第591話 黒犬 (3)
「何故そこまでその女を庇う?金で買っただけの女だろう。」
黒犬の女は、俺の態度に対して、疑問を投げ掛けて来る。
その質問は先程聞いた…と言いたいが、どうも少し違うらしい。
「ここに居た連中とは違い、力をただ振り回すだけではなく、使いこなしている。お前は強い。
それだけの強さを身に付ける為には、途方も無い時間と労力を費やしているはずだ。それを、奴隷一人の為に捨てるというのか?」
なるほど…黒犬もまた魔族。
強さに対して、色々と思うところが有るのだろう。
恐らく、万全の状態であれば、ここに居る黒犬連中相手でも勝ち筋が見える程度には戦えていただろう。それを、女は俺と刃を交える事で感じ取ったのだろうと思う。
日々鍛錬を重ね、強く在る事を望み、求められており、それが使命でもある黒犬。自分達よりも強いと思える相手が、奴隷一人の為に、それまでに費やして来た時間と労力、そして命を賭けて戦う俺の事が理解出来ないらしい。
黒犬連中は、忠誠心に命を懸けていて、死を
しかし、その質問を投げ掛けて来るという時点で、恐らく黒犬連中に、それを理解するのは難しいだろう。
言ったところで理解出来ないと分かっているのに、言葉を交わしても仕方の無い事だ。
いや、時間稼ぎくらいにはなるかもしれないが、相手は黒犬。致命的な時間稼ぎをされるまで悠長に話をするなんて事は無いだろう。ならば、時間稼ぎにも意味は無い。
「…はぁ…はぁ…」
「……答える気は無い……か。いや…聞いたところで何が変わるというわけでもないな。
だが、せめて、その強さに敬意を示して、楽に逝かせてやろう。」
「はぁ…はぁ…涙が…出るくらい…嬉しいぜ…」
息苦しさで、軽口もろくに叩けない。
絶体絶命という言葉が、これ程適切に当てはまる場面もそうそう無いだろう。
だが、まだ終わりじゃない。
こちらに残されている手札は、まだ残っている。
タンッ!!
何度目なのか…またしても始まる黒犬連中による波状攻撃。
ここまで、ただひたすらに攻撃を受け続け、耐え続けた。死ぬ程辛い時間だったが、やっと、反撃の時が来る。
既に結果が見え始めている戦闘に対して、黒犬連中は、これで俺達を仕留めようと動き出した。当然、攻撃は積極的なものになり、少しだけだが前のめりになる。
隙と言うにはあまりにも
肩で息をしているような状態で、正確に攻撃を通すなんて事、出来るはずがない。
だが、何度も言うように、全てを俺一人でやる必要もない。
迫って来る黒犬の一人に向けて、俺は刀を振る。
刃は届かない。
神力による飛ぶ斬撃だという事を瞬時に判断し、その者は刀の軌道上から避ける為、俺から見て左へと跳ぶ。
ダンッ!!
「っ?!」
俺の斬撃を避ける為に、床を蹴って跳んだ瞬間に、俺の真横から床を蹴る音がする。
これまで見せてきたスピードとは比較にならない程のスピードで、空中に跳び、身動きの取れなくなった者の背後まで一瞬にして辿り着いたのはレンヤだ。
黒犬連中は、俺が得体の知れない力を使い、スピードやパワーを一時的に強化したり、斬撃を飛ばす事を警戒していた。
故に、俺の行動は常に監視されており、常に誰かの視線が注がれている状態だった。
そして、女が俺を仕留めるつもりで攻めようとした時、黒犬全員が、最も仕留めなければならない相手……つまり、俺に視線を向けた。
俺、ニル、レンヤの三人で見た時、黒犬連中は危険度を、俺、ニル、レンヤという順番で設定していたからだ。
俺は散々暴れ回っていたし、ニルは防御が固い。
これに対して、レンヤは強くはあるが、俺やニルと比較すると一歩劣るように見えていたはずだ。
しかし、実際は違う。
鬼人族の中でも、レンヤのような強い者達というのは、神力の操作を身に付けている。そして、それ有りきの戦い方を基準にしており、神力を使った時にこそ、その強さの本領を発揮する。
そんな事は分かり切った事なのだが、それはオウカ島に行き、鬼人族の事を知っている俺達だからだ。
黒犬はオウカ島には入っていない。当然鬼人族の事も、神力の事も知らない。故に、レンヤが神力を使用して、俺と同じようにスピードやパワーを強化出来るとは考えていなかったのだ。
神力は、俺が使用する聖魂魔法と同様に、俺にしか使えない特殊な力だと思っていたみたいだが、実際は違う。漆黒石を体内に持ち、その強度が、ある程度以上ならば、誰にでも使う事の出来る力だ。それを黒犬連中は知らなかった。
そして、神力を使った戦闘であれば、最近使い方を覚えたばかりの俺よりも、長い間修練を重ね続けて来たレンヤの方が圧倒的に
それこそ、俺など比較にならない程に巧く。
危険度で相手を割り振り、仕留めるという段階になった事で、黒犬連中の意識が俺に集中した。言う程大きな変化ではなく、無意識下での、ほんの僅かな変化でしかなかったが、確かに意識が揺れた。
その刹那程の揺らぎの中で、的確なタイミングで前へ出たレンヤを、黒犬連中は止める事が出来なかった。
わざわざ、避けられると分かっている飛ぶ斬撃を放った俺の意図を正確に読み取り、自分が神力を使えるという事をひた隠していたレンヤは、ここでそのカードを切ったのだ。
一瞬にして背後を、しかも空中に居る状態で取られてしまった者は、何とかレンヤの攻撃を受けようと体を捻る。
バギィィィンガシュッ!!
ガンゴンッ!
空中で体を捻った黒犬の一人は、レンヤの振る短剣に対して、何とか持っていた短剣を挟み込んだらしい。しかし、挟み込んだはずの短剣は、レンヤの振る短剣に触れた瞬間に砕け散る。更に、レンヤの短剣は勢いを止めず、脇の下を深く切り裂き、それでも尚止まらない勢いによって、体を吹き飛ばされ、天井に背中と後頭部を強く打ち付けた後、地面に落ちる。
「う……ぐぅ……」
吹き飛ばされた者は、何とか立ち上がろうとしているみたいだが、斬られた脇の下からは、一目で致命傷だと分かる量の血がボタボタと流れ出しており、天井に頭を打ち付けた事で脳震盪を起こし、立ち上がれず床の上に再度倒れ込む。
レンヤの体格からでは考えられない程の威力の攻撃。
神力は見えないから正確な事は分からないが、恐らく、片足に神力を集めて床を蹴り、それと同時に武器を持っている腕に神力を集中させ、着地と同時に、神力を纏わせた足から腕、そして武器へと力を伝え相手に叩き付けたのだろう。それ以外にも何か特殊な使い方をしているのかもしれないが、神力の使い方は流派の極秘事項だから、俺にも分からない。
とにかく、黒犬連中でさえ唖然とするような威力の攻撃をレンヤが放った事だけは確かだ。
ダンッ!!
「「「「っ?!」」」」
この好機を逃すなんて事はしない。
唖然とする者達に向けて、神力を使った俺が床を蹴る。
一転攻勢。ここで全てを出し切って、黒犬連中を制圧しなければ、俺達の負けが確定する。
「はあぁぁっ!!」
バキィン!ザシュッ!!
俺は、レンヤに攻撃を仕掛けようと近くに来た一人に向けて刀を突き出す。
剣技、貫鉄尖。
片手平突きの一撃は、黒犬に付与されていた防御魔法を突き抜け、心臓を突き抜ける。
そして、それと同時に、桜咲刀の刀身全てが桜色に変色し、魔法が発動する。
百花桜刀は、周囲に広がる範囲木魔法。この部屋の中であれば、術者である俺の近く以外は全てが攻撃範囲となる。
「「「「っ!!!」」」」
ズガガガガガガッ!
レンヤと後ろから近付いたニルは、百花桜刀が発動すると同時に俺に寄り、脅威から逃れられるが、黒犬の連中はそうはいかない。
俺の足元から、刃のような枝が次々と伸びて行く。
部屋中に張り巡らされていく木魔法による攻撃は、避けようと思ってもなかなか避けられるものではない。ものではないのだが…
ザザザッ!
「くっ!」
ザザザッ!
「このっ!」
ザッブシュッ!!
「ぐああぁっ!!」
ズガガガ……
六人は、まるで曲芸師のように伸びて来る枝を避けている。流石に全員が全てを避けるというのは無理だったらしく、二人は枝に貫かれて死んだみたいだが、四人は生き残り、その中で怪我を負ったのは一人だけ。しかも軽傷だ。
身体能力の高い連中だということは分かっていたが…まさかこれすらも避けられるとは思っていなかった。残っても一人か二人だろうと思っていたのに…いや、それでもまだ終わりではない。
バキバキバキッ!!
百花桜刀の魔法が落ち着くと同時に、ニルが、アイスパヴィースを前に、その枝を破壊しながら突き進む。
「やあぁぁっ!!」
ガンッ!!
「ぐっ!!」
枝が邪魔で回避行動を取れなかった一人は、迫り来るアイスパヴィースから逃げられず、壁に押し付けられて身動きを封じられる。
ザクッ!!
「ぐっ!!」
壁とアイスパヴィースに挟まった者に対して、戦華を突き立て、命を奪ったニル。
残りは三人。
「このぉっ!」
突っ込んだニルに対して、残った三人の内の一人が攻撃を仕掛ける為に枝を避けながら接近する。
ダンッ!!
「っ?!」
その者の目の前に躍り出たのはレンヤ。
またしても神力によって一瞬で相手の目の前へと移動し、短剣を振る。
バギィィィン!!
「「っ?!」」
しかし、レンヤが持っているのは、元々はレンヤが入れ替わる為に殺した者の武器で、神力を使った怪力に耐えられる強度を持っていない。
一度目は耐えられたみたいだが、二度は耐えられず、相手の持っていた直剣とぶつかると、双方の武器が砕け散る。
「はぁっ!」
互いの武器が破壊され、一瞬の間が生まれたが、先に動いたのは相手。
懐にでも隠し持っていたのか、ナイフを取り出し、レンヤに襲い掛かろうとする。
ダンッ!
「っ!!」
ギィンザシュッ!!
そこに俺が神力を使って走り込み、ナイフの上から桜咲刀を叩き付ける。
小さなナイフ一本では、俺の一撃を止める事など出来ず、刃を押し込み、そのままその者の首に刃を滑らせる。
「っ……」
ブシュウウゥゥゥ!
血が吹き出し、鉄錆の臭いが部屋の中に充満して行く。
「クソッ!」
短く言った女が、奥の壁に向かって走るのが、枝の間に見える。
「まずい!」
このタイミングで俺達ではなく壁に向かって走るなんて、考えられる行動は一つしかない。
「っ?!」
それを追おうとして足を踏み出したが、力が入らず、膝がカクンと折れてしまう。
想像以上に体力を消耗していたのか、疲労が限界を超えたのか、体が言う事を聞いてくれない。
「レンヤ!」
今、女に一番近いのはレンヤ。女を止めてくれと叫んではみたが、流石に距離が遠過ぎる。いくら神力での突撃が出来るとしても、女の方が先に壁へ到達してしまう。
「ここっ!!」
ズガガガッゴンッ!!
「っ!?!」
部屋を崩壊させる為の仕掛けを作動させようとした女の前に、突如石の壁が床から出現し、壁を塞ぐ。
「そう何度もやらせないわ!!」
石の壁を作り出してくれたのは、後ろで援護をしてくれていたハイネとピルテ。二人が同時に魔法を使用して、破壊すらさせないよう、二重に石の壁を張ってくれたのだ。
ハイネ達の方を見ると、二人とも魔力がもう残っていないのか、フラついてスラたんに支えられている。
一気に俺達は形勢を逆転させ、残りは二人。
ここで倒れるわけにはいかない。
力の入らない足に喝を入れて、何とか立ち上がろうと試みるが、視界が軽く明滅し、頭がクラクラする。
傷口が開いて、またしても血が流れた事で、貧血状態になっているらしい。
「せめて…お前だけは!!」
残った二人は、同時にニルへ向けて走り出す。
「っ……あ゛ぁぁぁっ!!」
ブンッ!!
俺はクラクラする頭を無理矢理叩き起して、右手に持っている桜咲刀を投げ付ける。
ビュッ!!
「っ?!」
ザシュッ!バキィィン!!
俺の投げた桜咲刀を、女は避けられたみたいだが、その後ろを走っていたもう一人の体を貫通し、そのまま壁側へと吹き飛ばす。
その時、刀の切っ先が壁に強く打ち付けられたらしく、桜咲刀が折れる音が聞こえて来る。
「ぐっ……」
ドサッ……
何とか一人は倒せたみたいだが、肝心の女を仕留められなかった。
無理矢理力を捻出した事で、全身から力が抜けて、完全に動けなくなった俺は、そのままその場で倒れ込んでしまう。
意識はまだ有るが、体が言う事を聞いてくれない。
「ご主人様!!」
俺が倒れた事に対して、ニルが動揺しているのが分かる。
「前を……見ろ……」
届くかも分からないような…蚊の鳴くような声で、ニルに伝える。
「せめてお前だけでも道連れにしてやる!」
女は、両手に持っている短剣を、ニルに向けて突き出す。
俺の事よりも、今目の前に居る女に集中しなければ、ニルが危険だ。
「死ねぇぇ!!」
ギィン!!
焦点を定めるのも難しくなりつつある視界の中に、女の攻撃を黒花の盾で受け止めるニルが映り込む。
「退けええぇぇぇぇぇ!!!」
絶叫に近いニルの声。
普段は絶対に聞かない声だ。
何か大きな戦闘が有ると、こうして俺が倒れて気を失う事も有ったが、その度に、ニルはあんな声で叫んでいたのだろうか……?
思考が巡らなくなった頭で、そんな事を考えていた。
ギィン!ガンッ!ギンッ!
レンヤも、落ちていた短剣を拾い上げて、ニルの援護に入ったようだが、二人の攻撃を受けても尚、互角の戦いを見せる女。
ザシュッ!
「くっ!!」
しかし、流石にニルとレンヤ二人を相手に勝つ事は出来ず、二人の攻撃が女を捉える。
「っあ゛ぁ!!」
女は、このままでは任務を達成する事が出来ないと思い、どうにかして活路を見出す為、一つの思い切った行動に出る。
ビュッ!!
それは、倒れた俺に対して、手に持った短剣の内の一本を投げ付けるというものだった。
俺が、金で買った奴隷に対して、ここまでする程大切にしている事を、理解はしていなくても、気が付いていた。
だから、俺がニルにとっても大切な存在であると考え、俺に対して攻撃を繰り出せば、ニルに隙が生まれると思ったのだろう。
その考えは間違っていなかった。
確かに、俺に対して攻撃を仕掛ければ、間違いなくニルは俺を助けようと動く。自分の身さえ犠牲にしてでも盾となる事を選ぶだろう。
しかし、それでは俺に向かって飛んで来る短剣を止める事は出来ない。
ニルは俺に飛んで行く短剣を見て、目を見開いた。
ゴウッ!!!
しかし、次の瞬間。
俺の前を何か黒い物が通ったと思ったら、飛んで来ていたはずの短剣が消えていた。
「なっ?!」
「…………」
ゴウッ!!
「……??」
ブシュウウゥゥゥゥゥゥゥ!!!
「っ?!!!!?!」
俺の目の前を通った黒い何かが、そのまま方向を変えて女の方へと向かうと、女の左腕を飲み込む形で通過した。
すると、そこには女の左腕は無く、唐突に消えた左腕から血が吹き出す。
どうやら、ニルが紋章眼を使ったようだ。
未だに魔力消費に耐えられず、気絶してしまうような燃費の悪い魔眼である為、戦闘では極力使わないようにと言ってあったが、この状況は、ニルの中で使わなければならないと判断するものだったらしい。
サファイアのような美しい青色の瞳が、赤色に変わり、そこにはアスタリスクを円で囲ったような紋章が見える。
「何が……っ?!」
自分の左腕が消えたというのに、何が起きているのか全く分からない女。それでも、冷静さを失わず、ニルの方を見る。
そこまで冷静さを保てるような女なのに、ニルの瞳を見て、焦るのが見えた。
「ご主人様に………」
まずい。
あの女は、ニルの紋章眼について何か知っている様子だし、魔王の事やその他諸々について聞きたい。
そう出来ない状況ならば、仕方無いが、殺さずに捕えられるならばそうしたい。
しかし、ニルは完全にキレている。俺への攻撃を見て、女を生かしておこうなどとは考えていないはずだ。
「手を出すなぁぁ!!」
ブワッ!!
ニルの操る黒い霧が、女に向かって伸びる。
「ニ…ル……」
「っ?!!!」
戦闘中に聞こえるような声ではなかった。
自分が出しているのか疑問に思う程小さな声だった。
それでも、ニルは俺の声に反応して、ピタリと黒い霧の動きを止める。
「殺…すな……」
相手の女は、既に左腕を失い、大量の出血をしている状態。いくら強いとは言っても、ニルとレンヤ相手に、ここから状況を覆すのは無理だ。
それに……ニルの紋章眼を見た時から、何故か女は混乱しているように見える。戦意が無くなった…かは分からないが、少なくとも、ニルを攻撃しようとしていないのを見るに、このまま死ぬまで戦うという事は無いはずだ。
何とか、ボーッとする頭で、ニルに伝えなければならない事を伝え終えたところで、目の焦点が完全に合わなくなり、暗くなっていく。
これはこのまま気絶してしまうやつだなー…などと考えていると、直ぐに俺の意識は完全に途絶えた。
ーー・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー
「……ぅ………」
「っ?!ご主人様!!」
直ぐ近くから聞き慣れたニルの声がする。
こうして心配しているニルの声を聞きながら覚醒するというのも、何度目になるだろうか。
また泣かせてしまうな…
そう思いながら目を開くと、最初はボヤけていた視界が少しずつハッキリとし始めて、やっとニルの顔が見える。
案の定、目には涙を浮かべて俺の事を覗き込んでいる。
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