第498話 足止め役
桜咲刀が魔力を吸収する為には、直接刃が触れていなければならないという事は、つまり、神力を飛ばして斬った魔法や防御魔法からは魔力を吸収出来ないという事である。
だとしたら、自分や仲間に魔法を使ってもらい、それを斬って百花桜刀を発動させれば良いではないかと思うかもしれないが、ここまでの戦闘からも分かるように、桜咲刀が魔法を斬った時に吸収出来る魔力はあまり多くはない。正確に言うと、防御魔法を数度切り裂いた程度では、刀身の十分の一も変色しないのだ。
そんな吸収率の悪い桜咲刀で仲間の魔法を斬って、百花桜刀を使うより、そのまま魔法を放った方が圧倒的に大きな被害を出せる。ハイネやピルテのような、魔法の扱いに慣れた者達ならば尚更だ。
あくまでも、百花桜刀はおまけという能力だと考えた方が良いという事なのだ。
実際、先程百花桜刀を使ってから後の戦いで、何度か防御魔法を斬ったが、変色は八分の一程度。ほぼ変色していないと言える。
但し、この桜咲刀は、刀そのものがとても優秀で、超一級品と言っても過言ではない。ここまでの戦いで何人も斬り伏せてきたというのに、未だ切れ味は衰えていない。その辺の一般的な刀ならば、とうの昔に刃が欠けるか、折れるか、潰れて斬れなくなっていて当然の激戦だったというのにだ。
ダンジョンに取り残されてしまったゴンゾーが、セナの打った草薙という刀を使い続け、最後まで折れなかったからこそ生き残れたように、武器を使う者にとって、その武器が欠けない、折れない、潰れないというのは、心強いことこの上ない。特に、千人を超えるような人間が、自分を殺そうと怒涛の勢いで迫って来ている時なんて、最高に頼もしい相棒だと思える。
「最後まで頼むぞ!オラァァァァァァァ!!」
ザシュッ!バギィィン!ガシュッ!
返事など無いのは分かっているが、俺は桜咲刀に言って、刀をもう一度振る。
俺が刀を振る度に、目の前で人が何人かその命を血と共に散らす。元の世界に居たとしたら、実際にこんな光景を目にする事など一生無かっただろう。あまりにも非現実的な状況に、どこか第三者のような…客観視している自分が居るのを感じる。きっと、これが戦争というものなのだろうと。
ただただ、互いに命を奪い合う為だけに、これ程の人数が集まり、血で血を洗うような戦闘を続ける。
元の世界でも、第二次世界大戦を経験した人達が、戦争だけは二度と起こしてはいけないと言っていたのを聞いた事が有る。その理由が、ここに来てよく分かった。確かに、こんな体験を何度もしたいと思う者は、相当な変わり者か、気を狂わせた者くらいだろう。俺だって、出来ることならば何度も体験するのは遠慮したい。だが、やらなければならない事が有る。だから……
「まだまだぁぁぁぁ!!」
スバァァン!ズバァァン!
そんな地獄絵図の中、刀を振り続けていたのだが、殺し損ねた先頭の数人が俺の元まで辿り着く。
「死ねええぇぇぇぇ!!」
「はぁっ!」
ザシュッ!!
「首を寄越せぇ!!」
「おぉぉっ!」
ガシュッ!
死体の山が出来たお陰で、迫って来る人数がある程度限定され、一気に対処出来ない程の数が襲って来るという事が無いのが唯一の救いだ。しかし、それもそう長くは続かない。どれだけの時間を稼げたかは分からないが、そろそろ撤退を考えておいた方が良さそうだ。
俺はそんな事を思いながら、武器を振り上げて次から次へと襲って来る連中を一刀で斬り伏せ続けていた。
そんな時だった。
ふと、俺はある事を失念していた事に気が付き、周囲に視線を走らせる。
つい先程まで、俺達の事を苦しめ続けていたアンナ。あの女の姿が見えない。
魔法使いである事からして、突撃して来ないにしても、今こそ俺を殺す事が出来るかもしれないというチャンスなのに、何の音沙汰も無いのはあまりにもおかしい。
戦闘の最中での確認である上に、この人の数。見逃している可能性は十分に有るが、見た限り、それらしい姿は見当たらない。
逃げた…?いや、どこかに姿を隠して俺を狙っていると考える方が妥当か…?
目の前から迫り来る軍勢の相手をしながら、思考が目の前の事からズレていく。
ザシュッ!
「っ!!」
そのせいで、目の前の攻撃をいなし損ねてしまい、腕に軽い切り傷を受けてしまう。防御魔法もここまでの戦闘で全て使い切り、付与し直す暇も無かった為、思わぬ一撃を貰ってしまった。
これだけの数が
奴隷に持たされている武器はボロボロの物ばかりで、軽い傷で終わったから良かったものの、集中力が途切れ始めているのは、想像以上に危険な状態だという証だ。自分ではまだまだ平気だと思っていたのだが、どうやら精神的に限界が近いらしい。
それに、アンナの動向がどうにも気になる。
アンナの攻撃の組み立て方は、自分の手の者に攻撃させ、俺達の動きを制限し、最も嫌がるであろう魔法を最も嫌がるであろうタイミングで自分が放つというものだった。そこから推測するに、慎重に事を進めるタイプである事と、自分の魔法に絶対の自信が有るという事が分かる。間違い無く、自分の魔法で相手を仕留められるという自信が無ければ、最後の一手を自分一人で放つ事など有り得ない。
もし、アンナの攻撃を放つタイミングに合わせて、他の何人かが同じ魔法を使っていたならば、恐らく、俺も聖魂魔法を使わざるを得ない状況になっていたはずだ。そうならなかったのは、アンナが、自分一人の魔法で仕留められる!という考えを持っていた、つまり、自分の魔法に対して絶対的な信頼を置いていたからだろう。
そんなアンナが、圧倒的に数で勝っていて有利な状況で、たった五人を仕留められなかったどころか、自分の攻撃でたったの一人も落とせなかった上に、シローを合わせた後衛部隊の半数以上を失ったという事実を前に、大人しく逃げるとはどうしても思えない。
それ程までに傲慢な性格の女であれば、誰も仕留められなかったという現実を受け入れられず、何かを仕掛けてくるはずだ。しかし、俺の見える範囲には居ないという今の状況。
まず間違いなく、身を隠して機会を伺っているはず。俺達の内の誰かを仕留められるであろう機会を。
そして、狙うとすれば、慎重に動く性格から、四人でまとまって動いているニル達よりも、状況的に危険で、手を出せば確実に倒せるであろう俺を狙うはず。
それなのに、現状、何もして来ていないとなるとどうにも嫌な予感がする。
出来ることならば、もう少しだけでもこの場に留まって敵の進行を食い止めたいところではあるが、ここは素直に引くべきだろう。先に言ったように、俺はまだまだ死ぬつもりは無い。時間を稼ぐだけが目的なのだ。
俺はそこまでの結論を出し、逃げる為の行動に移る。
その時には、まだ、ここから何が起きようとしているのか、俺は予想すら出来ていなかった。
ーー・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー
シンヤと一時別れ、先に敵の部隊を突破したニル達は…
「ご主人様……」
先に行けと言われ、先に来てしまったけれど、ご主人様が一人で戦っていると思うと、胸が苦しくなる。
怪我を負っている今の私では、ご主人様の足でまといにしかならず、横に居ても邪魔にしかならない。それは分かっているけれど、ご主人様と共に危険な役目を果たせなかった事に対して、心底腹が立ってしまう。
あの時、自分で作り出したロックシェルの向こう側から、アンナという女が放った水貫という魔法。あれは、ロックシェルが作り出される前に、私達の位置を把握し、壁越しに位置を予測して放った攻撃だった。
ロックシェルの壁は、それ程大きくは無かったから、相手から見れば、大体で撃ったとしても、当たる確率の方が高かった。
貫通力が高い魔法が飛んでくる可能性には気付いていたのだから、もっと大きく動いて、相手の予測から外れなければならなかった。それが出来た状況で、私にはそれが出来なかった。その怠惰な自分を呪いたいと本気で思う。
部隊を突破した時に、少しだけ無理をして右腕を使った事で、ズキズキと鈍く痛む右肩。その痛みを感じる度に、今この時、ご主人様が一人で足止め役を担っているという事実が頭を過り、自分の情けなさに涙が出そうになってしまう。
悔やんでも悔やみ切れない。悔やみ切れないけれど……過ぎたことをいつまでも考えていては、この先の判断が鈍ってしまう。先に行けと言ったご主人様の言葉は、私に任せたという意味なのだから、その信頼に応えなければならない。
ご主人様は、必ず無事に私達に追い付けるように動いて下さる。そう信じて、私は前に進む足を止めずに走り続ける。
大軍を突破した後、ドーム型の石壁を何度も通り過ぎ、どんどんと奥に入って行くけれど、人の気配は今のところ無く、完全にもぬけの殻という雰囲気。
ここまで来て、マイナというパペットの頭領は居ませんでした、もしくは逃げた後でした…なんて事になれば、笑い話では済まない。
もし、マイナが居ないとしても、何とか手掛かりだけでも掴まなければ、後ろで耐えて下さっているご主人様に合わせる顔が無くなってしまうし、私の右肩の痛みがそれを許してはくれない。
「ニル!」
後ろから付いて来ていたピルテが、後ろから止まれと私の名前を呼ぶ。
ザザッ!
私は走り続けていた足を急停止させて、その場に止まる。
「……………………」
気配が何も無いと思っていたけれど、どうやらそれは、返り血によってベタベタになった事で、私の感覚が鈍化していたからみたい。
ドーム型の石壁の影から、痩せ細り、ボロボロの奴隷達が現れる。人数は…沢山としか言えない数。
ただ、奴隷達は武器も持っていないし、防具も身に付けていない。戦闘の為に連れて来られた奴隷達では無さそう。武器を持っていないだけで戦闘奴隷ではないと判断したわけではなく、彼等の状態が、私にそう判断させた。
彼等は、全員目の焦点が合っておらず、どこを見ているのか分からず、全身が震えている者や、涎を垂らして拭こうともしない者、うーとかあーとか言葉になっていない声を発し続けている者も居る。殆どの者達の髪は抜け落ち、頬は痩けている。
「はあ…はあ…こっちは…辛いって言うのに…」
ハイネさんは、ご主人様と別れ、魔力回復薬を服用してから、支えられなければ移動出来ないという程ではなくなったけれど、体力は回復しないので、魔力的な意味ではなく、肉体的な意味で辛そう。
そんなハイネさんは、嫌そうな顔をして奴隷達を見ている。その理由は、奴隷達に囲まれているからではなく、その者達から臭ってくる甘ったるい香りに対してである。
「これは……ザレインの臭い…だね…」
スラたん様も気が付いたらしく、鼻に手をやって眉を寄せている。
周囲から集まって来た奴隷達は、重度の薬物依存状態になっている者達ばかり。詳しい事までは分からないけれど、あまりにも薬物を乱用し過ぎていると、解毒薬を使っても完全に元には戻らないとスラタン様から聞いた。多分、ここに居る奴隷達は、皆、もう取り返しがつかないところまで来てしまった人達だと思う。何せ、ザレイン自体が見当たらないというのに、彼等の体臭だけで、ザレインの臭いだと分かる程に、甘ったるい香りが染み付いてしまっているのだから。
「あ、あー……うー……」
何をしたいのか全く分からないけれど、奴隷達は、私達を見付けた途端、ゆっくりと私達に向かって手を伸ばして歩き始める。
殺気なんて無いし、動きは随分と遅くて、満身創痍状態のスラタン様やハイネさんでも簡単に避けられる程のスピード。
ただ、怒涛の勢いで迫って来る軍勢とは、また違った怖さを感じる。
「ニル。どうしますか?」
「……私達に出来る事は有りません。ここは間を抜けて奥を目指しま」
ドドドドガァァァァァン!!
「「「「っ?!!」」」」
奴隷達を無視して進もうとした時、左前方で何度かの爆音が鳴り響き、人だったものの欠片が、ビチャビチャと音を立てて飛んで来る。
「嘘…でしょ…?もしかして……」
ハイネさんが驚くのは無理もない。ここに居る者達全員かは分からないけれど、最低でも、何人かは先の戦闘で見た爆発物を体内に仕込まれているのだろうと思う。
人の命は、これ程までに軽い…そんな事は知っていた。ご主人様に買われるまでは当たり前の事だった…はずなのに、今となってはその現実が、こんなにも辛い。
奴隷は所詮奴隷。奴隷は人ではない。そう言われている気がして、私の心境は何とも言えない感情で一杯になる。
「どうして……こんな酷い事を……」
ご主人様や、ハイネさん達と共に居ると忘れてしまいそうになるけれど、本来、奴隷というのはこういう扱いをされても何も出来ないから奴隷なのである。この行いを、酷いと思ってくれる人の方が、奴隷の世界では少数派。
私は、こうして奴隷本来の姿を見せ付けられると、自分がどれ程ご主人様に助けられているのか、恵まれた立場なのかを再確認する。
「なんでこんな事を…」
「それを考えていても、理解なんて出来ません。
ただの暇潰し、人の命を弄ぶ事に愉悦を感じる、こう使うのが一番効率的だと思ったから…理由なんてそんなところです。」
「そんな…」
「人を爆弾代わりにするような奴の事を理解しようとしても、理解なんて出来ません。それより…ここをどうやって抜けるかです。」
「…………………」
私の言葉は冷たい…と自分でも思う。
でも、ここで彼等に何をしたとしても、結局彼等を救う事なんて私達には出来ない。どうやって、どこに爆発物を仕込んでいるのか、どういう仕組みなのかも分からないのだから、どうやって解除するのかも当然分からない。恐らく、何かしらの条件で発動するのだとは思うけれど、それを確認している暇なんて無い。
余裕が有る状況ならば、それでも何とかしようと思うのかもしれないけれど、今の私達に、そんな余裕は無いし、ただ黙って通り抜けるしかない。
ハイネさん達も、その事を分かっているから、私の言葉に反論しないのだと思う。
私だって、出来る事ならば彼等を苦しめる今の状況から、何とか抜け出させてあげたいとは思う。私がそうであるように、彼等にも奴隷という人生の中に、希望を抱ける瞬間が一秒でも有れば良いと思う。でも……それは出来ない。
「彼等を避けて行きましょう…避けるくらいならば、私達にも出来ます。」
ピルテが私の言葉を聞いて、辛そうな、絞り出すような声で言う。
それを聞いたハイネさんは、辛そうな顔をして、何も言わずに頷き、スラたん様は拳を固く握り締めている。
奴隷達の数は多いけれど、動きは遅いし、避けて通るくらいは出来る。でも、先程の爆発は恐らくだけれど誤爆だと思う。先の戦いで三人の奴隷が自爆した時は、時限式のような感じに見えた。もしくは、魔力を込めると爆発するような物。でも、どちらもこの奴隷達が上手く扱える状態だとは思えない。時限式なんてどこで爆発するか分からないから使えないだろうし、魔力感知式だとしても、この奴隷達が魔力を操作して自爆するなんて思考が回る状態とは思えない。そもそも、魔力を操作する事すら自分の頭で考えて出来る状態ではないように見える。
そうなると、誰かが外部から操作しているか、衝撃で爆発するか。
外部から操作しているなら、誤爆なんて事は起きないだろうし、恐らく衝撃を感知して爆発する魔具のような物を使っているのだと思う。先程は、その魔具のような物を仕込まれた者が、転んだか、何かにぶつけたかして、誤爆してしまったのではないかと考えられる。
つまり、ここに居る奴隷達と、先の戦いで爆発した三人は、仕込まれている魔具のタイプが違うのだと思う。
ここからは根拠の無い推測になってしまうけれど……
人間を爆弾にするような策というのは、あまりにも自虐的過ぎる。いくら違法に集めた奴隷とはいえ、人間は人間だし、爆弾として使うよりも、人間として出来る事をさせた方が圧倒的に良いはず。一応、商品でも有るわけだし、爆破するより、少しでも戦力や頭数になれば、その方が良いに決まっている。
それでも、敢えて爆弾として使っているのは、そもそも、この奴隷達を殺したいというところから発想が来ているように思う。
例えば、ザレインの効果や副作用などの実験をしたいが、自分達では試せない為、奴隷達を使って実験する。そこには、薬物依存症にさせる事で、自力で脱出する気力を奪うという目的もあったかもしれない。そして、依存症になって、人としても、奴隷としても使えなくなった者達は、売れないし、労働力としても使えない。当然、ろくな戦力にはならないし、頭数としても機能しない。そんな者達には、残飯ですら渡すのは惜しいはず。でも、ただその辺に捨てるだけでは、勿体無いし、もし、捨てた後に生き延びた連中が居たら、後々厄介な事になりかねない。
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