第327話 宿
俺達は急いでいるし、ここで依頼を受けるわけにはいかない。時間の掛からないような、例えば今日中に終わってしまうようなものならば、受けても良いが、それ以上の依頼は無理だ。
「急いでいるから、多分無理だと思うが…内容だけ聞けるか?もし、時間の掛からないものならば、受けても良い。」
「本当ですかー?えーっとー…こちらが依頼書になりますー。」
ラルベルがカウンターの下から出してきた依頼書を受け取る。
「討伐依頼か……目標は…不明?」
依頼書の内容を読んでみたが、討伐目標が不明となっている。
討伐依頼なのに、討伐目標が不明とは…意味が不明だ。
「実はー…最近この街でモンスターらしき存在が起こしている事件がー…」
「噂になっている奇妙な事件の事か?襲われたという記憶しか残っていないという。」
「やはり知っていましたかー…」
「俺も最近聞いただけだがな…話の内容からして、一日やそこらで片付くような案件じゃあなさそうだし、悪いけれど…」
流石にこの依頼を受けるわけにはいかない。時間が掛かるに違いない。
「いいえー。気にしないで下さいー。今は所用で出払っていますがー、この街にもSランクの冒険者パーティが何組か居ますからねー。彼等に対処してもらいますよー。」
「Sランクのパーティが出払っているから、俺に頼もうとしたのか。」
「はいー。」
「…すまないな。」
「いいえー。本当に気にしないで下さいー。予定ではー、もうすぐ皆様帰って来て下さいますのでー。」
ニコニコしているラルベルを見ていると、本当に申し訳なくなってくる。
しかし、今回ばかりはこちらも外せない。何故ならば、こちらは、魔族の事のみならず、全世界の行く末にまで関わる問題だと言えるからだ。
俺は手に持った依頼書をラルベルに返す。
「それでー、何か聞きたい事があるとの事でしたがー…何でしょうかー?」
「良い宿を探しているんだ。宿が多すぎてよく分からなくてな。泊まるのは一日だけの予定だから、気にしなくて良いとは思うが…」
「宿は大切ですからねー。分かりますよー。」
宿選びというのは、旅において結構重要だったりする。日本人にとっては、どこでも同じだと考えがちだが、それは違う。
悪質な宿では、ぼったくり、盗難、強姦等、様々な問題が起きる可能性が有ったりする。俺とニルならば、その程度返り討ちに出来てしまうとは思うが、敢えて罠の張られている場所に行くのも嫌だし、折角街に居るのに、気を張って寝るのも嫌だ。どうせならば、しっかりと休息を取りたい。特に、今は黒犬らしき連中から狙われているし、旅の途中は一切気が抜けないのだ。こういう時にしっかり休息を取らないと、この先の旅が辛くなってしまう。
「それでしたらー、青木の庭という宿が良いですよー。少し街から離れてしまいますがー。」
「構わない。場所を教えてもらえるか?」
「はいー。」
そう言って、ラルベルから場所を聞いた後、冒険者ギルドを出る。ギルドを出るまで、ラルベルは常にニコニコしており、ずっとのほほーんとしていた。
冒険者ギルドを出た後、ニルと共に、ラルベルから聞いた、青木の庭と呼ばれる宿を目指した。
場所は街から出て少し行った所に在る民家の一つで、宿は宿でも、民宿と言った方がしっくり来る宿だった。
変わった名前の宿だと思っていたが、到着すると、家の周りには、真っ青な幹が特徴的な木が沢山生えており、宿の名前の由来が直ぐに分かった。
「変わった形の木ですね?」
ニルが言うように、家の周りに生える青い木の見た目は、かなり独特で、細長く青色の幹がグネグネと蛇行しながら上へと上り、一定の高さで青色の葉を横へ横へと広げている。
そこに
「甘い匂いがしているが、食えるのか?」
「この辺り特有の植物でしょうか?見た事の無い実ですね。」
馬車を進ませながら、二人で話していると、中央に有る家の中から、誰かが出てくる。
青い木の下を通って、その人物に近付いていくと…
「お客さんかい?」
そう聞いてきたのは、獣人族の女性で、丸く小さな耳と尻尾を見るに、コアラの獣人族らしい。
割とふくよかな体付きで、赤くウェーブの掛かった短い髪に、赤い瞳。パッチリした目の女性だ。歳は…多分、四十代後半か五十代前半…くらいだろう。
「ラルベルから聞いてきたんだが、大丈夫か?」
「ラルベルから?珍しいね。」
「そうなのか?」
「あの子がここを紹介するのは、かなり長い付き合いの人か、余程信頼している人だからね。」
「んー…?」
俺、何かしたか?信頼されるような何かをした覚えは無いし、寧ろ、依頼を断っているのだから、マイナスイメージだと思うのだが…
「ラルベルの紹介なら、心配も無さそうだね。
私はビタリア-ヘタナルカ。よろしくね。」
「俺はカイドー。こっちはニルだ。よろしくな。」
「私の事はリアって呼びな。」
「リアさんか。分かった。俺達の事は適当に呼んでくれ。
馬はどうする?」
「家の裏手に、馬車を止めておくスペースが有るから、そこに繋げておきな。世話はしておくから。」
「それは助かる。」
「馬を繋いだら、玄関から入って来るんだよ。」
そこまで言うと、リアさんは家の中へと入って行った。
普通の宿とは違い、アットホームな感じで、宿主と言うより、近所の、世話焼きおばさんの家に来た…みたいな感じだ。そんな経験は無いからあくまでも想像だが。
「ご主人様は先に中へどうぞ。私も馬車を置いて直ぐに行きます。」
「分かった。後は頼むよ。」
「はい。」
俺は馬車を降りて先にリアさんの家に入る。
「来たかい?ニルちゃんは大丈夫なのかい?」
「ああ。優秀でね。」
「そうみたいだね。今飲み物を用意しているから、そこで座って休んでな。」
家の中に入ると、ソファや椅子がいくつか置いてあり、一人で住むには少し広すぎる気がする。だから民宿のような事をしているのだろう。
「二人はどこから来たんだい?」
紅茶を用意しながら、背を向けたままリアさんが聞いてくる。
「ずっと遠くに在るポポルって村だ。」
「聞いた事のない村って事は、それ程遠くから来たって事だね。何でこんな場所に?」
「まあ色々とあってな。巡り巡ってこんな所まで来たって事だ。」
「冒険者ってのも難儀な仕事だね。」
「そういうのを楽しめる奴じゃないとやっていけないだろうな。」
「私はここでのんびり暮らすことが出来れば、それで良いからね。私には無理な仕事さ。」
「ご主人様。」
話の切れ目に、タイミング良くニルが戻ってくる。
「ニルちゃんも座りな。長旅だったみたいだし、ゆっくり体を休めて行くと良いさ。」
「あ、ありがとうございます。」
何度も言うようだが、奴隷に対して、優しく接してくれる人はとても少ない。その点、リアさんは広い心の持ち主のようだ。奴隷に対して寛容な人が経営している宿だから、ここを紹介してくれたのだろうか…?あの時、俺一人で冒険者ギルドに入ったし、ニルという奴隷が共に居ることは知らないはず。ただの偶然だろうか?
「なんだい?そんな不思議そうな目で見て。」
ニルは、自分が奴隷だと分かった上で、優しくしてくれるリアさんを不思議そうに見詰めている。
最近はニルに対しても優しい人達との交流が多かった。しかし、それはそこだけを切り取って見た時の話だ。
この街に入ってからも、門番には、まるで空気のように扱われたし、街中を歩いていても、汚い物を見るような目で見られる事だって多々あった。
ニルは気にしていない様子だったが、どうしても、そういう偏見は尽きないし、俺としては気分が悪い。しかし、それが普通であり、一般常識なのだ。
リアさんは、俺とニルが横並びに座るソファーの前に有るテーブルに、紅茶を置いてくれる。
「私特製、ブルーツリーの紅茶だよ。」
リアさんが淹れてくれた紅茶は、若干青みがかった琥珀色をしていて、水面から昇る湯気からは、甘い香りがする。
外で嗅いだ匂いと同じだ。
一番近いのは、バナナの香りだろうか。バナナよりも青臭さが少なく、甘い香りが強いような匂いだ。紅茶特有の香ばしい香りと混ざり、
「良い香りですね。」
「外にある木はブルーツリーって言うのか?」
「そうだよ。この辺の土壌で育てないと、実を付けないと言われている木でね。この街の特産品としても有名な品だよ。
ただ、あまり長持ちはしないから、遠くには運べないけれどね。」
リアさんの言葉を聞きながら、紅茶を口に運ぶ。
「ん!美味しい!」
「そうだろう?」
「本当ですね!香ばしいのに甘くて…私はこの紅茶大好きです!」
「ぶはははは!そうかいそうかい!もう一杯どうだい?」
「はい!是非お願いします!」
「良い子だねー!そんなに喜んで貰えると、作った甲斐があったってものだね!」
嬉しそうにお代わりをカップに注ぐリアさん。
「自分で作ったのか?」
「そうだよ。私のお手製さ。作り方は秘密だけれど、他では飲めない一品さ。」
「へえ……リアさん。それ、売り物にしてみる気はないか?」
「売り物に?」
「実は腕の良い商人が居てな。目玉商品を見付けて、ここからテーベンハーグまでの航路を作ろうという話をしていたから、その便に乗せてみるってのはどうだ?」
「私の紅茶を?そんなに大量には作れないよ?」
「少しでもやる気が有るなら、その商人を紹介するよ。沢山作れないってのも話し合えば上手く解決してくれると思うぞ。」
「……そうだね……」
リアさんは斜め上を見ながら考えを巡らせる。
「それなら、紹介してもらおうかね。」
「よし来た!直ぐに連れてくるよ!」
「今からかい?」
「善は急げって言うだろう。」
「せめて紅茶を飲んで行ってくれると嬉しいのだけれど?」
「おっと…そうだったな。一休みしてから行くとするよ。」
俺が出ようとした時点で、ニルは紅茶を戻して立ち上がろうとしていた。あれだけ喜んで飲んでいたのに…急ぎ過ぎた。それをリアさんがアイコンタクトで教えてくれた為、俺は持ち上げようとした腰を下ろす。
「焼き菓子も有るから、軽く食べて行きな。
昼ご飯はどうするつもりなんだい?」
「何か外で食べようかと思っているのだが…」
「それなら、私のオススメの店を教えてあげるよ。そこへ行ってみな。」
「それは有難いね。助かるよ。」
リアさんが出してくれたクッキーのような焼き菓子を軽く食べて、紅茶を飲む。
少し落ち着いたところで、外へ出ると、リアさんが見送ってくれる。
俺の母とはタイプが違って、少し荒々しい感じがするものの、母性の塊みたいな人だ。面倒見が良い人なのだろう。
俺とニルは歩いて街へ戻る。
馬車は使わなかった。街までは、それ程遠くないし、ゆっくり歩いていくのも良いものだとリアさんに言われたからだ。
「本当に色々な作物を育てているのですね。」
「だな。あっちは葉物の野菜だな。」
「あっちの家は果物みたいですね。」
「各家庭でこれだけの農作物を作っていたら、かなりの量になるし、この辺り一帯の農作物はここの物だと言われるのも頷けるな。」
街の方へと歩いていくと、綺麗な水が流れる川が見える。
「街の中に川が有るのか。」
「山から下りてきた水を、そのまま外壁の内側に引いているみたいですね。」
川を覗き込むと、透き通った水の中を、魚が泳いでいる。
「農作物は綺麗な水が必要だからな。街全体に行き渡るように、色々なところから川を引いてきているのかもな。」
「今まで見てきた街とは、また違った風景ですね。」
「これ程街中に風が通るというのも、不思議な話だな。」
「広過ぎてここが街中だと忘れそうになりますね。」
馬車を下りて歩いていると、馬車の上から見ていただけでは気が付かなかった物もよく見える。リアさんの言う通りにしてみて良かった。
そうして周りを見ながら歩いていると、あっという間に街に辿り着いてしまう。
「商業ギルドは向こうだったな?」
「はい。」
斜め後ろを歩くニルと共に商業ギルドを目指して歩いていると…
ズシャッ!
「きゃっ!」
突然近くから音と短い悲鳴が聞こえてくる。
「いてててて……」
音の方に目をやると、小さな獣人族の女性が地べたに倒れている。
小さなというのは年齢的な話ではなく、身長的な話だ。
「大丈夫か?」
女性の周りには、食材やら何やらが転がっていて、大変な事になっている。流石に見て見ぬふりは出来ず、俺とニルで落ちた物を拾う。
「あ、ありがとうございます!」
そう言いながら起き上がったのは、ウェーブ髪の赤く長い髪に、赤い瞳、小さく丸い耳と尻尾、クリっとした目が可愛い女性だった。
「私ドジでよく転んでしまうんです!」
「お、おう。」
突然の弱点カミングアウト。どうしろと?
「落とした物は全部有るか?」
「は、はい!」
「怪我をしていますよ。」
ニルが倒れた女性の膝辺りを見ると、血が滲んでいる。
「これくらいの傷なら…」
俺は直ぐに傷薬を取り出す。
「ニル。塗ってやってくれ。」
「分かりました。」
「い、いえ!このくらいの傷は問題無いので!」
「大した物じゃあないから、気にするな。」
ニルが膝に傷薬を塗り、普通の白布を巻き付ける。
擦り傷程度ならば、直ぐに治るだろう。
「それじゃあ、もう転ぶなよ?」
「あ、あの!お名前を!」
「ん?俺のか?」
「はい!」
「俺はカイドーという名前の冒険者だ。でも、直ぐにこの街は発つから、本当に気にしなくて良いぞ。それじゃあな。」
「あ…」
何か言おうとしていたが、あまり長く居ると、お礼がどうのとか言い出しそうに感じたので、即座に離脱する。
ヒュリナさんが、また激怒したら困る。
「さっさとヒュリナさんの所に行って、宿とリアさんの話をしよう。」
「はい。」
俺とニルはそのまま商業ギルドへと向かう。
冒険者ギルドよりも、商業ギルドの方が人の出入りが激しく、ロビー内に居る人の数も尋常ではない。
「凄い人の数ですね…」
「これだけ農作物が生産出来る街は他にはあまり無いからな。商人達にとっては、最高の街だろう。人も集まるというものだ。」
「ふふふ。シンヤさんの講習会ですか?」
横から現れたのはヒュリナさん。俺の話を聞いていたらしい。
「プロの商人の前でこんな事を言っているとは…恥ずかしいな。」
「いえいえ。仰られていた通りですから、何も恥ずかしい事などありませんよ。
それより、宿は決まったのですか?」
「ああ。その報告と…実はヒュリナさんに商売の話を持って来たんだ。」
「そんなにどこから商売の話を持ってくるのですか?」
「偶然だよ偶然。」
「偶然だとしても、商人として憧れる運の持ち主ですね。」
「ヒュリナさんにとっても良い話になると思うし、感謝してくれても良いんだぞ?」
「ふふふ。いつも感謝していますよ。」
冗談で言ったのに、素で返されてしまうと、少し恥ずかしい。
「それじゃあ、その話をする為にも、俺達の泊まる宿に向かおうか。」
「宿屋でお話ですか?分かりました。直ぐに行きますので、少しだけお待ち下さい。」
ヒュリナさんは、何やらギルド職員の人に話し掛けた後、俺達と共にギルドの外へ向かう。
「宿に行く前に、昼飯を食べようと思っているのだが、ヒュリナさんは大丈夫か?」
「はい。私もそろそろお腹が空いてきたので、丁度良いタイミングです。」
「良い店というのを聞いてきたんだ。そこで食べた後、宿に向かおう。」
「はい!」
ヒュリナさんを連れて、俺達はリアさんオススメの店へ向かう。
何でも、野菜が美味しいパスタのお店らしい。
「ここみたいですね。」
たどり着いたのは、周囲の店からは少し離れた場所に建っている木製の店。地元の人達が立ち寄るような店らしく、穴場らしい。
店自体は割と小さめで、別に可愛い物が置いてあるわけでもないのに、可愛い印象を受ける。
「いらっしゃませー!」
中に入ると、まさに地元のオジサンやオバサンの憩いの場といった感じだ。客も常連に見えるような人達ばかり。
俺達は席に案内されて座ったが、チラチラとした視線を感じる。
「入り辛い空気感ですね…」
「地元の店!って感じだからな。」
多少の視線は感じるが、奴隷を連れていても入れる店で良かった。たまに奴隷を連れていると入れないという店もあるのだ。
流石に、同じテーブルに着席させるのにはビックリしている人も居たが、席の空きがほとんど無かったので、それで納得してくれたようだ。
「何になさいますか?」
「俺はオススメのパスタかな。」
「私もそれにします。」
店員さんに注文を聞かれて、俺とヒュリナさんが答える。
「それじゃあ、オススメのパスタを三つで。」
ニルの注文も一緒にしないと、水すら出されない事がほとんどである為、指まで立てて、三つだと伝える。
「承りました。」
他にも、適当にサイドメニュー的な物を頼むと、店員さんが注文を伝えに、奥へと消えていく。
「ご主人様にも、ヒュリナ様にも、不快な思いをさせてしまって申し訳ございません…」
「ニルさんが謝ることじゃあないでしょう。人を人として見ない事が普通だと考える方が異常なのです。
私も昔は他人から色々と言われる立場だったので、気持ちは分かります。ですが、自分で自分を罰しても、責任を感じても、自分が傷付くばかりですよ。」
「流石はヒュリナさんだな。良い事言う。」
「…ありがとうございます。」
「お待たせしましたー。オススメパスタです。」
テーブルの上に三つの皿。これが普通で良いじゃあないか。
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