第626話 医者とは

「どうもこんにちは。今日はどうされましたか?」


俺達に声を掛けてくれたのは、医者本人。


こちらの医者は、タレ目で目尻に細かい皺の入った、優しそうなおじさんという印象の人族男性。


「こちらで、何日か受け入れて欲しい人が居まして。」


「と言いますと…?」


「一度診て頂いてもよろしいですか?外の馬車に乗せていますので。」


「患者本人が来ているのですね。少々お待ち下さい。」


スラたんの話を聞いた医者は、奥に見えていた看護師と言うのか、助手の猫人族女性に指示を出して、革製の道具入れを持って来ると、直ぐに馬車へと来てくれる。


最初に行った病院の医者とは大違いの対応だ。


「これは……少し失礼します。」


テトラの状態を見た医者は、直ぐに荷台へと上がり、テトラの状況を確認し始める。


「分かりました。こちらで数日間受け入れましょう。」


「ありがとうございます!」


即決といった感じで、医者が頷いてくれる。


良かった。これで安心だと、ハイネもお礼を言って頭を下げる。


しかし、何故かスラたんはいぶかしげな顔をしている。


医者の対応は真摯しんしだったし、受け入れも直ぐに決めてくれた。何か不満でも有るのだろうか?


医者が馬車から降りて、受け入れを始めようとした時の事。


「良かったわね!テトラ!これでもう安心よ!」


ハイネがテトラに声を掛けると、意識が浮上したらしく、テトラが薄く目を開く。


顔を覗き込んだハイネをボーッと見ていると、それに気が付いたハイネが、今の状況を説明する。


「街の反対側の病院まで来たのよ。受け入れてくれるらしいから、もう安心して大丈夫よ。」


ハイネが、テトラを安心させようと放った言葉に対して、テトラが反応を示す。


まだ回復し切っていないせいなのか、何か言おうとしているが、言葉が聞き取れない。

ハイネが何を言おうとしているのかと、耳をテトラに近付けるが、やはり上手く聞き取れないらしい。


しかし、痛むはずの体を動かして、テトラが左手でハイネの左手を掴む。いや、掴むという程力は無く、触れたと言った方が適切かもしれない。


それを見たハイネは、自分の手に触れるテトラの手を見た後、何かを考える素振りを見せる。


「………スラタン。悪いのだけれど、ここにテトラを入れるのは考えた方が良いかもしれないわ。」


何故か、ハイネはスラたんに対して、そんな事を言い始める。


「お母様?!」


「ピルテ。私を信じて頂戴。」


「僕もハイネさんの意見に賛成するよ。

僕が断ってくる。皆は先に馬車を出して、テトラさん達が住んでいる場所まで戻って。」


折角受け入れてくれるというのに、それを断ろうとしているハイネに対して、ピルテが何を言い出すのかと驚きの声を上げるが、ポンポンと話が進み、俺達はあれよあれよという間に馬車を走らせる事になってしまった。

俺から見ても、何故、あの病院から逃げるように飛び出す事にしたのか分からない。しかし… ハイネとスラたんの二人が、あの病院にテトラを入れるべきではないと言い張ったのだから、何かしらの理由が有るはず。


俺達は、結局テトラを病院に入れる事無く、トンボ帰りしてしまう事となった。


馬車を走らせて、そろそろテトラの住む場所に辿り着こうかという頃、スラたんが馬車に追い付く。馬車に人が追い付くという表現が、おかしな事には気が付いているが…実際にそうなのだからこれ以外の表現は難しい。


スラたんが戻って来て、馬車に飛び乗る。


「スラたん。どういう事か説明してくれないか?」


「…うん。」


馬車を出して直ぐにハイネに聞こうと思ったが、スラたんの話も聞きたかった為待っていた。


俺も、ピルテも、二人があの病院は良くないと思ったという事ならば仕方無いと思って引き返したが、何故なのかは気になるところだ。


「僕がおかしいと思ったのは、あの人がテトラさんの様子を見た時なんだ。

あの人、テトラさんが何の病気か知らないはずなのに、保護具も付けずに診察したよね?」


「あ…そう言えばそうだったな。」


「倒れてぐったりしているテトラさんを見たら、僕ならまずは感染の疑いを持って、保護具は着用する。少なくとも、素手で患部を触るなんて事はしないよ。」


俺もスラたんも、何か起きてしまわないように、テトラの包帯を取り替える時は、必ず布の手袋をしている。俺達からテトラに雑菌が移る可能性も有るし。

しかし、あの医者は、それもせずに素手で包帯を外していた。


「あの医者は、テトラさんが何の病気でこうなったのか、多分知っていたんだと思う。だから、素手で触っても移らない事を知っていたんだ。」


「おいおい…つまり……」


「うん。テトラさんは、一つ目の病院に行って、門前払いされた後、あの病院まで行ったんだと思う。」


「診察を受けたが、大丈夫だとか、病気ではないだとか言われたって事か?」


「そこまでは聞けなかったけど、多分そんなところだと思うよ。

僕が入院を断りに行った時、やけに必死で止めようとしてきたからね。」


「という事は…自分の一回目の診断を隠そうとしていた…?」


テトラが一人で行った時に受けた診断の結果が、的はずれだったとして、その結果、彼女が今の状態になってしまったと周りが知れば、全ての信用を失ってしまう。そうなるのを防ぐ為、病院に受け入れて口を封じるつもりだった…という事だろう。


「流石に命を奪うような事はしないと思うけど、ある程度のお金を渡して、今回の事は無かったことに…くらいはしたかもね。」


「最低ね。」


「お医者様でも、間違えてしまう事は有るという事でしょうか?」


「そうだね。医者だって人間である以上、完璧ではないし、間違う事だって有ると思う。勿論、医者は間違えてはいけない職業だと分かっていて、その仕事をしているのだから、間違えました、では済まされないけどね。人の命や人生がその手に委ねられる仕事なんだし。

ただ……あの人は、多分故意的にテトラさんの診断を間違えたのだと思う。」


「故意的に?!」


「あの医者が、テトラさんを見て、素手で患部を触ったという事は、テトラさんの病気が何かという事は分かっていたという事になるよね。」


要するに、テトラが一人で訪れた時、既に何の病気か分かっていたが、治療費を払う事が出来ない風貌に、あの医者は、故意にテトラに間違った診断を下したということだろう。


「何よそれ?!」


「信じられません!そんな人が医者をしていて良いのですか?!それならば、まだ門前払いされた方が良いくらいですよ?!」


「僕も、そんな行為は、医者に有るまじき行為だと思うよ。だから、話を断る時に、いくつか話はしてきたんだ。

医者としての矜恃きょうじが欠片でも残っているのならば、自分のした事に対して、責任を取るべきだと伝えたよ。」


殴ったりはしなかったみたいだが、医者としてやっている事は一つ目の病院に居た医者よりえげつない。

医者が大丈夫だと言ったのならば、患者はそれを信じてしまう。テトラだって同じだ。その結果は、俺達が見ている通り。


「私がこの事を街の人達に言って回ろうかしら。」


「優しそうな顔と態度に騙されましたね。」


「残念だけど、周囲の人達からの信頼は厚いみたいだし、今回の事を言って回っても、あまり意味は無いだろうね。」


金を払える者に対しては、しっかりとした診断と治療を行い、テトラ達のような人達は雑に扱う。ただ、態度は親切そうだという事と、テトラ達のような人達が騒いでも、誰も耳を貸さないという事で、あの男の立場は揺るがない。恐らく、それが分かっていて、あの男はやっているのだ。


「本当に最低ね!」


「まあ…そんな事をしていたら、いつかは必ず痛いしっぺ返しを食らう事になると思うけどね。世の中、そんなに甘くは無いし。

ただ、このまま放置というわけにはいかないし、ギルドかどこかに話を持って行こうとは思っているよ。」


「俺も付いて行こう。一応Sランク冒険者だから、話を通し易いだろう。」


冒険者ギルドに話を持って行くのが正解だとは思わないが、ギルドマスターとなれば、色々な方面に顔が利く。Sランク冒険者が来て、ギルドマスターに会いたいと言えばまず通る。そこで話をしたならば、色々と動いてくれるはずだ。


「…お母様は、何故、反対したのですか?」


スラたんの話を聞いて、あの医者が最低だと言う事は分かったが、ハイネの持っている医学的知識はそれ程多くない。それでも、あの時反対した。確かに何故なのか不思議なところだ。


「テトラの反応を見たからよ。」


「反応…ですか?」


「こんな状態になって、それでも体を動かして私の手を掴もうとしたのよ。普通じゃないわ。もし、私の言葉に安心したのなら、そこまでして私に何かを伝えようなんて思わないはずよ。

だから、あの病院に入るのが嫌なのかと思ったの。」


「よ、よく気が付いたな?」


俺もテトラの反応は見ていたが、そこまで考えが至る事は無かった。


「昔、ピルテがまだ子供だった時、病気になって寝込んだ事が有ったのよ。その時、テトラと同じような反応をしたの。でも、本当はトイレに行きたいのに、水を飲みたいのだと私が勘違いして」

「お、お母様?!」


大体結末が見えてしまった……


「子供の時の話じゃない。」


「そういう問題ではありません!」


「そうかしら?まあ、そういう経験が有って、気が付いたのよ。」


まさかピルテの地雷話だとは思わなかったが、母ならではの体験から来る勘だったらしい。


「そ、そういう事で、残念ながら、病院に入れるわけにはいかなくなってしまったんだけど……どうしようか?」


「どうしようかと聞かれてもな…」


他の病院も無いことはないが、テトラが入っても大丈夫な病院は他に無い。お金を積めば、入らせてくれるかもしれないが…


「こっちだって、そう何日もこの街に留まっている暇は無いぞ。」


ずっと喋らなかったエフが、口を開く。


今この時にそんな事を言わなくても良いだろうとは思うが、急ぎの旅である事に間違いはない。


「シンヤ君。」


スラたんが、何かを言いたそうな顔で俺の事を呼ぶ。


「……分かったよ。ここまでやって放置するなんて事は出来ないからな。テトラ本人が良いと言うなら、元気になるまで連れて行こう。」


「ありがとう!シンヤ君!」


万能薬や解毒薬も、俺達が持っているのだし、連れて行くのが一番話が早い。

テトラ自身がこの街に留まりたいというのならば、他の方法を考えなければならないが、取り敢えず連れて出るつもりで準備を整えよう。


先に進めるのならば、それ以外はどうでも良いのか、エフも何も言わなくなった。


「それじゃあ、僕とシンヤ君で冒険者ギルドに行って話をして来るよ。皆は、テトラさんの荷物とか、あの人達に説明をお願い。その後、北門で待ち合わせよう。」


「ええ。分かったわ。」


「分かりました!」


乗り掛かった船。責任を持ってテトラを任せろと言ったのだし、元気になるまで面倒を見るのが筋だろう。


こうして、俺とスラたんは冒険者ギルドへ向かい、ギルドマスターに話をすると、裏で動いてくれる事となり、後の事は任せて北門へと向かった。


ニル達の方は、言った通りテトラを連れて一度戻り、残っていた人達に説明をして、テトラの荷物を回収。と言っても、殆ど何も持っていなかったみたいだが。


そして、北門に向かう途中、テトラが一度目を覚まし、旅の同行に頷いてくれたとの事らしく、合流後、そのままテトラを連れて街を出る流れとなった。


この街に入った時には、同行者が増えるなんて思っていなかった。しかも、それがハイネとピルテの憎む相手だったテトラだとは……世の中何がどうなるか分からないものだ。


勿論だが、テトラを魔界まで連れて行くつもりは微塵も無い。テトラには戦闘力など皆無だし、魔界に辿り着くまでには回復するだろうから、途中の街で別れるつもりだ。 程良い距離に、それなりの街が在るとハイネから聞いているし、そこでテトラと別れる事になるだろうが、それまではしっかりと看病しよう。


「それにしても、ああいう医者って、居るものなのね。」


「残念だけど、そういう意味でも、医者も人間だって事だよね。魔界ではどうなの?」


「魔界の医者は、教会に属した立場になっているのよ。だから、完全中立だし、医者自身が悪さをしたならば、教会も魔族全体も黙ってはいないから、壮絶な馬鹿じゃない限り、医者が悪さをする事は無いし、故意に間違った診断をするなんて事は有り得ないわ。

だから、こうして医者が患者を食いものにしているところを見ると、余計に腹が立つのよ。」


俺達が話を持って行った冒険者ギルドのマスターの話では、医者というのは、一応、医師免許のような物が存在していて、それを発行するのは教会という事になっているらしい。要するに、魔界での医者と、魔界外の医者では、免許の面では、そこまで大きな違いは無いという事になる。

しかし、実情を考えると、魔界の教会とは違って、こちらの教会は腐っている連中が腐る程居て、悪の巣窟みたいな教会も多い。

医者の免許も、実際に技術を見て発行されるのではなく、誰の下で学んだかが重要視されており、有名な医者の下で学んだ者達は、ほぼ無条件で医師免許を発行してくれるとの事。つまり、技術的に未熟な者でも、医者が出来てしまうという状態らしい。

勿論、自分の教え子が失敗をしたとなれば、師匠の名を汚す事になる為、師匠も簡単にはOKを出さない。故に、ある程度の水準は保たれているみたいだが、そうではない者達も結構居るという事だ。

そういう、医者モドキのヤブ医者が行き着く先というのは、大抵決まっているもので、そういう腕でも儲かる場所に集まって来る。例えば、街全体が廃れ気味で、ボロボロの街とかは良い稼ぎ場所になる。

まさに、先程出てきたナニュラがそれだ。


「本当に、嘆かわしい事だけど、医者というのは、需要が多くて、供給が少ない職業だから、そういう事が出来てしまうんだよね。

本来ならば、僕は、医師免許を持っていないから、僕が処置するのは法に触れる事なんだし、人の事は言えないけど。」


「スラタンはあんなヤブ医者とは違うわよ!」


「そうですよ!」


「二人がそう言ってくれるのは本当に嬉しいけど、教会が許してくれないならば、僕は医者ではないんだ。」


「だったら魔界で教会に申請するわ!魔界の教会は技術で判断するから、スラタンが出て行けば一発よ!」


「そうですよ!そうしましょう!」


「ははは。医者はそんなに甘くないと思うけどね。」


「大丈夫です!」


「ど、どこからピルテさんのその自信が来るのか分からないけど…そうだね。二人がそこまで言ってくれるなら、時間が出来たら行ってみても良いかもしれないね。」


「スラたんが医者になったら、俺達も行き付けの病院が出来るな。」


「シ、シンヤ君…僕の事をそんなに信じてくれているなんて…」


「タダで治療を受けられる病院なんて他には無いだろうからな!」


「お金を払う気ゼロ?!」


「親友から金を取るのか?」


「こういう時だけ親友を出してくる?!」


「ははは。冗談だって。でも、全てが解決したら、本当に医者を目指すのも悪くないかもしれないぞ。元々は医者を目指していたんだし、こっちでもう一度頑張ってみるのも悪くはないんじゃないか?」


「そうだね…それも良いかもしれないね。」


スラたんとしては、これから魔界へ行って魔王を救わなければならないという状態なのだが、それでも、未来の事を話せば、自然と気持ちも軽く、明るくなる。医者の事で暗くなった雰囲気には、丁度良い話題だった。


「一先ず、このまま北に向かうが、テトラの看病は交代で行おう。俺とスラたんのやる事をしっかりと見て覚えてくれ。」


「分かりました。」


「回復は遅いけど、取り敢えず消化に良い物を食べさせて、栄養を取らせてあげれば、回復はしていくはず。」


「消化に良い物となると、おかゆが良いですか?」


「ニルさん、お粥なんてよく知っていたね?」


「ご主人様が教えて下さいました。」


「そうだね。そういう物を中心に食べさせてあげて欲しいかな。でも、無理に食べさせる必要はないからね。食べられる分だけで、残すなら残しても構わないから。」


「栄養を取るべきなのに、食べさせなくても良いのですか?」


「無理に食べさせると、胃の内容物を戻してしまうんだ。そうすると、食道…喉が焼けてしまって、逆に良くないんだよ。食べ物を全く食べさせないというのはダメだけど、無理に食べさせるのも良くないって事だね。」


「そうなのですね…分かりました。」


「後は、傷が癒えるまでしっかりと包帯を取り替える事だね。」


「それは私達の方でやるわ。」


「そうだね。傷の状態をたまに見せてもらいたいけど、それ以外の時はハイネさん達に任せるよ。」


「気を付けなければならない事はそれくらいかしら?」


「そうだね。何か異変があれば知らせて欲しいけど、それ以外はそんなところかな。」


「了解したわ。」


北に向けて出発した俺達は、日が暮れるまで真っ直ぐに北へと馬車を走らせて、草原地帯を抜け、岩場の多い山岳地帯へと足を踏み入れた。


「ここから暫くの間は、モンスターも結構出て来るわ。」


「そうなると、今日はここまでにして、本格的に進むのは明日にした方が良さそうだな。」

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