第538話 解放
「生きて…いるのですね?」
「ああ。死ぬ一歩手前だがな。」
ナナシノは、ドリュアスが僅かにでも植物を操作すれば、即座に命が奪われてしまう状態にある。生きていると言うよりは、死んでいないと表現する方が正しいだろう。
「フー!フー!」
ナナシノは血走った目を見開いて、俺達の事を見て、荒い呼吸音を鳴らしながら、動かなくなった口から涎を垂らしている。
「戦闘終わりで疲れているところ悪いが、こいつから記憶を抜き取ってくれ。」
「私がやるわ。」
「お母様!」
「さっきも言ったでしょう。気分の悪くなるような記憶は私が読み取るわ。」
「ですが!」
「これは母親としての役目なのよ。分かって。」
「っ……」
ハイネの気持ちも、ピルテの気持ちも分からなくはないし、何とも言えないが…まあ、母親の役目とまで言われてしまうと、ピルテに何かを言い返す事は出来ないだろう。
そして、ピルテが引き下がり、ハイネが、植物に巻き付かれたナナシノに近寄る。
「今更、何を言っても意味の無い事だけれど、お前が作り出した物のせいで、沢山の人が死んで、それよりも沢山の人が不幸になったわ。
それを噛み締めて、残りの少ない時間、後悔しなさい。」
「フーッ!フ!フーッ!」
何を言おうとしているのか全く分からないが、ナナシノはそれまでよりも息を荒らげて、ハイネを見る。
ハイネがナナシノに対して、言いたい事を端的に言った後、その首元に噛み付く。
一回で上手く記憶を読み取れるかは分からないが、移動させる事も出来ないし、ここで一つでも手掛かりを掴んでおきたい。
俺達のそんな願いが届いたのか、ハイネはナナシノから一つどころか二つの有力な情報を抜き出してくれた。
「っ……」
「お母様!」
血を啜ったハイネが眉を寄せながらナナシノから離れ、心配していたピルテが直ぐに駆け寄る。
「大丈夫よ。こういう連中っていうのは、何でこうも人を不快にさせるような生き物なのかしらね…
記憶を読んだだけで寒気が走るわ。」
気持ち悪くなるとかではなく、寒気が走るとは…余程の記憶だったのだろう。
ナナシノは自分本位な奴だったし、そういう記憶が有っても不思議ではないが、あまり知りたい内容ではなさそうだ。
「でも、情報は入手出来たわ。バラバンタとマイナの居場所。それとマイナ本人の容姿が分かったわ。」
「居場所に容姿もか。最高の成果だな。」
「残念ながらバラバンタの容姿は分からなかったわ。バラバンタの容姿については、期待薄みたいだけれど、もう何度か試してみた方が良いかしら?」
「いや、期待薄なら必要無い。」
ハイネが期待薄だと言ったという事は、そう言えるだけの根拠が何か読み取れたに違いない。そこに時間を掛けている暇は無いだろう。
ナナシノの記憶から、マイナ本人の容姿に二人の居場所まで分かったとなると、このナナシノという男は、テンペスト内でもかなり上位の存在であるはず。まあ、これだけの強さを持っているのだから、信頼とは言わないが、テンペスト内でかなり頼りにされていたはずだ。頭は良さそうだったし、参謀としての働きもしていたのではないだろうか。
そうなると、バラバンタの右腕という事になるだろうし、俺達との戦闘がどうなったのかは、既に報告が向かっていてもおかしくはない。俺達は隠れて戦っていたわけではないし、外にはまだまだ兵士達が居る。中の様子を伺っていて、ナナシノが負け確定状態になったと分かれば、テンペスト全体への報告も走り出しているに違いない。
しかし、俺達がナナシノを倒したという情報は直ぐに出回るとしても、ここでバラバンタとマイナの情報が手に入ったのはかなり大きい。バラバンタがどんな容姿なのかは分からないが、居場所が分かっていれば、ここからの動きは全く違うものになってくる。
「マイナの容姿はどんな感じなんだ?」
「女よ。人族の。長い黒髪に赤い瞳で、キツい目をしているわ。身長は百七十くらいね。見た目は身代わりの女とよく似ているわ。持っている雰囲気は全くの別物だし、身代わりの女の方は瞳が緑色よ。」
「何か…マイナの容姿だけ聞くと、ハイネさんに似ているね?」
「私の目はそんなにキツくないわよ。失礼しちゃうわ。」
ハイネの目は切れ長で、言ってしまうとキツい目なのだが…まあ、他人から見た自分と自分から見た自分にはギャップが有るものだし何も言うまい。
「それより、似た外見って事は…もしかして吸血鬼族なのか?」
「吸血鬼族という可能性も有ると思うわ。」
「っ?!」
黒髪に赤い瞳は吸血鬼族の特徴だ。もしかしてと思って聞いてみたが、可能性が有るとなると…結構手強い相手になるかもしれない。
「でも、もし吸血鬼族だったとしても、まず間違いなく混血種で、人に近い強さの者だと思うわ。」
「何か根拠が有るのか?」
「吸血鬼というのは、吸血鬼になりたいと思ってなれるものではない事は知っているわよね?」
「ああ。母親が吸血鬼であるか、もしくは吸血鬼族の血に順応出来る者しか吸血鬼族にはなれないんだよな?」
「ええ。だから、そもそも魔界の外に吸血鬼族が居るという事自体が非常に稀なのよ。薄血種以上の階級に居る者達は、全て把握しているし、私達吸血鬼族は子供を大切にしているわ。一人しか産めない体だからね。だから、母親が子供を産んで魔界の外に放置するなんて事はまず有り得ないわ。」
「それは分かるよ。可能性としては、血を与えて何とか対応出来た者が、外に居るという可能性だよね?」
「ええ。でも、それも普通は有り得ないのよ。血を分けておいてそのまま放置するなんて無責任な事をしてしまうと、私達が把握出来ていない吸血鬼達が沢山増えてしまうわ。
吸血鬼族は五感も優れているし、身体能力も高いし、魔力も多いのよ。元々はモンスターとして扱われていたくらいなのだからね。」
「優れた種族というのはハイネとピルテを見ていれば直ぐに分かるわな。」
「そんな者が沢山増えてしまって、魔界の外に溢れ返ってしまったら、何をしでかすか分からないでしょう?そうなってしまうと、折角魔王様が魔族として受け入れてくれて、一つの種族として生きられるようになった吸血鬼族が、敵視されてしまう事になるわ。」
「やられた方からしたら、魔界内の吸血鬼族か、魔界外の吸血鬼族かなんて分からないもんな。」
「ええ。吸血鬼族全体が憎まれてしまうかもしれないのに、適当に吸血鬼を増やすなんて事はしないし、基本的には禁止されているの。」
「ピルテは吸血鬼になったんだよな?」
「ええ。基本的には禁止されているけれど、しっかりと許可をとって、吸血鬼族になった場合を考えて先に登録して…という感じで、色々と事務的な処理をしてからならば、大丈夫なのよ。」
「お、思ったより事務的な話だったね…」
「現実なんてそんなものよ。実際に、登録したりして管理しないと、長寿の種族だから把握が難しいのよ。」
確かに…事務的な管理をせずに居たら、把握し切れないだろう。思ったよりも現実的な話だったから、俺とスラたんみたいな空想上の吸血鬼を思い浮かべていると、不思議というのかガッカリというのか…まあ、これが現実という事だ。
「ただ、それでも混血種にまでなると、流石に把握が難しくてね。」
「そうなの?」
「吸血鬼族は、血が薄くなる程に数が多くなっていて、混血種となると結構居るのよ。それこそ、殆ど人族と変わらないような者だって沢山居るし、全然長寿じゃない者達だって居るのよ。そういう者達が血を分けても、殆ど拒絶反応も無く馴染んでしまうから、人なのか吸血鬼なのか分からないのよ。」
「でも管理してるんだよね?」
「出来る限りはね。でも、戦争中の時とか、吸血鬼族が魔族に入る前の段階で、既に人族の中に入ってしまったような者達も居るのよ。その頃は管理なんて一切していなかったから、登録漏れもかなり居るはずよ。
流石に、薄血種でも吸血鬼の血が濃い者となると、明らかに人からは掛け離れた力を持っているから、一目瞭然となって、登録漏れなんて事は無いけれど…今となっては、そもそも、自分に吸血鬼の血が混じっていると知らずに生きている者達も居るはずよ。」
昔の
魔族との大戦争をしていたわけだし、その時には自分達が魔族に仲間入りするなんて思っていなかっただろう。
仲間を助ける為、子供を生かす為に、逃げるように指示をして、逃げた子供達が魔界外で人として生きている…なんて事も有り得なくはない話だという事だ。
こればかりは誰を攻められる話でもないし、仕方の無い事だろう。
「要するに、薄血種以上の者達が魔界の外に居るという事は有り得ないけれど、混血種となると、その可能性も十分に有る…という事かな?」
「長々と話したけれど、まとめてしまうとそういう事ね。」
厳密に言えば、薄血種以上の者も魔界外に居る可能性は有るのだが、人ならざる力を持った者が生きていくには辛い世界だ。最終的には魔界に辿り着くだろうし、登録漏れは限りなくゼロに近いという事らしい。
「つまり、マイナが混血種の吸血鬼という可能性も十分に有って、見た目からするに、吸血鬼だと考えていた方が良さそう…という事だな。」
「それに本人が気付いているかは微妙なところだけれど、もし、気が付いていて、しかも吸血鬼魔法の使い方を知っていたりしたら、かなり厄介な相手になると思うわ。
ただ、吸血鬼族の戦い方に関しては、私とピルテがいれば対処可能だし、私達に任せてくれて構わないわよ。」
「僕も」
「スラタンは大人しくしていなさい。」
「そうですよ!スラタン様は両手を怪我しているのですよ!援護に回って下さい!」
「は…はい…」
二人の圧に、はいと言うしかなかったスラたんは、大人しく言う事を聞く。将来的に、ピルテとハイネの二人と暮らす事にでもなったら、大変になりそうだな…などと思いつつ、スラたんが怪我をしているのは事実だし、無理に前に出る必要は無いだろうと口は出さないでおいた。
ナナシノとの戦いで、スラたんは色々な意味で限界を迎えているはず。色々と話をしていても、疲労が溜まっているのを感じ取れる程だ。
ここまで散々頼りまくっておいてだが、ここからは、スラたんに頼り過ぎないような動きをするべきだろう。ただ、本当にスラたんが一緒に来てくれて助かった。恐らく、この五人の内一人でも欠けていたら、ここまで来る事さえ出来なかっただろう。
「それはそうと…この男をどうするかよね。」
一先ず、周囲に敵影は無いし、休憩も兼ねて話をしていたが、ナナシノは未だに死んではいない。
「色々と思う所は有ると思うが…俺に任せてもらっても良いか?」
正確には、ドリュアスに…だが。
「私達は構わないわ。」
「僕も構わないよ。」
何となく察してくれたのか、俺が任される事になり、ナナシノへと近付く。
俺達がナナシノを無視して話をしていた間も、ナナシノは息を荒らげて、ずっと逃げようとしていた。
しかし、いくら俺達が疲れていても、流石に逃がしたりはしないし、そもそも、ナナシノは指先一つ動かす事が出来ない状態なのだから、逃げられない。
目の前で、敢えて無視して話をしたのは、そうやって自分の事が眼中に無いという態度が、この男のプライドをズタズタに引き裂く行為だと知っていたからでもある。少し残酷なやり方かもしれないが、それ以上に残酷な事をしてきたであろうナナシノに、情け容赦は必要無いだろう。
俺は、皆から離れて、ドリュアスに対して小さな声で語り掛ける。
「……どうしたい?」
ドリュアスの怒りはずっと頂点を突破している。今直ぐにでも殺してエサソンを助けたいと考えているのだろう。
オウカ島で聞いた話だと、友魔とは、一度契約をしてしまうと、簡単に解除出来ない。漆黒石の事もそうだが、そもそも友魔との契約を断ち切るには、両者の同意が必要になる。
ナナシノの場合、エサソンを解放するつもりなど無いだろうし、本人を殺して強制的に契約を解除させる必要が有るのだが…殺し方は選ぶ事が出来る。
正直…ナナシノはかなり悲惨な事になると思う。
ドリュアスという精霊をブチ切れさせたのが運の尽きだ。優しく穏やかな性格のドリュアス達が、我を忘れる程に怒り狂っているのだ。普段が優しい分、ブチ切れた場合は容赦が無いだろう。
ドリュアスからの返答は、怒りに狂っていて要領を得ないものだったが、とにかくナナシノに対して怒っている事だけは分かった。
俺としては、ドリュアスに全てを任せても良いとは思っていたが、怒りのままに特大の聖魂魔法など撃たれてしまうと、俺の体が壊れてしまう。今のドリュアスは、それくらい怒り狂っているのだ。
流石にここで倒れるわけにはいかないので、怒りのままに力を振るわせるのではなく、どうするかを問い掛けたわけだ。
怒りが溢れ過ぎて何を俺に伝えたいのか分からなかったが、そこにベルトニレイが入って来て、ドリュアスを落ち着かせてくれた。
正確に言えば、ドリュアスもベルトニレイも、聖魂達の島に居て、直接
要領を得なかった返答が、少しずつ落ち着いてきて、数分後には、冷静に意思疎通が出来るようになった。
「ドリュアス。大丈夫か?」
『…ええ…取り乱してごめんなさい… でも、それくらい、あの子は苦しんでいたの。その者が私に捕らえられて、やっと落ち着いたみたいだけれど…』
「ドリュアスがそこまで取り乱すくらいに、あのエサソンは辛い状況だった事は分かる。だから、出来る限りドリュアスとエサソンの願いを叶えたいと思っているんだ。出来ることならば、ドリュアスに全て任せたいと思っているんだが……俺達の戦闘はここで終わりじゃない。このまま戦闘を続行するとして、その時に負担になるような事は出来ないんだ。」
『ええ。分かっているわ。
それに、もうそんな奴の事はどうでも良いの。とにかく、今はその子を解放してあげたいだけなの。』
「……良いのか?」
『ええ。憎くは有るけれど…最期に、少しだけ苦しむ時間を与えて、終わりにしたいわ。』
「……そうか。分かった。俺達の用事は済んだから、好きなようにしてくれ。」
本来ならば、ここまで怒り狂ったドリュアスに、文字通り八つ裂きにされるくらいはされるだろうと思っていたのだが、ベルトニレイが宥めてくれた事で、ナナシノは最期に苦しむ時間が短く済む事になった。運の良い奴だ。
今回の件で、最も怒りを覚えていたのは、間違いなくドリュアスだし、ナナシノを無力化し、情報の収集まで出来たのもドリュアスのお陰だ。ドリュアスがそうすると決めたならば、好きなようにさせてやるのが正しいだろう。
俺がドリュアスに言うと、左腕の紋章が淡く光り出す。いつもよりもずっと弱い光で、微かに光っているだけだ。俺の負担にはならないように、出力を最小限にしてくれているのだろう。
「フーッ!フーッ!」
紋章が光り出すと、ナナシノの首が、ゆっくりと左へ回転して行く。ドリュアスの作り出した植物達が、ナナシノの首を回しているのだ。
「ん゛ー!ん゛ーー!!」
自分の力ではどうする事も出来ない力に対して、ナナシノは必死に抵抗し続ける。
それにしても…普通にドリュアスと会話出来たが…あれだけ不鮮明だった声が、まるで電話越し程度の鮮明さに変わっていた。ベルトニレイの声も同じくだ。ドリュアスがかなり強引にではあるが、繋がりを強くしてくれたという事だろうか…?ドリュアスの怒りが消えてしまえば、また元に戻ってしまうかもしれないが、少なくとも、繋がりが強固になればなる程に、声というのか精神的な…心の声が鮮明に聞こえるらしい。
心の声と言えばだが、ナナシノもエサソンと契約を結んでいる以上、意思の疎通自体は言葉を用いなくても出来る。それで命令すれば良かっではないかと言う話になるのだが、友魔というのは、俺がドリュアスと会話出来る程に強く繋がっているわけではない。つまり、何となく相手の思っている事が伝わって来る…気がする…程度の話らしい。だから、友魔への指示は、声に出さなければ正確に伝える事が出来ないらしい。四鬼達も、友魔の力を借りる際は、必ず声に出して指示していた。それが出来なくなっているナナシノは、エサソンに命令出来ないという事である。
また、あくまでも契約であると言うのならば、ナナシノがエサソンに力を貸せという指示をしても、嫌ならば無視してしまえば良いと思うかもしれないが、そう出来ない理由が有ったらしい。
それは、契約の内容だ。
友魔との契約というのは、基本的には、契約者と友魔が、五分五分になる契約である。どちらかが拒否する事で、力は借りられないし貸せないという事だ。エサソンとナナシノの契約が、この本来のものならば問題は無かったのだが、残念な事に、ナナシノが有利な契約を結んでしまったらしい。
そのせいで、エサソンは、力を貸す時に拒否が出来ず、無理矢理力を引き出されていた状態だったとの事だ。
そんな事が可能なのかと疑問に思うが、エサソンが正気では無い状態だったとするならば、十分に考えられる事らしい。普通は、契約する事を優先させてしまって、そこまで頭が回らないものだが、ナナシノは契約の有利不利にまで頭を回して契約したのだ。やはり、頭だけは回る奴だったらしい。
と言っている間にも、ナナシノの頭が、物理的に回っている。
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