第383話 憎しみと愛

「人を失った悲しみというのは、なかなか軽減しないものだからね…」


「あれから随分と経った今でも、思い出すと寂しく感じてしまうよ…

でも、ずっと落ち込んでいるわけにもいかないし、仕事も有るからね。何とか忙しい毎日を乗り越えようとしていたんだ。

そんな時に出会ったのが、スライムだったんだよ。」


つまり、そんな時に始めたのが、ファンデルジュだったんだろう。スラたんの気持ちは何となく分かる。俺も、同じ穴のムジナだから。


「正確には、スライムに興味を強く引かれたのが、その時だったんだ。」


「何故、スライムだったのですか?」


「どうして…かな。自分でもよく分からないけれど……どこか、自分と似ていたからかな?」


「スライムとスラタンが似ている…?」


「見た目じゃないよ。何て言えば良いのかな……スライムって、最弱とまでは言わないけれど、凄く弱い生き物だよね。モゾモゾして、食べるだけの弱い存在。溶かす以外の力は無くて、とても非力。

…僕も、学んできた薬学しか取り柄なんて無くて、世間から見れば一般的な一人の男。そして、祖父や祖母を助けられない程に非力だからね。」


「ですからそんな事は!」


「卑屈になっているわけじゃないよ。」


ピルテが否定しようとしたが、スラたんは首を振る。


「人の持つ力なんて、一人ではどれだけ高めたってたかが知れていると思う。僕じゃなくても、非力なのは同じさ。一人に出来る事なんて、限りがある。

世界中の人達を助けよう!なんて、出来るはずが無いんだ。自分の手の届く距離に居る人達だって、ろくに守れない事だって有るくらいなんだからね。

でも、だからって諦めるのは間違っていると思うんだ。弱いからって、何も出来ないわけじゃない。何も持っていないわけじゃない。

それを証明したかったのかもしれないね。」


「…………………」


「スラたんの両親はどうなったんだ?」


「祖父母の葬式には来なかったよ。その後どうなったかは知らない。もしかしたら、どこかで野垂のたれ死んでいるかもしれないね。」


「そうか……」


「冷たい人間だと思うかい?」


「そんな事を思う者は、この中には居ないさ。」


そこまでされた両親の事を、知りたくないと思うのは当然だ。誰が冷たいなどと思うものか。


「そうですよ!冷たいだなんて思うはずがありません!」


「そうね。私ならボコボコにしているところだわ。」


「ハイネさんも、ピルテさんも、ありがとう。」


少し照れ臭そうに笑うスラたん。


「少し話が逸れちゃったけれど、そんな理由があって、僕は薬物というのをどうしても許せないんだ。あれは人を不幸にするからね。それが使用者だけなら自己責任って事で何も言わないけれど、不幸になるのは周りの、罪の無い、何も知らない人達ばかり。僕としては、どうしてもそれは看過できない。」


実際に、そういう者から被害を受けた事が有るからこそ、スラたんとしては、同じ様な被害者を出したくないと思えるのだろう。


「幸い、僕は薬学にはそれなりに詳しいからね。多分役に立てると思うよ。

そして、僕は、もう一つ力を持ってしまったからね。」


そう言って自分の腰にぶら下がるダガーに触れるスラたん。

向こうの世界では無かった身体能力が、この世界では手に入った。


「自分が強いなんて思っていないし、世界中の人達を助けようなんて大きな事は言えないけれど、僕の能力と力で助けられる人は助けたい。」


スラたんの目には、決意が感じられる。


「本当はもう少し早く話をするつもりだったんだけど……なかなか勇気が出なくてね。

でも、さっきのイヴィツリーとの戦いで、決心出来たよ。」


「スライムで作ったアイテムが通用すると分かったからか?」


スラたんの使っていたアイテムには、かなり興味が有る。今までのキノコやカビから作ったアイテムも十分使えるが、スライムから作り出したアイテムも、かなり有用なはずだ。

スラたんが決意したのは、それらのアイテムが、イヴィツリーとの戦いを通して、戦闘の中で十分通用する物だと確信を持てたからだろうか…と考えていたが、全然違った。


「いや。シンヤ君とニルさんを見たからさ。」


「わ、私ですか?」


ここまで静かに話を聞いていたニルが、突然話題に挙がって驚いている。


「うん。」


「いや、俺達はスラたんに影響を与えるような何かをした覚えは無いぞ…?」


「シンヤ君とニルさんにとってはそうだろうね。

でも、その当たり前にやっていた事が、とても凄かったんだよ。

シンヤ君が狙われた時のニルさんの反応の速さ。自分よりも大きく力の強い相手に対して、一歩も引かない姿勢。自分を殺せる程の相手だと分かっていたはずなのに、一瞬たりとも怯まなかったよね。

きっと、それは何かあればシンヤ君が助けてくれる。そして、自分がシンヤ君を守ってみせる。そういう意志の表れに見えた。

そして、それを見たシンヤ君は、助けるでもなく、全てを任せた。危険な相手を前にしているパートナーが目の前に居て、それでもやってくれると信じ切っていた。ううん。ニルさんなら出来ると確信していたように見えた。

戦闘において、絶対なんて存在しない。それがレベルの高い戦闘になれば尚更さ。

そんな相手との戦闘なのに、二人の動きには迷いが無かった。お互いの距離が物理的に離れていても、そこには強い絆が有ると、僕には見えたんだ。

あれ程の信頼関係を築くのに、一体どれだけの修羅場を抜けて来たのだろうと、そういう事に疎い僕でも考えさせられたよ。

僕と同じ様な状況にあって、僕よりもずっとシンヤ君は…そうだな……。と表現するのが一番正しいかな。」


「生きている…?」


「文字通りではないよ。何て言うのか、シンヤ君は、今この時を、誰よりも懸命に生き抜こうとしている…そう感じたんだ。」


「まあ…色々と懸命にならざるを得ない事を体験して来たからな。」


「僕にだって、そうならざるを得ない状況は有ったんだよ。でも、そうはせずに、ここに引き篭ったんだ。」


「戦闘を避けるという意味では、俺よりスラたんの方がずっと賢明だと思うぞ?」


「……でも、それでは逃げているだけの時間が過ぎて行くだけなんだ。それに気が付いたんだよ。

だから、僕も一緒に戦いたい。出来る限りの事をしたいんだ。」


「それは、スラたんの祖父母が望んだ生活ではないと思うぞ…?」


「それは、での話さ。こっちに来た時点で、根本から話が違うよ。

ただ、祖父が言っていたように、恨みで剣を振る事は出来ないかもしれない。時には剣を振る手が鈍るかもしれない。それでも、ここでじっとしている十年より、幾分かマシな人生になると思う。」


一瞬だが、スラたんがストロブで聞いた、『死んだら元の世界に戻れる。』という言葉をどこかで信じていて、死んでも大丈夫だと思っているのだろうかと考えた。でも、そんな事は無いと、目を見て直ぐに分かった。スラたんの目には、終始決意が宿っている。


「祖父が僕を守る為に立ち上がったように、僕も守れる人を守る為に立ち上がりたい。そういう大人に憧れたんだから。」


スラたんは強く拳を握っている。きっと、一世一代の決断なのだろう。いや、覚悟と言うべきだろうか。


「ふふふ。ご主人様の負けですね。」


俺が答えを出すより先に、ニルが笑って言ってくる。


「ご主人様は、今のスラタン様のような目に弱いですからね?」


俺の事を、俺より知っているニルが、どこか嬉しそうに視線を向けてくる。


「ニルには何でもお見通しだな…」


「じゃあ!」


俺の反応に、スラたんの顔が明るくなる。


「連れて行くのは良いが、幾つか条件が有る。」


「条件…?」


「まず、ザレインに関する事件、これについては協力してもらうが、そこからは一度別れる事になる。勿論、スラたんの行先も、その後の対応も、俺の方から頼んでおくから、放置される事は無いが、暫くは俺達と別々で行動する事になると思う。」


ザレインを使って暴れ回っているのは、ハンターズララバイ、黒犬、フヨルド、この三つの勢力だとした場合、黒犬が魔族にまで危険を持ち込むとは思えないし、この三つの勢力を片付ければ、そこで一区切り付くはずだ。

その後、予定では魔界に行き、魔王を助ける。しかし、これは魔族の問題であり、あまり他種族が関わるのは宜しくない。何より、スラたんには完全に無関係な一件だ。付き合わせる必要は無い。

そして、スラたんはストロブの情報を多少なりとも保有している。大同盟側から見れば、何としても話を聞いておきたいはず。今後の戦争における計画、その立案や決行に大きく関わってくるからだ。出来れば今直ぐにでもプリトヒュの元に向かって欲しいところだが、覚悟を決めてしまったスラたんに、それを言っても頷いてはくれないだろう。

加えて、神聖騎士団との戦争が控えている中、プレイヤーとして活動していた者が仲間になったのは、奇跡的な事だ。聖騎士についてや、その他諸々、元の世界について知る人物が、大同盟陣営に一人は居た方が良い。もし、俺が魔界で死んだとしても、スラたんが残っていれば、色々と役に立ってくれるはずだ。少し情の無い考え方かもしれないが、世界規模の戦争が起こるという時に、四の五の言っていられない。


「……分かったよ。僕としては、ザレインと神聖騎士団。この二つをどうにかしたいという思いだから、それに尽力出来るなら、我儘は言わないよ。

それに、僕はここで十年生きてきたんだ。人付き合いに戸惑う事はあっても、一人になって寂しいなんて言わないよ。」


最後のはただの冗談だ。

共に行くと決めて、冗談が言えるだけの余裕が有るなら、心配する必要も無いだろう。


「さてと…スラたんが一緒に戦ってくれるとなれば、ここに居る必要も無いよな。」


「あー…でも、実験は終わっていないし、必要な物が完成するまでに必要な薬草は採取しておきたいかな。特に、サプレシ草は、ここでしか見ない種だから、出来る限り採取しておきたいな。」


「そう言えば、スラたんが使っていたアイテムも、ここで作ったんだよな?」


「うん。ここには沢山のスライムが居るからね。それぞれの特徴的な能力から力を借りて作ったアイテムなんだ。と言っても、死骸から取れる物を使っているから、効力は随分と落ちるよ。」


「……それって、サプレシ草が手に入れば、効力を増大させる事も出来るのか?」


「んー…多分?それもやってみないと分からないけど…」


スラたんは困った顔をする。このタイミングで困った顔をするという事は……


「やはり、人に使うのは嫌か?」


スラたんは、戦う事を決めたが、信念を曲げたわけではない。自分の作った物を、兵器として使わせるのには抵抗が有るらしい。


「僕も覚悟は出来ているよ。これから沢山の人達と戦うだろうってね。

でも……殺す時は、自分の手で。殺した人の命を奪った事を、背負うべきだと思っているんだ。甘い…よね。」


「……甘いな。」


「シンヤさん?!」


容赦の無い俺の言葉に反応したのは、ピルテだった。しかし、それに対してスラたんが言葉を被せる。


「いや。ピルテさん。今回はシンヤ君が正しいよ。僕達がやろうとしているのは、戦争だ。街のいざこざなんてレベルじゃない。

多くの人が死ぬんだ。それは敵も味方も同じさ。そして、敵は手段を選ばない神聖騎士団。本当に人を助けたいと思うなら、一気に相手を叩き潰す力を使うべきだよ。」


相手が戦う気を失う程の力を見せれば、その時点で戦争は終わる。より早く戦争を終結に導く事が、より多くの命を助ける事に繋がる。

スラたんの研究が、そこまでの力を持っているかは別として、今までに無い力である事に間違いはない。

大きく敵軍の数を減らす助力になる事は間違いないだろう。

神聖騎士団を相手にしているのに、武器を使うのを躊躇っていれば、被害を受けるのはこちらだ。それを甘い考えだと言わずして何と言おう。

そういう甘さは、味方も、自分達も傷付ける。


「相手は手段を選ばない神聖騎士団や盗賊だ。そんな事では確実に死ぬぞ。」


スラたんがこの場所に残り続け、戦いには参加しないと言うのであれば、スラたんは一人の研究家であり、非戦闘員だ。その技術を使う、使わない、公開する、しないも、全てスラたん次第だと思う。

人に対して使わないという信念も分かるし、技術者として立派だと思う。しかし、戦いの場となれば話は変わってくる。

命と技術。天秤が技術に傾く事はまず有り得ない事だろう。そんな甘い考えでは近く命を落とす事になる。


「だが、その後の事を考えるなら、無闇矢鱈に技術を公表するべきではない…というのも間違っていないとは思う。」


スライムに含まれる微生物を使った兵器。要するに細菌兵器を作り出せば、今回の戦争以外の争いでも、大量の人が死ぬ事になるかもしれない。その種を撒くのは、とても危険な事だ。


「そこで、俺と同じ様に、技術の公表は一切しないという取り決めを、大同盟の方にしてもらおうと思う。」


俺の作り出す物もまた、危険な物になる可能性が高い為、プリトヒュに頼んで、技術の公表、催促を一切受け付けないという取り決めを大同盟にしてもらっている。完全にプリトヒュ任せだったが、何とか上手くやってくれたらしく、そう言った催促は一切無い。

これを、スラたんにも適応してもらい、技術を用いる事や、公表する事全てを、スラたんの意思に任せるのが、一番良いのではないかと思う。


「大同盟?」


「簡単に言えば、神聖騎士団の好きにはさせない!っていう種族が集まって、組んだ同盟だな。」


「そんな大きな同盟に、意見を申し立てて受け入れられるの…?」


「俺はそういう契約をしているから、スラたんにも適応させる事は可能なはずだ。」


「シンヤ君って……何者?」


大同盟の発足に、俺も少なからず関わっているし、獣人族王の娘であるプリトヒュと繋がっている為、普通の冒険者とは言えないだろう。しかし、敢えてどんな存在かと言われても、答えられないわけで…


「さあ…?自分でもよく分からないな。」


という答えになってしまう。


「ち、力の抜ける答えだね…」


「悪いな。本当に自分でも何と言えば良いのか分からないんだ。」


「別に良いよ。シンヤ君が只者では無い事くらい、ずっと前から知っているからね。」


「まあ、これで、技術を公表したり、世界に大きな影響を与える事は無くなるはずだ。ただ、戦いの中で使うのを躊躇うのは、危険過ぎる。」


「………そうだね。覚悟が出来ているなんて、僕の妄想だったよ。それこそが、覚悟…だよね。」


「シンヤさん!スラタン様は!」


ピルテとしては、先程の祖父母の話を聞いた後に、それでも人を殺す為に技術を使わせるという事に納得していないらしい。元々は祖父母を助けようと学んだ知識なのだから、人情としてはピルテの意見に賛成だが、スラたんの身の安全を考えるならば、それは優しさとは言えない…と思う。俺も、そうして力を行使する事に躊躇していれば、死んでいた場面など腐る程にあったのだから。何より、理由は違えど、力を出し惜しみしたせいで、目の前で助けられた命を奪われてしまった。


俺は首に掛けたネックレスに手を伸ばす。


「ピルテさん。気持ちは本当に嬉しい。会って間も無いのに、僕の事まで考えてくれて本当にありがとう。でも、シンヤ君は、僕の為を思って言ってくれているんだ。やっぱり、シンヤ君が正しいよ。」


「スラタン様……」


「ここはもう、祖父母が居た場所じゃないんだ……僕は、研究家ではなくて、一人の兵士として立つと決めた。当然死にたくはない。だから、危険になれば、躊躇ったりはしないよ。約束する。でも……出来る限りは使わない。それで許してくれないかな?」


「戦い方にまで口を出す気は無いさ。使わなければならない時に使う覚悟が決まったなら、俺から言う事は無いよ。」


「まだまだ甘い考えだな。って言いたそうな顔をしているけど?」


「そう思っている事は否定しない。」


「うぐっ……」


「でも、スラたんらしいと言えばらしい。嫌いじゃないさ。」


「はあ…僕は、きっと一生シンヤ君には敵わないなー…」


溜息混じりにスラたんが言って、話を終わりにしようとした時、空気の読めるニルには珍しく、口を開く。


「スラタン様。」


「は、はい?」


真面目な顔で言葉を発するニルに、スラたんも姿勢を正す。


「スラタン様は、剣意けんいという言葉をご存知ですか?」


「剣意?」


「はい。これは、私がご主人様から頂いた金言の一つです。」


チラッと俺の方を見るニル。俺としては、少し恥ずかしいから、黙っておこう。


「剣を振る理由…何故、剣を振り下ろし、何の為に振り下ろすのか。そういった言葉です。」


「………」


「ご主人様は、数多くの人を斬りました。ですが、その全ての剣には、誰かを、何かを守る為に、という剣意が込められておりました。」


「誰かを守る為に…」


「それが剣ではなくても、同じ事です。スラタン様が誰かを傷付けてしまう時、そこにどんな理由や意味を持たせるのか。それはスラタン様次第です。」


「僕次第か……ニルさんは優しいんだね。」


「そ、そうですか?」


「僕が誰かを傷付けても、それを行った理由を思い出せるように、そう言ってくれたんだよね。ありがとう。」


「い、いえ…」


ニルが言ったのは、結局、殺す事に変わりは無いという事に他ならない。だが、俺がそうであったように、スラたんにも、その言葉の裏側に込められた真意が伝わり、ニルの優しさに心が軽くなった気がしている事だろう。

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