第426話 高潔

「分かったわ!」


急勾配の山道で、体力の無い子達には、かなり厳しい逃走ルート。坂を横へと進むより、一度平坦な地形に出てから南に移動した方が楽に進める。


「皆!もう少しで平坦な地形に出る!もう少し踏ん張ってくれ!」


ギャロザが村人達を鼓舞する。


「全然平気です!どんどん先へ進みましょう!」


「こんなの余裕ですよ!」


村人達から、元気そうな声が上がる。

しかし、見ていれば分かる。それは強がりであり、無理をしている。それでも、ここで休むという選択肢は無い。それを村人達も理解しているからこそ、無理にでも元気に振舞っているのだと思う。

そうでもしないと気持ちが切れちゃうのだと思うけど…本当に強い子達、これまで散々な体験をして来ただろうに、それでも、自分達の自由を守る為に、必死に体を前に進めている。


奴隷というのは、何か偶然が重なって、主となる人から解放されたとしても、逃げ出す事は許されない。それはどこでも大抵は罪になって、捕まれば大変な事になる。

それは、多分どの街に行っても同じだと思うし、それを助けているギャロザは、言わば犯罪者という事になる。

でも、奴隷の居ない魔族からすると、逃げようとしても仕方の無い事だと思える。彼女達も、他の人達と変わらない一人の人間。感情だって有るし、痛い事をされれば痛いし、悲しい。

中には、ニルちゃんのように、主人に恵まれて、幸せな人生を送れる人も居るけれど、それは本当に一握りの人達だけ。私とピルテが見てきた奴隷の人達は、その一握りには含まれない人達ばかりだったし、それが、魔界の外では普通。

でも、例えば、手を火に向けて、熱かったら反射的に手を引っ込めるように、苦痛からは逃げようとするのが生き物。その行動に罰を与えようなんて、おかしな話に聞こえてしまう。

それが戦争で、敵前逃亡なんて話なら、守るものが自分達の後ろに有るのに…という事で罪になるのは分かる。私達吸血鬼族も、家族を守る為、子供を守る為に、戦争を長く続けていた種族だし、今も魔族の為なら戦争に参加する人は沢山居る。

でも、奴隷は違う。彼女達が守りたいのは、自分の命。それを守る為に、苦痛の巣窟から逃げようとするのは、とても自然な事だと思う。

それを罪だの罰だのと……魔族と、魔界外のルールが違うのは分かるけれど、罪や罰という概念自体がよく分からなくなりそう。

多分、ギャロザも、シンヤさん達も同じ事を思って助けようとしているのだと思う。ただ普通に生きたいというだけの、彼女達のささやかな願いを叶えようとしているのだと思う。

彼女達も、ただ叶えて貰おうとしているのではなく、必死にこうして足掻いている。頼るだけでなく、自分達の手足で藻掻もがいている。

私には、それもまた、一つの強さなのではないかと思う。だって、強がって笑う彼女達は、私にはとても美しく見えるから。

魔族として生きていると、どうしても戦闘力や腕力としての強さばかりに目が向いてしまいがちだけれど、こういう強さの方が大切なのではないかと思う。

私は、こういう強さを持った人達を知っている。

アラボル様、シンヤさん。ニルちゃん。スラタン。ギャロザ。そして…死んでしまった私の部下二人。サザーナとアイザス。

そして、彼等の、その強さを表す言葉を、私は知っている。


高潔。


そういう強さを持っている人は、本当に強い。

叩かれても折れない、曲がらない強さを持っているから。

きっと、ピルテもそうなりつつある。

そして、私もそう在りたいと願っている。そう在ろうとしている。

だから、彼女達に生半可な言葉は掛けたりしない。

それは、彼女達の高潔な意志を踏みにじる行為だから。


「もう直ぐよ!」


「「「「はい!」」」」


彼女達の、歩みを止めないという意志のままに、私は前へと進み続け、やっと平坦な地形に辿り着く。


「さあ。手を。」


私は直ぐに後ろを向いて、次々と登ってくる子達に手を差し伸べる。これくらいの事なら許されるはず。


「着いたー!」


「おいおい!気を抜くなよ!ここからの方が大変なんだからな!」


何とか全員が平坦な地形に辿り着いて一息着いたところで、ギャロザが注意を促す。

あくまでもここは中間地点。ここから南下して敵の包囲網を抜けなければならない。危険になるのは寧ろここから。それでも、急勾配の坂道を、皆で登って来たのだから、一息着きたくなるのもよく分かる。少しくらい良いじゃないかと言いたいけれど、ここから先は、一瞬の気の緩みが死を招く。


「ギャロザの言う通りよ。厳しい事を言うかもしれないけれど、ここからは一瞬たりとも気を抜けないわ。危険な時は、私とピルテで身を隠す魔法を使うけれど、それも完璧とは言えないわ。一人一人が、しっかり気を付けて行動しないと、全滅してしまうかもしれないのよ。」


「全滅……」


村の子達は、互いに顔を見合わせる。


「本当に限界になれば、休憩を取ろうと思っているけれど、そうでなければ最後まで休まずに抜け切る。それが理想よ。

辛いのは分かるけれど、ここで生死が決まると言っても過言ではないわ。」


私の言葉に、皆が真剣な表情になって、ゴクリと喉を鳴らす。


一応、出発前に、危険だと感じた時は、私とピルテで、ダークイリュージョンという魔法を使い、相手の目を誤魔化すと伝えてある。当然、ダークイリュージョンという魔法についても説明してある。あくまでも認識を阻害するだけで、声は聞こえてしまうし、範囲内に入られてしまえば、こちらの姿が見えてしまうと。

私とピルテの援護だって完璧とは言えない。私達の力を過信してもらっては困る。


「そうならないように、気を抜かずに逃げるわよ。」


私の言葉を聞いた子達は、それぞれがゆっくりと頷く。それを見てから、私は南へ向けて足を進める。

村から見れば、かなり高い所まで上がって来た。周囲には、相変わらず木々が生い茂っていて、時折木々の間から見える景色の中に、キラキラと光る物が見える。

谷の反対側で移動している者達の鎧や剣等の金属が、光を反射しているらしい。シンヤさん達三人が戦ってくれているのだろうけれど、相手の数が多くてどうしても全てを止める事は出来ないし、抜けて来てしまうのは予想していた事だから、今更驚いたりはしない。まだ村付近には到達していないみたいだけれど、シンヤさん達が戦っている時点で、村人達が逃げている事には気付いているはず。

盗まれたと思っているザレインを探してなのか、ザレイン盗難による損害を取り戻す為に奴隷達を捕まえようとしているのか、それとも、私達を引き付ける為の罠なのか。その全てなのか…

シンヤさん達が戦っているというのに、それを無視して陣形を進めているところを見るに、少なくとも、奴隷捕獲も狙いの一つであるはず。急いで移動しなければ…


「急ぐわよ!」


「「「「はい!」」」」


ズンズンと突き進んでくる敵の動きを見て、私達は道無き道を進んで行く。

皆、無言のまま歩き、落ち葉や草を踏み、掻き分ける音だけがガサガサと耳に届く。


ドォォォォォン!!


少し後、村の方から爆音が聞こえて来る。


「お母様!」


「分かっているわ!ギャロザ!敵が村に到達したわ!」


「っ?!」


谷の反対側に光の反射が見えていた時から、それ程経っていないのに、もう村に到達したらしい。シンヤさん、ニルちゃん、スラタンの三人しか防衛線を作っている人がいないのだから、抜けられてしまえばそこからは早い。


ドォォォォォン!


もう一度爆音が響く。


「トラップに掛かってくれたのは良いけれど、予想より早いわ…」


後ろを見ると、村人達が肩を上下させて息をしている。


「出来る限り急ぐわよ!」


私は疲弊した彼女達に鞭を打つ言葉を投げ掛ける。

元気な声は返って来なかったけれど、皆一歩ずつ南へ向かって足を踏み出す。

出来る限り急ぐとは言ったけれど、恐らくこのままでは追い付かれてしまう。まだ距離は有るし、直ぐに追い付かれてしまうという事はないだろうけれど、本格的に、逃げる事より隠れてやり過ごすタイミングを考えた方が良いかもしれない。

私達の逃げて来た痕跡を消している暇なんて無かったし、今もずっと痕跡を残しながら歩いている。見る者が見れば、話に聞いていたハンドという連中でなくとも、痕跡を辿る事は容易いはず。


先程見えた光の反射と、村に設置しておいたトラップの発動。この二つの事象における時間の差と距離を考えると、村から追ってきて、私達に到達するまでは、二十分…いえ、余裕を持って考えるなら、十五分後には追い付かれてしまうと考えた方が良い。十五分で森を南へ抜けて、そのまま逃げ切るのは…恐らく不可能。必ずどこかで追い付かれてしまう。

それに、谷の反対側から見たところ、東側から迂回して南側、北側にも回り込んでいる部隊が居る。

包囲網を抜けられるかは微妙なところ。安全策を取るなら、どこかに隠れてやり過ごし、隙を見て逃げ出すのが……いえ、隠れていても、途中で痕跡が消えればその周辺を徹底的に調べられてしまう。そうなれば、村人全員が見付からずに逃げるというのは難しい。誰かが犠牲になってしまう。

どうするべきか、考えながら足を進めていると、あっという間に五分、そして十分が経過してしまう。

隠れるなら、そろそろ痕跡を消したり、相手を騙す為の痕跡を残したりしなければならない。


「……皆」

バァァン!


私が、安全策を取ろうとして、皆に隠れるように指示を出そうとした時だった。

私達の東側、少し先から火魔法が打ち上がる。

こんな森の中で火魔法を敢えて使う者は居ない。これは合図に違いない。


「これは…」


合図だと思った私は、合図の上がった東側に目を向ける。


「居た!」


「スラタン?!」


東側から物凄いスピードで向かって来たのは、スラタン。

両手に持っているダガーも、全身も、血を浴びて赤黒くなっている。


ザザッ!

「良かった!」


私の前で止まって、頬に付着している血を二の腕の部分で拭き取るスラタン。


「シンヤさん達は?」


「まだ前線で戦ってくれていると思う。詳しくは分からないけど…それより急いで!敵が直ぐそこまで来てる!」


スラタンが指で示したのは東側。囲い込みに来ている部隊が近くまで来ているらしい。


「それにさっきの爆発!ハイネさん達だよね?!後ろからも追われているみたいだし、早く逃げないと!」


「……スラタン。このまま抜けて、逃げ切れる相手かしら?」


スラタンは怪我をしている様子は無いけれど、激しい戦闘をしながらこちらに向かって来た事くらい分かる。スラタンの実力が有っても、私達に急いで逃げろと指示しなければならないとなれば、私達が森を抜けて、見通しの良い場所に出たら、逆に危険な状況になるかもしれない。

実際に刃を交えたスラタンなら、それが分かるはず。


「………………」


スラタンは黙って、少し暗い顔をする。


このまま私達が逃げても、逃げ切れないだろうという結論に至ったということに違いない。


「そう。分かったわ。」


「で、でも僕が!」


「村人全員を確実に守れると、言い切れるのかしら?」


「っ………」


「スラタン。貴方は本当に優しいわ。

自分の恐怖を押さえ込んで、他人を助けようと出来る人なんてそうはいないもの。でも、前のめりになってはダメよ。その時その時の最善策を、常に考えないと。」


「最善策……」


スラタンは、続く戦闘に興奮が冷めず、冷静な判断力を失いつつあるように見える。でも、それでは誰も助からないし、自分が生き残る事も出来なくなってしまう。

スラタンは、シンヤさんが認める程に賢い子。冷静に考える事さえ出来れば、今この時の最善策を導き出す事が出来るはず。


「……そうだね。頭に血が上っていたみたいだね……ふう……」


スラタンは一度息を吐き出して、体の緊張を解す。


「…………ハイネさん。」


「何かしら?」


「村人達を、もう少し南側で周りから見えないように隠す事は出来るかな?」


「ええ。可能よ。」


「村人達が、そこから真っ直ぐ南に向かって、森を抜けられるまではどれくらい掛かりそう?」


「そうね…ここまでのペースならば、二十分程度かしら。」


「二十分か……うん。それなら、まずはこれを。」


スラタンが私に渡してきたのは、ツインスライムが入った細長い瓶。この二体は主と従に役割が分かれていて、分けて瓶に入れると、従の個体が主の個体に向かって戻ろうとする習性を持っている。

その、主の個体を渡される。


「東側の連中が向かっているのは西。このまま囲い込んで円形の包囲網を作ろうとしているのだと思う。

となれば、敵の中央から見て、ここは『U』の字型陣形、その左の先端部分という事になる。」


「ええ。」


「このまま囲い込みに来た連中から逃げるには、包囲網の中に、村人達が居ると思わせる必要が有るよね。」


「…そうね。」


「僕が囮になるから、村人達を南へ逃がして欲しい。」


スラタンがそう言って取り出したのは、ボロボロの外套。奴隷の彼女達が身に付けている物によく似ている。

つまり、スラタンは、自分が奴隷の一人に変装して、彼等の目を自分に集めさせ、円形陣形の内側に逃げ、その隙に私達を南へと逃がそうというのだ。


「それなら私も一緒に行くわ。」


「ううん。それは必要無いよ。僕も時間を稼いだら離脱するつもりだからね。最速で逃げるなら、1人の方が良い。」


「……………」


「そんな怖い顔をしなくても大丈夫だよ。死ぬつもりなんて欠片も無いからね。引きずり回すだけ引きずり回して、さっさと撤退するから。」


「約束よ?」


「うん。約束するよ。」


「……分かったわ。

私達は少し南で隠れていれば良いのね?」


「うん。一所に固まって隠れていて。後のことは僕がやる。ハイネさん達は、隙を見て南へ逃げて。」


「分かったわ。」


単純に真っ直ぐ逃げるより、スラタンの作戦の方が、村人達を守るには良い。スラタン一人が危険に晒されてしまうという点だけは納得し切れないけれど、スラタンの実力ならば、私が居るより一人の方が脱出出来る確率が高い事は明白。ここで私がスラタンを引き止めるのは、寧ろ彼を危険に晒してしまう。だから、私は私で、やらなければならない事をやる。


「皆!急いで南へ!ピルテ!ダークイリュージョンを展開するわよ!」


「はい!」


スラタンはその場に残り、私達は少しだけ南へ移動する。

一気に南へ向かわないのは、痕跡を残さない為だったり、移動中にダークイリュージョンを展開して隠れるのは難しいから。

もしどちらにしろ見付かるならば、スラタンの近くで見付かった方が被害は少ないはず。


私とピルテは、一箇所にまとまった村人達を覆うようにダークイリュージョンを発動させ、口元に人差し指を当てて静かにするように伝える。

奴隷の子達は、緊張した面持ちで口を閉じる。


スラタンは、ボロボロの外套を被り、フードを目深に下ろす。


ガサガサッ…


近くで物音がして、視線を向けると、スライムが数匹、周辺の植物を消化しながら移動している。スライム達が私達の痕跡を消してくれているらしい。これで、私達がここに隠れている事が、直ぐにバレるということは無いはず。


離れた場所に一人立っているスラタンが、ピクリと肩を震わせる。


ザッザッ…


遠くから聞こえて来る重たい足音。金属製の鎧を着た者の足音に違いない。という事は、無違いなく敵。


まだ音しか聞こえないけれど、こちらに向かっている事だけは分かる。スラタンも、スライムを通して敵の位置を把握しているみたい。でも、動こうとはしない。私が音を拾っているのは、吸血鬼族で耳が良いからであり、普通は聞こえない音のはず。その距離で反応してしまえば、スラタンがただの奴隷には見えなくなってしまう。もっと引き付けなければバレてしまう。


「……………」


隠れている全員が、緊張で息を止めてしまう程の緊張感。静かにしなければならないと思っていると、自分の心臓の音や呼吸音が大きく聞こえてしまう。


一…二…三……


視界に入り始めた敵の数を心の中で唱えていく。


私が感じ取れた敵の数は十五人。それに加えて、何人か隠れているような気配を感じる。どこに隠れているかまでは分からないけれど、多分、数人は気配を殺して潜んでいるはず。


「っ!!」


スラタンがわざとらしく驚き、体をビクンと跳ねさせる。そして、走り出し、西へと向かう。


「逃がすな!」


スラタンならば、誰も追い付けない速度で走れるのに、敢えてゆっくりと走っている。足の速い獣人族ならば、これくらいの速度は出るだろうという絶妙な速度。相手もただの獲物としてしか見ていない。


ザザザッ!


次々とスラタンの後を追って西へと走って行く敵兵達。

スラタンは追い付けそうで追い付けない距離を保って走って行く。


「「「「…………………」」」」


一人、二人と見えなくなり、周囲に静けさが戻って来る。


何とかなったと、ギャロザが動き出そうとする。それを、私は手で制する。


「??」


何を警戒しているのか分からないと言いたそうなギャロザの表情。でも、私もピルテも、ここにはまだ敵が潜んでいる事に気が付いている。


「…………………」


私がじっと、誰も居なくなった森の中を見詰めていると、皆がまだ行かないのかと、疑問と焦燥が混じった表情を向けて来る。それでも、私はただ黙って森の中を見詰め続ける。

すると、数分後。


「この辺りで痕跡が途絶えてるのだが…誰も居ないみたいだな。」


木の影から、三人の男が現れる。そのまま三人は話しながら、私達の方へと向かって歩いて来る。

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