第628話 山岳地帯
ハイネとピルテの言葉に、瞳を
つい先日まで、殺されても良いと思っていた相手が、今は自分の事を心配し、自分の事で怒ってくれている。テトラとしては、これ程嬉しい事は他に無いだろう。
「暗い話は終わりにしましょう。もう街を出たのだから、私達にはどうする事も出来ないわ。」
「そうですね。あの街の事は、あの街の者達に任せておけば大丈夫でしょう。少し薄情かと思われるかもしれませんが、私達一人一人の手はそれ程大きくはありません。全てをどうにか出来るというのは、思い上がりですからね。」
テトラとしては、あれだけ周りの人達に慕われていたのだから、街を離れる事だって辛い事だったに違いない。
夢か現かも分からないような状態のテトラに、そんな決断をさせてしまったのは申し訳ないと思っているが、テトラはその事に関して特に大きな反応は示さなかった。
自分が街を離れたとハッキリした頭で理解した時、少しだけ寂しそうな顔をしたが、あの街に、あのまま滞在していても、自分の体調が良くはならないと理解していたのだろう。
実際問題…テトラの体は熱を出して倒れてから、更に栄養状態が悪化しており、かなり辛い状態だ。病原体が体から完全に抜けているかも怪しいし、最悪、病院に入れず、そのまま放置していたら、状態が悪化してそのまま死んでいた可能性も有る。
それが分かっているから、テトラも仕方の無い事だと割り切ってくれているのだろう。
ハイネとピルテの言っている事は、言葉を選ばずに言えば、今更街の事を心配しても、こちらからはどうする事も出来ないし、考えるだけ無駄。だから、そんな事を考えるのは止めて、別の事を考えろという事だ。
実に冷たい事を言っているように感じるかもしれないが、俺達がナニュラに引き返す事はないし、心配しても、俺達には何も出来ないというのは事実である。
故に、変に慰めるよりも、しっかりと伝えた方が、テトラにとっても良いと思う。
「そう……ですね……」
とは言っても、人間、そう簡単に割り切れるようなものではないし、口では仕方無いと言っていても、頭では色々と考えてしまうものだ。テトラも、まさにその状態だと言えるだろう。
「起きたばかりだし、まだ体力も戻っていないだろうから、僕達はそろそろ出るよ。
テトラさんも、寝られなかったとしても横になって体力回復に集中してね。」
「はい。ありがとうございます。」
「いえいえ。」
ハイネとピルテはテトラの横に残り、俺、スラたん、ニルはテントの外に出る。
「本調子とはいかないみたいだけど、体調自体は悪くなさそうだね。」
「ああ。思っていたより元気そうだったな。」
「食べられる量が増えて来たら、もう少し栄養価の高い物も一緒に食べさせるようにしていった方が良さそうかな。」
「分かりました。テトラさんの調子を見つつ、少しずつ調整してみます。」
「うん。よろしくね。」
目が覚めたからいきなり元気になって走り回るなんて事は出来ないが、俺達と共に旅をしていれば、食事に関しては問題無い。直ぐに元の状態より元気になってくれる事だろう。
ほぼ無理矢理連れ出したようなものなのだから、これくらいは当たり前の事だ。
テトラがどう思っているのかは分からないが、あの街には仕事の繋がりも有ったはず。良い繋がりなのかどうかは別にして、今まで生きて来られたという事は、少なくとも、何人かの客は居たという事になる。その繋がりも強制的に俺達が切り離してしまった。つまり、彼女から仕事を奪ったのだ。
本来であれば、彼女が街で生きて行く為の仕事くらいは探すか、金を稼げる何かを与えるのが普通だろう。しかし、それをするには少し時間が足りない。
最悪、大金でも渡してしまおうかとも考えてはいるが……テトラが受け取るとは思えないし、強引に金を置いて出たとしても、テトラはきっと使わないだろう。
ただ病を治して、元気になったから、はいさようならというのは、無責任というやつだ。
その事も色々と考えつつ、旅をしなければならない。
「何か難しい事でも考えているのかな?」
俺が、そんな事をボーッと考えながら紅茶を啜り、雨が落ちるのを見ていると、スラたんが声を掛けてくる。
「ああ。テトラを街に届けた後の事を色々とな。」
「魔界の事?」
「いや。テトラの事だ。」
「そっか……まあ、ああいう仕事が悪いとは思わないけど、長く続けられる仕事でもないしね。特に、この世界では…」
この世界における、所謂娼婦というのは、性感染症や妊娠という問題を常に抱えている。
それらをしっかりと管理している娼館ならば、ある程度危険度は少ないと言えるし、もしもの時は、娼婦達もどうするのかを自由に決められる。
しかし、テトラのように、街角に立っているような女性達には、その選択肢が無い。
今回、テトラと偶然出会った俺達が、偶然彼女をどうにか出来る手段を持っていただけで、本来であれば、誰にも知られずに死んでいてもおかしくはなかった。いや、そうして人知れず死んで行く人達の方が圧倒的に多いだろう。それは、元の世界でもそうだった。ただ、そういう人達の事を皆が知らないだけで、世界では当たり前のように起きている事なのだ。
性感染症だけでなく、妊娠も同じだ。
金が無くて街角に立っているのだから、当然堕胎の費用なんて持っていない。子供を産むしかないとなっても、病院に入る事さえ出来ないのだから、出産で命を落とす人達だって沢山居るだろう。もし、無事に産めたとしても、子供は栄養など与えられず、そのまま衰弱死してしまう。悲しい事だが、そういう話は、そこら中にゴロゴロしている。
確かに、女性がお金を稼ぐ手段として、技術も知識も必要無く、身一つで出来る事だから、テトラがそうなってしまったのも仕方の無い事かもしれない。
しかし、そういう危険が常に隣に有るような仕事をしていると、遅かれ早かれ、必ずどうする事も出来ない状態に陥る。
要するに、スラたんの言うように、長くは続けられない仕事なのだ。
特に、今回のような医者の存在がまかり通るこの世界では、続けて行くのが難しい仕事である。
「何か…他に仕事となるようなものがテトラに有れば、それでお金を稼ぐ事も出来るだろうが…」
「元々貴族だって言っていたし、マナー講座とかは?!」
「この世界でマナーを気にするような者達は、そもそも金を持っている富裕層だ。それならば、実績の有る家庭教師のような者達を雇う。
というか、テトラが、出身の街でそういう仕事しか出来なかったとなれば、大抵の事は試しているはずだ。知り合いを頼ったりとかな。それらが上手くいかなかった…と考えた方が自然だと思うぞ。」
「だ、だよね……」
「本人の意思も有るし、俺達が勝手に決められる事じゃないから、ここで考え込んでいても答えは出ない…というのは分かっているんだが、どうしても考えてしまってな。」
「うーん……僕達の方でも、色々と考えて提案するくらいは良いだろうし、僕も何か考えてみるよ。あ、本人の意思を尊重するっていうのは分かっているから、そこは心配しないでね。」
「ああ。そこは心配していないが……」
「うーん……」
「んー……」
「ふふふ。」
俺とスラたんが考え込んで唸っていると、夕食の準備を始めていたニルが、堪えきれずにといった様子で笑い出す。
「ご主人様も、スラタン様も、自分の事より悩んでいますね。」
「自分の事は自分で決められるけど、他人の事は僕達には決められないからね。何が良いのか、何に興味が有るのか、そういうのも分からないし…」
「俺達が出来るのは、こういう仕事はどうだ?こういう仕事も有るぞ?と提案する事くらいだからな。」
「ふふふ。ご主人様とスラタン様は、そういうところで、よく似ていますね。」
「僕とシンヤ君はマブダチだからね!類は友を呼ぶって言うし!」
「俺とスラたんが似ている…?地獄だな。」
「酷いっ?!」
「ははは。冗談だって。」
「シンヤ君の冗談は辛辣過ぎると思うんだよね。改善を要求する!」
「す、すまないな……そんなに嫌だったのか…もう二度と冗談は言わない。すまない…」
「えっ?!ちょっ…そ、そんな事ないよ!全然嫌じゃないよ!」
「………………」
「じ、実はちょっとおいしい立場だとか思ってたりするし!そんな落ち込まないでよ?!冗談だからさ!」
「そうかそうか。おいしいと思っていたのか。それなら遠慮は要らないな。」
「はっ!?謀ったな!シンヤ君?!」
「何のことだ?俺はただ、スラたんの言葉を聞いて反応しただけだぞ。」
「ぐぬぬぬ!白々しい!」
「ふふふ。」
俺とスラたんが、冗談を言い合うのを見て、ニルが楽しそうに笑う。それ見て、俺とスラたんが悪ノリし、ニルがタイミング良く止めに入る。いつもの流れだ。
「本当に、お前達には緊張感が無いな。」
そんな事をして楽しんでいると、エフがボソリと言ってくる。
「また嫌味か?」
「………………」
「まあ、魔王が心配で嫌味の一つでも言っていないと落ち着かないのかもしれないがな。」
「チッ。」
「エフさん?」
「っ?!」
俺に舌打ちするエフに対して、ニルが料理をしながらエフの事を呼ぶ。すると、エフはビクリと肩を揺らす。
「わ、悪かった。」
「別に良いけどな。焦る気持ちは分かるし。
ただ、焦って進んだとしても、向こうに辿り着く時間にはそれ程変化は無い。常に緊張し続けていたら、向こうに辿り着く前に疲れるだろう?」
「私は疲れたりしない。」
「いや、それは有り得ないだろう。人として。」
「冷静なツッコミ?!シンヤ君は割と誰にでも辛辣だよねー…でも、行く前に疲れちゃうって事には同意かな。
ここから先はミスが出来ない苦しい状況になるのは目に見えているんだし、休める時に休んでおかないと、肝心な時に集中力が切れちゃうよ。」
「私は集中力を切らしたりなど!」
「そんな事が不可能だということは、エフさんなら分かっているよね?」
「っ……」
「別にお前の意見を無視しているわけじゃない。今だって魔王が危険な状況だというのは間違いないのだから、急いだ方が良いというのもよく分かっている。だが、魔界に入れば、休む暇も殆ど無いかもしれないし、急いだ方が良いからこそ、休息はしっかりと取るべきだと俺は思っている。メリハリというやつだな。」
「……………」
「俺達だって、常にのんびりしているわけじゃないのは、短い時間だが、ここまで一緒に来たエフなら分かるだろう?」
「………………」
エフは、俺達の言葉を聞いて、何も言い返さずに黙ってこちらを見ている。
「俺達を信じると決めて、同行する事にしたのならば、エフだって旅の仲間だ。俺は、エフにも休める時は休んで欲しいと思っているんだぞ。」
「……本当に甘い男だな。」
「かもな。」
「……はぁ……だが、お前達の言う事が正しいのも分かっている。片腕の私では、急いで向かったところで、何か出来るとも思えないしな…」
エフは、左腕を失った事で、ガクリと戦力が落ちてしまった。しかも、それを自分で分かっている。故に、どうしても焦ってしまうのだろう。
戦力外だとしても、片腕だとしても、何かをしていないと落ち着かないといった感じだろうか。そして、何かをしようとしても、片腕では上手く出来ない。それがまた焦りを呼び…という負のループだ。
「そんな事はないと思うけど…焦っていても、休息を取っていても、向こうの状況は変わらないんだ。それなら、万全の状態で向かえるように、体力も気力も維持する事の方が大切だと思うよ。」
「…そう…だな…」
「それが、分かったのなら、こっちに来て一緒に座れよ。そんな端に座っていたら、体が冷えるぞ。」
俺がエフを焚き火の近くに座るよう促すと、少し考えた後、エフはゆっくり立ち上がり、焚き火の方へと寄って来る。
「ニル。」
「はい。エフさん。紅茶ですよ。」
言わずとも、エフの紅茶を用意していたニルが、焚き火の横に座ったエフにカップを渡す。
「熱いので気を付けて下さいね。」
「あ…ああ。」
今までの態度を考えると、バツが悪いというのも分かるが、俺達はそんな事気にしない。
「温かくて美味しい…」
「ニルの淹れる紅茶は美味いからな。」
「はは。何でシンヤ君が自慢げなのさ。」
少しずつではあるが、エフも俺達に歩み寄ろうとしてくれている。それを拒む理由などないし、雰囲気良く魔界に向かえるのならば、それに越した事は無い。
「そう言えば、色々と有ってエフさんの傷の具合を見ていなかったね。」
「この程度の怪我」
「ダメだよ。怪我は怪我。それに、片腕を失ったんだ。大した怪我だし、しっかり治療しないと、傷口が腐って命を落とす事になるよ。魔界に行って魔王を助けるなら、その前に死ぬなんて事は出来ないでしょ。」
「うっ……」
「ほら。左腕を見せて。」
こういう時、俺やハイネよりも、言葉に妙な力強さを見せるのは、スラたんやニルだ。
何と言うのか…何も言わせない圧力を感じる。
「す、すまない。」
結局エフも、何かを言う前にスラたんの圧に負け、左腕を見せている。
「………うん。傷口は大丈夫そうだね。ただ、まだ傷口が完全に塞がっているわけじゃないから、暫くは傷薬を塗りつつ、左腕をあまり動かさないように気を付けてね。」
「分かった。」
「体調は大丈夫そうだし、他は心配要らないかな。エフさんも、テトラさん同様にあまり無理はしないようにね。」
「ああ。すまない。助かる。」
「好きでやっている事だから気にしないで。」
エフも、今回の事で区切りが出来たのか、かなり素直に喋るようになった。これで取り敢えずギスギスした感じは無くなった。
「そう言えば…この辺りは、見晴らしも良いし、強いモンスターは出て来ないが、弱いモンスターがいくつか出てくるはずだと思ったのだが、何故こんなにもモンスターが寄って来ないんだ?」
「あー。それは、僕が操っているスライム達が、数匹一組になって、弱いモンスターくらいは倒してしまうからだね。」
スライム自体はDランクのモンスターだが、スラたんの指揮の元数匹で一組となりモンスターと戦う場合は、Dランクではなく、恐らくCランクかそれ以上の脅威度となる。
小さなDランク程度のモンスターでは、全く歯が立たないだろう。そういうモンスターは、索敵しつつ、スライム達が排除してくれているのだ。
「やはり、スライムを操る術を持っていたのか。
戦いを見ていた時、何度もスライム達が助けに入っていたな。」
「僕はスライム研究家だからね!」
「スライム研究家?」
「自称だ。自称。」
「自称とは失敬な。僕の研究が凄い事はシンヤ君も知っているでしょ?」
「まあ……否定はしないが。」
「スラタン様には、何度も救われました。スライム達にも。」
「ふっふーん!」
「雑魚だと思っていたスライムが、束になって押し寄せて来ると、なかなかに厄介なモンスターとなる。悪くない戦力だ。」
「まあね!でも、スライム達も生きているんだから、無闇矢鱈に突っ込ませるなんて事はしないよ。」
「戦力を無駄に消費するような戦い方は、私達黒犬にとっても悪手だ。そんな事をさせようとは思っていない。」
「そう言えば、魔界に残っている黒犬達は、まだ魔王の事に気が付いていないのか?」
「どうだろうな……私が魔界を出て来る時は、誰も気が付いていないように見えたが…私も、全員の顔を常に見ているわけではないし、もしかしたら気が付いて動いている者達も居るかもしれないな。」
「そうなのか…思っていたよりも、黒犬の人数は多いんだな?」
「どれくらいを想像していたのかは分からないが、大体、計二百六十人といったところだな。」
「多い…のか少ないのか、判断に困るところだな。
皆がエフのように強いなら、かなり多いと思うが…」
「全員が全員ではない。
私達黒犬には、計二十六の部隊が存在しており、一部隊十人なんだ。」
「それで二百六十人か。」
「その二十六の部隊は、上からA、Bと始まり、Zまである。そして、私の部隊は…」
「Fって事か。」
「そういう事だ。黒犬の部隊長は、それらのアルファベットの名を受け継ぎ、名乗る事が許される。」
「エフという名前は、Fというところから来ているという事だったのか。」
「そういう事だ。そして、これらの部隊は、完全に実力順になっている。A部隊は、我々黒犬の中でも、精鋭中の精鋭。最高の十人が集まる部隊なんだ。」
「つまり、エフの部隊は、上から六番目か…」
あれだけの作戦を考えて実行し、本人の実力もかなりのものだった。それが上から六番目の部隊らしい。
「そうなると、Z部隊とかは…」
「いや。確かに上の部隊よりも弱いとされているが、そもそも黒犬に入れるのは、限られた者達だけだ。それ以外の者達は、隠れて魔界に住んでいる。」
つまり、全ダークエルフの中で、黒犬に入れるのは限られた者達だけで、その中の更に一握りが、上の部隊に入れる…という事らしい。凄い競争社会だ。
「それに、アルファベットが下でも、特殊な技術を持った者達の居る部隊等、癖の強い部隊も多い。」
「下の方の部隊だからと侮っていると、サクッと殺されるわけか。」
「そういう事だ。」
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