第500話 狂人

関係の無い事を考えている余裕は無い。一度しっかりと落ち着こう。


「すー……ふぅー………」


一度深呼吸して、少しずつハッキリしてくる頭で、自分の状態をもう一度しっかりと確認する。


手足の感覚はハッキリしているし、多少の痛みを感じるけれど普通に動かす事が出来る。右肩に空いた穴は、まだ痛むけれど傷口は開いておらず、治りつつある。これならば、武器もそろそろ力を込めて振ることが出来る。

耳鳴りはまだ残っていて、少し声が遠いけれど、先程よりは随分とマシになってきた。歪んでいた視界は既に治り、いつもと変わらない。

自分の体の隅々にまで意識を集中させて、状態を確認し、と判断する。


自分が怪我をした時、パニックになってしまい、状態を正確に判断出来ないと、人は簡単に殺される。

誤った認識は勿論、出来るだろうという希望的観測や強がりも死を招く。冷静に、慎重に、状態を確認し、出来る事、出来ない事を明確にしてから戦闘に移る事。


もし、自分の状態確認の結果が間違っていれば、必ずどこかで失敗し、それを助けようとが無理をする。そして、怪我をするのは、そのだ。

これは、ご主人様の金言である。


怪我をするのは、私ではない。それをしっかりと意識して、戦えると判断した。

ただ、戦えるという中にも、色々と段階が有る。今の私の状態を考えると、いつものように強気に前へ出て戦うのは厳禁。攻撃も、出来る限り確実に倒せる一撃以外は放たないようにするべき。細かい事を言えばまだまだあるけれど、いつもの七割くらいのイメージで体を使う方が良いと思う。無理をして八割といった感じ。多分、そこまで体を使うと、右肩の傷口が開いてしまうと思うから、最終手段的に考えておく方が良さそうかな、というところ。


魔力はまだ残っているから、魔法は使える。アイテムはいくつかを残してほぼ使い切っているから、アイテムに頼り過ぎる戦い方は良くない。


私自身の状態はこんなところだろうか。


問題はスラタン様、ハイネさん、ピルテの状態だけれど……正直なところ、既に全員限界を超えているような状態だと思う。

爆発の後、数分の余裕が有ったけれど、未だに全員肩を揺らして息をしているし、いつ倒れてもおかしくないような状態であるはず。今は、気が張っていて何とか意識を保っているけれど、変に緊張の糸が切れたら、そのまま倒れ込んでしまうかもしれない。


「皆様は休んでいて下さい。私が戦いますので。」


「何言っているのよ。私達だってまだまだ戦えるわよ。」


ハイネさんの事だから、そう言うのは分かっていた。それはスラタン様もピルテも同じ。でも、無理なものは無理である。部隊を突破した時、スラタン様にはかなり負荷を強いてしまった。あの時、今にも倒れそうで、敵の攻撃に気が付いても避けられていなかった。あれからたった数分で体力が戻るはずがない。

もう一度同じような事が起きたとしたら、今度は私が飛び込めるかも分からない。

渡人であり、そもそもの身体能力が高いスラタン様でもそんな状態なのだから、ハイネさんとピルテも似たような状態か、更に悪いはず。そんな三人を戦わせるのは、出来る限り控えるべきだと思う。相手の数や、強さにもよるけれど、私一人で対処出来るものならば、私一人で何とかする。


「いえ。皆様は魔法やアイテムでの援護をお願いします。」


「…………ニルちゃんに隠し通そうとしても、無理よね。」


そう言って苦笑いを浮かべるハイネさん。


「お母様!」


「ピルテ。自分で分かっているでしょう?」


「っ………」


ピルテも、スラタン様も、自分達が限界だという事は自分がよく分かっている。だから、ハイネさんの言葉に、苦い顔をして下を向く。


「正直、私達は移動するだけでも辛い状態よ。そんなのニルちゃんなら見れば分かる事くらいピルテも分かっているでしょう。

こんな状況で強がっても、足を引っ張るだけ。私達は大人しく援護に徹するべきよ。」


「……ニルさん……ごめん。」


「ニル……」


スラタン様が謝ったのは、多分、色々な意味を込めての事だと思う。

ピルテも何かを言おうとしているけれど…


「何を謝る事が有るのですか?

私達がこうして今生きているのは、皆様が居てこそです。ただ、今この時は、私が頑張らなければならない時だというだけの話です。

それに、私はご主人様と世界を渡り歩き、何度も死にそうな局面を乗り越えて来たんです。これまでの経験や知識を駆使して、出来る限りの事はします。

ただ、私一人で出来る事など、たかが知れていますので援護を宜しくお願いします。」


自分の腕に自信が有るから、全員を完璧に守ってみせる…なんて事は口が裂けようとも言えない。私はそんなに強くはない。実際に、今現在、身体中が痛くて、肩には穴も空いている。だから、絶対に守るなんて無責任な言葉なんて吐き出せない。

でも、ここに来るまでの経験や知識は、私の中に間違いなく存在する。そして、私はそれを信じている。

だから、私の持てる全てを出し切って、この状況を乗り越えてみせる。

それに………


「背中は私達に任せて。」


私にはこれ以上無い程に頼もしい味方が居てくれて、背中を守ってくれる。負けるはずがない。


ハイネさんがニコッと笑って言うと、スラタン様とピルテも大きく頷いてくれる。


「えーっ?!生きてるのっ?!」


そんな私達を見て、誰かの声が遠くから聞こえて来る。


爆発によって半壊したドーム型の石壁、その横から現れたのは、人族の男。


直毛の黒髪だけれど、伸ばしっ放しのボサボサで無精髭も見える。長い前髪の間から覗き込む黒い瞳の目は落窪んでおり、気色の悪い視線を感じる。

黒色だか茶色だか分からない長袖長ズボンを着ているけれど、そですそえり等の衣服の端がほつれていて、糸が飛び出している。その上からは、マントに近い白色の外套を羽織っているけれど、それも端は解れている上に、何故か黄ばんでいる。

体型は痩せ型で身長は百七十センチ程。最初は渡人かと思ったけれど、恐らくこちらの世界の人間だと思う。理由は…何となくの雰囲気だけれど、ご主人様やスラタン様含めて、渡人である人は、この世界の人達とは違ったところに立っているような雰囲気を持っている。

ご主人様やスラタン様は、こちらの世界で生きると決めてからというもの、そういう雰囲気はほぼ見えなくなったけれど、それでも、極稀にそういう空気を感じ、遠くへ消えてしまいそうに感じて怖くなる時が有る。それと同じような空気と言っても分からないだろうけれど、独特の気配みたいなものを持っている。

けれど、目の前の男にはそれを感じない。

私が男に対して感じるのは、たった一つ。


不潔。


それだけ。


服装や何故かギトギトテカテカしている黒髪もそうだし、黄ばんだ外套も気色悪い。

私達奴隷も、そういう待遇を受けていれば、そのように汚れていく。ここまでの道程でそういう奴隷も沢山見たし、ご主人様に買われるまで、自分もそうだった。当然、私の見てきた奴隷達も殆どが同じだった。でも、その人達に対して気色悪いとか、不潔だとは思わなかった。正確に言えば、奴隷も不潔なのだとは思うけれど……汚いから不潔という安直な意味とは違った……気持ち悪い不潔さというのか…そういう感じが男からは漂っている。

その理由が、目付きなのか、心が不潔なのか、それとも他の何かなのか分からないけれど…戦いでなければ絶対に近寄りたくない相手である事は間違いない。いえ、戦闘だとしても近付きたくはない。出来る事ならば、最低でも魔法で全身を細切れにして、魔法で燃やして灰にして、その灰を溶解液で跡形も残らないように分解して存在を抹消したいところ。でも、そうしたいと思っているから出来るという話でもなさそう。


男の後ろからは、何人かの…多分、戦闘奴隷だと思われる者達が現れる。


言い方が曖昧なのは、顔に金属製の兜…というよりは、仮面のような物が取り付けられていて、明らかにおかしな体格をしているから。

恐らく元は人族の男性だと思うけれど、二メートル超の身長に、人族には有り得ない筋肉量。まるでオーガを思わせるような体型で、体中のあちこちに金属板のような物が取り付けられている。

金属板は、マスク同様に、取り付けられていると表現したけれど、言葉の通り、体に直接取り付けられている。紐で結んであるとか、貼り付けてあるという優しいものではない。杭のような物を肉体に突き刺して打ち付けてある。見たところ、主に体の急所と呼ばれるような部分を金属板で隠しているみたい。中には、二の腕のような急所以外の部分にも金属板を打ち付けてあったりするから、急所を守る以外の役割も有るのだとは思うけれど…何にしても、奴隷の首輪以外が、尽く異様な相手である事だけは確か。

そんな異様な男が、全部で四人出てくる。

全員、顔は見えないけれど、常に肩で息をしていて、体の表面には血管が浮き出ている。


「あの爆発の中、どうやって生き残ったのかな?

うーん…………それよりも、やっぱりあの爆発力じゃ足りなかったか。もっと威力を上げた方が良さそうかな。」


私達が目の前に居て武器を構えているというのに、不潔男は私達から視線を外して考え事をしているらしい。舐められているというより、男の近くに立っている四人の戦闘奴隷の戦力を信用しているといった感じ。

まあ、見た目で強い事は分かるし、戦闘奴隷四人に対して簡単に突撃出来ないのは事実だから、男の余裕も間違いではないのかもしれないけれど…あまり戦場には慣れていないように見える。武器という武器も持っていないし、どうも緊張感に欠けている。


「あー。僕は戦わないよ。僕は頭脳労働担当だからね。闘うのはこっちの四人。僕の最高傑作だよ。」


ニヤッと口角を上げ、目尻を下げた男の顔は、私がよく知っている表情を作り上げる。自分の欲望だけを満たそうとする人間の顔。奴隷ならば、何度も見た事が有る顔だろうと思う。あの表情を見る度に、私達奴隷は、人間ではない事を思い知らされ、その度に精神が、心が削られる。


「心底……私が嫌いな男のようですね。」


「んーー?奴隷?あー!確か奴隷の女が居るって聞いたな…ん?ちょっと待てよ…一…二…三……一人足りないじゃないか!」


「………………」


「折角実験体が手に入るって聞いたから、わざわざここまで出てきたのに。マイナの奴は嘘吐きだなー。帰ったら実験体を一つ用立ててもらわないと。」


「…とんだゴミクズですね。」


「えっ?!それは僕の事を言っているの?!なんて酷い事を言うんだ!僕にはゼノラスっていう立派な名前が有るんだからね!」


「ゼノラス……あの狂人というのは、君の事か。」


相手の名前に反応したのは意外にもスラタン様。


「あれれ?僕の事を知っている人が居るなんて、珍しい事も有るもんだね。」


「ニルさん。気を付けて。あのゼノラスという男は、人間を使った人体実験を繰り返し、あらゆる街で指名手配されている…所謂、マッドサイエンティストだ。」


マッド…サイエンティストというのが何かは分からないけれど、人体実験を繰り返すような狂人という事だろうと思う。

実験をするような者だから、自分は頭脳労働担当だとか言ったようだけれど、同じように色々な実験をしているスラタン様とは全くの別物。比較する事すら、スラタン様に対して失礼というもの。


「人体実験の何が悪いと言うのかな? それで技術が何世代分も発展するならば、被検体もこの上無い幸せというものだよね?!」


人体実験を繰り返し、指名手配されている…という事は、恐らく、買った奴隷だけでなく、街の人も犠牲者となったのだと思う。

奴隷を買うという事は、その奴隷の命を買うのと同意。だから、奴隷を人体実験に使う事自体は、世間体は最悪になるけれど、違法とはならない。つまり捕まったり処罰されたりはしないということ。

それが指名手配となると、奴隷以外にも手を出したということになる。

しかし、この男は本気で被害者達が、それで本望だと思っているらしい。完全に壊れている、狂っていると言っても良い。狂人という言葉がこれ程似合う男も居ないだろうと思う。


「本気で言っているならば、完全に頭がおかしい類の男ね。」


ハイネさんも、怒りを隠せないみたいで、声に怒気が含まれている。


「色々と研究している僕としては、そういう噂はどうしても耳に入るからね…時折街に行っていた時に聞いたんだ。

人を爆弾にしたり、奴隷達を薬漬けにしたり…そういう事は、多分この男がやった事だと思う。」


つまり…ここまで色々と非人道的な策が実行されていたけれど、それら全ての元凶が、このゼノラスという男によるものだということみたい。


そこまで知らなくても、私はゼノラスの事を殺そうと思っていたけれど、詳しく知った今、最大の苦痛を与えてから殺さなければ気が済まないと感じていた。

でも、このゼノラスという男。先程マイナとの関係について口走っていた。恐らく、マイナ本人の事を知っているはず。そして、この男は正気だし、ザレインの服用はしていないはず。マイナの事を知るチャンスが、向こうからやって来てくれたという事になる。それはこちらとしては有難い。今直ぐにでも殺したいところだけれど、マイナの情報をしっかりと抜き取る必要が有りそう。要するに、殺さずに捕まえなければならない。


しかし、ゼノラスという男だけならば、簡単に捕まえられるだろうけれど……


「ハァ……ハァ……」


問題はやはり、くぐもった呼吸音が仮面の下から聞こえて来る戦闘奴隷達。


どれだけの戦闘力が有るのか分からないけれど……少なくとも、私の小盾と筋力では、攻撃を流す事も難しい相手だということだけは分かる。それだけでも厄介なのに、相手は四人。

ゼノラス自身に戦闘力が無く、その護衛役は離れないだろうから。実質、相手にするのは二人…もしくは三人という事になる。

私としては、後ろに居るスラタン様方三人に被害が及ばないようにしなければならないから、三人が相手になるとかなり厄介な事になる。あれだけの巨体なのだから、信じ難いスピードで走り回るなんて事は無いだろうし、二人ならば、ある程度足止めしつつ戦えると思う。でも三人となると、どうしても一人が浮いてしまう。そうなれば、浮いた一人は後衛を狙って攻撃して来るはず。スラタン様方には逃げ回る体力など無いし……そう考えると、まずは、一人を速攻で仕留める必要が有る。


私は手に持っている黒花の盾と、戦華を握り直して、来る戦闘に備える。その時だった。


ボガアアアアアァァァァァァァァン!!


後方から、大きな爆音が鳴り響き、地面が揺れる。


「「「「っ!!!」」」」


私達は大きな爆発音を聞き、後ろを振り返る。


立ち上る爆煙と、真っ赤な炎の光。そして、宙を舞ういくつもの瓦礫。


「何が……」


何が起きたのかなんて、見れば分かる。大爆発が起きた。ただそれだけの事だったけれど………後方には、ご主人様が残っている。それが頭に浮かび、私はパニックに陥りそうになる。

とてつもない大爆発。私達の目の前で起きた爆発もかなりのものだったけれど、先程聞こえて来た爆発は、それ以上のものだった。そんな爆発に、もしご主人様が巻き込まれていたら…ううん。状況を考えれば分かるように、その大爆発を起こしたのがご主人様ではないならば、相手の仕掛けた攻撃という事になる。もし、相手が仕掛けて来た攻撃ならば、それはつまり、ご主人様一人を狙った攻撃に違いない。


全身の血が冷たくなっていくような感覚。

何もしていないのに、心臓がバクバクと跳ね回る。


「おー!これは凄いなー!やっぱりこれくらいの爆発力が無いとねー!」


パチパチと両手を打ち合わせて、拍手をしているゼノラス。


大爆発の原因を作ったのは、目の前に居る男。恐らく、何かの仕掛けを用意していて、それを誰かが作動させた…という事だと思う。正確な状況は分からないけれど、この男が関与しているという事だけは分かった。それだけで、私が足を踏み出す理由には十分だった。


「キサマァァァァァァァァ!!!!」


あれだけの大爆発。大軍との戦闘を行っていたであろうご主人様が、強力な防御魔法を使えたとは思えない。それに、聖魂魔法を使ったようにも見えない。もし使っていたら、爆発の有った辺りは、ここよりも酷い状況になっているだろうから。

そうなると、ご主人様の今の状態として考えられる可能性は三つ。


一つ目は、ご主人様が既に爆発を回避していて、今にも後ろから、私の名前を呼びながら現れて下さるという可能性。でも、そんな事は有り得ない事だと分かっている。

あれだけの大爆発を起こしたとなれば、ご主人様が回避出来る状況では発動させないはず。恐らく、周囲の連中も、爆発に巻き込まれているはずだし、自分達側への被害を覚悟しての攻撃ならば、確実なタイミングで爆発させるに違いない。


そうなると、二つ目は、爆発に何とか聖魂魔法を使わずに対応出来る状況であり、何とか対応したというもの。ご主人様には神力という力が有るし、対応が出来る可能性も十分にある。


そして、三つ目は、聖魂魔法を使う事すら出来ず、爆発に巻き込まれてしまった……というもの。


どの可能性が一番高いか。私は二つ目を信じているけれど、三つ目の可能性も決してゼロではない。ううん…本当は分かっている。普通に考えたならば、三つ目の可能性の方が高い。

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