチャプとお湯の音がして、背中を流す用意をしてくれているのを感じる。

普段はこんな事しないから、二回目とはいえ緊張する。


「で、では!失礼します!」


「お、おぅ。」


ニルの緊張した声を聞くと、こちらも余計に緊張してしまう。


平常心。平常心を保て…


平常心を保とうとしていても、背中の触覚に意識が向いてしまう。


ゆっくりと、背中に当たる布の感触。


しかし………昨夜とは違い、その後に訪れたのは、ニルの手の感触ではなく、もっと柔らかい感触だった。


「っ?!?!?!!!」


思わず体が硬直し、自分の背中に触れる感触と、耳元で聞こえるニルの吐息で、頭が真っ白になる。


「な……何を…?」


俺の知らない感触が背中を支配し、頭はパニック状態。体は硬直状態。


絞り出した蚊の鳴くような声が精一杯。


「そっ!その……ここ…こうすると……ご主人様が喜ぶと聞きまして……」


ニルは、俺の背中に抱き着くような形で、自分の上半身を押し当てている。つまり……俺の背中にはニルの胸が…


間違いない。これはハイネの仕業だ。


「お嫌でしたか…?」


「嫌ではないけれども!これは色々とマズい!本当に色々と!普通に洗ってくれれば良いから!」


正直に言うと、嫌どころか、最高…ゴホン。

へへへへ平常心だ!平常心を保てぇ!


理性をフル稼働させ、俺は硬直した体のまま、ニルに止めるように言う。


いつもならば、ニルは、直ぐに謝りながら、真っ赤になりながら、きっと離れただろう。

しかし、今回は違った。


ニルは、寧ろ俺により強く抱き着くように、体を寄せる。


「その……昨夜も申し上げましたが……ご主人様がお望みならば…ここで水着を…」


「い、いやいや!それは大丈夫だから!一旦落ち着け!」


ニルの暴走を止めるべく、俺は口を素早く動かす。


すると、ニルの声色が少し落ち込んだものに変わる。


「私には……魅力を感じません…か?」


「なっ?!え?!どういう事だ?!」


ニルの言っている事は、平常心ならば直ぐに理解出来たはずだ。しかし、今の俺はパニック中。


「ご主人様は…その……私を抱きたいとは思わないのでしょうか…?」


「待て待て!一旦落ち着け!いきなりどうしたんだ?!」


もう、何が何やら分からない。完全に混乱中だ。


「……私は……ご主人様のお傍を絶対に離れたくありません……」


ニルがその言葉を放った時、少しだけ声が震えているのに気が付いて、俺はハッとした。


エフから話を聞いた時。


俺はニルの事を考えて、どうするべきなのか迷い、色々と話し合った。


あの時、ニルは自信満々といった感じで、絶対に離れはしないと言ってくれた。


しかし……どうするかは明確には決めず、保留という形にした。


そんな状態で話が終わり、ニルはどう思うだろうか?


奴隷として生活して来て、死ぬか生きるかの時、俺という存在に出会い、買われ、互いに心底信じ合えるような関係になった。

それなのに、いきなり離れても良いと言われたら、きっとニルは、俺が離れてしまうのではないかと不安になったはずだ。


本当は、自分に何か足りない部分が有って、それが有るから俺は離れようとしてるのかもしれない。そう思ってしまったとしたら、その不安は時を追うごとに大きくなり、ニルは心配と不安で押し潰されそうになる。


ニルが俺に対して、出来ていない事と言えば…そういう関係の事だという発想に至るのは当たり前だろう。俺はそんな事を気にした事は無いのだが、ニルは一応、男に買われた女の奴隷…なのだから。


そこまで考えが至った時、ニルは、俺が離れていかないように、どういう行動を取るのか……その答えは、昨夜と今の状況が物語っている。

もしかしたら、ハイネやテトラ辺りに、どうすれば俺を魅了出来るかと、ニルの方から聞いたのかもしれない。

普段は、ここまで積極的ではないニルが、ここまでしているのだ。普通の心理状態ではない事くらい、少し考えれば分かる事だ。


自分を自分でぶん殴りたい気持ちになった。


少し考えれば、ニルの不安は想像出来た事だ。

もっと、しっかりと話し合いをする事だって出来たはずだ。

しかし、それをしなかった。考えが至らなかった。

何という……気の回らない主人…いや、男だろうか。


「……ニル。」


俺は、後ろを振り返り、涙目で上半身に泡を付けたニルを見る。


「ニルは、本当に、とてつもなく魅力的だ。女性としてな。」


「っ?!」


俺の言葉に、ニルは一瞬で赤くなる。


「不安にさせてしまってすまなかった。俺は、本当に、ニルがしたいようにして欲しいと思っていただけで、ニルと離れたいなんて微塵も思っていない。」


「……………」


「ニルは、俺にとって既にかけがえの無い存在だ。だが、だからこそ、ニルの本当の幸せについて考えてしまう。どの選択が、ニルにとっての最高の幸せなのか…ってな。」


「私にとって、ご主人様と共に居る事が一番の幸せです!」


迷い無く答えるニル。


「ああ。分かっている。

だが、それしか選択肢が無い状況でそれを選ぶのと、別の選択肢が有る中からそれを選ぶのとでは、大きく意味が違うだろう?」


「他に選択肢が有ったとしても、私は!」


「ああ。それも分かっている。」


「………………」


「前も言ったが、最終的にニルが俺と共に居る事を選ぶのならば、それはそれで良いんだ。ただ、選択肢が現れた時に、無意識にそれを排除せずに、ちゃんと考えて、選び取るという事をして欲しい…という事だ。」


「………………」


「ニルと離れたいとか、ニルに不満が有るとか、そんな事は一切無い。

俺はニルと出会えて本当に幸せだし、この絆はどんな事が有ったとしても切れるものではないと思っている。

だから、ニルは、不安に思ったり、心配しなくて良いんだ。」


「ご主人様……」


ニルは、俺の言葉を聞いて、瞳を更に潤ませる。


「だから……その……無理してこういう事をしなくて良い。こんな事をしなくても、ニルはそのままで十分過ぎるくらいに魅力的だ。」


「うぅ……」


俺の言葉を聞いて恥ずかしがるニル。言っている俺も恥ずかしいが、しっかりとニルの目を見て伝える。


「分かってくれたか?」


「は…はぃ…」


顔を全て真っ赤にしてしまったニル。俺の顔も似たようなものだろう。


「分かってくれたなら良かったよ。」


ポンポンと頭を撫でてやると、ニルはいつものように擽ったそうに笑う。


「体を洗って温まったら出るぞ。」


「…はい!」


いつものニルに戻ってくれたようだ。俺は一安心して、正面に向き直る。


「ですが……ご主人様がお望みならば、私は、いつでも準備出来ております…」


「っ?!!!」


振り返った俺の背後から、小さな声で言って来るニル。


ビックリしてニルの方を見ると、ニルは真っ赤な顔で隣に座り、頭からお湯を被っていた。


いつも通りのニル…よりも少しだけ積極的なニル。ハイネの影響か、俺の言葉の影響か……


俺とニルは、逆上のぼせそうな程に真っ赤になりながらも、風呂を出て、ニヤニヤするハイネを一瞥してから眠りに入った。


俺の自制心が一段高まった夜だった。


そんな事が有った翌日。


俺達は、出立の準備を終えて、朝日が昇ると同時に宿を出る事にした。


「色々とありがとう。助かったよ。」


「いえいえ。こちらこそ色々と頂いてしまって…ありがとうございました。」


「また、アゼシルゼに来たら、森の泉をよろしくお願いします!!」


「ああ。アゼシルゼに来る事が有ったら、必ずこの宿に来るよ。」


丁寧な挨拶をしてくれるアーリュさんと、朝から元気なミャルチ。そして、奥から顔を出してくれたギラギルさんにも挨拶をして、俺達は宿を出た。


向かうは魔界。しかし、北門へ向かう前に、バヌラ親方の工房へと向かう。


日が出ている間は店を開けていると聞いていたが、朝日が昇って直ぐ宿を出た為、少し時間が早過ぎるかもしれないと心配していたが、工房へ辿り着くと、既に煙突から煙が上がり、店内には明かりが見えていた。


「朝早いとは言っていたけれど、この時間で既に動き出しているんだね。」


「なかなかハードな生活ね。」


「テトラは、健康体とは言えないですから、少し心配ですね…」


「バヌラ親方なら大丈夫だと思うぞ。その辺の事も考えてくれているみたいだったからな。」


「へぇ…そこまで考えてくれる親方なんて珍しい。良い人ね。」


「そう思ったからテトラを頼んだんだ。

医療器具の事については、既に親方に話してある。それに、この街は魔界からもそう遠くはない。諸々が片付いた後、様子を見に来るくらいはいつでも出来る。いつか、スラたんが注文して、ここからスラたんの元に医療器具が運び込まれるという事も有るかもな。」


「ふふふ。何か…少しずつ繋がって行く感じがして嬉しくなりますね!」


「流石は私の娘ね。良い事言うわ。」


「うんうん。確かに何か良い感じだね!」


ちょっと良い話をしながら、俺達は店の扉を開く。


「バヌラ親方!」


店内には、親方の姿は無く、スラたんが工房の方へ向かって叫ぶ。


ここに来るのはこれで二回目だが、親方が店番をしているのを見ていない。施錠もしていないみたいだが、こんな事で店の商品は大丈夫なのだろうか…?


素朴な疑問を抱いていると、工房の方からバヌラ親方が出て来る。


「おう!来たか!って…もう行っちまうのか?随分と早いな?」


「急ぎの旅の途中でな。あまりゆっくりもしていられないんだ。」


「そうなのか。まあ、人にはそれぞれ事情ってもんが有るだろうし仕方の無い事か。」


今日初めて来るハイネとピルテの紹介をする。因みに、エフとニルは馬車に乗っている。


「テトラは今、何しているんだ?」


「今は炉に火を入れているところだ。

掃除に道具の手入れ、素材の見極めや調達。単純な鍛冶の技術以外にも、職人としてやっていく上で覚えなきゃならねぇ事は山のように有る。最初は誰でも出来る雑用からだ。」


「病み上がりで、食事もろくにしていなかった子だから、その辺は考慮してくれると助かるわ。」


「ああ。その辺は体付きを見りゃ大体分かる。体がぶっ壊れるような事をさせるつもりはねぇから安心してくれ。まあ…作業はそれなりに辛いし、根性が無ければ続かないだろうがな。」


「それはあの子も覚悟の上で弟子入りしたはずだから、心配していないわ。」


「随分と信用しているみたいだな?」


「その辺の連中より、よっぽど根性の有る子だという事を知っているだけよ。」


「ほぅ……まあ、その辺はこれからじっくり見させてもらうさ。

それより、別れの挨拶に来たんだろう?少し待ってろ。」


そう言うと、バヌラ親方は工房の奥へと入って行く。


少し待っていると、テトラが出て来る。


「皆様!」


「あら。よく似合っているじゃない。」


工房から出て来たテトラは、バヌラ親方が着ている前掛けのサイズが違う物を着ている。


「合うサイズが無くて、ちょっと大きいですけれど…」


照れながらも前掛けを嬉しそうに見下ろすテトラ。


「それより!シンヤさん!これは受け取れません!!」


そう言って、俺達が置いて来たはずの金を取り出すテトラ。


「受け取ってくれ。皆からの祝い金だ。」


「そ、そんな……他にも色々と部屋に置いて下さっていましたし…」

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