第620話 テトラ

「そう…ですよね…私の命なんて、差し出されても困りますよね…」


テトラは、ハイネとピルテの部下二人の死因であり、最悪の形で別れた女性だ。この問題には、俺やニルが立ち入るべきではないし、そうするつもりもない。

ただ、ハイネとピルテにとって、悪い縁だとしても、縁は縁だ。どうしているのかや、その後どうしたのかくらいは聞いておいても良いかもしれない。

ハイネとピルテが聞きたくないと言うのであれば、話さなければ良いだけの事だ。


「後悔…しているのか?」


「……後悔もしていますが……それよりも、ただ、あのお二人に、謝罪したい…と思っています。

謝罪如きで、お二人の気が晴れるとは微塵も思っていません。ですから、これは…私の身勝手な自己満足でしかありません。」


自己満足だと分かっていても、ハイネとピルテに対して、償いをしなければならないと、彼女は思っているのだろう。


「さっきの話からすると、このナニュラは、テトラの故郷…で良いんだよな?」


「…はい。私達の家族は、元々ここの貴族でした。」


「ここを追い出されたんじゃなかったのか?」


「はい……私が……あのお二人を裏切ったせいで、父も、母も…そして幼い弟も…皆死んでしまいました。」


「………………」


「分かっています。全て私が悪いという事は…

あの後、どこをどう通って来たのか…私は、いつの間にかこの街に戻って来ており、それからはずっと…」


今と同じような生活をしていたという事だろう。


ハイネとピルテを裏切り、家族を殺され、何もかもを失ったテトラは、無意識にこの故郷へと戻って来たのだろう。昔、貴族位を剥奪される前の楽しかった頃の記憶がそうさせたのだろうか。


「気付かないうちにこの街に戻って来てしまったのですけれど、この街を追い出されたのは、私ではなくて父でした。なので、私は普通に街に入る事が出来てしまったみたいです。」


追放されて…という言葉から、彼女の父は何か追放されるだけの事をしたのか、誰かの逆鱗に触れたのか…とにかく、父だけが追放されたとしても、母やその子供であるテトラや弟も街にはいられないという事で街を出た。しかし、追放対象になっているのは父のみで、テトラ自身は対象にはなっておらず、街の規制に引っ掛からなかったという事だろう。


「ここを出たとしても、私には何も有りませんので…ここで身を売って生きるくらいしか出来る事が有りませんでした…」


街を出てどこへ行こうと、テトラのやれる事はあまり変わらない。移動に掛かる時間や労力を考えると、街を出てしまえば行き倒れてしまう可能性の方が高い。


「死のうと…考えた事は何度も有ります。いいえ、毎日考えます。私はそれだけの事をしてしまったのですから……ですが、私が死ぬ事は許されません。

私は、お二人にとって恨みの対象です。生きて、お二人に恨まれ続ける事。苦しむ事が、お二人に対しての償いになるのですから、死んで楽になろうとするのは、あまりにも狡い考えです。」


謝罪したいというのと同じように、彼女が苦痛から逃げ出そうとして、死を選ぶというのは、自己満足に近い考え方だ。

事実、テトラが自殺したとして、それをハイネとピルテが聞いたとしても、清々する!とはならないと思う。そういう恨み方ならば、多分、二人の部下を失った時点で、テトラを殺しているはずだ。

テトラが裏切った事も、部下の二人が死んだ事も、全ては黒犬の連中が行った事であり、テトラを殺しても部下が戻って来る事はないと考えているのではないだろうか。

許す事は出来ないが、殺したいとまでは思っていないという感じだと思う。まあ、これも俺が勝手に考えている事だから、本当のところは二人に聞かないと分からないが、遠からずというところだと思う。


テトラは、自分が苦しみ続ける為に生かされたと考えているみたいだが…二人が敢えて殺さずに生かしたのは、自殺して欲しいからではないという事は分かっているみたいだ。


ハイネとピルテも、聖人というわけではないし、自分の大切な部下を死に追いやったテトラに、苦しんで欲しいという感情は少なからず有ると思う。それが人間だし、そういう感情を持つのは当然だと思う。

だから、テトラの考えが外れているとは思わないが……二人が、今、テトラに会ってどう感じるのかという事までは、正直俺にも分からない。

もっと苦しんで欲しいと思うのか、もう良いと思うのか…大切な人を失うというのは、本当に辛い事だし、簡単に片付けられる感情ではないだろうから、何かは思うはずだ。


「ハイネとピルテがどう思うかとか、そういった事は俺達には分からないから何も言えないが、テトラが、過去の件について、本気で後悔しているという事だけは分かったよ。

だから、俺とニルを助けようとしたのか?」


「…はい。本当に今更…ですけれど、人を裏切り、騙す事がどんな事なのか、私はあの件で痛感しました。あの時、私が裏切ったりしなければ、もっと違う結果になっていたと思うんです。

私は誰の事も騙したりしない。あれからそう決めて生きてきました。私のせいで誰かが傷付くのは、もう二度と有ってはならない事ですから。」


彼女がハイネ達にした事の取り返しは付かないが、少なくとも、ハイネ達がガッカリするような生き方はして来なかったようだ。


「そうか……分かった。色々と聞いて悪かったな。」


「いえ…」


ここから先は、ハイネとピルテがどうするかで大きく変わる。俺とニルからは何も言えない。


「それはそれとして、報酬は払うから受け取ってくれ。俺達の事は大丈夫だ。ここから帰るだけだからな。」


「い、いえ!」


俺が金を渡そうとするが、テトラは受け取れないと首を横に振る。ハイネとピルテの知り合いから金を受け取るなんて出来ないとでも言いたいのだろうが、仕事をして、それに見合った報酬なのだ。受け取る権利がテトラには有るし、払う義務が俺には有る。


「正当な報酬なんだから、遠慮はしなくて良い。」


少し強引に、俺はテトラの手を掴んで報酬を渡す。


「あ…ありがとうございます…」


「それと、どうなるか分からないが、一応、どこに行けばテトラに会えるか教えてくれないか?」


「今日お声掛けした辺りならばいつでも…」


「…そうか。分かった。

俺が言うのもおかしな話かもしれないが…体には気を付けろよ?」


「はい…ありがとうございます。」


俺とニルは、そのままテトラが去るのを見送る。


「……何と言えば良いのか…複雑な心境ですね。」


「だな…」


テトラと話をした限り、彼女の本質は善人だ。

黒犬に騙され、脅され、ハイネ達を裏切ってしまったが、黒犬との関わりが無ければ、再会を互いに喜べるような関係だったはず。

ハイネとピルテにとっては、加害者ではあるが、テトラもまた、被害者の一人と言える。


しかし、ハイネとピルテの話を聞き、二人の苦しさを感じ取った俺達としては、許してやれとは口が裂けても言えない。かと言って、テトラをバッサリと切り捨てるなんて事も出来ないわけで……ニルの言う通り、本当に複雑な心境だ。


「俺達には、今回の事をハイネとピルテに伝えて、どうなるかを見届けるくらいしか出来ないだろうな。どうなるにしても、ハイネとピルテの意見を尊重しよう。」


「そうですね…分かりました。」


俺とニルは、何とも言えない複雑な心境のまま、買い物を終えて宿へと戻る。


「あ、おかえり。遅かったね?」


宿に戻ると、直ぐにスラたんが話し掛けて来る。


「ちょっと色々と有ってな。一応、買い物は全て済ませて来たから大丈夫だ。ただ……」


俺が、ハイネとピルテに視線を向けると、二人は疑問顔を向けて来る。


「ハイネ。ピルテ。少し話が有る。」


「…僕はちょっと買い忘れた物が有るから、出て来るよ。」


スラたんは、空気を察してか、部屋を出て行く。


こういう時のスラたんは、空気を読むのが本当に上手い。

スラたんも、ハイネとピルテの過去については知っているし、話を聞かれても問題は無いとは思うが、それは俺が決める事ではない。


「何か有ったのかしら?」


「まあな。俺とニルでは判断出来ない事だったから、二人に聞こうと思ってな。」


「「??」」


二人にとっては部下の仇の一人であるテトラの話だし、少し緊張してしまうが…言わないわけにもいかず、俺は口を開く。


「実は、買い物の途中で、ハイネとピルテから聞いていた……テトラという女性に会った。」


「「っ?!!」」


「一応、色々と話を聞いて来たんだが…どうする?」


「聞きたくありません!」


俺の質問に、即答したのはピルテ。当然の反応だろう。わざわざ仇であるテトラの話を聞きたいとは思わないだろう。


「ハイネはどうだ?」


「…………………」


ハイネは、真剣な表情で俺を見詰め、悩んでいるように見える。


「お母様…?」


「私は……少し聞いてみたいわ。」


「お母様?!」


ハイネは、ピルテとは違い、テトラの話を聞きたいと言葉にする。それに対して、ピルテは驚愕している。

ピルテとしては、テトラの事を聞こうとするなんて、何を考えているんだ?!という感じだろう。


俺としては、ピルテの気持ちも、ハイネの気持ちも分かる為、何も言えなくなってしまう。


「何を仰られているのですか?!アイザスとサザーナの仇ですよ?!今更何を聞こうと言うのですか?!」


「ピルテ。彼女も一人の被害者なのよ。許せとは言わないけれど、話を聞くくらいなら…」

「嫌です!私は聞きたくありません!」


バンッ!


「ピルテ!!」


「ニルちゃん。大丈夫よ。」


ハイネの言葉を切るように言ったピルテは、立ち上がると、そのまま部屋を飛び出して行ってしまう。


直ぐに追いかけようとしたニルをハイネが止める。


スラたんも、買い物に行くとは言っていたが、まだ宿の外辺りに居るだろうし、ピルテが飛び出して来たら後を追ってくれるはず。心配は無いと思うが…


「ごめんなさいね。」


「いや。俺の話が唐突過ぎた。もう少し配慮して話を切り出すべきだった…すまない。」


「どのタイミングで話をしたとしても、あの子は同じ反応をしていたはずよ。シンヤさんのせいではないわ。

前にも少し話をしたと思うけれど、あの子にとって、魔界での生活は少し気を張るものだったの。そんな中で心を許せるような部下が出来たから、あの子にとってアイザスとサザーナは特別な存在だったの。

勿論、私にとっても特別な存在だったけれど、私はあの子と仲良くしてくれる部下達…という目線で見ていたから、私よりもあの子の方が想いが強いのよ。」


「そうだろうな……」


テトラという女性の立ち位置が、ハイネとピルテにとってどれくらい違うのかは分かっていたつもりだったが……もっとピルテの気持ちに気を配るべきだった。


「シンヤさん。本当に気にしないで。

あの子は昔から……私に似たのか頑固なところは頑固なのよ。もし、シンヤさんでなく、私が伝えていたとしても、あの子は同じように飛び出したと思うわ。

暫くしたら、頭を冷やして戻って来るはずよ。

それに、今はスラタンが居るから大丈夫よ。」


「信頼しているんだな。」


「ええ。スラタンは他人の痛みを自分の痛みとして受け止められる人よ。きっと、ピルテにも寄り添って、一緒に痛みを感じてくれる。

母親にも、友達にも出来ない事を、彼はしてくれるの。だから、ピルテの事は心配要らないわ。」


少し寂しそうな、嬉しそうな、そして心配そうな複雑な表情で笑うハイネ。


「……分かった。

それで、テトラについてだが……」


「ええ。聞くわ。」


ハイネは真剣な表情で言う。聞く覚悟は出来ているようだ。


「分かった。」


俺は、今日起きた事の全てを、包み隠さずハイネに話した。


今、彼女がどうしているのか、どうしてここに居るのか、どういう気持ちなのか。全てだ。


「……という事だ。」


「そう……あの子も随分と苦労したのね。」


ハイネが全てを聞き終わってから、ボソリと呟いた一言を聞いて、俺は本当に驚いた。


自分にとって特別な存在だったと言える程の部下を、間接的にではあっても殺されたのに、その相手に対して、苦労したのねと言える。そんな人が、この世界…いや、元の世界と合わせて考えて、何人居るだろうか?

少なくとも、俺には言えない。


「ふふふ。シンヤさんの驚く顔は、やっぱり新鮮ね。」


「そ、そうか?いや、そんな事はどうでも良い。

ハイネは……」


「憎くないのか…かしら?」


「あ、ああ。」


「そうね……憎くないと言えば嘘になるわ。

あの子のせいで、アイザスとサザーナが死んでしまったのは変えられない事実だし、憎むのは当然よ。」


「そうだよな…」


「でも、テトラも、黒犬に騙されて家族全員を失ったのよ。それを考えると、あの子だって被害者よ。」


黒犬の名前に、部屋の隅に居たエフが僅かに反応し耳をピクリと揺らす。


「黒犬の連中に騙されなければ、きっと彼女は今もあの街で何とか暮らしていたと思うわ。と言っても…父親が酒浸りで、最悪の生活だったかもしれないけれど……でも、少なくとも、一人ではなかったはずよ。

確かに、あの子が裏切って、それが原因となりアイザスとサザーナは死んでしまったけれど、その状況を故意的に作り出したのは黒犬よ。だから、全ての恨みは、黒犬に向けるべきだと思うわ。いいえ、もっと言うならば、魔王様を操っている奴等ね。」


魔王が正気だったならば、黒犬が魔界からアーテン婆さんを追って出て来る事は無かったはず。特に、同じ魔族を手に掛けるというような強引な手段を許さなかったはず。いや、そもそも、アーテン婆さんが魔界を追い出されるような事も無かったに違いない。

そう考えると、テトラが脅されたのも、ハイネ達を騙したのも、そして部下の二人が死んでしまったのも、全ては魔王の後ろに居る奴等の仕業と言える。


だが、そう簡単に割り切れるものではない。

頭では、全ての元凶が魔王を操る何者かによって引き起こされたものだと分かっていても、恨んでしまうのが人というものだ。

それを、ハイネは、取り乱す事無く受け取り、恨みを理性で抑え込んでいるのだ。


「実の所、そう考えられるようになったのは、シンヤさんやニルちゃん、スラタンと出会えたからなのだけれどね。」


「俺達が…?」


「ええ。私とピルテも、同じように他人に対して酷い事をしていたところをシンヤさん達に見付かって…というのが出会いよね。その後、シンヤさんとニルちゃんのお陰で、被害者の人達と話をする場を貰えて、皆に許しを乞う機会が与えられたのよ。」


テトラとは、やった事の違いこそあるが、自分達が加害者であった時も有り、こうして何とか許されて魔界に戻る旅路に居る。そう言いたいのだろう。


「私とピルテは、シンヤさん達のお陰で、こうしていられるの。

スラタンには、他者に寄り添う事の大切さを教えて貰ったわ。スラタンにも辛い過去が有るのに、スラタンは他人を助ける事を当たり前だと考えているのよ。私とピルテにとっては衝撃的だったわ。

でも、そのお陰で、人の美しい部分を知る事が出来たの。

だから……私はシンヤさん達に出会った事で手に入れられたものを、無かった事にしたくないのよ。」


俺がそこまで高尚な存在だとは思えないが…俺達の行いが、ハイネにとって良い経験だと思えるようなものになっているというのは嬉しい限りだ。


「だが…それで良いのか?」


「許すとは言っていないわ。ただ、話す機会くらい有っても良いのかなとは思うのよ。」


「そうか…」


「勿論、ピルテの気持ちの方が優先だから、あの子が嫌だと言うのなら、このまま先へ進むわ。」


「ピルテ次第って事だな。それは当然だし、俺達は二人に合わせるから、好きなようにしてくれ。どうするのか決まったら、教えてくれると助かる。」


「分かったわ。ピルテが帰って来たら、二人で話し合ってみるわね。」


「ああ。」


ガチャッ…


噂をすれば…というやつで、ピルテがスラたんと共に宿に戻って来た。


「お母様…」


申し訳なさそうに部屋に入って来るピルテ。


「スラたん。ちょっと。」


「うん。」


戻って来て直ぐだが、スラたんを連れて俺達は三人で部屋を出る。


「ピルテは落ち着いたみたいだな。」


「そうだね…落ち着いていたと言って良いのか分からないけど、少なくとも感情的になって話す事は無いと思うよ。」


「それだけでも十分だ。ピルテを任せて悪かったな。」


「あれくらいどうって事はないよ。それより、ハイネさんは大丈夫なの?」


「ああ。ハイネは大丈夫だ。ピルテがどういう結論を出すかは分からないが、俺達に口を出せる問題でもないし、暫く様子を見よう。」


「うん。分かってる。

それより、お腹が空いてきたから、何か食べに行かないかい?」


「良いね。ニル。どこか美味そうな飯屋に行こうか。」


「だとすると…先程街を巡っていた時に見た店が良いかと。」


「あー!あの店か!良いな!」


「どんな店なの?」


「それはだな…」


俺達三人は、ハイネとピルテが話をしている間に食事を済ませようと、気になった店へ向かう。それは、テトラが雑談の中で教えてくれた店の中の一つ。

その辺りは治安が比較的良く、絡まれたりする事も少ない場所で、俺達は美味しく夕食を頂いて、ハイネとピルテの分を買い、宿へと帰った。

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