第303話 暗闇の中 (3)

目下に見えるのは、こちらに気が付いたであろうヘルライト。顔という顔が無いから、こちらを向いているのかどうかさえ分からない。

でも、そんな事はどうでも良い、もうやるしかない。


手元の魔法陣が水色に光る。


俺とターナが使ったのは、上級水魔法、アクアグラウンド。プロメルテはその下位互換のアクアフィールドを使用している。

本来、地面の上に対して効果を発動させる範囲魔法なのだが、それを空中に指定してやる事で、大量の水が生成され、一気に下へと向かって落ちていく事になる。

大量に生成された水が、下の方に見えるヘルライトへ向かって一斉に落ちていくと、空気抵抗と表面張力によって、まとまっていた水が細かく別れる。

ここまでは予想通りだ。


ヘルライトを直に包み込むように、水魔法を展開すれば良かっただろうと言われるかもしれないが、ヘルライトを完全に水の中へ閉じ込めた状態にしてしまうと、全てが凍り付くまでに時間が掛かってしまう。それに対して、細かくなった水ならば、それぞれが内部まで固まるまでの時間が短い。この方がフリーズフィールドの効果を素早くヘルライトに与える事が出来る。


落ちていく水の中に混じって落ちていくのは、ドンナテ達に渡しておいた水玉。

流石にヘルライトを狙えと言っても難しい距離である為、適当にばらまいてもらった。投げ込んだ水玉全てが当たる必要は無い。その内の幾つかが当たれば、それで条件は達成出来る。


水魔法だけでも十分な水分量ではあるが、落ちていく水滴を凍らせてもあまり意味は無い、

そこで、水玉の出番だ。結晶が多く残った水玉を投げ付け、全周に勢いよく水が放出させる。すると、ほんの僅かな間だけ、ヘルライト同士の間に、互いを結び付けるような水の橋が出来る。その瞬間を狙ってフリーズフィールドを発動させれば、十体近いヘルライトが、一つの纏まりとして凍り付く。

水魔法によって、ヘルライトの全身は雨に打たれたように濡れる為、ヘルライト自身も凍り付くはず。


バシュッバシュッバシュッ!


投げつけた水玉から水分が吐き出され、複雑な綾取りのように水の橋が掛かる。

体積の三倍程度しか水が放出されない為、予想より少ないが…悪くはない。


こちらの攻撃に気が付いたらしく、ヘルライト達の前に、魔法陣が描かれていく。どれも上級の魔法陣。

十体近いヘルライトから、一斉に上級魔法が放たれれば、簡易的に作った足場など、一瞬で溶けてしまう。


俺は聖魂魔法の準備を始める。


キィィィーーーン……


いつもの耳鳴りのような音が聞こえてくる。


「ここです!」


ニルが魔法を行使すると、魔法陣が青白く光る。


バキィィィン!


タイミング良く放たれたフリーズフィールドによって、予想通り、ヘルライトと周囲の水が凍り付く。


聖魂魔法の準備をしていたが…


ヘルライトが凍り付いた後、描かれていた魔法陣は、全て消えていく。

どうやら上手くヘルライト達を閉じ込められたようだ。


フワフワと浮いていたヘルライトは、体を凍らせた後、纏まったままゆっくりと重力に引っ張られて落ちていく。


「成功…したようね。」


「魔法陣が消えたって事は、少なくとも、凍った時点で魔法を行使出来ない状態には出来たって事だよね?」


「恐らくな。氷魔法は弱点だったのかもしれないな。」


問題は、それで殺せたのかどうかだが…


全員で下を覗き込むが、死んだかどうかなど、分かるはずがない。しかし…


ガシヤァァン……


何か起きるかもしれないと、全員で黙って覗き込んでいると、下の方から氷が割れた音が響いてくる。


「今のって!」


ターナが嬉しそうにペトロに聞く。


「うん。間違いなく底だね。あと少しで、やっと、しっかりした足元に辿り着けそうかな。」


「あと少しって……結構経ってから音が鳴ったよな?」


「ここまでの道程を考えたら、あと少しでしょう?」


「まあ…それもそうか。」


ドンナテが上を見上げ、釣られた皆が上を見上げる。

既に豆粒程のサイズになった、出入口から見える空。

どれだけ下まで下りてきたのか…もう感覚的にでさえ分からない。


「この辺りは、ヘルライトの縄張りかもしれないし、さっさと下へ向かいましょう。

底に辿り着ければ、休憩も出来るでしょうから。」


底に行けば、また新たなモンスターが現れたり、厄介な状況に陥る可能性も有るが、ヘルライトの縄張りに居るのも危険だ。どちらも危険ならば、少なくとも、落ちる危険性が無い場所の方がまだマシだ。

敢えて休憩という言葉を使ったのは、その方が気が楽だからだろう。嫌な場所に向かっていると思うより、休憩する為に今動いていると考えれば、力も湧くというものだ。


「ターナは、魔力、まだ大丈夫か?」


「まだ平気ですよ。少なくとも、まだ数回の戦闘はこなせます。」


「僕も含めて、皆少し疲れが出始めているけれど、下までは一気に行こう。下に辿り着けたら、壁でも床でも穴を掘って閉じ篭れば、休憩くらい出来るはずだからね。」


もうひと踏ん張りだと、自分に言い聞かせて、ロープを掴む腕に力を込める。


ヘルライトを落とした後、ちょこちょことランクの低いモンスターが出てきたが、ものの数ではなく、さっさと倒して下へ向かった。


「皆。そろそろ底が見えてくるよ。」


ペトロの言葉に少し気持ちが軽くなり、下へと進むスピードが若干上がる。


「見えてきた!」


嬉しそうにターナが言うと、俺の目にも地割れの底が見えてくる。


ゴツゴツした平面ではない底面で、歩けない事は無いが、なかなか苦労しそうな地形に見える。


「取り敢えず、下りるとしよう。」


「…………いや!ちょっと待て!」


目の前に見える底に、はやる気持ちは分かる。俺だって今直ぐに下りて一息といきたいが…


「おかしいと思わないのか?」


「何が?」


「モンスターの死骸が無い事だ。」


底面を照らすと、血や肉片のような物は見えるが、ここまでに倒してきたモンスター達の死骸が無い。

特に、ケイブバットの死骸は、かなりの数が落ちてきたはずなのにそれも無く、そして先程凍らせて落としたはずのヘルライトの姿も見えない。

ヘルライトが落ちたであろう跡は見える。しかし、死骸らしき物は一切見えない。


「何かが居て、そいつらが死骸を持っていったって事?」


「自然蒸発したわけじゃあないなら、死骸を持ち去った何かが居るだろうな。」


「ペトロ。何か聞こえるか?」


「ううん。特に何も聞こえないよ。」


「死骸が落ちてきてから随分経つし、もう居ないって可能性もあるけれど…そんな都合良くいかないわよね。

何かが居ると仮定して動くべきね。」


「目の前まで来たのに…」


「一先ずこの辺りの高さに足場を作ろう。

落ちても死にはしない高さだから、一息つくくらいは出来るだろう。」


相手が飛んだり跳ねたりするモンスターだと、少し心配だが、そんなモンスターならば、高さが多少変わったくらい関係無い。


「何が居るのか分かれば、対策を立てる事も出来るだろうし、下に注意しながら休憩しよう。」


「ここまで来て、結局高い所で休憩なんてね…仕方ない事だけれど、モンスターに恨み言の一つくらい言いたくなるわね。」


光に照らされる地割れの底を睨み付けるプロメルテ。

目指していた場所に、目の前まで来て到達出来ないというのは、どうにも気持ちが悪いというのは分かる。イライラするのも仕方ないだろう。


体力と魔力を回復させる為に、交代で休憩を取り、底面に目を光らせていたが、結局、何の音もせず、何かが居る気配は無かった。

休憩を終えた後、再度底面を見ながら、俺達は今後の行動について話し合う事にした。


議題は、底面に下りるか否か。


俺、ニル、ターナ、そしてドンナテは底面に下りるのに反対。プロメルテ、ペトロ、セイドルは下りようという意見の食い違いだ。


ドンナテはイーグルクロウのリーダーであり、基本的に彼が話をまとめて、それに皆が従う形なのだが、稀に、こうして意見がどうにも合わず、話し合いに発展する事が有るらしい。


「何か居るとしても、下りてみないことにはわからないでしょう?」


「下りた時点で八方塞がりになれば、その場で全滅だって有り得るのだから、ここは慎重に行くべきだと思う。

あの気持ちの悪い足ばかりのモンスターは、未知のモンスターだったし、他にも僕達の知らないモンスターが居る可能性だって十分有る。」


「そうは言っても、この高さを維持して進むとしたら、魔力がどれだけあっても足りないぞ?」


「アタシだけじゃなくて、全員が気配を感じないのに、足踏みする必要は無いと思う。」


会話は行ったり来たりで、出口が見えない。

わーぎゃー言い合っていると、ずっと黙っていたターナが口を開く。


「私は……未知は何よりも危険なものだと思う。」


普段はふわふわゆるゆるタイプのターナだが、この時だけは真剣な顔と声で皆に語り掛けていた。


「あの森で、たった一人、ずっと皆を待っていた時、自分の無知を恨めしく思ったの。

もし、知っていれば、ううん。知ろうとしていれば、私が気を抜く事も無かった。

危険に飛び込む勇気も必要だと思うけれど、未知を怖がらないのは、勇気ではなくて、無謀だと思う。

私自身も、皆にも、あの時のような思いは二度としたくないし、して欲しくない。」


ターナは自分の帽子に手を当てる。


「………そうね。ターナの言う通りだわ。」


「アタシ達が間違ってた。確かにあんな思いは二度としたくない。

ここは慎重に行くべきだね。」


「我も間違いを認める。少し気持ちが急いてしまった。」


正直、最終的には、こちらの意見で落ち着くだろうとは思っていた。勇気と無謀を間違えてしまうような冒険者が、Sランクにまで上がってくる事は有り得ない。


完全な暗闇、気配を感じないモンスターの存在、長距離の垂直な壁を下りた疲労、近くに何かが居るかもしれないという緊張の中での休憩。色々な事が重なって、精神的に追い詰められている状態だと、人は判断を鈍らせ、時に誤る。

しかし、イーグルクロウも、今まで、何度もこうして話し合って危機を乗り越えて来たはず。俺達が口を出さずとも解決するだろうと思っていたから、心配はしていなかった。


俺とニルはと言うと…

悲しい事に、生い立ち的にも、ここまでの戦闘経験的にも、そういう状況に慣れているから、あまり冷静さを失わずに済んでいる。

慣れたくない状況に慣れてしまっているのだ。

それで死の危機から脱する事が出来るのであれば、嬉しい事なのかもしれないが…


「ターナにさとされるなんて、もう少し自分の立ち居振る舞いを考えないといけないわねー…」


「あ!プロメルテ!それは酷いよー!」


「ふふふ。冗談よ。冗談。冷静にさせてくれてありがとう。これからは気を付けるわね。」


「仕方ないなー。許してあげましょう!」


「ふふふ。ありがとう。」


言い合いになったとしても、空気が悪くなってギスギスするような事にはならない。長くパーティを組んでいる者達特有の空気感だ。


「方針は決まったが…かと言って、この先も足場を作り続けるわけにはいかないし…どうしたものかな。」


「何か投げてみてはどうだ?」


「うーん…それは意味が無いかもしれないよ。ほら。」


ペトロがランタンを掲げて、底面の隅に落ちている物を指差す。


「あれは…さっき投げたシンヤさんのアイテム?」


割れてバキバキになっているが、水玉の残骸がいくつか落ちているのが見える。

ヘルライトと共に落ちてきたのだろう。恐らく、死骸の近くに落ちていたのだと思うが、全て底面の際に集まっている。


「あれだけ綺麗にまとまって落ちてきたとは思えないよね?」


「死骸を持ち去った何かが、不要な物を端に寄せたって事か?」


「多分ね。」


「死骸を持っていく理由が食事だとして…それと関係の無い物を排除した。そう考えると、少なくとも動物程度の知能がある相手…という事だな。」


「少なくとも、知能の無いタイプでは無さそうね……ペトロが見付けられないのは、それに関係しているのかしら?」


「気配を消す為に、何かしているって事?」


「昆虫でも擬態ぎたいする種類が居るし、知能があるなら、隠れるくらいはすると思う。

上から見ただけだと、ゴツゴツした地形という事以外は分からないから、擬態していても気が付けないだろうし。」


「アタシが聞けるのは、動作にともなう音だから、動かなかったり、どこか奥の方に隠れられたら、流石に気が付けないよ。」


イーグルクロウの五人は、次々と意見を出し合って、推測の道筋を付けていく。


「どんなモンスターなのか、どこに隠れているのかが分からないと、対策の立てようがないわね…」


「それなんだが……モンスターの死骸が一つも無いし、食用にしろ、他の用途にしろ、貪欲どんよくに死体を集めていることは確かだろう。

それなら、俺のインベントリに入っているモンスターの死骸を、下に投げ入れたら、反応するんじゃあないのか?」


「あー!そう言えば!シンヤさんはインベントリがあった!自分が使えないから、すっかり、忘れてたよ!」


「確か、上で倒したモンスターの死骸も、幾つかインベントリに入れてたわね。それを使わせてもらえるってことかしら?」


「殺したモンスターの大半は、全てインベントリの中に入れてある。ここで倒したモンスター以外にも、かなりの量入っているが…確実性を取るなら、ここで倒して、持ち去られたであろうモンスターを使う方が良いだろう?」


「私が言ったのは、素材として売れる物を使っても良いのかな…って事だったのだけれど…」


プロメルテの言葉の意味を間違えて受け取ってしまったらしい。


「ああ…そういう事か。それは全く問題無い。

大した額にはならないだろうし。」


「大した額……ケイブバットは分からなくもないけれど、未知のモンスターの素材となれば、かなりの値になると思うのだけれど…シンヤさんのインベントリの中身を知ったら、気絶するかもしれないわね。」


「そんな事は無いと思うが…幾つか見るか?」


「やめておくわ。私の価値観が崩壊しそうだし。」


断固拒否されてしまった。


「そうと決まれば、早速動きたいね。お願いしても良いかな?」


「任せてくれ。」


俺はインベントリを開いて、先程倒したケイブバットの死骸を取り出す。


出てきたのは、綺麗に首が落とされた個体で、血抜きもしていない為、出てきたと同時に切れた首から血が溢れ出してくる。


「我がやろう。」


出したケイブバットの死骸の足を掴んだセイドルが、ふんっと力を込めて、地割れの底へと投げ入れる。


ドチャッ!


生々しい音が周囲に響き、明かりに照らされたケイブバットの死骸が、ボコボコしている底面に無造作に横たわる。


何か生き物が出てくる様子は無さそうだが……直ぐに結論付ける必要は無い。そこで、暫く様子を見ていると…


ズズッ……


「あれ…?今、地面が動かなかった?」


「僕もそう見えたけど…」


ズズズッ…


「やっぱり動いたよ!」


ペトロが言うように、地面が動いて見える。


正確に言えば、地面がではなく、地面の上を覆い尽くしているボコボコしたコブ状の岩が。


「も、もしかして、あれ全部モンスターなの?!」


ペトロが驚いている間に、付近のコブ状の岩が動いて、落とした死骸に集っていく。

少なくとも、光に照らされて見える範囲のコブ状の岩は、ほぼ全て動いている。


「ターナの言うことを聞いておいて本当に良かったな?」


「うっ……二度とターナには口答え出来そうにないわね…」


「あの中に突っ込んでいたと考えると、どれだけ我が浅慮せんりょだったのか理解出来るな…」


「しかし…あのモンスターは一体何だ?」


「私、知っているわ。あれは多分ロックミミックよ。」


プロメルテが動く岩を見て呟く。


「ロックミミック?聞いた事の無いモンスターだな。」


「割と珍しいモンスターだから、あまり知られていないのよ。私も実際に見るのは初めてよ。

昔、先輩冒険者の人に聞いた事があるの。周囲の岩石を食べて、それを体表に纏って、周りの風景に溶け込むモンスターなんだって。確かAランクのモンスターよ。

腐った死骸すら食べてしまう雑食性を持っていて、食欲は旺盛おうせい。群れで行動して、骨も残さないって聞いたわ。」


「その説明を聞く限り、間違いは無さそうだね。」


「食べた岩石に似た性質を持つ体表に変化するから、周囲の地層によっては、Aランクに収まらないモンスターになるらしいわ。」


「嫌な性質だな…」


「有難い事に、飛んだり跳ねたりはしないから、これだけ距離があれば、何もしてこないと思うけれど…土魔法を使うから気を付けてね。」


「あの数を相手にするのは…嫌だな…」


見た限り、全部で数十体。暗闇の中に潜む数も含めたら、間違いなく数百体規模。そんな場所に下りて、集られる未来など想像したくもない。


「ここまで深い地層となると、かなり硬い岩石を食っているはずだから、簡単には斬れないだろうな。」


コンコンと、自分の近くに有る壁をノックしてみると、硬質な音が聞こえてくる。

真水刀と戦華ならば、斬れないことはないとは思うが、敢えて突っ込む事に利点は無い。


「どうしますか?だからといって、足場を連ねて進むのは大変ですよ?」


「下りられないとなれば…ヒュリナさんの心遣いが大いに役立つはずだ。」


俺はインベントリから、ヒュリナさんの用意してくれたアイテムを取り出す。


単純に壁を下るのとは違い、横方向への移動を考えて、色々と用意してくれている。


例えば、壁に突き刺して使う杭のような物だったり、ロープが離れていかないように固定する道具だったり。

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