第632話 七合目

「雨が降らないと良いですが…」


「山の天気は変わり易いからな…出来るだけ急いで登ろう。ただ、足場には気を付けて進むぞ。」


「はい!」


俺達が出発してから暫くの間、天気も何とか動かず、モンスターの襲撃も無く進む事が出来た。中腹までは、定期的にと言って良い程、周囲からモンスターが襲って来ていたのだが、山の中腹を越えたところで、それがプツリと途絶えた。


「モンスターの襲撃が無いな?」


「中腹から先は、この山で強いとされるモンスター達の縄張りに入る。数は少ないが、その分強く、他のモンスター達は縄張りに近付かないように生きている。だから、昨日の夜はモンスターの襲撃が少なかったんだ。そいつらの縄張りに近い場所に野営していたからな。」


「つまり、山の半分から上では、戦闘回数が減るって事か?」


「戦闘の回数だけで言えば減るだろうな。だが、その分戦闘の質が高くなる。相手にするモンスターが強くなるからな。と言っても、お前達があの程度の相手に手傷を負わされるとは思えないがな。」


「随分と信頼してくれているみたいだな。」


「私の腕を切り落としたのだ。強さに関しては心配などしていない。こんな所で手傷を負わされるような奴等に、私が負けるはずないからな。」


エフは、確かに俺達には負けたが、それはエフ自身が弱いからではない。彼女には、彼女がやって来た事への自負と、彼女自身が磨いて来た強さへの自信が有る。それは、俺達に負けた今でも同じだ。

負けて自分の強さに疑いを持っているかもしれない、それが戦闘に対して影響を及ぼすかもしれないと考えていたが、杞憂だったらしい。

負けたとしても、彼女がこれまでにやって来た事が全て消え去るわけではない。それが分かっているならば、彼女の刃に迷いが出る事も無いだろう。


「そこまで言われて怪我するわけにはいかないな。」


「ふふふ。そうですね。」


ニルも、エフが少し変わってから、機嫌の良い時が多くなった。


「それにしても……この辺りは崖が多いですね。」


「そうだな…」


傾斜が徐々にキツくなり始めてから、周囲の地形が大きく変わった。


小さな崖が無数に存在する地形で、中にはかなり大きな崖もチラホラ見え始めている。馬車を使わなければ簡単に乗り越えられるような崖でも、馬車で乗り越えようとするとそうはいかない為、道の選定が難しくなっている。

崖を逸れて進んだが、その先で八方塞がりになっていたり、別の大きな崖に当たったりするのだ。


全体像を見られる位置でも有れば楽なのだが、そんな場所は無いし山中で道を探しながら歩き回るしか方法は無い。まるで天然に出来た三次元的な迷路のようだ。間違った経路を通って進むと引き返す以外の方法が無くなってしまう。


「こういう時に、正しい道順を探すコツとかって有るのか?」


正しい道を探しながら、エフに質問を投げ掛ける。


「コツか…そうだな。簡単なところで言うと、獣道だろうな。

この地形を行き来している回数が最も多いのは、この山に住んでいるモンスターや小動物だ。そういった生き物達が通っている道というのは、基本的に先へ続いている事が多い。

勿論、中には巣に続いている道も有るし、行き止まりという可能性も有るが、目印くらいにはなる。」


「なるほど…獣道か………って、そういうのも分からないんだよな…」


「こういうのは慣れだからな。森の中で、何かが通った場所というのは、必ず痕跡が残る物だ。それを見分ける為には、そういう目を養う他に無い。

目立つ痕跡は見付けられているみたいだし、後は細かい痕跡も見逃さないように気を付け、それを線で結ぶんだ。それこそが獣道だ。」


「言葉では簡単だが…」


森の中を見て、枝が折れていたり、地面が抉れていたりすれば、俺だって何となく見分けられる。だが、小さな足跡だとか、木に付いた小さな傷だとか、そういうのを見付けるのは結構難しい。

この中に痕跡が有りますよー。とか言われれば見つけられるかもしれないが、当然そんな事はないし、一度自分達で歩いてしまえば、自分達の付けた痕跡も残る。そうなると、もうどれが探したい痕跡なのかはさっぱりだ。


「そう簡単に我々の技術を会得されては、我々の立つ瀬が無くなる。」


「それだけ簡単ではない技術…という事だよな。まあ、頑張ってみるとするか。」


エフに指導みたいなものを受けつつ、俺達は道を選定する。

そうして暫くの時間が過ぎ、そろそろ七合目に差し掛かる頃。


「待て。」


エフが俺とニルの動きを止める。


「モンスターか?」


「ああ。マウンテンキャットと呼ばれるモンスターだ。確か…Bランクのモンスターだったか。」


マウンテンキャットと呼ばれるモンスターは、崖の多い地形に好んで住み着くBランクのモンスターだ。

キャットとは名ばかりで、サイズは虎より一回り小さいといったデカさ。

灰色と黒色の毛が縞模様を作っており、尻尾が異様に長く、尻尾だけで三メートル近く有る。


Bランクのモンスターの中では、割と珍しいモンスターで、あまり出会う事が無いモンスターの一種だ。毛皮は高値で取引され、肉は食用に向かない。


「こういう地形で出会うと、結構面倒な相手だったな。」


「それこそがマウンテンキャットの狙いだ。奴は長い尻尾を巧みに使って、崖を素早く移動する。相手が地形に対応し切らない内に、一気に仕留めるのだ。」


「戦闘は避けられそうにないか?」


「ここから先に進む為には、この道を行くしかない。マウンテンキャットもこちらに気が付いているのに、道を譲るつもりが無いという事は、間違いなく戦闘になるだろう。」


「そうか…」


クエストを受けているわけでもないし、モンスターを狩りたいわけでもないから、出来る限り無駄な戦闘は避けたいのだが、避けられそうにないならばやるしかない。


「ご主人様。ここは私にお任せ下さい。これを試してみたいのです。」


そう言ってニルが示したのは、腕に装着している展開式のボウガン。


「食用には出来ないモンスターですし、毒矢を使ってみようかと。」


「分かった。ニルに任せよう。」


「ありがとうございます。」


いくら地形が悪いとは言っても、俺もニルも、単独でSランクのモンスターを討伐出来る力を持っているのだから、Bランクのモンスター相手に苦戦するという事はまず有り得ない。勿論、慢心しているわけではないし、危険は有るが、心配する必要は無いだろう。


どうするのかを決めた俺達は、道を進み、目的であるマウンテンキャットが見える位置に辿り着く。


マウンテンキャットは、俺達の進みたい唯一の道の上で、俺達の事を待っていた。見た目は色違いの虎そのもの。鋭い牙と爪を持っており、灰色の瞳が俺達の事を睨み付けている。


「マウンテンキャットは土魔法を使うモンスターだ。雑に遠距離武器を使って攻撃すると、土魔法で防がれるぞ。」


「はい。」


俺も紫鳳刀を抜いて構えているが、攻撃するつもりは無い。一応の保険だ。


「グルルルル……」


低い声で唸り、喉を鳴らすマウンテンキャット。腹が減って気が立っているのか、俺達を逃がす気など無さそうだ。


「来るぞ!」


エフの声が響くと同時に、マウンテンキャットが地面を蹴る。


「ギャアアァァァ!!」


独特の鳴き声を発して走り出したマウンテンキャットは、山肌側に有る崖を素早く移動する。

崖に見えてる突起や凹みに尻尾を引っ掛けて、上手く体勢を整えているらしく、崖を跳び回っているのに、まるで落ちる気配が無い。

こういう足場の悪い場所に特化したモンスターと言えるだろう。


「はっ!」


ビュッ!


ニルは、レッグホルスターから抜き取った投げナイフを、走ってくるマウンテンキャットに向けて投げ付ける。しかし…


キィン!


投げナイフは、マウンテンキャットに避けられてしまい、岩肌に当たり金属音を鳴らす。


だが、ニルはそれで倒そうという気は最初から無かったのらしく、投げナイフが外れた事に対して驚いてはいない。

距離もそこそこ有るし、マウンテンキャットは素早い為、投擲物などが当たり辛いモンスターだ。それが分かっているから、取り敢えず投げてみて、投擲物を当てられそうなのか確かめているのだろう。


ニルは、マウンテンキャットが投げナイフを避けるだろうと予想していたのか、既に二本目の投げナイフを抜き取っており、直ぐに二本目を投げる。


キィン!


二本目も外れだ。しかし、先程より際どい攻撃になっており、一投目で見えた誤差を修正したのが分かる。ただ、腕力だけで投げる投げナイフは、何度投げてもマウンテンキャットを捉える事は無さそうに見える。ニルの腕が悪いとかではなく、投げナイフを投げてからマウンテンキャットに届くまでの時間に、マウンテンキャットは確実にそれを避けられる動作を入れる事が出来てしまうからだ。それこそ、音速を超えるような投擲スピードで投げナイフを投げられるならばまだしも、ニルの腕力では、どうしても投擲から着弾までの時間を短くする事は出来ない。

それは、投げナイフを投げているニル自身も分かっているだろう。


その問題点を改善する方法は三つ。


一つ目は、道具などを用いて、投擲物のスピードを上げる。

例えば、スリングや、弓等、いくつか方法は有る。ニルが装着している展開式ボウガンもその一つだ。

しかし、ニルは、まだそれを使うつもりが無いらしく、矢弾を装填しただけで構えてすらいない。理由は簡単で、一度矢弾を放ってしまうと、再装填に時間が掛かるからだ。マウンテンキャットの足は速い。一度外し、再装填に入れば、確実にマウンテンキャットがニルに攻撃を放てる位置にまで近付いてくる。

ニルならば、盾と小太刀でどうとでも出来るだろうが、今回は展開式ボウガンで仕留めると決めているのだから、それでは意味が無い。


二つ目は、近付く。これも単純で、相手との距離を詰めてしまえば、その分着弾までの時間は短縮される。マウンテンキャットは、こちらを目掛けて走って来ているのだし、時間が経つにつれて投擲物は当たり易くなる。それに加えて、ニルから近付いてしまえば、更に投擲物の着弾時間は短くなり、当たり易くなって行く。

ただ……それでは、今までとあまり変わらない。

投げナイフを投げて、相手の動きをコントロールし、そこに小太刀で攻撃を仕掛ける。何度もニルと俺がやって来た事で、これは遠距離攻撃ではなく、あくまでも近距離攻撃だ。

今回は、遠距離武器を使った戦いが可能かという事も含めて、ニルは俺に証明しようとしている。故に、距離を詰めるという選択肢は取らない。


そうなると、三つ目。連続投擲。これだろう。

今までのように、投擲物を投げ、相手が避けた場所にもう一つの投擲物がタイミング良く飛来。これで、相手の動きが速くても、攻撃を当てる事が出来る。

問題は、相手の動きをどれだけ読み取れるかによって成功率が大きく変わってくるというところなのだが…ニルにその心配は必要無い。人間とは違うから、マウンテンキャットの心境を正確に読み取れるかは分からないが、少なくとも、どちらに避けるのかや、次にどちらへ移動するのかを読み取るのはニルにとって朝飯前だろう。


「はぁっ!」


ビュッ……ビュッ!


ニルは、マウンテンキャットに向けて、時間差で二本の投げナイフを投擲する。


一本目は、マウンテンキャットが走って来ている進行方向に向けてだ。

マウンテンキャットは、四足と尻尾に力を入れて、それを避ける動作に入る。

その瞬間のコンマ数秒前に投げられる投げナイフ。


マウンテンキャットも、それに気が付いたように見えたが、既に四足は崖から離れて、方向転換は出来ない。


投げナイフは、まるで吸い込まれているかのように、マウンテンキャットの首元を目掛けて飛んで行く。


ズガガ!!キィン!


これは当たる。そう思った時、マウンテンキャットの目の前に、石の柱が現れて、それが投げナイフを阻む。

ストーンピラー。初級の土魔法だ。俺が投擲するのとは違い、ニルの投擲物にはそれを破壊するような力は無く、虚しく金属音を響かせて、地面に落ちて行く。

これ以上無いという見事なタイミング。マウンテンキャットの魔法が僅かにでも遅れたならば、マウンテンキャットの首筋に投げナイフが突き刺さっていた事だろう。


「惜しい!」


「やはりボウガンを使わずに…というのは無理ですね……次で決めます!」


投げナイフだけで倒せるならばそれでも良いと考えていたみたいだが、Bランクモンスターの中でもスピード重視のモンスターともなると、流石にそこまで甘くはないようだ。


「グルルルル……」


石の柱に隠れていたマウンテンキャットが、唸りながらこちらの様子を伺っている。

こいつらは、ただの餌ではない…とでも思っているのだろうか?

だとしても、残念ながらもう遅い。

ニルが次で決めると言ったのだから、マウンテンキャットが逃げ出そうとしても、ニルの攻撃から逃れる事は出来ない。


「ギャアアァァ!!」


マウンテンキャットは、逃げようとはせずに向かって来る。腹を決めたようだ。


「はっ!」

ビュッ!


ニルは一本の投げナイフを投擲。


ズガガ!


マウンテンキャットの目の前にストーンピラーが現れる。


「はっ!」

ビュッ!


キィン!


ストーンピラーが一本目のナイフを弾く。


マウンテンキャットも、知能を持っているモンスターだ。二本目をストーンピラーで弾くのではなく、一本目を弾いてしまえば、二本目を見て避けられると考えたのだろう。

実際、ニルの投げた二本目の投げナイフは、向かってストーンピラーの右側に投げられたが、マウンテンキャットは左側から体を出して近寄って来ようとする。

二本目の動きを見て、安全な方から飛び出したのだ。


しかし、そこは死地だ。ニルの誘導にまんまと引っ掛っている。


バシュッ!ドスッ!

「ギャッ!」


投げナイフとは比較にならない程のスピードで飛翔するボウガンの金属矢。

当然ながら、マウンテンキャットはそれを避ける事など出来ず、左の肩口に深々と矢が刺さる。


ドサッ!


矢が刺さり、数秒後。マウンテンキャットはその場に倒れてピクリとも動かなくなる。アイトヴァラスの猛毒を希釈した毒だ。たった数秒でマウンテンキャットの命を奪ってしまった。


「流石はニルだな。」


マウンテンキャットと俺達の間には、まだ十メートル近い距離が有る。余裕の勝利だ。


「ありがとうございます。」


ニルは当然の事ですと言うように、涼しい顔をしているが、俺には分かる。口角が僅かに上がっている。喜びたいのを我慢している時のニルだ。


無言でニルの頭をポンポンと撫でてやると、我慢出来なかったのか、擽ったそうに笑う。

その姿をエフがジーッと見ている様子だったが、俺がそれに気が付いた事に気付き、視線を逸らす。

やはり、エフはニルに対して、何か思うところが有るように見える。あれから、ニルについての話をしていないが、そろそろもう一度聞いてみても良いかもしれない。今夜辺りに聞いてみよう。


「エフ。周囲に他のモンスターは?」


「居ない。ここに住んでいるモンスターは、それぞれにしっかりとした縄張りが有る。同時に何体も相手をする場合でも、雄、雌の二体が最大だ。」


「なるほど…分かった。それならば、暫くは安全だな。」


「今のところはな。ただ、この縄張りの主が死んだとなれば、この縄張りを狙う別のモンスターが来る可能性が有る。それだけは気を付けなければならないだろう。と言っても、この個体が死んだと確信するまでは、そう簡単に入っては来ないだろうがな。」


「分かった。」


ポツ……ポツ……


そろそろ山登りを再開しようとしていると、上空から水滴が落ちて来る。


「遂に降り始めたか…」


「一度合流しますか?」


「そうだな。そろそろ七合目だから、馬車も収納しないといけないしな。」


「それなら、近くに横穴が在ったはずだ。そこを使うと良いだろう。」


「それは良さそうだ。案内してくれ。」


「分かった。」


エフの案内に従って、俺達は少し上へ向かって進む。エフの言った通り、崖の一部に横穴。動物やモンスターの居たような形跡は無く、安全そうだ。

横穴の奥行きはそれ程無く、大体七、八メートル程。高さは三メートルといったところだ。冒険者辺りが、臨時で雨を凌ぐ為に作った横穴という感じで、丁度馬車を入れられるサイズである。


少しそこで待っていると…


パカッ…パカッ…


森の中から馬の歩く音が聞こえてくる。 これでスラたん達とも合流だ。


「降ってきちゃったねー!」


馬車を横穴に入れると、スラたんが馬車から下りて来て眉を寄せながら言う。


「しかもこれ、多分もっと降るわよ。」


全員が下りてきて、外を見ると、先程よりずっと強く雨が降っている。それでも本降りではないらしい。


「………このまま進むのは流石に危険だ。降り止むまではここに居た方が良いだろう。」


ここに留まる事を提案したのは、意外にもエフだった。


エフの事だから、このままカッパでも着て一気に頂上まで行くべきだとか言いそうだと思っていたのだが…


「珍しいわね。」


「この量の雨が降ると、視界も悪いし、足が滑るという話ですらなくなる。当然、戦闘も辛くなる。それならば、この横穴に居れば出入口だけを守れば良いだけだし、一晩明かしてからの方が結果的に早いはず。そう考えただけだ。」


「ふーん……」


「何だ。文句でも有るのか?」


「別に無いわ。」


また喧嘩になるかと思いきや、それで二人の話は終わった。

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