第三十七章 ジャノヤ攻防戦 (5)

第511話 登場

このまま、ニル達と単純に合流しても良いのだが、タイミングを見計らって割り込めば、混乱を生じさせて一気に制圧する事が出来るだろうし、それで片付くならば、そうするべきだ。まずは、状況を確認して、ニル達が危険そうならば割り込めば良い。


俺は直ぐに、戦闘音が鳴り響く方へと足を向けて、静かに、素早く移動する。


「シンヤさんに何をしたっ!?」


少し近付くと、ハイネの叫び声が聞こえて来る。


「何をしたって……ここは戦場よ。に決まっているじゃない。」


それに対して、アンナの声が響く。

やはり、アンナ達もこちらに合流していたらしい。前衛部隊を失った状態だから、もしかしたらそのまま逃げるかもしれないと思っていたが、有利になったと判断して、魔法部隊だけで突撃して来たようだ。


せめて後方に居る連中と合流して動けば良いものを、俺を殺したと思い込んで、調子に乗ってしまったのだろう。それを狙っての事ではなかったが、事が良い方向に転がり始めている。ただ、状況的には、ニル達の戦闘にアンナ達分の人数が増えたという事になる為、かなり辛いはず。俺が斬り込めるだけの隙が見付かるまでは、ニル達としては、そのかなり辛い状況が続く事になる。飛び出すタイミングを間違えないようにしなくてはならない。


俺はドーム型の石壁を静かに登り、頂上部からニル達の戦闘を見る事にした。ここならば、誰かに見付かる心配も少ないだろう。


「ぐっ!!」


俺が頂上部に辿り着くとほぼ同時に、ニルが自分の首元に手を当てて苦しそうな顔をする。


枷が…締まっている…?


思わず飛び出しそうになったが、グッと堪えて、成り行きを見守る。

タイミングを間違えないようにと覚悟したばかりなのに、いきなり飛び出しては話にならない。

ニルの首枷が締まったという事は、俺の命令に背いたということになる。俺がニルに対して、そんな命令をする事など無い。ただ、一つだけ、自分の命を自ら絶つような事だけはするなと言ってある。

つまり、ニルは今、自ら命を絶とうとしたのだ。


恐らく、アンナが現れた事で、俺が死んだかそれに近い状態だと思い、不安になっての事だろう。ただ、首枷が締まったという事は、俺が生きているという事に他ならない。

ニルは、その事に当然気が付くから、直ぐに落ち着くはずだ。


ニル達の周りを見ると、アンナとその手下が五人。


ニル達の向いている方向には、奴隷と盗賊の混成部隊が合わせて十人。


最後衛には、体付きが貧相な奴が一人見える。その隣には……オーガ?みたいなデカい男。仮面をしているから顔は分からないが、明らかに異様なデカさの奴が一人。


見た限り、混成部隊の内の一人と、オーガみたいな奴がその貧相な男を守っているし、奴が重要人物なのだろう。

問題は、ニルを仕留めようと動いている七人と弓使いに魔法使いの九人。


ニルの実力ならば、苦戦をしつつ倒せる相手だとは思うが、今の状態で倒せる相手かは微妙なところだろう。もし、ヤバそうならば、タイミングなんて考えずに突撃するが…


ニルを信じて、一先ず成り行きを見守ってみる。一応、直ぐにでも飛び出せる体勢は取っているが、判断を間違えないように気を付けなければならない。


ニルは、予想通り、俺が生きている事に気が付いたらしく、直ぐに落ち着きを取り戻してくれた。

俺を探す素振りは見せていない。俺が無事だと信じ、この辺りで自分達の事を見ていると理解し、俺が突撃する隙を作り出そうとしているに違いない。表情を見れば大体分かる。


緊張した空気が流れる中、相手側の男達が動き出す。


最初にニルへ攻撃したのは三人。一対三という不利な状況にも関わらず、ニルは実に簡単そうに相手の攻撃を弾き、一人を屠る。


動きが異様に洗練されており、いつものニルより数割増で強い。


何が起きたのだろうか…?


相手の動きを見る限り、いつもならば、苦戦するような相手で間違いないはずだ。しかし、ニルは完全に相手を手玉に取っていて、相手は手も足も出ていない。

三人の後ろから四人と、更には矢と魔法による攻撃も飛んで来たというのに、それすらも当たり前のように避けている。

俺の知る限り、ニルには、そこまでの実力は無かったはず。下に見ているとかではなく、客観的な意見だ。最近はメキメキと実力を上げて、背中を気にする事も無くなったが、相手によっては厳しい戦いを強いられるというイメージだったのに……


完全に相手を翻弄している姿を見ていると、どうにもそうするのが決まっているかのような、全てが見えているようかのような動きをしている事に気が付く。


そこで、ニルの状態に気が付いた。

今のニルの状態は、俺も何度か経験が有るが、余分な感覚が全て削ぎ落とされ、集中力が尋常ではないくらいに高まっているような感覚。所謂、ゾーンに入る等と言われている状況なのではないだろうか。


戦うという目的に対してのみ、集中力が使われている状態で、相手の動きも、自分の動きも、全てが手の内に有るように感じるというものだ。

スポーツ選手や、格闘技の選手等には、たまにそういう集中力を見せる時が有って、野球選手が、投手の投げたボールがスローに見える…なんて話も聞いた事が有る。

そのゾーンに入るという状態は、珍しくはあるものの、俺達にしか起こらない現象ということでもない。特に、命のやり取りをしているのだから、同じようにゾーンに入るような奴が居てもおかしいことはない。

但し、感覚が異様に鋭くなって、時間が引き伸ばされたような感覚にはなるのだが、突然筋力がアップしたり、スピードがアップしたりという事は当然ながら起きない。つまり、あくまでも感覚が鋭くなるだけの事で、本人の能力を超えるパフォーマンスは期待出来ないという事だ。

ニルが突然強くなったように見えているが、それは、本来ニルが持っている力であり、その力を最大限に活かした時の強さという事だ。

いつもは、変な力が入っていたり、反応速度が遅かったりして、ニルの限界値の強さというのは発揮されない。しかし、ゾーンに入る事によって、その限界値ギリギリの力を発揮しているのだ。

常日頃から、ニルは絶対に訓練をサボったりはしないし、俺が心配になる程、真面目に練習している。その成果が、目に見える形で現れているのである。

ただ、ゾーンに入るというのは、自分で意識して出来るような事ではない為、今だけの力と言っても良いだろう。

ニルとしては、その強さを常に発揮出来ない事を残念に思うかもしれないが、今だけでも、相手を圧倒出来る力で動ける事を喜ぶべきだろう。タイミングとしては最高のタイミングなのだから。


スラたんも、ハイネも、アンナを抑えてくれているみたいだし、ニルの独壇場のまま事が進むのならば、俺が出る必要も無いのだが…そんなに甘い相手ではないだろう。

ここまで、散々嫌な手を使って俺達の事を苦しめてきたのだから、必ず何か奥の手的なものが有るはずだ。俺が待機しているドーム型の石壁だって、その奥の手の一つであるはず。


ドゴゴゴゴコッ!!


ニル達の戦闘の間に、周囲のドームがいくつか壊されて行くのが見える。恐らく、先程静かに一人だけ離れたピルテの仕業だろう。ドームの本来の用途に気が付いて、邪魔な物は排除しようという動きだろう。ドームが爆発したら、いくら有利に事を進められていても、一気に形勢が逆転してしまうから。

ピルテの役割としては、爆発自体の阻止と、それを警戒してドームに近付けないニル達が、より広範囲で動き回れるようにするというところだろう。

それなりに分厚い石壁で作られているのだが、次々と破壊している。流石はピルテだ。

オーガのような男が、そんなピルテを追って走り出したみたいだが、暗闇の中でピルテを追うなんて、無謀も良いところだ。散々追い回した挙句、疲れ果てたところにブスッとされて終わりだろう。もしくは見付けることすら出来ずに走り回って終わりだ。


それにしても、相手には、やはり何か奥の手的なものがあるらしい。貧相な体付きの男が、逃げずにこの場に留まっているのが良い証拠だ。まだ、男には、ニル達に勝てるという自信が有るのだろう。

それが何なのかを考えつつ、暫く、ニル達と相手の攻防を傍観していると、貧相な体付きの男が、懐から何かを取り出そうとする仕草を見せる。


「……………………」


何が出てくるかは分からない為、俺は念の為に刀に手を掛けておく。


何かの投擲物程度ならば、今のニルにとっては特に問題にはならないだろうが、それは相手の男もよくわかっているはず。何か……今のニルでも手に負えない何かを仕掛けてくるはずだ。それに対して、俺が対処するべきか、ニルに任せるべきかを判断して、俺が出るべきならば、そのタイミングで飛び出さなければならない。


そろそろ、アンナ達との戦いも大詰めだ。

相手が自信を持って切ったカードを、どのようにして叩き潰すか…それによって結果も大きく変わって来るだろう。


男が懐から取り出したのは、ドロドロとした赤紫色の粘液が入っているガラス瓶。何に使うのかはさっぱり分からないが、体に良い類の物ではなさそうだ。男を止めに入ろうか迷ったが、まだ駄目だ。ここで飛び出したとしても、何が起きるのか分からない粘液をどうするのか分からないし、対処出来る自信は無い。それが、アイトヴァラスが持っていたような猛毒だったり、スラたんが作った何でも溶かす溶解液のような物だった場合、少し付着するだけで、死に至る可能性だって有るのだから。


もし、ニルやハイネ達を狙って投げるような物ならば、対処する事はそれ程難しい事ではない。貧相な体付きの男が、信じられない程の豪速球を投げられるとは思えないし、動きに気が付いているニルがどうにか出来るだろう。


そう考えていた…しかし、瓶を取り出した男は、その瓶を自分の足元に投げ付けた。


パリィィン!


ガラスの割れる音がすると、男の足元に、瓶の中身であるドロドロとした赤紫色の粘液が飛び散る。


「グオオオォォォォォォ!!」


粘液が地面の上に広がり、何をしているのか把握しようとしていると、遠くからモンスターの雄叫びのようなものが聞こえて来る。人の声ではなさそうだ。


ドドドドドドドッ!


雄叫びが聞こえたと思った直ぐ後に、暗闇の中、何かがこちらに走って来ているのが見える。

影の大きさは、大体ラトと同程度。人からしたらかなり大きな生き物だ。


ズガァァァン!!


奥の方から近付いて来ている影が、ドーム型の石壁の一つにぶつかると、そのまま石壁を突き破って、直進してくる。何が向かって来ているのかは分からないが、四足歩行のデカい獣だ。いや…モンスターか…?


「グオオオォォォォォォ!!」


ズガガガガァァァァァァン………


直進して来た影が、近くに建っていたドームの一つにまたしても突撃し、石壁を破壊する。わざわざぶつかる必要など無いはずなのだが…そう考えると、影の正体は正気ではないのだろう。


崩れ去った石壁。その土煙の中から現れたのは、Aランクモンスター、シミラーライオン…のような何か。

シミラーライオンの全身の体表組織が継ぎ接ぎになっていて、恐らく、別のモンスターの皮膚を移植しようとしたのだろうと思う。ただ、普通に考えて、全く別種の皮膚が定着するはずもなく、その殆どが壊死えししている。

実験として行ったと言えばそうなのかもしれないが、俺から見ると、命を玩具にして遊んだ結果にしか見えない。自分の自己満足だけで、ここまでの事が出来てしまう人間というのは…精神的に狂っているに違いない。

その証拠に、シミラーライオンの腹部には人の頭のような物が埋め込まれているのが見える。

本来、シミラーライオンというのは、Aランク指定のモンスターで、人語は理解出来ない。要するに、シミラーライオンを手懐けるという事は不可能なはずだ。それが、何故かあの男達を守っている。

その理由として考えられるのは、腹部に埋め込まれた人間の頭と、ドロドロの赤紫の液体。

あくまでも推測だが…シミラーライオンに埋め込まれた頭が、人としての知能をシミラーライオンに与えているのではないだろうか。最悪の考え方にはなるが、人の脳を移植して、それがある程度機能するようにしてある…という事だ。皮膚同様に、そんな移植は、普通上手くいかない。だが、それを可能にしているのが、あの赤紫のドロドロ。どんな物なのか分からないが、それを摂取する事で、人の頭が機能して、シミラーライオンに埋め込まれた者達の思考が乗り移っているような状態なのではないだろうか。


「…クズが……」


満身創痍であるはずのスラたんがボソリと呟くのが微かに聞こえる。

スラたんがここまで怒るという事は、スラたんも似たような事を考えているのだろうと思う。シミラーライオンも、埋め込まれている人間も、あの男の玩具にされている。そんな状態なのだから、スラたんとしては耐え難い現実だろう。


それにしても…あのシミラーライオン。本来ならばAランク相当の力を持っているモンスターだが、人の知能を付与された事で、それ以上の存在になっているように見える。シミラーライオンの身体能力を超えるような力ではないとは思うが…今のニルでも、流石に相手が悪い。そうなると、シミラーライオンは俺が処理するべきだろう。ただ、どのタイミングで飛び出すかが重要だ。

シミラーライオンを一撃で屠る事が出来て、尚且つ、相手が状況を理解するのに時間が必要なタイミング。そして、逃げようとしているのが丸分かりな貧相な体付きの男が逃げ出せないような…そんなタイミングが必要だ。

アンナ含めて、まだ周囲への警戒心が残っている。そんなタイミングで突撃してしまうと、横槍が入ってしまって、シミラーライオンを一撃で仕留められないかもしれない。


「グォォ…」


「…………………」


シミラーライオンは、ニル達の事を警戒しながらも、地面に落ちたドロドロの液体を体内に取り込んでいる。

俺は絶妙なタイミングを待ちつつ、刀の柄に手を添える。


「グォォ……」


ドロドロした液体を取り込み終えたシミラーライオンが、長い舌で口元を舐めながら、ニル達の方を見ている。


まだだ。まだ早い。


「はははは!どうだ!これこそが僕の最高傑作だ!恐ろしいか?!恐ろしいだろうな!あははははは!」


貧相な体付きの男が、何やら嬉しそうに叫んでいる。ただの演出のようにも見えたが、どうやら本当にシミラーライオンに対して自信が有るらしい。直ぐに逃げ出さないのが良い証拠だ。

今のニルならば、シミラーライオンを即座に倒す事は出来なくても、暫く逃げ回りつつ、ダメージを与える事はできるだろう。しかし、後ろのハイネとスラたんを狙われると、かなり辛いはずだ。ニルも、それを思ってか、逃げたりはしないと盾を構える。


「殺れえぇぇぇぇぇぇ!!!」


「グオオオォォォォォォ!!」


男がニル達の方へ人差し指を向けて叫ぶ。そして、それを聞いたシミラーライオンが走り出す。


その瞬間、下の戦場に居た全員の視線と意識が、漏れなくシミラーライオンに向かう。


ここだ!!


ダンッ!


全員の意識が逸れて、外野からの攻撃に対して無防備になった。その瞬間に、俺は石壁を蹴って空中に飛び出す。


狙うのはシミラーライオン。


相手の男がまんして出撃させた秘密兵器。それを……一撃で仕留める!


夜の暗闇の中、月明かりの下で、風を感じながら、ニルに向かって走り寄るシミラーライオン。刀に神力を集め、着地と同時に剣技、霹靂を放つ為の体勢を整える。


シミラーライオンは、元々モンスターであり、嗅覚や聴覚は鋭いはず。しかし、変に改造されてしまったからか、俺が空中を飛んでいるからか、俺の接近に全く気が付いていない。

誰も俺に気が付いていない状況ならば、全力の一撃を見舞う事が出来る。


腕に全力を込めて着地と同時に刀を振り下ろす。


ズバァァァァン!!!


刀を延長させるように神力を作り出し、桜咲刀と神力の刃で、走っているシミラーライオンの胴体を、側面から真っ二つに切り裂く。深く傷を付けたとかではなく、完全に切断したのだ。

シミラーライオンの表皮に使われている別のモンスターの素材も、Aランクモンスターのものばかりであった為、俺が斬り裂けないはずがない。


ズザザザザッ!


走っていたはずの体が、突如前後で二分された為、シミラーライオンは前進の勢いをそのままに、地面の上に倒れ込み、滑って行く。


「ニル!」


相手が混乱している間に決着を付けたい。そう考えていた俺は、直ぐにニルの名前を呼ぶ。


「後ろの女に借りが有るんだったよな?!返して来い!」


「っ?!はい!!」


ここで俺がアンナの方へ向かうという選択肢は無い。

先程までの戦いを見ていたが、残った前衛三人と、弓兵に魔法使いの五人は、なかなかに厄介な相手だ。この状況でニルが相手をするとなると、男が逃げるまでの時間を稼がれる可能性が有る。

それに対して、アンナの方は全員が魔法使い。最初の一撃さえ凌ぐ事が出来れば、今のニルならば逃がす事無くアンナを仕留められる。

問題は、魔法使い達が放つ最初の一撃だが、今のニルの状態に加えて、ハイネが居れば、上手く切り抜けられるはずだ。

アンナの魔法を何度も受けて分かったが、先読みも魔法の工夫も、化け物クラスと呼ぶには足りず、トッププレイヤーと呼ばれる連中程のスキルが無い。

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