第534話 エサソン

ドリュアスというのは、木の中に住んでいて、普段は目に見えない精霊である。稀に見える時が有り、その時は緑色の光に見える。姿も見えないのだから、本来はドリュアスの感情を読み取る事など出来ないのだが、俺の場合はこうして聖魂と精神的に繋がっている状態だから、ドリュアスの感情を感じ取る事が出来る。しかし……ドリュアスという精霊は、今回感じているような荒々しい感情をほぼ持たない精霊であると記憶している。


聖魂は純粋で、荒々しい感情を持っていない者達が多いのだが、その中でも、ドリュアスというのは、特に穏やかな精霊である。怒る事など無い精霊だと思える程だ。

それが、激昂しているとも言える程に精神を波立たせている。

何故、そんなにもドリュアスが感情的になっているのか不思議だったが……その理由は、直ぐに明らかとなった。


バキバキバキバキッ!!


「っ?!」


白い外套を着た奴が、右手の二の腕辺りを淡く光らせ、ドリュアスの魔法に対して、似たような魔法を使い植物の進行を食い止めたのだ。


「あの光は……」


俺の左腕に見えている光や、スラたんがピュアスライムと連携している時に見える、紋章から漏れる光に酷似している。


その光と魔法が発せられた瞬間、痛い程にドリュアスの強い感情が流れ込んで来る。


「やっぱり。お前も持っていたのか。」


そう言ってドリュアスの魔法から逃れた、外套を着た者が、立ち止まって俺たちの方へと向き直る。声は低く、男である事が分かる。


そして、次の瞬間、その体の直ぐ近くに淡い黄緑色の光が現れる。


光の正体は、小人型の半透明な生き物。いや、生き物と表現しても良いのか悩ましいところではあるが、少なくとも、モンスターではない。


いや、本当は、正解など分かっている。


友魔だ。


「……………」


かなり驚いたが、それを極力顔には出さないようにして、外套の男を見る。

フードを深く被っていて顔は分からない。


緑色の半透明な小人が現れてから、ドリュアスの感情は更に荒ぶっている。暴走に近いかもしれない。いつもならばベルトニレイ以外の聖魂とは直ぐに接続が薄くなるのに、未だに強く繋がっているのを感じる。それだけドリュアスの感情が強く出ているのだう。


魔法が落ち着いたところでニル達が俺の近くに戻って来てくれたが、普通とは言えない魔法に対して、かなり警戒心を高めている。


「あれは…友魔…?」


スラたんも、ピュアスライムと契約しているし、何となく同じような存在だと理解出来るらしい。


「あれは…エサソンだ。」


その緑色の半透明な小人型の生き物の事は、聖魂達の住んでいる島で見た事が有るから知っている。


エサソンは、個体による差がほぼ無く、どの個体も緑色の半透明な小人型であり、木の妖精と呼ばれている。

ドリュアスとは、とてもよく似ていて、ドリュアスにとっての子供達…みたいな感じだと思う。あくまでも人に当てはめた時の感覚で言えばだから、それと全く同じ感情だとは言わないが、似たようなものだと思う。

そんなドリュアスにとって子供のような存在であるエサソンが、盗賊なんて者と契約しているから怒っている…というわけではない。


聖魂達というのは、相手が盗賊だろうと王族だろうと関係など無く、自分達に害を及ぼす存在なのか否かで人を判断する。聖魂と人というのは、そもそもの存在自体が大きくかけ離れた種族である為、感性も全く違う。聖魂達が人に対して考える事というのは、敵なのか味方なのか、それともどちらでもないのか。それだけであり、聖魂達にとって最も重要な事でもある。

相手の人間がどんな仕事をしているのかや、どんな過去を持っているのか等は全く見ていないのだ。

そして、聖魂達は、人間の多くが自分達に害を及ぼす存在だと認識してしまっている。昔、酷い扱いを受けた話は聞いているし、それは仕方の無い事だ。だからこそ、俺はベルトニレイに頼まれて、島へ移住させるべき聖魂達を見付けて、導く役割を引き受けたのだから。


そんな聖魂の一人であるドリュアス。普段は穏やかな聖魂がここまで激怒しているのは、恐らく、エサソンが現在進行形で、目の前の男に害を及ぼされているから…だろう。


どのようにして被害を受けているのかは分からないが…ここまで感情を波立たせているドリュアスを見るのは初めてだし、かなり酷い事をされているのだと思う。


エサソンは、小人型の妖精ではあるが、言葉を交わす事が出来ない。理由は簡単で、エサソンは人の形を真似ているだけで、本来は無形の妖精だからだ。

何故人の形を真似ているのかは知らないが、恐怖の対象に形を真似る事で、身を守ろうとしているのではないかと勝手に納得している。

そんなエサソンは、紋章を通して感情を受け取る事が出来れば、言葉を交わせずとも、感情をある程度感じる事が出来るが、そうでもしない限り、エサソンの感情を的確に読み取ることなど人には不可能である。動きから何となく察する程度が限界だろう。それ故に、今目の前で男の近くに浮遊しているエサソンが、どんな状態なのかは全く分からない。ただ浮遊しているだけだし、そこから何の感情も読み取れないから、嬉しいのか悲しいのかさえ分からないのだ。


だから…もし、エサソンが全身を引き裂かれるような苦しみの中に居て、叫び続けていたとしても、俺達には分からない。でも、ドリュアスの異様なまでの激怒を見れば、エサソンがそれに近い状態にあるのではないかと考えられる。


「エサソンが嬉々として人殺しの手伝いをしているとは思えないが……っ……」


「シンヤさん…?」


話の途中で、眉を寄せる俺に、ハイネが心配そうな顔を見せる。


先程から、ドリュアスの感情が濁流のように押し寄せて来ていて……痛い。

実際に痛いわけではない。あくまでもドリュアスの怒りを精神的に感じ取っているだけなのだから、肉体的な痛みを受けるわけではない。

しかし、ドリュアスの感情と、繋がっているパスの向こう側からは…


『あの子を助けて!あの子を助けて!あの子を助けて!』


ひたすらにドリュアスから、そんな言葉が流れ込み続けている。


どうやら、目の前の男をどうにかしない限り、ドリュアスの怒りは収まらないし、俺との繋がりも薄まらないらしい。


ベルトニレイの話では、聖魂魔法を二回に限定している理由は、あまりにも強い力で、俺の体がもたないからというものだった。

本来であれば、既にドリュアスの魔法は完成し、残り回数はゼロとなり、聖魂の力を借りる事は出来なくなっているはずだ。それが未だに繋がり続けている。俺が魔法を使う判断を下せば…多分、ドリュアスの力が流れ込んで来て、先程と同じとまではいかないまでも、一人を屠るのには十分な魔法が放てる…と思う。多分。俺も初めての事だから、正直自信が無い。

ドリュアスの魔法が使える事は良いのだが……もし、ここで更にドリュアスの力を借りてしまった時、俺の体が大丈夫なのかは分からない。


「お前は何の友魔を手に入れたんだ?」


男は浮遊しているエサソンを一瞥した後、俺に向かって声を発する。


ドリュアスがここまで怒り狂っていなくても、この男がエサソンに対して優しく接しているとは思えない。言葉の端々からそれを感じる。


「……契約は出来ないはずだ。」


男の質問には答えず、友魔システム解放の通知を思い出す。


友魔システムは解放されたとしても、魔眼の力が無ければ、友魔との契約は行えないはずだ。オウカ島の鬼皇に受け継がれている道理眼による契約。これが無ければ、簡単に契約は出来ない。

俺のように、ベルトニレイと出会った事があったとしても、こんな男をベルトニレイが認めたとは到底思えない。

可能性としては、道理眼と似たような魔眼持ちが居て、それを利用して契約した…というところだと思うが…それも、友魔自身が、ある程度相手の事を信用していないと契約が成立しないはず。つまり、この男と共に居るエサソンが、この男を認めて、契約を受け入れたという事になる。

ただ、ドリュアスの反応からすると、恐らく、そこに怒り狂っている理由が有るはずだ。


「さあ。どうしてだろうな。」


深く被ったフードの下。見えている口元がニヤリと笑う。


『……シンヤ……』


そこで聞こえて来たのは、前よりも少し鮮明に聞こえて来るベルトニレイの声。


「ベルトニレイ…どういう事だ?ドリュアスの怒りは尋常じゃないぞ。」


ベルトニレイの声が前より鮮明に聞こえる理由よりも、今はエサソンの事だ。


まだ多少聞き取り辛い部分は有ったものの、ベルトニレイが簡単に説明してくれた内容は…


恐らく、契約自体は、道理眼に似た能力を持った魔眼持ちの人間が行ったのだろうという事。これは予想通りだったが、その際、エサソンが正気の状態ではなかったのではないかという話だ。


契約を成立させる事が可能な魔眼を持っていたとしても、聖魂自身が拒否してしまえば、契約は成り立たない。それでも契約を成り立たせようとする場合、方法は限られてくる。

例えば、聖魂を騙して契約させる。

純粋な聖魂の事だから、騙す事も出来なくはないだろうとは思う。しかし、ベルトニレイの話にあったように、聖魂というのは、一度人間に騙されて酷い目に遭っている。それ故に、聖魂というのは、基本的に人間の事は信用しておらず、いくら純粋な聖魂とは言えども、そう簡単に騙されるような事は無いはずだ。


他にも、元々そういう人間を好む聖魂だった…という可能性もゼロではない。

人間と同じように、聖魂にはそれぞれの性格というものが有る。その中に、そういった人間を好む聖魂も居るという話は聞いている。だが、エサソンは違う。

聖魂というのは、人間のように、同じ種族でも真逆の性格をしているなんて事が無い。多少の差異は有るのだが、根本的な性格というのは、種族によって完全に固定されている。

例えば、ドリュアスの場合、あの島には何人も居たが、どのドリュアスも、とても穏やかな性格で、優しかった。そこに個体差は有って、より穏やかな性格だったり、より優しいという事は有ったが、キツい性格のドリュアスというのは存在しなかった。それは、聖魂の特性とも言えるもので、あの島に居たからとか、生い立ちがどうのとか、そういう事に影響を受けての事ではない。これについては、ベルトニレイが明言してくれたから間違いない事だろう。


そして、それを知った上で、エサソンの性格を考えてみる。エサソンの性格というのは、ドリュアスの子供のような存在ということから分かるように、とても穏やかで優しい性格をしている。ドリュアスよりも少しだけ悪戯いたずら好きという面も持っているのだが、それも悪戯の範囲を出ない。言ってしまえば優しいけれど悪戯好きな妖精だ。だが、それ故に、人の悪意に対して非常に敏感な側面を持っていたりする。

純粋な性格のエサソンは、一見すると騙し易い子供のように見える。実際に悪戯好きな割に騙され易い部分も有る。だが、人間の悪意を知ってしまったエサソンは、純粋に人間を恐れ、疑うようになった。

俺達も、聖魂達の島で聖魂達と仲良くなったが、その中でも、仲良くなる為に苦労した種族の一つである。


そんなエサソンが、目の前に居る男に懐くとは全く思えない。


ベルトニレイだって同じ事を思っているはずだ。そう考えると、残された可能性は一つ。

エサソンが正常な判断を出来ない状況に有った…というものだ。


「…お前……一体エサソンに何をしやがった…?」


「あれ?何も言っていないのに、何で何かしたって分かったんだ?」


「この男っ!」


何かしたという事をあっさりと認める男。


同じように聖魂達と仲良くなったニルが、思わず前に出そうになったが、何とか耐えてくれる。俺も直ぐに斬り掛かりたいくらいだが、グッと堪える。


「何を怒っているんだ?同じような奴と契約しているんだから、似たような事をして契約したんだろ?」


「……何をしたんだ?エサソンは、普段木の中に居て簡単に外には出て来ないはずだ。」


「よく知ってるな。確かに、こいつは木の中に住んでいて、簡単には表に出てこないから引っ張り出すのに苦労したぜ。」


「………………」


「納得出来ないって面だな。どんな方法を使ったのか理解出来ないってところか…まあ、ここには他の連中も居ないし、同じ友魔を手に入れた仲間として特別に教えてやるよ。」


そう言って男が懐から取り出した物を見て、俺達は愕然とした。


ムスカリのような形状の植物。肉厚の細長い葉に、長い茎の先端に鈴なりに咲く小さな花。


ザレインだ。


「ザレイン……」


「知ってたか?この植物の覚醒作用は、こいつらにも少しだけ影響を与えるんだ。まあ、それを知ったのはただの偶然だったがな。」


そう言って浮遊しているエサソンを小突く男。


恐ろしいと感じる程に荒ぶる感情を送って来るドリュアス。ただ、この話を聞いた時の俺も、ニルも、そしてスラたんも同じ感情だった。


まさか、ザレインを使ってエサソンの正気を奪ったなんて…


嘘かもしれないとは思ったが、本当にザレインの覚醒作用が効果を発揮するのかという事については、直ぐにベルトニレイが答えてくれた。


結論から言えば作用させる事は可能だ。


あくまでも、相手がエサソンだからという条件付きではあるが、ザレインの効果を受けてしまう。


聖魂と一括りに言っても、その中には精霊、妖精、聖獣等、色々と居る。

中でも精霊のような存在は、非常に強力な力を持っており、実体が朧気な存在も多く、精霊にザレインを作用させようとしてもまず不可能らしい。

これに対して、聖獣というのは実体を持っており、動物の…進化系みたいな存在であり、血肉を持っている。肉体を持っているとなれば、肉体に作用する物は作用してしまう事が多いらしい。聖魂となると元々の存在よりも強い肉体となる為、効き目はかなり薄いらしいし、相性も有るから、効く効かないは色々と有るみたいだが。


エサソンのような妖精というのは、精霊と聖獣の丁度中間的な存在で、無形ではあるが実体を持っているようなもの等が多い。普段は魔法か何かで視認し難くなっているが、消え去ったりはしないという事である。

実体が有れば、ザレインの影響を体内に取り込んでしまう事も有るという事になる。そして、残念ながら、ザレインとエサソンの相性は良い…いや、この場合悪いと言うべきか。植物の妖精だから、同じ植物の毒素など効かないように感じてしまうが、エサソンの力ではザレインの毒素を全て無効化する事が出来ないらしい。植物の妖精だからこそ、親和性が高過ぎる事と、そもそもエサソンにはそこまで植物に対して大きな影響を及ぼせる力が無いというのが理由らしい。

これについては、ベルトニレイからの情報だから、ほぼ確実だと見て良いだろう。


更に… ドリュアスというのは、木に住み着く精霊ではあるが、個別の木ではなく、森全体が住処となっており、特定の樹木に限定して住み着いているわけではない。これに対して、エサソンは、水と空気の綺麗な場所の、自然豊かな場所に住み着き、自分が住み着く木を一本だけ決めて、その木が枯れるまで、生活をその木と共にする。周囲の環境が悪化した場合等、特殊な要因が無い限りは、その木を離れたりしない。


つまり……例えば、エサソンの住み着いている木を覆うように隔離し、そこにザレインの煙を送り込んだりした時、エサソンは逃げ場を失い、その中で悶える事になる。人間よりもずっと強い存在だし、毒にも強い為、人間がザレインを摂取した時のように狂ってしまったりはしないとは思うが、正気を失って正常な判断が出来なくなる程度の影響は有るだろう。そんな卑劣な手段を用いて契約を半強制的に結ばせたとすれば…ドリュアスがブチ切れるのも無理はない。


「あれのせいでどれだけのザレインを使ったか分からないんだぞ?あの時はこいつの力も使えなかったから、ザレインを集めるにも時間と金と労力が必要だったから、その分くらいはしっかり働いてもらわないとな。」


つまり…偶然なのか何なのか、エサソンの住み着いている木を見付け、何とか友魔にしようとしたが、エサソンはこの男の悪意に気が付いて、首を縦には振らなかった。

色々としている時に、ザレインの覚醒作用がエサソンに効くと知り、ザレインを入手した。恐らく、この時には既に盗賊として動いており、貴族連中との関係も良好だったのだろう。そうなれば、ザレインを入手する事はそれ程難しい事ではなかったはず。

入手したザレインを使って、エサソンの正気を奪い、その間に契約を成立させたという事だ。

偶然が重なってしまった結果だとはいえ、こんな方法で友魔と契約する奴が居るなんて思わなかった。


「ザレインで儲ける為にエサソンを使っていたのか。」


「あー。まあ、結果的にはそうなったが、ザレインは元々俺が別の友魔を手に入れようと作ったんだ。それがここまで金の成る木になってくれたのは予想外だったがな。くっくっくっ。」


エサソンの力を手に入れた後。

エサソンの力である『改変』を使って、ザレインを栽培したのだろう。元々の使用方法が別のところに有ったというのは予想外だったが…

この改変という力がどのようなものなのかはハッキリとは分からないが…推測では、植物に対して成長速度等の性質を変える事が出来る力だろうと思う。つまり、魔法というよりは、聖魂の力で植物のパラメーターの一部を書き換え、その書き換えた力で色々とやっていたという事だ。

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