第368話 ザレイン (2)

俺も何度か、イライラしてキレそうになったから本当によく分かる。


「ご主人様がそう仰られているのに、私が刃を向ける事は有りません。ですが…このまま、あの狂人との掛け合いを続けていても…」


「もう半月を過ぎたからな…そろそろザナとの話し合いも諦める時期が来たかもしれない…か。」


ザナから、何か一つでも情報が抜き出せるならば、この約半月にも意味が出るというものだが…あまりザナのみに構っている時間も無い。ハイネに、必ず情報を引き出すと言った手前、格好は付かないが、線引きは必要だろう。


「次にハイネ達が戻って来たら、その時ザナについてどうするか話し合うとしようか。」


「そうしましょうか…」


俺とニルは少し悔しく思いつつも、そんな決定を下した……がしかし、その時、俺は背後から浴びせられる視線に気が付く。


「っ?!」


俺は嫌な視線に、直ぐに振り返るが、そこにはザナ以外には誰も居ない。


「……………………」


ザナは俺が振り返ってもこれまで同様に据わった目で虚空を見詰めているだけだ。しかし、今の視線は勘違いでは無い。


「ご主人様…?」


「………ニル。どうやら、俺達の我慢は無駄ではなかったらしい。」


俺はボーッとしているザナに近付き、目の前で膝を曲げ、視線の高さを合わせる。


「なあ。ザナ。お前、いつから正気に戻っていたんだ?」


「ああ……う……うう……」


まるでこれまでと同じ様に狂っているように見える。流石は天才詐欺師だ。視線に気が付かなければ、この男が正気を取り戻しているとは絶対に気付けなかった。


「演技はとてつもなく上手いが、気を抜いてしまったらしいな。お前が向けた視線に気付かないとでも思っていたのか?」


「…………………」


ザナは、俺の言葉に、漂わせていた視線を戻し、俺の方へと向ける。


「いつから正気だった?」


「……………………」


俺の質問に無言で答えるザナの目は、正気のものだ。正確には、今までよりはという意味で、ザレインの効果は受けている様子だが。


「……ぐひひ…二日前からだよ…」


「そうか。まあ、それはどうでも良い。やっと会話が出来そうだな。」


「そんなにと会話がしたかったのか?ぐひひ……」


一人称も僕ではなく俺に変わり、どもっていた口調も直っている。これが本当のザナの姿に近い人格らしい。


ザナの変わり様に、俺とニルは心中では驚いていたが、それを顔に出したりはしない。


「まあ、色々と聞きたい事も多いからな。」


「喋ると思うか?」


「喋らない…いや、喋る事が出来ないと言った方が正しいか。どうせお前も魔法に束縛されているのだろう?」


「ぐひひ……どうやら馬鹿ではないらしいな。」


ザナは、嫌に余裕の態度を取っていて、自分が絶対に喋らないという自信を持っている。痛め付けられても、喋らないと自信を持って言えるのは、喋る事で失う物が、命だからだろう。つまり、ザナも誰かしらと、死の契約を結んでいるという事だ。まあ、薬漬けになっている時点で、誰かの手が入っている事くらいは分かっていたから、これは予想通りだ。

自分が殺されるかもしれないと思った時点で、俺達に正気である事を気付かせた。正気に戻っていると気付けば、俺達は情報を得る為に、ザナを殺す事が出来ない。そういう状況を敢えて作り出したのだ。悪知恵に長けた男だ。


確かに、俺とニルは、この男から情報を得たい。つまり、簡単に殺す事は出来ない。それなりの手掛かりを掴めるまでは…

こうなってしまうと、ザナの作戦通りという事になるが……別にザナが助かるという事でもない。それなのに、何故、この男はここまで余裕な態度を取るのだろうか…?正気にはなったが、頭がぶっ壊れている事に変わりは無いという事だろうか?それとも、何か助かる見込みでも有るのか…?


「ぐひひひ……」


「ちっ。嫌な野郎だな…」


自分が優位に立っているとでも言いたげに、俺とニルに醜悪な笑いを向けてくるザナ。


俺とニルは、ザナから少し離れてから話をする。


「ご主人様。少し痛め付けてみますか?」


「…いや、時間の無駄だろう。自分の置かれた状況を把握し、その上での行動だ。多少痛め付けたところで、口は割らないだろう。」


「では、どうしますか?」


ザナは正気の判断なのかは分からないが、仲間を見捨てて逃げてきた。手下の事を餌に情報を引き出すのは無理だ。そもそも、他人の不幸を飯の種にしているような連中なのだから、他人を引き合いに出しても意味が無い。

自身の命も、情報を吐かなければ、保証されているようなもの。

こうなると、情報を引き出す為のが必要になってくるのだが…


「ご主人様。例の葉巻をチラつかせるのはどうでしょうか?」


「ザレインの葉巻か?」


「はい。効果が切れてからというもの、ザナは終始ザレインを欲しているように見えました。あれを目の前にチラつかせるだけで、かなり精神的な攻撃になると思います。」


俺も考えていた手の一つだが……ニルも、なかなか精神攻撃の何たるかが分かってきたらしい。いや、そういう世界に生きてきたのだから、理解はしていたはずだ。それを他人にどうやって行うかを学んだと言った方が正しいだろう。しかし……それはあまり褒められた技術とは言えない。俺とニルの立場を考えた上でならば、俺はニルを褒めてしまうかもしれないが、本来、こういう技術を持たなくても生きていけるというのが、最大の幸せだと、俺は思っている。


何とも言えない感情を持て余しながら、俺はザナから取り上げていた葉巻を取り出す。


一度水に濡れてしまって、ぐにゃぐにゃになってしまっているが、まだ甘ったるい香りは残っている。


「これだけで喋るかは微妙な所だが、使えるものは使っていくとするか。」


「はい。」


俺は葉巻を手に、ザナの前へと戻る。


「俺は喋らないと言っているだろう。ぐひひ…」


自信満々のザナ。何とも腹立たしい態度だが、ここは冷静に行こう。


「そうか。」


俺はザナの前に、葉巻をポトリと落とす。


「っ?!」


「ああ。すまん。手が滑った。」


葉巻を見た瞬間に、ザナの目付きが変わったのが分かる。演技が出来ない程に、この葉巻を欲しているらしい。


「どうした?」


「……はっ!そ、そんな物を見せたところで、何も変わりはしない!」


「随分と声が震えて、動揺しているみたいだな?」


「………………」


ザナは俺と話をしているように見えるが、視線は葉巻に釘付けだ。


「俺達に有用な情報が手に入ったならば、これをお前に返してやろう。」


「…………………」


「おい。聞いているのか?」


「っ?!」


ザナは、やっと俺の言葉に反応したが、随分と余裕が無い様子だ。


「……吸いたいのか?」


「はっ!吸いたいわけないだろ!そんなもの必要無い!」


「そうか?なら俺達にも必要の無い物だし、捨てるとするか。」


「っ!!」


「何だ?何か言いたい事があるのか?」


「そ、それはとてつもなく高価な物だ。」


「そうなのか?だが、一度水に濡れてしまっているし、使い物にならないだろう?」


「そんな事はない!」


「ほう。」


ザナは随分と饒舌じょうぜつになり、口がよく回る。


「ザレインは水に濡れたくらいでは駄目にはならない!俺の物を勝手に捨てるんじゃねえ!」


「これはこれは、随分とご立腹の様子だな。そんなに吸いたいのか。依存性ってのは怖いものだな。」


「俺は依存性なんかじゃねえ!」


依存性の奴は、自分で依存性と認めていない事が多い。本心では分かっているのだろうが、それを口にしてしまえば後は落ちて行くだけだ。そう思っているのだろう。抜け出せない時点で、既に落ちているのだが…


「どっちでも良いが…お前が喋るならば、こいつを返してやっても良い。どうだ?」


「そんなもの要らねえ。消え失せろ!」


「まあ、よくよく考えてみると良いさ。」


俺はザナの目の前に葉巻を置いて、その場を離れる。


目の前に吸いたくて吸いたくて気が狂いそうになる代物が置いてあれば、考えも変わるだろう。


俺とニルは、ザナと葉巻を、少し離れた所から観察する。


最初はその葉巻を見ないように目を瞑っていたザナだったが、どうしても気になるのか、少しするとチラチラと視線を葉巻に向けては外してを繰り返すようになる。

それが暫く続くと、次はどうにかして自分の方に寄せられないかと全身を動かして、届かない葉巻に触れようとする。

こうなってしまうと、後はひたすらザナがどうにかして葉巻を吸おうとする滑稽こっけいな姿を観察するだけだった。


「……何とも虚しい人生に見えてしまいますね。」


必死に葉巻に近付こうと必死になるザナを見て、ニルの容赦の無い一言。


「どういう経緯でザレインを摂取する事になったかは分からないが、黒犬の仕業だとしたら、あいつもある意味被害者なのかもしれないな。まあ、だからといって容赦するつもりは無いがな。」


あわれな男ですね。私のように、別の生き甲斐を見付けられれば、もう少しマシな生き方が出来たかもしれないのに。」


「そんな殊勝な奴ならば、盗賊にはなっていないだろうな。」


敢えてニルの生き甲斐については触れず、俺はそろそろザナの我慢が限界だろうと立ち上がる。


「随分と頑張っているな。ザナ。」


「っ!?」


俺達が観察している事くらい、正常な頭であったならば、直ぐに分かっただろうに。


「どうだ?喋る気になったか?」


「喋らねえって言ってんだろ!消えろ!」


ザナの顔から、随分と余裕が消えている。この方法で揺さぶりを掛ければ、近く、ザナは落ちそうだ。


「ご主人様。」


ニルが俺を呼び、後ろに視線を送る。どうやらハイネとピルテが戻って来たらしい。


「ニル。少しの間よろしく頼む。」


「はい。お任せ下さい。」


ザナのことをニルに任せて、俺は戻って来たハイネとピルテの元へ向かう。


「シンヤさん。」


「ハイネ。ピルテ。お疲れ様。今回はどうだった?」


俺の言葉に、ハイネとピルテがニヤッと笑う。


「実は、少しだけれど情報を手に入れる事が出来たのよ。」


「やっと成果を得られました!ちょっとだけ荒事になってしまいましたが…出来る限り穏便に済ませてきましたから、大丈夫です。」


ちょっとだけ…出来る限り穏便に…という言葉が、俺の思っているレベルの話なのかは分からないが…ピルテが大丈夫だと言うのならば、大丈夫だと信じよう…

少なくとも、追われるような事はしていないみたいだし、軽い小競り合い程度のばずだ。多分……


「それはお手柄だな。それで、どんな情報なんだ?」


「ザレインを手配したであろう貴族の事よ。」


「おいおい。それは最早核心だろう。お手柄ってレベルじゃないぞ?」


「いえ。核心的な事が分かったわけではないのよ。」


「ん?それなら何が分かったんだ?」


「ここ最近で、ザレインを扱った貴族の家名がフヨルデという事だけよ。

本当にフヨルデという貴族が、ザレインを手配したのかは分からないの。」


「でも、ザレインの売買をしたのは間違いないんだろう?」


「ええ。それは間違いないわ。でも、それはあくまでも、この付近の街や村での話よ。他の場所から仕入れる事も出来るだろうし、このフヨルデが手を貸しているかどうかまでは分からないわ。」


「そうか…だが、可能性は十分有るはずだ。ザナにかまを掛けても良いかもしれないな…」


「奴は正気に戻ったの?」


「正気に戻ったかどうかは微妙だが、会話が成立する程度に喋れるようにはなったぞ。」


「それは重畳ね。どうかしら?何か喋りそうかしら?」


「今はザレインを餌に、精神を追い詰めている段階だな。あいつが話し合いが出来る状態だと気が付いたのは、本当に今さっきの事でな。自分が殺されないと分かっていて、随分と横暴な態度を取っていたんだ。

ザレインの葉巻を見せたら、その余裕も無くなってきたみたいだが…

何か引っ掛かるんだよな…」


「何が気になるのですか?」


「ザナは、殺されないとしても、逃げられない状態だ。そんな状態でも、何故かやけに余裕を見せていてな…」


「逃げられる自信が有るって事かしら?」


「どうだろうな……手下が全滅している事は知らないだろうし、それが余裕に繋がっているのかと思っていたが、何か違う気がしてな。」


「……私達も合流して、警戒に入った方が良さそうかしら?」


「そうだな……出来れば、そうしてもらえると助かるな。」


フヨルデという貴族の事は非常に気になる。気になるが…罠である可能性が高い為、嗅ぎ回り過ぎると、厄介事を自ら引き込む事になるかもしれない為、一旦ハイネ達の調査を止めるべきだと判断した。

ハンターズララバイの大きさを考えると、そのフヨルデという貴族は、間違いなく大きな力を持った貴族だ。何も知らないうちに動かれでもしたら、身動きが取れなくなってしまう。それよりも先に、ザナから情報を仕入れておきたい。


「分かったわ。それじゃあ、私達の調査は一旦保留ね。

ピルテ。まずは付近の安全確認から行うわよ。どんな事も見逃さないようにね。」


「はい!」


ハイネとピルテがその場を離れ、周囲の安全確認に行ってくれる。

もし、ザナの余裕が、誰かに助けてもらえるだろうという考えの上に成り立っているのだとしたら、周囲に、その誰かが来ている可能性が高い…と考えてくれたのだろう。


俺はニルの元に戻り、ザナに聞こえないように、フヨルデという貴族が関係している事と、今後の予定を伝える。


「分かりました。では、暫くの間は、ザナを落とす事に注力するという事ですね。」


「ああ。」


「…ご主人様。一つ、気になる事が有るのですが…お聞きしても宜しいでしょうか?」


「ん?何だ?」


「ザナの居た城なのですが…あの城に居た連中は、本当にノーブルの精鋭だったのでしょうか?」


「……ニルも気になっていたか。」


「…はい。確かにザナの腕は、それなりのものでしたが、それ故に、あまりにも手下との差が大き過ぎる気がしまして…

いくらザナを頂点として作られた組織とはいえ、あまりにも弱過ぎます。

ザナを守る…もしくは、ノーブルを守る為に、もっと手練の者達が居なければ、存続自体が危ぶまれるのではないかと…」


三百人もの者達が集まっていた城。そこにザナも居た事から、ノーブルの大半の者達が城に居た事は、まず間違いないはずだ。しかしながら、戦闘力が必要の無い貴族盗賊とはいえ、ザナ以外は全く戦えないとなれば、ハンターズララバイの中で、一目置かれる盗賊団とは認められないのではないか…?と俺も考えてはいた。

それに、本業は貴族盗賊であり、腕の良い連中は、仕事をする為に、城から離れていたという事も考えられる。つまり、腕の立つ連中は、城の連中とは別に居るのではないかと。


「その予想が当たっていたとしたら、近いうちに襲撃が有るかもしれないな…」


「どれだけの数が居るかにもよるかと思いますが…場所を移動させますか?」


「そうだな……」


「シンヤさん!」


拠点を移そうか考えていると、ハイネとピルテが焦った様子で戻って来る。やけに早い帰還だ。


「何か見付けたのか?」


「ええ。ここから少し西に行った場所で、何人かがキャンプを張っていた跡が残っていたわ。」


「もうそこまで来ていたのか…一応見回っていたのだが…」


「上手く隠していたから、気付けなくて当然よ。私達も、焚火たきびの焦げた臭いが残っていなければ、気付けなかったわ。」


「という事は、何人居たのかまでは分からないか…」


「ええ。大人数かもしれないし、一人かもしれないわ。」


「焦げた臭いがするという事は、敵は近いな……

拠点を移そうかと考えていたが…ここまで近付かれているならば、その方が危険だな。移動中を狙われるのは避けたい。」


「ザナの手下ではなく、黒犬という線は無いでしょうか?」


「それは無いわ。黒犬だったら、焦げた臭いすら残さないはずよ。」


俺達を追い続けている黒犬だが、俺達は、黒犬の痕跡を一度も見ていない。そんな単純な痕跡を残すような連中ではないだろう。


「そうなると、ザナの手下の生き残りだと考えて良さそうですね。」


「ああ。ただ、手練の可能性が高い。慎重に行くぞ。」


「ザナが何に期待しているのか知らないけれど、目に物見せてやるわ。」


移動は諦め、迎え打つ事を決めた俺達は、早速準備に取り掛かる。トラップを仕掛け、陣形を決め、ザナを隠す。


「ぐひひ……お前達が如何に強かろうと、あいつ等に勝てるわけが無い…ぐひひひひひ……」


ぐひひはどうでも良い。それより、あいつという事は、少なくとも一人ではないらしい。

ザナが騒ぐと、こちらの作戦が台無しになる為、防音の風で覆い、静かにさせる。


「ザナが俺達と居る事は気付いているだろうし、焚火の痕跡が有った位置はかなり近い。襲撃してくるのは今夜のはずだ。そろそろ日が沈む。気を引き締めるぞ。」


「「はい!」」


ピルテとニルが、同時に元気な返事をしてくれた後、それぞれが担当の配置場所へと移動する。


それから間もなくして、夜のとばりが下りる。


敵に位置を知られたくない為、明かりは一切無い。その為、ハイネとピルテの目が頼りだ。

俺とニルは戦闘が始まってから参加する予定だ。


暗く、虫の声以外は何も聞こえない森の中を、緊張感が漂う。


「ぐあっ!!」


「ぎゃぁっ!!」


静かな森の中に、誰かの叫び声が響く。

どうやら、ハイネとピルテが、暗闇を利用して敵に攻撃を仕掛けているらしい。俺とニルには全く見えないが、戦闘は既に始まっている。

敵の叫び声から、ある程度敵の位置は把握できるが、他の者達は言葉も交わしておらず、全くどこにいるのか分からない。城に居た連中とは雲泥うんでいの差だ。

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