第640話 門出

テトラが言う医療に使う器具。つまり医療器具は、この世界にも当然有る。ただ、数も種類も少なく、薬草に頼っているところが大きい。一応、聖女という回復手段も有るが、神聖騎士団の連中が独占しようとしている為、不用意に聖女の力を使う事は出来ない。

ファンデルジュというRPG。つまり、ゲームである以上、何かしらの回復手段が無ければどうする事も出来なくなってしまう為、薬草という物が有るのだと思うが…薬草には、下手に優れた回復作用が有る為、人々は薬草等のアイテムに頼り、医学的に発展しないという事態に陥っているのではないかと考えている。

そういう事はフレーバーテキストにも記されていない内容だから、俺が考えているだけなのだが、スラたんも同じような意見である為、間違ってはいないだろうと考えている。


そんな世界で、医療器具という物を作ったところで、何の意味も無いように思うかもしれないが、そんな事はない。

この世界には医療器具が無いのだから、たった一つ、便利な医療器具を作り出すだけで、医学の発展はきっとかなり大きなものになる。


当然だが、いきなり手術とか、そういう話ではない。そもそも手術という技術自体、この世界では異質なもの。医療用の針や糸、そんな物からのスタートだろう。

たかがそんな物でと侮ってはならない。元々、俺達の居た世界でも、そういう簡単な物からスタートしているのだ。医学としては、重要で大きな一歩だ。


「確かに、医療器具については、もっと良い物を、そして新しい物を作れると僕も思っていたんだ。だから、その考えは正しいと思うよ。

でも、医療器具という事は、他人の命に関わる仕事になるよ。ミスは許されない。当然、それらを作り出す技術だって身に付けなければならない。想像しているよりも、ずっとずっと大変な道だよ。」


「はい……ですが………私がこうして生きていられるのは、皆様が私を助けて下さったから、そして医療が有ったからです。皆様と医療に救われた命なのですから、皆様と医療の為に使いたいと思っているのです。」


「……僕とシンヤ君がテトラさんの治療に当たっていた時の事を、覚えている…のかな?」


「はい。全てではありませんが、朧気ながら。」


「そうだったのか?!」


「医療器具らしい道具を使ったのはあの時だけだからね……その発想に至るという事は、その時の記憶が残っていたという事。

でも、その体験から医療器具を作ってみたいというところに繋がるとはね。」


「よ、世の中何がどうなるか分からないものだな…」


スラたんの言う通り、テトラを本格的に道具まで使って治療したのは、最初の治療時だけ。

しっかりと治療する為に、スラたんがルーペとかその他諸々の道具を使っていた。大抵は研究に使うような道具だったが、医療器具と言えば医療器具だ。


「私が医療に携わるなど、烏滸おこがましいでしょうか…?」


「そんな事はないよ。僕が言いたいのは、それがテトラさんかどうかの話じゃない。それが誰であろうと、医療の道は容易くないって事を伝えたいんだ。

例えば、僕とシンヤ君がテトラさんの治療に当たった時の格好は覚えているかな?」


「はい。布を顔や頭に巻いて、手にも手袋をしていました。」


「あれは、感染症が僕達に移るのを防ぐのと同時に、テトラさんに対して、僕達からも悪いものが移らないようにという意味も有るんだ。」


「えっ?!お二人は何かの病気なのですか?!」


「ううん。違うよ。僕とシンヤ君は元気だから体が勝手にその悪いものをやっつけてくれるけど、あの時のテトラさんは弱りに弱っていたよね。だから、本来ならばやっつけられる悪いものも、テトラさんには有害になってしまう可能性が有ったんだ。」


「そ…そうだったのですか…」


「もし、僕達があの手袋を一つ外しただけだったとしても、もしかしたら、テトラさんは今頃大変な事になっていたかもしれないという事。

つまり、それだけ医療というのは繊細なんだ。

当然、そういう医療行為に使う道具も、それだけ繊細な扱いが必要になる。」


「そんな道具を作る方も、それだけ大変だということだな。」


「手袋とか、そういうのは、想像している医療器具とは少し違うかもしれないけど、大きな目で見るなら、医療行為を行う際に使う道具という括り。手袋一つでも、使い易く安全である事が要求される。当然、患者さんに対して直接使う物となれば、もっともっと安全性を考えられた物じゃないと使えない。」


「…はい。」


スラたんは、医療器具を作りたいと言うテトラに対して、まるで諦めろと言わんばかりの話をしている。しかし、それはテトラに諦めて欲しいわけではない。それだけ医療というのは大変だという事を伝えたいのだ。


生半可な気持ちで達成出来る仕事じゃない。覚悟が必要な仕事だと伝えたいのだ。


この話を聞いて、決意が揺らぐようならば、恐らくスラたんは諦めろと言葉にしていたかもしれない。

しかし、テトラは、最後まで話を聞いても、真っ直ぐにスラたんの目を見て、自分の覚悟を示した。


「覚悟は出来ているって顔だね。」


「はい。」


「それなら、僕はもう何も言わないよ。頑張ってみたら良いと思う。応援もするよ。」


「ありがとうございます!」


「ふふふ。私達も応援するわよ。」


「あ、ありがとうございます!」


テトラの覚悟を知り、スラたん含め、全員がテトラを応援すると決めた。

医療器具を作るだけならば、医療行為ではない為、医者の免許は必要無い。それならば、テトラの身分でも問題無く働けるはずだ。


「その……」


「??」


テトラのやりたい事を聞き終わり、良かった良かった…と思っていると、テトラがモジモジしながらチラチラとスラたんを見ている。


「どうしたのかな?」


「……私が良い物を作れるようになった時は、スラタンさんにその道具を使って頂きたいのです!」


「僕に?」


「はい!ハイネさんやピルテさん達とお話していた時、お医者様になられると聞きました!その時、私の道具を使って頂くのが…私の夢です!」


ある意味当然と言えば当然だ。


テトラが死ぬかもしれない瀬戸際で、彼女を門前払いした医者。そもそも、その死ぬかもしれない状況を作り出して、それを揉み消そうとした医者をテトラは知っている。


その二人のクズな医者を見たテトラの前には、病気が移るかもしれないと分かっていて、それでも自分の治療を行い、助けてくれた人が居る。憧れるのがどの人物かなんて、火を見るより明らかだろう。


そんな憧れの人物が医者になるかもしれない。そして、自分は医療器具を作ろうとしている。誰に使って欲しいのかなんて聞くまでもない。


「テトラはスラタンに憧れているのね。」


「はい!!」


「えっ?!ぼ、僕に?!」


「はい!!」


「僕なんて変わり者だし、憧れてもらえるような人間じゃないよ?」


「「そんな事は有りません!」」


「っ?!」


テトラと同時にピルテも叫ぶ。


こ、これは………修羅場…の予感?!


「スラタンさんは私の知るお医者様の中で最高のお医者様です!」


「そうですよ!」


テトラとピルテの言葉に熱が入っている。

モテモテスラたんだ。


「う、うん…?そこまで言ってくれるなら、もし僕が医者になれた時は、テトラさんの作った道具を使わせてもらうよ。」


「あ、ありがとうございます!!」


テトラは嬉しそうに頭を下げる。


「良かったわね。テトラ。」


「はい!」


「でも……スラタンはあげないわよ?」


「あげない……?…………っ?!そ、そんなつもりは有りませんよ!?」


ハイネの言葉の真意を感じ取ったテトラは、両手を横にブンブン振りながら焦り出す。


「ピルテさんとスラタンさんの間に入ろうなんて事微塵も思っていませんから!」


「急に何を言い出したの?!」


「分かっているのならば良いわ。」


スラたんは焦っているが、ハイネは満足そうに笑っている。

因みにピルテは赤くなって俯き、モジモジしている。


うーん……もうくっ付いて良いのではないだろうか?


「ハイネさん?!」


「何かしら?」


「何かしら?じゃないよ?!僕抜きで僕の話をしないで欲しいな?!」


「ふふふ。」


「笑って流された?!」


「楽しそうですね?」


ハイネとスラたんがわちゃわちゃしていると、俺達のテーブルにミャルチが現れる。


「これは店のサービスです!」


そう言ってネールを人数分テーブルに置いてくれる。


「え?サービス?」


「先程お話されていた事が聞こえてしまいまして!父が、新たな門出を祝わないわけにはいかないと!」


そう言って厨房の方へ目を向けるミャルチ。


厨房には、青髪短髪。青い瞳をしたエルフ族の男性。ミャルチの目は母親似みたいだが、口元は父親に似ている。


父親の名はギラギルだったか…そのギラギルの方を見ると、軽く頭を下げる。

何も喋ったりしていないが、何と粋な計らい……格好の良い大人の漢だ。


「ありがとう。ミャルチのお父さんにも、一杯奢らせてくれ。」


「良いのですか?!」


「ああ。折角ならお父さんも一緒に乾杯しよう。」


「ありがとうございます!」


ミャルチが走って厨房に向かい、ギラギルにネールを手渡す。


俺達の奢りだと聞いたのか、直ぐに俺達のテーブルにネールを持って寄って来てくれる。


「ありがとうございます。」


落ち着いた声で礼を言って頭を下げるギラギル。


「こちらこそ。」


俺はそう言いながらグラスを持ち上げる。


すると、ギラギルを含めた全員がグラスを持ち上げてくれる。


「テトラの新たな門出に……乾杯!!」


「「「「「「「乾杯!!」」」」」」」


ガチャンとグラスが鳴る。


邪魔しないようになのか、ギラギルは直ぐにテーブルを離れて厨房に戻ったが、どこか嬉しそうにしてくれている気がする。

きっとギラギルも、新たな門出に対して何か思い入れが有るのだろう。


「聞いても良いですか?」


まだ客も少なく、手持ち無沙汰なミャルチが、俺達のテーブルに寄って来て声を掛けてくる。


「どうした?」


「医療器具ってどういう物なのでしょうか?」


「その質問は俺よりスラたんだな。」


「そうだねー…例えば、小さなナイフ…メスって呼ばれる物だとか、ハサミみたいな物だとか…多種多様だよ。」


「そういうのを作るって事は、鍛冶屋…ですかね?」


「そうだね。多分鍛冶屋になるかな。小さな物を作る事が多いと思うから、そういう物を作っている鍛冶屋に弟子入りするのが一番最初にやる事だろうね。」


「やっぱり!」


「やっぱり?」


「実は、丁度そういう鍛冶屋さんで、弟子入りする人を探している人が居るんですよ!」


「えぇっ?!本当か?!」


あまりにも良過ぎるタイミングだ。

いや、今までテトラは不幸の連続だった。それを考えると、溜まっていた幸運が一気に押し寄せて来ているのかもしれない。


「紹介して頂けませんか?!」


誰よりも先にその言葉を発したのは、当然テトラ。


「ですが…結構頑固者と言いますか…職人気質な方なので、女性に耐えられるか分かりませんよ?」


「大丈夫です!」


どんな相手かも分からないのに、テトラはハッキリと言い切る。


「何が有っても、私はこの夢を実現させると自分に誓いました!必ずやり遂げてみせます!」


「…分かりました!それならば、明日の朝、一緒にその工房へ行ってみましょう!」


「あ、ありがとうございます!」


これでテトラが弟子入り出来たならば、最高の門出だ。


トントン拍子に…というのは、こういう事を言うのだろう。


ミャルチと、明日の予定について話をした後、テトラが何度もお礼を言って、話がまとまる。


「良かったな?」


「はい!」


そんな事が有りつつ、食事をしていると、次第に客が増え始める。夕食時が近付いているのだろう。


「そろそろ混み始めたし、俺達はこの辺で戻るとするか。」


「そうね!やっとお風呂に入れるわね!」


「そう言えばそうだったな。よーし!戻って風呂だ!」


俺達は会計を済ませて部屋へ戻る。


テトラを連れ出した時は、申し訳ない事をしてしまったかもしれないと思っていたが……世の中、何がどう繋がってどうなるかなんて、本当に分からないものだ。


「よーし!お風呂に入るぞー!」


何はともあれ、色々と事が良い方向に進むのは願ったり叶ったり。

良い気分で部屋に戻ると、早速風呂の様子を見てみる。


飯に行く前に魔具を作動させておいた為、風呂には湯が張られており、湯気が良い感じで浴室に溜まっている。


「良い感じだな。」


「うん!」


「そう言えば、入浴剤は使っても良いってミャルチが言ってたし、使ってみるか?」


「そうだね。山道を来たから身体中小さな傷だらけだし、丁度良いね。」


「それじゃあ、入浴剤を頼む。俺は先に女性陣に入るよう伝えて来るよ。」


「はーい!」


スラたんに入浴剤を任せて、俺はニル達に風呂へ入るように伝える。


しかし…


「シンヤさんとスラタンが先に入って良いわよ?私達は長くなるだろうし。」


「ご主人様よりも先に入るなど有り得ません。」


という事に。


順番なんてどうでも良いと思うが…ここで言い争っても風呂が冷めるだけだ。先に入っても良いと言うのならば、そうさせてもらうとしよう。


「じゃあ、俺とスラたんが先に入るよ。」


「ええ。お先にどうぞ。」


という事で俺とスラたんが先に風呂へ入る事に。


脱衣所は部屋の方から入って服を脱ぎ、別の扉から浴室へ入れるようになっている為、俺達は服を脱ぎ、早速浴室へ。


「……行くぞ。スラたん。」


「うん。」


俺とスラたんは、湯を掛けて作法を守りつつ、ゆっくりとお湯の中へ。


「う゛あ゛ぁぁぁぁぁぁ………」

「でゅぼぅぅぅぅぅぅぅ………」


「え?!何その声?!スラたんから変な音が出た?!」


「気持ち良過ぎて新しい声が出たよ…」


「気持ち悪っ!!」


「酷い?!」


「でも…確かに気持ち良いなー…」


「うんー……」


「「はぁぁぁ……」」


肩までお湯に浸かると、体の中に有った疲れの塊みたいなものが、じわーっと溶けて行く感じがする。


「久しぶりに湯に浸かったな。」


「旅の途中は基本的に魔法でパパッとだからね。宿に行ってもお風呂なんて無いのが当たり前だし。」


「やっぱり風呂って最高だな!」


「激しく同意!」


やはり、日本人は風呂好きというのは、本能的に刻み込まれているのだろうか。


「話は変わるが、テトラの夢には驚いたな?」


「そうだねー。テトラさんは凄いと思うよ。

僕は、祖父の言葉が有ったから、色々と学び、誰かの助けになるような人生を歩みたいと思えたんだ。でも、テトラさんは自発的にそう考えた。普通は出来ることじゃないよ。

テトラさんが、エフさんの正体に気が付いた時、何て言ったか知ってる?」


「いや。言われてみれば、テトラにとってエフは自分を騙した黒犬の一人だったな…」


色々と有ったのと、テトラはエフと普通に接しているから、深く考えいなかったが…テトラがエフに恨みを持っていても不思議ではない。寧ろ、それが自然だと言える。


「何て言ったんだ?」


「それがね。エフさんが黒犬だって知ったテトラさんは……

自分を騙した人はもう死にました。エフさんに恨みを向けるのは間違っている。それに、最終的にそれを選んだのは自分。だから、自分を恨む事は有っても、エフさんを恨む事は決して無い。って言い切ったんだよ。

確かに、話を聞く限り、テトラさんを騙した人達は、爆発に巻き込まれて死んだみたいだけど、そう簡単に割り切れる話でもないでしょ?」


「そうだな…」


「本当に凄いよ。」


「俺からすると、スラたんも凄いけどな。」


「え?僕が?」


「恨む相手を探すより、助ける相手を見付けるなんて、俺には出来ないからな。」


「そうかな…?僕からすると、シンヤ君も」

ガチャッ…


「ガチャッ?」


スラたんとの話の途中で、不穏な音が聞こえて、音の方向を見る。


「ブッ!!ピルテさんっ?!」


思わずスラたんが口から何かを吹き出す程に驚くのも無理は無い。


何故か、更衣室から出てきたのは、タオルを巻いたピルテ。


艶やかな長い黒髪を頭の上でまとめており、タオルの端から見える手足は、真っ白でキメ細かいのが分かる。

紅潮した頬よりも赤い瞳は、恥ずかしさから下を向いている。


「何してるの?!」


「ここ、こここ、これはですね…」


顔を真っ赤にするピルテ。


「ふふふ。入って来ちゃった!」


真っ赤になるピルテの後ろからは、同じように髪をアップし、何故か堂々としているハイネ。


「入って来ちゃった!じゃないよ?!ここは浴室だよ?!」


「何よー。本当は見たいく・せ・に!」


そう言って自分のタオルの端に指を掛けるハイネ。

タオルを巻いても分かる程に大きな胸が微かに揺れる。


「……………」


俺は即座に視線を外し、心頭滅却に集中する。


ハイネはまだしも、ピルテの姿は俺ではなくスラたんに見せる為のもの。俺は何も見ていない。キメ細かい白い肌なんて…ダメだ!考えるな!


「シ・ン・ヤ・さーん?」


浴室に響くハイネの声。


「見たい…?」


「心頭滅却!火もまた涼し!!」


俺はそっと目を閉じる。ここで見てしまえば、俺は恐らく死ぬ。ニルの視線に殺される。まだ死ぬわけにはいかない!


「なーんてね!実は…」


シュルシュルと衣擦れの音が聞こえて来る。


「うわっ?!」


「水着でしたー!」


「えっ?み、水着?」


スラたんの声が聞こえて来て、俺は瞼を上げる。

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