第638話 想い

「私は……」


俺が望む事は、ただ、ニルにだって自分の進む道を選ぶ権利が有ると知って欲しい。それだけの事だ。


それを知って、自分で考えて、自分で決めた事ならば、俺もニルの決定を尊重する。

それが俺と共に居る事ならば勿論。もし、ニルが両親との時間を過ごしたいと望むならば、そうするべきだと考えている。

それでニルとの関係が切れてしまうわけではないし、ニルへの信頼が揺らぐ事も有り得ない。だから、ニルには真剣に考えてから答えを出して欲しい。


「俺が勝手に決めて、勝手にどこかへ行ってしまうなんて事は無いから安心してくれ。

あくまでも、俺はニルにも色々な選択肢が有って、色々な事を考えてから答えを出しても問題は無いという事を伝えたいだけなんだ。」


「本当に…どこかに行ったり…しませんか…?」


ニルは、俺の袖をキュッと掴む。


奴隷の生活がどんなものだったかなんて、俺には分からない。

だが、きっと色々な別れの連続だった事だろう。

ニルの持っている知識の中には、奴隷仲間の話が多い。そういう話を聞いているという事は、それだけの会話を他の奴隷達としたという事になる。当然、そういう者達の中には仲良くなれた者達も居たはずだ。

しかし、そういう者達と何度も別れてきた。死に別れという事も有ったかもしれない。

そして、俺と出会い、俺を信じ、俺と共に在る事がニルの全てとなった。ニルにとって、そんな俺との別れなんて、想像すらしたくない事だと思う。何故ならば、俺にとっても、想像すらしたくない事だからだ。


「ニルの意思を確認せず、勝手にどこかへ行ったりはしない。」


「全てを知って、それでも尚傍に置いて欲しいと思ったならば…」


「ニルが、それでも俺の横を選んでくれるならば、その時は、もう何も言わないさ。」


「本当の本当に…ですか?」


「本当の本当にだ。」


「……分かりました。」


ニルは、俺の目を見て、俺の言葉を聞いて、小さく笑ってくれる。


「そういう事ならば、何も問題は有りません。私にとって重要な事は、豊かな生活でも、優しい両親でもなく、そこにご主人様が居らっしゃるかどうか。それだけなので。」


ニルの、焚火に照らされる青い瞳からは、揺るぎない決意を感じる。


まだニルの出生の事等、分からない事だらけだ。だから、最終的にニルがどうするのかもまた分からない。それでも、ニルは俺と離れる事など全く考えていないと、自信を持って言っている。

そこまで、俺を大事に思ってくれているのは本当に嬉しい。だからこそ、もしも、最終的に俺が望む結果にならなかったとしても、それを素直に受け入れたいと思う。


「ああ。ありがとう。

だが、忘れないでくれ。俺はニルのしたいようにして欲しい。だから、ニルの思った事はいつでも言ってくれ。」


「分かりました。ですが、どんな結果になったとしても、私の意思は変わりませんよ。」


「はは。ニルも頑固だな。」


「この事に関してだけは妥協なんてしませんよ。」


「ああ。それで良いよ。」


俺は、少し冷めてしまった紅茶を口に運び、チラチラと揺れる焚き火に視線を向ける。


ニルの親が誰なのか。親は生きているのか。生きているとしたら、どんな親なのか。一体何故ニルが魔界の外へ出て来たのか。

そして、何故、俺がニルを買うようにシステムがイベントを発生させたのか。


きっとそれらは、再度魔界へと足を踏み入れたならば、明らかになると思う。

何となくだが、俺はそんな気がしている。


そんなニルとの話し合いをした翌日。


ガラガラガラッ……


「はぁー!いい天気だね!」


横穴を塞いでいた石壁を破壊し、俺達は外へ出る。


今日も晴天。まだ木陰になっている部分は、水分が飛んでおらず、湿っているが、陽の当たる場所は完全に乾燥している。


「スラタン。まだここは危険な区域なんだから、開放感に浸っている場合ではないわよ。」


「うぐっ…そ、そうだね。」


俺達が居るのは八合目辺り。


今日は急勾配の坂を蛇行しながら下りる所から始まる。


「さっさと山を下って街に向かうとしよう。」


「はい!」


ニルがいつも通りに返事をしてくれる。昨日見た、不安げな雰囲気は、完全に消え去っている。


本日の午前中は、ハイネ、ピルテ、スラたんが先行部隊。午後は俺とニル、エフが先行部隊だ。


午前中は馬車を護衛するような形で急勾配の坂を蛇行しながら下る。

一度だけモンスターの襲撃は有ったものの、特に問題は無く、七合目を切ったところまで進めた。

午後に入ると、Aランクのモンスターの姿は無くなり、Bランク以下のモンスターのみが出現するようになる。


「ここまで来てしまえば、一先ずは安心ですね。」


「そうだな。モンスターの数は増えたが…」


ビュッ!ザシュッ!!


「ギャッ!!」


先行部隊として道を探していると、近くで感じたモンスターの気配に対して、すかさずニルが新しく作った投げナイフを投げ付け、マウンテンリザードを一撃で沈める。


「全く問題無いな。」


「はい。」


「投げナイフの方はどうだ?」


「かなり使い易いです。自分に合った形で作るだけで、これ程までに使用感が変わるとは思っていませんでした。」


ニルは、マウンテンリザードに投げ付けたナイフを引き抜きながら答えてくれる。


「ベーシックな方のナイフは、比較的に耐久値も高いみたいだな。」


「表面にメッキしたヘヴィライトが良かったみたいです。研ぐとかなり鋭くなりますし、攻撃力自体が前の投げナイフとは比べ物になりません。

棘付きのナイフの方も、メッキした事で棘の部分がかなり折れ難くなりましたし、大成功ですね。」


「仕込みボウガンでも飛ばす事が出来るように作ったし、今後は遠距離攻撃から組み立てる連携も練習しないとな。」


「はい!」


完成した投げナイフは、一手間掛けて作られている分、買った投げナイフよりもずっと良い物になった。テトラとピルテが手伝ってくれているし、製作スピードもかなり早い。

盗賊との事が終わってから、色々と作製した事で、これまでには無かった連携が可能となったし、戦略の幅が大きく広がった。


「エフのお陰で助かったよ。投げナイフの事も、ニルの事も。」


ニルが離れているタイミングで、エフに改めて礼を言う。


魔王関係の情報、しかも紋章眼の話となると、かなり機密性の高い情報であるはず。しかし、エフはそれを俺達に話してくれたのだ。礼は言うべきだろう。


「……いや。ニル様の心情を考えずに話をしてしまった…」


ニルが、自分に関わる話を聞いて落ち込んでいたと思っているエフは、少し暗い顔をしているように見える。


「エフが落ち込む事ではないだろう。紋章眼の事も含め、ニルに関して知らなかった事を知る事が出来たんだ。

ニルも、あの時は感情的になり、強い口調になってしまったと謝っていたよな?」


「……………」


「感謝しているとも言われていただろう?」


「それは…そうだが……」


王族相手に、貴女は親に捨てられた、もしくは売られたかもしれない。なんて言おうとした事を、エフはかなり後悔しているらしい。


ただ、ニルは、本当にそこは気にしていない。

心の片隅くらいでは、気にしているのではないかと思っている…と思いたいが、正直、微妙なところだと思う。

だから、エフが落ち込む必要は本当に無いのだが…


「そう気にするな。ニルなら大丈夫だ。」


「………………」


「ご主人様!こっちが良さそうです!」


「ああ!今行く!」


ニルにとって、俺という存在が唯一無二の存在であるように、エフにとっては、魔王やそれに連なる者達が唯一無二の存在なのだ。

その中の一人であるニルに、不敬を働いたとなれば、エフは自分を強く恨む事になる。

そうならないように、ニルは、直ぐにエフへ謝罪したのだが…それだけでエフの気持ちが軽くなるわけではないらしい。


「……エフ。」


ニルに呼ばれて歩き出そうとした足を止めて、彼女の名前を呼ぶ。


「……??」


「…ニルは魔族だが、魔界で過ごして来た魔族ではない。

魔王を救い出したとして、上手く事が済んだとしたら……きっとニルは魔王に連なる王族として、色々な選択を迫られると思う。」


「それはそうだろう。魔界では王族なのだからな。」


「……その時、ニルがどうするのかはまだ分からないが……エフがニルの助けになってくれないか?」


「私が…?」


「当然、俺もニルの為に何でもしてやるつもりだが、魔界で過ごして来て、魔王とも近いエフにしか出来ない事も有るはずだ。

その時……魔族としてとかそういう事ではなく、ニルの味方として動いて欲しい。」


「…どういう意味だ?」


「そのままの意味だ。」


エフの疑問に答えていないような返答をする。だが、本当にそのままの意味だ。

魔族とは違う生活を送って来たニルは、どんな選択をしたとしても、魔族の者達から見ると異端者に見えるはず。

そうなった時、俺だけではどうする事も出来ない状況が発生する可能性が有る。

しかし、その時、エフが味方で居てくれるならば…と考えているのだ。


「これは、俺の我儘わがままみたいなものだ。要するに、エフだけは、何が有ってもニルの味方で居てほしいという事だからな。

もし……」

「分かった。」


俺が全ての言葉を言い終わる前に、エフは頷く。


「…良いのか?」


「片腕を失った私は、黒犬としては不十分だ。このまま魔界に戻っても、黒犬として生き続ける事は出来ないだろう。

任務失敗に関しては、魔王様の件を話せば失敗とはならないから、責任を問われる事は無いはず。

しかし、黒犬として生きて来た私が、片腕になって黒犬から外され……そこからどうやって生きて行けば良いのかなんて分からない。それならば、いっその事誰かに剣を捧げても良いかもしれない。」


「剣を…そこまでは言っていないが……」


「中途半端な覚悟で王族の方に接するわけにはいかん。やるならば、剣を捧げるくらいの覚悟を持ってだ。」


「ニルが誰の子供かも分かっていない現時点でか?」


「誰のご息女であるのかというのは関係無い。」


「そうか……だが、ニルは俺に全てを捧げると言ってくれている。そんなニルに対して、剣を捧げると言って大丈夫…なのか?」


「本来、剣を捧げるのは騎士が貴族や王族に対して行う事だ。ニル様がシンヤに全てを捧げるということ自体、本来は有り得ない事。

ただ、今はご自身の血に王族の血が流れているとご自覚なされたのだ。そこで剣を受けるかどうかは、私やシンヤではなく、ニル様自身が決められる事。」


「………………」


「大丈夫だ。断られたとしても、ニル様の味方であるという事は、ここで約束しよう。」


「……良いのか?」


「片腕の私でもニル様のお役に立てるのであれば、これ以上の喜びは無い。」


「俺から頼んでおいてだが……そこまでニルの事を信じてくれるのは何故だ?」


「私の腕を奪う程の強さだ。紋章眼だけではなく、ニル様の戦闘能力は私達の上を行く。その強さに敬意を示してだ。」


「魔族にとって強さが全て…か。」


「ただの強さではない。ニル様の強さは、あらゆる修練の賜物だと一目で分かる。

それに……」


「何だ?」


「いや。何でもない。」


何か強さ以外にも、ニルに対して思うところが有るみたいだが、言葉を濁すという事は、きっとプライベートな事なのだろう。

エフがニルに剣を捧げるとまで言ったのならば、それを聞く必要は無い。


ニルに対して、エフが申し訳ないと思っているタイミングでこの話をしたのは、狡い事だと分かっていて話をした。

これがニルの助けになるならば、狡い奴だと思われても良いと思っていたからだ。

しかし、どうやらそんな事は関係無く、エフはニルの味方になってくれるようだ。


「…本当に助かる。」


「私はニル様を見て決めたのだ。お前に礼を言われる筋合いは無い。」


「……そうか。それでも、ありがとう。」


「……ふん。そうと決まれば、事は早い方が良い。」


俺の言葉に、エフは顔を逸らし、ニルの方へと歩いて行く。

俺はその後ろを付いて行く。


「お二人で何を話していたのですか?」


俺とエフが話をしていたのを遠目に見ていたニルが、首を傾げて聞いてくる。


「ニル様。」


「様は止めて下さいとあれ程……」


ニルは、エフの言葉に反応しようとしたが、エフの表情を見て言葉を止める。


エフは、短剣を引き抜き、片膝を地面に落とし頭を下げる。


「な、何を?!」


「どうか、私の剣をお受け取り下さい。」


そう言って、エフは頭を下げたまま、短剣をニルに向けて差し出す。


「これは……」


ニルは、俺の方を見て、状況の把握をしようとしているが、混乱しているようだ。


「ニル。魔界では、エフの助力が有るか無いかで色々と大きく違ってくる。何をするにしても、エフの剣を受け取った方が良い。」


「……ご主人様……エフさん……」


突然、こんな事になって驚いているみたいだが、これでエフの剣を受け取れば、魔界での事が終わった後も安心だ。

その時、俺が生きていられるのかも分からないし、エフが居てくれるならば、俺も安心だ。


「…………………」


ニルは、少し動きを止め、エフの差し出した剣に視線を向ける。


「これは、ご主人様に言われての行動ですか?」


「いえ。私自身が、ニル様に忠誠を誓おうと考えての事です。

片腕となり、ろくに働けない私の剣ではありますが…」


「………そんな事を思ったりはしませんよ。」


ニルはゆっくりと差し出された剣へと手を伸ばす。


「ですが、私は、これを受け取れません。」


しかし、ニルは差し出された剣ではなく、エフの肩に手を置いて、目線の高さを同じにするように両膝を地面に落とす。


「っ?!」


「エフさんが本気である事は分かっています。そして、本当に嬉しく思います。

ですが、私が誰かの剣を受け取る事は絶対に有り得ません。

私はご主人様の奴隷のニル。そして、私は既にご主人様に全てを捧げています。

私の剣も、命も、全てです。」


「ニル?!」


「ご主人様。ご主人様の気持ちは分かっています。私を思っての事だということは理解しております。

ですが、これは私が決めた事です。」


「っ………」


そう言われてしまうと、俺には何も言えなくなる。


「エフさん。」


「…はい。」


「私は、ご主人様に全てを捧げました。それがエフさんの剣を受けられない直接的な理由とはなりませんが、間接的に、エフさんの剣を受けられない理由になる事は、分かって頂けますか?」


「……はい。」


ニルの言いたい事は、つまり、俺に全てを捧げた時点で、ニルという存在は、全てが俺のものだという事になる為、俺のものが勝手に誰かの剣を受ける事など出来ないという意味だ。

それでもニルに忠誠を誓いたいと言うのならば、ニルではなく、俺に剣を捧げるべきだと言いたいのだろう。


「そして、それは、もし私が王族の一人だったとしても同じ事です。私が何者であろうと、何者になったとしても、私はご主人様のものなのです。」


「………………」


正直なところ、こうなるのではないかと思っていた。


ニルは、常日頃から、自分は俺のものだと言っていた。そこには、色々な覚悟が含まれている事も知っていたし、エフが剣を捧げようとしても、そう簡単にはいかないかもしれないと思っていた。

だが、エフがニルに忠誠を誓うならば、これ以上心強い味方はいない。そう考えての事だった。


しかし、結果は、ニルがエフの剣を断るというものになってしまった。


これは……ニルにもエフにも、後から謝るべきだろう。

二人に申し訳ない気持ちになったタイミングで、ニルの口から言葉が続く。


「ですので……」


ニルは、そう言ってニコリとエフに笑い掛ける。


「…私とお友達になって下さい。」


「「………………」」


俺もエフも、一瞬キョトンとしてしまった。


だが、よくよく考えてみれば、ニルがそういう選択肢を取る可能性は高かった。


これまで、俺はニルには友と呼べる者達を沢山作って欲しいと思い、色々としてきた。

そして、実際にそういう者達が現れてくれて、ニルは、大切なものを育んできた。


王族の血を継いでいると聞いて、色々小難しく考えていたが…結局、ニルはニルなのだ。

これまでの事を糧に、ニルはニルとして成長してきた。そこには血筋など関係は無かったし、今もそれは変わらない。

ニルは、剣を捧げて欲しいのではなく、友が欲しいのだ。だから、こういう結果になって、寧ろ当然と言える。


「わ、私のような者がニル様の友達など!」


「嫌…でしたか?」


「そんな!!嫌という事は有りません!!恐れ多いという事です!」


「そういう事ならば、問題は有りませんね。私は恐れ多い存在ではありませんからね。」


「し、しかし……」


「お願いします。」


ニルは、エフに対して深々と頭を下げる。


「そ、そんな!私のような者に頭など!!」


「では、友達になって頂けますか?」


「恐れ多いですが…ニル様がそう望まれるのであれば、このエフ。ニル様の友として精一杯尽くさせて頂きたく思います!」


「友達は尽くすものではありませんが…よろしくお願いしますね。」


「はい!!」

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