第417話 成長

「クソッ!毒だ!吸い込むな!回り込め!」


ゴウッ!


毒の胞子を避けて追い掛けて来ようとした盗賊達の目の前で、突然胞子が全周に勢い良く広がり始める。


「な、なんだっ?!」


「うわあぁ!来るな!来るなぁ!」


突然動きが活発になった毒の煙に、盗賊達は翻弄されている。


前に視線を戻すと、ニルの手元から魔法陣が消えて行くのが見える。毒煙瓶を投げたと理解した瞬間に、風の魔法陣を描き始め、被害を拡大させてくれたらしい。

ここまで頼りになるパートナーは、ニル以外には絶対に居ないと断言出来る。

視線で礼を言うと、ニルは嬉しそうに視線で返事をして前を向く。


「私達も置き土産よ!」


ハイネとピルテも、ダメ押しだと魔法を発動。

黒い薔薇の蔦が背後に出現する。


吸血鬼魔法、ダークローズイヴィ。前は痺れ毒で身動きを取れないようにしていたが、今回は相手を死に至らしめる毒が入っている。


「くそっ!邪魔だ!」


「切れ!切っちまえ!」


よく分からない魔法に対し、よくもまあそこまで強気に出られるものだと感心してしまう。

残念ながら、ダークローズイヴィに触れ、傷を受けた者達は、それ以上俺達を追ってくる事は出来ないだろう。


「最後は僕が!」


スラたんが何本かの試験管型の瓶の蓋を開き、真後ろに広がるように中身を排出する。中身が全て排出されたと思ったら、スラたんの体が消えて、少し離れた位置に現れたスラたんが、また同じように地面に何かを撒いている。

試験管の中身は、水色の粘液。恐らく普通のスライムの溶解液だろう。


【溶解液(スライム)…スライムから作り出した溶解液。あらゆる有機物を溶かす事が出来る。】


俺達が欲しい何でも溶かす溶解液とは違うが、普通のスライム溶解液でも実に有用である。例えば、今回のように地面に撒いて、その上を追手が走ったりすると…


「……な、なんだ?!」


急に追手の連中の足が遅くなる。振り返って見ると、皆自分達の足を見ている。

よく見ると、靴の底が無くなって、素足が見えている。


「殺したりは出来ないけど、足止めには十分だよね?」


「ああ。よくやってくれた。」


「よっし!」


相変わらずスラたんは、自分自身の攻撃以外では、極力人を傷付けないようにしている。殺すのに未だ抵抗が有るのもそうだろうが、容赦無く、自分自身が研究結果で相手を殺し始めたら、研究者として戻る事が出来なくなる…と思っているのだろう。

人によって、その考え方は違うのだが、スラたんの場合は、そこに一線を引いているのだ。

それがスラたんにとって良い事なのか悪い事なのか分からない。その考えが、彼自身を傷付ける時が来るかもしれない。でも、それが彼の……スラたんの、研究家としてのだと言うのならば、それは出来る限り守るべきだと俺も思う。そして、それを共に守ってやる事が俺の…男としての矜恃…なのだと思っている。


不思議なものだ。


向こうの世界に居た時は、周りに味方など居ないと思っていた。

俺は常に一人で、周りは敵ばかり。他人を信じれば信じるだけ騙され、傷付けられ、その度に生きる価値が無い人間だと言われていると感じていた。

それはスラたんに対しても同じ事だ。ネットの中という事もあったが、何かを期待したり、信用したりはした事が無かった。

ファンデルジュというゲームの中で、スラたんは仲が良かった方だと思う。マブダチだと言い続けるスラたんの事も、会話上のスパイスくらいにしか思っていなかった。いや、恐らくスラたんとしても、それくらいにしか思っていなかったと思う。

それが……こちらの世界に来てから、ゲーム内でスラたんと過ごした時間の半分も無い時間で、スラたんの矜恃さえも守りたいと思っている。

血の通った肉体を前にして話をしているからだろうか?それとも、命を預け合って戦ったからだろうか?

多分、それらも大きく関与しているだろう。でも、一番は……


カチャッ…


自分の胸元に手を置いて、首元にある青い石と小さな角が触れ合う音を聞く。

人として大切な事を教えてくれた人達が、今の俺には居る。それが俺の考え方を変えてくれたのだと思う。


俺にだけ鬼畜仕様で、バタバタと人が死に、胸焼けするような嫌な話ばかりの世界。普通ならクソゲーだと投げ出すような世界。

それでも、俺にとっては…


「森へ入るわよ!」


ハイネが叫ぶ声に意識が引っ張られる。


物思いにふけっている場合ではない。


後ろを見ると、追手との距離はかなり離れている。このまま森に入り、更に距離を取れば、完全に追手を引き剥がす事が出来るだろう。だが、もう一手。それでもっと楽に引き剥がす事が出来る。


「トラップ魔法を適当に展開しながら走る!皆はモンスターや他の追手が居ないか注意してくれ!」


「走りながら魔法陣を描くなんて、シンヤ君も無茶な練習するよね。」


走りながら魔法陣を描く場合、手が滑って魔法陣が完成せず、消えて行けば良いのだが、完成はしたが、上手く狙いを定められず、暴発という事も有る。正直なところ、それで何度か自分を吹き飛ばして怪我をした事も有る。スラたんが言っている無茶というのは、その事だ。


「無茶をして切り抜けられる危険が有るなら、無茶をするべきだろう?」


それでも、ここまで、それくらいの事はしなければ、切り抜けられない状況ばかりだった。必要に駆られて…というやつだ。


「……僕も、シンヤ君も、あのゲームにハマるくらいだから、ドM気質なのかもね。」


「負けず嫌いと言ってくれ。」


「ははは。そうだね。

周りの事は任せて!シンヤ君の安全は確実に保証するよ!」


「頼んだぞ!」


俺は次々とトラップ系魔法を発動させながら木々の間を走り抜ける。


「右前!モンスターよ!」


「僕が行く!」


「左手側!数が多いわ!」


「煙幕を張ります!」


木々の横を抜ける度に、森の奥へと入って行く事になる。それはつまり、モンスター達の生活圏に近付くという事だ。モンスター達も突然の侵入者に対して、攻撃を仕掛けて来る。走りながらだと、その一瞬、一瞬の判断が結果に大きく関わって来る。

それでも、俺を抜いた四人は、的確に、そして迅速にモンスターを処理する。

モンスターは、俺に傷を付けるどころか、近付く事さえ出来ない。


「ぐああぁぁっ!」


「トラップだと?!いつの間に?!」


「くそっ!この奥に仲間が居るんじゃ!?」


後ろの方から微かに声が聞こえてくる。


トラップを走りながら仕掛けているとは思っていないらしく、俺達がザレインを盗んだ者達の仲間だと誤解してくれたようだ。

そうなると、追手の連中の頭の中には、いくつかの考えが浮かんで来ているだろう。

トラップを事前に仕掛けていると考える者も居るだろうが、仲間が奥に居て、そいつらがトラップを所定の場所に設置。俺達はそれを回避しつつ進んでいる。もし、このまま強引に追い続ければ、自分達は敵陣の真ん中に引き込まれてしまい、一気に殺されてしまうのではないか…?そう考えるだろう。一瞬でもそんな事が頭の中に浮かんでしまうと、無意識に、足が重くなる。

死ぬかもしれないと分かっている場所に走り込むくらいならば、逃がしてしまった方が…そんな考えが過ぎると、更に足が進まなくなる。

俺達のやっている事は何一つ変わっていないのに、距離がどんどん離れ、足を止める奴が一人、また一人と増えていく。

そうなってしまえば、後は早い。最初の一人が諦めると、それに引っ張られて次々と追跡を諦め、あっという間に追手が居なくなる。


「思ったよりも早く諦めましたね。」


やっと落ち着いて話が出来る状況になったところで足を止める。


「後は隠密系の追跡者が居るかどうかだが…」


「それについてなんだけど。」


スラたんが小さく挙手する。


「この辺りには結構スライムが生息しているみたいでね。走りながらも集まってもらったんだけど、今はピュアたんを中心に広がってもらっていてね。

絶対とは言わないけど、何か来たら分かると思う。僕も初めての試みだから、あまり信用されると困っちゃうけど…」


「そんな事も出来るのか…?」


「スライムの事をピュアたんが感じて、僕がそれを感じ取る…という流れになるから、正確に読み取れるのか分からないし、どうなるのか分からないよ?」


「でも、試してみる価値は有るな。上手くいけば、街中では使えないかもしれないが、スライムが居てもおかしくない環境なら、最高の索敵能力になる。」


「あんまり期待されると、上手くいかなかった時が怖いから、期待し過ぎないでね?」


「取り敢えず、目的地までは試験運用という事で、ハイネ達の索敵と同時に試してくれ。上手く機能しそうなら、スラたんとスライム達に任せてみよう。」


「き、緊張してきた…」


「大丈夫よ。最悪、私達も居るし、そんなに緊張する事は無いわ。と言っても、ピルテが気付けない相手となると、私も気付けない可能性が高いけれど…」


「凄く緊張してきたよ?!」


スラたんは、かなり緊張していたが、スライム達の索敵能力は実に優れており、実用に足るものだということは直ぐに証明された。

元々、スライムはモンスター全体で見ると弱い部類のモンスターである為、索敵能力が高く、それが起因しているのではないかということだ。何にせよ、優れた索敵が出来るのは本当に有難い。俺達はスラたんとスライム達の索敵能力を信じて、予定していた元ハンディーマン達の拠点へと向かった。


ギャロザから聞いていた元拠点はいくつか在ったが、俺達が選んだのはポナタラから見て南西に位置する廃村。

遠回りをしながら、目立たぬように、慎重に移動し、その日の夜に到着する事が出来た。

ギャロザの話では、かなり昔に放棄された村で、原因はハンディーマン。既に人が居なくなってからかなりの時間が経っており、村は森に取り込まれ、今では村が在ったという痕跡のような物が残る程度となっている。

当然、建物のような物は一切無く、畑が在ったであろうスペースと、建材として使われていたであろう木材が、地面から生える植物の中にいくつか見て取れるような状況である。

そこが廃村だという事を知らなければ、森の中に出来た木々の少ない小さなスペースのように見える事だろう。


ギャロザが紹介してくれた場所なのに、何も無い場所というのは不思議に思うかもしれないが、実はこの辺りにはニガスメ草が生えている。

モンスターの嫌う臭いを発生させる植物で、天然のモンスター避けだ。

ニガスメ草は、この村が作られた時から生えていた…というより、ニガスメ草が生えていたから村がこの場に出来たらしく、村が無くなっても、ニガスメ草だけは残り続けているという事だ。

ギャロザはそれに気が付いて、ニガスメ草を管理し、モンスターの寄り付かない場所として、逃亡者の休憩所的な扱いをしているらしい。

奴隷や借金取りから逃げる人達は、馬車など持っていないし、広大な土地を歩いて移動する事になる。しかも、人に見付からないように、森の中を。そうなると、こうして森の所々に休憩所が在るだけで、かなり楽に隠れ村まで移動する事が出来るようになるのだ。

つまり、俺達は、その休憩所の一つを少しの間借りるという事になる。


「魔法で拠点を作りますか?」


「…いや。それは止めておこう。」


ピルテの言葉に、俺が返す。

何も無い場所で雨風を凌ぐとなれば、土魔法か木魔法辺りで簡単な拠点を作った方が良いというのは間違っていない。しかし、ここは力が無く、逃げるしか出来ない人達が中継地点として使う場所。下手に痕跡を残し、それが盗賊達に見付かってしまえば、俺達ではなく、今後ここを使用するかもしれない人達に被害が出てしまう。


「極力人の痕跡は残さないように滞在するぞ。」


「……あっ!そういう事ですか!」


ピルテも、俺の意図が理解出来たらしい。人差し指を立てて眉を上げている。


「でしたら、テントが良さそうですね。火を使う時も、出来る限り痕跡が残らないように、魔法を使って…いえ、魔具の方が良いでしょうか?」


「その辺はニルと相談して決めてくれ。痕跡が残らなければ、どうやっても構わない。必要な物で、俺が用意出来る物は全て用意するから。」


「わ、私達が決めて良いのですか…?」


「ふふふ…」


ピルテが少し不安そうにしているのを、ハイネが嬉しそうに笑って見ている。


「シンヤさんの信頼に応えないといけないわね?ピルテ。」


「…あっ!」


俺が任せると言った意味を、ハイネに言われて正確に把握したピルテ。


「ニル!」


「はい!完璧な物を作りますよ!」


「ええ!」


既にやる気に火が着いているニルに声を掛けたピルテが、両手を拳にして気合いを入れている。

今回の件でもそうだったが、ピルテはハイネも俺も居ない状況下でよくやってくれた。詳しい話は聞いていないが、スラたんと協力して領主を捕まえてくれた。それに、俺が予想していたよりも早く。

あれだけ早く事を進めてくれたのだから、ピルテの頑張りも大きいはずだ。そしてそこには、言われた事をこなすだけではなく、自分で考え、行動したという過程が存在している。

その過程は、ニルのライバルとして、ニルに負けないように努力した結果である。それくらいは俺にも分かる。そして、ハイネもピルテを独り立ちさせようとしている。そこに俺が蓋をするわけにもいかない。

ニルもピルテと居ればまだまだ伸びていくはずだ。であれば、下手に手を出すより、二人に任せるのが良い。そう考えるのは普通の事だろう。今はまだ、戦闘に直結する事は任せていないが、近いうちに、それも可能になるはず。そうなれば、このパーティーの戦力はかなり強化されるだろう。


「僕はスライム達の配置を確認してくるね。」


「ああ。頼んだ。」


ニガスメ草は、モンスターの嫌う香りを放つ植物であり、スライムのように嗅覚の存在しないタイプのモンスターには効かない事が多い。つまり、スライムは自由に出入り出来る。俺達の周辺には、スライムが何匹か見えているが、森の中にも配置して、索敵し易い形にしてくれるという事だろう。スライムの事はスラたんに任せておこう。


「シンヤさん。ありがとう。」


スラたんの背中を見送った後、小さな声でハイネがお礼を言ってくれる。ピルテとニルに拠点作りを任せた事に対しての礼だろう。


「いや。俺達全員にとってプラスになる事だ。礼は要らないよ。」


「それでも、ありがとう。」


「……………」


ハイネは俺の言葉に被せて礼を言う。その顔は笑顔で、その笑顔には優しさしか見えなかった。


「私達が魔界を出た時…正直な話、私は不安で一杯だったの。」


二人で話し合いながら、ランタンの光の元、どうするかを決めているピルテとニルを見ながら、ハイネが珍しく弱気な事を言う。


「私に出来るのか…上手く出来るのか…本当に不安だったわ。

私は薄血種の吸血鬼。大した力も無いのに、よく知らない魔界の外に出て、自分よりも優れているお方を探し出そうとしているのだから、不安しか無かったわ。」


「……たったの四人。他にも味方が居るとはいえ、同行はしていないし、黒犬も放たれた。それは不安だろうな。」


「そして、その不安が的中して、部下の二人が亡くなった時、私は心底自分を恨んだわ。私のせいで殺してしまった…とね。いいえ。今でも、こんな自分を恨んでいるわ。」


「………………」


未だに、彼女の心の中には、部下を殺してしまったという棘が残っている。いや、消え去る事は無いだろう。


「それからは、ずっと暗闇の中に居たわ。物理的な意味でも、精神的な意味でも。」


ニルが持っているランタンの光が、ハイネの真っ赤な瞳に当たり、ユラユラと反射している。


「アラボル様は見付からないし、手掛かりも無い。窒息しそうな程に息苦しい毎日だったの。

ピルテは、そんな私を見て、自分がマジックローズを確保してくるからと外に出る事を申し出たくらい酷かったのよ。」


「それで、ピルテは花屋に一人で居たのか…」


「ええ…そんな時に現れたのが、シンヤさんとニルちゃんだったわ。」


最初の出会いは、最悪だった。


俺とニルは、事件の犯人を捕らえる為に向かい、魔族の事を守る為に、俺達を殺そうとしたハイネ。よく覚えている。


「いきなり攻撃して来たからなー…」


「あ、あれは…その…ごめんなさい…」


悪い事をしたと思っているのか、珍しくしゅんとした顔をするハイネ。


「ハイネのそういう顔はあまり見ないから、なかなか新鮮だな。」


「っ!?もう!シンヤさん!」


悪戯だと気が付いたハイネが、頬を染めて恥ずかしそうにしつつも眉を寄せる。


「ははは。すまんすまん。ちゃんと聞くよ。それで?」


「…もう……」


ハイネは少し呆れたように笑い、気持ちを戻す。


「……シンヤさんとニルちゃんが現れたあの時、私は、先の見えない闇の中で、ただもがき苦しんでいたわ。

いつまで経っても光なんて見えない。最初からそんな物は無かったのかもしれないって、諦めかけていたの。

でも、違ったわ。」


ハイネは、一度目を瞑り、開くと同時に俺に視線を向ける。


「私の元に、二人が来てくれた。」


ハイネの瞳には、色々な感情が混ざっているように見える。その全てを汲み取ることは出来ない。


「こんなに長く生きてきたのに、間違っていると怒られて、ハッとしてしまったわ。

私は一体何をしているのだろう…ってね。

娘であるピルテに気を使わせて、何も出来ない自分を嘆いて……結局、二人を連れて来てくれたのもピルテだったわ。」


「…………………」


ハイネの目を見ていると、もう俺の口から悪戯の言葉は出なかった、

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