第350話 裏切り
何合かのやり取りを終えると、黒犬の五人が一度大きく下がる。
「嫌な間ね…」
「私達の実力を見て、どうするかを決めているように見えますね。」
「品定めって事ね。腹が立つけれど、それだけ実力差が有るって事なのね。」
「どうしますか…?」
「最悪、ピルテは逃げなさい。」
「お母様?!」
「あいつらに捕まって拷問される者は一人で十分よ。私が本気で立ち向かえば、三人を逃がすだけの時間くらい稼げるわ。」
「そんな事…っ?!」
ブンッ!
こちらの話し合いなどお構い無しに攻撃を仕掛けてくる黒犬達。
「喋っていると舌を噛むわよ。」
「しかしお母様!」
「もしも、最悪の事態に陥った時は、という話よ。そうなる前に、こいつらをどうにかするわよ。」
黒犬と一戦交えると決めていたのに、諦めるのが早いと思えるかもしれないが、それ程に、ハイネリンデ達と、黒犬の間には大きな差が存在していた。
それを実際に見てしまったハイネリンデは、上手く逃げ出す事を、同時に考えざるを得なかった。
「私は諦めませんよ!」
ザンッ!
近寄ってくる黒犬の動きの先に、ピルテがシャドウクロウを伸ばす。攻撃は当たらなかったが、牽制は出来た。
「まだまだこれからではないですか!」
「…そうね。弱気はいけないわね。
そろそろ私達も反撃に出るわよ!」
「はい!」
ハイネリンデとピルテが、互いの距離を僅かに空け、同じ方向へと走り出す。
「罠に気を付けるのよ!」
「分かっています!」
二人はテトラの家の周囲に有る瓦礫の上を走り、黒犬の一人へと接近する。ここまでの戦闘で、踏んでも大丈夫な場所はいくつか覚えている。
「はっ!」
「やっ!」
ブンッ!ブンッ!
相手に接近し、二人で一人を相手にする。近接戦闘において、ハイネリンデとピルテが取れる行動はこれしかない。一対一で勝てる見込みなど無い。
二人の身体能力は、非常に高い。それなのに、攻撃が
相手の方が身体能力が高いから…という事も有るが、対人戦闘における経験値があまりにも違い過ぎる。
「くっ!はっ!」
ブンッ!ブンッ!
ピルテの動きはそれ程悪くは無い。寧ろ気合いも入っていて調子が良い程である。それなのに、攻撃は爪先すら当たらない。
「このっ!はっ!」
ブンッ!ブンッ!
それは何度攻撃を仕掛けたところで同じ事。
それでも、二人は何度でも攻撃を仕掛け続ける。
「はあ……はあ……」
「…………………」
激しく動き回ったせいで、ハイネリンデとピルテの息があがり、動きが徐々に鈍ってくる。それに対し、黒犬の連中の方はまだまだ動きに余裕がある。
「まだまだ……ここからよ……」
「はあ……はあ……」
強がっていても、二人の体力は増えたりしない。
ゴウッ!!
二人がギリギリの戦いを繰り広げていると、黒犬の包囲網の外側から、上級火魔法である、獄炎球が二つ飛来する。
「っ?!」
獄炎球の範囲内に居た黒犬三人が、直ぐに回避行動を取る。
サザーナとアイザスの援護だ。
ここまで、二人はひたすらに相手の動きを見続けていた。どうやって攻撃をしてくるのか、ハイネリンデとピルテの攻撃に、どう対処するのか。それを息を殺し、ただ観察していたのだ。もしそれを把握出来たならば、援護が格段に効いてくるようになる。
しかし、黒犬には、サザーナとアイザスが同行している事もバレている為、二人がどこかに隠れて戦況を見ている事はバレていたはず。
つまり、黒犬の連中も、二人に観察されている事前提で動いていたという事になる。
サザーナとアイザスの二人は、そんな黒犬の動きを、どこまで観察するのか、フェイクの動きが無いかを、しっかりと
ハイネリンデとピルテがギリギリの戦いを繰り広げている中、黙って観察し続けるというのは、二人にとって非常に辛い時間だったが、自分の仕事を全うする為に、耐え忍んだのだ。
「ピルテ…よく頑張ったわ…あと一息よ…」
「はあ……はあ……はい……」
二人の体力も、もう限界が近い。
決めるなら、一気にやるしかない。
「……行くわよ!」
「はい!!」
息も切れ切れの体に鞭を打ち、二人が走り出す。
黒犬はハイネリンデとピルテの二人に加えて、包囲網の外側に居るサザーナとアイザスにも気を払わねばならなくなった。
形勢逆転…とまではいかないかもしれないが、かなり有利に戦えるはず。
ガガガガガガッ!
後方から飛んでくる石の
ハイネリンデとピルテに近付こうとする黒犬三人の足が止められる。
ゴウッ!
続けて、二人の横を通り抜ける風。上級風魔法、大風刃が飛んで行っているのだ。
「っ!!」
ザシュッ!
黒犬の一人が逃げ遅れ、ローブの上から腕に傷を与える。
軽い切り傷程度だが、それでも初めてまともに与えられたダメージだ。
「はっ!」
「はぁっ!」
残された一人に、二人が同時に攻撃を仕掛ける。
「ちっ!」
無言でハイネリンデとピルテを追い詰めていた黒犬が、初めて反応を示した。
ザンッ!ザシュッ!
ピルテの攻撃を紙一重で躱した黒犬だったが、それ故に、ハイネリンデの攻撃を避け切れず、肩口にシャドウクロウが刺さる。
ブンッ!
しかし、痛みに怯まず、即座に反撃され、ハイネリンデは一歩下がってそれを躱す。
「逃がしませんよ!」
ブンッ!ザシュッ!
ハイネリンデの動きに合わせ、後ろへ跳ぼうとした相手に、ピルテが追い討ちをかける。
右手による一撃目は躱されたが、左手による二撃目が相手の胸部を斜めに走る。
「っ!!」
相手は、流石に対処出来ず、傷を負いながら、大きく後ろへと跳び、ハイネリンデとピルテから距離を取る。
「倒しきれなかったわね…」
「ですが、これ以上戦闘に参加は出来ないはずです。」
ピルテの言ったように、傷を受けた相手は、下がったところで膝を着いて、動きを止める。
「一人落としたわね。」
「残り四人ですね。」
この五人の隊長なのか、一人が傷を負った者に目配せする。すると、傷を受けた者は、そのままゆっくりと下がっていき、影の中へと消えていく。
「この調子で行くわよ。」
「はい!」
上手く戦えると分かれば、二人の元気も戻ってくるというもの。息切れしていたはずの体が、いつの間にか好調にまで戻っている。空元気というやつかもしれないが。
「次は右手の奴よ!」
ハイネリンデが右手側に立っている一人に視線を向ける。
後方支援のサザーナとアイザスに合図を送ったのだ。
しかし……
「………??」
いくら待っても、サザーナとアイザスによる魔法の援護が無い。
「…………ぐっ……ハイネリンデ……様……逃げて……下さ…」
ドサッ……
後ろからヨロヨロと現れたのは、横腹を押さえながら倒れ込むアイザス。
「アイザス?!」
「……ぁ……ぅ……」
そして、倒れたアイザスの後ろから、震える手に、血に濡れたナイフを持って現れたのは…………………テトラだった。
自分のした事に、恐怖しているように見える。
「テトラ?!」
「ご…ごめん……なさい……こうしないと……母が……弟が……」
カランッ……
手に持っていたナイフが地面に落ちる。
アイザスは、きっとテトラを庇いながら魔法による攻撃を行っていたのだろう。
ここからだ…というタイミングで、背後に居たテトラに、刺されてしまったのだ。
「ハイネリンデ様!お逃げ下さい!」
そして、その後ろから現れたのは、黒いローブに身を包んだ者に捕らえられたサザーナだった。
サザーナを捕らえているのは、逃げた者ではなく、別の者。つまり
当然だが、ハイネリンデ達も、伏兵が居ることは予想していた。サザーナとアイザスも、伏兵の存在には常に注意をして動いていたはず。しかし、テトラの一撃によって、虚を突かれ、サザーナの意識がアイザスとテトラに向いた時に、捕まったのだろう。
「テトラ……何故……」
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
泣きながら謝り続けるテトラ。
「……アイザス……」
倒れたアイザスは、僅かに息が有るものの、恐らくあと数分の命。出血量が尋常ではない。
「大人しくしろ。アーテン-アラボルに関する情報を渡せ。」
初めてまともに口を開いた黒犬の連中から出てきた言葉は、それだけだった。
「あなた達……何故こんな事をするのよ。私たちは仲間のはずでしょう。」
「我々は黒犬だ。魔王様の命令が全て。それだけの事だ。」
「魔王様が我々を殺せと?」
「殺しても構わないと言われている。」
「…………………」
黒犬の仕事は、常にこういったものばかり。彼等を責めたところで、何も解決はしない。分かっていても、目の前で死んでいく部下を見てしまうと、恨みが溢れ出してくる。
「その子はどうするつもりなの…?」
テトラを見て、黒犬に聞く。
「我々を目撃した時点で、末路は誰でも同じだ。」
「っ?!」
テトラは、自分がただただ利用されていたという事に気付き、その場に膝を落とす。
「無慈悲ね。」
「それが我々の役目だ。」
「……………………」
「……………………」
「……逃げて下さい!」
ハイネリンデとピルテが、黒犬と対面している最中、捕まっているはずのサザーナの大声が聞こえる。
ザシュッ!!
サザーナの方を見た時には、既に遅かった。
捕まり、刃を突き付けられた状態で暴れたサザーナ。その首に、刃が走る。
「サザーナ!!」
「ぐっ…ごほっ…」
ドシャッ……
首を切られたサザーナは前のめりに倒れ込む。
首元からドクドクと血が流れ続け、地面に広がっていく。
「ア゛イ゛…サ゛ス゛………」
サザーナが右手をアイザスに伸ばす。
既に顔が真っ青になって倒れているアイザスが、それでも、伸ばされた手に自分の手を重ね、笑う。
そして、二人の重なった手から、黒い光が放たれる。
「っ!!!」
ハイネリンデはその瞬間、何をする気なのか理解し、ピルテと自分を守るように吸血鬼魔法、ダークシェルを発動する。
ブラッドエクスプロージョン。
吸血鬼魔法の中で、最も強力な魔法の一つ。
媒体は自分の全身の血。つまり、この魔法を使うと、術者は確実に死に至る。
全身の血を一瞬にして沸騰、気化させることで、自分の体を爆発させ、骨や血液を弾丸のように飛ばし、周囲の者達を巻き添えにする…自爆魔法である。
アイザスとサザーナは、自分達の死を確信し、ハイネリンデとピルテを守る為、このブラッドエクスプロージョンを発動させた。
ダークシェルを発動させた瞬間、二人の体が有り得ない形に膨張する。
パァァァァァァアアアアアアン!!
まるで水風船を割った時のような高く鋭い音がすると、二人を形成していた骨と血が周囲に飛び散る。
このブラッドエクスプロージョンを使用すると、体内にあった血液は、飛び散った瞬間に石のように硬化する。
ズガガガガガガガガガガガガガガガガッ!
周囲の全てと、ダークシェルを打つ血と骨の弾丸。
周りに立っていた黒犬の連中は、全身に無数の穴を空けて、ビクビクと身体を震わせている。
「アイザス!サザーナ!」
「出ては駄目よ!!」
ピルテは、二人の死を受け入れられず、ダークシェルの外に出ようとする。
気持ちはハイネリンデもよく分かる。
アイザスとサザーナの事を好いていたのは、ハイネリンデも同じなのだから。
だが、もう既に、二人の命は消え去ってしまった。
今から出ても、二人の遺体を示す物は、肉片や骨片くらいしかない。
「そんな……サザーナ…アイザス…嫌……嫌ぁ!」
いつも冷静なピルテが、ハイネリンデを突き飛ばす勢いで取り乱す。彼女にとって、アイザスとサザーナは信頼していた部下。家族に近い者達とも言える。そんな者達を、目の前で、同時に二人失ったのだ。ピルテの心労は計り知れない。
ガガガガガ…………
パキパキッ!
飛来していた血と骨が全て通り過ぎ、同時にダークシェルの耐久値が失われて、崩壊する。そして……完全な静寂が訪れる。
黒犬の連中も、途中で離脱した一人を残し、全員死んでしまった。
「うぅ……アイザス……サザーナ……」
二人だと分かるものは、もう何も残ってはいない。その現実に、ピルテは立ち上がる事さえ出来ない。
「……ピルテ。立って。」
そんなピルテの腕を、ハイネリンデが引っ張り上げる。
「これだけ派手に暴れると、流石に人が動くはずよ。早くここを離れましょう。」
「ぅ……うぅ………」
こんな時でさえ、ろくに悲しむ事すら出来ない。
「あ……あの………」
ピルテを支えながら引っ張り上げたところで、後ろから声がする。
「テトラ……生きていたのね。」
「…あの……その……」
「何も聞きたくないわ。信じた私達が悪いのは分かっているけれど、あなたの言葉はもう、何も私達には届かないわ。」
「…………………」
テトラは、きっと黒犬の連中に騙されていた。
ハイネリンデ達をどうにかしなければ、母と弟を殺すとでも言われていたのだろう。だが、それが何だと言うのだろうか。
家の中に入れば、恐らくテトラは絶望するだろう。それでも、先に教えてやる優しさは、ハイネリンデの中にもう残ってはいなかった。寧ろ、その凄惨な現場を見て、絶望して欲しいとさえ思っていた。自分が今まさに受けている絶望を感じて欲しいと。
「行くわよ。ピルテ。」
支えていなければ立っていられない状態のピルテを引っ張るようにその場を離れる。
「どうして……こんな事に……」
「…………私が甘かったせいよ。責めるなら、私を責めなさい。」
「うぅ……」
実際、ハイネリンデがこのパーティの全体指揮を
確かに、追っ手の黒犬を倒す事が出来れば、今後の行動を楽に進められる。それは事実だが、出来るかどうかは別。
その目的は、アイザスとサザーナの犠牲によって、ほぼ完遂したが、一人逃がしてしまっている。また追っ手は来る。早く身を隠し、姿を消さなければならない。
責任は自分に有る為、責めるなら自分を責めて欲しいという思いと、早く逃げなければという思いが混ざり合い、頭の中がぐちゃぐちゃになる。
正確に言えば、こうなってしまったのは、黒犬…いや、その裏に隠れている何者かのせいである。それでも、簡単に割り切れる話でもない。
「もっと慎重に動くべきだったわ……そして、もっと手段を選ばずに動くべきだったわ。」
問題点を挙げたならば、きっといくらでも出てきてしまう。しかし、優し過ぎた、慎重さが足りなかった、そして、他人を信用してしまった。この辺りの理由が、ハイネリンデの心の中に棘として刺さり、残る。
「……サザーナとアイザスの為にも、これからは手段を変えて、もっと闇に潜むわよ。」
「手段を……?」
「血の記憶を辿るわ。無駄に殺したりはしないけれど、一刻も早くアラボル様に辿り着くわよ。サザーナとアイザスの死を無駄にしない為にも。
でも、血の記憶は私が見るわ。ピルテはマジックローズの入手と、調査をお願い。」
「…………はい……」
まだ二人の死から立ち直れてはいないが、優しくしてばかりもいられない。ただ、今話す事では無い。それを分かっていても、ハイネリンデは言葉を放った。ハイネリンデもまた、混乱している。立ち直れていないのだ。
こうして、二人だけになったハイネリンデとピルテは、街を出て、そこから容赦無く血の記憶を辿り、四年間を掛けて、更に南へ、レンジビへと向かって行く事になる。
ーー・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー
「……という事よ。私達は、アーテン-アラボル様を追い続けて、ここまで来たの。
今は黒犬からも身を隠さなければならないから、こんな場所に居るの。
吸血鬼の話なんて、信じられないかしら?」
神殿の中。俺とニルに話を続けていたハイネリンデの言葉が、やっと途絶える。
ハイネリンデも、ピルテも、部下だったアイザスとサザーナの話をする時、俺とニルに話していながらも、辛い過去を思い出して、痛そうな顔をしていた。
あの表情は、演技で出来るものではない。間違いなく、彼女の話は本当だ。
「いや。信じるよ。」
「本当ですか?!」
「二人が黒犬、ランパルド側の者かと疑っていたんだ。可能性として無くは無いだろう?」
「それだけは絶対に有り得ないわ。死んだアイザスとサザーナに誓ってね。」
「私も、誓って違うと言えます。」
二人の目に嘘は無い。俺も、横で話を聞いていたニルも、そこに関しては同意見だった。
最後の直接的な質問によって、二人がこちら側の立ち位置だと確信した俺とニルは、魔王妃のペンダントを持っているということを除いて、アーテン婆さんとの一件について話をする事にした。
「先の話は信じよう。俺の方から、ギルドにも色々と
「あ、ありがとうございます!」
「感謝するわ、本当にありがとう。」
未だ被害者達の涙が脳裏にこびり付いているが、被害者達自身がこの件を終わりにすると言ったのだ。俺とニルがこれ以上引き伸ばす必要は無い。
「礼ならば改めて被害者の人達に言うんだな。彼等、彼女等が許してくれなければ、俺は手を貸したりしなかったからな。」
「はい。」
「ええ。そうさせてもらうわ。」
ハイネリンデには、ピルテという娘が居て、自分の命を差し出しても守りたいと思うならば、サナマリ達のような被害者がどんな思いをしていて、母親がどんな気持ちになるのか想像出来そうな気もするが…
アイザスとサザーナという部下の死が、二人を変えてしまったのかもしれない。
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