第266話 聖獣・ラト
全身の毛は、黄色ではなく、金色となり、艶やかな毛質。その全てに、電気を纏っており、常にバチバチと音が鳴っている。
琥珀色だった瞳も、黄金色へと変わり、吸い込まれそうな程に美しい。
体の大きさは変わっていないものの、その存在感は狼の王と呼んでも良い程。
ただ立っているだけで、全ての狼が
ラトの姿を一言で表すならば……美しい。
それが最も正しい表現だ。
首に巻いた生地が、あまりにも似合わない姿へと変わっていた。
トスッ…バチバチ!
聖獣へと変わったラトが、前足を一歩、踏み出すと、その周囲に電撃が走り回る。
元々存在感の強いラトだが、それすらも霞む程の圧力。
「ベルトニレイが言うには、サンダーウルフ。」
リッカが教えてくれたのは、ラトが変化した先の種族名。
聖魂達が暮らしていた場所にも、サンダーウルフと呼ばれる種は存在した。
しかし、俺が見たのは、黄色の体毛に黄色の瞳。大きさも普通の狼と同じようなサイズだった。
ラトのような黄金色の毛並みや、三メートル近い大きさは無かったはず。
「サンダーウルフの中でも、王となる個体だって。」
リッカの言葉で納得する。
普通のサンダーウルフとは違うという事。
モンスターで言うところの、希少種とか、そういった個体なのだろう。
「単純な攻撃力で言えば、リッカより強いよ。」
リッカが俺の方を見て言う。
天狐を前に、随分と余裕だな…と思っていたが、理由は簡単だ。
突如として現れた、黄金色の狼。
大きさは天狐の半分しかないのに、天狐が、ラトを見て尻込みしているからだ。
絶対的強者だと、自身ですら思っていた天狐だが、それ以上の存在が目の前に居る。
それを肌で感じた天狐が
『ガルルッ…』
バチバチバチッ!
ラトが小さく唸るだけで、口の先から雷が
「キ…キケエエェェェェッ!」
ゴウッ!
近寄るなと言いたげに、天狐が炎の塊を、ラトに向かって放つ。
これまでで一番大きく、熱量もそれに比例して大きくなっている。
だが…
バチンッ!!
炎が放たれた先に居たはずのラトがいつの間にか消えている。
今までは、ラトの走った後には雷の尾が走っていたり、視界の中に、その姿を微かに捉える事が出来ていた。
しかし、今回は違う。
僅かな空気の揺らぎと、ラトが居た場所に残る雷のみしか見えない。
「ギゲエエエエェェェェェェェェェェ!!」
ラトが消えたと思った瞬間、突然天狐が叫び始める。
何が起きたのかと振り返ると、四尾だった天狐が、三尾になっている。
バチッ!
リッカの真横に雷が走ると、突然、口に天狐の尻尾を
「は、速い…いや、速いのかすら分からん。全く見えなかった…」
シデンは、速さを売りにしている速剣術の使い手。
自分のスピードには自信があったはずだ。
しかし、ラトのそれは、別次元。
高速ではなく、光速の次元だ。
しかも、今までは、文字通り、全く歯が立たなかった相手の尻尾を、簡単に一本取ってきたのだ。
恐らく、単純な牙や爪の攻撃も、段違いに強くなっているはずだ。
天狐の尾が切れた部分からは、大量の血が溢れだしてきている。
「これは…ラトだけでも勝てるんじゃないか?」
俺が見た限り、ラトが天狐を圧倒出来るように感じる。
『ううん。僕が回り込んだ時、反応したよ。
だから首じゃなくて尻尾を狙ったんだよ。』
見た目は大きく変わり、聖獣となったラト。
それでも、これまでと同じように話をしていると、違和感を感じてしまう。
外見は変わったが、中身は変わっていないのだから、これが普通なのかもしれないが…
それにしても、光速で動き回るラトに反応するとは…天狐というのは、SSランク級モンスターの中でも、かなり強い部類に入るのではないだろうか。
とはいえ、こちらには、既に対等以上に戦っていたリッカが居る。
「シンヤ。リッカとラトであいつの動きを止めるから、二人で仕留めて。」
リッカが俺とシデンを見て言う。
「リッカとラトだけでは無理そうなのか?」
『無理じゃあないけど、逃げられるかもしれないから、確実に動きを止めて、仕留めた方が良いと思う。』
天狐は、未だ逃げ出してはいないものの、霧のように消える事が出来る。
不可視なのか何なのか分からない原理だが、実体が有ろうが無かろうが、攻撃を加えられないのであれば、どちらでも同じこと。
逃げないのは…天狐の中に、逃げるという選択肢が無いからだろうか…?
理由は分からないが、そう何度も出てこられては困るし、ここで仕留められるならば、仕留めておきたい。
リッカやラトが居るという状況など、稀…というか、二度と無い事だろうから。
「シデン。」
俺が横にいたシデンに目を向けると、肩を
「何が何だか分からんが…とにかく、あの狐野郎の息の根を止めたら良いって事だろう?
願っても無い事だ。次こそ確実に命を刈り取ってやる。
首は、ランカに土産として送ってやるとしよう。」
「せめて毛皮にしてやれよ。」
「あれが毛皮で喜ぶ女かよ。」
「お前…そのうち酷い目にあうぞ?」
ランカは、女性であり、盲目であり、四鬼であるが、それら全ての事に誇りを持っている。
だからこそ、気品溢れる所作を身に付けているのだし、甘味が好きだったりと、女性としても楽しく生きている。
そんなランカに、狐の首など送り付けたら、薙刀の柄で
サクラに重心を置き過ぎて、他の女性の扱いが雑過ぎる男だな…
「二人共。くるよ。」
「キケッ!」
ボボボボボボボッ!
リッカの声の後、天狐が自分の周囲に、赤黒い炎をいくつも作り出す。
バチバチバチッ!
ラトが全身に走る雷を鳴らし…
ピキピキピキッ!
リッカが周囲に冷気を漏らし、足元を凍らせる。
その後ろで、俺とシデンが、強く刀を握り締め、
「キケエエェェェェッ!」
天狐は四足を素早く動かし、こちらへと向かってくる。
ビキビキビキッ!
リッカが両手を前に出すと、正面方向に、氷で出来た波が
ボボボッ!
天狐は、漂わせていた炎をその畝りの中へと放ち、再度炎を作り出す。
炎と氷は、相殺し合っているが、今回はリッカの放つ冷気が、止まる気配を見せない。
俺達の周辺は、既に凍てつく寒さとなり、周囲に漂っていた水分が凍り付き、小さな氷の粒となって落ちてきている。
吐く息が白く染まる。
こうなってくると、最早、地形の変化というレベルではなく、環境の変化だ。
天狐とリッカの魔法が、容赦なくぶつかり合い、大気が激しく動き回る。
バチバチッ!
ラトが動いた。
速過ぎて見えないが、恐らく天狐の元へと向かって走ったはず。
「シンヤ!」
リッカの声が掛かる。
「シデン!」
「おう!!」
俺とシデンが地面を蹴って、リッカの前へと走り出す。
目の前に広がるのは、氷の波。
俺とシデンはそれぞれ、左と右に別れて波の上を走る。
二人共刀に神力を集中させている為、そもそもの脚力のみの速度で走っている。
波の奥に見えるのは、炎と氷が相殺し合った事で生まれた蒸気。
風に揺れる蒸気の切れ間。その奥に、天狐の姿が見える。
「そのまま行って!」
リッカの声が後ろから聞こえてくる。
俺もシデンも、元々そのつもりだ。
斜めに生えた、一際大きな氷柱の上を走り、グングンと天狐との距離を詰めていく。
「うおおおおぉぉぉぉぉ!」
「はああああぁぁぁぁぁ!」
俺とシデンはほぼ同時に氷柱を蹴り、蒸気の奥へと跳ぶ。
ブワッ!
蒸気の中へと入ったと思っていると、直ぐに蒸気を抜ける。
全身に絡み付いている蒸気が、自分の後ろに尾を引いているはずだ。
ボボボッ!!
視界が開けた瞬間、天狐が俺とシデンに向かって、炎の塊を放ってくる。
「「っ!!」」
既に踏み切って、現在は空中に居る。
方向転換など出来ないし、避ける事は不可能だ。
そして、炎に包まれたならば、俺もシデンも即死だろう。
しかし、不安など無い。
ビキビキビキビキッ!!
俺とシデンに飛んで来る炎に対し、氷柱から伸びた氷の枝が、それらを全て防いでくれる。
「キケエエェェェェッ!!」
魔法が通用しないと分かっていたのか、迫り来る俺とシデンを、両前足の爪で切り裂かんと、天狐が構えを取ろうとした時だった。
バチッ!
天狐の真後ろに、ラトが現れる。
つい先程、ラトに尻尾をもぎ取られた天狐からしてみれば、俺とシデンより、ラトの方が余程恐ろしい。
天狐が、俺とシデンではなく、ラトへ攻撃を加えようと振り返る。
俺とシデンに対する攻撃は、尻尾で十分だと思ったのか、残った三本の尻尾を、空中に居る俺達二人に向かって、横薙ぎに振る。
当たれば、俺とシデンの全身は粉々に砕け、全ての内蔵が破裂してしまうだろう。
だがしかし、俺とシデンが、天狐相手にただ突撃するはずなどない。
ブワッ!
俺の手の先には緑色の光。
中級風魔法、ウィンドエクスプロージョン。
真下に放った風が、俺の体を持ち上げ、迫り来る尻尾を避ける。
ブォン!
自分の真下を通って行く尻尾は、大型トラックでも通ったのかという風切り音を響かせる。
「雷獣!」
ビシャァァン!
シデンが雷獣に指示を出すと、リッカが作り出した氷柱の一部に向かって、雷撃が走る。
衝撃によって破壊された氷柱の一部が、シデンの前へと倒れてくる。
シデンはその氷柱に足を掛け、もう一度飛び上がる。
ガガガガッ!
倒れてきた氷柱は、天狐の尻尾によって粉々に砕かれるが、シデンは既に回避済み。これで俺達に対する攻撃は避け切った。
『ガアァァッ!』
「キケエェッ!」
ガリガリッ!バチバチッ!
ラトの攻撃を、天狐が両前足の爪で防ぎ、
バチバチバチッ!
ラトの全身から放たれた電撃が、天狐の全身へと回り、コンマ数秒だけ、動きを制限させる。
俺とシデンが斬り込む為に必要な隙を、これ以上は無い形で作り出してくれるラト。
「キ…キケエエェェェェッ!!」
ボボボボボボボッ!
天狐の体から痺れが抜けると同時に、後ろから迫る俺とシデンに対し、赤黒い炎を放たんとする。
リッカ、ラト、俺とシデン。これだけの相手に、ここまで戦えるモンスターは、この世界に一握りしかいないだろう。
俺が最初に感じた、死そのものといった感覚は、間違いではなかった。
リッカとラトが居なければ、確実に殺されていただろう。しかし、奇跡ともいえる状況が揃った。それが天狐にとっての不運。
「「遅いっ!!」」
赤黒い炎が俺達に向かってくるより、俺達の刀が天狐の首を捉える方がずっと速い。
俺は天狐の首の左側から、シデンは右側から、水平に刀を振る。
刃の先にこれでもかと集めた神力が、天狐の神力とぶつかり合うのが分かる。
もし、天狐が絶対的強者という立場に
ランカが言っていたのは、この事だったらしい。
ザシュッ!
天狐の神力を押し退け、刃が天狐の首へと入る。
ザザザザザザシュッ!
俺の刃は、天狐の首の左側を、丁度半分、斬り裂く。
俺の体は、そのまま天狐を通り越し、動きを抑えていたラトの真横に落ちる。
ダンッ!ザザザッ…
着地と同時に、体が地面の上を流れ、勢いを殺すと同時に振り返る。
シデンも全く同じ軌道で、ラトを挟んで反対側に着地したようだ。
「キ……キ……」
これでも倒せないのか?!
と、思っていると。
ブシュッ!
天狐の頭が、グラリと傾いていく。
俺とシデンの攻撃が、天狐の首を切り離したのだ。
ブシュゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!!
天狐の首が地面に向かって落ちていくと同時に、大量の血が吹き出す。
ズドンッ!ベシャッ!
クルクルと回った天狐の首が、地面へと落ち、血が弾け飛ぶ。
俺とシデン、そしてラトの目の前に、切断面を下にして落ちた天狐の首。
ボボボボボッ…
天狐が放とうとしていた赤黒い炎が、全て消えていく。
ザァァーーーー……
その後、天狐の体から吹き出していた血が、雨のように降り注いでくる。
ズダァァン…
最後に、天狐の体が地面に横たわり、完全に沈黙する。
「……勝った……のか…?」
シデンの声が小さく聞こえてくる。
「ああ…勝った…みたいだな。」
俺もシデンも、本当に、あの死そのもののような化け物を倒せたのかと、現実を受け止められずにいた。
「シンヤ。お疲れ様。」
倒れた天狐の奥から、リッカが現れて、声を掛けてくれる。
『強かったねー!』
見た目と中身のギャップが凄いラトも、嬉しそうに言う。
「ぶあぁぁぁ!疲れたー!」
俺はその場に腰を下ろし、天を仰ぐ。
「はあぁぁぁ…死ぬところだったぜ…」
シデンも同じように腰を下ろす。
ギリッギリの勝負だった。
運の要素が大きく、今生きているのは、偶然だと言える。
それでも、何とか勝った。
「それより…リッカ。わざわざ来てくれてありがとうな。本当に助かったよ。」
「リッカが助けてもらったから、お返し。」
俺がした事と比較すると、寧ろ俺が借りを作ったようにも感じるが…
「力の制御は完全に出来ているみたいだな。」
俺もシデンも、リッカが目の前に居るのに、寒さを全く感じない。
「うん。もう大丈夫。」
「それは良かった。」
「俺は何が何だか分からんがな。」
「そうだな…雪神様って言えば分かるか?」
「雪神様…雪神様……ってあの針氷峰のか?!」
驚くシデンに、リッカの事を
「なるほど…そうだったのか。
助けてくれて感謝する。」
シデンは素直にリッカへと感謝を示す。
「ううん。リッカはやれる事をやっただけだから。」
リッカは少し照れているのか、微かに
「リッカの力にも驚いたが…ラト……どうなったんだ?」
俺としては、海底トンネルダンジョンから行動を共にしてきたラトなのに…こんなに立派になって…状態だ。
『僕もビックリしたよー。不思議な力が湧いてくるなーと思ってたら、バチバチッとして、こうなったからねー。』
自分の体を見て、不思議そうにしているラト。
聖獣の仲間入りを果たした証拠だ。ラトから感じる力も、今までとは比較にならない。
リッカが言うには、天狐とリッカの力が影響したらしいが、単純に強い力の持ち主と戦ったから…という認識で良いのだろうか?天狐は強いが、聖魂ではないし…苦戦するという事が促進に繋がった…という事かもしれない。
「めでたい事だとは思うが…まだゆっくりもしていられないからな。」
「直ぐにガラクの所に行って、サクラを助けなければ!」
僅かな休憩を終えて、シデンが立ち上がろうとする。
「っ!!!」
しかし、受けたダメージが大き過ぎたのか、立ち上がる事が出来ずに、地面に手を着いてしまう。
「無理するな。何回かヤバい攻撃の受け方をしたんだから、全身が痛むだろう。骨だって折れまくっているはずだ。」
傷薬で、多少は治りが早くなるかもしれないが、本来、骨が折れたような傷は、戦闘続行が不可能と判断される怪我だ。
手足の骨が無事だから、天狐との戦いは根性と、ドーパミンの作用で痛みを感じなかったのだろうが、気の抜けてしまった今、絶対安静レベルの体調のはずだ。
「何のこれしき!サクラの為ならば骨など要らん!!ぐおぉぉぉ!」
何とか立ち上がろうとするシデン。
「いや。要るだろ。」
「ぬごぉぉぉっ?!」
ツンツンと脇腹辺りを触ると、シデンがのたうち回る。
「少し触っただけでのたうち回る奴が行っても邪魔にしかならん。大人しくしていろ。」
「サクラは俺がぁぁぁぁ!」
俺の言う事を無視して、這ってでも進もうとするシデンの横腹をもう一度ツンツンする。
「ゴンゾー達も居るし、俺もまだ奥の手は残してある。大人しくしていろ。」
「ぐっ………わ、分かった…」
「ラトとリッカは…」
『僕達は無理かな…』
これから進む先は、壁の奥。城の中だ。
聖獣となったラトと、リッカが戦えば、間違いなく周囲を巻き込んでしまう。というか、城が倒壊する可能性すらある。
それに、ラトはサイズ的にも城の中は難しいだろう。
『僕達は周りの皆を助けてくるよ。まだ戦っているみたいだし。』
ラトが耳をピクピクさせる。俺には聞こえないが、細かい戦闘が続いているのだろう。
「その前に、シデンとランカを安全な場所まで連れて行ってくれないか?ここで寝かせておくわけにもいかないからな。」
シデンは元気そうに見えるが、かなり重傷だ。気を失っていないのが不思議な状態だろう。
ランカも…かなりの重傷のはず。生きてはいると思うが…
「分かった。リッカ達が移動させる。」
ランカは戦闘から離脱したものの、直ぐ近くに居るはずだ。ラトの耳と鼻ならば、直ぐに見付けられるだろう。
「頼んだ。」
俺は、立ち上がり、ガラク達の向かった方へと歩き出す。
「っ……」
横腹が痛む。
先程シデンには偉そうな事を言ったが、俺もそれなりにダメージを受けている。
シデンよりもダメージが少ないというだけなのだ。
しかし、サクラの事も気になるし、俺とシデンの二人共が、ここで大人しく待っている事は出来ない。出来ないならば、まだ動ける俺が行くしかない。
痛みに顔を歪めるのを見られないように気を付けて、さもダメージなど無さそうに先へ向かって進む。
ラトもリッカも、俺と精神的に繋がっているから、どういう状況かは理解してくれている。痛みを隠す俺の事を、何も言わずに見送ってくれたのが、その証拠だろう。
シデン同様、この状態の俺が行ったところで、やれる事などほぼ無い。残してある聖魂魔法を、城の倒壊を無視してぶっ放すくらいしか出来ない。
そんな状況にならない事を祈りながら、目の前に見える、最後の壁へと向かう。
ーー・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー
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