第382話 薬物依存症

俺に許しを求めて、スラたんがうるうるした目で見てくる。


「……………」


「……はあ……まあ、女性陣が許すなら、俺から言う事は無い。でも、絶対に部屋からは出さないように気を付けてくれよ?」


「やったー!さっすがシンヤ君!話が分かるね!」


うるうるした目で見ていたスラたんはどこへ行ってしまったのだろうか…


「悪い事ばかりじゃないからな。スライムの微生物を生きたまま取り出せたって事は、溶解液や解毒薬が作れそうって事で良いのだろう?」


「端的に言うと、その通りだね。

ただ、色々と試してみないと、欲しい効力を持った物が作れるか分からないし、もう少し時間は掛かるかな。でも、一番の難関がクリア出来たという事は間違いないよ。」


「それは嬉しい報告だな。」


「んー……あまり嬉しそうに見えないのは、僕だけかな?」


俺の顔を覗き込んで言ってくるスラたん。


「いや、嬉しいさ。今まさに直面している問題が解決するかもしれないんだからな。」


「でも?」


スラたんは俺に続きがあるのだろう?と聞いている。


「……そうだな…正直なところ、少し焦っている。」


「四人の目的には、時間制限でもあるの?」


俺の言いたい事を的確に読み取り、更に質問を重ねてくる。


「いや、明確な時間制限は無いが、長引けば長引く程、俺達の立場が悪くなるだろうって事は間違いない。」


「そっか……」


スラたんは、腕を組んで下を向き、何やら考え込んでいる。


「………シンヤ君。」


「何だ?」


「僕も、連れて行ってくれないかな?」


スラたんが真剣な顔をする。丸眼鏡の奥に見える目は、真っ直ぐに俺の目を見ている。


「……それが、どんな事を意味しているのか、分かっていて言っているのか?」


「……うん。何となくだけどね。四人が、危険な旅をしているのは分かっているよ。でも、目処が立ったとしても、研究が予定通りに終わるかは分からない。同行しながら研究していれば、そういう心配は無くなるでしょ?」


「……誰かを殺す事になる。それも、沢山の者達を…だぞ。」


「………うん。でも、僕もそろそろここで引き篭っているわけにもいかないと思うんだよね。

別に誰かを殺したいとは思わないよ。出来る事なら、誰の命も奪いたくないし、奪われたくもない。

でも、ここで十年過ごして来たけれど、それでは何も変わらなかった。」


「………………」


「ずっと逃げ続けて来たけど、街に出る度に聞くのは、神聖騎士団に殺された人達の話ばかり。

誰々が殺された、どこどこが焼き払われた…なんて話を沢山聞いたよ。

中には、かなり悲惨な話もあったし、人のやる事なのかと耳を疑うような話もあった。」


「そうだな……俺は、実際にそういう者達を見て来たから、脚色されていない事は知っているぞ。」


「……僕はやっぱり、人を殺すなんて嫌だ。でも、殺されていく人達を、ただ黙って見ているのも、違う気がするんだ。

ずっと考えてはいたんだ。あの街から逃げ出して来た時から。」


あの街というのは、神聖騎士団の本拠地、ストロブの事だろう。


「聖騎士達の事を放置してはおけないという事か?」


同じ世界から来た者達が、高いステータスを武器に、好き勝手やっているのが許せないとか、自分も同じ境遇なのだから、自分が止めるべきだ…と思っているのだろうか?


「それも無いと言えば嘘になるかもね。でも、僕はヒーローになりたい!とか、彼等を止められるのは僕しか居ない!なんて事は考えていないよ。言っても僕は研究家だからね。もし、シンヤ君クラスの人達が来ているなら、僕には手も足も出ないかもしれない…自分が彼等より弱い事は理解しているよ。」


「それなら…」


「それでも、彼等が世界に対して行っている事を知っていながら、このまま無視して、放置して…僕だけが安穏あんおんな暮らしをしていくなんて、研究家とか戦いが嫌いとか関係無しに、人として間違っていると思うんだ。」


「言いたい事は分かるが……正義感で身を滅ぼすのは、この世界では馬鹿のする事だぞ?」


「だろうね……でも、シンヤ君はどうなのさ?」


「俺には色々と約束が有るし、引けない所まで来ているからな。」


「でも、それだって、止めようと思えば止められるよね?」


「……まあ、俺が止めたいと言えば止められるだろうな…」


元々、俺が世界を回りつつ大同盟の同士を探すというのは、強制ではない。どちらかと言えば、頼まれたのを引き受けたような形だ。

冒険者という身分や、戦闘力等で俺が適任だっただけの事。俺に頼んだ白猫の獣人族プリトヒュも、俺が居なければ居ないで、別の誰かを送るなり、他の手を考えただろう。


「それは、約束だからなの?そうするべきだと思ったからなの?」


「……両方……だろうな。約束だからでもあり、そうするべきだと思ったからだ。」


「シンヤ君がそう思っているなら、僕がそう思うのも当然だと思わない?」


「………………」


スラたんも、こちらの世界へ転移させられた者の一人であり、多少違いはあれど、俺と似たような立場に居る。同じように感じ、考えるのも当然である。


「それに、聖騎士達の事だけじゃなくて、今回のザレインについても、凄く思う所があるんだ……」


「ザレイン?」


「うん……僕はさ…ずっと、物心ついた時から母方の祖父母の元で育てられて来たんだ。」


スラたんが目を瞑り、ゆっくりと喋り出す。


「両親は…?」


「さあね。どこで何をしていたのかは、敢えて祖父母に聞こうとはしなかったよ。正直、何度か聞こうとした事はあったんだけどね…」


そこについて深くは語らなかったが、何となく想像出来る。

物心ついた時から…という事は、幼稚園とか、遅くても小学校に通っている時くらいの話だろう。


両親が居ない。


その事で、子供が受ける辛い出来事のいくつかは、色々と想像出来る。

両親が参加するような行事。例えば運動会や授業参観。そこでスラたんを見に来るのは、祖父母だけ。

子供は純粋であるが故に、時に残酷な事も容易に言ってしまう。


『なんでお父さんとお母さんが来ないの?』


たったそれだけの一言が、幼少期のスラたんを、何度傷付けた事だろう。スラたんの暗い表情から、どんな過去を持っているのか、想像出来てしまう。


「それでも、僕は祖父母が大好きだったし、別にそれで良かったんだ。他人に何を言われても、祖父母は笑って僕に愛情を注いでくれていたし、僕はそれを感じていたから。」


「素敵な方々だったのですね。」


「僕にとっては、世界で一番の二人さ。」


スラたんの笑顔は、誰が見ても幸せな家庭だったのだろうと思わされる、そんな笑顔だ。


「でも、それから暫くしてからの事だったよ。

両親が突然、僕の目の前に現れたんだ。」


「生きていたという事ですか?」


この世界では、両親が居ないという事は、死んでいると考えられるのが普通だ。ピルテの言葉に他意は無い。


「うん。そこで初めて、自分の両親がどんな連中だったのか知ったよ。

嫌にギラギラした装飾品を身に付けていたのに、歯はボロボロで肌もガサガサ。父親は帽子を被っていたけど、所々髪が抜け落ちているのが一目で分かった。

母親は、こけた頬を隠す為に化粧を塗りたくり、キツい香水の臭いがしていたよ。

二人は、誰が見ても、普通ではない事が一目瞭然だった。」


「薬物依存症…」


ザレインの話が出てきているのだから、話の流れくらい読み取れる。


「うん。二人は薬物にどっぷりと頭の先まで浸かっていてね。重度の薬物依存症だったんだ。」


「息子を放置して、自分達は薬物を……許せないわ……」


ハイネは歯が鳴る程に強く食い縛る。


一度死産を体験した吸血鬼であるハイネにとって、自分の子供というのは、どれだけ願っても手の届かない夢だ。

自分の子供を祖父母に預け、遊び歩いている二人の話を聞いて、怒りを抑え切れないらしい。


「僕も驚いたよ。

何度か祖父母に両親の事を聞こうとして、いつも困った顔をするのを見ていたから、きっと何か事情が有るんだとは思っていたけど、まさか、そんな二人が自分の両親だとは思っていなかったからね。」


「…………………」


「しかも、両親が僕の前に現れたのは、別に僕に会いに来たわけじゃなかった。金の無心に現れただけだったんだ。

今でも覚えているよ。まるで要らない物を見るような目で、僕の事を見下ろす二人の目。僕に掛けた言葉は無く、舌打ちを聞かせられただけ。後は祖父母にただただ金をせびる、吐き気のする甘い声。

正直絶望したよ。僕を産んだ人間が、周囲にヘドロを撒き散らすゴミだったなんてね。」


怒りを隠そうともしないスラたん。


きっと、小さな頃は両親に対する淡い期待も抱いた事だろう。

友達の両親を、自分の両親と重ねた事だって有るに違いない。

いつかきっと……そんな事を考えた夜は何度あった事だろうか。


それが、全て幻想だったと、現実を叩き付けられたのだ。絶望という言葉すら足りないのではないかと思えてしまう。


「二人とも痩せこけていて、老けて見えたけれど、多分、見た目よりずっと若かったんだろうと思う。

若くして僕を産んで、邪魔だったんだろうね。」


ガンッ!


ハイネが床に拳を打ち付ける。床を壊したりはしていないが、何かに当たらなければ気持ちを落ち着けられない程に、憤りを感じているのだろう。


「何て酷い事を…」


ピルテは、スラたんの心情に思いを巡らせ、眉を寄せて辛そうな顔をする。


「でも、僕には祖父母が居ればそれで良かったし、その二人がどうであろうと関係無いと思っていたんだ。

でも、薬物依存症になって、私生活もままならない奴等が、仕事をして金を稼ぐなんて出来るはずもない。そこに、金を渡してくれる人達が居たら、どうなるのか…誰でも分かるよね。」


祖父母としては、スラたんの父親はどうでも良くても、母親は娘だ。薬物依存症だとしても、きっと断ち切るなんて事は出来ないだろう。

娘が若くして産んだスラたんを引き取り、愛情を注ぎながら育てるような優しい…優し過ぎる両親なのだから。

そして、そんな娘が金の無心に現れれば、きっと金を渡してしまう。

もしかしたら、スラたんに、そんな両親の姿を見せたくなくて、追い払う為に渡した金かもしれない。でも、金は金だ。その中に込められた思いまで考えられるような者達ならば、久しぶりに会ったスラたんに舌打ちをするような事は無いはずだ。いや、そもそも、スラたんを捨てたりしないだろう。


「何度も祖父母の元に来ては、金をせびる。

そんな事をされ続けた上で、僕の面倒まで見ている祖父母に、お金が残るはずなんてない。特別に裕福な家庭でもなかったからね。

そんな事は、まだ働いてもいない僕にだって分かる事だったよ。祖父母が母親を切り捨てる事なんて出来ない事もね。

だから、僕が動くしかなかった。と言っても、僕に出来る事なんて、限られていたけどね。」


大した事は出来なかった…と言いたいのだろうが、自分の両親を切り捨て、愛情を注いでくれていた祖父母を助ける為に行動を起こすなんて、普通の家庭ならばしなくても良い事だ。それをしなければならない程に、追い詰められた状況だったという事だろう。


「最初は家に入らせないようにしたり、追い返したりしようとしたんだ。僕もその時にはそれなりの歳になっていたし、一応男だったからね。追い返すだけなら何とか出来たよ。

それでも、二人はあの手この手を使って、祖父母から金をむしり取ろうとしてきたんだ。」


「本当に…どうしようもない二人ね。」


「僕もそう思うし、祖父母もそう言っていたよ。でも、あれは寄生虫と一緒で、一度食い付いたらなかなか離れようとはしないんだ。

そして、薬物依存症になると、正常な判断も出来なくなってしまう。」


そこで、スラたんは酷く暗い顔をする。


「……何があったんだ?」


「僕に邪魔をされて、お金が手に入らないから、薬物も買えない。そうなると、禁断症状が出て、頭がおかしくなる。どうしてもお金が欲しくなった二人は、ある日、無理矢理家に押し入って来たんだ。」


「……スラタンには悪いけれど…その二人はクズよ。最低最悪のね。」


「ううん。僕もそう思っているし、悪いと思う必要は無いよ。はただ、僕を産んだだけの人間なんだ。」


優しいスラたんが、人を呼ばわりする程という事は、きっと語られていない中に、もっと多くの事があったのだろう。


「…二人が押し入って来て、当然、僕は止めようとした。でも、既に我を失っている二人は、何が何でもと暴れ回ったんだ。

僕も必死に止めようとしたんだけどね。暴れ回っていた二人が、何かの弾みで僕の事を突き飛ばしたんだ。

運悪く、僕の転んだ先には、割れた陶器の破片が転がっていてね。深く掌を切ってしまったのさ。」


肉体が違うから、傷はスラたんの掌には無い。でも、スラたんは自分の掌をじっと見詰めている。鮮明にその時の事を覚えているのだろう。


「ど、どうなったのですか?」


「僕の血を見た祖父が、大激怒したんだ。後にも先にも、あんな大声で怒る祖父は、見た事が無かったよ。

近所迷惑なんて考えずに、怒声を浴びせて、二人に掴み掛かったんだ。

恥ずかしながら、僕はその時、祖父の激怒した姿を見て、ピクリとも動けなかったよ。怖かった…のかな。それとも、祖父がそんなに怒ると思っていなくて、驚いたのかな。あの時はとにかく混乱してしまって、何が起きたのか理解出来なかったよ。

自分の娘だろうと関係無く殴り付けて…

お前の息子だろうが!この子が今までどれだけ苦労してきたかも知らずに!この恥知らずが!俺が殺してやる!

なんて言っていたよ。

最後まで、娘の事は切り捨てられないだろうと思っていたのに、僕が傷付いたのを見た途端、殺してやる!だからね…はは。びっくりしたよ。」


ハイネは何も言っていなかったが、微かに首を縦に振っていた。少しは溜飲りゅういんが下がったらしい。


「祖父の大激怒を、祖母も止めようとはしなくてね。無言で、そして厳しい目で二人を見ていたよ。

結局、二人は祖父によって叩き出されたんだ。」


「良かった…」


「でも……二人が家を叩き出された後、直ぐに祖父が倒れたんだ。」


「えっ?!」


昔話だと分かっているのに、ピルテは一喜一憂している。


「元々、あまり心臓が強くなくてね……大激怒のせいで……いや、正確には分からないって、医者には言われたんだけど。」


「絶対その二人のせいですよ!最低です!お爺様は大丈夫だったのですか?!」


「直ぐにというわけじゃなかったけれど…結局、完全に回復する事は無くてね…」


「そんなっ!あんまりです!」


ピルテは、両手を口に当てて、潤んだ瞳でスラたんを見ている。


俺が聞いていても、そんなのはあんまりだ、と思う話だ。


「本当に恨んだよ。心の底からあの二人を殺したいと思った。」


スラたんはギュッと手を握る。


「でも、そんな僕を見て、祖父が死ぬ前に言ったんだ。」


握った手から力を抜いたスラたんが、一度深呼吸をして、話を進める。


「俺の死は、誰のせいでもない。お前には人を恨む人生ではなく、人を愛する人生を歩んで欲しい。そう育てたつもりだ。だから、恨まず、愛せ。」


ピルテは、スラたんの言葉を聞いて、目からポロポロと涙を流す。


「今でも、一言一句忘れていないよ。

祖父も、祖母も、自分が苦しくても、いいや。苦しい時だからこそ、他人を助けるような人達だった。人を人たらしめるのは、心だ。いくら苦しくても、辛くても、それを失ってはいけない。

何度も聞かされたよ。祖父母は戦争を体験した事があったから、その時の教訓なのかもしれないね。」


「本当に……本当に素晴らしいお二人です…」


感動で出る涙を拭いながら、ピルテはスラたんに言葉を掛ける。


「ありがとう。僕も、あんな大人になれたらって思ったよ。だから、親の事は…忘れはしなかったけれど、何かしようとはせず、そこから必死に勉学に励んだよ。

残った祖母に、少しでも楽な生活を送ってもらいたくて、寝る間も惜しんでね。

でも、自分の力でやっとお金を稼げる…そうなった矢先に、今度は祖母が倒れたんだ。

別に心労とか、何かあったわけではないよ。医者には遠回しに寿命だって言われたよ。」


「そんな……」


「悔しかったな……僕は、祖父の死をきっかけに、そういう人を助けられる薬を作りたいって思って必死に勉強したのに、ベッドの上で痩せ細っていく祖母に、何もしてあげられなかったんだからね…」


「そんな事はありません!」


「そうよ!そんな事は無いわ!スラタンが立派になった姿こそ!最高の贈り物よ!」


ピルテもハイネも、拳を握って、前傾姿勢になりながらスラたんに言葉を掛ける。


「立派…だったのかな……正直分からないよ。

僕は、結局、二人が亡くなった事で、生きる目標というのか、活力を失ってしまってね。」


「「……………」」


「ああ!いや、別に死にたいとか、そういう事じゃないよ!」


ハイネとピルテが、どんよりした暗い顔をするから、スラたんが慌てて両手を振りつつ否定する。


「単純に、一人で生きるのが寂しい…とか、そういう事だよ。祖父も、祖母も、いつかは…とは思っていたけれど、実際にそうなってみると、ぽっかりと胸の中心に穴が空いたみたいになってね。」


「それは……凄くよく分かります。大切な人を失うという事は、自分の一部を失うような喪失感ですよね…」


ハイネとピルテも、大切な部下を失っている。アーテン婆さんも。それに、長寿の種族は、看取みとられるより、看取る方が圧倒的に多いだろう。


「まさに、僕もそんな状態だったよ。身が入らないとでも言えば良いのかな…」

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