第625話 医者
テトラは、スラたんに礼を言った後、また眠ってしまう。
「意識はしっかりとしていたみたいだから、脳への影響は無さそうだね。それが少し心配だったけど、何事も無さそうで良かったよ。」
「順調に回復してくれそうだな。」
「うん。後は元気になるまで安静にして、しっかりと食事していれば、問題無く回復すると思う。
ただ……」
「何だ?何か懸念でも有るのか?」
「……テトラさんがこの感染症になったって事は、誰かがテトラさんに感染症を移したって事になるよね。」
「まあ…そうだな。その相手の方が先に感染症になっているとして、治療を受けられていなければ、今頃死んでいるかもしれないな。」
「そうなんだけど…誰かという事は、この際重要ではないんだ。」
俺は、スラたんの事だからテトラに移した方の人の事も心配しているのかと思ったが、どうやら違うらしい。
「勿論、その人の事も心配だけど、テトラさんを……その…買った…という事は、それなりにお金に余裕が有る人だと思うし、治療を受けるお金くらいは持っていると思う。」
「つまり、その人がどこかで死んでしまっている可能性は低いと?」
「そうだね。この世界では科学については進歩が遅いから、同時に医学の進歩も遅れているんだけど、病気や怪我は、寧ろこの世界の方が多いと思う。」
「モンスターとの戦闘は有るし、毒を使うモンスターも居るからな。」
「うん。だから、僕達の世界のような進歩の仕方ではないけれど、この世界にはこの世界の医学が存在するはずなんだ。
どういう解釈をしているかは分からないけど、感染症は同じように有るんだから、病気が移るとか、そういう考え方は有ると思う。」
「風邪は移るって事が、当たり前のように知られているのと同じように、これまでの経験則から、学んでいるだろうって事か。」
「そういう事。それで……こうして身を売ってお金を得ている人達は、普通に居るわけだし、同じような感染症に掛かった人達というのは、確実に居るはずなんだ。だから、多分治療法もある程度分かっているだろうし、お金さえ有れば、治療を受けているはず。そう考えると、その人の事は多分心配要らないと思う。」
「そう言われてみるとそうだな…」
「でも、おかしいと思わないかな?」
「何がだ?」
「ハイネさん達がテトラさんと話をしていて、突然倒れた時、テトラさんは『いつもの事』だと言っていたと聞いた。つまり、軽い症状はずっと前から出ていた事になる。そして、急激に悪化したんだ。」
「そういう感染症って事だよな?」
「うん。病原体が何かは分からないけど、それでほぼ間違いないと思う。
ただ……そんなに長く症状が出ていたのに、テトラさんは治療を受けなかったということになるよね?」
「金が無かったとか?」
「勿論、それも考えられるけど、テトラさんがそういう事を仕事にしているとなると、結構重要な事だと思うんだ。
見た目としても、発疹が出ていたし、それだとお客が取れないと思う。」
「それを隠しながら、上手くやっていたとか…?」
「隠すような人じゃない事は、ここに来てよく分かったと思うけど?」
「…言われてみると、確かに変だな。」
テトラという女性の日頃の行いを聞いた限り、自分が感染症だと知っていて、それを隠して誰かの相手をするとはとても思えない。
感染症だと知っていたならば、それを治療してから仕事をするか、それが無理なら客を取ったりしないはずだ。
「テトラさんに移した人が居て、その人は間違いなく治療されているとしたら、何故テトラさんは普通に仕事をしているのかな?」
「……自分が感染症だと知らなかったのか?」
「あの体で、自分が健康だと思っているのはどう考えても異常だと思うよ。」
「そうだよな…だとしたら、何でテトラは…?」
「これはあくまでも僕の予想だけど……テトラさんは一度病院に行ってるんじゃないかな?」
「行っていてこうなったと?」
「普通は考え辛い事だけど……医者に病気じゃないって言われたんじゃないかな?」
「医者に?」
「テトラさんが、この状態でも仕事をしようとする状況ってなると、それくらいしかないと思う。憶測でしかないし、そもそも医者に行くお金が無かったって事も十分に考えられるけど、もしかしたら、医者に連れて行っても、僕達の想像通りにはならないかもしれない。」
「…………………」
もし、スラたんの言っている事が全て的中しているとしたら……この街の医者に病気ではないなんて言われているとしたら、それは間違いなく嘘を吐かれたという事になる。
何故ならば、もし、この感染症が未知のものだとして、治せない病気だとしたら、今頃街は大パニックとなり、皆逃げ惑っていたはず。医者に治せない感染症が流行り出したなんて、皆恐ろしいだろうから、テトラだって街を追い出されていた可能性だって有る。
しかし、そうなっていないという事は、テトラの病気は特別珍しいものだったり、新しいものではないはず。
そして、テトラが病院に行って治してもらおうとしていた場合、医者の方がテトラに嘘を吐いて騙したという事になる。
何故そんな事を……というのは何となく想像出来るが、もしそれが真実ならば、ここで俺達が病院に連れて行ったとしても、最悪門前払いという事も有り得る。いや、最悪の場合は、受け入れる振りだけして…なんて事も考えられるが、その辺は実際に連れて行ってみるしかない。
一応、テトラの事を心配していた周りの人達にも話を聞いたが、テトラが病院に行ったかどうかまでは分からないらしい。テトラが仕事に出ている時まで一緒に居るわけではないし、テトラの行動全てまでは分からないという事だ。
街の医者についても、彼等は病院とは縁遠く、どんな者が医者をやっているのかさえ知らない人が殆どだった。それもそのはず。病気になったとしても、治療してもらう為の金が無いのだから、自己治癒力に頼って乗り切るのが彼等の普通なのだ。それで乗り切れるような病気ならば良し、無理なら死んでしまうという極限に生きている。
病院に行って診察を受けるくらいならば、そんなに金を取られる事も無いだろう…と思うかもしれないが、それは違う。
この世界には、国が無く、保険など当然無い。税金という概念は有り、それを街の発展に使うという考え方は有るみたいだが、単位が街である為、集まる額もそれなりのものでしかない。俺達が日本という国で受けていた医療保険のようなものは無く、患者は医者の言う事を聞くしかない。つまり、医者は取ろうと思えば大金を取れてしまう職業なのだ。
患者は自分の命が掛かっているわけだし、金を持っているならば、金を払って自分の命を買う。それがこの世界の医者という職業である。
要するに……言葉を選ばずに言えば、物乞いのような女の治療などするだけ無駄。金を取れる者しか受け入れない。という奴も居るという事である。
他にも、そういう者が院内に居ると、上客の気分を害するから、適当に大丈夫だと嘘を吐いて追い返すなんて事をしている可能性もある。
「もし、僕の考えが正しいとしたら、本当に嘆かわしい事だと思うけど……」
「医者をぶっ飛ばしても、問題は解決しないからな…」
結局は、医者になれる技術や知識を持っているから医者をしているのであって、誰にでも代わりが出来るという職業ではないのだから、本人が気持ちを入れ替えない限り、状況は何も変わらない。
「だとしても、この街の人達は、その医者を頼らなければならないんだ。この街に居る医者は多くないからね。」
俺も詳しい事は知らないが、医者と言っても、色々と居るらしく、貴族お抱えの専属の医者だったり、貴族しか相手にしない医者。自分の病院を持たず、フラフラとあっちの街、こっちの街と移動して医者をしている者だったり、一般人を相手にする町医者だったりと、種類が有るらしい。
その中でも、テトラのような人が入れるとなると、一般人を相手にする病院。つまり町医者を頼るしかない。そして、この街に在る町医者の病院は二つ。
俺達が居る場所から少し移動すると辿り着く一つと、街の反対側に一つ。
「取り敢えず……近い方の町医者から当たってみるしかない…よな?」
「そうだね……僕の想像が当たっている保証は無いし、テトラさんを受け入れてくれる病院は二つだけだし、とにかく当たってみるしかないね。」
「よし。そうと決まれば、まずは近い方の病院に行ってみるとしようか。」
「うん。」
スラたんの予想が外れている事を願って、俺達は慎重にテトラを馬車へと移す。回復はして来ているみたいだが、元々栄養状態が良くなかったからか、回復のスピードが遅い。
これで病院に行かずとも治ってしまうのが一番早い話なのだが…そればかりはテトラにも、俺達にも、どうする事も出来ない。
「テトラの事、よろしく頼みます!」
「お願いします!」
テトラの事を心配していた人達は、馬車へとテトラを移して病院へ連れて行く事を伝えると、口々にそんな事を言ってくる。
「ああ。テトラの事は任せてくれ。」
俺がそう言うと、皆ホッとした顔で馬車から離れてくれる。
そんな彼等に見送られて、俺達は、まず近い方の病院へと馬車を進ませた。
その病院は、小綺麗な感じの病院で、あまり大きくはないが、よく見る町医者の病院という感じだ。
ガチャッ…
俺とスラたんが馬車を降りて、病院の中に入ると、直ぐに医者らしき人族の男が出て来る。
「まだ開業前だ。出直してくれ。」
小太りで、脂ぎった顔の男で、上から下まで繋がった真っ黒な布地を着ている。真っ黒なポンチョと言えば一番近いだろうか。下は足首まで有り、これが、この世界において一般的に医者のしている格好である。元の世界で言うところの白衣みたいなものだ。スラたんが基本的に白衣を着ているから、並んで立たれると、俺としてはスラたんの方が医者っぽく見える。
そんな脂ぎった顔の男は、開口一番に、俺達を追い出そうと言葉を発し、かなり不機嫌そうな表情をしている。
「申し訳ございませんが…急を要する患者が居まして、出来ればこちらで何日か見て欲しいのですが…」
正直、俺は最初の一言でかなりイラッとしたが、スラたんは腰を低くして男に話を振る。
「…………患者はどこに居るんだ?」
男は、俺とスラたんの事を、上から下までジロジロと見た後、偉そうに言ってくる。
俺達が金を持っているかどうかを、見た目から判断して、払う金くらいは持っていると考えて、話に乗って来たのだ。それが分かるような対応に、右手が男の顎を砕きたいと暴れ出しそうになったのを必死で抑える。
「外の馬車の荷台に。」
必死に自分の右手と格闘している俺とは違い、スラたんは爽やかな笑顔で男と話をしている。いや、スラたんの笑顔は爽やかな…と言うより、貼り付けたような…と表現する方が正しいかもしれない。
それを見て、俺は酷く反省した。
テトラにとって、ここで病院に入る事が出来るかどうかというのは非常に重要な事だ。それこそ生死に関わる問題なのだ。多少イラつく相手でも、医者は医者である。
俺だって普通に社会人として生きていた時間が有ったし、その中で出会った人達の中には、嫌味な人や、イラつく人も居た。
それでも、上手く付き合いながら乗り越えて行くのが仕事というものだ。俺だって、イラつく相手にもニコニコしなければならない時だって沢山有ったし、そうして仕事をこなしてきた。今は、そうやってこの男と話をする場面であり、イラついて自分の右手と格闘している場合ではない。
今は、所謂ビジネスモードで振る舞うべきだという事である。
この男を持ち上げて、気分良くしておけば受け入れてくれたのに、気分を害して受け入れてくれないとなれば、それは俺の責任になる。テトラの命を、そんな事で失うわけにはいかない。
「こちらです。」
俺は気持ちを切り替えて、表情を整え、腰を低くして、医者の男を外の馬車へと案内する。
俺もスラたんも、医者を持ち上げるような態度で接している為、医者は満足そうに口角を上げて外に出てくれる。
「どれどれ。」
俺とスラたんが荷台に被さっている布を引っ張り、中を見せる。
すると………
「チッ!あー!ダメダメ!うちは物乞いを受け入れない!宿じゃないんだから、他を当たってくれ!」
テトラを見た瞬間に、舌打ちをして手をヒラヒラさせる男。
今現在、テトラの格好は、包帯が巻かれており、その上に、布を被せている状態だ。
全身をくまなく治療する為、服は切り裂いてしまったし、全身の包帯を取り替えたりする為、服は着せずに布を被せてあるだけ。つまり、男から見えるのは、テトラの顔と手足の先くらいのものである。
その状態で、テトラの事を物乞いと言い切るという事は、恐らく、こうなる前のテトラの事を知っているからだ。
そして、それを知っていて、テトラを受け入れないという事は、まず間違いなく、テトラはこの病院に一度来ているという事になる。
もし、テトラの客ならば、変に噂を立てられないように、嫌々でも受け入れるだろうし、客という事はないはず。
街角に立つテトラを見ていて知っていた可能性もなくはないが、それを覚えているという可能性は極めて低いはず。
「この女性を……知っているのですか?」
スラたんが笑顔のまま、医者に尋ねる。
「フン。前にも一度来たからな。その場で追い返したのに、今度は馬車まで使って大袈裟な!迷惑なんだよ!帰れ帰れ!」
社会人時代に、嫌な人を相手に我慢しなければならない事も多々有ったが、ここまで嫌な奴も珍しい。しかし、ここで諦めず、根気強く話をしなければ…
「そうですか。分かりました。お騒がせして申し訳ございません。」
俺がどうやって話を聞いてもらおうか考えていると、スラたんは一礼してスタスタと馬車に向かって歩いて行ってしまう。
「え?お?!スラたん?!」
「行こう。シンヤ君。もし、ここに入れたとしても、ちゃんとした治療は絶対に受けられない。」
真顔に戻ったスラたんは、医者の男に聞こえないように、俺に言ってくる。
スラたんの言う通り、テトラを物乞いと言って門前払いをするような男の元に受け入れられたとしても、ベッドさえ貸してくれるか怪しいものだ。
「あ、ああ。分かった。」
俺はスラたんと共に馬車に乗り込み、ニルが馬車を走らせる。
「二度と来るんじゃないぞ!」
俺達が馬車を走らせると、後ろからそんな怒鳴り声が聞こえて来る。
「よいしょ。」
その怒鳴り声を聞いていた俺の横では、何故かスラたんが
ダンッ!!
何をしているのかと思ったら、突然馬車の上からスラたんが消え……
バキャッ!!!
「ぐがぁっ?!」
後ろの方から打撃音と医者の男の声が聞こえて来る。
「ふう。」
それと同時に、消えたスラたんが馬車に戻っている。
「な、何だ?!誰だ?!」
どうやら、スラたんが瞬足で馬車を降りて医者の元へ走り、ぶん殴って戻って来たらしい。俺達でさえ見失う程のスピードで走るスラたんが、瞬風靴を履いた状態で走り込んだのだから、医者の男は殴られたのは確かだが、誰にやられたのか分からないという状態だろう。
状況的には俺達が怪しいだろうが、医者の目には、俺達が普通に馬車で立ち去っているように見えているし、俺達ではない。では一体誰が?!という状態らしく、キョロキョロしている。
医者の男は、殴られた左の頬を手で押さえ、涙目で叫び散らしている。
スラたんも力加減を間違えたりはしなかったらしく、首がもげたりはしていない。一安心だ。俺なら力加減を間違えたくなっていたかもしれないし、スラたんがぶっ飛ばしてくれて良かった。
ハイネ達も、目を丸くして驚いた後、クスクス笑っている。スッキリしたという気持ちは、俺だけが感じていたわけではないらしい。
「あれが医者?!ふざけないで欲しいよ!医者っていうのは、そういう仕事じゃないでしょ!!イライラするよ!」
スラたんには珍しく、かなり怒って口数が増えている。
人を救いたいが為に製薬会社に入ったような人間なのだから、ああいう態度の医者は許せないのだろう。
しかし、俺達がぶん殴ったとなれば、怒りはテトラに向けられてしまう。そうしない為には、俺達は我慢しなければならない。
でも我慢出来なくて…そうか!誰にやられたか分からなければ良いだろう!という思考回路になったのだと思う。
うーむ。良い勉強になるぜ。
と感心している場合ではない。
予想はしていたが、まさか本当に門前払いされてしまうとは思っていなかった。話くらいは聞いてくれるだろうとは思っていたのだが…
残るのは街の反対側に在るという病院だけ。
馬車でテトラを乗せたまま、俺達は街の反対側へと向かう。
俺達が入って来た場所は、ボロボロな建物ばかりといった様子だったが、街の反対側は、比較的大きくて綺麗な建物が多い。金を持っている者達は、街のこちら側に住むのだろう。
この街に在るもう一つの病院は一つ目の病院よりも少し大きく、既に何人かの患者が病院の中で順番を待っていた。
テトラの容態は安定しているし、順番を待ってから、テトラの事を相談する事に。
暫く待っていると、黒いポンチョを着た医者の男が現れる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます