第590話 黒犬 (2)

レンヤは、副四鬼という立場だし、間違いなく強い。間違いなく強いが…あくまでも忍であり、得意とするのは暗殺のような影からの攻撃だ。

そういう役回りならば、黒犬さえ足元にも及ばない力を持っているし、こうして黒犬の懐に難無く入り込めたのが良い証拠だろう。

それに対し……黒犬も暗殺は得意とするところだろうが、忍のように始終影に徹するというよりは、ある程度の強行突破も視野に入れた部隊であり、単純な戦闘能力だけで言えば黒犬に軍配が上がる。


レンヤを加えた三人での戦闘。相手は八人。

先程までよりはマシに戦えるだろうが…結局、追い込まれている状況である事に変わりはない。


アイスパヴィースは有効に働いてくれているし、ニル自身も防御を行ってくれているお陰で、何とか持ち堪えているが、何か一つでも間違えてしまえば、一気に崩される。


「レンヤ。助かった。」


「いえ……」


レンヤも、こちらが厳しい状態だということをよく分かっているらしく、険しい表情をしている。


「レンヤ。この部屋にトラップは仕掛けられているのか?」


「いえ。トラップは仕掛けられていません。ただ、部屋自体には、崩壊するような仕掛けが施されているようです。」


俺の横に来たレンヤと言葉を交わす。


レンヤは黒犬とここまで行動を共にしていたのだから、ある程度の情報は持っているはず。ただ、ここでの戦闘に関係の無い情報については、今のところ必要無い。


まずは、この部屋を自由に使えるのかどうか。おっかなびっくりで足を踏み出して戦うのは嫌だし、それをまずは確認したかった。

トラップは無いそうだが、部屋が崩壊する仕掛けが有るという事は……最悪、黒犬は、自分達諸共この部屋を倒壊させる危険性が有るという事だ。


バラバンタの場合は、よく分からない感性の元で、部屋を崩壊させようとしたが、黒犬の場合、俺達を実力で仕留められないと判断した場合、逃がすくらいならば、自分達諸共生き埋めになる事を選ぶ…と思う。

これはあくまでも勘みたいなものだが……黒犬の連中は魔王に対して絶対の忠誠を誓っていて、その魔王がニルを殺すように命じたとなれば、その命令は個々の生命よりも優先される。そんな事を思っている集団な気がする。レンヤを含めた忍の者達も、似たような感覚を持っている為、外から見ていると、何となくそれが分かるのだ。

つまり、もし、自分達の手で俺達を殺せないと判断するような状況に至った場合、迷わずこの部屋を倒壊させるのではないかと考えられる。

まあ……そこまで相手を追い詰められるかどうかというところで悩んでいるのに、その先の事を考えても仕方の無い事だが…一応そうなる可能性も有るという事を覚えておこう。


「分かった。」


「注意するべきは、話をしていた女です。直接戦ったわけではありませんが…恐らくかなり強いかと。」


レンヤが俺に注意しろと言うくらいなのだから、かなり強い相手なのだろう。


この世界の三大勢力の一つである魔族。その王たる魔王に仕える暗部の部隊。それが弱いという事など有り得ない。それくらいの事は最初から分かっていた事だ。

今更嘆くような事じゃない。


「…レンヤ。巻き込んですまないな。」


鬼人族であるレンヤにとって、この戦闘自体は、本来の目的とは大きくかけ離れている。言ってしまえば、俺達を思って手を貸してくれているに過ぎない。

それなのに、こうして命を懸けて戦わせる事になってしまった。


「何を言いますか。お二人の危険を見過ごしてしまえば、それこそ帰れなくなります。」


「…悪いな。今更だが…一緒に命を懸けてくれ。」


「喜んでお供させて頂きます。」


元々、レンヤには黒犬達の動向を探ってもらって、それを俺達に伝えてくれるように頼んだだけだ。

レンヤ自身も、それは分かっていた。

それでも、敢えて相手の懐に入り込み、更なる行動に出てくれたのは、レンヤの判断だ。当然、仲間の忍が爆破したのは、レンヤの指示によるものだろうし、ここに残っているのもレンヤの判断と言える。

つまり、俺がレンヤに黒犬達の事を頼んだ時から、レンヤは命を懸けて任務を遂行しようという覚悟が有ったのだろう。


寧ろ、俺の方が、レンヤを巻き込む覚悟が足りていなかった。


今更、お前は逃げろと、レンヤの覚悟を穢すような事は言えない。ならば、共に戦う仲間として、俺も巻き込む覚悟を決めるべきだ。

本当に今更ではあるが…言葉にしておくだけで色々と違うものだ。


「取り囲んで一気に仕留める。」


黒犬の女が一言発するだけで、周囲に居た連中は素早く動き、陣形を取る。


オウカ島の道場で見た者達が見せる動きのようだ。現代日本で言うならば、自衛隊が一番近いだろうか。


統率の取れた機敏な動き。敵としては見たくない動きだ。


「ご主人様。私が五人を…」


「いや。無理はするな。今はとにかく耐える事を考えるんだ。」


「しかし…」


ニルが言いたい事は分かっている。このまま耐えていても、突破口は開けないという事を言いたいのだろう。

だが、例えそうだとしても、無理をして一歩でも踏み外してしまえば、その時点で終了だ。特に、黒犬が使う武器に仕込まれているであろう毒となれば、まず間違いなく即効性の猛毒。擦り傷一つでも確実に死ぬ。四人を相手にしているというだけでも、ニルはかなりギリギリなのに、更にもう一人相手にするとなれば、ニルに掛かる負担が超過する。その結果は言うまでもないだろう。

レンヤが相手に出来るのは…恐らく一人か二人。


「レンヤ。二人を相手に持ち堪えられるか?」


「はい。」


「…頼む。」


「分かりました。」


やれるという言葉を、冷静に伝えてくれているが、レンヤの実力と相手の実力を考えると、二人の相手をするとなれば、かなりギリギリだろう。

そうなると、女の相手と、残った一人の相手は俺がしなければならない。


ロクスから受けた傷は未だに痛むが、泣き言を言っていられるような状況ではないし……ここでぶっ倒れたとしても、全力で抗うしか助かる道は無い。但し、無理をして自らの首を絞めるような事は出来ない。

何としてでも耐えて、反撃の機会を作り出し、どうにか切り抜けてみせる。


「レンヤ。ニル、女ともう一人は俺が相手をする。他のを頼んだ。」


「しかしご主人様!」


「ニル。今は怪我の心配よりも、命の心配をするべきだ。」


死ぬか生きるかの瀬戸際で、怪我の心配をしている場合ではない事くらい、ニルなら分かっているはずだ。それでも、どうにか俺の負担を減らそうとしてくれるところは、やはりニルはニルだと言える。だが、やはり、黒犬の女の相手をするのに適しているのは、この中では俺だという事もまた分かっているはず。


「………はい。」


あれこれと言い合っている時間も無い。


ニルは頷いて、俺達を取り囲むように広がった黒犬連中に視線を向ける。


「………………」


「…………………」


黒犬の連中としては、かなり優位に立っている状況だと言うのに、嫌に慎重で、隙は全く見せない。

俺達が話し合っている間も、攻撃しようと思えば出来たはずなのに、そうしなかったのは、不用意に飛び込めば、俺達がそれを狙って攻撃して来るだろうと読んでいたからに違いない。


隙を誘い出すという事も難しいらしい。


盗賊連中と相対した時とは違い、チクチクと刺すような殺気が伝わって来る。


そこには個人の感情など無く、ただ魔王から指示された対象を殺すという意思だけが有る。

恨みや憎しみから来る殺気ではなく、単純に殺す対象だから殺そうとしているという意思は、人と言うよりモンスターから感じる殺気に近いだろう。


無駄な会話は一切無く、黒犬の連中が前傾姿勢を取る。


「来るぞ!」


俺が声を上げると同時に、八人が一斉に動き出す。


またしても、右に左にと交差し、俺達の前を行き来しながら近付いて来る。


「はぁっ!」


「っ?!」


しかし、先程までとは違い、こちらも動く。

動くと言っても、俺が神力を飛ばして相手の動きを阻害するというだけの事だが、接近戦が続く今の状況下では、飛ぶ斬撃を放ち、中距離で攻撃出来る神力は、俺達が持っている数少ない有利なカードの一つである。


ガガガッ!


飛ぶ斬撃は、床の硬質な建材を僅かに削り、女の元へ飛んで行くが、女はそれを避ける。


「見せ過ぎたか…」


盗賊達との戦闘で、何度も見せた攻撃で、黒犬連中も警戒していたらしく、完全に回避されてしまった。

俺の飛ぶ斬撃は、刀の振った先に飛んで行くというものである為、刀を振った軌道上から外れれば、攻撃を避ける事が出来る。そこは魔法に有る風刃の剣の効果と変わらない。魔法陣を描かずとも、そういう攻撃が出来るという事実さえ知っていれば、対策はそれ程難しいものではない。俺が振る刃の軌道から常に外れていれば、いつ斬撃が飛んで来ようとも関係無い。このレベルの相手ならば、避ける事は造作も無い事だろう。


「………………」


しかし、相手の動きを阻害出来ると考えれば、使えないという事も無い。ダメージにはならなくても、八人の連携を崩し、一人、二人の足を止めさせる程度の効果は有る。八人の同時攻撃が、一時的にでも崩れるのであれば、飛ぶ斬撃を使う価値は有る。

実際、女の足を止めさせた事で、他の七人も一度大きく下がった。


「厄介な攻撃だな…」


女は、床に付いた浅い傷を一瞥して、小さな声で呟く。


その後、女が右手を軽く上げて、一度だけ横へと振ると、もう一度全員が前傾姿勢を取る。


俺の神力を避けられたという事は、斬撃を魔法無しに飛ばせるという事を理解していると考えて良い。そして、理解しているという事は、当然、その対策も考えているはず。

女が手を振ったのは、何かの合図だと考えて良いだろう。そうなると…次はこれまでと違う動きを見せて来るはず。


「ニル。レンヤ。気を付けろ。」


「「はい。」」


二人も、気を取り直して、武器を構える。


タンッ!


先程までは、全員が同時に飛び出して来ていたのだが、今度は三人だけが走り出す。


八人の同時攻撃という数に任せた攻撃方法を捨て、少ない数での攻撃。今更三人程度での攻撃など通用しない…と思いたくなるが、当然それだけではない。


三人が飛び出した後、僅かな間隔を入れてもう三人が飛び出し、残った二人が、更に間隔を入れて飛び出す。


同時攻撃を止めて、波状攻撃に切り替えたらしい。


確かに、これならば、俺が飛ぶ斬撃を繰り出したとしても、一人目が回避によって動けなくなっても、二人目がそれを見て攻撃してくる事が可能だ。近付こうとしたのを止めようとしても、誰か一人が俺の元まで辿り着いてしまえば、俺はその対処をしなければならず、斬撃を飛ばしている余裕は無くなる。

そうして接近さえしてしまえば、後は連続して攻撃を加えていけば良いだけの事。

俺の飛ぶ斬撃は、あくまでも相手のリズムを崩して、近付けさせないようにするものでしかない為、攻め方を少し変えるだけで、無効化と言って良い程、効力を失ってしまう。


だが、同時に八人が攻撃して来て、一瞬で潰されてしまうという最悪の展開は避けられた。それだけでも、飛ぶ斬撃を使った甲斐があったというものだ。

波状攻撃も厄介ではあるが、同時攻撃の方が俺達としては辛い為、それを阻止出来るならば、もう二、三度、飛ぶ斬撃を放つつもりでいたが…一度放っただけで攻め方を変えて来たのは……


斬撃を飛ばすという神力の技は、それに見合うだけの剣速がなければ意味が無い。片手で雑に振った一撃では、飛んで行く斬撃のスピードや威力は最悪と言えるようなものになる。そうならない為にも、ある程度力を込めて撃たなければならないのだが…そうして何度も刀を振れば、当然傷は開くし、痛む。

相手には気付かれていないみたいだが、俺の怪我はかなり酷い。攻撃する度に傷口が開いていくような怪我だ。それなのに、ダメージの期待出来ない攻撃を放ち続けるなんて事はしたくない。

それでも飛ぶ斬撃を使ったのは、相手の同時攻撃をどうにかして止めたかったからだ。

俺が何度か飛ぶ斬撃を見せていれば、同時攻撃のような互いの距離が近く、攻撃を回避し辛い陣形を止めてくれるのではないかと思って何度か放つつもりだったのだ。

それが、一発で陣形を変えてくれる結果となり、俺としては万々歳。ラッキーだった。


ニルが、このまま戦闘を続ける事に難色を示したように、黒犬達の同時攻撃は、非常に危険だった。

数え切れない程の数を使って攻撃して来た盗賊連中の同時攻撃もそれなりに辛かったは辛かったが、あれとは全くの別物。黒犬十人による同時攻撃は、簡単に死ねてしまう。

勿論、それが分かっていて、黒犬の女も同時攻撃で一気に仕留めようと考えていたのだろうが、恐らく、俺が飛ぶ斬撃を使った場合、同時攻撃から波状攻撃に変える事を、先に決めていたのではないだろうか。


神力の攻撃は、魔法とは違って準備時間が無く、視認出来ない。非常に危険な攻撃だと考えるのは当然と言える。故に、黒犬連中も、俺が謎の力を使っている事に対して、かなり警戒心を持っていたはず。

よく分からない力を使われて、よく分からないままに全滅するというのは、黒犬的に最も避けたい最悪の状況である。そして、そうなる可能性が有る攻撃だということもまた、女は理解していた。だからこそ、素早い対応をしたのだろう。


俺達としては、非常に有難い話ではあるが、女が直ぐに攻撃手段を変えたのは、そうしても問題無く俺達を殺せると考えたからであり、実際に、俺達の状況は、僅かに好転した程度のもので、依然として危険である事に変わりは無い。

しかし、僅かにでも好転した…というのは、今の俺達にとって非常に重要な事である。塵も積もれば山となるというやつだ。

状況が辛いという事は、その分俺達の出来る事が少ないという事であり、その中から状況を好転させるものを一つずつ選び取り、実行していく事で、勝利するという道を作り出すしかないのだ。


そうして作り上げた今の状況ならば、先程までよりも、少しだけ出来る事が増える。


第一陣が突っ込んで来るが、飛ぶ斬撃は使わない。


「はっ!」

「やっ!」

「せいっ!」


ギィィン!カァン!キィン!


俺とレンヤは武器で、ニルは盾で相手の攻撃を受け流す。攻撃を受け流したその真後ろから、第二陣の攻撃が襲って来る。


波状攻撃とは言ったが、攻撃と攻撃の間隔は非常に狭く、それに合わせて動こうと思うと、素早い動きが必要となる。

不幸中の幸いと言うのか…俺、ニル、レンヤは、三人共が、身軽で素早い動きを得意とする戦闘スタイル。難無くとまではいかないが、第二陣の攻撃に防御を間に合わせる事は出来る。


「はぁっ!」

「やぁっ!」

「はっ!」


ガキィン!ガギッ!ビュッ!


俺が刀を斬り返し、ニルがアイスパヴィースで防御し、レンヤは相手の攻撃を紙一重で避ける。


ビュッビュッ!!


「「っ?!」」


ガガッ!


そして、第三陣が俺とニルに突っ込んで来ようとしたところに、後ろから中級闇魔法、ブラックスピアが飛んで来て進行を止める。


ハイネとピルテによる援護だ。


「チッ……」


黒犬の女は、ニルを狙って動いていたみたいだが、攻撃は無理だと判断し、後ろへ下がる。それを見て、第一陣と第二陣であった六人も同時に後ろへと下がり、またしても距離が開く。


タンッ!!


「「「っ!!」」」


しかし、距離が開いたのは一瞬だけで、下がったと思った瞬間に、第一陣の連中が、即座に走り出し、もう一度突撃して来る。


魔法による援護は、魔法を発動させてから、次の魔法が来るまでに、時間的な猶予が存在する。その時間をわざわざ作るような攻め方などするはずがない。


ギィィン!カンッ!キンッ!ビュッ!ギィン!


そこからは、休む暇も無い攻撃の嵐。


猛毒が塗られているであろう刃が迫り、それを受ければ火花が散り、避ければ目の前を刃が通り過ぎる。


泣きたくなるような辛い状況で、それでも、どうにか相手の攻撃を防ぎ続ける。


ビュッビュッ!


ガガッ!


そして、ハイネとピルテの援護がもう一度入るタイミングで、全員が後ろへと下がる。


援護のタイミングまで、完璧に読まれている。


ギィィン!ビュッ!ザシュッ!


そして、また攻撃の嵐が始まり、俺達は防戦一方の状況へと陥る。


時折、受けられなかった斬撃が、防御魔法に防がれ、その度に背筋が凍り付く。


今ので死んでいたかもしれないと。


「はぁ…はぁ…」


「はぁ…はぁ…」


そんな戦闘がどれだけ続いたのか…黒犬連中が大きく距離を取り、攻撃の手が止んだ時には、俺もニルも、肩で息をしていた。


「まさか…ここまでやるとは本当に驚きだな。

予定では、一瞬で終わるものだと思っていたのだがな…」


女が、俺達の事を見ながら、冷静な声で言ってくる。


「はぁ…はぁ…」


「しかし…それもここまでのようだな。

既に返事すら出来ない状態で、傷も開いている。立っているのもやっとだろう。

大人しく武器を下ろせば、一撃で楽に殺してやる。毒で苦しみながら死ぬのは嫌だろう?」


女の言う通り、八人による波状攻撃は熾烈しれつを極め、それを防ぐのは信じられない程に体力を消耗させられた。お陰で、鳩尾の辺りが痛くなるような息苦しさで、酸素を求めて、体が勝手に肩で息をする。


「はぁ…はぁ……諦めが……悪いんでね……」


それでも、俺は刀を下ろす事はしなかった。

ニルを目の前で殺されるくらいならば、死んだ方がマシだ。

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