第589話 黒犬

「そこまでボロボロだと、流石のお前達でも辛いだろう?」


嘲笑、挑発…そういった類の言葉ではなく、淡々と言葉を紡ぐ女。


確かに、女の言うようにこちらはかなり辛い。直ぐにでもここから抜け出してしまいたい気分なのは間違いない。


「だから、こうして話し合いで済ませてやろうという事だ。そちらの女奴隷をこちらへ渡せ。そうすれば他の奴等は見逃してやる。」


辛い状況である事は間違いない。それこそ戦闘などしたくはない。


だが、ニルを引き渡すなど俺が許すはずがない。

例え、ここまでの戦闘によって五体満足でなかったとしても、手足の全てを失っていたとしても、俺がニルを引き渡すなどという選択肢を取る事は決して有り得ない。


「断る。」


迷う必要など無く、俺は即座に断る。


「奴隷一人を差し出せば、他の者達全員が助かるんだぞ?簡単な話だと思うが…こちらでは奴隷というのは、消耗品扱いではなかったのか?」


「他の連中がどうかなんて俺には関係無い。そんな事は知らんし、どうでも良い。

俺がニルをお前達に差し出すなんて、天地が逆さになったとしても起きない事だ。」


「……大人しく渡せば良いものを。

お前は怪我を負い、あの馬鹿みたいな威力の魔法ももう使えないのだろう。この状況で……我々に勝てると本当に思っているのか?」


喋っていた女と肩を並べていた黒犬連中が、部屋の中へ広がって行く。


もし、俺に聖魂魔法が残っていたならば、地下に入ったバラバンタ達を、地上からぶち抜くなど容易い事だったはず。そして、それが最も安全で最も被害を出さなかったであろう方法だ。

そうしなかったという事は、俺があの威力の魔法をもう撃てはしないと言っているようなもの。そして、それは正しい。


黒犬達が、袋小路であるこの地下空間に居て、それでも尚、俺達を自分達の元へ来るように仕向けたのは、俺達を逃がさない為という意味に加えて、もしも、あの威力の魔法が放てるとしても、自分達も地下に居ては使い辛いという事を考慮しての判断だろう。

更に、単純に魔法による攻撃も抑えられる。

黒犬と何度か戦った感じ、魔法もそれなりに優れているが、どちらかと言えば近接戦闘を得意としているはず。毒を使った攻撃も有るし、近付いて一気に仕留めるというのが黒犬の戦闘スタイルだ。故に、俺達に魔法を使わせず、近接戦闘で勝負を決めようとするのは当然の事と言えよう。


「スラたん達は下がっていてくれ。」


扉から入って直ぐの事ではあるが、このままスラたん達を戦闘に巻き込むのは得策とは言えない。今のところ、入って来た扉の向こう側は安全な領域だ。そこに居てくれれば、扉から入られないようにさえ気を付けているだけでスラたん達に被害が及ぶ事は無い。その方が俺達も戦い易いという事だ。

特に、相手は黒犬だ。手段を選ばないと考えるならば、戦闘に参加出来ないスラたん達を狙う可能性は非常に高い。


「分かったよ。」


スラたん達は、自分達が狙われる可能性が高い事を分かってくれているらしく、素直に出入口まで下がってくれる。


「タダでさえ数で負けているのに、三人も下がらせるのか。

いや……これまでは、お前達たった二人に対して、散々な結果ばかりだったのだから、それも当然か。

まあ、今までと状況は違うがな。」


女の言うように、これまで黒犬と対面した時とは違い、こちらはボロボロ。向こうは十人も居て…恐らく、喋っている女含め、ここに居る連中は黒犬の中でも更に精鋭と呼ばれる者達のはずだ。

立ち居振る舞いだけで、気を抜いたらマズイ事になるというのが伝わって来る。


そんな奴等と戦う際、スラたん達三人が援護をしてくれるにしても、三人の安全が直ぐに確保出来る位置からの援護でなければならない。狙われて人質にでもされてしまえば、それこそ俺もニルも動けなくなってしまう。

そういう考えからするならば、入口付近が最も戦い易い場所だと言えるだろう。


それに、俺達が入って来た時には、既に黒犬達が居たという事は、その前からこの部屋に居たはず。そうなると、この部屋の物は全て信用出来ない。

例えば、壁際に置かれている木箱や、何か作業をする為に置かれている木製の机。

それ程物は多くないが、何かトラップを仕掛けておくには十分な影がいくつか有る。そんな部屋の中に意気揚々と踏み込む程馬鹿ではない。今のところ、安全が確保出来ているのは入口周辺だけ。つまり、十メートル四方の部屋ではあるが、俺とニルが動けるのは一、二メートル程度。トラップ系の魔法が仕掛けてある可能性を考えるならば、一歩たりとも踏み出したくはないくらいだ。

ただ、魔法が使えないというのは黒犬も同じ条件だし、トラップ系の魔法といっても、そう派手なものは仕掛けられないはず。

いや、そもそも、俺達に掛けられている防御魔法も有るし、疲弊しているとは言っても戦えない程ではない。今更トラップ系の魔法程度で俺達を倒せるとは思っていないだろう。攻撃の起点作り程度のものは仕掛けているかもしれないが、恐らくはその程度のものばかりのはず。あまり警戒し過ぎて動きを制限し過ぎると、それこそ戦闘が辛くなる。上手く線引きをして戦わなければならない。


「最後にもう一度だけ聞いてやろう。その女奴隷を」

「くどい。渡す気など無い。」


俺は女の言葉を遮り、桜咲刀を構える。


「…そうか。ならば……死ね!!」


タンッ!!


女の声に反応して、唐突に始まる戦闘。


まず動いたのは三人。


正面と左右、それぞれから一人ずつ走り込んで来る。


「っ!!」


分かっていた事だが、やはり黒犬の連中はそこらの者達とは一線をかくす程の強さを持っている。

走り込んで来る三人は、ジグザグに動きながら走っているが、驚く程に速い。

ニルもその動きを見て苦い顔をしている。


こんなに速かったか?と思える程のスピードだが、それはここに居る十人が、俺の推測通り、黒犬の中でも精鋭だからだろう。


単純な速さだけで言うならば、スラたん程ではないし、戦ったプレイヤーの中にはスピード重視の者も居た為、対処するくらい簡単だろうと思うかもしれないが、そうではない。


黒犬達の動きは、どちらかと言うとスラたんというより俺の動きに近く、瞬間的なスピードと虚をつくような動きによって、感覚的に速く感じさせるというものだ。


直線的に走るスピードが速いというだけの話ならば、ニルが苦い顔をする事はない。目の前で消え去る、スラたん程のスピードを持っているならば別だが、そうでないならば、盾を構えて、来るタイミングをどうにか合わせるだけで良い。先を読む能力が高いニルにとって、それ程難しい事ではないだろう。

だが、目の前から迫って来る黒犬達は違う。


右に左にと動く事によって、攻撃を仕掛ける方向さえ読ませないようにしているのだ。しかも、三人は場所を入れ替えるようにして交差し、更にローブに両手を隠している為、持っている武器が何かも分からない。

つまり、誰が、どこから、どのように攻撃して来るのかが全く読めないという事である。

いくらニルでも攻撃して来る箇所が特定出来なければ、盾を何処に置くのが正解なのか分からない。


パキパキパキッ!!


しかし、ニルも昔のニルとは違う。


相手が動き出した瞬間に、自分の盾だけでは防ぎ切れないと直ぐに判断し、アイスパヴィースを発動させる。


走り出した黒犬の連中が、俺とニルの元まで辿り着くのに要する時間は数秒だ。部屋として十メートル四方と聞けば広く感じるが、戦闘するにしては狭く、黒犬達のように素早い動きならば尚更狭く感じる。

三人が迫って来る、そのたった数秒の中、ニルは自分が出来る事を選び取り、判断し、実行する。


部屋に入って直ぐに発動させなかったのは、発動させて直ぐのアイスパヴィースには冷気が付与されているからだろう。

本来、アイスパヴィースは地面を凍らせて固定する魔法である為、冷たいという程度の冷気ではなく、文字通り相手を凍らせる程の冷気を纏っている。

そのアイスパヴィースに攻撃を仕掛けてしまったりしたら、武器は急激に冷却され割れるし、最悪攻撃した側の者の手が凍る可能性すらある。

相手を凍り付かせる程の冷気を纏っているのは、魔法が発動して数秒程度だが、その間は近接攻撃に対してかなり有効な盾となってくれるのだ。故に、敢えてギリギリでアイスパヴィースを発動させることによって、より大きな被害を与えようと考えた結果だろう。


そんな考えの元、ニルはアイスパヴィースを出現させ、それを自分の右手側に、盾を左手側に向ける。全方位とまではいかないが、これで相手の攻撃範囲を限定する事が出来る。

盾からアイスパヴィースに対して伸びているシャドウテンタクルが少し邪魔にはなるが、二枚の盾で防御しつつ、攻撃も可能な状態を作り出せるという事になる。


「「っ!!」」


アイスパヴィース側、つまりニルから見て右手側から攻め込もうとしていた二人は、攻撃する前にアイスパヴィースの冷気に気が付いたらしく、攻撃を中止する。

咄嗟に危険だと判断し、攻撃を中止するというのも、普通は出来ない事だ。


ギィィン!!


左手側から入り込もうとしていた残りの一人も、ニルの盾に攻撃を阻まれ、僅かにニルと睨み合った後、後ろへと下がる。

ニルと俺が、突っ込んで来た者に反撃しようとした時には、既に攻撃が届かない位置まで下がられてしまい、ただただ攻撃を受けただけに終わってしまった。


相手の実力を測る為にも、最初の一合は慎重に…と考えていたのが裏目に出てしまったようだ。

アイスパヴィースの冷気という攻撃方法が有ったのだから、少し強引にでも攻撃を当てに行くべきだったかもしれない。

後悔したところで今更遅いが…


それにしても……攻め込んで来た三人は、それぞれがランダムに動いているはずなのに、俺達に攻撃を加えて来るタイミングはピッタリ一緒。

相変わらず、恐ろしく連携の取れた連中だ。


「……ボロボロな状態とは言っても、やはり簡単に倒せる程甘くはない…か。」


黒犬の女がそう口にすると、先程は動かなかった七人の内、更に三人が若干の前傾姿勢を取る。


先程の攻撃の倍の人数が来る!!


タタンッ!


俺がそう感じた時には、先程の三人に加え、新たに三人が床を蹴っていた。


三人でさえ厄介なのに、六人となると、ニル一人では厳しい。次こそは俺も動かなければならない。


走り出した六人が、右に左にと入れ替わりながら寄って来る。


こうもあっちこっちと入れ替わられると、どいつに対処すれば良いのか全く予測出来ない。目の前に来た奴に、その都度対処するしか方法が無い。


ビュッ!


「くっ!」

ギィィン!


ニルのアイスパヴィースで二人、黒花の盾で二人、そして俺が二人の攻撃を弾く。


「はぁっ!」

「やぁっ!」


ビュッ!ビュッ!


次こそはと、俺もニルも反撃を試みたが、六人はそれを完全に回避し、またしても後ろへと下がられてしまう。


「くそ……」


黒犬達が、敢えて一気に全員で攻めず、三人、六人と人数を増やしているのは、俺達を弄んでいるからではない。

俺とニルが…正確には、俺が、まだ奥の手を何か残しているかもしれないと考えているのだ。

それを探る為に、俺とニルが対処出来ないギリギリの人数で攻めさせている。

加えて、動いていない者達は、俺とニルの動きを確認し、どれだけ動けるのか、何を狙っているのか…そういった情報を収集している。当然ながら、俺とニルには、動いていない四人の実力が分からない。

つまり、その四人の初撃は、俺とニルの動きを加味した上での攻撃であるのに、俺とニルはそれがどの程度の実力を持った奴が放つ攻撃なのか分からないという事である。


どこまでも冷静で、慈悲も容赦も無い攻め方をして来る連中だ。


盗賊の連中が悪意に満ちた攻撃しかして来ないのに対して、黒犬の連中は殺意しかない攻撃しかして来ない。

当然、刃には毒が塗られているだろうし、解毒薬を飲んでいる暇なんて無いだろうから、一撃でも受けたらヤバい。


盗賊団をけしかけて、ボロボロになったところにこの十人……えげつないにも程がある。


「その状態で六人を捌くか……本当にとんでもない戦闘力だな。」


「………………」


女の声を聞くに、本気で驚いているような、感心しているような感じだ。実際、本気で感心しているのだと思う。


「しかし、それもここが限界みたいだな。」


女の言う通り、俺とニルで捌く事が出来るのは、六人が限界だ。いや、六人でもかなり無理して捌けているような状態だった。結局、反撃は全て避けられてしまったし、これ以上人数が増えれば、反撃さえ出来ないだろう。それが相手の女にも分かっているのだ。


せめて、ロクスに受けた傷さえ無ければ、もう少しまともに戦えるのだが……いや、それも黒犬達の作戦の内という事だろう。


「っ………」


こうなってしまうと、俺達としてはかなり辛い。


一応、後ろからはハイネとピルテが援護をしてくれるだろうが…それを合わせたとしても、十人の相手はキツい。


「残念だが、もう交渉の余地は残されていない。

こちらの予想外が起きても困るからな。そうなる前に、一瞬で終わらせてやる。」


俺達の状態を確認出来た黒犬達は、全員で仕留めに来る。


タンッ!!


十人が同時に床を蹴って動き出す。


「くっ!」


ガギィン!ギィン!ザシュッ!


「っ!!」


ガン!ギィン!ザシュッ!


今の状況を一言で言うならば……


万事ばんじきゅうす。


この言葉しかないだろう。


ニルがどれだけ頑張ったとしても、止められるのは四人までが精一杯。俺も二人…いや、三人までが精一杯だ。当然反撃など出来ない。

十人が、次々と交差し、目が追い付かない内に連続して刃が襲って来る。


攻撃をいくつか防げたとしても、全てを防ぐ事は出来ず、防げなかった攻撃が俺とニルに掛けられている防御魔法を削る。ハイネとピルテが、防御魔法を後ろから掛けてくれるが、相手の攻撃の方が圧倒的に速く多い為、それすらも一気に削られてしまう。


もう限界だ…これ以上はもたない…


十人の連続攻撃は、止まる事無く続き、もう無理だと思った時だった。


「っ?!」

ザシュッ!ザクッ!


「ぐあぁっ!!」


俺とニルの目の前で、突然不思議な事が起きる。


ここまで、十人は息を合わせて完璧に攻撃を仕掛けて来ていたのに、突然、その中の一人が仲間に向けて刃を振ったのだ。


黒犬の動きを見れば分かるように、彼等は仲間を攻撃するような連中ではないし、裏切りを許すような連中でも無い。

それなのに、仲間割れを起こしたのだ。


しかし、俺とニルは驚いたりしなかった。


それが、相手の中に紛れ込んだだと知っていたからだ。


最初に、ニルへ向けて走り込んだ三人の内の一人。ニルに対して刃を振った者がレンヤであったのだ。

ニルに攻撃を打ち込む際に、レンヤは自分がレンヤである事をニルに伝えた。勿論、近くに居た俺にも伝わるように。


俺が一合目で反撃出来なかったのは、唯一俺が斬り込めそうな位置に居た相手がレンヤだったからなのである。


それから、レンヤは黒犬達の動きに合わせて俺達に攻撃を仕掛けてはいたが、それは八百長やおちょうというやつで、十人が動き出し、レンヤが確実に黒犬の一人を殺せるタイミングを探していたのである。


相手の黒犬達、特に喋っていた女は、警戒心が強く慎重である為、下手なタイミングでレンヤが動いてしまうと、折角相手の懐に入り込めたのに、そのアドバンテージを活かせなくなってしまう。

それ故に、レンヤは虎視眈々とその時を狙っていたという事だ。


そして、その時が来たと確信したレンヤは、見事、黒犬の一人をその手で屠ったのである。


仲間同士で交差する中で、一人を背中から斬り付け、振り向いたところに刃を突き立てた。


いつ、どうやって成り代わったのかは分からないが、黒犬達が気が付いていなかったという事は、背格好や唯一見える目の色が同じ者が居たのだろう。

黒犬も、それぞれ個別で動いていたタイミングが有り、その時に一人を始末して、すり替わったというところだろうか。


ローブを着て顔を隠すような格好をしていたが故に、中身がレンヤに変わっていると気が付けなかったに違いない。

ここに来る前に確認しておけば気が付けたかもしれないが…他の忍達によって退路を塞がれたり、大勢が攻め込んで来たりと、それどころではなかったのではないだろうか。


「何者だ?!」


レンヤは、一人の心臓に突き立てた短剣を抜き取りながら俺とニルの近くにまで跳び寄って来ると、黒犬達に向けて武器を構える。


「俺が何者か……それに何か意味が有るのか?」


「………いや。無いな。敵である事が分かればそれが全て。こちらの懐に入り込まれていたとは思わなかったが…確認しなかった我々の落ち度だな。

しかし、こちらが二人減り、そちらが一人増えたところで、この状況を覆す程のものではない。」


ほとほと嫌になるが…女の言う事は間違っていない。


レンヤの手柄によって、すり替わった者と、たった今殺した者の二人を排除出来た。そして、こちらにレンヤという戦力が加わり、黒犬との差は大きく縮まった事は間違いない。しかし……それでも、差が完全に埋まったとは言い難い。


黒犬達は、単純に近接攻撃を繰り出しているだけで、特別な事は殆ど何もしていないのだ。交差するように走ってはいるが、それは特別な事という程のものではない。つまり…黒犬はある程度の余裕を持って攻撃して来ているという事になる。

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