第562話 マイナ (8)

混血種の中でも、薄血種に近い混血種となると、私やピルテのように、常日頃から、血液を欲するようになる。つまり、吸血衝動が強くなるのである。


私やピルテは、吸血鬼族の中で育っているから、それを抑える為には、マジックローズという花が使えるという事を当たり前に知っているけれど……魔界の外で育ったマイナは、恐らくその事を知らないはず。


もし、マイナがマジックローズの事を知らず、吸血衝動を抑える術を知らないとしたならば…どんな事が有ったのか。それを想像するのは簡単である。


私達吸血鬼族は、元々モンスターと呼ばれて忌み嫌われていた存在であり、マジックローズが作り出されるまでは、他人の生き血を必要としていた。

吸血衝動は、アリス様の血が濃ければ濃い程に強く、その衝動を抑えるのは難しくなっていく。容姿が変わる程の血の濃さを持っている者となれば、ましてや、それが子供となれば、その衝動を抑える事など出来ないに違いない。


人を襲う子供…そんな存在がどんな扱いを受けるのか…


もし、彼女を産んだ母親が吸血鬼族だったとして、彼女を吸血鬼族として育てていたならば、マイナは間違いなく自分を吸血鬼だと認識しているはず。しかし、そんな様子が見られない事から、彼女は吸血鬼という存在自体を知らないはず。

母親が彼女を産んで直ぐに亡くなってしまったのか、それとも、親に捨てられたのか…吸血鬼族の女性は、一人しか子供を産めないのに、子供を捨てるなんて…と思うかもしれないけれど、混血種の中で、アリス様の血が薄い者には、一人しか産めないという条件を持たない体の者達も居る。だからと言って子供を捨てる親など…とは思うけれど、そういう親が居るというのは、この世界での事実である。

但し、この場合、親はマイナよりもアリス様の血が薄い可能性が高いという事になる。マイナは、容姿が吸血鬼のものである為、恐らく一人しか産めない体であるはず。つまり、親よりも子供であるマイナの方が、吸血鬼の血が濃い事になる。

子供が親よりも、アリス様の血を濃く受け継ぐというのはおかしな気がするかもしれないけれど、実際にそういう例がいくつも確認されている。


吸血鬼になる方法は二つあり、一つはピルテのように血を特殊な方法で分け与えられて、その血に順応した場合。この方法で吸血鬼化する場合、血を受ける者は、百パーセント血を分け与えた者よりもアリス様の血が薄くなる。自分の血の中に吸血鬼族の血が混じる形なので当たり前と言えば当たり前である。

しかし、もう一つの…母親が吸血鬼族である場合は、極稀に親よりもアリス様の血が濃く出る子供が産まれる事がある。母親の体内で成長する時に、これは、アリス様の血が多く取り込まれているのではと考えられている。とは言っても、劇的に親よりも濃くなる事はなく、ある程度…という条件は有る。


もし、マイナがその極稀な例だとした場合、マイナの母親は、吸血鬼の血が薄く、ほぼ人族と変わらない体質だったとして…その母親は、自分が吸血鬼族の血を引き継いでいる事を知らなかったとしたら…突然、悪魔憑きのような子供が産まれてしまった事になる。

赤ん坊の時は、母親から摂取する母乳の中に混じる魔力を得られる為、血を必要としないけれど、乳離れした子供は、少しずつ自分の中に有る吸血鬼族の血のざわめきに気が付き始める。

それがある日爆発し、吸血衝動に耐えられなくなった子供は、身近な者の血を求めて襲いかかる。親か、兄弟か、それとも近隣の住民か……人族の子供にしては俊敏過ぎる動きに、有り得ない力。それに周りの者達が一度でも恐怖してしまえば、後は落ちる以外に道は無い。

親と離れた原因が死別なのか捨てられたのかは分からないけれど、問題はそこではなく、その後の人生で何が起きたのかである。

流石に詳しい事は想像するくらいしか出来ないけれど、彼女が他人を信用出来なくなるような何かが有ったのだろうという事は分かる。

他人の言葉も行動も…全てが信用出来ないとなれば、枷によって強制的に信用出来る存在を作る事でしか安心出来ない。そういう考え方になるのも無理はない。


そんなマイナにとって、奴隷は唯一安心して傍に置ける存在であるのだから、大切に…とは言わなくても、酷い扱いをしていたとは考え難い。

人そのものを嫌っているのだから、奴隷である者達の事も嫌っている為、奴隷を酷く扱う事に対しては、特に何も思わないかもしれないけれど、必要が無いのに、敢えて酷い扱いをする理由もまた無い。


マイナとしては、衣食住を与え、普通に傍に置き、身の安全を確保していただけなのかもしれないけれど、奴隷達にしてみれば、その行動に恩義を感じる者達は多かったはず。

こうして有事になった時に、自らの身をていしてマイナを守らなければ…と思わせる程に。

しかし、マイナは彼等の事を信用していないから、精神干渉系魔法であるブラッドチャームを使ったのではないだろうか。


吸血鬼魔法であるブラッドチャームを知っているとなると…誰かに聞いたはずだけれど…恐らく、黒犬の連中が教えたのではないだろうか。

吸血鬼魔法は、吸血鬼族にとって非常に大切な魔法である為、多くの使用方法は秘匿されているけれど、あまり使い道の無いものや、危険性の低いものについては、ある程度他の魔族の者達とも共有している。共有とは言っても、吸血鬼魔法は吸血鬼族にしか使えない為、情報を共有しているという意味でしかないけれど…

同じ魔族であるのに、あまりにも秘密が多過ぎるのは良くないという事で、ある程度の魔法を開示し、友好的である事を示したということらしい。

つまり、黒犬の連中が、私達の使う吸血鬼魔法の一つ、ブラッドチャームの事を、知っていても全くおかしい事は無い。ただ…それをマイナに教えたというのは、何とも危うい行為である。本当に色々な意味で危険な行動と言える。恐らく…黒犬は全ての事が済んだ後、知り過ぎた者を始末するつもりなのではないだろうか。

そこまでして、危険を冒してでもニルちゃんを狙うとなると…余程ニルちゃんの殺害を優先的に考えているらしい。何故かは未だに分からないけれど…


それは一先ず置いて……マイナの母親の事に対する予想が当たっていたとすると…マイナが突然変異的に濃い血で産まれたとしても、良くて薄血種一歩手前の濃度のはず。つまり、私やピルテに勝てる見込みが無い。

勝てる見込みが無いでは、私達やシンヤさん達を始末するようにけしかける意味が無くなってしまう為、ブラッドチャームの事を教えて、彼女に使わせたのではないだろうか。吸血鬼魔法の中でも、ブラッドチャームは必要な媒体が自身の血のみで非常に使うのが簡単な魔法である為、少し特殊な闇魔法であり、術者の血液を使う…なんて言えば納得したはず。

マイナは、他人を一切信用していない為、そんな魔法が有るならばと、周囲の者達に対してブラッドチャームを使用しただろう。黒犬の言葉を確かめる意味でも。

黒犬の教えた事は真実であり、周囲の者達は元々マイナに対して好意的であった為、より一層強く彼女を守ろうとする。その結果、死をも恐れず、マイナの盾になろうとする奴隷達が出来上がったという事だと思う。


ブラッドチャームに限らず、相手の精神に干渉する系統の魔法というのは、闇魔法を得意とする魔族では、あまり珍しい魔法ではない。サキュバスのような、精神干渉系魔法を得意とする種族の魔法は、私達の使うブラッドチャームよりもずっと強い干渉を及ぼしたりもする。

長く魔族として生活していると、そういう精神干渉系魔法を受けた者を見る機会も有るし、訓練の一つとして、精神干渉系魔法を受けても正気を失わないようにするというものも有る。その為、そういう魔法を受けた者が、どんな状態になるのかは、よく知っている。

そして、目の前に居る奴隷達は、そういう者達のような状態に近い為、私とピルテは、直ぐに精神干渉系魔法の影響下に有ると分かったのである。

そして、その魔法がブラッドチャームである事は、相手の状態から分かる。自分達の使う吸血鬼魔法をマイナも使っているのだから、判別くらい出来る。


「この状態で、洗脳ではないと言い切るなんて、とんでもない女ですね。」


言ってしまえば、奴隷達がマイナに好感を持っていなければ、意味の無い魔法だから、洗脳と言うには大袈裟かもしれないけれど、相手の精神に干渉し、感情をある程度だとしても操っているのだから、似たようなものである事に間違いはない。


私が推測したように、マイナも大変な経験をして、今の状況に居るのだとすれば、マイナにも同情出来る部分が有る…のかもしれないけれど、だからと言って何をしても許されるわけではない。


「そうね。私もそう思うけれど、今はあの女の性格の事より、目の前の者達の事よ。」


育った環境がどうであったにしても、結局、今こうして沢山の人々を苦しめているのだから、それが全てであると言える。同情は出来るかもしれないけれど、許されるわけではない。

こうして、奴隷達の精神をもてあそんでいる事は、許容出来ない事だし、ピルテの怒りも十分理解出来る。

でも、今大切な事は、そこではなく、マイナを守る為ならば、自分の身すら投げ出そうとする奴隷達が、とてつもなく危険な相手だという事である。


「排除するしかないけれど…」


「排除するにも時間が掛かりますね…」


身を挺してマイナを守ろうとしている奴隷達は、ブラッドチャームの影響を受ける前から、ある程度、この場所で死ぬかもしれないという覚悟を決めていたのだと思う。それくらいの感情を持っていなければ、弱い精神干渉系魔法であるブラッドチャームを受けて、ここまで思い切った事は出来ないはず。


奴隷達は、互いの肩がぶつかり合う程に近付いて立ち、私達の進路を完全に塞いでいる。

目は完全に据わっていて、死ぬ事を覚悟の上で、微動だにしない。


マイナに攻撃を仕掛けたいならば、自分達を殺してから進めと言っているようである。


ここまでの覚悟を決めしまった者達というのは、怪我をしようが体の一部が吹き飛ぼうが、まるで怯まない。

私とピルテの使うシャドウクロウは、シンヤさんが放つような、覚悟すら両断する一撃とは違い、的確に急所を貫かない限り、簡単には死なない程度の傷しか負わせられない。

つまり……仲間が殺されようが、痛みに泣き叫ぶ声を聞こうが、まるで動じない敵兵となると、私とピルテでは、彼等を排除する為に多くの時間を割かねばならなくなってしまう。


マイナが何をしようとしているのか分からないけれど、私とピルテが戦っている間に、全ての準備を整えて、私とピルテを殺す為の策を実行するはず。出来ることならば、それをさせずに終わらせるのが理想だけれど……そこまでスピーディに終わらせるのは、難しいかもしれない。


「とにかく数を減らすわよ!」


「はい!!」


時間が掛かってしまうからと言って、私とピルテには、他に何か出来るわけではなく、とにかく奴隷達の壁を突破しなければ、マイナを始末する事も出来ない。


マイナ単体との勝負ならば、疲労していても、私とピルテならば、まず間違いなく勝てる。この勝負は、その状況にまで持ち込めるか否かで決まる。

マイナが打ち出すであろう策を乗り越えて、マイナの前に立つ事が出来れば、私とピルテの勝ち。逆に、マイナの用意している策を乗り越えられなければ、私とピルテの負けという事である。


奴隷達の壁を一気に突破出来ないとなれば、マイナの策が実行されるのを止めるのは無理である。止める事が無理であるならば、策を打ち出された時、少しでも私達への攻撃が減るように、壁となっている連中を攻撃し、数を減らしておくべきだと思う。


そう考えて、私とピルテは、壁となっている奴隷達の元へ走り込む。


「絶対に通すなぁぁっ!」


「マイナ様の為にぃ!!」


「「はぁっ!」」

ザシュッザシュッ!


「ぐぁっ!あぁっ!!」

ブンッ!


目の前に居る奴隷に向けてシャドウクロウを突き出すと、その肩口に突き刺さる。しかし、攻撃を受けながらも、無理矢理剣を振る奴隷達。


「これならばっ!!」


バキッ!!

「あ゛ぁっ!」


「っ?!」

ブンッ!


ピルテが、攻撃を繰り出して来た奴隷の腕を掴み取り、肘を逆方向に曲げ、腕を折る。


完全に腕は折れて、激痛が走っているはずなのに、奴隷はピルテに対して、武器すら持っていない左腕で殴り掛かる。


死を覚悟した者にとって、腕の一本や二本折れる事など、大したことでは無い。死なないならば、死ぬまで戦おうとする。それこそが彼等の覚悟である。


これが雑兵を担うような盗賊の者達であれば、痛みに転げ回っていただろうけれど、奴隷達は痛みに強い。強過ぎると言っても良い。

殴られる事が日常生活の一部であった彼等にとって、痛みというのもまた、日常の一部である。

魔界を出てから、最初に殴られて傷だらけの奴隷を見た時は、自分の目を疑ったものだけれど、それは珍しい光景ではないという事を、私達は知っている。

そして、恐らく、そういう生活を送って来ていた者達が、マイナの奴隷に対する扱いに恩義を感じているのだろうから、痛みに強い者達ばかりのはず。

確実に息の根を止めなければ、両腕両足が折れていても、彼等は何度でも立ち上がって来る。

本当に、息を止めて心臓が脈打つのを止めるまで、何度でも。


彼等の状態が分かっていない者達が見れば、その狂気じみた行動に、恐怖を感じる程だと思う。実際に、私とピルテは、そうして死ぬまで立ち上がって来る者達を見て、やはり背筋が凍る思いをしていたから、間違いない。


「気を付けるのよ!ピルテ!」


「はい!」


油断をする事はなくても、私とピルテの体は、既に限界が近く、頭では分かっていても体が追い付かないという状況が十分に考えられる。

いつもならば、紙一重で避けられる攻撃だとしても、余裕を十分に取って避ける。そういう細かなところでも気を抜いてはいけない。

反応出来たとしても、体が疲労から予想以上に動きを鈍くして、避けられるはずの攻撃を避けられなかった…なんて終わり方は嫌だから。


「はぁ……はぁ……」


私とピルテが敵の壁に向かって攻撃を初めて三分程が経った。

その時間で、何とか、私とピルテだけで相手の半数以上を屠り、残りは八人となったけれど、たった三分の戦闘だけで、また息が上がり始める。


「……最後に、もう一度だけ聞いてあげるわ。

私達の仲間になる気は無いかしら?」


口振りからして、これからマイナは何かをしようとしていて、それで私達を仕留められると考えている。


結局、私とピルテでは、この短い時間に、壁となっている奴隷達全員を排除する事が出来ず、かなり辛い状況になっている。

それでも、当然だけれど、私達が盗賊に身を落とす事など有り得ない。


「「……はぁ……はぁ………」」


私もピルテも、息切れして言葉を出すのも面倒な為、無言でマイナを睨み付け、否の意志を示す。


「……そう。本当に残念ね。良い稼ぎ頭になれたのに。」


マイナは、そこまで言うと、扇を開き、私達の方へと向ける。


その瞬間。


ズガガガガッ!!


私達とマイナを隔てるように、石の壁が床から立ち上がる。


中級土魔法のウォールロックに間違いない。高さはそれ程無いけれど、ウォールロックは数枚横に連なって立ち上がり、私達とマイナを分断する形となった。

私達を通さんと構えていた奴隷八人は、私達の側に取り残された状態である。


「そこの五人の動きを止めなさい!」


立ち上がったウォールロックとウォールロックの間には、それぞれ数十センチずつ隙間が有り、その隙間からマイナの指示が聞こえて来る。


「「「「おおおおぉぉぉぉ!!!」」」」


取り残された八人の奴隷達と、シンヤさん達を攻撃していた数十人の奴隷が、マイナの命令に従うべく、武器を掲げて走り寄って来る。


残された奴隷は、この空間に居る者達の五分の四。かなりの数になる為、私達も簡単には対処出来ない。

マイナに策が有り、分断したならば、それを何とかしなければならない。私はそう考えて、何をしようとしているのか考える。


「……っ!!ピルテ!前に出るわよ!!」


私は、マイナのやりたい事が何なのかを考えて、周囲を見渡して、ある事に気が付いた。


それは、シンヤさんの魔法によって破壊された壁。その後ろに在ったはずのバリスタが消えている事である。


それを見て、直ぐに何をしようとしているのかを把握して、私は前に出る事を決意する。


私達に対して、この部屋に入ってから、唯一ダメージを与えられそうだった攻撃。それはバリスタによる射撃である。

ニルちゃんの氷魔法による盾が有ったから受けられたけれど、それが無かったら、バリスタを受け止める手立てが、私達には無い。つまり、今現在、私達がバリスタから射出される矢を受け止めようとしても、受け止められないという事。

バリスタの攻撃が有効だということを、最初の数回で悟ったマイナは、壁が壊された後、直ぐにバリスタを後方へと移動させ、もう一度発射する為の機会をずっと待っていたのである。


確実に私達五人を仕留める為に必要な攻撃と、それを使う為の場所を作る。今まで奴隷達が死ぬ気で戦っていたのは、壁を作り出し、バリスタを再度使用する為だったらしい。

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