第631話 入浴剤

チャプッ…


入浴剤を入れて白濁した湯の中に手を入れ、暫く待つ。


「傷薬の効能は変わっていないとなると、湯に入ってから暫くしないと治らないよな?」


「そうだね。ただ、傷口に傷薬が入り込むから、水分を拭き取っても薬効は残るはずだよ。」


「直ぐに傷が治るという事ではないとしても、これは良いな。」


「後は人の肌に対してアレルギー反応とかが出ないかを見たいんだよね。一応、自分で試して問題は無かったから大丈夫だとは思うけど、アレルギー反応は人によって全然違うからね。まあ、取り敢えず色々と成分を変化させつつ、皆が大丈夫な成分割合を見付けて作ろうかと思っていてね。」


「製品化するのか?」


「うーん。どうだろう。どっちでも良いかな。モンスターの素材を売っていれば、お金に困る事は無いだろうし…」


「だが、もし医者になるなら、考えておいても良いんじゃないか?」


「あーそっか。確かにそうだね。医者を目指すとなると、モンスターを追っ掛けている暇なんて無いだろうし…でも、僕が考えたわけでもないのに、それでお金を取るっていうのはどうにも…」


「いや。それを言い始めたら、俺なんてどうなるんだよ。」


既に俺は、色々とヒュリナさんに頼んで金稼ぎしてしまっているし…いや、額的に金稼ぎというより荒稼ぎかも…


「ま、まあそうなんだけど……医薬品とか美容品って、言い方悪いけどかなり儲かるからね。何か、申し訳ないと言うか何と言うか…」


「……まあ、そういうのは良いんじゃないか?」


「え?」


「スラたんは、目の前で沢山の人達が苦しんでいるのを見て、その人達が少しでも救われるのならば、迷わず誰かのアイデアで作り出した物でも使うだろう?」


「それは勿論、躊躇わず使うよ。そんな事を言い始めたら、元の世界で使われていた物は、全て僕が考えた物じゃないからね…」


「もしその時、本当は作れるのに、そうやって迷った結果、世に出さなかった事で苦しんでいる人達を救えなかったとしたら、スラたんはどう思う?」


「うっ……後悔する…かな…」


「そう考えたら、そのアイデアで作った物を世に出す事を躊躇ったりしないはずだぞ?」


「そ、それはそうかもしれないけどさ…」


「それで金を貰うのは気が引けるか?」


「うん…」


「金を受け取ろうが受け取らなかろうがアイデアを世に出した時点で、あまり変わらないと思うがな。」


「言葉の上ではそうだけど、気持ち的にね…」


「中には、発明した人なんて元の世界ではとっくに亡くなっているなんて事も多いだろう。そんな事を考えていたらキリがないと思うがな……スラたんは真面目過ぎる。」


「あははー…」


「真面目過ぎるが…そこがスラたんの良い所でも有るか……だったら、それで儲けた金を、人助けに使うとか、使い方は色々有るだろう。その手間賃として、いくらか貰うって考えれば良いんじゃないか?」


「な、なるほど…そういう考え方も有るのか…」


「あ!シンヤさん?!うちのスラタンに何か吹き込んでるでしょ?!」


俺とスラたんがそんな話をしていると、ハイネが横から入って来る。


「う、うちのスラタンって…」


スラたんは変なところに引っ掛かりを覚えているみたいだ。


「何故俺が悪い事を吹き込んでるような言い方をするんだよ。」


「シンヤさんは突拍子も無い事をする典型なんだから。スラタンがそういう事をしたらどうするのよ?」


「酷い言われようだな。おい。俺を何だと思っているんだ?」


「………………」


「何も言わないのは逆に辛いよ?!」


「ふふふ。冗談よ冗談。」


「えげつない冗談だぜ…」


「それより、それは何しているの?」


ハイネのイジりを乗り越えると、俺が手を浸している白濁したお湯に興味を示すハイネ。

スラたんとの話は流れてしまったが、結局はスラたんがどうするかが全てだ。世に出すというのならば、ヒュリナさんに迷惑を掛ける事になるが手伝う事は出来るし、そうなった時にまた話を聞こう。


ハイネの質問には、スラたんが答えて、入浴剤について説明する。


「これを入れて入浴するだけで……凄いわね!?しかも、お肌が綺麗になるなんて、夢のような物ね!?」


「ただ、使っている薬品に対して、肌の弱い人とか、特別にアレルギー反応…拒絶反応みたいなものを起こしてしまう人も居るから、まずはシンヤ君に試してもらって、大丈夫そうなら皆にも試してもらうつもりだったんだ。」


「それで上手く使えそうなら、実際に入浴時に使ってみようという事ね。」


「そういう事。と言っても、そんなに大量の薬品を投入しているわけではないし、拒絶反応が出たとしても、皮膚が軽く荒れるとか、痒く感じるとか、その程度のものだと思うけどね。」


「肌を綺麗にする成分で肌が荒れてしまうの?」


「簡単に言ってしまうとそうなるね。実際はそこまで単純な事ではないんだけど、合わない人には合わないって事かな。」


「私達に合うか合わないかを確かめるのね。シンヤさんはどうだったのかしら?」


「そう言えば、丁度そろそろ時間だね。」


スラたんの言葉を聞いて、俺は湯の中から手を引き抜く。


「肌は荒れていないし、痒みも痛みも無いな。」


「違和感みたいな感覚は有る?」


「いや。強いて言うなら軽くポカポカするような感じが有るが、心地よいという印象だな。」


「それなら、シンヤ君も大丈夫だね。」


「そうなれば、私が試してみても良いのよね?ここに手を浸しておけば良いかしら?」


「や、やる事が早いね。」


「色々と聞いた後で我慢しろって言うのは、無理な話よ。それに、おばさんが試すだけなら、そう神経質になる必要も無いわ。」


「いやいや!ハイネさんはおばさんとは言えないよ?!肌なんて凄く綺麗だし、どう見てもお姉さんだよ!」


「あら。嬉しい事言ってくれるわね。そんな事言われちゃうと気分が浮ついちゃうわ。ふふふ。」


スラたんに褒められて、嬉しそうに片手を頬に当てて笑うハイネ。


吸血鬼族というのは、血液やマジックローズが摂取出来れば、かなり長く生きられる種族だ。しかし、長寿であっても、外見が常に一緒というわけではない。見た目に歳が表れ難い種族ではあるかもしれないけれど、全く出ないわけではない。

それはエルフ族等の長寿である種族と変わらず、歳の差による外見の変化は吸血鬼族にも現れる。


まず、体がある程度大きくなるまでの間は、産まれてから徐々に変化していく。普通の人族と同じような成長速度であり、大差はほぼ無いと言える。しかし、その体には顕著な変化が訪れる。体が十五歳から十八歳くらいの時だ。その辺りで体の成長がゆっくりになるらしい。しかし、極端に遅くなるのではなく、人族の成長速度よりも遅くなるという感じだ。そして、体がゆっくりと成長し、成人の体に至ると、そこで体の変化が更に著しくゆっくりとなり、外から見ると体の変化が止まったようにさえ見える。だが、止まったわけではなく、実際には徐々に年老いて行くとの事。

ハイネとピルテを見比べた時、どちらが母でどちらが娘かと聞かれ、ピルテが母親だと答える人はまず居ないだろう。ハイネが姉でなく母だという事に驚く事はあっても、ピルテの方が歳上に見えるのに…という驚き方はまず無い。内面的な、所謂精神年齢も有るし、それが外見に及ぼしている影響も勿論有るとは思うが、それを抜きに考えても、ハイネが歳上だと思うだろう。

それは、ハイネの方が体の年齢が上だからだ。


それ故に、ハイネの言うように、おばさんとまでは言わないが、ピルテと比較すると幼さの無い外見で、肌なんかも若干質感が異なる…らしい。男の俺から見ると大差は無いように見えるが、ハイネ的には全然違うらしい。

という事もあって、スラたんの言葉に対して、ハイネは本気で嬉しいと思っているのだ。


「でも、ピルテと比べちゃうと、モチモチ感というのか、しっとり感というのか…そういうのが足りないのよねー。別に誰に見せるというわけでもないのだし、気にする必要なんて無いと言われてしまうとその通りなのだけれど…女として産まれたからには、綺麗で居たいと思うのが普通よね。」


元の世界でも聞いた事の有るようなフレーズだ。永遠の美とかそういう感じのやつだ。こういうのは、世界や種族が変わっても、あまり変わらないのだろう。きっと、本能的な、遺伝子的なレベルの話なのだろう。


「綺麗になって何か意味が有るのか?」


俺の想像を一瞬で打ち砕いたのは、エフの声だ。


「はぁぁ……」


それに対して、ハイネがわざとらしく、深くため息を吐く。表情は読み取り辛いが、ムッとしたエフの感情が伝わって来る。


「これだから犬は。」


「なんだと…蝙蝠如きが。」


「女は綺麗になる事で、心も満たされるものなのよ。それを知らないなんて、人生の半分は損しているわね。」


「綺麗になったからって強くはなれないだろう。そんなものは必要無い。」


「あーやだやだ。これだから犬は。」


「なんだと?!」


「まあまあ。」


顔を合わせると、とにかく喧嘩するんだな…

犬と蝙蝠というのは、互いを馬鹿にする時に使う言葉だろうか。

それにしても犬と蝙蝠とは……黒犬という存在は知っていても、ダークエルフという事は知らなかったから、黒犬から取って犬となったのだろう。


「黒犬の連中は伴侶が居ないって話は本当だったのね。」


「弱点を作らないのは当然の事だ。」


後から聞いた話では、黒犬に選ばれた者達は、基本的に伴侶を持たないらしい。相手にそれがバレてしまうと、それを利用されてしまう可能性が有るからだということみたいだ。

中には、黒犬になった後に、伴侶を得ようとする者達も居るらしいが、そういう者は黒犬として生きるか、黒犬を出て結婚するかの二択を迫られるらしい。それ程に徹底された部隊という事だろう。


「はいはーい。そこまで。」


スラたんが無理矢理二人の間に割って入る。


「顔を合わせる度に口喧嘩して疲れないのかな?」


「こいつが!」

「この女が!」


犬猿の仲……いや、二人の言葉を借りるならば、犬蝙蝠の仲だ。


「何が大切かは人によって違うんだから、そんな言い方は良くないよ?」


「うっ……」


ハイネにスラたんが言うと、ハイネは声を詰まらせる。


「エフさんもだよ。」


「うっ……」


エフも言葉を詰まらせる。

しかし、二人は互いを睨み合って、お前のせいだと目が言っている。


「……ハイネさんもエフさんも……種族間に有るいざこざがどういった物かは分からないけど、そうやって顔を合わせる度に喧嘩ばかりしていたら、ここに居る皆の空気が重くなっちゃうでしょ。」


珍しく、ハイネがスラたんに叱られるという絵面だ。

いつもは余裕も有って、母性溢れるハイネだが、黒犬が相手となると、突然変わってしまう。それくらいに、二種族間の溝は深いのだろう。

そういう問題というのは、内容を把握出来ない俺達部外者には、口を出し辛い話なのだが…スラたんはそれを許さない。


「二人は、何で互いの事を知ろうとしないのさ。」


「こんな奴の事を知っても不快なだけだ。」


「それはこっちのセリフよ。」


「そうやって言い争うのも時には必要かもしれないけど、まずは互いの事を知って、認める努力をしないと、喧嘩がただの喧嘩で終わってしまうよ。

同じ種族の中でも、合う人合わない人が居るのに、違う種族ならもっと分からないのが当然なのに、何で知ろうとしないのさ。」


うーん……意外と、今のスラたんの言葉は、真理かもしれない。


差別とか、イジメとか……スラたんの言った事を素直に受け止めて、それでは良くないと素直に直せる人達ばかりならば、この世に差別やイジメの類は無くなるのではないだろうか。


差別やイジメというのは、やっている方が圧倒的に悪いと思う。結局、誰かを下にして優越感に浸りたいという自慰行為に近いとさえ思う。昔の事も有って言葉が汚くなってしまっているかもしれないが、加害者側を擁護するつもりは無い。

ただ……される側というのも、何かしらの改善点が有るのではないだろうかとも思う。


差別されて、イジメられて、何て自分は可哀想な人間なんだ、何で自分だけが…と思っている間は、多分、そういうものから抜け出せない。


何故差別されるのか、イジメられるのか。それを考えた時、そうされない人達との違いは何だろうかと考えて、それを改善するという事も必要なのかもしれない。


実際にイジメを受けていた時に、そんな事を考えられたかと聞かれると、無理だったとは思う。

その時は、ただただ憂鬱だったし、怖かった。自分の改善点よりも、その辛さをどうすれば良いのか

どう逃げれば良いのか、そういう事にばかり頭が回っていたから。


だけど、こうして色々と経験して来て、今考えると、別にその場所に拘る必要なんて無かったのだ。

加害者が気に食わないと思っている部分だと思える所を改善したり、そういう努力をしても上手くいかなかったり、理由も無く攻撃される事だって有る。そういう場合は、そんな場所から離れて別の場所に行ってしまえば良いだけの事だ。

俺の場合は、色々と事情が有ってそれも出来なかったわけだが、それでも、選択肢は他にも有ったはずだ。あの場所に拘る必要なんて無かった…と俺は思う。


なんて、何故か熱くなって考えてしまっているが、要するに、スラたんの言っている事は正しくて、それに対して、二人は何を言っても言い訳にしかならない事を理解している為、黙っている。


「分かり合う為にも、まずは二人で同じ事をしよう。という事で、エフさんにも手伝ってもらうとしようかな。」


「手伝うって……これをか?」


エフは白濁したお湯に手を浸しているのを指差す。


「うん。そうだけど、何か文句が有るのかな?」


「い、いや…無い。」


スラたんの圧に負けてエフは何も言えない様子だ。


「ここに手を入れて、数分間待って欲しいんだ。痛かったりヒリヒリしたり痒くなったりしたら言って欲しい。」


「わ、分かった…」


結局、スラたんの言う事をしっかりと聞くエフ。基本は真面目なのかもしれない。


数分後…


「私の方は大丈夫ね。というか…何か温かい気がするわ。」


「私の方も異常は無い。」


「それは良かったよ。一応、水分を拭き取ってから数分間は様子を見てみるけど、それで何も無かったらニルさん達にも試してもらって…」


「何をでしょうか?」


スラたんの話が聞こえたのか、解体が一段落したらしいニル達が俺達の方へ合流する。


「今、ちょっとした確認をしていてね。」


「確認ですか?」


ニル達にも同じように入浴剤の話をするスラたん。


「それならば、待たなくても今から私達が試した方が早く結果が出ますね。」


「はは。」


「??」


俺が笑うと、ニルは何か面白い事を言ったのかと首を傾げる。


「スラたんは、まずは俺に試してから、女性陣に移りたかったみたいでな。何か有るといけないしと言ってな。

それが、話をしたらハイネ達もニル達も直ぐにという話になってしまったからな。」


「そ、そうだったのですか?!申し訳ございません!」


「ははは。いや、良いよ。結局皆に試して欲しいってだけの事だからさ。ニルさん達が大丈夫って言うなら、早速試してもらおうかな。」


「はい!」


結局、俺達の結果を待たずにニル達も参加。

最終的には安全という事が確認された。


「でも、こんな場所ではお風呂というわけにもいかないですよね?」


「まあそうだね。モンスター達も居るし、こんな所で無防備にお風呂って言うのは流石に…」


「どうせ風魔法で直ぐに乾かせるんだから、掛け湯みたいにして、服の上からザバーっとやれば良いんじゃないのか?」


「シンヤ君は情緒ってものが分かっていないね。お風呂はお風呂だから良いんだよ。」


「そ、そういうものか?」


スラたんの言葉に、女性陣はしっかりと頷いている。


「それに、入浴剤は薬効がかなり薄いからね。しっかりとお湯に浸からないと、そこまでの効果は得られないよ。」


「それもそうか…どこか安全な場所でも見付かれば良いが…」


「また街に寄る予定ですし、その時までのお楽しみという事にしておきましょう。」


「そうだね。ただ、テトラさんは手足だけでも入浴剤入りのお湯に入れようか。」


「わ、私だけ…ですか?」


「治療の一つとして使う為に作ったからね。」


「わ、分かりました。」


簡易的な足湯みたいな感じで、手足の細かな傷を一気に治してしまおうというつもりらしい。

風呂は流石に持っていないが、手足を入れられるサイズの木製容器くらいはインベントリに入っている為、それを使って足湯をしてもらう事にする。


結果的に、この入浴剤のお陰で、翌日、テトラの手足からは完全に傷が消えて綺麗なものだった。


「さてと……今日は頂上まで向かうぞ。」


「はい。」


「最初は俺とニル、エフで先行偵察だ。昼までに、エフが言ってた急勾配になる七合目まで進みたいな。」


「そうですね……」


俺の言葉に、ニルは少し顔を上げて空を見る。


残念な事に、今日の天気は曇天どんてん

今のところ、雨は降っていないが、いつ降って来てもおかしくはない天気だ。

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