第536話 ゾイシヌア
かなり無理矢理な攻撃だったが、ナナシノは押し上げられる攻撃に対して、体勢を維持出来ず、後ろへと倒れ、右足の
ザザッ…
攻撃を受けつつも、ナナシノは体勢を何とか立て直し、地面に着地後、直ぐに後ろへと跳んで俺との距離を取る。
俺の斬り上げた刀の先端には、ナナシノの血液が付着し、赤く染まっている。
「この野郎……」
血が付着しているという事は、つまり、他の連中のように体に木の根を張り巡らせてはいないという事だ。
あんな状態の体となれば、リスクもかなりの物だろうし、自殺に近い行いだとは思っていたが…まさか、自分は使っておらず、他人の体で実験しているとは思っていなかった。当然のように、ナナシノも、あの木の根を体に張り巡らせているだろうと思っていた。それなのに、こいつは……
「なんで斬られた俺じゃなくてお前がキレてんだよ。」
傷は浅いとはいえ、足という機動力の要を斬り付けたのに、ナナシノはやけに余裕そうな表情をしている。
「ったく。痛ぇな。」
そう言ったナナシノがフランベルジュを抜きながら立ち上がると、俺が斬ったはずの右足、服が斬れている部分は赤く染まっている部分に傷が無い。確かに斬ったはずなのに…
「治癒魔法…?いや……」
「正解だ。これは治癒魔法じゃない。」
恐らくエサソンの力を利用した植物の力だろう。
薬草の治癒効果を引き上げたというところか。
「あの連中に施したゾイシヌアの事を怒っているのか?くっくっくっ。」
「ゾイシヌア…?」
確か、そんな植物が豊穣の森にも生えていた記憶が有る。鑑定魔法で何度か見たはずだ。確か…
【ゾイシヌア…芝のような植物だが、葉が無く根だけの植物。種から根を直接伸ばす。】
こんな感じだったはず。
「ゾイシヌアは生命力の強い植物でな。人に埋め込んでも根を伸ばすんだ。根は下ではなく横に伸びる習性を持っているから、上手く埋め込んでやると、ああして体表を覆うように根を張るんだよ。」
そう言ってナナシノが一瞥したのは、既に息を引き取ったプレイヤーの者達。死体のいくつかは、血液を吸い出されて、皮膚の色が変わり、根が皮下を覆っているのが見えている。
皮下に根を張るのは、そもそもの植物が持っている特性という事だ。そうなると、改変されたパラメーターは…
「硬質化…いや、弾性か…?」
「へえ。お前もそこそこ頭が回るらしいな。」
皮下に植物を張り巡らせていた連中は、確かに恐ろしい程の防御力を持っていたが、硬質な植物の根が皮下に張り巡らされただけでは、攻撃力の説明が出来ない。金属製の鎧を身に付けていても、パワーが上がったりはしないのと同じだ。
では、パワーを上げると考えた場合、どんな方法が有るのかと考えてみると、一つは俺の使う神力のようなものが思い浮かぶ。
ただ、神力というのは、神力そのものを自由に扱う事が出来る。見えない手が増えたみたいなものだ。故に、片手で刀を振っているように見えても、二本の手で振っているような威力になる。
植物が人の思い通りに動く…なんて変化は流石に無理なはず。そうなると、他の方法を用いてパワーを上げている事になる。
そこで思い付くのが弾性力、つまりバネだ。形状を変化させようとした時に戻ろうとする力の事で、例えば、武器を振ろうとした時、腕を曲げて武器を振り抜こうとする動きに対して、曲げた腕を伸ばす方向に戻そうとする力がプラスされるとなれば、力が単純にプラスされる事になる。全身に細かく入り乱れた木の根は、あらゆる方向の力に対して弾性力を発動し、力をプラスする。そう考えてみると、パワーが膨れ上がっていたのも分からなくはない。
行った事は根の硬質化で間違いは無いだろうが、単純にガチガチに硬質化したというよりは、ある程度の柔軟性を残しての硬質化だろう。つまり、弾性力をメインに考えた改変だと言う事だ。攻撃力を上げようとしたら、防御力も上がった…みたいな感じだ。
ただ…いくらある程度の柔軟性を残しているとは言っても、体の中に針金を入れられているような物なのだから、痛みは勿論の事、常に全身が動かし辛いという欠点や、体を曲げた時に、肉体の内部に掛かる負荷が大変な事になるから、動けば動く程に体内はボロボロになっていくと思うのだが…
「そんな状態で動けるとは……まさか!?ザレインの麻酔効果を?!」
「おー。ご明察。くっくっくっ。」
スラたんの言葉に、ナナシノが笑いながら同意する。
ザレインを麻薬の一種と考えた時、その覚醒効果の中には、麻酔効果も含まれている。ザレインの場合、中枢神経系に効果を発揮するタイプの麻薬だから、痛覚に作用する事も可能という事だ。
ザレインから麻酔として作用する成分だけを抜き取って、それを使用していたのか…
「正確には、ゾイシヌアをザレインの麻酔成分入りの栄養剤で育てたんだよ。上手く作用してくれてな。自我を保ちつつ、痛みに鈍感になる効果を発揮してくれたよ。」
最初に出会ったハイドネーゼの三人は、斬られても痛みを感じていない様子だった。いや、感じてはいたかもしれないが、かなり痛みに鈍感だったように見えた。それは、麻酔効果を受けていたからだったらしい。
流石に、全身を植物によって貫かれるというドリュアスの魔法には痛みを感じだみたいだが、ナナシノと共に居た、今は干からびて死んでいる者達も、同じような状態だったのだろう。
それにしても、ここまでの事が出来るとなると、元の世界では薬学とか植物学に通じる仕事でもしていたのだろうか。そんな頭の良い奴が、何故こんな事をしているのか…いや、そういう奴にはそういう奴なりの悩みが有ったのかもしれないが…
「それを…あの人達は知っていて受け入れたのかい?」
「そんなわけないだろ。知っていたら、俺と同じように受け入れなかったさ。」
半笑いで言うナナシノ。
それはそうだろうと思っていた。強化と呼ぶにはあまりにも自虐的過ぎる強化だ。もし、この戦いが終わったとして、体内に残った植物を除去出来るとはとても思えない。ゾイシヌアの生命力は非常に強い。それ故に、根は体内を侵食し、最後は激痛の中で死を迎える事になるはずだ。恐らく、その痛みは弱い麻酔程度ではどうする事も出来ない程の痛みだろう。
そんな状態の体になると知っていれば、誰だって強化を受け入れようとは思わないはずだ。死なない為に強化したのに、結局激痛の中で死ぬとなれば、本末転倒も良いところなのだから。
それを教えずに、ただ強化だけするなんて…
「何故そんな事を……」
「何故かって、さっきも言っただろう。実験だよ実験。リスク無く使えるなら、凄い強化だからな。まあ、流石にノーリスクで使うのは無理だったから、俺はこいつを装備するだけに留めたがな。」
そう言って、自分に装着している木製の鎧をコンコンと叩くナナシノ。
「………………」
無言でナナシノを睨み付けるスラたんの気持ちはよーく分かる。
ナナシノは、最早人とも呼べない悪魔になったと言いたいところだ。完全に精神が壊れている。
スラたんは、ナナシノに向ける視線の中に有った助けたいという感情を完全に失ってしまったらしく、冷たい視線でナナシノを見ている。
タンッ!!
ナナシノが変わらず半笑いでスラたんの事を見ていると、唐突にスラたんが地面を蹴って走り出す。
「っ?!!」
スラたんのスピードというのは、ゲームで見ていた時のスピードと、実際に目で見るスピードに、大きな差が有る。実際には、それ程大きな差は無いのだが、画面越しに見ているのと、肉眼で見ているのでは、全く違うのだ。
スラたんは、地面を蹴った後、一気に弧を描きながらナナシノの左側面から左後方へと走り込み、鋭角に曲がって攻撃を仕掛ける。
スラたんが動いたのは予定外ではあったが、あれだけの話が有ったのだから、スラたんとしても自分を止められなかったのだろう。
ナナシノは強い。単純に身体能力が高いだけでなく、それをしっかりと使いこなしている。十年もの時間が有って、上手く使いこなせていない奴が怠惰なだけとも言えるが、それなりに努力しなければこの身体能力の高い体を思うように動かす事は出来ない。
少なくとも、思うように体を動かせる程度には、努力をしていた事になる。努力と言うとどうにも真摯な印象を受けてしまうが、ナナシノの場合は、努力と言うより、他の者達を指図出来る立ち位置になって、好きなように生きられるようにしたい。そういう考えから来ているものだと思う。
ただ、スラたんもその点に関しては負けていない。
スラたんの場合は、随分と長い間豊穣の森で過ごして来たのだ。必要な物を入手したい時や、街に出掛けるだけでも、あの森の中を歩かなければならない。当然、モンスターも居るし、対人戦ではないが戦闘の経験も豊富と言える。だからこそ、いざ戦闘となった時に、すんなりと対応出来たのだ。
つまり、ナナシノもスラたんも、体を動かす事に関しては、どちらも問題が無い。そうなると、単純な戦闘力のぶつかり合いになるわけだが…スラたんはスピードで勝負に出る。
俺の見立てでは、スラたんのスピードが有れば、暫くは善戦出来るはずだ。ただ…相手の防御力、攻撃力、そして回復力には遠く及ばない。
身体能力の高いプレイヤーの事だから、守りに入って耐え続ける事が出来る。そうして耐え続け、目がスラたんの動きに慣れてしまったら、スラたんが勝てる確率が完全に無くなってしまう。
スラたんの感情が不安定だった事も有るが、相手がスラたんのスピードに慣れる事を懸念して、俺はスラたんを後ろに置いたのだ。もし、出てくるならば、ここぞという時にと考えていた。
俺がなるべくナナシノの体力を削り、そのまま仕留められるならばそれで良しとして、無理だった場合、スラたんのスピードで撹乱してもらって、隙を作り出そうと考えていたのだ。だが、そうはならないらしい。
予想とか計画というのは思い通りに進まない事の方が多い。大事なのは、そうなった時にどうやって対処するかだ。
スラたんはナナシノの行動が許せなくて、気持ちを抑え切れずに飛び出した。スラたんが怒りのままに、何も考えず走っているとしたら、俺も止めただろうが、激情に駆られて動いているという程に我を見失っているようには見えない。どこか冷静さを保ったまま怒っている。
そうなると、この場合、俺の考えていた筋道に無理矢理戻そうとしてスラたんを引き止めるよりも、スラたんの動きに俺が合わせる方が良いだろう。少し状況は変わったが、相手の動きを牽制している事に変わりはない。ここで上手く足並みを合わせるのが俺の役目だ。俺が突撃した時は皆が合わせてくれたのだから、逆の立場でも上手く合わせなければ。
「チッ!速いな!」
ギィンッ!
左後方からの攻撃に対して、フランベルジュを向けて何とか攻撃を防ぐナナシノ。
唐突に走り出したスラたんの動きに、遅れながらも何とか追い付いているというのは驚異的な事だ。やはり強い。元々上位プレイヤーとして名を馳せていたのだから、ステータスも俺やスラたんとそれ程大差ないし、さっさと終わらせたいのに、そうはいかないかもしれない。
ダンッ!
スラたんが左後方からの攻撃を受け止められてしまい、即座にその場から離れようとする。ナナシノはそれを追う仕草を見せるが、そこに俺が斬り込む。
「くっくっくっ。二対一とはな!」
ギィン!
俺の水平に振った刀に対して、フランベルジュを垂直に振り下ろして斬撃を防ぐナナシノ。
攻撃を弾かれた手に、衝撃が伝わって来る。
パワー極振りとは言わないが、パワーにもかなりステータスを寄せているらしく、手が痺れたような感覚に陥る。
「どうしたどうした!ソロプレイヤーシンヤ!その程度か?!」
ギィンッ!ギャリ!
ナナシノはここぞとばかりにフランベルジュを俺に向かって斜め上から振り下ろし、一度引いてから突き出す。
スラたんのスピードを活かして戦おうとするならば、俺がある程度ナナシノの動きを引き付けなければならない。直ぐに離れて間を置かせては駄目だ。
パワーの有るナナシノの攻撃を、刀でしっかりと受け止めないように気を付けながら、何とか斬撃の軌道をズラして攻撃をいなす。
出来ればフランベルジュのような武器と打ち合うのは避けたいが、思っていた以上に剣速が速く、体ごと避けるのは難しい。
タンッ!
俺に対して押せ押せで攻撃を仕掛けて来ていたナナシノの真後ろから、スラたんが一足で跳び寄って攻撃を仕掛けようとする。しかし…
ガギッ!
「っ?!」
ナナシノは、俺を正面に捉えるように立っているというのに、スラたんの突き出した攻撃は、硬質な音を立てて止まる。
フランベルジュは俺の目の前にあるし、スラたんの攻撃を止める物は何も無いはず。
そう思っていたが、ナナシノの胴を覆う木製の防具。その首元からグネグネと動く何かが見えている。
「これは…っ!!」
スラたんは咄嗟に手を引いて後ろへと下がったが…
ザシュッ!
「くっくっくっ…どうだ?なかなか面白いだろう。」
首元から出て来ているのは何かの植物。体内から飛び出して来た…という事ではないだろう。恐らく、元々鎧の内側に仕込まれていたのだと思う。右の二の腕辺りが光っているのを見るに、エサソンの力を使ったものだろう。友魔が使える魔法は固定されているはずだし、
パラメーターの改変というのが何に当たるのかは分からないが、友魔それぞれが持っている特有の魔法だと考えると、警戒するべきは
エサソンと契約を結んでから日が浅いのか、エサソンが半強制的に契約を結ばされている事が原因で、そういうコミュニケーションを友魔と取れなくなっているのか…その両方か。友魔システムが解放されてから、暫く経つし、直ぐにエサソンと契約したとしても、契約してから日が浅いのは間違いないだろう。とにかく、使えるのは限られた魔法だけのような気がする。
憶測で事を進めるのは良くないが、ある程度決め付けて考える事も重要な状況になりつつある。
「くっ…」
スラたんが痛みに顔を歪めている。ナナシノの首元にダガーを突き立てた左手。その手首付近に血が見える。
「こいつはカミツキ草って言ってな。下手に触ると痛い目を見るぞ。」
スラたんを傷付けたのは、ナナシノの首元から生え出している植物、カミツキ草だった。
カミツキ草というのは、この世界に存在する植物の中でも、危険だと言われている植物の一つである。
と言っても、植物型モンスターとは違い、意志を持ったような動きをする植物ではない。
グリーンマンの居た森や、豊穣の森にも存在していた植物で、鑑定魔法の結果は…
【カミツキ草…触れると硬質な葉が閉じて、触れたものを捕まえる性質を持っている。捕まえた後は、葉の表面から出る粘液によって溶解し栄養とする。】
というものだ。言ってしまえばオジギソウの葉がギザギザで鋭利なガラスのような物になっているというものだ。つまり、触らなければ向こうから捕食しに来るという事は無い。一種のベアトラップみたいな物だと思えば良い。
ただ、ナナシノがそれを自分自身の鎧に仕込んでいるとなると、普通のカミツキ草とは違うのだろう。自分は被害を受けないように改変したカミツキ草というところだろうか。
カミツキ草の表面が硬質化するのは、恐らく、地中に含まれている硬質となり得る成分を葉に集中させるからだろう。確か、稲の
スラたんの左手の怪我は大きなものではないが…カミツキ草のせいで、スラたんが攻撃を出し難くなったのは痛い。
攻撃しても攻撃が通らないだけならば、何度も攻撃して当たるまで続ければ良いのだが、攻撃をしたら反撃を貰う可能性が高いとなると、攻撃する手も緩んでしまう。状況はかなり悪い。
そう思っていた。
タンッ!ガギッ!ブシュッ!
「っ!!」
しかし、俺の予想とは裏腹に、スラたんは怪我を恐れずに、攻撃を再度放つ。その際に、カミツキ草に手の甲を傷付けられてしまうが、眉を微かに寄せるだけ。
「おいおい。傷付けられると知っていて攻撃するなんて…お前、まさかマゾなのか?くっくっくっ。」
自分の思い通りに戦闘が展開しているからか、ナナシノは嬉しそうに笑う。
ガギッ!ブシュッ!
「……………」
しかし、そんな事は関係無いとでも言うように、スラたんは
「スラタン!」
思わず、後ろからハイネが声を掛けるが、スラたんは足を止めない。
ここで引くという選択肢が、最初から無いかのような勢いだ。
「何度やっても無駄だって分からないのか?やはりマゾか。くっくっくっ。」
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