第581話 惜しい男

最初、ニルがロクスに向けて攻撃を仕掛ける時、ニルは飛び出す前に、腰袋からある物を取り出していた。


正確に言えば、取り出していたというよりも、腰袋から垂らしていたと表現する方が正しいだろう。


スレッドスパイダーの糸は細く見え難い。その上、ニルは垂らした糸がロクスに見えないよう、とにかく真っ直ぐ正面からロクスに向かって走り込んだ。自分の体を、垂らした糸がロクスに見えないように、遮蔽物として利用したのだ。


無謀な正面からの突撃に見せて、ニルはその実、糸を俺に向けて渡していたという事である。勿論、手渡してしまえばロクスにバレてしまうし、俺が垂らされたスレッドスパイダーの糸をこれみよがしに拾い上げていれば、ロクスも気が付いてしまっただろう。

そうならないように、ニルは強引にでもと自分にヘイトを向けさせ、ロクスの目の前で動き回ってくれていた。


その間に、俺はスレッドスパイダーの糸をロクスから見えないように取り上げ、桜咲刀の柄に巻き付けておいた。そして、俺がロクスに向かって攻撃を仕掛けたタイミングで、ニルは自分の腰袋から伸びるスレッドスパイダーの糸を盾に巻き付ける。俺を引っ張り、空中で軌道を変える事が出来れば良いだけなので、俺もニルも、スレッドスパイダーの糸を適当に巻き付けるだけで良い。

それだけならば、ロクスに対して攻撃をしていない時間の中で、気付かれないように行う事が出来る。


問題は、スレッドスパイダーの糸が細く見え難いとは言え、ロクスに絶対に見えないわけではない…という事だった。風切羽の魔法によって屋内が屋外となってしまった為、太陽の光がしっかりと当たるので、光の反射でバレる可能性が高い。

しかし、それは朝の訓練を行っている時に、色々と試行錯誤して、視覚的に見え辛い状態を作り出す方法を編み出してある。編み出すとは言っても、カラースライムの粘液に一度通してから使うというもので、方法自体は非常にシンプルなものだ。

カラースライムの粘液は、言ってしまえばカメレオンのように背景の色と同化して見えなくなるというものだが、直ぐに乾燥して剥がれてしまう為、予め用意しておく事が出来ない。そこで、スレッドスパイダーの糸をカラースライムの粘液が入った瓶に落として、糸だけを引き出せるようにセットしておく。使う時は糸を落として、そのまま直ぐに使えるようにしておいたのだ。原理で言えば、日本の祭り時に飲むラムネ。あのビー玉を落とす機構を参考にして作ってある。

とは言っても、じっくりと制作時間が取れる暇も最近は無かった為、構造は簡単だし、そこまで手の込んだ物は作れなかった。しかし、効果を発揮してくれさえすれば良いので、一つずつ俺とニルで持っていた物である。


これによって、スレッドスパイダーの糸はロクスの目には捉え辛くなり、バレなかったという事だ。


スレッドスパイダーの糸は鋭利であり、素手で掴んで引くと、肉を裂かれてしまう為、盾や刀に巻き付けなければ使えないが、そこさえクリアしてしまえば、その高い強度故に、俺をニルが引っ張るくらい出来る。


勿論、ロクス自身に直接スレッドスパイダーの糸を巻き付ける事も考えたし、出来るならばそれで攻撃するのも良かったのだが、スレッドスパイダーの糸を使った攻撃をしようとすると、どうしても動きが歪になる。

斬撃とは違い、相手に糸を引っ掛けなければ効果を発揮してくれないとなると、相手の周りを回ったり、斬撃とは別に、糸を引っ掛ける動作が別途必要になる。

それをロクス相手にやって、気付かれないなんて自信はまるで無いし、違和感の有る動きをすれば、間違いなくロクスは気付いていたはずだ。


この方法は、そもそもが自分達と同等以上の実力を持った相手に対して使うものとして考えていた。

空中で手品のように俺の体が横へと移動するという事象自体は、相手に対して何も影響を及ぼさない。攻撃ではないし、相手の視界を奪ったりもしないし、ただただ、俺が空中で予想外な動きをするというだけのもの。それこそ、タイミングを間違えてしまえば、それがどうしたと言われてしまうようなものである。


但し、それ故に、相手に気付かれ難いという利点が有る。直接相手に作用するものではないのだから、注意深く観察していなければ、糸に気付く事はまず無理だ。

ただそこには、それだけの事をしなければ、チャンスを作り出す事すら難しい相手だという条件が有る。

自分達よりも格下の相手ならば、わざわざそんなわずらわしい方法を取ってまで相手を騙す必要など無いのだから。

そして、そのレベルの相手となれば、俺達の動きから、ある程度の事を読み取れる相手である事は間違いない。故に、こうして相手に直接干渉する類の連携技ではなく、単に空中で軌道を変えるというだけの事に命を賭けたのだ。


そんな無謀にも思えるような綱渡りの策で、しかも、直接ロクスを攻撃しない策を取るなどとは、ロクスも思っていなかったらしく、彼は全力で戦斧を振り上げ、それを外してしまったのだ。


しかしながら、空中を横へと移動する俺が、ロクスに対して有効な攻撃を行うには、着地し、その後、ロクスに向けて飛び込むという動作が必要になる。

当然、そんな悠長な事をやっていると、ロクスは俺の攻撃に備える時間が有るどころか、もう一撃放って来る余裕さえ有るだろう。

そんな事になってしまえば、俺とニルがただ軽業を披露しただけになってしまう。勿論、そんな事にならないよう、俺とニルの連携技はここで終わりではない。


ガッ!


俺が空中で横へと移動した先に近付いて来ていたニル。その手に持たれている盾に向けて、空中で足を蹴り出す。


横へと軌道を変えた俺を、ニルが盾を使って、更に、無理矢理逆方向へと軌道を変える。そうなれば、ロクスから離れようとしていた俺が、突如迫って来る事になり、ロクスは防御体勢を整える前に、俺の攻撃を受ける事になる。


キンッ!


俺の攻撃に対して防御をするにも、長物としての戦斧ではまるで間に合わない。


そこで、ロクスは戦斧を分割し、どうにか俺の攻撃に間に合わせようと体を捻る。


その時に見えたロクスの顔は、鬼気迫るものではあったが、確かに笑っていた。


「はぁぁっ!」

「おおぉぉっ!」


ギィィィン!ギャリッ!


二度目の、全力の攻撃。


空中での斬撃は力が乗らないのは重々承知している。しかし、相手に飛び込むのと同様に、接近するスピードが速ければ、その分の威力は上乗せされる。だからこそ、俺はニルを信頼して、盾を蹴り込んだ。

空中だろうと、ガッチリと踏ん張るニルが構えた盾を蹴るならば、地面を蹴り込むのと同じように自分の体重を移動させる事が出来る。着地して踏み出すという工程を、ニルの押し出す力を加える事で、一息で終わらせたのだ。


予想以上のスピードで迫って来た俺の攻撃を、ロクスは分割した戦斧で受け止めようとするが、体勢は全く整っておらず、俺の攻撃に耐えられるような状態ではない。俺とは違い、地面に足を置いているが、体勢が悪く力が入らないのだ。


故に、俺が振る刀は、ロクスの防御しようとした戦斧を押し退けていく。


それでも、ほぼ上半身だけの力で、俺の攻撃に反抗し、ギリギリのところで耐えるロクス。

ロクスの体勢が悪いように、俺もニルの盾を蹴った段階で、それ以上の力を込める事が出来ない状態となっている為、力が拮抗してしまう。そして、その状態で俺の体がロクスの横へと流れて行く。


戦斧の表面を、火花を散らしながら通り抜ける桜咲刀。刃はロクスの喉元の前数ミリのとこを走っているが、彼を傷付ける事が出来ない。


「あ゛ぁぁぁっ!」


ブシュッ!


攻撃が失敗に終わりました…では許されない。


俺は、左腕に空いた穴の事など無視して、空中で体を全力で捻り、回転させる。

あまりにも激し過ぎた動きによって、止血が間に合わなくなったのか、肩口から血が吹き出してしまうが、ここで決められなければ、この次は無い。


「っ?!」

ギャリッ!ザシュッ!


強引に、擦り付けるように桜咲刀をロクスに向けて滑らせる。


押し込んだ刃は、ロクスの持つ二本の武器の表面を擦りながら押し込まれ、ロクスの喉元へと到達する。


ギィィィン!


「ぐっ!」


確かに俺の放った刃は、ロクスの喉元へと届いた。


皮膚を切り裂き、血を流させる事に成功し、見事な一撃を与えたと言っても良い怪我を負わせた。


しかし……即死レベルの怪我ではなかった。


俺は、かなり強引な攻め方で攻撃を放ち、ロクスに刃を届かせたが、その反動というのか…空中で体を捻ったせいで、着地の体勢など取れる状況ではなく、背中から床の上に叩き付けられるような形で落下する事になる。

ロクスの怪我は、そのまま彼を死に至らしめるだけの怪我ではあるが、もう一撃、武器を振るだけの時間は残されている。


そして、その時間が残されているならば、死を前にしても、ロクスは俺に向けて武器を振るだろう。


「ぐっっ!」


ロクスは、俺の攻撃が去った後、床に倒れ込んで行く俺に向けて、攻撃を振り下ろそうとする。


俺はそれに反撃出来る術を持たない。


ザシュッ!!


「ぐっ……が……」


しかし……俺に攻撃を振り下ろす前に、ニルが詰め寄り、ロクスにトドメの一撃を突き出し、ロクスの後頭部に戦華が突き刺される。


ドサッ…


俺が床の上に仰向けで落ち、武器を振り上げたままのロクスに目を向ける。


ロクスは俺と目を合わせると、瞼を閉じる。


ガシャッ!!


ロクスは、前のめりに床へと倒れ込むと、そのまま動かなくなる。


喉元を切り裂かれた状態でも、戦意を失わない奴なんてそうはいない。本当に盗賊にしておくには……あまりにも惜しい男だった。


もし、ロクスが俺達の側に立っていたならば、来たる神聖騎士団との戦争では、俺達と肩を並べて戦う存在になっていたかもしれない。いや…間違いなくそうなっていただろう。そう思うと、余計にロクスという人材がここで失われてしまった事が残念でならない。

それもこれも、言ったところで何も変わらないのだが…


「……ぐはぁぁ……」


そんな男との戦闘は実に厳しいものだった。


俺は起こそうとしていた体を床に倒して、大きく息を吐く。


「ご主人様!!」


ニルも疲れているだろうに、ロクスの死を確認したと同時に、俺の元へと走り寄って来る。


「少し気が抜けただけだ…大丈夫」

「ではありません!」


俺の言葉を遮って叫ぶニル。


「直ぐに治療しますから左腕を見せて下さい!」


泣かれるという事はなかったが、最後の攻防では少し無理をした為、傷口から結構出血している。

戦闘に集中し過ぎて、痛みを忘れていたらしく、自分の腕から流れ出てくる血を見て、その痛みが戻って来る。


「ニルさん!これを使って!」


後ろから駆け付けてくれたスラたんが、既に用意してくれていた白布やら何やらをニルに手渡して、テキパキと治療してくれる。


かなり拮抗した戦いだったし、皆心配してくれていたようで、ハイネとピルテも、周囲を警戒しつつ、心配そうに治療の光景を見ている。


「……これで、一先ずの処置は終わりです。」


ニルが治療を終えて白布を巻いてくれた後、ホッとしたように言ってくれる。


「ありがとう。助かるよ。っ!!」


治療してくれたニルの頭を撫でようとしたが、左腕に痛みが走り、体の動きを止めてしまう。


「処置はしましたが治ったわけではありません!あまり動かないで下さい!」


ニルは、怒ったような悲しんでいるような心配そうな…よく分からない表情で言う。


「す、すまん…」


あの状況で取れる策はそう多くなかったし、結果的に悪くはない判断だった…という事を、ニルも分かってくれている。だからなのか、いつものように無理をしないでくれとは口にしなかったが、心配である事に変わりはないとでも言いたいのだろう。


「本当だよ…スライムで無理矢理止血したのは応急処置にすらならない誤魔化しみたいな処置だって事くらいシンヤ君なら分かったよね?」


スラたんのお陰で、刀を振る事が出来たのは間違いないが、あれはただの止血であって、治療ではない。激しく動けば傷が大きくなる事は、俺にも分かっていた事だった。


もし、あの時、俺がロクスに対して無理にでも攻撃を押し込むという事が出来なければ、ロクスも、死ぬまでの時間に俺を攻撃してやるとは考えず、迫り来るニルに気が付いて対処していたかもしれない。

自分が致死的な攻撃を受けてしまったという事に気が付いて、それでも、必死に俺に攻撃を繰り出そうとしていたから、ニルは気付かれずに接近出来たのだ。つまり、あの時、俺が無理をしたのには、それだけの理由が有ったという事である。

ただ、スラたんも、それは分かっていて言っている。それでも、やはり仲間が無理をしたならば、何かを言うべきはその仲間だ。俺が無茶をした事に対して、スラたんが注意する。それは、スラたんが俺を心配してくれているが故という事なのだから、ここは素直に謝っておくべきだろう。


「すまん。」


あそこで無理をしなければ、もっと酷い事になっていただろう事は、多分全員が理解している事だが、だからと言って無理を簡単に許してしまえば、その分パーティの動き全体が無理な動きを許容する動きになっていってしまう。


それが正しい判断だったかどうかは別にして、無理をするのを簡単には許容しないようにと、スラたんが一度締めてくれているのだ。

そういう思いが裏に有るのを汲み取るのは、同じパーティである仲間の役目だ。素直に謝って、頭を下げる。


「一先ず、怪我はそんなに酷くはなかったみたいだし、敵陣の真ん中なのだから、その辺にしておいたらどうかしら?」


ハイネがタイミング良く助け舟を出してくれて、この話は流れる事になる。


「しかし……この状態で先に進むとなると、結構危険だよね?」


俺は左腕に穴が空いていて、スラたん、ハイネ、ピルテは戦闘に参加出来ない。

俺は一応戦えはするが、全力での戦闘は、治療してくれた傷口を更に広げる事になってしまうし、これ以上傷口が大きくなってしまうと、流石に俺の体ももたない。既に結構な量の血を失ってしまったから失血によって突然倒れるなんて事になれば、それこそ最悪の事態だ。


「僕としては、一度引いても良いと思うよ?既にハンターズララバイ自体は壊滅したと言っても良さそうな状況だし、バラバンタという男が生きているとしても、この状況じゃどうする事も出来ないんじゃないかな?」


「……そうね。怪我をしている状態で、無理に攻め込んだりしたら、危険だということくらい子供にだって分かるわ。ここは一旦引きましょう。」


ロクスとの戦闘では、かなり消耗させられたし、倒すのもやっとな状況だった。ここで引くのは悪い判断ではないという事は俺も分かっているし、正直、ロクスを倒した時、そうするべきだろうと考えてもいた。


俺もそうしようと思い、返答しようと口を開き掛けた時。


「皆様。」


どこから現れたのか、忍の一人が俺達の後ろに現れる。


嫌な予感がしたが、話を聞かないという選択肢など無い。


「どうした?」


「……この先に、捕らえられていたであろうこの街の住民達が……連れ出されて来ました。」


「連れ出されて来た……って事は、逃げ出して来たというのとは別…という意味だよな?」


「……はい。敵と思われる者達が、住民達を脅すように連れ出して来ましたので…恐らく人質かと。」


折角捕らえた街の住民を、あっさりと引き渡すような位置に監禁しているというのは、どうにも変な話だと思っていたが…まだ他にも捕らえられていた人達が居たとは…


「何か要求でも有ったのか?」


「はい……それが……」


「どうした?」


言い辛そうにしている忍に、話の先を促すと……


「シンヤ様一人で来る事を条件に、住民の者達を解放すると…」


「「「「っ?!!」」」」


まあ…正直妥当な判断だと思う。


ここまでの戦闘の報告を受けており、城を破壊した一撃を見れば、この戦場で最も厄介だと思われる人物は、俺だと言える。

散々敵を屠りまくり、半数近くを削った後、篭城していた上に、超優勢だったハンターズララバイの連中を、たったの一撃で蹴散らし、壊滅にまで追い込んだのだ。自然な考え方と言える。

そんな俺が…俺達が、言う事を聞くであろう住民達の命という手札を持っているならば、危険である俺を殺す為に切ってくるのは当然の事と言える。

俺を殺せたとして…その後に盗賊連中が逃げられるかどうかは別だが…


「ご主人様!いけません!!」


俺が何と答えるのかを予測して、ニルは先に止める言葉を掛けて来る。


「シンヤさん!それはダメよ!いくらシンヤさんでも、この状況の中、一人で出て行っては勝ち目なんて無いわ!それに、人質だって本当に解放されるかなんて分からないのよ!」


この街に入る切っ掛けとなった理由は、俺達を誘き寄せる為、住民達の命を使われたからだ。その時にも、人質達が生きて返される保証など無かった。だが………俺達はここへ乗り込んだ。


「……俺が出て行かなければ、住民達はどうなるんだ?」


「ダメですよ?!」


答えなど分かりきっているのに、俺は忍に向けて疑問を投げ掛ける。

それを止めようとするニル。既に泣きそうな顔で俺を見ているが、俺は視線で忍に話を促す。


「……既に数人の犠牲が…出ております。それに加え、捕らえられている住民の者達は、女性や子供が多く……」


「下衆共が……」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る