第566話 鱗人族
「シュルル……」
鱗人族の一人は、自分の体に付いた僅かな傷を見て、ピルテに視線を戻す。
「………………」
そこから、傷付いた鱗人族が、ピルテに向かって再度トライデントを向けた時、場の空気がガラリと変わったのを感じる。
張り詰める殺気の質が変わり、重苦しい空気が漂い始める。
ピルテも、相手の雰囲気が変わった事を察知して、シャドウクロウを構えた状態で、相手の動きを凝視する。
そこで、初めて私とピルテは、相手がかなり厄介な存在だと気付いた。
何と、ピルテの付けた傷の内、出血するような大きな傷が塞がっているのである。何か特殊な物を使ったわけでもなければ、治癒魔法の類でもない。それは、戦闘をせずに動きを見続けていた私が自信を持って言える事である。
傷が治ったのは、恐らく再生能力の類…だと思う。鱗人族全ての者が持っている能力かどうかは分からないし、どの程度の傷まで治るのかや、無限に回復するのかどうかという詳しい事までは分からないけれど、間違いなく、彼等自身の能力のはず。
トカゲは、自分の尻尾を自分で切り離す事が出来て、後に、また尻尾が生えてくるという再生能力を持っているけれど、それと似た能力だと思う。この短時間で傷が塞がったのを見るに、それの何倍もの強い再生能力だと思う。流石に一瞬でという事は無かったけれど、浅めの切り傷くらいならば、数秒で完治している。
もし、尻尾のように、手足すら再生出来る能力だとしたら、これ程厄介な相手はいない。私達と同程度の身体能力を持ち、攻撃を急所に直撃させる事さえ難しいのに、当たったとしても、直ぐに再生してしまうとなれば、一撃で吹き飛ばさない限り、永遠に倒せないという事になる。
ギガス族の男も強かったけれど…鱗人族は、また別の意味で強い。いいえ、単純に戦闘した場合、いくらギガス族の男だとしても、この二人を倒す事は出来ないと思う。いくらパワーが有っても、この身体能力ならば、急所に直撃を貰う事はまず無いだろうし、何度潰しても再生するのだから、徐々に体力を削られて、最後には一突きされて殺されるはず。
しかも…最悪なのは、私とピルテには、ギガス族のような一撃すら放てないというところにある。
私達の攻撃は、全てが相手に傷を負わせる程度のもので、一撃必殺という攻撃はほぼ無いと言える。今回の場合、脳や心臓を一撃で破壊するような攻撃が有効だと推測出来るけれど、それを成し遂げるだけの攻撃力が私達には無いのである。
「……ふふふ………ふははは!」
傷が治るのを確認し、眉を寄せる私とピルテを見て、マイナが高笑いする。
「どれだけ強くても、鱗人族には勝てないわ!どれだけ攻撃したところで倒せないわよ!」
「…………………」
確かに、鱗人族の再生能力は、かなり厄介な能力だし、実際に打てる手がグンと減ってしまった。ここまでのように、単純な攻防を続けていては、私達の体力が先に無くなってしまう。二対二の状況ならば、上手く相手をコントロールして、瞬間的に二対一の状況を作り出し、一気に一人を仕留める事も出来なくはないけれど、私がここで動いてしまうと、状況が悪化する未来が目に見えている。
かなり辛い状況。いいえ…最悪の状況と言えると思う。
しかし、ピルテは全く動じておらず、マイナの高笑いもどこ吹く風と聞き流している。
絶対に勝てる自信が有るというわけではないだろうけれど、少なくとも、勝ち目が残っていると考えているように見える。
そう考える根拠は、恐らく、鱗人族の傷が、全て再生しているわけではないというところに有るのだろうと思う。
もし、無制限に傷を全て回復してしまうような強力過ぎる能力であるならば、小さな傷を残しておくメリットは無いはず。それなのに、治されていないとなると、何か制限が有るのだろうと考えられる。あれだけの回復力なのだから、使用するのに何かしらの条件が有るか、副作用的なものが有るのか……何かしらのデメリットが有って然るべきだろうと思うし、その読みは間違っていないはず。
どのようなデメリットが有るのかは分からないけれど、妥当なところだと、回復すればする程、体力を削られてしまう…という辺りだろうか。
そうなると、どうする事も出来ない八方塞がりという状況にはならないはず。
「私達のやらなければならない事は、何も変わりません。」
ピルテは、マイナに言ったのか、私に言ったのか、鱗人族に言ったのか…そう言葉に出した後、グッと腰を落として鱗人族の攻撃に備える。
ピルテが言うように、私達に出来る事はそれ程多くない為、やれる事をやるしかない。
「シュルル……っ!!」
ビュッ!ビュッ!ブンッ!
鱗人族は、槍を二度突き出し、尻尾を使って足払いを試みる。
しかし、ピルテはそれをヒラヒラと躱してみせる。
回復力は、確かに脅威となる能力だけれど、身体能力が上がるわけではない為、ピルテに向けた攻撃が当たる事は無い。後は、ピルテの体力がどこまで続くのか、鱗人族の再生能力はいつまで続くのか、致命的な攻撃が当てられるのか…それらがこの勝負の肝になる。
「っ!!」
ビュッ!ブンッ!
「はっ!」
ザシュッ!
「シュルル!」
ブンッ!ザッ!
「っ!!」
鱗人族の攻撃を回避して、ピルテがシャドウクロウを相手の肩口に当てると、鱗人族も負けじと攻撃を繰り出し、トライデントの槍先が、ピルテの腕を掠める。
やはり、ピルテの方が戦闘能力は高いけれど、僅差は僅差。いくらピルテが成長したからと言っても、全ての攻撃を完全に避け切る事は出来ないらしい。
「まだです!」
ザシュッ!ザッ!
「っ!!」
ビュッ!ブンッ!
それでも、ピルテは怯まず、攻撃を繰り出して、相手に傷を負わせて、自分は相手の攻撃を回避する。
いつまで続くのか分からない戦闘というのは、精神的に厳しいものなのだけれど、それでも、ピルテは動じる事無く攻撃を続けていく。
互いに攻撃が掠めるようなギリギリの戦い。
しかし、相手に与えた傷は直ぐに回復し、ピルテの傷は簡単に治ったりしない。
そうして何合かのやり取りをしていると、徐々に状況は悪化していく。
「はぁ……はぁ……」
「シュルル……」
何合の打ち合いを終えたのか、何分経ったのか…緊張した空気が流れる中、ピルテの息が上がり始める。
「…………………」
このまま見ているだけでは……そう考えて、私も、もう一人の鱗人族に攻撃を仕掛けようかと考え始めたけれど、私がもう一人の鱗人族に攻撃を仕掛けた場合、恐らくマイナがピルテに襲い掛かる。
マイナ単体ならば、ピルテには敵わないかもしれないけれど、鱗人族と合わせて攻撃されてしまうと、かなり辛いはず。
動きたくても動けないという嫌な時間。どうにかしなければ…と考えていると、そんな私の考えを察知してなのか、ピルテが私の方を一度だけチラリと見る。
「……そうね。信じているわ。」
私の事を見たピルテの目には、負けるつもりなど微塵も感じなかった。
絶対に勝ちますから、お母様はそこで見ていて下さい。
ピルテにそう言われた気がして、私は自分の焦る気持ちをグッと押し込める。
自分の娘が頑張っているのならば、信じて待つのも母親の役目。
私は、もう一人の鱗人族と、マイナが動き出した時に、直ぐに対応出来るように気を張り巡らせる。
「はぁ……はぁ……フー……」
ピルテは、上がった息を整えて、しっかりと相手を見据える。何かを仕掛けようとしているに違いない。
「………………」
鱗人族も、その空気を読み取ったらしく、トライデントを持つ手に力を込める。
「…………」
「………………」
ピルテと鱗人族の間に、より一層、緊張した空気が流れる。
タンッ!!
先に動いたのは、ピルテ。
ここまでは、相手の攻撃に対処するような形ばかりだったけれど、初めて、ピルテから仕掛けた。
「っ!!」
ビュッ!!
ピルテの攻撃は、なかなか致命傷を与えるだけの攻撃力が無い為、どうしても受け手に回りがちになり、カウンター気味に攻撃を仕掛ける事で、ある程度のダメージを稼ぐという動きになってしまう。こればかりは仕方の無い事で、基本的にはどうする事も出来ない。
特に、相手の鱗人族は、皮膚が鱗で覆われていて、攻撃が通り難いので、ダメージを少しでも与えようとするならば、カウンターを狙うしかなく、それ以外の手となると限られてしまう。
カウンターは、相手が攻撃を仕掛けて来たのを見て、回避しつつ攻撃を放つという手順を踏む為、自分は待ちの姿勢で相手の攻撃を誘い、それに合わせるのが一番基本的な形となる。
自分から突っ込んでしまうと、相手の攻撃が放たれてから自分に到達するまでの時間が短くなるので、回避がその分難しくなる。それ故に、攻撃を待つというのは、カウンターにおいて非常に大切な事になる。
しかし、ニルちゃんの場合、待ちの姿勢だけでなく、敢えて前に出る事で相手の攻撃を誘い出し、それにカウンターを合わせたりする。しかも、そんな場面を何度も見た。ニルちゃんは、これを簡単そうにやっているけれど、実際にやろうと思ってもなかなか出来る事ではない。
相手の実力が高く、剣速が速い場合等は、カウンターを合わせるどころか、避ける事すら出来ずに串刺しになってしまう事の方が多くなるし、そもそも、相手の攻撃を見てから動き出していては遅過ぎる為、相手の攻撃を的確に予想して、相手の動き出しに合わせて避けるという動きを要求される。
ここまで来ると、最早身体能力や五感ではなく、勘や予測の世界で、自分の予測にある程度の自信が無ければ出来ないし、予測を外せば、そのまま死に直結してしまうから、絶対に予測を外せない。
それに、もし、予測が当たっていたとしても、前に出す足が少しでも鈍ってしまえば、その時点でカウンターではなくただの攻撃になってしまう為、死ぬかもしれないという事実を前に、少しも気後れする事は許されない。とてつもない技術と精神力が無ければ出来ない技なのである。
前に踏み出してカウンターを取るというのは、予測というより、最早予知に近い観察眼と、死を前にしても前へと足を踏み出す胆力が無ければ、成し得ない事なのである。
そんな技を可能にしているのは、ニルちゃんが、毎日毎日、欠かすこと無く鍛錬を行い、誰よりも努力しているからだという事は、彼女の日々を見ていれば誰にでも分かる。
そして……そんなニルちゃんの横で、毎日努力を共に続けたピルテが、遂にその領域に足を踏み入れた。
鱗人族が突き出した槍先が、前に出たピルテの顔面へ向かって突き出される。
ザッ!
「っ!?」
背筋が凍るような紙一重のタイミングで、ピルテの体が横へと流れ、槍先はピルテの左頬を掠めて通り過ぎる。
避けられるとは思っていなかったのか、鱗人族は、ピルテが躱したのを見て、驚いたような反応を見せる。
「はあああぁっ!!」
ザシュッ!!!
「グッ!!!」
何度かニルちゃんに見せてもらった柔剣術の基礎技の一つ、波打ち。
相手の攻撃を回避しつつ、自分の攻撃を遠心力を用いて当てるという技である。
ピルテの頬には、トライデントが掠めた時の傷から血が滲み出ているけれど、文字通り掠り傷。
それに対して、ピルテの突き出した左手のシャドウクロウは、鱗人族の喉元、首枷の僅か下に突き刺さり、後頭部まで突き出している。
本来であれば、ピルテの腕力では、鱗人族の喉元を突き抜けるような一撃は放てない。
しかし、波打ちを使う事で、互いが接近し合う勢いと、体を捻じる遠心力を合わせて、腕力だけでは出せない強烈な一撃を実現したのである。
説明したように、これは簡単な事ではないし、思い付いたから実行出来るという類のものではない。日頃から、ニルちゃんと共に切磋琢磨した結果が、形となって現れた瞬間が今だったという事である。
相手の再生能力のデメリットを探り出し、それを利用するという展開を予想していたけれど、相手の防御を突破して致命的な一撃を放つという選択をしたピルテに、私も少し驚いてしまった。
「ガッ……」
ブンッ!
鱗人族は、喉に突き刺さったシャドウクロウのせいで息が苦しいらしく、ピルテを引き剥がそうとトライデントを振り回す。
グジュッ!
「ガァッ!」
しかし、ピルテはそれをも避けて、突き刺したシャドウクロウを、抉るように回し、喉元の肉ごと引き抜く。
いくら鱗人族の再生能力が高くとも、切り傷さえ一瞬では治らなかったのだから、抉られた喉を瞬時に治すなんて事は出来ないはず。流れ出る血によって、息もろくに出来ない状態で、トライデントを振れたのは見上げたものだけれど、これは勝負を決める一撃というやつである。
「なっ?!」
「っ!!」
タタンッ!
あまりにも唐突にピルテの一撃が決まった為、マイナも、もう一人の鱗人族も援護に入るのが遅れてしまったらしく、思い出したように走り出すけれど…
「っ!!」
ガンッ!
「くっ!」
ギィン!
私は動き出した鱗人族に跳び寄って、蹴りを浴びせ、ピルテは迫って来たマイナに牽制の一撃を加える事で、完全に場を制御する。
「ガッ……ガァッ……」
自分の喉を再生しようとしている鱗人族は、何歩か後ろへと下がり、マイナともう一人の鱗人族の後ろへと隠れてしまった。ただ、もし再生出来るダメージだったとしても、暫くの間は二対二の状態に持ち込める。
「最初から三人で来るべきでしたね!」
ビュッ!ギィン!
「っ!!」
ピルテは、マイナにシャドウクロウを振り下ろし、マイナはどこから取り出したのか、直剣を手に、シャドウクロウを受け止めている。
結局、マイナは色々と考えて、一対一の構図を作り出したみたいだけれど、最初から三対二の状況を作り出した方が、勝率は高かったかもしれないと言える。ただ、私とピルテにも、三対二ならば、それなりの戦い方が有ったし、負けるつもりなど無いから、結局はどちらにしても同じだったとは思うけれど。
「使えない奴等ばかりね!」
喉を抉られた鱗人族を一瞥して叫ぶマイナ。
使えないなんて言っているけれど、ハッキリ言って、ここまで戦った中でも、一、二を争う程の相手だった。
結果を見れば、ピルテは浅い傷を受けただけで、相手を圧倒したように見えるけれど、実際はどちらが勝っても不思議ではない内容だった。ピルテが相手の攻撃を読み切った事で、勝負はピルテに軍配が上がったけれど、数センチ読みがズレていれば、間違いなくピルテが死んでいたはず。鱗人族は、決して使えないと言われるような者達ではない。言うならば、マイナの立てた作戦が使えなかったのであって、決して、鱗人族が使えないわけではなく、それを使いこなせていないマイナが悪いのである。
「結局私が相手をしなければならないのね。」
「………………」
マイナは、ピルテの事を睨み付けて、直剣を構える。
ハッキリ言ってしまうと、直剣を構えたマイナから感じる圧力は、鱗人族がピルテに与えていた圧力より薄い。マイナの方が鱗人族より弱いという事でもあるかもしれないけれど、吸血鬼族同士にとって、血の濃さはそれだけ絶対的なのである。
「な……なんで……?なんで動けないのよ…」
やる気になったマイナだったけれど、残念な事に、彼女は既に負けているようなものだった。
ピルテは特に何もしていない。本当に構えているだけなのに、マイナの体は、自ずと
マイナの中に流れている吸血鬼の血が、本能的にピルテを恐れているからである。
これは、マイナに限らず、私が純血種の方々に対して刃を向けようとすれば、同じような状態になる。
体が、自分には勝てないと勝手に判断してしまう。そういう状態。
とは言っても、それを乗り越えられるような決意や意思が有れば、全く動けなくなるという事は無い。本能を理性で押さえ込むとでも言うべきか。
まあ、言う程簡単な事ではないし、マイナにそんな覚悟や意思が有るとは思えないから、彼女にピルテを殺す事など出来はしないのだけれど。
「ど、どういう事なのよ…?!何をしたの?!」
「…私は何もしていませんよ。」
「そんなはず…」
ピルテは本当に何もしていない。ただ真っ直ぐにマイナの方を向いているだけ。それなのに、ピルテが半歩前に出るだけで、マイナは反射的に一歩後ろへと下がる。
先程までは、援護の為に勢いで攻撃を仕掛けていたから、問題は無かったものの、こうして静かに対面した事で、彼女はピルテの存在感に、完全に取り込まれてしまっている。
一言で言うならば…怯えているのである。
「わ、私が…恐怖…?こんな小娘に…?」
ピルテの姿を見ただけで、恐怖している自分に、マイナは驚きを隠せないでいる。
「ふざけるな!そんな事有るはずがないわ!何をしたのか言いなさい!」
自分が、何故恐怖しているのか、何故動けないのか理解出来ず、混乱してしまっているマイナ。理由を説明する義理なんて無いし、混乱している間に、仕留めてしまうのが良い。
「何が起きているとしても、もう関係の無い事です。今から死ぬのですから。」
タンッ!
「っ?!」
ピルテは冷たい声で言い放つと、マイナの言葉を待たずに床を蹴る。
「シュルル!」
マイナを殺されてしまえば、鱗人族も死んでしまうのか、ピルテの動き出しに合わせて、私の前に居た鱗人族が、マイナの護衛に入ろうとする。
しかし、私が目の前に居るというのに、ピルテのところへと向かわせるはずがない。
ギィン!
私は、ピルテの方へと向かって走り出そうとした鱗人族の目の前に立ちはだかり、進路を塞ぐ。
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