第627話 回復

山岳地帯に入って直ぐ、まだモンスターの気配が少ない場所で、俺達は野営する事に。


平原から山岳地帯へと移る境目のような場所なので、モンスターはあまり出没せず、視界もそれなりに良好。

残念ながら天気は悪く、シトシトと雨が降っているものの、俺の方はそれ程悪い気分ではない。


元の世界だと、雨と言われた時、嫌だなー…と思う人が多いと思う。俺も仕事をしている時は、雨があまり好きな方ではなかった。だが、こちらの世界に来てからは、意外と雨もそこまで悪くないと思っている。


空高くから降って来る雨が、地面に当たってポツポツと音を立て、それが一つにまとまって小さな流れとなり低い方へと移動して行く。木々が有れば、葉に当たる雨音と、そこから落ちて来る大粒の水滴。テントに当たる雨の音も悪くない。


これは俺が思っているだけかもしれないが、きっと、元の世界に居た時は、何にしても忙し過ぎたのだ。分刻みで動くスケジュールの上で生き、次々とその上から被さるスケジュール。一分一秒が貴重な生活では、雨のように行動を制限されるような環境は鬱陶しいとしか思えなかった。

それが、こちらの世界に来てからは、忙しいと言えば忙しいのかもしれないが、こうして野営をしている間はゆっくりした時間が流れる。

それが精神的な余裕に繋がって、雨をも楽しめるようになったのだと思っている。


残念な事に、雪だけは、両親との事を思い出してしまう為、好きにはなれないが、それ以外の環境の変化というのは、割と楽しんでいたりする。


いつもは自分達のテントを張って終わりだが、雨の時は円形になるように設置したテントに加えて、全員が入れるような大きな布地を、テントで囲われた中心部を覆うように張る。

その下で焚き火をして暖を取りつつ、夕食の準備。毎日がキャンプ生活みたいなものだ。


「ご主人様。どうぞ。」


ニルが淹れてくれた紅茶を受け取ると、雨で冷めた手がじんわりと温められていく。


「ありがとう。」


「いえ。雨はまだまだ続きそうですね。」


魔法で作り出した木製の椅子モドキに腰掛けて、雨を見ていると、ニルが同じように外を覗き込んで言ってくる。


「そうだな…激しくはないが、シトシトと長く降りそうな天気だな。」


「鬱陶しいですか?」


「いや。意外と楽しんでいるから大丈夫だ。それより、テトラの方はどうだ?」


「街を出る前に一度目を覚ましてから、何度か目を覚ましていますが、あまり長く起きていられないのか、また直ぐに眠りに落ちてしまいますね。」


「そうか…栄養状態が良くないから、熱で体力を消耗して、長く起きていられないかもしれないとスラたんが言っていたが、その通りになっているって感じか。」


「はい。ただ、熱は順調に下がっていまして、今は微熱という感じですね。雨が降って寒くなりそうだったので、何枚か布を掛けて、暖かくしてあります。」


「そうか。熱が下がれば、しっかりと目を覚ますだろうって話だから、そろそろ目を覚ますかもしれないな。」


「起き抜けに、いきなりお粥というのも何ですので、白湯さゆを飲ませて、食べれそうならばお粥を作ろうかと思っているのですが、大丈夫でしょうか?」


白湯か…こういうところは女性の方が気が利くと言うが、そういう発想は俺には無かったし、やはり真実らしい。


「ああ。その方がテトラも嬉しいだろう。そうしてやってくれ。」


「はい。」


現在は、テトラをテントに移して、その中にハイネとピルテが居る状況だ。

スラたんは周囲にスライムを展開させていて、エフは相変わらず端で一人静かにしている。エフは、もう少しコミュニケーションを取ってくれても良さそうなものだが…ハイネとは犬猿の仲というのか、何かにつけて言い争いそうになる。それを避けて、必要最低限のコミュニケーションに留めているという事だろう。

ハイネとしても、黒犬に対して恨みも持っているし、少し辛く当たっている感が有る。一応、手を組むと決めてからは、なるべくそういう態度を取らないようにしているみたいだが、ちょっとした事でいがみ合ったりしてしまう。


何故そんな事になっているのかという事については、理由が別にも有るらしく、それをピルテが教えてくれた。


簡単に言ってしまうと、吸血鬼族と黒犬というのは、どちらも裏方の仕事を得意とする種族である為、言わばライバル関係に有る種族なのだ。

吸血鬼族は、表の裏方。黒犬は、裏の裏方。という感じらしい。

どちらの種族も高い能力を持っていて、魔族としてはどちらの力も重要視しているだろう。しかし、本人達としては、アイツらにだけは負けられない!という感じらしく、昔から、互いに張り合っているらしい。

魔王に頼まれて黒犬が成果を出せば、次は吸血鬼族が成果を出し、その次は黒犬が…みたいな感じだ。


似たような事を得意としている種族同士である為、吸血鬼族と黒犬が同じ任務に当たる事は殆ど無かったみたいだが、そんなライバル関係に有る二つの種族は、出会えば水と油のように相容れないらしい。

勿論、ピルテもそういうライバル関係の相手に対して、張り合おうとする気持ちは有るみたいだが、ピルテ達の年代よりも、ハイネ達の年代の方が、その感情はずっと強いとの事。まあ、その辺は色々と有るみたいだ。


ただ、ライバル関係というだけで、多少罵り合ったりはするが、本気で剣を交えるような事は無い為、俺達も適当なところで割って入れば良いかと思っている。

当の本人達としては、いけ好かない奴だと互いに思っているかもしれないが…まあ、それも敵が現れるまでの事だろう。

ハイネもエフも、互いにそういう事のプロだ。故に張り合ってしまっているのだが、いざ有事となれば、的確に動いてくれるに違いない。


「よっと。」


そうしていると、スラたんがスライム達を配置して戻って来る。


「スライム達を配置するのに、細かな地形は自分で見ないといけないから、こういう時は結構面倒だね。」


雨を浴びて濡れた外套を脱いで、水を払うスラたん。

因みに、外套はリペレントフィッシュの持っている撥水性の粘液を塗って乾かした雨具。カッパだ。出ている手足は多少濡れてしまっているみたいだが、それ以外は濡れていない。


「スライム達を通して、細かな部分も分かるようになると良いのにな?」


「うーん…どうだろう。練習してどうにかなるなら、いくらでも練習するけど…」


「難しそうか?」


「練習はしてみるけど、色々と別の事を試した方が早いかもしれないね。まあ、それは僕とピュアたんの方で色々とやってみるよ。」


外套を置いて、焚き火の横に座り、手を火に向けるスラたん。


「スラタン様。こちらをどうぞ。」


すかさずニルが温かい紅茶をスラたんに手渡す。


「ありがとう!んー!良い香りだね!いただきまーす!」


スラたんは、何にしても反応が明るくて良い。雨の降る夜でも、周囲がパッと明るくなる。


「あったまるー!最高!」


「ふふふ。ありがとうございます。」


スラたんが紅茶を啜って親指を立てると、ニルは笑って答える。


「周囲の地形はどうだった?」


スラたんが一息ついたところで、話を振る。


「まさに山岳地帯だね。一応道は有るみたいだけど、当然舗装なんかされていないし、馬車だと結構大変かも。ただ、通れないって事はなさそうだから、慎重に進めば大丈夫そうかな。まあ、僕がスライム達を通して見られたのはこの周辺だけだから、奥まで入ってどうなのかは分からないけどね。」


「行商人とかはこの道を使って行き来しているみたいだし、通れないって事はないはずだ。」


「ですが、事故の多い場所とも聞いております。」


「そうだな。モンスターも出るし、勢い余って滑落かつらくって事にならないように気を付けないとな。

明るい時に見えた風景からすると、斜面もそこそこ急に見えたからな。」


「雨が振り続けるようなら、地盤が緩んで土砂崩れとかも起きるかもしれないね。」


「そういうのに巻き込まれるのは、もう二度と御免だな…」


「いやいや。巻き込まれた事が有るの?その方が驚きだけど?」


雪崩なだれに、洞窟での崩落。どっちも生きた心地がしなかったぜ…」


「よ…よく生き残れたね…」


「俺も自分でそう思うよ。」


「あの恐怖は、二度と感じたくありませんね。」


ニルもその時の事を思い出しているようで、青い顔をしている。


「聞いた話では、モンスターはBランクが中心で、たまにAランクのモンスターも出没するみたいだから、そっちにも気を付けないとね。」


山岳地帯を抜けるとなると、足場はかなり悪いだろうから、出来る限りモンスターとの戦闘は避けたいところだ。


山岳地帯を抜けるまでには、大体四日程必要らしい。行商人達も、この山岳地帯を抜ける際には、必ず護衛の冒険者を付けると聞いているし、それくらい危険な場所という事だ。


そんな場所を行商人が行ったり来たりしているなんて…と思うかもしれないが、迂回路は存在する。ずっと西に向かうと、山岳地帯を迂回して、比較的安全な道を通る事が出来るらしい。ただ、山岳地帯を抜ければ四日のところ、迂回すると三週間程必要らしく、かなりのタイムロスとなる。

行商人の場合、時間が掛かっても安全を優先させるのは当然の事である為、山岳地帯を抜ける者はそこまで多くはないとの事。ただ、運ぶ品物や、条件次第では、山岳地帯を抜けなければならないという事も有り、それなりに人が通るらしい。

実際に、俺達がこの場所に辿り着く前に、冒険者を連れた行商人が、山岳地帯を抜けて来た。

その行商人に色々と話を聞けた為、詳しい事を知れたわけだ。


「この面子なら、Aランクモンスターなんて敵じゃないだろうが、場所が場所だし、いつもより油断禁物を意識して進むべきだろうな。」


「うん。僕も足場が悪いと走り回れないから、気を付けないと。」


「スラタン!テトラが目を覚ましたわ!」


突然だったが、テトラの居るテントの中からハイネの声が聞こえて来る。


俺達は急いでテトラの元に向かう。


テントの入口を開くと、ピルテに支えられて体を起こしているテトラ。


「目が覚めたみたいだね。調子はどうかな?」


「はい。少しボーッとしますが、随分と楽になりました。本当に……本当にありがとうございます。」


痛む体で、頭を下げようとするテトラ。


「お礼はこの二人に言ってあげて。僕は出来る事をしただけだからね。」


「ハイネさん。ピルテさん。本当にありがとうございます。」


「良いのよ。」


「今はとにかく元気になる事だけ考えて下さい。」


ハイネもピルテも、テトラの言葉に笑顔で返す。


「少し状態を確認しても良いかな?」


「はい。」


「それじゃあ、僕の指を目で追ってみて。」


スラたんが人差し指をテトラの前に出して上下左右に動かすと、それをテトラの目が追う。


「うん。良いね。次は…これは感じるかな?」


スラたんがテトラの手足を触って触覚を確認する。


「はい。大丈夫です。」


「良さそうだね。熱は随分と落ち着いたみたいだし、ボーッとするのは、長く寝ていたからだと思う。だから、暫く起きていればそれも治るよ。意識もしっかりしているし、もう大丈夫だね。」


「あ…あの……」


「ん??」


スラたんが診察を終えて大丈夫な事を確認すると、テトラが眉を軽く寄せて何かを言いたそうにしている。


「私…その…お金は全然持っていなくて…」


「そんなのは気にしなくて……いや、そうだね。それじゃあ、元気になったら、色々と手伝ってもらおうかな。僕達は、このまま北に向かって行くつもりなんだけど、その間にモンスターを討伐したりすると思う。その時に、解体とか、料理とか、色々とやらなければならない事が出て来ると思う。動けるようになったら、そういう事を手伝って欲しい。それをお代として受け取るよ。」


スラたんに色々と聞いたが、テトラはとにかく栄養素が足りていない状態らしい。

それ故に、全身の筋肉量も人並み以下で、かなり痩せている。それを改善する為には、よく食べてよく動く事が必要となる。あれこれ言っているが、テトラのリハビリの為という事だ。結局、お金なんて受け取る気は最初から無い。その上で、仕事として体を動かす事をテトラに任せ、申し訳ないという気持ちを少しでも軽減させようとしているのだろう。


「はい!勿論です!」


テトラも、スラたんの言葉に対して、やる気を見せてくれている。


「その辺の事は、ハイネさんとピルテさんに聞くと色々と詳しく教えてくれるよ。」


「ふふふ。元気になったらビシバシ行くから覚悟しておくのよ?」


「は、はい!」


「ですが、まずは早く回復する事に集中して下さい。回復しない事には何も出来ませんからね。」


「分かりました!」


どうやら、テトラの事は、ハイネもピルテも、もう恨んではいないように見える。どこかでは、痼が残っているのかもしれないが、それを見せないだけの関係性にはなっているようだ。


「テトラさん。喉が乾いているでしょうから、白湯をどうぞ。」


いつの間に用意したのか、ニルが白湯を持って来る。


「あ、ありがとうございます。」


「何か食べられそうですか?あ、無理はしないで下さいね。食べられないのであれば、無理に食べる必要はありませんからね。」


「ありがとうございます…少しだけなら。」


「分かりました。用意してきますね。」


うーむ……俺とスラたんの出る幕は無さそうだ。


「起きて直ぐだし、説明はもう少し後でするよ。後の事はハイネさん達に任せても大丈夫かな?」


「ええ。着替えもしたいだろうし、後は任せておいて。」


「了解。それじゃあ、僕達は外に居るから。」


俺とスラたんの男二人は、テントから離れて焚き火の前に戻る。


「元気になったみたいで良かったな。」


「うん。本当に良かったよ。」


屈託の無い笑顔を見せるスラたん。スラたんには、やはり人を助ける側が似合っている。研究も出来てしまう医者……凄く良い。きっと笑顔の絶えない病院が出来上がるはずだ。


「スラタン様。塩はどれくらい入れますか?」


「えっと…そうだね……」


ニルがスラたんに相談しながらお粥を作り、それをテトラに持って行く。結局、食べられたのは数口といった量だったみたいだが、食べられただけで取り敢えず十分という事らしい。


暫くすると、テトラも着替えを終えたらしく、もう一度俺達もテントの方へ呼ばれる。


「少しは食べられたみたいだね。」


「はい。皆様、本当にありがとうございました。」


「もうお礼は良いわよ。それより、痛いとかは無いかしら?」


「はい。大丈夫です。」


「我慢は駄目だよ。」


ハッキリと大丈夫だと言ったテトラに対して、スラたんがピシャリと言い放つ。


「処置は全身に施したんだから、痛まないわけがないからね。気が引けるというのも分からなくはないけど、正確に診断する為にも、痛いなら痛いと言ってもらわないと。」


「ぅ……は、はい…全身がチクチクします。」


「チクチクするという事は、感覚が生きている証拠だから、悪い事じゃないよ。ただ、治ってくると痒くなるから、掻きたくなるとは思うけど、掻かないようにね。

患部に塗った傷薬の効き目はかなり良いはずだから、直ぐにその痒みも無くなると思う。それまでの辛抱だね。」


「分かりました。」


「それと、念の為に、これとこれを飲んでおいて。」


スラたんは、万能薬と解毒薬を渡す。


「これは…?」


「薬だよ。テトラさんを苦しめていた原因を取り除く事が出来る物だと思ってくれれば良いよ。」


「わ、分かりました。」


「さて……ここからは、少し状況の説明に入ろうかな。」


「はい。」


スラたんは、街からテトラを連れて出る事になった経緯を詳しく話し、テトラに聞かせる。テトラも、時折目を覚ましていたからか、何となく状況は理解していたみたいで、驚いた表情は見せず、淡々と説明を聞いている印象だった。


「そうだったのですね…本当に、ありがとうございました。実は、以前、どちらの病院にも足を運んだのですが…」


「片方には門前払いされて、もう片方には病気じゃないとでも言われたのかな?」


「はい…仰る通りです。」


「本当に…有り得ない話ね。何よそれ。」


「あの人の良さそうな男も一発殴っておくべきでしたね。」


ハイネとピルテは、かなりご立腹の様子だ。魔界の事が無ければ、ここからナニュラにわざわざ戻って殴りに行きそうな程である。


「一応、冒険者ギルドには報告しておいたし、どうにかしてくれるとは思うけど、テトラさんとしては災難だったね。」


「私の事が有って、街の人達がより良い医療を受けられるのであれば、それはそれで良かったと取るべきでしょうか。」


「いやいや、テトラさんは怒って良いんだよ。あの医者が滅茶苦茶な事を言ったせいで、死にそうになったんだから。殺されそうになったと言っても良いくらいさ。」


「そう…かもしれませんが……皆様のお陰で、こうして助かったのですし、それで街の病院がより良くなるならば、悪い事ばかりではないのかな…と。

勿論、病気ではないなんて言ったあの医者は悪い人ですが…私も、同じように最低の行いをした者ですから。」


「テトラは騙されてやったのでしょう。あいつは故意的にやっているのだから、全然違うわ。

勿論、どちらも悪い事よ。でも、テトラは反省しているし、もう二度と、あんな事はしないわよね?」


「はい!それは絶対に!」


「でしたら、同じではありませんよ。」


「ハイネさん…ピルテさん……」

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