第592話 終結

「うぅ……良かったです……良かったですぅ……」


ボロボロと涙を流しながら、俺の胸に顔を埋めるニル。


また泣かせてしまった…


「心配掛けたな。」


自分の胸の上で震えるニルの頭に手を乗せて、優しく撫でる。


「ご主人様…ひっ……顔が…真っ青で…ひっ…」


しゃくり上げながら泣くニル。

いきなり目の前でぶっ倒れたら…まあ心配にもなるわな…

貧血状態で倒れたとは言え、青白くなるほど失血していたわけではないと思うし、少し血色が悪かった程度だとは思うが…理由が何であれ、ニルが怖いと感じたのなら、それはそれ、これはこれだろう。


暫く、ニルは俺の胸の上で泣き続けていたが、やっと泣き止んでくれた頃には、俺の服はニルの涙で凄い事になっていた。

そこまで心配させてしまったのだという事なのだから、これくらいは何の事は無い。


「途中で倒れてすまなかった。」


「いえ…大丈夫です。もう終わっていましたから。」


まだ、スンスンと鼻を鳴らしながらではあるが、ニルは、小さく首を横に振る。


「色々と聞きたいところだが…まず、ここは何処だ?」


俺が寝ていたのは何処かの家の一室…だと思う。

俺が寝ているベッドに、タンス等、寝室と呼ばれるような部屋の中に居る事は分かるが、窓の外は横になっていて分からないし、ここがどんな建物なのかさえ分からない。


「ここは私達が潰したフヨルデの城の近くに在る誰かしらの貴族の屋敷です。」


「誰かしらの…?」


「ここの家主は既に街から逃げていて、誰も使わない屋敷という事で、ここを使わせてもらう事にしたのです。」


「なるほど……俺はどのくらい気を失っていたんだ?」


「丸一日です。」


窓の外は明るく、丁度俺達が屋敷に乗り込む前と同じような空が見えている。二十四時間近く寝ていたという事らしい。


「ニルは寝たのか?」


「…………………」


目を逸らすニル。


「まさか……」


「す、少しは寝ましたよ!皆様が寝ないとご主人様が起きた時に心配するからと…その…」


「強制的に…か?」


「う……」


俺を心配して眠れなかったのだろうから、あまり強くは言えないが、ニルもかなり疲弊していた。スラたん達が無理矢理にでも睡眠を取らせなければ、ずっと起きていたかもしれないと思うと…


「俺が言えた事ではないかもしれないが、自分の体の事も気にしてくれよ?」


「は…はぃ……」


まあ…心配させた俺が悪いんだが…とは思うが、ニルは俺の事となると無理をする所が有る。しかも普通の無理ではなく酷い無理だ。たまには注意しておかないと、そのうち倒れてしまうかもしれない。

それも俺のせいなのだが…それを言い始めると終わりのないループに入るから、この話はここまでにしよう。


「それで…俺の事とか、黒犬事とか、街の事とか…そういうのはどうなったんだ?」


「はい。」


俺の質問に対して、ニルは、俺が気絶してしまった後の事を細かく話してくれた。


その話をまとめると……


まず、俺が気絶してしまった後、黒犬の女は、大人しく捕まったらしい。まあ…正確には気を失ったという事で、俺と同様に失血による失神という事らしい。

左腕を失った後、かなり出血していたし当然の事だろう。

ただ、そうなるまでの間に、女は攻撃も可能な状態ではあったらしいのだが、攻撃はせず、とにかく狼狽うろたえていたらしい。


ニルの主観だが、まるで左腕と一緒に目的を見失ったかのような状態だったとの事。


その後、倒れた俺と女をスラたん達がどうにか治療し、女は一命を取り留めたらしい。

因みに、俺が倒れたのは、貧血が原因の一つでもあったのだが、疲労がピークに達していた事も理由だったらしい。

俺も女も、取り敢えず出血性ショック等の症状も無かったし、特に俺の方は、暫く安静にしていれば大丈夫だろうとの事。


女の方は、まだ意識を取り戻していないらしく、話は聞けていないらしい。血液が足りていない状態だから、ハイネ達が血液を摂取して記憶を読み取るという事も出来ず、一先ず回復するまでは拘束して寝かせているとの事だ。


次に、聞いたのは、ブードンの事だ。


部屋の奥に逃げたはずのブードン。しかし、奥の部屋へ入っても見当たらなかったが…俺と女を確保した後、奥に続く扉を開けたら、途方もない瓦礫を必死に退かそうとしているブードンが居たとか。

何日掛かるか分からないような事をせっせとやっている姿は、ハイネとピルテが見た、息子のフージが怯える姿と瓜二つだったとか…


ブードンの事は、スラたんが自分に任せて欲しいと言っていたが、今回の件で生き残っている高位の者はブードンしか居らず、一発ぶん殴って気絶させたところを拘束したらしい。

流石に、責任を取る者が全て死んでいた…では民衆の怒りも収まらない。住民達の怒りの矛先としては申し分無い相手だし、生きて捕らえられたのならば、その責任をしっかりと果たして貰わねばならないだろう。矛先の受け皿としては、ブードンはそれなりに役に立つだろうし、問題無いはずだ。


ブードンを捕獲したところで、後ろからケビン達が合流。かなり急いで道を作ってくれたらしい。そのままブードンはケビン達に引渡したとの事。

ケビン達と一緒に来ていた者達は、かなり怒っていた為、そのままブードンを殺せと、一時的に騒ぎになりそうだったらしいが、ケビンが必ず断罪し、ブードンには、住民達が納得する結末を用意すると約束し、一先ずの決着となったとの事。

間違いなくブードンは住民達の憎しみの中で死ぬ事になるだろうが、自分のやった事の結果なのだし、甘んじて受け止めるしかないだろう。

余罪を調べたり、その他諸々、ブードンにとっては調べて欲しくない事を調べる為にも、今は牢屋にぶち込まれているらしいが、調べが終われば、ブードンの罪の公表と共に、裁かれるはずだ。それをこの目で見られるかは分からないが、ブードンというクズが、犯した罪に殺されるのを楽しみにしていよう。


他にも、街に来ていた盗賊の残党は、街を出て北へ逃げようとしたみたいだが、周辺の村や街の連中が多くを無力化したらしい。ここは綿花が特産の地域だし、戦える者達ばかりではないが、近しい者達が殺されたとなれば、戦えない者達も武器を取る。俺達と共に敵陣へ突っ込んでくれた農夫達と同じだ。

散り散りに逃げ出した盗賊が、まとまって襲って来る農夫達に勝てるはずはなく、その大部分が殺されたようだ。後々の事を考えて、正式に公開処刑をした方が良い…なんて考えられる者達はそう多くなく、その場で殺された者達が殆ど。

ただ、全てというわけではなく、捕えられた者達も居たらしく、そいつらは、このジャノヤへ移送されてブードンと同じく牢屋に入っているとの事。


バラバンタ率いる盗賊の連中は、農夫だから、戦えない連中だから無理矢理屈服させてしまえば良い…と考えていたみたいだが、そう簡単な話ではないし、大切な人を奪われた者達は武器を取って立ち上がる。

今回は俺達やケビン達も居て、多くの事がジャノヤの街の中で完結してしまったが、俺達が居なくとも、いつかは武器を持った農夫達がこの街に押し入っていたはずだ。そんな状態では街など存続出来ないし、そもそも、住民が居てこその領地だ。バラバンタも、ブードンも含め、相手側の連中は、そんな事も分からない愚かな連中だったという事だろう。


次に、人質についてだが、捕まっていた人質は、殆どが助け出されたが、やはり犠牲者は出てしまい、全ての人達が無傷で…というわけにはいかなかった。残念ながら、助けられなかった命も多く、今回の件での犠牲者となると、かなりの数らしい。正確な数は未だに分かっていないが、この一件全てを通してとなれば、目眩がするような被害が出ている事だろう。こればかりはどうする事も出来なかったとは言え、やはり暗い気持ちにさせられてしまう。


城に居た奴隷達の事だが、俺の治療が終わり、一先ず大丈夫だとなった後、スラたんが急いで駆け付け、無事に救出したらしい。石壁で部屋に閉じ込めていたが、壁を破壊し、出てきていたみたいだ。ただ、その直後にロック鳥の風切羽によって城の殆どが吹き飛び、唖然としていると、盗賊の連中が逃げ出してしまったらしい。ブードンとの契約によって縛られていた為、逃げるわけにもいかず、地上でウロウロしていたところを見つけたらしい。

ブードンは生きていて命令は有効になっていたので、一先ず拘束したが、その後ブードンに全ての奴隷との契約を解除させ、無事に解放されたらしい。

その後の事は、まだ決まっていないが、今は俺が横になっているこの屋敷に匿っており、ハナーサ達が来たら、隠れ村の長であるギャロザに何とかしてもらうつもりらしい。

一応、奴隷達については、盗賊に襲われて無理矢理奴隷とさせられてしまった者達も居る為、対処を考えるとの事だが、神殿や貴族連中も殆どがブードンに取り込まれており、街の存続すら怪しい状態では、奴隷の事は後回しにされてしまう。そのゴタゴタの中で奴隷となってしまった人達が酷い目に遭う可能性は高いし、一度でも契約を結ばれてしまうと、ブードンと契約していた今までと同様に酷い人生を送る事になってしまう為、ギャロザ達に任せるのが良いだろうという事になったらしい。

最終的には、そういう奴隷にも、普通に生活出来る場所を与えたいとは考えているみたいだが、街の再建やその他諸々がある程度進んでからになるだろうということみたいだ。

盗賊連中は壊滅したが、奴隷の問題は依然として残っており、簡単に解決出来るものでもない為、何か良い案でも無いか模索中と言ったところだ。


街の事については、一先ず、ブードンとの関わりが無い貴族の中で、仮の領主を決めて、再建して行く流れになるだろうとの事らしい。

街の統治というのは、色々な知識や経験が無ければ出来ないし、敵を倒したから俺がやる!と言って出来る類のものではない。反発は有るかもしれないが、やはりそういう経験を持った貴族にやってもらうのが良いだろうということで、誰が適任なのかを吟味しているところという事だ。


「そうか……色々と大変だったみたいだな。そんな時に倒れてしまって申し訳ないな。」


「いえ!ご主人様は休んでいて下さい!」


「そうも言っていられないだろう。俺にも出来る事が有るなら……っ?!」


起き上がろうとしたが、目眩がして上手く起き上がれず、そのままベッドに横になってしまう。


「まだ動いてはいけません!」


ニルに叱られてしまった。苦しいとか痛いとかは無いが、どうにも体に力が入らない。


バンッ!

「シンヤ君!起きたの?!」


そのタイミングで部屋の中へ入って来たのは、スラたん、ハイネ、ピルテ。


「皆……心配を掛けた。」


「気が付いて良かったわ。」


「ニルから大体の話を聞いた。忙しい時に気を失っていてすまないな。」


「僕達に出来る事なんて殆ど無いから気にする事は無いよ。街の事は街の人に任せておくのが一番さ。僕達はあくまでも余所者だからね。」


「…それもそうか…」


俺達が手伝える事となると、建物を修復したり、モンスターを狩って素材を調達したりくらいだろうし、それくらいならば、この街に住んでいる人達だけでもどうにかなる。


「それよりも……ニルさんの声を聞くに、起き上がろうとしたんだね?」


丸眼鏡の奥でスラたんの目がニッコリと笑う。


「な……なんだ…?その不気味な笑みは…?」


「暫くは安静にしておかないといけない事くらい、シンヤ君なら分かっているはずなのに、心配している僕達の事を無視して、また無茶をしようとするんだから、それなりの覚悟が有っての事だよね?」


「い、いや…それはちょっと違う」

「ピルテさん!ニルさん!取り押さえて!」


「「はい!!」」


ニルが右腕、ピルテが左腕を押さえ、俺の身動きを封じる。


「な、何をするつもりだ?!止めろ!」


「動くなって言っても動くつもりなら、僕にも考えが有るって事さ…ふふふ……」


「な、なんだそれは?!それで何をするつもりだ?!」


「さぁ…大人しくするんだよ。」


「ぎゃぁーー!んぐっ………………臭ぁぁぁぁ!!!生臭ぁ!!」


スラたんが俺の口に突っ込んだのは、赤黒いゼリー状の何か。信じられない程に生臭く、鼻が爆発しそうになる。

ピルテとハイネは笑いながら鼻を摘んでいる。


「これはブラッドサッカーの血だよ。」


「ぐほっげほっ!」


ブラッドサッカーの血といえば……イーグルクロウのターナ、その姉であるラルベルの体が弱いと、ターナが定期的に送っている強壮剤だったはず。


「強壮剤として有名な物だけど、増血剤としての役割も有るからね。これをしっかり食べて、モリモリ血を増やしてね!」


「だ、大丈夫だ!俺はもう大丈夫だから!」


「今さっきフラついて倒れていた奴が何を言っているのさ。ほら。まだ残っているんだから、しーっかり完食しましょうねー?」


「た、楽しんでいるだろう?!なぁ?!」


「僕が楽しんでいるだって?!こうしてシンヤ君を心配して心を殺してやっている事なのに!酷いよ!」


演技だと丸分かりな泣き真似をするスラたん。


「ご主人様。」


「シンヤさん…」


「っ?!」


「これはご主人様の為なのですよ。」


「しっかり薬を飲んで、元気になって下さい。」


「ぐっ……」


ニルとピルテの素直でキラキラした目が俺を見ている。


「スラたん!謀ったな?!ニルとピルテを使うとは卑怯だぞ!!」


「くっくっくっ……バレてしまっては仕方無い。

いけぇぇぇ!!!」


先程は一口分を掬って口の中に入れられたが、今度はゼリー状の血が入っている容器ごと口に持って来るスラたん。


「んぐぁぁぁぁぁぁ!!!臭ぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」


日本で飲んでいた薬というと、無味無臭の物が多かったが、あれは、凄く飲む側の事を配慮しての事だったのだと、俺はこの時によく分かった。


などと、皆が無事に生還出来た事で、テンションが上がりふざけているが、それが出来るのも生きているからこそだ。皆のお陰でこうしてバカも出来る。

臭いのは本当に臭いのだが…


「お、恐ろしい臭さだった……ラルベルさんは、よくあんなの定期的に飲めるな…」


「あー。それは、臭いがしないように加工した後の物を飲んでいるからだと思うよ。」


「おい?!そんな物が有るならそれで良くないか?!」


「今は薬も素材も大量に必要なんだから、こうして薬が飲めるだけで有難いと思わないとだよ?」


「あー…それもそうか……」


俺もぶっ倒れたはぶっ倒れたが、もっと重症の人達は沢山居る。そういう人達に薬が行き渡るようにする為だと考えるならば、こうして臭いが薬を飲めるというのは幸せな事なのだ。元々製薬会社に居たスラたんの言う言葉には重みが有る。大人しく言う事を聞いておこう。


「まあ、そのまま飲ませたのは僕の嫌がらせだけどね。」


「言葉の重み?!」


「ははは。まあその処理をしている時間が無かっただけさ。次からは臭みを消したものを出すからさ。」


「あ…ありがとうございます。」


「うむ。よろしい!」


何か弄ばれた感が有るが…まあ無事だったのだし良しとしよう。


「それより、少し話をしたい事が有ってね。」


「話?」


「うん。」


スラたんが急に真面目な顔になり、ハイネの方を見る。


「捕らえた黒犬の女の事よ。」


スラたんに促され、ハイネはベッドの横に置いてある椅子に座り話を始める。


「何か分かったのか?」


「分かったと言う程の事ではないけれど、黒犬について少し…」


「聞かせてくれ。」


「ええ……女を捕らえた後、当然私達は、ローブを脱がせて顔を確認したのだけれど、彼女の種族はダークエルフだったのよ。」


「ダークエルフ…?エルフとは違うのか?」


ダークエルフと言うと、ファンタジーでよく見る名前だが、ファンデルジュの世界では、一度も見掛けた事の無い種族である。

普通のエルフについては、神聖騎士団とのあれこれで関わってもいるし、それなりに知っているが、ダークエルフについては何も知らない。


「ええ。ダークエルフというのは、エルフとは全く別の種族よ。」


「エルフはエルフ…なのにか?」


「私も詳しい事までは知らないけれど、ダークエルフというのは、普通のエルフとは行動を共にしない種族のはずよ。耳が長かったり、自然の中で生活するという部分は一緒だけれど、肌の色が浅黒くて、闇魔法を得意とし、身体能力がエルフよりも高いのが特徴と聞いた事が有るわ。」


「随分とザックリとした説明だな?」


「ええ……それは、ダークエルフという種族は、既に絶滅した種族だと言われているからなの。」


「絶滅した種族…?」


ハイネの話では、ダークエルフというのは、元々数の少ない種族で、大昔に戦争が有った時代に生存競争に負けて絶滅したと言われているらしい。

一応、絶滅する以前は、魔族の一員だったとされているとの事。


「一応、他の黒犬達も調べてみたけれど、全てダークエルフだったわ。」


「絶滅したはずの種族が、魔王直轄の暗殺部隊か…」


「魔族関連の話となると、その辺で話すわけにもいかないから、一先ず私達で身柄を預かれるようにケビン達と交渉しておいたわ。」


ダークエルフという事は一先ず置いておいたとしても、魔王直轄の部隊、しかも暗部の部隊ともなれば、魔界に関する重要な情報も数多く所有しているはず。

万が一、そこから魔界の情報が漏れたとしたら、魔界が大変な事になるかもしれない。

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