第279話 真実 (2)
ツユクサにとって、自分が死ぬ事は、特に問題ではなかった。生きていなければならない価値など、自分には無いと考えていたから。
しかし、兄が許すまで、自分が勝手に死ぬ事など許されない。
それに、オボロが再度来たならば、そんな事さえ関係無く、全てが無に帰す事になるかもしれない。兄も含めて。
それだけは避けなければならなかった。
神聖騎士団との繋がりを持ったツユクサではあったが、魔具による通信は、こちらからは一度も取らなかったらしい。
最終的に、計画が上手くいったかどうかの結果を伝える事だけは約束したが、後は好きにしてくれと言わんばかりに、放置されていたらしい。
俺が手を出すと、ツユクサは、抵抗もせずに魔具を渡してくれる。一切抗うつもりは無いらしい。
「一切連絡は取らなかったのか?」
「はい。向こうからも、その後状況を確認する為に一度か二度連絡が来た程度です。」
「我々の力を欲しているにしては、あまりに素っ気ない気がするが…?」
ゲンジロウの疑問は当然の事だろう。しかし…
「恐らくは、鬼人族の力を借りずとも、世界進行を完了させる自信があったのだろうな。」
「それ程に大きな組織なのか?」
「この島にいる人口など、一握りで間に合うだろうな。」
「そこまでか…本気で侵略に踏み切られればひとたまりもないな…」
神聖騎士団が本気になって、一箇所を攻めるとなれば、大抵の相手は押し潰されて終わりだ。そうなっていないのは、神聖騎士団が部隊を分けて進行しているからであり、俺が聖騎士に勝てたのも、そのお陰だ。
故に、この島が、そうならない為の策が必要であり、それを今考える為に話を聞いているのだ。
「それで、オボロとはその後どうなったんだ?」
「何もありません。結果の報告を行う約束だけです。」
「……やはり、雑に扱われているような気がするが…」
ガラクが勝つにしろ、負けるにしろ、友魔を確保出来るから…だろうか。
ガラクが勝てば、ガラクの治療を餌に、ツユクサからガラク、そして鬼皇に繋げ、友魔との契約を行える。
逆に、ガラクが負ければ、システム的に友魔が解放される。ただ、その場合は鬼皇からの信頼を得るのが難しくなる。
「……道理眼を持った者を確保している…というのは違うか…それならば、こんな回りくどい方法は取らない。となると…それに近い効果を持つ魔法か魔眼持ちが居る。と考えた方が良いだろう。
ただ、それを使って契約する時には、犠牲が必要…とかかもな。出来れば道理眼の力で契約したいが、無くても問題にはならない程度の。」
そう考えると、最悪、友魔のシステムが解放出来れば、それで良い…という事になる。
「だが、友魔の契約には漆黒石が……まさか、シンヤと同じような…?!」
「渡人ならば、漆黒石を持っているだろうな。」
ガラクが勝てば、兵力の補強と、友魔の確保、更には神力の操作等、特典盛り沢山だが…兵力は現状でも十分。神力の操作も、オボロが居れば他から聞く必要など無い。
つまり、手に入らないのは友魔という力だけ。
結果がどうなろうと、友魔さえ手に入れば別にどっちでも良いのだろう。推測だが、こんなところだろうか。
「嫌な連中だな…」
「だから俺が事を構えているんだよ。」
「それもそうか…となれば………結果などどちらでも良いという事になるよな?」
ゲンジロウも、同じ結論に至ったようだ。
「ああ。だが……」
もし、オウカ島が、今後も、大陸との縁を切るならば、作戦が失敗したと伝えるべきだ。
結果がどちらでも良い、というのならば、ここで失敗を伝えても、わざわざ兵力を割いてまで、この島に進行してくる事は無い…はず。
渡人に、俺と同じように、友魔システム解放の通知が行くのであれば、報告に信憑性も出る。
俺達の知らない情報が有れば別だし、弱ったオウカ島を攻めるのが目的…なんて可能性も有るため、賭けではあるが…兵力を消耗し切ったオウカ島の現状を見れば、手を切る選択が最善。
そんな事は、誰でも分かる事だ。頭を使う必要さえ無い。
ただ、もし、作戦が成功したと思わせる事が出来た場合、鬼人族の援護が来ると信じている神聖騎士団の裏をかける可能性がある。援軍が来たと思ったら、敵軍だった…的な。それもこれも鬼人族が俺達に手を貸してくれるという約束を取り付けられれば…だが。
不利な状況において、切れる手札が増えるのは、とても有難い事である為、神聖騎士団と事を構えている俺達側としては、是非そうしてもらいたい。
システム的な通知も、ガラクは死んだものの、ツユクサの能力によって、鬼皇を手中に収めている…と説明すれば、話は通るだろう。それにはツユクサの協力が必須ではあるが、出来ればそうして欲しい。
と言えれば良いが、こんな状況の鬼人族に頼んで良いのか…いや、甘さは捨てると、心に決めた。ならば…いや……
と、ジレンマの中に居た時。
「アマチ様。」
ゲンジロウがアマチの前に膝を下ろし、頭を下げる。
「言いたい事があるようだな。申してみよ。」
「はっ。
オウカ島が、未だ原型を留め、鬼士隊の手にも落ちなかったのは、シンヤ達の功績があってのもの。
我々四鬼だけでは、どうする事も出来なかったでしょう。
そのような者が……鬼人族ですらない者が命を賭けてまで手を貸してくれたというのに、我々がここで手を引く選択肢など有りましょうか。
それは鬼人族の義に…いえ。人の義に背くものだと考えます。
このゲンジロウ。シンヤの
ここで手を引くのは、悪鬼たる行い。
どうぞ私に、行けと命じて下さい。」
「……ほう。誰よりもこの街を、鬼人族を愛するゲンジロウがそこまで言うのか。」
ゲンジロウはもう一度頭を下げる。
「アマチ様。オラからもお願いします。」
ゲンジロウの横に膝を下ろすテジム。
「アマチ様……俺からもお願いします。」
後ろから聞こえてきた声に振り返る。
「兄上!」
サクラの声が届くと、苦笑いをして近付いてくるシデンの姿。
大人しくしていろと言ったのに、結局来たらしい。
腹を押さえて、足をひょこひょこさせながら歩いて来るくらいならば、じっとしていればいいものを。
「俺だけではなく、ランカも同じ気持ちです。どうか。」
膝を下ろす事は出来ないようだが、頭を下げるシデン。
「……はははは!四鬼全員の進言か!」
アマチは嬉しそうに笑う。
「朕から右腕どころか、四肢をもぎ取るとは!恐るべき男よ!シンヤ!」
言っていることと、表情が逆に感じるのは俺だけだろうか?
「だが、それをそのまま受け入れる事は出来ぬ。」
「「「アマチ様!」」」
「待て待て。そう
今、この島の状況で、お前達四人が居なくなれば、全てが空中分解してしまう。それでは結局、手を貸す事さえ出来ぬであろう。」
現状、街を纏めて引っ張って行くには、それなりのリーダーが必要になる。
アマチは鬼人族の頭ではあるが、民衆のリーダーとして先頭に立つことは出来ない。あくまでも、鬼人族全体の代表として政の中心に居なければならないからだ。
民の先頭に立つ為には、民からの信頼が厚い者でなければならない。となれば、その役目を担うのは、四鬼以外には無いだろう。
その四鬼が全員、俺達の為に動いてしまえば、纏めるリーダーが居ないことで、今度は別の暴動が起きる可能性もある。
「シンヤの事を気に入っているのは、朕も同じ。
無下にするつもりは無い。
直ぐにとはいかないかもしれないが、協力すると約束しよう。」
「その約束だけで十分だ。
こっちも、まだ神聖騎士団と正面衝突する前段階だ。直ぐに援軍を頼みたいわけではない。」
「一先ず、これで気を落ち着けるのだ。
人員の選抜や、送り込む兵数等、動かすにしても、その前に考える事は山程有るだろう。」
「…はっ。仰せのままに。」
ゲンジロウ達三人も、納得して頭を下げる。
「兄上!大丈夫ですか?!」
「ああ…っ!!」
サクラがシデンに駆け寄り、肩を貸す。
それを、羨ましそうに眺めるツユクサ。
「話が飛んでしまってすまないな。続きを頼む。」
「……はい。
計画を実行すると言っても、兄上が動き出すまでは出来る事も無く、普通に生活を送っていました。
ランカ様と出会ったのは、その頃の事だったと思います。」
「……俺もそうだが、ランカにも、何か記憶の操作を行ったのか?」
俺の質問に、ツユクサはゆっくりと首を横に振る。
「いいえ…この紋章眼を使ったのは、兄上の依頼の時だけです。それ以外では使った事がありません。」
「……そうか。」
驚きはしなかった。
もし、記憶の改竄が起きていた場合、どこかに必ず矛盾が生じる。
日常生活の、何気無い記憶ならば気にもならないだろうが、これ程までに大きな事件となるような事柄について矛盾が生まれれば、気付かないわけがない。
何より、俺と常に一緒に居るニルが気が付かないはずがない。
「その気もありませんでしたが…ランカ様やシンヤ様には、恐らく使っても効かなかったでしょう。
この紋章眼は、精神的に弱い者にしか効きませんので。」
効果が高い分、使える条件が厳しいのだろう。
「……それで?」
「はい……その後、暫くしてから、突然、兄上が遊郭に来ました。」
ツユクサがいつものように生活を送っていると、ある日、ガラクがツユクサの元を訪れた。
理由は当然、魔眼の能力。
その時、既にガラクは、島を蹂躙する大雑把な計画を立て、手下を増やす為に動いていたそうだ。
そして、ツユクサの魔眼の能力を知ったガラクは、ツユクサと接触する為に、遊郭を訪れた。
ガラクの妹である事を諦めた彼女は、兄に会うのを拒もうとした。
けれど、ツユクサは、自分の事など忘れているだろう。ずっと昔の事だから、自分を見ても、ツユクサだと気が付かないだろうと思っていた。それに、自分の犯した罪を、自分の目で見ておきたかった。
それは……妹である事を諦め切れない言い訳だと、自分でも気がついていたけれど、兄に会いたいという欲求は、抑えきれなかった。
そして………
「お初にお目にかかります。コハルと申します、」
そう言って床に向けた顔を持ち上げた時。
チリン……
兄であるガラクが、ツユクサの顔を見た時、手に持っていた簪を落とし、固まっていた。
顔には真っ白な仮面。でも、その奥に見える黒い瞳は、いつしか見た兄の優しい瞳だと、直ぐに理解した。
「ツユ………クサ…………?」
「っ?!」
まさか、一目で見抜かれるとは思っていなかった。
「いいえ。コハル…と申します。」
「ツユクサ!ツユクサでしょう!」
ガラクはツユクサの肩を掴み、仮面を外す。
「忘れたのですか?!兄です!ガラクですよ!」
忘れるはずがない。あの日から、一日たりとも、
コハルという遊女として、突き通そうとしていたのに、気が付けば、目からポロポロと涙が出ていた。
遊女として、涙でさえ武器に変えた自分が、制御出来ない涙を流すとは、思ってもいなかった。
それを見たガラクは………
壊れてしまった。
「ツユクサが……遊女………そんな………そんなはず……ああ……あ゛あぁぁぁぁ!!」
その時、ガラクが何を思ってそうなったのかは分からない。でも、それが良くない壊れ方だということは、ツユクサにも直ぐに分かった。
ツユクサはその時、兄に自分が遊女として生きている事を伝える事は出来ない。つまり…自分が生きている事を伝える事は出来ない…と、悟った。
それが兄をお上に売ってしまった自分への罰だと思ったらしい。
そして、ツユクサはその場で、ガラクに紋章眼を使った。
兄が壊れ切る前に、その原因となった、今の自分の存在を…兄の記憶の中から消し去ったのだ。
そして、それと同時に、神聖騎士団から聞いた計画の事を、記憶に植え付けた。
但し、計画の事だけで、感情や思いには一切触れなかったらしい。
当然だけれど、ガラクの辛い記憶を消す事も考えたらしい。
記憶を消し、そのまま二人で山奥にでも逃げて…なんて考えたけれど、それは出来なかった。理由は二つ。
一つは、これまで長い時間、兄の苦しみ続けてきた記憶は、兄の根本となる記憶となっていたから。それを消してしまうと、兄の意識そのものが消えてしまう。そこに何かを植え付けても、それは最早兄ではない、何かになってしまう。
そしてもう一つは、単純に、そこまで強く根付いた記憶というのは、紋章眼だとしても消し去る事は出来ないらしい。
想操眼というのは、記憶や感情を弄る事の出来る紋章眼ではあるものの、全く別の記憶や感情に変えることは出来ないらしい。
例えば、ガラクという者が、憎しみと殺意で構成されていて、それを優しさと愛で構成された者に変えることは出来ない。あくまでも、元の人格に近く、反発しないものである必要があるとのこと。
記憶や感情を消す際も、人格が変わるような大きな変化を与える程の操作は出来ないらしい。
ガラクが取り乱し、発狂したこの時は、それを取り除いても元の人格に影響は与えないから出来た事だったという事だ。
ガラクが連れて来た者達も、どこかにガラクを信じる心があり、それを増幅させるような操作をしただけの事。一切そういう心が無い者は、どうやってもガラクに従う事は無い。故に、何人かはガラクの手下にならなかった。
ガラクに植え付けた計画についても、最初から復讐する為の感情があり、漠然とでも計画があったからこそ植え付けられただけの事。
ただ、実行する、しないは、兄の感情に任せる事にしたらしい。
もし、計画を進めないという結論になるならば、自分の身を差し出して、何とか事を収めてもらえるように、オボロに頭を下げるつもりだったらしい。
「うっ……ここは……」
目を覚ましたガラクが、ツユクサの顔を見て、また壊れてしまわないように、ツユクサはガラクの身に付けていた仮面を被り、近くに控えていた。
「起きられましたか?」
「あなたは……っ?!何故その仮面を…?!」
「先程、ガラク様がこれを着けるようにと…」
「私が……?っ?!」
自分の仮面が無いことに気が付いたガラクは、少し焦るが、既に顔を見られている事に気が付き、少し落ち着いてから話を始める。
「私の顔が気持ち悪くはないのですか?」
「はい。全く。」
「…………………」
気持ち悪いなんて思うはずがない。
兄の顔の傷は自分の罪が招いた事。自分を責める事はあっても、優しい兄の顔を気持ち悪いなどと思うはずがない。
どれだけ傷付いていようとも、ツユクサの中では、優しかった頃の兄と変わらないのだから。
「そうですか…変わった女性ですね…」
「ここは遊郭。夢の
変わった女もおりましょう。」
「ふっ……そうですね。」
チリン…
ガラクが動かした手が、先程落とした簪に当たる。
「…本当は、これを使って心を動かそうと考えていたのですが…私の考えが甘かったようです。」
簪を手にするガラク。言葉の意味を正確には汲み取れなかったけれど、ツユクサに渡す為の物だったらしい。
「遊女は物を受け取らない…という事は知っていますが……これを受け取ってはくれませんか?」
チリン……
ガラクの差し出した簪が、一つ鳴く。
「…………はい。」
ツユクサの事は忘れてしまっているのに、ガラクはとても優しかった。
もしかしたら…どこかでツユクサの事を感じていたから…かもしれない。
そんな兄の贈り物を、理由が何にしろ、断る事などツユクサには出来ず、自分の髪に差し込んだ。そして、それがとても嬉しかった…らしい。
「それで…本日は、どのようなご要件でいらしたのでしょうか?」
「それなのですが……」
少しだけ、言い辛そうにしていたガラクだったが…
「これから、私が送り込む者達の精神を操って欲しいのです。」
ガラクの言った事が、どのような結果を生むのか。それが分からないツユクサではない。
神聖騎士団の連中が話していた、兄が来て助力を求めるだろうという話が、現実になった事には驚いたけれど、兄が復讐に走る事自体は予想出来る事だった。
何が起きるのかも理解した上で、ツユクサは言葉を返した。
「……分かりました。」
「よろしいのですか?」
何も聞かずに承諾したツユクサに、ガラクは驚いていたらしい。
怪し過ぎる依頼であるし、当然の事だろう。
「……はい。私には…何かを選ぶ権利など有りません。」
そう答えたツユクサに、ガラクは不思議そうな反応を示したらしい。
でも、ツユクサの中には、断るという選択肢が無かった。兄がそう望むのであれば…と。
「それと……もう一つ。」
「何でしょう?」
「今回、私がここに来た記憶を、全て消して欲しいのです。」
「え…?」
予想外の依頼だった。
当然ながら、そんな事は、植え付けた計画には入っていない。
「何故…でしょうか?」
「……あなたは…………いえ。計画を
ですから、今回の記憶を消し去り、後日、人を送り込む、という記憶に変えて下さい。」
何を言おうとしたのか、ツユクサは分からなかったらしいが…ガラクの最期を見た今なら、何となく分かる。
死ぬ間際、ツユクサの顔を見てもあまり驚かなかったところを見るに、何となく、コハルにツユクサの影を重ねていたのだろう。
ツユクサの影を見れば、計画の進行に支障をきたす…とでも考えたのではないだろうか。
ガラク亡き今、想像することしか出来ないが…もし、その時、ツユクサが全ての記憶を奪わなければ、こんな事にはならなかったのかもしれない。
だが、その事を今の彼女に伝えるのは気が引ける。
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