第561話 マイナ (7)

「……逆に聞きたいわね。何故これだけの戦力が残っているのに、撤退しないのかしら?」


既に、戦場における半数近くの人間の命が奪われたとなると、相手にとってみれば大敗も大敗。たった五人に一万もの兵力を奪われたとなれば、自分達の本拠地に逃げ帰って然るべき被害である。後々の笑い者共として語り継がれるレベル。最早面目も何も無いような状況で、それでも尚、ここに留まる理由は何なのか?

周囲の者達が生きていて、簡単には抜け出せない、包囲網のような状態になっているとは言え、まだ盗賊は一万人弱居るはず。一丸となって突き破ろうと思えば余裕で出来る数だと思う。それなのに、そうしないという事は、それなりの理由が有ると考えるべきだと思う。


「ここを離れない理由…ね。それを聞いてどうするのかしら?」


「それが許されざる事だとしたならば、当然、止めるつもりよ。」


「残念だけれど、それはもう無理ね。」


「………………」


「驚かないところを見るに、大体予想は出来ていた…というところかしら?」


「……ええ。」


この状況下で、盗賊達が逃げない理由。それは、ここまでの行動で大体予想出来る。


まず、ジャノヤに対して、ハンターズララバイのほぼ全員が向かって来た事。

私達がジャノヤに入って、色々と行動を起こしてから、一日も経っていないのに、ハンターズララバイの者達全員が、ジャノヤ近郊に集結した。

二万人もの人数を集めて移動させるとして、それぞれの勢力圏から移動させたとすると、数日は掛かったはず。

つまり、私達がジャノヤへ攻め込むと決める前から、ハンターズララバイはジャノヤへ向けて動き出していた事になる。私達五人だけの為に、二万人もの人数を集めて、殺害しようと考えた結果ではない事は確かだと言える。まあ、普通に考えて、私達だけが目的ならば、二万人なんて数は必要無いと考えるだろうし、それが目的でない事は分かると思う。

では、何の為に、これだけの大人数が動く事になったのだろうか?

最終的に盗賊達は、周囲を囲まれる危険を冒してでも、ジャノヤの街へ入り、全てを制圧した。加えて、ブードン-フヨルデが、外ではなく、神殿に立て篭っていた…それらの事から考えられるのは…


「この街を、ハンターズララバイの街にしようとしているのね。」


「正解よ。盗賊の街。盗賊だけの街。」


ジャノヤという街は、かなり大きく、二万人の収容も可能な程の広さを持っている。

そして、周囲の街や村への通行の利便性、貴族達との友好な関係…それらを考えた時、この近辺において、盗賊達が必要とするものを全て満たす条件の街は、このジャノヤ以外には有り得ない。

全ての生き残りが街の中と周囲に配置されているのも、街を取り戻そうとする者達から街を守る為だろうと思う。

ブードン-フヨルデは、完全にヒーロー役は止めて、盗賊達と手を組むらしい。

街を動かすには資金が必要だけれど、ザレインの売上と貴族達の支援があれば問題は無いはず。まあ…残念ながら、そのザレインを作る事の出来るナナシノは、私達の手によって死んでしまったけれど…ザレインの在庫や、ザレインの売買によって名を広めたハンターズララバイならば、他の物を売買しても、それなりの稼ぎを得られるとは思う。

盗賊達が盗賊達の為だけに作る街が、長く続くとは到底思えないし、いつかは自分達の手で自分達の街を破滅させるという未来しか見えない。街の維持というのは、それ程簡単な事ではない。とは言っても、元々領主だったブードン-フヨルデが居るならば、それなりに存続する事は可能だろうし、いつか破滅するとしても、それまでの間には数多くの犠牲者が生まれてしまう。そうなってしまっては、私達が戦った意味が薄れてしまう。


マイナが、それを止めるのはもう無理だと言ったのは、既に街はハンターズララバイによって制圧されており、簡単には落とせない状態になってしまったからである。


マイナの言うように、実際問題、この辺りに住んでいる人々が街を取り返そうとしたとしても、これだけの数を相手に、盗賊達から街を取り返すというのは難しい話だと思う。

この辺りの特産品は綿花であり、それに関わる仕事をしている者達が多い。つまり、農家関係の者達が多いという事。それは、戦える者達が少ないという話であり、束になったところで、一万人という戦える盗賊を相手にするには、かなり心許ない。例え、多少の人数の戦える者達を雇ったとしても、圧倒的に不利だし、数を雇おうとしても、金銭を持っている貴族連中の殆どはブードン-フヨルデ側、つまり盗賊側に立っている為、戦える者達を雇う為の金銭が無い。

結果として、泣き寝入りしてこの辺りの街や村を離れる以外に方法が無くなってしまう…という事になる。

元々、このジャノヤをハンターズララバイの本拠地にするつもりで入って来て、その大半の計画を終えた今、敢えてここを離れる必要性は無いという事。後は…それでも尚、どうにかしようと動いている私達や、外で戦ってくれている皆を始末すれば、全てが丸く収まる。

酷く豪快な計画ではあるけれど、実際に、街を制圧されているのだから笑えない。


「既に街は制圧済みよ。今更たった五人が足掻いたところで、私達を止める事など出来ないわ。

外に居る連中だって、直ぐに死ぬわ。」


確かに、ここから状況をひっくり返すなんてのは、非現実的な事だと思う。それが出来るのは、物語の中に出てくる英雄のような者くらいだと思う。

これが、もし、私とピルテだけだったならば、そもそも関わろうとさえしなかったかもしれない。それくらいに絶望的な人数差であり、人に成し得る事では無いと諦めていたはず。


でも……私とピルテは知っている。


そんな、物語の中にしか出てこないような、本物の英雄みたいな存在が、私達と行動を共にしてくれている事を。


「……いいえ。まだ勝負は決まっていないわよ。」


「強がりね。さっさと降参して私達の仲間になりなさいな。そうすれば、少しはバラバンタに口を聞いても良いわよ?」


口元を隠していても分かる醜悪な笑みをもう一度浮かべるマイナ。


「願い下げよ。お前達のような存在に身を落とすくらいならば、自死を選ぶわ。」


「…素直に私の助言を聞いておけば、死ぬ事は無かったのに…本当に残念ね。」


マイナは、笑みから冷たい表情へと変わり、扇を閉じる。


「強いのはよく分かったわ。でも、いくら強いとしても、どうする事も出来ない事っていうのは有るものよ。」


そう言って、マイナが扇を私達の方へと傾けると、周囲に居た奴隷達が、ゾロゾロとマイナの前に立ち塞がっていく。

この奴隷達の壁が、マイナの言うどうする事も出来ない事…なのだろうか?いいえ。恐らくは違う。今更雑兵の数を揃えて壁を作ったとしても、それが私達を止める手立てにはならない事くらい、マイナには分かっているはず。


「……ピルテ。一先ずはこの者達をどうにかするわよ。」


私達とマイナの間に立ち塞がった奴隷は、シンヤさん達が相手にしている数よりずっと少なく、ざっと二十人というところ。

このくらいの数ならば、疲弊している私達にも、ある程度どうにか出来るはず。

フェイントフォグは、先程、魔法使いの数人によって風魔法で部屋の外へと流し出されてしまったけれど、シャドウクロウが有れば、制圧出来るはず。ただ…どれくらいの時間で制圧出来るか…というところが問題。


出来ることならば、マイナだけを相手にしたいところだけれど…そういうわけにもいかない。


「はい!私は右をやります!」


ピルテは、そう言って地面を蹴ると、前方の集団、その右手側へと走り込む。


吸血鬼族のシャドウクロウという魔法は、使い勝手が良いという事も好まれている理由の一つではあるけれど、何よりも好まれている理由は、その応用性の高さに有る。


伸縮自在という性能は、細く鋭利にも出来れば、ある程度太くして武器を受け流す程度の事は出来るという事。

たったそれだけの事が何だと言うのか?と思うかもしれないけれど、こういう戦争の場において、これはとても大きな武器になる。


シャドウクロウのリーチというのは、一見して分からなかったり、一瞬で伸び縮みする為、相手は私達の間合いを上手く認識出来ない。

シンヤさん、ニルちゃん、スラタンのような、普通とは言い難い強さの人達は、それでもどうにかして受け止めたり流したり弾いたり避けたりしてしまうけれど、それは本当に一握りの強者達にのみ出来る事であり、普通は出来ない。


ザクッ!

「ゴフッ……」


私やピルテが、シャドウクロウを伸ばすだけで、反応の遅い者達は、喉を突き刺されてしまい、直ぐに戦闘続行不可能な状態になってしまう。


しかし、シャドウクロウの強さは、これだけではない。


元々、シャドウクロウは、大昔の戦場において、武器の代わりとして使う為に用いられていた魔法である。

つまり、本来は、暗殺する為の武器ではなく、こういう戦場においての武器として活躍していた魔法だという事。


シャドウクロウは、例えば、金属製の全身鎧や、大剣のような重たい武器を前にすると、どうしても貧弱に見えてしまう魔法だということは分かると思う。それでも、戦場で戦い続ける吸血鬼族の戦士達には、この魔法が好まれていた。

何故なのか。それは、このシャドウクロウという魔法を、可能な限り細く伸ばしてやると、鎧の隙間に見事に入り込む細さになるからである。

人である以上、鎧を完全に密閉する事は出来ないし、視界を取る為に隙間の空いている面の目の部分や、関節部等は、どうしても隙間が出来てしまう。その隙間を、的確に貫く事が出来る形状にして、相手に手傷を負わせられるのがシャドウクロウである。

戦場で、治療すれば治るような傷を受けたが、戦闘の続行は難しいという状態の者が居たならば、敵はその者を下がらせる。しかし、その者は全身鎧を装着していて、一人で運ぶのは無理。となれば、二人以上が手を貸す事になり、一撃で三人の者達を退場させる事が出来てしまう。

勿論、相手はこちらを殺そうと動き回っているし、攻撃もしてくるのだから、その合間を縫って鎧の隙間にシャドウクロウを通すのは至難の業である。しかし、吸血鬼族には、それが出来る程の身体能力と五感の鋭さが有る。今私達の目の前に居るような者達であれば、純血種の吸血鬼は、欠伸をしながらでもシャドウクロウを鎧の隙間に刺し込む事が出来てしまうはず。

吸血鬼族は、魔族との戦争中、圧倒的に数が少ないはずなのに、当時の魔王様が攻め込み切れなかった理由はそこに有る。攻め込んでも、毎度毎度、怪我人が大勢出ているのに、死者が少ない。敢えて殺さずに手傷を負わせる事によって、相手の部隊は前線に居る者達の数が極端に減ってしまい、撤退せざるを得ない状況になってしまっていた。

当然ながら、その時の攻撃部隊は、吸血鬼族を滅しようと色々な策を講じたのだけれど、結局、吸血鬼族を攻め落とす事が出来ず、今の魔王様が和解を申し出る形となったのだから、吸血鬼族がシャドウクロウを特別視するのは当たり前の事だと思う。言ってしまうと、当時の魔族にも、攻略は出来なかった魔法だから。


残念ながら、私とピルテには、そこまでの力は無いから、集中してやっと出来る事だけれど、出来ないという事は無い。今までは、シンヤさんやニルちゃん、スラタンのような圧倒的な前衛が居たから、私達が、こうして完全な前衛として動く事は無かった。しかし、そもそもは四人で魔界から飛び出して来たのだから、後衛は勿論の事、前衛としての戦い方も身に付けている。


「うおおおおぉぉぉぉっ!」


ブンッ!ブンッ!


「やっ!」


ザクッ!


「ぐあぁぁっ!」


敵兵の一人が、直剣を縦、横と振り回すけれど、それを私の目はしっかりと捉えており、全ての攻撃をしっかりと回避する。

そして、攻撃の合間に見える鎧の隙間。私は、その隙間の一つに対して、シャドウクロウを細く伸ばし、突き刺す。

脇の下から入り込んだシャドウクロウは、敵兵の内蔵を傷付けた後に引き抜かれ、その痛みに敵は泣き叫ぶ。


「オラァッ!!」


今回の場合は、攻城戦という形だし、攻めて来る者達を追い返すのではない為、傷付けるだけではなく、死に至る攻撃を狙うべきではあるけれど、無理に狙う必要は無い。

シャドウクロウは、こうして吸血鬼族に好まれている非常に優秀な闇魔法だけれど、闇魔法である事に変わりはなく、強度はそれ程高くない。特に、鎧の隙間に刺し込むような細さになると、殆ど強度は無いと言っても良い。それ故に、シャドウクロウを上手く使いこなし、的確なタイミングと攻撃箇所を選ばなければ、直ぐに破壊されてしまう。

つまり、シャドウクロウを使う際、最も大切な事は、無理に攻撃をしないという事である。

確実に相手への一撃を決められるタイミングと攻撃箇所である時のみ攻撃を行い、それ以外では防御及び回避に専念する。これが、シャドウクロウを使う上で、最も大切な基本的な概念である。


つまり…今、私に向かって大剣を振り下ろそうとしている者で言うと……この者は、全身に鎧を身に纏っていて、兜もしっかりと装着している。私から見てシャドウクロウを突き刺せる場所は兜と鎧の間に有る隙間、視野を取る為の兜の目の部分。脇の下、肘の部分。これくらいである。

しかし、顔に近い部分というのは、攻撃すると、反射的に動いて避けようとするのが人であり、狙うのが非常に難しい。相手が私の動きを見ていない状態ならば、一瞬で刺し込むという事も可能だけれど、真正面からの攻撃に合わせるのは難しい。

そうなると、残るのは脇の下と肘の部分だけれど、脇の下は、大剣を振り下ろすという体の動きに対して、腕によって徐々に隠れて行く部分であり、強引に突き込んだ場合、腕の動きに巻き込まれて、シャドウクロウが破壊されてしまう恐れが有る。逆に、肘の部分は、これから腕が伸びて来るけれど、その前に、最も私から見て近くに有り、狙い易く、動きを予想し易い。

そういう観点で見てみると、どこを狙うのが最も確実なのか、それがよく分かると思う。


ザクッ!

「あ゛ぁぁっ!」


私の伸ばしたシャドウクロウは、振り下ろされようとしていた肘の関節部に届き、敵の両肘を貫き、即座に抜き取られる。


ガシャンッ!


敵は、両肘を貫かれた事で、手に力が入らず、持っていた大剣を豪快に床へと落としてしまう。


そして…


ガッ……ザクッ!!


「ぐ………ぁ……」


痛みで顔を逸らし、私の動きを目で追えなくなった相手に対して、私は相手の頭を掴み、反対の手でシャドウクロウを目の部分から突き刺す。これならば、外そうとしない限り外す事は有り得ない。

突き刺したシャドウクロウは、目から脳へと達し、一瞬で相手の命を奪う一撃となる。

体を何度かビクンビクンと跳ねさせた後、その者は体から力を抜く。


「マイナ様を守れ!」


「俺達が壁になるんだ!」


立ちはだかる奴隷達は、仲間が殺されても、怖気付いたりせず、マイナの前にガッチリと固まる。


「……お母様。」


「……ええ。恐らくこれは、ブラッドチャームの魔法を掛けられているわね。」


ブラッドチャームというのは、吸血鬼魔法の一種であり、精神干渉系の魔法である。その効果を一言で言うのならば、魔法の対象者を魅了するというもの。

魅了…と一口に言っても、普通の闇魔法に有る精神干渉系魔法とそれ程効果内容は変わらず、相手の精神を僅かに揺らす程度の効果しかない。

要するに、この魔法を使ったからと言って、相手が狂信者に突然変わる…なんて事は有り得ない。


この魔法は、吸血鬼魔法の中でも…ハッキリ言って使い道がほぼ無い魔法だと言われている。

仲間を増やす為に凄く有用な魔法に感じるかもしれないけれど、この魔法の効力は極めて薄い。

例えば、今のような戦場においてこの魔法を使った場合、使用する対象は敵になるのだけれど…相手は当然ながら、私達の事を敵として認識している。言い方を変えれば、私達の事を嫌っている状態である。

そんな相手にこの魔法を使った場合……何も起きない。本当に何一つ起きないのである。それ程に効果が薄く、ハッキリ言って使い道がほぼ無い。特に、戦場では使い道が全く無い魔法である。使うだけ魔力の無駄とも言える程。


この魔法が活躍する場面というのは…あまり言葉にするのは恥ずかしいけれど、夫婦の寝室で…である。

このブラッドチャームは、嫌いを好きに変える力は無いけれど、元々、相手が好意的な状態の場合は、その感情を少し増幅させる程度の能力は持っている為…………これ以上は言えない。

という事で、あくまでも、自分に対して好意的な人にのみ、ある程度の効果を与えられるというものである。つまり、今、目の前でマイナの事を必死で守ろうとしている奴隷達は、少なくとも、マイナの事を元々好意的に捉えている者達が殆どだということになる。


ここからは、本当に勝手な推測だけれど……


マイナの容姿を見ると、私やピルテのように、黒髪に赤い瞳を持っており、ある程度整った容姿をしている。世間一般で言えば、美人と言われる類の容姿。

吸血鬼族に特徴的な容姿ではあるけれど、この黒髪に赤い瞳、整った容姿というのは、あくまでも薄血種程度の階級からであって、混血種にはあまり見られないものである。居ないという事ではないけれど、混血種と呼ばれる者達の中で言えば、アリス様の血が濃く、薄血種に近い混血種であると言える。

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