第616話 万年筆
「それで、いつもご主人様は、魔法を使う時に、科学的に考えていらっしゃるのですね。」
「魔法とか魔力とか、科学的に説明出来ないものも有るが、起きている現象は科学のそれだからな。何がどうしたらどうなるのかって事は、予想したり推測したり出来る。それを知っていれば、危険を避けたり、相手の攻撃を上手く対処出来るかもしれない。そう考えるとな。」
「す、凄いね…科学を使う事で、生存率や攻撃力まで落とし込むなんて…」
驚いたのはスラたん。
「こっちでは、戦闘に魔法が当たり前のように使われるからな。剣や槍で攻撃するだけじゃなく、科学的な思考も必要になる。それが分かっていて手を抜くわけにはいかないさ。」
ただ単に武器で攻撃するというだけの戦闘ならば、肉体だけの話だから、科学的な…特に化学的な知識はあまり必要無い。それこそ、パワーやスピードのような身体能力が高いだけで、相手との力量差が決まってしまう。まさに戦国時代の戦争とか、コロシアムみたいなものだ。
しかし、この世界での戦闘には魔法が必ず登場する。魔法で起こす現象が科学的、化学的な現象であるならば、その知識は必ず役に立つ。
現代の地球で起きる戦争では、科学的な現象を武器に落とし込んでいる為、その知識が有ると無いとでは大きく違うのと同じだ。
化学反応を利用した武器に対して、どうしたら、その化学反応を止められるのか、弱める事が出来るのかを知っていれば助かったのに…なんて事も有るはずだ。
この世界では、それが科学的な武器ではなく、魔法というだけの違いなのである。
スラたんの場合、ある程度、魔法の現象に対して無意識に科学的な知識から対処を考えているから、問題は無いと思う。ただ、言葉にされると、無意識にやっていた事に対して、意識が向くのだろう。
今現在、俺が凄いと言われているのは…無意識だった事だが、言われてみるとその通りだなー…というような感情から出た言葉なのだろう。
「私も、咄嗟にそういう考えが浮かぶくらいに、科学を身に付けなければなりませんね…」
「これについては、慣れも有るだろうから、やれと言って即座に出来るような事ではないと思うぞ。」
「が、頑張ります。」
ニルは努力の天才だと思うし、直ぐにそういう考え方が身に付くだろう。ただ、今直ぐにというわけではないし、俺が教えられる限りの事は伝えていこう。
「それより、本題から随分と話が飛んでいるが…?」
「そうだったね!万年筆!
一応、僕の知る限りの情報を伝えるよ。」
そう言って教えてくれたのは…
まず、ペン先に使われていたのは、酸や、アルカリつまり塩基に強い金の合金や、ステンレスのような金属を主に使っていたらしい。更には、ペン先の先端部は、紙と何度も擦れる為、摩耗に強い金属が別で使われているとの事。
また、先端部からペン先の中央部くらいまで切り込みが有って、切り込みの終点である中央部には穴が開けられているとの事。
先端部とは逆の方にはインクを入れておく物が取り付けられるようなっていて、そこから毛細管現象を使ってペン先にインクを送る仕組みらしい。
スラたんも知らないらしいが、他にも色々な工夫が施されているみたいで、細かい事を言えば、もっと付け加えられる便利な工夫が存在するらしい。
ただ、インクをわざわざ付けずとも、カートリッジの中のインクが無くなるまでは、ひたすらインクが出てくるという仕組みさえ出来ていれば、万年筆としては使えるとの事。その必要最低限の機構が、この辺りだろうという事らしい。
「切り込み…つまりスリットは、ペンを押し当てると開いて、インクが流れるようになっていたはず。紙にインクが毛細管現象で吸われると、カートリッジからインクが流れ出て、それと同体積の空気がカートリッジ内に吸い込まれるんじゃなかったかな。」
「い、意外とカートリッジの方が難しいか…?」
「いやいや。カートリッジも当然難しいけど、ペン先の方も十分に難しいよ。
インクが毛細管現象で吸い出されるけれど、ポタポタと落ちて来ない絶妙な切り込みのサイズを作らないといけないし、ペン先を作るだけでも難しいはずだよ。」
「お、おぅ…」
仕込み弓よりも簡単だろうとか言ったが、調子に乗っていたらしい…こうやって自分で作ろうとするとよく分かるが、元の世界の技術というのは、本当に凄かったらしい。
下手すると仕込み弓よりも難しい可能性すらある。
だが、ニルとピルテの為だし、万年筆の方から作ろうと決めたのだから、意地でも作ってやると決めて、取り敢えずザックリとした設計図を描いていく。
「このペン先の中央に、スリットと繋がって空いている穴は?」
「何だったかな……確か、ペン先の弾力を決める為の穴…だったと思う。」
「インクを一時的に溜めておく場所じゃないんだな?」
「それはそれで、別の機構が有ったはずだよ。
僕も最初はインクを一時的に溜めておく場所だと思っていたから、違うんだー!ってビックリした記憶が有るからね。」
「へぇ…」
穴の直径を大きくすると、書いた時に切り込みの左右が大きく開いて、小さくするとあまり開かない。使っている人からすると、それがペンを押し付けた時の弾力として感じ取れるという事なのだろう。恐らく…多分。
だとすると、この穴も結構重要な部分の一つという事になる。使った感じが、柔らか過ぎても、硬すぎても、使い心地は悪くなるだろうし。
「と、取り敢えず、どんな金属で作るかだな……
酸とか塩基に対しての反応性が低くて、それなりに柔軟性が有って…となると、やっぱり金が一番だよな。」
一応、金に関しての鑑定魔法の結果は…
【ゴールド…金。黄金とも呼ばれる希少な金属。延性、展性に富んでおり、反応性も非常に低い。】
というものになる。
今のところは、鑑定結果的に、この世界の金が特殊な特性を持っている…という事は無さそうだ。使用していくと何かしらが出て来るかもしれないが、基本的な特性は変わらないだろう。
「そうだね。金を使うという事に関しては、僕も賛成かな。他に使える金属を考える方が大変だと思うし。
ただ、金だけだと上手くいかないと思う。」
「百パーセント近い純金だと柔らか過ぎるわな。」
「昔は、小判を噛んだ時に跡が残るかどうかで本物かどうかを見分けた…なんて話も有るからね。
ただ、そうなると合金を作る事になるんだけど、何をどれだけ入れるか…だよね。
確か、二十四金が純金だったから…十八金で…七十五パーセントが金かな。」
「別の金属を二十五パーセント入れて合金にするという事か。」
「流石に何を入れて作っていたかまでは覚えてないな…銀とか銅とかだったような気はするけど…」
「……いや、今回はライティウムを使おうかと思う。」
「ライティウム……こっちにしか無い金属だよね?」
「ああ。一般的に使われている金属で、軽くて丈夫で錆に強いって金属だな。」
前にも使った事の有る金属で、鑑定結果は以下の通りだ。
【ライティウム…一般的な金属。軽く、そこそこ丈夫。錆にも強い。融点は八百度。】
「錆に強いって事は酸化反応に強いって事だから、恐らく反応性が低い金属なんだろうね。
金の融点が千六十四度だから…」
「金の融点なんてよく覚えているな?」
「金、銀、銅とか鉄とか、有名な金属の融点って、勉強しているとよく見たりするから、何となく頭の中に残ったりするんだよ。」
「凄いな…」
俺も、金の融点くらいならば、きっとどこかで見た事が有るのだろうが、全く覚えてない。大体千度くらいかなー…とか雑な感じで考えていただろう。
「ただ記憶に残っていただけだから凄くないさ。」
それが凄いのだが…
「とにかく、溶かして混ぜて、冷やした時にどうなるかだね。」
上手く合金として使えるような物になるのかどうかや、その特性については全く分からない為、この辺りは手探りでやって行くしかないだろう。
「あくまでも十八金というのは目安であって、ライティウムとの合金にとって一番良い割合なのかは分からないからね。
それと、ペン先の先端部はどうするつもりなの?」
「確か…アブラリウムとかいう金属で、耐摩耗性に優れた金属って説明文の金属が有ったはず。それを使おうかなと。」
鑑定魔法の結果は以下のように、そのままだ。
【アブラリウム…一般的な金属。耐摩耗性に優れている。】
これもこちらの世界にしか無い金属で、知識が全く無いから、説明文も少ないのだろう。
「という事は、金とライティウムの合金をペン先の形にして、先端部にアブラリウムを溶かして玉状にして付ける。そこに穴と切り込みを入れるって感じだね。」
「言葉にすると超簡単に聞こえるが…」
「上手くいけば直ぐに出来るかもしれないけど……まあ、こういうのはどこを妥協点にするかだと思うよ。」
完璧な使い心地を求める!なんて事は考えていないが、それなりに使い心地の良い物にはしたいとは考えている。
ここで言うそれなりというのをどれくらいのレベルに設定するか…という事だ。
「わ、私もピルテも、書ければ問題有りませんよ?」
「いや。折角作るのならば、良い感じくらいにはしたい。」
「ははは。その良い感じっていうのが難しいよね。」
スラたんは、俺の気持ちが分かるらしく笑っている。
折角作ったのに、ニルとピルテが使い辛そうにしている姿は見たくない。かと言って、万年筆だけに時間を取られ過ぎるのも宜しくない。悩ましいところだ。
「取り敢えず、やってみてだな。
ペン先の構造はスラたんに教えて貰えたし、まずは形を作ってみるか。」
「いつものように砂で型を作りますか?」
「ああ。ただ、これまでに作った物よりも小さくて繊細だし、今回の場合は数を作らないといけないから、まずはペン先に近い物を作って、それを元にして砂型を取るようにしよう。」
「……どういう事ですか?」
「毎回砂型にペン先の形の穴を作るとなると、どうしても微妙に形が変わったりしてしまうから、型を取る為の物を先に作るんだ。
それで取れた型に金属を流し込めば、ほぼほぼ同じ物が毎回作れる。」
「なるほど!」
「まあ、一番最初は、これまで通りに作ってみて、良さそうな物を型の元にする感じだな。」
「分かりました!」
炉を出して、火を入れて、型を作って…いつものように作業してみたが、その日は何一つ上手くいかなかった。
そもそも、作る物が繊細である為、その分型の方も細かな調整が必要だ。いや、そもそも、金とライティウムの合金を作ったが、それも硬くなり過ぎてしまっているらしく、微妙。そこからの調整から始まったのだ。とてもではないが、一日かそこらで出来るような物ではなかった。
特に、カートリッジについては全く光明が見えない状態だ。
同時進行で、仕込み弓の設計やら素材やらを決めてはいったが、仕込み…という名前からも分かるように、折り畳み式みたいな物を作らなければならず、出発地点で
セイドルが居る内に色々と聞いてみた方が良かったと、本気で後悔した。
そんな事をしながらも、北へ北へと向かい、一週間程が過ぎた時。どちらの製作にも、大きな進展が有った。
万年筆の方は、一応の形が決まり、カートリッジについては、手持ち部分の中にインクを入れる空間を作って、そこに注ぎ足すような形を作れば良いのではというスラたんの意見を採用することになり、カートリッジのように交換するという概念を諦めた。そもそも、そんな高度な技術が俺に有るはずもなく、最初から無理だったのだ。
後はペン先を整えていくだけなのだが、その為には金属を削ったりする工具が必要となる。しかし、これについては、俺が考えるより先に、スラたんが設計図を描いてくれていた。
筒の中にプロペラのような物を入れて、後部から風魔法で風を筒の中へ通すという仕組みで、風がプロペラを回し、先端部が回るというもの。この仕組みさえ出来れば、回転する工具は大体の物が作れてしまう。
魔石陣が必要だったり、耐摩耗性を考えたり、後は先端部の素材を取り替えられるようにしたりと、いくつか考えなければならない事は有ったのだが、その辺もスラたんが考えて設計図にしてくれていた。
しかも、それらを研究の合間に考えてくれていたのだ。何と言えば良いのか……一言で言うならば、脱帽だった。
ここまで出来れば、後はトライアンドエラーで、何とか形にする事は出来る。という事で、完成までの道程は描けたという事だ。
仕込み弓の方はというと、ちょっとしたカンニングというのか……
俺達とプリトヒュを繋げる為に付いて来てくれているナーム達の中に、仕込み弓のような物を持っている者が居て、それを見せて貰えたのだ。
俺達が作ろうとしている物よりもシンプルで、威力は低いという物ではあったが、弦に使われている素材や、射出する物が必ず弦の力を受けられるようにする工夫は必要だが、一番のネックとなっていた折り畳み式の構造は完璧に分かった。いや、そんな上等なものではないか……ハッキリ言おう。パクったのだ。
悪意が有るわけではなく、あくまでもリスペクトだから……許して欲しい。
因みに、弦はSランクのモンスターであるアラクネから得られる硬質な糸を使用する事で、より強い張力を得られるようにして威力を増大するつもりだ。
勿論、その分の頑丈さが本体には必要となるが、構造が分かってしまえば、どこを補強すれば良いかも分かるし、それ程難しい作業ではない。
また、飛ばす物を乗せる台座について。矢を飛ばすだけならば、そんな物は必要無いのだが、今回の場合色々な物を飛ばす予定なので、どんな形の物にも適応出来る形にする必要が有る。
勘の良い人ならば直ぐに思い付くとは思うが、革製の台座や布製の台座にする事で、飛ばす物の形状にある程度変形出来る。それに気が付けば、台座をより丈夫な革製にする事で解決出来る。
俺の場合、子供の頃に見たパチンコと呼ばれるスリングの玩具から、この着想を得ている。確か、あれも台座部分は革製かゴム製かで作られていたはずだ。
多少狡いが、構造を確認出来た為、後はそれを形にするだけ。
細かな部品も必要だが、万年筆のような繊細な物を作ろうとしている俺とニルにとっては、それ程難しい事ではなかった。
更には、万年筆に使った回転系工具が有る事で、より簡単に加工が出来る為、他に悩む点は無かった。
因みに、回転工具に使う砥石だが…
【ポリッサイト…一般的な砥石に使われている鉱物。硬度が高く、微小な結晶が集まって出来ている鉱物であり、多くの金属を削る事が出来る。氷点下まで冷やす事で軟化し、加工が可能となる。】
という、まさに砥石の為に作られたかのような物が有った為、これを加工し、先端部として使う事にした。
冷やすと軟化するというのは、既に一般的に知られている事らしく、最初から説明文が有った。
冷やすと軟化するというのは、不思議な感じがすると言ったら、スラたんが…
「多分だけど、冷やす事で微小な結晶が収縮して、隙間が出来て、流動するようになるんじゃないかな。結晶同士の結合がどうなっているかは分からないけど…イオン的な話か、魔力的な話って感じかな。結晶の界面部に…」
という感じで色々と話してくれたが、冷えると柔らかくなって加工出来るようになるんだなー…くらいしか理解出来なかった。スラたんも興奮していたし、超珍しい現象なのだとは思うが、不思議な石…という事で納得しておいた。電子がこうなってああなって…みたいな話をされて、それとなーくイメージは出来るが、へーほーふーん。くらいしか言えない程度の理解度だ。
ちゃんと理解する為にも、スラたん講座に入会してみようかな…
という事で、色々と有りながらも、北に在る、比較的被害の少ない街に辿り着く前夜に、何とか万年筆と仕込み弓が完成した。
「で……」
「出来ましたぁ!!」
ニルと俺の手には、出来上がった万年筆が一本ずつ。
「おー!おめでとう!出来たんだね!」
大体の流れを知っているスラたんは、俺とニルが万年筆を完成させた事を素直に喜んでくれている。
「へー…それが万年筆…だったかしら?」
「はい!かけーる君です!」
「えっと……何その名前?」
「ご主人様が付けて下さいました!」
「かけーる君……って……ぷふっ…」
「スラたん。そんな笑いを堪えてどうしたんだい?
俺とニルの渾身の一振。かけーる君を馬鹿にするのかい?」
「ば、馬鹿になんてするわけないよ!するわけ…ぷふっ…」
「よーし。表へ出やがれ。」
ここは外だが……かけーる君を馬鹿にする奴は俺が許さねぇ!
「可愛い名前ね。」
「可愛い名前ですね!」
「ぇ゛ええぇぇっ?!」
やはり、ハイネとピルテには、このセンスが伝わるようだ。
逆にスラたんは、ハイネとピルテの反応に、目が飛び出るくらい驚いている。
「何よ。可愛いじゃない。かけーる君。」
「か…かけーる君……だよ?」
「ご主人様に付けて頂いた名前に、何か違和感でも?」
「ニルさん?!笑顔の下に隠されている何かが怖いよ?!知りたくない!僕はその下の何かを知りたくないよ?!」
「では…違和感など有りません…よね?」
「あああ有るわけないよ!それしか無いって名前だよね!うん!!いやー!流石はシンヤ君だなー!ネーミングセンスまで一級品なんて!はっはっはー!」
「ふふふ。そうですよね。流石はご主人様です。」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます