第二十八章 豊穣の森

第377話 採取

気持ちを新たにした翌日。


「おはようございます。今日は少し天気が悪くなりそうですよ。」


いつものように、俺より先に起きていたニルが紅茶を淹れて待っている。


「毎回不思議なんだが…俺が起きると同時に熱い紅茶を渡してくれるよな。どうやって起きるタイミングを見計らっているんだ?」


「んー……」


ニルは顎に人差し指を当てて考える。


「分かりません。何となくですね。」


そう言って笑うニル。


朝起きると直ぐに目覚ましの一杯。何か言う前に察して動いてくれるというレベルは超えている……その辺の貴族より、余程良い暮らしをしているのではないだろうか…?


「いつもありがとう。」


「いえ。スラタンさんの言葉を借りるならば、これは私の趣味ですので。」


「俺の世話をする事がか?」


「ご主人様の笑顔を見る事が…ですよ。」


そう言って満面の笑みを見せてくれるニル。


何この天使。泣きそうなんだけれど。


「朝から熱いわねー。」


扉の外からハイネの声が聞こえてくる。耳が良いから、扉の外からでも、俺達の会話が丸聞こえだったらしい。


「入っても大丈夫かしら?」


「あ、ああ。大丈夫だ。」


何もしていないのに、物凄く照れ臭い。


ガチャッ…


扉を開いた外には、顔を真っ赤にしたピルテも立っている。俺達じゃなくて、ピルテが照れていると、余計に恥ずかしくなる。


「今日は溶解液と解毒薬を作るのに必要な素材を取りに行くとの事よ。朝食を終えたら出るわよ。」


「了解した。」

「分かりました。」


「イチャつくのは良いけれど、もう少し声量を下げないと、私達には丸聞こえよ?」


「イチャッ?!そのような事は!」


「あら?ニルちゃんはそんなつもりじゃなかったのかしら?それはそれで問題な気もするけれど…」


「え?!そ、そうなのですか?!」


「ふふふ。冗談よ。どうせニルちゃんはシンヤさんの元から離れるつもりなんて無いのだから、あまり関係無いわ。それに、部屋の中の声が聞こえるのは、私達くらいのものよ。」


ニルに悪戯を成功させたハイネがお茶目に笑う。


「もう!ハイネさん!」


ニルはしてやられたと頬を膨らませつつも笑う。


「ニル。朝食を頼んで良いか?」


「はい!いつもので大丈夫ですか?」


「ああ。スラたんも味噌汁に感動する事だろう。是非作ってやってくれ。」


「お任せ下さい!」


「わ、私もお手伝いします!」


ピルテも負けじと挙手。


「それでは、私がお教えします。」


「お願いします!ですが…直ぐに習得してみせます!」


「おふくろの味というのは、一朝一夕では身につかないものです。簡単には追い付けませんよ。」


「努力で何とかしてみせます!」


二人は張り合いながら、キッチンへと向かっていく。

うんうん。競い合うって良い事だな。


「ほら。満足気に見ていないで、シンヤさんも行くわよ。」


「お、おう。」


ハイネ達に呼ばれて部屋を出ると、スラたんは眠そうな目でリビングのコタツに足を突っ込んで、ピュアスライムを頭の上に乗せて座っていた。


「昨日は寝ていないのか?」


「うーん…色々と気になっちゃってー…」


自称だとしても、スライム研究家を名乗るのだから、どちらにしても、昨日は興奮で眠れなかっただろう。


「あー…大丈夫だよー。徹夜はよくある事だから、今日の活動に影響は無いよー…」


影響の有りそうな声だが、大丈夫だという言葉を信じて、一先ず朝食を待つ事にする。


「朝食の準備が整いました。」


良い匂いが漂い始め、腹の音が鳴りそうなタイミングで、ニルの声が掛かる。


「こ、ここ、米に味噌汁だってぇ?!」


目玉が飛び出るのではないかと思う程に驚くスラたん。


「色々な場所を旅してきたって話をしただろう?こういう物も手に入ってな。スラたんが喜ぶかもしれないと思って作ってもらったんだが、気に入ってもらえたか?」


「ぜ……」


「ぜ?」


「全米が泣いた!!」


ブワッと泣きながら俺の顔を見るスラたん。


「泣いているのはスラたんだけだ。」


「それ程の感動だと言う事だよ!」


「ゼンベイというのが何かは分かりませんが、感動して下さって嬉しいです。お代わりも沢山ありますので、遠慮無く言ってくださいね。」


「焼き魚に目玉焼き…これはおひたし…これぞ我々の心である!最高です!頂きます!!」


我慢ならん!とスラたんが手を合わせる。


「ゆっくり食べろよ。」


俺が言う間も無く、飯にがっつくスラたん。先程までの眠そうなスラたんはどこへやらだ。


結局、スラたんは米を三杯も食べて、やっと満腹になった。


「た…食べ過ぎた…」


「米を三杯も食べれば、そうなるだろうな。」


「米なんて十年近く食べていなかったから、ついつい…

それにしても、ニルさんの作る味噌汁、やけに美味しいというのか…ホッとする味だね?味噌汁なんてこの辺りでは見掛けないけれど…」


「ご主人様は、米と味噌汁を毎朝召し上がりますので。」


「シンヤ君は毎朝こんな素晴らしい朝食を食べているの?!羨ましいにも程があるよ…」


「元々はご主人様が作って下さっていたのですが、私が作りたいと申し出たのですよ。未だにおふくろの味には到達出来ておりませんが…頑張っている最中です!」


「おふくろの味って、到達出来るものなのかな…?」


「必ず到達してみせます!」


「え、あ、うん。頑張ってね?」


ニルの気迫に押されたスラたんが、疑問形で励ましている、


「それで、今日はどこへ向かうんだ?材料を採取しに行くと聞いたが。」


「溶解液も解毒薬も、スライムから取り出した成分をそのまま使うわけにはいかないからね。薄めたり、必要の無い効果を打ち消したりしなければならないんだ。」


「んー…俺もクラフト系は色々とやってきたが、そこまで専門的な事になると、さっぱりだ。」


「ご、ご主人様にも知らない事があったのですか…?」


「いつも言っているだろう。俺はそんなに賢くは無いって。全知全能なわけないだろう。」


逆に、何故俺が知らない事に、ニルはそこまで驚けるのか分からない。俺をウィキ〇ディアか何かだと思っていたのか?


「学問というのは、人が一生を掛けても、一分野すら完璧には習得出来ないからね。僕だって専門分野以外の事は全く分からないよ。いや、専門に勉強してきた分野だって、ちゃんと把握出来ていないだろうね。」


「ご主人様がお認めになるお方でも…ですか…知識というのは終わりが無いのですね…」


「とはいえ、俺よりスラたんの方が詳しいのは間違いない。ここはスラたんに任せて、俺達は大人しくスラたんの手足をやろうか。」


言ってしまえば、俺の知っている事など雑学程度。その道のプロにしてみればお遊びでしかない。餅は餅屋だ。


「これで上手くいくとは言えないけれど、色々と試してみない事には何も分からないからね。今から言うものを探しに行くつもりなんだ。」


スラたんが探しに行くと言ったのは、薬草、毒草の類。中には聞いた事の無い物もあったが、どれもこの豊穣の森で手に入る物ばかりらしい。


「どの辺りに生息していて、どんな物なのかは伝えつつ採取するけれど、この森には結構危険な毒草も多いから、服装や装備はきちんとして行くこと。肌をなるべく出さないようにして、無闇に周囲の物を触らないように。」


「厳重ですね…?」


ピルテが、そこまでするのかと疑問を投げかける。


「これから危険だと分かっている場所に行って、危険だと分かっている物に触れようとしているんだから、安全を考えて行動するのは当たり前だよ。プロだって…ううん。プロだからこそ、そういう事に気を付けないとね。」


「確かにスラタンの言う通りね。職人は、普通の人達が大丈夫だろうと考える事も、本当の怖さを知っているからこそ、気を付けるのだと、アラボル様から聞いた事があるわ。」


「私の鍛治職人をしている友達も、道具の手入れや、使い方の安全性は、いつも気にしていました。毎日使う物だからこそ、毎日の点検が大切なのだと教えてくれました。武器の手入れと何も変わらないと。」


「厳重にするだけの理由が有る。という事ですね。詰まらない事を聞いて申し訳ございません。」


「そんな事は無いよ。何故そうするのか、何故危険なのかを知らなければ、気を付けようと思っていても気を付けられないからね。分からない事はどんどん聞いて。特に、今から僕達がやろうとしている事は製薬。薬は毒にもなるから、危険な事なんだ。自分を守る為にも、分からない事はちゃんと聞いて欲しい。」


「ありがとうございます。スラタン様はお優しいですね!」


またしても敬称が…いや、ここまで来たら最後まで何も言うまい。


「はははー…そんな事は無いけどー…」


スラたんは綺麗な女性に褒められて、耳まで真っ赤にしながら照れ笑いをしている。この様子だと、元の世界でも結婚はしていなかっただろう。


「天気が悪くなりそうだから、それも考慮して、あまり遠くには出ないけれど、十分注意してね。」


「はい!」


スラたんの注意事項を一通り聞いた後、俺達は着替えを済ませてスラたんの家を出る。


空には晴れ間も見えるが、分厚い雲が多く、近く、雨が降りそうだ。


そんな空模様の中、まず向かったのは、外層。


来た時とは違い、植物モンスター達が居る場所を通らねばならず、何度かの戦闘は避けられない。

豊穣の森は、元々太陽の光を通さないが、雨は別で、降り出せば足元も悪くなる、そうなれば、戦闘は当然難易度が上がる為、戦闘が起き易い外層での採取を先に終わらせようという考えだ。


「皆、一定以上の距離を取らないように気を付けてね。こう暗いと、何か起きても気が付かないかもしれないからね。」


「はい。」


ハイネとピルテが居ればそんな事はまず起きないだろうが、ピルテは素直にスラたんの言葉に返事して気を付けている。


「皆!気を付けて!メタルソーンよ!」


メタルソーンは、青い大きな花を咲かせ、金属質の棘を生やした根を持ったAランクモンスターだ。海底トンネルダンジョンの中層で、前にも戦った事がある。メタルソーンは、根を張ってあまり動かないタイプのモンスターなのだが、この森では違うらしい。うぞうぞと白い根を動かしながら這ってきている。


「入って早々にモンスターに襲われるなんて運が悪いな。」


「いや、ここではこれが普通だよ。」


メタルソーンが目の前に現れてから、スラたんの表情が大きく変わる。これまでの優しくゆったりした空気も、ピンと張り詰めたものへ変化する。

いくら優しく、命を大切にするとしても、やらなければならないならば、腰のダガーを抜く事は躊躇わない。この世界で、この場所で十年近く生きてきた経験は伊達では無いという事だろう。


「久しぶりの共闘だけど、合わせられるかい?」


スラたんが俺を見ずに声を掛けてくる。


「俺にとってはせいぜい一年と少し前の話だ。スラたんこそ合わせられるのか?」


「僕の方はちょっと自信が無いかも。」


「おいおい…」


「冗談だよ。十年の重みを見せてあげる。」


「…これは期待大だな。」


スラたんがダガーを抜き取り、その場で何度かジャンプする。


「ご主人様。」


私が前に出て盾になりますと、ニルが目で言ってくる。


「いや。大丈夫だ。」


「??」


「ニル。見ていろよ。俺達プレイヤーの中でも、スピードを上げ続けた者がどうなるか…」


「………………」


スラたんは、他のプレイヤー達とは目的が違う為、ひたすらにスピードと隠密魔法を鍛え続けた。残念ながら、スピードのみを上げ続けた結果、攻撃力や防御力が低く、トッププレイヤーには一歩届かないところに立たされていたが、スピードだけならば、どんなトッププレイヤーにも引けを取らないものだ。相手によっては、スピードのみで圧倒出来てしまう程である。

俺の踏み込みやスピードというのは、歩法や技術的なもので補い、より速く見せている部分がある。しかし、スラたんの場合は、ただ単純に速い。


タンッ!!


ジャンプしていたスラたんが、地面に足を付けた瞬間、その場に風だけを残して消え去る。


「っ?!」


流石のニルも驚きを隠せていない。

ニルは、ここまで、色々な相手と戦って来たし、俺のスピードにも慣れている為、それなりに素早い者の動きは捉えられる。しかし、そんなニルでさえ、見失うスピードだ。

俺の目でもなかなか捉え続けるのは難しい。

その上、プレイヤー時代は画面越しに操作していた為、追い付かなかった操作も、肉体を得た事で超速に対応出来るようになり、かなり凶悪なスピードとなっている。


「は、速過ぎます!」


「三人は見ていろ!」


初見でスラたんに合わせるのは無理だ。ここは俺とスラたんのみで戦闘を終わらせる。


タタタタタタタタッ!


メタルソーンの周囲に生えている木の幹を蹴る音が、連続して聞こえてくる。


ザザッ!ザザザッ!


時折、メタルソーンの付近を通ったスラたんが、両手に持ったダガーで斬り付ける。攻撃力は低い為、柔らかい部分を狙っているようだ。


ズガガガッ!!


メタルソーンが、棘の生えた根を振り回し、スラたんを叩き落とそうとしているが、スピードが違い過ぎる。根が振り下ろされるまでに、何度もその下を通り抜ける余裕さえ有る。


ザザザッ!ザザザザッ!


徐々に削り取られていくメタルソーン。しかし、やはりスラたんの攻撃は決め手に欠ける。


ダンッ!!


メタルソーンがスラたんに意識を持っていかれ、傷が増えて動きが鈍ったタイミングで、俺が持ち替えておいた桜咲刀を抜いて走り込む。


メタルソーンもやられてばかりではいられないと、俺に向かって根を振り下ろすが…


ザザザザザザザザッ!


その根を幾度も斬り付ける斬撃が襲う。


連続した斬撃により、傷を負った根が勢いを無くし、俺まで到達せずに地面へと落ちていく。


「はああぁぁ!」


ザンッ!!


後は簡単なお仕事だ。


神力を纏わせた刀を真っ直ぐに振り下ろし、メタルソーンの本体である青い花を垂直に切り裂くだけ。これで終わりだ。


ダンッ!!


メタルソーンが倒れたのを確認したスラたんが、俺の横に着地する。


「何今の?!何か凄い斬撃だったよ?!」


「そっちこそ、スピードに磨きが掛かったな。」


俺もスラたんも、互いにこの世界に来てから、色々と変わったらしい。

スラたんは、ステータスがほぼ変わらないと言っていたし、恐らく、これが本来発揮出来る全力のスピードなのだろう。やはり画面越しでは制御し切れず、全力を出せていなかったという事だ。


「こっちに来て、僕も強くなったと自負していたけれど、流石はシンヤ君だね。」


「楽な旅じゃなかったからな。」


スラたんが拳を俺に向けて出して来た為、俺もそれに応えて拳をぶつける。


「と、とんでもない二人ね…」


「何も分からないまま戦闘が終了してしまいましたね…」


「………………」


ハイネとピルテは口を開けて驚いている。ニルは……ちょっと悔しそうな顔をしているようだ。

俺とスラたんの戦闘を見て、自分と俺の連携より凄いと思ったらしい。


「ニル。スラたんとニルでは連携の取り方が違うだけだ。練度ならニルと俺の方が断然上。気にするな。」


「っ?!は…はい…」


表情を読まれたのが恥ずかしかったのか、悔しがっているのが恥ずかしかったのか、少し顔を下げるニル。


実際、スラたんとの連携は、連携とも呼べないようなものだ。


スラたんがスピードで撹乱。相手が気を取られたら俺が突っ込み、反撃をスラたんが撃墜。その後、最後の一撃を叩き込む。

これが俺とスラたんがやった事だ。

当然、スラたんのスピードにタイミングを合わせたり、俺の動きをスラたんが読んだりと、多少の連携は有るものの、やっている事はその辺の冒険者達とあまり変わらない。

ステータスが高い為、凄く見えると言うだけの事だ。


その点、ニルと俺の連携は、互いを信じていなければ出来ないものばかり。連携力は雲泥の差と言える。悔しがる必要など全く無い。


「シンヤさんが、最初、スラタンが強いと言った理由が分かったわ…とてもじゃないけど、私達では相手にならないわね。」


「合わせるのも難しいですよ…」


「僕の戦闘方法を、シンヤ君以外は知らないから、まずはそれを見せておきたくてね。」


「大丈夫だ。スラたんの方から俺達に合わせてくれる。合わせようとしなくて良いから、いつも通り戦おう。」


「そうね…早速次が来たみたいだし、私達の戦い方も見てもらおうかしらね。」


戦闘が終わったばかりだというのに、続けてメタルソーンが二体現れる。


「出ます!」


直ぐにニルが反応し、前に出る。


「ニルさん?!」


スラたんとしては、可憐なニルが前に出るというのは信じられないようだ。盾を持っているとはいえ女性だし、体格として盾で前衛を張るようなタイプには見えないのだろう。

誰が見ても同じ事を思うだろうし、スラたんが心配するのも仕方ない。だが、次はニルがスラたんを驚かせる番だ。


ズガガガッ!ズガガッ!


メタルソーンの棘の生えた根がニルに向かって振り下ろされる。


「危ない!」


スラたんが目を背けようとした時。


ギャリギャリ!


メタルソーンの根を軽々と盾を使っていなして見せるニル。そうなるのが当然だと言わんばかりの自然な動きだ。俺にとっては見慣れた光景だが、スラたんにとっては不思議な光景だろう。

質量的には、メタルソーンの根の方が圧倒的にニルよりデカい。それなのに、風に揺れる柳のように木の根を次々といなしてしまうニル。


「なっ…え?どうなってるの?」


「ニルは俺とここまで戦ってきたんだぞ。単なる前衛だと思ってもらっては困る。」


ギャリギャリ!


暗闇の中で光る火花がニルの顔を照らす。Aランクモンスター相手なのだから当然だが、余裕が感じられる。


「凄いな…まるで踊っているみたいだ…」

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