第512話 逃走

アンナとの魔法の撃ち合いというだけの事で言えば、満身創痍のハイネでも、一撃を凌ぐ事は出来るだろう。

あまり上級魔法を乱射して来ないところを見るに、アンナ自身の魔力量も、信じられない程に高いわけではないと思う。

ここに来て、ニル達との戦闘が始まってから、これと言った派手な魔法を使っていないのがその証拠だろう。何度も俺達を仕留め損なった事で、アンナとその手下達の魔力は、かなり消費されてしまったはず。魔力回復薬など、アンナ達が持っているはずはないし、既に魔力切れが近く、上級魔法をそう何度も使えないのではないだろうか。使えて一度か二度。自分達が狙われた時の為に残しておいた魔力というところだろう。


であれば、そこさえ乗り越えてしまえば、勝負は決したと言って良い。

魔具も持っているだろうが…今のニルならば問題にはならないはずだ。


アンナの事をニル達に任せて、俺は貧相な体付きの男に向かって走り出す。


男の前にいる前衛の三人、後衛の二人、そして護衛役の一人を破れば、後は生け捕りにするだけ。貧相な体付きの男自身は、強さとは程遠い見た目だし、実際に剣を無闇に振り回すくらいしか出来ないだろう。

そこまで辿り着けば、一先ず、こちらの勝利だ。


「……一撃……?」


「あ、あの男…生きて…」


貧相な体付きの男は、既に真っ二つになって死んだシミラーライオンを見て、アンナは死んだと思っていた俺を見て、愕然がくぜんとしている。


奥の手を一瞬で切り裂いたのだから、愕然としたくなるのは分かるが、俺の接近に対処するか、逃げるか、何かしなければ、俺に蹂躙されるだけなのに…予想外な事が起きたからか、思考も体も一時停止しているのだろうか?それならばそれで、俺は楽で良いのだが。


「と、止めろ!近寄らせるな!」


後衛の弓使いが叫ぶが、俺はただ真っ直ぐに貧相な体付きの男に向けて走る。


前衛三人は、俺を止めようと走り寄って来る。


動きも速いし、力強いし、なかなかの腕前だ。だが、そんな事はどうでも良い。


ニルやハイネ、スラたん、ここには居ないがピルテも。四人の体には、無数の傷が付いていて、ニルに至っては額の辺りに少し大きめの傷が見えている。

周囲の地形がフラットになっていて、草が全く生えていないのを見るに、爆発による影響だろう。ニル達四人が怪我を負う程の爆発が起き、斬られて死んだのではなく、爆ぜたような死に方をした死体が遠くにいくつも見える。

そこから考えるに、俺達を襲った、人間を爆弾にした作戦。あれをここでも実行したのだろう。しかも、三人なんて可愛いものではなく、何十人という人の命を使っての話だ。

そんなクソみたいな手段を使って、ニル達に怪我を負わせた。それが許される行いだと思っているのならば大間違いだ。俺は絶対にこの野郎共を許したりはしない。


タタタタッ!


俺は右手に刀を持った状態で、ただ真っ直ぐに走る。相手から見れば、単純に真っ直ぐ突っ込んで来る馬鹿に見える事だろう。だが、それで良い。そうして油断してくれれば、俺が今から放つ剣技で、三人を仕留められる。


ザッ!


三人の前衛は、俺とぶつかり合う少し前で止まり、各々の武器を俺に向けて構える。


そんな三人の元に直線的に向かって行くが、緩急を織り交ぜた歩法、差足によって、俺との距離感を狂わせる。


「っ!!」


ブンッ!


俺が一気に近付いて来たと思った真ん中の男が、思わず剣を振ってしまった。それが俺の誘いだと気が付いた時には、俺の刀が振り下ろされ始めていた。


「「うおおぉぉぉぉ!!」」


そんな一人に対して、左右の二人がカバーに入る。


左右から迫って来る刃。反応も剣速も悪くはない。悪くはないが、それだけだ。


ギィィンッ!!


「「っ!?!」」


俺が片手で振り下ろした刀が、真ん中の男を守ろうとした二本の剣を弾く。

片腕で振った刀で、二人の剣を弾くなんて事が出来るのは、神力を使っているからではない。ステータスの影響も有るには有るが、この剣技は、元々パワー重視の技で、相手の防御を上から叩き潰すというものである。

この剣技の名前は、北颪きたおろし。本来、北颪というのは、北の山から吹き下ろす冷たい冬の風という意味を持った言葉なのだが、それを剣技の名前に付けた技が、この剣技、北颪である。


この体ならば、両手で剣を振り下ろしても、当然ながらステータスが高い為かなりのパワーを出せるのだが、全身を大きく使い、出来る限り刀を大きく振り、片腕で振り下ろすという単純な剣技である。

但し、これも天幻流剣術の一つであり、棍棒を振り下ろすような雑な振り方ではない。


天幻流剣術の技は、寸分違わぬ正確な剣筋と、たゆまぬ努力によって実現する流れるような力の伝達が作り出す強力無比の一撃が売りである。つまり、この北颪も、死ぬ程練習を重ねて、寸分違わぬ正確性と強さを誇っているという事だ。

刀というのは、あまり無茶な使い方をすると、反りが返ってしまったりして、斬れ味がガクンと落ちてしまう。この北颪という剣技は、その使に当てはまる使い方で、体を大きく開き、背中の後ろから頭の上を通して、そのまま振り下ろすという何とも力任せな攻撃方法となっている。しかし、ここに技術が加わると、それ程無茶な使い方ではなくなる。その技術はいくつか有るのだが、例えば、刀を振り下ろす際に、大きく振っていた腕を、タイミング良く引き込んで、コンパクトに振る事で、遠心力を更に増加させつつ、叩き付けるというよりは、引き斬るという動きに変換出来る。そうする事で、不要な衝撃を抑えつつ、強力でありながら、刀を壊さない攻撃になるのだ。

ただ、これも当然ながら簡単な動きではないし、何度も何度も練習を重ねて武器を壊さない刀の振り方を体に教え込む必要が有る。


その上で、この北颪という剣技は、一撃では終わらないという特性を持っている。北の山から吹き下ろす風は、一度吹き下ろして終わりではない。何度も何度も吹き下ろし、身を切るような寒さを与えてくる。それと同じように、この北颪という剣技は、攻撃を振り下ろした直後、体を回転させ、もう一度振り下ろす。それを、相手が死ぬまで延々と繰り返す技なのである。


俺の一撃目を受けた二人は、その一撃の重さに驚いている。弾かれた剣を引き戻し、もう一度俺に攻撃を仕掛けようとしているが…俺の体は既に回転し終えて、次の攻撃が間近に迫っている。


ガキィザシュッ!!


「ぐあああああぁぁぁぁ!!」


体勢を大きく崩した右手の男に振り下ろした攻撃は、受け止めようとした剣を押し退け、刃が肩口から横腹へと斜めに抜ける。

ただでさえパワー重視の剣技なのに、そこに神力をプラスしたならば、受け止められない一撃に変わる。


「この野郎!!」


ビュッ!


一人殺られて焦った真ん中の男が、俺に対して突き攻撃を放つが、差足に加えて、体を回転させる剣技である事で、俺の動きを捉え切れず、攻撃を外してしまう。


「っ?!」


ブンッ!


その男に対して、俺の振り上げた刀が振り下ろされる。


バギィィン!!

ガシュッ!


ここまでの戦闘で受けた衝撃でなのか、手入れがされていなかったのか、それなりの質に見えていた剣が、刀の一撃を受けて中程から折れてしまう。刀の刃は、そのまま首元に向かい、男の頸動脈けいどうみゃくを切り裂き、胸を切り裂き、下へと抜ける。


「ゴハッ……」


男は口から血を吐いて、その場に崩れ落ちる。しかし、俺はそれを見てはおらず、前衛最後の一人に向かって更に刀を振り下ろそうとする。


ここで、やっと後衛の二人が俺への狙いを定めて、攻撃を放つ。飛んで来たのは矢と中級風魔法、ブラストブレード。ブラストブレードは風の刃を放つ単純な魔法だが、視認が難しい魔法だ。しかし、後衛との距離はそれなりに離れている為、地面から立ち上がる土埃によって、位置が掴めてしまう。もっと、上手く使えば、視認されずに攻撃出来る魔法なのだが、どうやら彼も焦ってしまったらしい。シミラーライオンを一撃で屠った男が、ズンズン攻めてくるし、前衛の二人が一瞬で死んだ。そんな場面を見れば、焦りもするだろう。


ズバンッ!


俺は矢と魔法が飛んで来たのを確認し、攻撃を男から矢と魔法に変更。刀を振り下ろす。それだけで、矢と魔法が消し飛ぶ。ニルが随分と数を削ってくれたお陰で、状況も把握し易いし、相手の動きも把握し易い。この状況、この程度の相手ならば、援護が無くても十分に制圧出来る。


「くそぉぉぉ!!」


ギィィン!


残った前衛の男が、俺に対して攻撃を仕掛けてくる。しかし、その攻撃は、俺の刀の振り下ろし攻撃によって弾かれてしまう。

もう少し早く、残った前衛の男が、俺に攻撃を放っていたならば、北颪の回転を止められたかもしれないのに、恐怖でタイミングを逃してしまったようだ。


ブンッ!


俺が無言で刀を振り下ろしていくと、自分がこれから、その刃によって死ぬのだと分かった男は、酷く怯えた顔をする。しかし、それでも、俺は手から力を一切抜かなかった。


ザシュッ!!


俺が前衛の三人とぶつかり合ってから、五秒程の出来事。その間に逃げれば良いのに、貧相な体付きの男は、口をパクパクさせながら俺の事を見ている。


何か言いたいのだろうか?捨て台詞でも吐いて逃げるつもりなのだろうか?


まあ………逃がすつもりは無いが。


「おい。」


俺は北颪の回転を止めてから、自分でも驚くくらい冷たい声を、弓使いと魔法使いに向かって放つ。


「「ひっ?!」」


「動くな。一ミリもだ。」


「「っっ…………………」」


俺の言葉で、彼等は自分達が既に死地に立っている事を把握し、喉を鳴らした後、動かなくなる。


絶対的な死への恐怖。

それが彼等の体を縛り付け、動く事を体が拒否しているのだ。


「な、なんだよお前……何なんだお前は!」


名前も知らないが、貧相な体付きの男が、俺に人差し指を向けて叫んでいる。


「敵だ。それ以上でもそれ以下でもない。そんな事も分からず戦場に立っているのか?」


「そそそういう事を言っているんじゃない!」


「そういう事なんだよ、戦場ってのは。敵なのか味方なのか。それしか皆考えていない。敵ならば殺す。味方ならば殺さない。それしか無いのが戦場だ。」


互いの実力に敬意を払って、名乗り合うという事も、普通に有る。命を奪い合うのだから、どちらかが死ぬと分かっているのだから、名前を聞き、教えるのも、一つの礼儀となる場合だってあるからだ。

しかし、それはあくまでも、敬意を払える相手だからこそ行う事であり、敬意もクソも無く、人を数でしか見ずに爆弾にするような奴の名前など知りたくもない。


「お、お前!あいつを止めろ!」


まだ戦意の残っている唯一の男である護衛が、俺に直剣を向ける。奴隷の枷がされているところを見るに、奴の命令には背けないのだろう。

一人だけ後ろに立たされていた事からも、それなりの腕を持った男だということは分かるが、たった一人でどうこう出来る状況ではない。

その事を、奴隷の男もよく分かっているだろうが、それでも命令に従うしか道が無いというのは、何とも悲しい話だ。

せめて、オーガみたいなデカい男を残しておいたならば、時間稼ぎくらいは出来たかもしれないのに、あのデカいのも、恐らく今頃はピルテを探して右往左往しているか、暗闇から飛んでくる攻撃にズタボロになって地面の上に転がっているかだろう。


「ぼ、僕はこんな所で死ぬような人間じゃないんだぁ!」

タタタタッ!


訳の分からない事を喚き散らしながら、踵を返して走り出す男。

何をどうしたところで、このまま逃がすはずがない。


「うあああぁぁぁっ!!」


護衛の男が、意を決して俺の元に向かってくるが、自分でも勝てない事は分かっているのだろう。自暴自棄というのか…死に物狂いで剣を振ってくる。

もう少し冷静に、俺との斬り合いに挑めば、数秒くらいは時間を稼げただろうに。まあ、それでも、たったの数秒だが。


ザンッ!!

「ぐあああぁぁぁぁっ!」


護衛の男が剣を振り回し、その中の一つが大きく外れたタイミングで懐に入り込み、刃を走らせる。

それなりにしっかりした防具を身に付けていた為、狙ったのは太腿ふともも辺り。死にはしないだろうが、俺を追うことも、これ以上戦う事も出来ないだろう。

ここまで状況が傾いたならば、敢えて殺す必要は無い。俺は刃を滑らせながら護衛役の男の横を通り過ぎ、そのまま逃げている男の背中を追う。追うと言っても、信じられない程に足が遅い為、五秒も走ったところで、その背中に追いついてしまったが。


「くく来るなー!」


来るなと言われて止まる馬鹿はいない。


俺に追い付かれると判断した男は、俺の方へと振り返り、小さなナイフを取り出す。護身用にしても小さ過ぎるようなナイフで、果物ナイフ程度しかない。


ビュッ!ビュッ!


俺に向けて果物ナイフを左右に振り回している男の顔に、焦りが浮かび上がっている。


「万策尽きたか?」


「う、うるさい!僕を殺したらどうなるか分かっているのか?!」


「へえ。どうなるのか教えてくれよ。」


「マイナがそんな事を許すはずがないだろ!」


「俺達はそのマイナという奴を探しているくらいだから、お前を殺そうとする事で出て来るならば、願ったり叶ったりだ。」


「ま、待て!待て待て!僕は天才なんだ!僕を殺す事は人類にとっての大きな損失だぞ!」


「おいおい…言うに事欠いて、人類の損失とは…なかなか大きく出たな。」


「嘘じゃない!僕の作った傑作達を見ただろう!そ、そうだ!特別に僕が新しい傑作を作ってやる!お前の言う事を何でも聞いてくれる奴だ!」


こいつは一体何を言い出したのかと思ったが、よく考えると、俺もニルという奴隷を持つ者だ。

つまり、俺に対して、奴隷のような存在を与える事が、交渉材料になるのだと思っているのだろう。


「要らん。というか、二度と作らせるつもりはない。」


「ぼ、僕の発明を見たなら分かるだろ!?僕は天才なんだ!その辺の有象無象とは出来が違う!」


あれを見て、何を評価すれば良いのだろうか…?

科学や医学だって、色々な犠牲の上に成り立っているという事は知っている。

戦争時代やもっと昔の時代には、人を使った実験だってしていたし、それが後世に何らかの影響を及ぼしているというのも事実だ。外道と呼ばれるような実験が有ったからこそ進歩したという技術も有るだろう。特に、武器や拷問等の技術においては、その最たるところだろうと思う。


だが、それは外道が許されるということではない。

外道はあくまでも外道であり、それを容認してしまえば、混沌とした世界になってしまう。

国が無く、法が曖昧な世界だとしても、人として超えてはならない一線は存在する。

それに、外道で得られる知識や技術など.、本来人には必要の無いものなのだ。人が生きる為に必要なものの中に、誰かを犠牲にして得られるものなど一つも無いのだから。

それを必要とするのは、必要以上の何かを欲した時。それを欲する強欲こそが、彼の名前を後世に残すのだ。それが悪名だとしても、名を残す事に変わりはない。


しかし、俺は、そんな事を許さない。

あんな技術が何かに利用されるところなんて見たくもないし、考えたくもない。

人を人とは思わない思考から生まれた技術。それが使われるとなれば、そこからどれだけの命が消費されるのか分からない。

全ての人間の命が平等で大切だ…なんて事は思わない。実際に、目の前に居るような奴は、どこまで行ってもクズでしかない。そんな奴の命が、他人の為に命を投げ出せるような者と同価値なわけがない。

そんなクズな連中をにえにして実験を行うならば、俺もとやかく言うつもりは無い。だが、この技術が広まったとして、法の曖昧なこの世界で、最も消費される命は誰のものだろうか?そんな事は子供でも分かる。


奴隷だ。


何の罪も無い奴隷達が、奴隷だからという理由だけで、悲惨な実験の被害者となり、耐え難い苦痛の中に落とされる。それが分かっていて、この男を生かしておく理由など無い。


「お前の命が何十、何百と集まっても、お前の手で殺されて行った奴隷達の一人分にも満たない。

だが、お前が死ねば、死んで行った連中全てが浮かばれる。」


「ぼぼ僕の命があんな虫けら共の命に満たないだって?!訂正を要求する!」


俺に人差し指を向けてそんな事を叫ぶ男。


自分が命を握られている立場だと本当に分かっているのだろうか?何故こんな事をしたのか、少しは話を聞いて理解出来るかと思ったが、全く分からん。ここまで来ると最早話を聞く事すら苦痛だ。


カチャッ!


俺は刀を持つ手に力を込める。


「くくく……はははは!」


そんな俺に対して、男は嬉しそうに叫ぶ。


ズンッ!


そんな男の横から、先程のオーガのような男が現れる。


「自分が優位に立って余裕を見せるからだ!僕の勝ちだ!行けぇ!」


まあ、男の考えは分からなくはない。

自分が逃げ出した時、彼が生き残る為には、自分が戦うという選択肢ではなく、誰かに助けてもらうという選択肢しかなかった。そのというのも、既に俺達が殆ど無力化してしまったから、頼れるのは、このオーガのような男だけ。魔法か魔具かで指示を出して、ピルテを追わせていたのを止めて、こちらへと向かわせたのだろう。

そして、自分が生き残れる唯一の可能性が目の前に現れて、彼は安心し、自分が優位に立てたと思ったのだ。

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