第427話 逃走

私とピルテを含め、村人達全員に緊張が走る。


私達が掛けたダークイリュージョンは、視認阻害であって、見えなくなるわけじゃない。私達の隠れている辺りを注視されてしまったら、バレてしまう可能性がある。


「スライムがこの辺りの痕跡を上から潰してやがる。」


「この辺り、やけにスライムの痕跡が多いな。」


「くそっ!痕跡ごと食い荒らしやがって…」


「だが……南へは全く痕跡が続いていないみたいだし、さっき逃げた奴の進んだ方向か?」


「これで南へ逃げられていたら、俺達殺されるぞ。」


「なら、逃げた奴を無視して南に向かうか?」


「………………」


私達から数メートルの位置で、話し合いをし始める男達。

身なりからするに、シンヤさん達が言っていたハンドとかいう連中だと思う。口元を布で隠して、フードを被っている為、どんな相手なのかは全く分からない。


それより、もし三人が南に向かうと言って、こちらに寄ってきたら、私達のダークイリュージョンの範囲内に入って、完全にバレてしまう。


私とピルテ含め、全員が微かな物音すら立てないように、じっと相手の動きを待つ。


「南へ向かって、何も無ければ西へ向かった連中と合流しよう。」


そう言って、一人がこちらに体を向ける。


「っ!!」


全員の心臓が跳ねたと思う。これは見付かった!と思った時だった。


ザザザッ!

「「「っ?!」」」


突然物音がして、三人が振り返る。


「追えっ!」


木の影から出てきたのは、人影。それが西へ向かって走り出す。


目の前にまで来ていた三人は、人影を追って西へと走り出す。


私が横を見ると、ピルテの手元から魔法陣が消えていくところだった。


シャドウアバター。私達吸血鬼族が使う分身体を作り出す魔法である。

敵がこちらに来てしまうと確信したピルテが、咄嗟にシャドウアバターを発動させて、敵の注意を引いてくれたらしい。

本体よりも能力は落ちるけれど、シャドウアバターならば、ハンド相手でも直ぐに捕まる事は無いはず。


「行くわよ!」


私は声量を落として、皆に声を掛ける。


全員が立ち上がり、南へと走り出す。走ると言っても動けない人も居るから、早歩き程度の速度しか出ない。それでも、動けない人も、引きられるように、必死に動かない足を前に出そうとしている。

幸い、三人には、まだバレていないみたいだけれど、シャドウアバターが消えるか捕まれば、私達が南へ向かって進んでいる事を察知して追って来るはず。稼げて数分。その間に出来る限り距離を取っておきたいけれど…それでも、森の外に出るまで二十分。そこから更に逃げる事を考えると…やはり足止めが必要になる。

先程見た三人の立ち居振る舞いから察するに、実力は私やピルテと同程度。数は向こうが上。二人で戦っても、勝敗は五分五分。

しかも、村人達を守る護衛役が必要だということを考えると、私かピルテのどちらかは、この集団に追随しなければならない。

せめてもう一人、ギャロザと協力してこの集団を守ってくれる人が居れば、私とピルテで、先程の三人を足止め出来るのに…

いえ、無いものを強請ねだっても仕方の無い事。あの三人相手に時間稼ぎをしつつ、生きて戻って来る事が出来るかもしれない者は、この中には私とピルテだけ。とは言っても、三人相手に、たった一人で立ち回らなければならないとなると、危険度はかなり高い。

そんな場所にピルテを行かせようとは思えない。つまり、私が一人で足止めをして、皆をピルテに任せる。これが一番良いはず。


「ギャロザ。これを持ってそのまま南へ向かいなさい。」


私は、皆に手を貸して歩くギャロザに、スラタンから貰ったツインスライム入りの小瓶を渡す。


「え?ハ、ハイネ様は…?」


「私は足止めに残るわ。」


「私も残ります!お母様!」


ピルテが、話を始めると直ぐに後ろから走り寄って来て、真剣な表情で言ってくる。


「いいえ。戦える者がギャロザと、この子達数人では、何か起きた時に対処し切れないかもしれないわ。ピルテは残りなさい。」


「そんな!」


ピルテが直ぐに自分も残ると言ったのは、誰かの足止めが必要だと気がついていたから。そして、その役目は私かピルテにしか出来ず、私がその役目を引き受け、一人で残ろうとする事になると予想していたから。

そこまで考えられる今のピルテならば、この集団を任せても大丈夫。必ず逃げ切ってくれる。


「大丈夫よ。時間稼ぎをしたら、私も逃げるから。」


「お母様!」


ピルテは、それでも食い下がってくる。それだけこの役目が危険な役目だと気が付いているということ。


「ピルテも分かっているでしょう。これが最善策だと。」


「それは……」


私の言葉に、ピルテは暗い顔をして俯く。


「……ハイネ様。ピルテ様。」


そんな話し合いをする私達に、ギャロザが閉じていた口を開く。


「お二人であれば、その役目を安全に果たせるのですか?」


「いいえ。私とピルテの二人で行っても、安全にとはいかないと思うわ。」


「全員で逃げる事は…?」


「恐らくは無理よ。先程の三人が、そろそろこちらに向かって来るはずよ。そうなれば、森の中で追い付かれてしまうわ。」


先程の三人が、他の敵兵達を連れて来るという事も考えられるし、未だ状況は読めないけれど、少なくとも、このまま南へ進んだとしても、森の外には出られない。


「だから、私が残って、皆が逃げ切るまでの時間を稼ぐのよ。」


「……でしたら、皆のことは俺に任せて、お二人で行ってください。

お二人程強くはありませんが、これでも元々は兵士の端くれをやっていたのですし、こういう時の為に鍛えてきました。

俺だって戦えます。いえ…お二人に危険な役目を押し付けてしまっている時点で、こんな事を言う資格はない事くらい分かっています。

ですが、我々が守られる事で、お二人が危険に晒され、もしもの事が起きてしまえば、俺達は悔やんでも悔やみ切れません。お二人が無事でいられる方法を取って下さい。」


「そうですよ!私達なら大丈夫ですから!」


「こう見えてもしぶといんですよ!私達!」


皆が、足を動かしながら、私に向かって大丈夫だと、口々に言ってくる。


「お二人が来て下さらなければ、そもそも村から逃げる事さえ出来なかったはずです!」


「そうですよ!私達だって戦います!」


「皆…」


彼女達に戦えるかどうか。そんな事は考えなくても分かる。自分達の為に、敢えて危険な橋を渡るなんて真似はしないでくれと訴えている事くらい分かる。


「居た!」


そんな時、私達に聞こえる声が、から聞こえて来る。


「あれは…ケビン?!」


私達を村に連れていってくれたテノルト村のケビン。そしてハナーサが走って来る。


「なんでこんな所に?!」


「村に行こうとしたら、盗賊達が鎧を着て入って行くから、何かあったのだと思って、皆を探していたのよ!」


「一体何が起きてんだ?!」


「話は後で!ハイネ様!」


「ええ。そうね。ケビンが来てくれたのなら、村の人達は任せるわ。」


「よし!皆!南へ向かって進むんだ!」


「「「「はい!」」」」


詳しい事を話さなくても、ある程度の状況は掴める為、ケビンもハナーサも、黙ってギャロザの指示に従う。今が危機的状況だということは察してくれているみたい。


「ハイネ様。ピルテ様。どうかお気を付け下さい。」


「分かっているわ。それなりに時間を稼いで、それなりで引き上げるから大丈夫よ。

それより、あなた達も気を付けるのよ。」


「……はい。」


ギャロザは、しっかりと頭を一度下げた後、南へ向かって出発する。


「村人達から離れた事、シンヤさん達に叱られてしまうかしら?」


私は、敢えて冗談をピルテに言う。

緊張感は最高潮。私達二人で本当に出来るのか分からない。しかも、大切な娘であるピルテが横に居る。こんな状況で冷静に居られる人なんて、きっと居ない。

それでも、その緊張を少しでも和らげたくて、私は明るく振る舞う。


「ふふふ。もしかしたら叱られてしまうかもしれませんね。

ですが、ここから南へ、誰も通さなければ良いだけの話です。」


ピルテも、敢えて明るく振る舞う。

私がお腹を痛めて産んだ子ではないし、そもそも種族だって違う。それでも、これまでずっと一緒に過ごしてきた大事な娘。


「それもそうね。でも、ピルテ。」


私はピルテの髪に触れる。


「危ない時は、私を置いて逃げるのよ。」


「そんな事出来ません!」


「やるの。それが母として、私が望むことよ。」


「…………………」


納得なんて出来ないだろうし、何度言っても、はい。とは言わないと思う。それでも、ピルテを守るのは、母である私の役目。私も、何度だって同じ事を言うだろう。


ガサガサッ!


北西側から、人の気配を感じる。


「行くわよ。」


私の言葉に、ピルテが頷き、ほぼ同時に別々の木に飛び乗る。


走って来たのは、先程シャドウアバターを追って行った三人に加えて、本隊の者達であろう五人の計八人。


「止まれ!」


こちらに近付いて来たハンドの男が、南へと向かう痕跡に気が付いたのか、地面の上を見ている。


「チッ!やはり南へ向かって逃げているぞ!」


「くそっ!やられた!直ぐに追うぞ!」


「待て!まずは本隊に報告だ!おい!そこの二人!本隊に向かってこの事を伝えて来い!」


かなりイライラしているのか、乱暴にハンドの男が指示を出す。


私が木の上に居るピルテを見ると、ピルテも私を見て頷き返してくれる。


このまま報告に行かせてしまえば、残った連中が、全てこちらに向かって進軍してきてしまう。それは当然阻止しなければならない。


私とピルテは、ほぼ同時に、本隊へ向かおうとしていた二人に向けて魔法を発動させる。


バキィィン!グシャッ!

「あ…?……」


バキィィン!グシャッ!

「ゴフッ……」


私が使ったのは中級土魔法、ロックバイト。大きなトラバサミのようなもので、対象者は下半身と上半身が分裂した。


ピルテが使ったのは中級木魔法。ウッドパイル。

指定した場所から先端の尖った木の杭を数本出現させる魔法で、走り出した男の目の前に発動させた。木の杭はその者に向かって斜めに飛び出して来た為、回避できず、胸部と腹部に深々と突き刺さり、吐血している。


二人共、まだ息はあるけれど、間違いなくこのまま死に至る。


「敵だ!」


それを見た残りの六人は、周囲を警戒しながら互いの距離を取る。ハンドの三人はかなり大きく距離を取り、身を隠す。


どちらの魔法も、場所を指定して発動させるタイプの魔法である為、魔法が発動した位置が見える場所に私達が居ると分かる。これに加え、障害物の多い森の中で、南へ逃げていた集団の仲間だと仮定するならば、南側の障害物の裏だろうと予想しているだろうし、それが正解だ。

やはりハンドの三人は戦い慣れしているのか、私からも、ピルテからも見えない位置に身を隠し、直ぐに反撃の準備を始めている。

それに対して、本隊に居たであろう男達の残り三人は、互いの距離を取っているが、身を隠そうとはせず、一人が大盾を構え、右後方に曲剣使い。左後方に弓使いが立っている。


攻撃されたが、相手の正確な位置が分からない場合、ハンドの三人が行っているように、何かに隠れるというのが基本的な行動である。

例え相手の大まかな位置さえ分かっていなくても、何かに張り付いてしまえば、ある程度の防御壁を作って、特定の方向からの射線を切る事が出来る。それで攻撃されない場合、相手が防御壁の裏側のどこかに居ると分かるし、攻撃されても、防御壁を利用出来る。

とはいえ、それを読まれて、本当は攻撃出来るのに攻撃せず、より狙い易い位置に誘導させるという手もあるし、攻撃が来ないからそこに居ると確定出来るわけではない。あくまでも推測の域を出ない為、確定的とは言えないけれど、推測であったとしても、何も無いところにボーッと突っ立っているよりはずっと良い。

唯一、大盾のような防具を持っている者が居る場合は、大盾自体が防御壁になる為、例外となるのだけれど、それでも、障害物が有る場合は、障害物を利用する方が圧倒的に良い。


私の見立てでは、本隊から来た三人は、恐らく衛兵崩れだと思う。衛兵のような連中は、訓練こそ受けるけれど、剣や魔法の訓練が多く、周囲の環境を利用するという発想が出来ない者が多い。

それに対して、ハンドの連中は恐らく冒険者崩れ。

周囲の環境を使う事で、誰よりも有利に立ち、戦場そのものを制御しようとする立ち回りが出来ている。


「何者だ!出て来い!」


「姿を見せろ!」


「この卑怯者が!」


思わず笑って自分の位置を相手にバラしてしまうところだった。

まさか、卑怯者の代名詞とも言える盗賊に、卑怯者呼ばわりされるとは思っていなかった。身を隠し、相手に自分達の存在を気付かせずに抹殺する。そんな事が出来れば、魔族では拍手して褒め称えられる類の話である。それだけ、暗殺や奇襲というのは、とても難しい技術であり、簡単に成功するものではないから。

それを、言うに事欠いて卑怯者とは…もし、私を笑わせて居場所を探ろうという賢過ぎる作戦だったとしたら、賞賛したくなる腕前。

ピルテは真面目だから、あの男は何故そんな馬鹿な事を言っているのだろうか?と真剣に考えて眉を寄せている。

衛兵崩れの三人は、あまり頭が柔らかい者達ではなさそうなので、本隊へ合流しようとしない限りは、放置しておいても問題は無さそう。

それより、問題なのはハンドの三人。


彼等はかなり戦い慣れていて、大きく離れた後、それぞれがタイミング見て移動を開始する。

常に木を壁にしながら、次々と移動し、狙いを定める時間を与えないつもりらしい。


このまま放置してしまえば、見付かって撃ち落とされて終わりになる。ピルテに視線を向けると、頷いてくれる。言葉を交わさずとも、何をしたいのか、何を狙っているのか、互いに理解出来る。

他の誰よりも長く共に生活してきたのだから、年季ねんきが違う。


私とピルテは媒体を使用した魔法陣を描いていく。


私が発動させたのはブラッドバット。戦闘力は低いが、相手にとっては見たことの無い未知の魔法。簡単に撃ち落として良いのか分からないはず。最終的には、ただの時間稼ぎにしかならない事は承知の上で使っている。


ピルテの使った魔法は、フェイントフォグ。

吸血鬼族以外の種族を気絶させる霧を発生させる魔法。

屋外で、谷間のある山道。木々が有るとはいえ、風はそれなりに吹いているし、霧は流されてしまう。でも、それで良い。

相手が魔法で作り出した黒い霧。普通は触りたくないと思うはず。これで動きが制限され、私達を見付けても、真っ直ぐ追う事は出来ない。

ピルテは、霧を足元に発生させてくれた。私とピルテはその霧の中へと飛び降りる。


「あの中だ!」


大盾を持った獣人族の男が叫ぶと、エルフ族の弓使いが矢を放つ。


ヒュッ!


黒い霧を押し退けながら飛んでくる矢。タイミングはバッチリだったけれど、黒い霧の中に隠れている私とピルテを狙い撃つなんて、そんなに簡単な事ではない。


私にもピルテにも当たらず、矢は通り過ぎて行く。


「外した!?」


「一発外したくらいで驚くな!追うぞ!」


私とピルテは、霧を挟んで、敵から離れるように走る。相手は黒い霧を迂回して来なければならないけれど、風は谷側、つまり西から東へと緩く流れている為、追ってくるなら西側から。つまり、私とピルテは東側へと移動しつつ逃げれば、ブラッドバットの邪魔も入り、簡単には追い付かれない。


ザザザザッ!


ピルテとの距離を一定に保ちつつ南東へと走り、ある程度距離が開いたタイミングで、シンヤさんから貰った閃光玉を投げる。


バンパンッ!


「ぐあっ!」


「なんだっ?!」


突然の光に、衛兵崩れの三人は目を覆い隠す。ブラッドバットに対処していて、こちらに気を向けられなかったらしく、しっかり効果を与えられた。残念ながら、ブラッドバットは全て落とされてしまったみたいだけれど、距離を取る事が出来ればそれで良い。

ここで衛兵崩れの三人を仕留めても構わないけれど、そうなると後ろで待機しているハンドの三人が確実に攻撃をしてくる。

ここは一度距離をしっかり取ってから、もう一度意識外の攻撃を仕掛けるべき。


私とピルテは全力で木々の間を走り抜ける。


「くそっ!」


私達を追い切れない敵は、悪態を吐きながら足を止める。


ハンドの連中も、敢えて私達を追って孤立するより、衛兵崩れの三人と協力するらしい。追われる方が厄介だったけれど、来ないなら、こちらの都合に合わせた戦い方が出来るし有難い。


「ピルテ。ハンドの連中を先に始末したいけれど、無理なら先に盾の連中を殺るわよ。但し、ハンドの連中から攻撃されないタイミングで、確実に行くわ。」


「分かりました。」


一度、私とピルテはしっかりと姿をくらましてから、再度六人が居る場所へ向かう。本隊に報告へ向かわれると面倒な事になるので、六人の気配を感じ取れる範囲は出ていない。相手も、私とピルテがいつ襲って来るか分からない状況で、背を向けるなんて事はしないみたい。


ゆっくりと気配を悟らせないように気を付けながら近付いて行く。


「チッ!どこにいるか分かるか?!」


「…いや。分からない。」


「このままじゃなぶり殺しにされるだけだぞ!何か案は無いのか?!」


「魔法で無理矢理引っ張り出してみるか?!」


「魔法陣なんか描いていたら、その隙を狙われるだけだ!」


ハンドの三人は、喋る事も無く、ただひたすらに姿を隠し、私達の気配を探っているのに対して、衛兵崩れの三人は、そんな事はお構い無しに大声で連携を取ろうとしている。

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