第102話 夜のジャングル
川を越えたその日の夜の事。
俺が一人で見張り番をしていると、
「……なんだ…あれは?」
真っ暗でよく分からないが、遠くに見える植物の
日が落ちてから三時間くらい経った時だと思う。
今まで暗くて気が付かなかっただけか…?いや、さすがにそれは有り得ない。暗闇でも分かるほどに動いているし、若干ゴゴゴという地鳴りまでしている。これで俺もニルも気が付かないという事は流石に無い。
「何がどうなったらあんな事になるんだ…?」
「…ん……ご主人様……?」
ニルも異変に気が付いたのか、目を覚ましてしまった。木の上に居ると、揺れが大きく感じるからだろう。
「何か…揺れているような気が……」
「ああ。あれを見てくれ。」
俺が示した方向に目を凝らすニル。
「植物が…動いていませんか?」
「そう見えるよな。」
「…はい…」
ニルも俺と同じ感想を抱いているらしい。
「あの方面は、私達がこれから行く方面ですよね?」
「そうだな……」
出来れば迂回したいところだが、動いている事は分かっても、どこにどう動いているかまでは分からない。それはつまり、迂回するにしても、どこをどう迂回したら良いのか分からないという事だ。
「この辺りには関係が無さそうだし、日が出てから考えよう。」
「…分かりました。交代するので、ご主人様は眠って下さい。」
「まだ交代には少し早いぞ?」
「いえ。目が完全に覚めてしまったので、大丈夫です。」
「……そうか。無理はするなよ。」
「はい。心得ています。」
俺はニルと見張りを交代して、眠りにつく。
遠くから伝わってくる、微かな振動を感じながら、瞼を閉じる。
目が覚めたのは、空が白み始めた時の事だった。
「……ふぁー……」
大きく伸びと欠伸をしながら体を起こす。
「おはようございます。」
「おはよー……」
寝起きで頭が完全には回転していないが、昨日の事を思い出して植物が移動していた辺りを見てみる。
「特に変わった事はありませんね。」
「…そうだな。」
地鳴りがする様に動いていたのだから、草や木々が倒れていたり、周囲の景色が大きく変わっただろうと予想していた。しかし、見たところジャングルの景色に大きな変化は無さそうだ。
「……これで完全にどこをどう迂回したら良いか分からなくなったな。」
「…はい。ずっと見ておりましたが、あれから一時間程で動きが止まり、その後は動きがありません。」
「植物型モンスターが移動した…とかか?」
「移動する植物型モンスターは居ますが、夜のジャングルで見える程まとまって移動するという話は聞いた事がありませんね…」
「俺達の知らないモンスターなのか、それとももっと別の何かなのか…」
これだから未知の土地は困る。慎重に行動していても、難しい選択を迫られる。
今取れる行動は、ここで暫く様子を見る。これはほとんど考えていない。
一度見て何かしらのヒントがあれば、それもやぶさかではない。しかし何か大きなものが動いているとしか認識出来なかったため、ここで座して待つというのは時間の無駄に終わる可能性が高い。
迷っているのは、大きく迂回して回避するか、それとも突っ切るか。
大きく迂回する場合は、どこをどう迂回するか分からないため、かなり大きく迂回することになる。数日は迂回の為に時間を取られるだろう。
時間を掛けずにジャングルを突っ切りたい俺達にとっては、迂回は望ましくない。あまり時間をかけてしまえば、鬼人族の者達と話し合う時間が無くなる可能性もある。そうなれば海底トンネルを通る前にとんぼ返りということにもなりかねない。ただ、分かると思うが、突っ切るとなればその分森を動かす何かと出会う可能性は大きくなり、確実なリスクを背負う事になる。
「……ご主人様。行きましょう。」
ニルが、先々の難しい選択の際に口を出してくるのは珍しい。
「リスクを背負ってでも時間短縮か……俺とニルなら、行けると思うか?」
「…はい。私は可能だと思います。」
ニルは緊張も不安も無く、自然体のまま、俺の目を見てはっきりと言った。
ニルは俺に対して強すぎる信頼を置いてくれているが、無謀な選択をするほど周りが見えなくなるような馬鹿ではない。しっかりと現状を把握し、自分達の実力や、このジャングルの平均的なモンスターの強さ等を
確かにニルは随分と強くなった。自分で考え判断出来るようになってからの成長は目を見張るものがある。
今の俺とニルならば、そこらのモンスターに後れを取ることは無い。
「分かった。行こう。このまま真っ直ぐにジャングルを突っ切る。今まで以上に装備を整えて、慎重に行くぞ。」
「はい!」
身支度を整え、その日の進行を開始した。
ジャングルの中は昨日と何も変わらず、鑑定魔法を使った場合の表記も変わらない。
じっくりとこのジャングルの中の植物を調べられたら、有用なものも数多くありそうだが、のんびり研究をしていられるような余裕も、安全な場所も無い。
ザンッ!!
ジャングルの中を進んでいると、突然右手方向から飛んでくる風魔法。
前転しながらそれを回避すると、背の高い草が斜めにスッパリと切れて地面に落ちる。
「進行早々また泥だらけかよ!」
ザンッ!
「チッ!」
またしても飛んでくる風の刃。
俺は再度泥の上を転がり、薄明刀を抜く。
「ニル!どこからか分かるか?!」
風の刃が飛んで来ている事は分かるが、
魔法を使っているという事は、風の刃を発射する際、魔法陣が光っているはず。
ザンッ!
またしても飛んできた風の刃を、やけくそになりながら泥の上を転がって避ける。
「居ました!隠れています!」
ニルの目線を追っても俺からは見えない。
「ニル!頼めるか?!」
「お任せください!!」
ニルが目線の先に走り出す。
相手は見えていないが、俺も援護と回避の為にその場から移動する。
カサカサ…
草が僅かに揺れる音。思っていたよりも小さい、三十センチ程度の影が、ヒュンと草の間からニルの方へと飛び出してくる。
「甘いです!」
ニルが走りながら用意していた魔法を完成させると、黄緑色の光が発生し、左手の魔法陣から尖った木が真っ直ぐに陰に伸びていく。中級木魔法のウッドスキュアだ。
ガスッ!
硬い物を貫いた時の音がして、伸びた木に、影の正体が突き刺さる。
見た目はデカいカナブン。色は普通のカナブンと同じで、独特のギラギラした茶と緑。唯一違うのは、鋭い牙が生えそろった大きな口があるところだろうか。
「また新しいモンスターですね…」
「川の向こうとこっちでは、生息するモンスターが違うのか…?」
カナブンのモンスターは、ランク付けするとしたらB…いやCランク程度だろうか。基本的にランクの低いモンスター程、繁殖力が高く、数が多い。川の向こうに居た時、多くのモンスターを見たが、川に辿り着く頃には、遭遇するモンスターのほとんどが一度は見たことのあるモンスターとなっていた。
しかし、ここまでの間にこのデカイカナブン…デカナブンとは一匹も出会っていない。繁殖力が低い…という可能性もなくはないが、昨夜の移動する森の事もあるし、生息しているモンスターの種類が大きく異なると考えたほうが良いかもしれない。
「どうしますか?生息している種が違うとなると、リスクも高くなるかと思いますが…」
「………いや。このまま進もう。川のこちら側だけモンスターが強くなっているという事ではなさそうだし、危険そうならその時考え直しても良い。今は前に進んでみよう。」
「分かりました……その前に、お身体を綺麗にしますね。」
「う…頼む。」
未だ身体中がデロデロ状態だったのを忘れていた。
ニルに水魔法で綺麗にしてもらい、ジャングルを奥へと進む。
それからも何度かモンスターとの戦闘は起きたが、やはりこちら側だけランクの高いモンスターがいたり、特別危険な場所という事も無さそうだ。
そうなると、問題は例の植物大移動となるわけだが、進めど進めど、それに関する何かが一切見当たらない。
「何かあるなら、そろそろ見えても良い頃なんだけどな…」
「特に変わった様子はありませんね。」
結果から言えば、その後も何かを発見すること無く、いつも通り高い木の上に寝床を作る事になった。
「昨日のあれは何だったのでしょうか?」
「本当に森が動いていたなら、何か痕跡が残っていてもおかしくないはずなんだが…何も無かったな。」
かなり慎重に、見落としが無いように進んできたが、何も無かった事を不思議に思いつつ、無いものを気にしていても仕方ないと、周りを気にしながらも、その日の終わりを待っていた。
日が落ちてから三時間後、昨晩森が動いていた時間付近。俺とニルは何かが起きるのではないかと身構えていたが……
「何も起きないな。」
「そ、そうですね。」
下を見ても、周りを見ても、何かが居たり、森が動いていたりはしない。まだまだ気は抜けないが、一先ずは安心だ。
そして、そろそろ日が変わろうかという時の事だった。
ゴゴゴゴゴッ!
「なんですかっ?!」
唐突に始まった地震。ニルも何事かと飛び起き、俺はニルが転がり落ちないように庇う。
俺たちが乗っている木は大きく揺れ、高い所に居る俺達は増幅された揺れの中で木の幹にしがみついていた。
ズゾゾゾゾッ!
「なんだなんだ?!」
俺達が乗っている背の高い木の目の前に、同じ様な背の高い木が突然伸びてくる。
それが襲いかかってくる…なんて事は無い。ただ伸びてきただけだ。
魔法を疑った。いきなりこれだけの木が成長してくるなど、魔法でなければト〇ロくらいでしか見たことが無い。揺れに耐えながら、下を見てみると、地面付近にも次々といくつもの植物が生えてきている。
ズガガ!
「「っ!!」」
俺達の乗っている木が一層激しく揺れ、固定していた床板が剥がれ落ちる。かなり頑強に固定したというのに、立っていられない程の揺れによって、枝もしなり、固定部が耐えられなかったらしい。
「ニル!」
「ご主人様!」
落ちていくニルの手を取り、引き寄せる。
引き寄せたは良いが、これは確実に下まで落下する。
急いでガストの魔法を描き、落下直前に発動させる。ゴウッと突風が吹き荒れ、何とか落下速度が低下し、少し痛い程度で着地出来た。
ドチャッ!
「いったぁ…」
「だ、大丈夫ですか?」
こういう時どうしてもニルを庇ってしまうのは既に癖と言って良いだろう。
「大丈夫だ。それより…」
ズゾゾゾゾッ!
周囲の植物が急激に成長している
何も無いところから生え出てきた芽が、一気に最大になるまで成長していく。それは木々も全く同じだ。
「これは一体…」
「…成長期か?」
そんな馬鹿な事は有り得ない。
もし仮に成長期だとしても、こんなに急激な成長はしないだろう。しかも全種が同時に、というのは明らかにおかしい。
となると、やはり魔法が原因だろうが……魔法だとしたらかなりの魔力が必要になるはず。理由が分からないが、何かがこの森を成長させているとしか思えない。しかも、成長する範囲がどんどん奥へと向かって移動しているように見える。
「森が動いていたんじゃなくて、成長している範囲が動いていたってことか…」
真っ暗な夜のジャングルを遠目に見て、木の数が増えたなんてのは、正直分からない。明るくなってから見返したところで、それは同じだ。
痕跡が無かったのも当然のことだ。植物が新たに生えてきているだけなのだから、痕跡は残らない。
揺れが収まるのを、ニルと木に背を預けて待っていると、ジャングルが成長する音と違った音が聞こえてくる。
ズチャッ………ズチャッ………
誰か人がジャングルの泥濘を歩いている音に聞こえる。
木の幹から奥を覗き込んで見るが、暗い上に、成長した草木が邪魔でよく見えない。
じっと目を凝らしていると、草を押し退けて歩いてくる人影が見える。
ズチャッ………ズチャッ………
「…………っ!!」
直ぐには分からなかったが、近付いてくる影を見続けていて理解した。
あれがこの現象の大元だと。
魔法を使っているのか、そもそもそういう存在なのか分からないが、全身が黄緑色に光っていて、その仄かな光が付近の草木を照らし出している。
形は人型だが、俺より縦にも横にも一回り大きな
その姿を見て、俺の記憶が
グリーンマン。
Sランクのモンスターだと言われていた存在で、目撃情報が極端に少ないモンスターだ。
出会った瞬間に殺られたと、どこかのプレイヤーがネット上に情報を公開してくれていたのを、一度見ただけのモンスター。
サラマンダーやワームと戦ったから分かるが、その二種のモンスターとはまた違った恐怖を感じる相手だ。
強者に対する恐怖ではなく、お化けや幽霊に感じる冷たい恐怖感が身を包む。
ここで手を出すべき相手では無い。
そう感じた。
全身から吹き出す汗。心臓が全速力で走った後の様に速く強く動き、呼吸が浅く速くなる。
「ご主じ」
パシッ!
俺を呼ぼうとしたニルの口を手で塞ぎ、後ろから抱き締める様にニルの体を固定し、木の幹に出来る限り張り付く。
ニルの頭は俺の胸の辺りにあるため、俺の心臓がバクバクと速く動いている事に気が付いているかもしれない。
俺の
ズチャッ………ズチャッ………
足音が段々と近付いてくる。
ズチャッ………ズチャッ………
もう俺達が隠れている木の幹のすぐ横まで来ている…
ズチャッ……
ヌッと木の幹からその異様な姿をした緑色のものが姿を表す。
俺とニルの真横だ。
全身の血液が
今まで等速で動いていたグリーンマンは、一度俺達の横で止まる。
魔法か……刀か……
戦闘になった瞬間に初動でどういう動きをするのかを頭の中でイメージする。
倒せないとしても、俺とニルならば恐らく逃げ切れる。
そうだ……アイテムを使って……
一瞬のうちに頭をフル回転させ、グリーンマンの動きを静かに見続ける。
……ズチャッ………ズチャッ………
しかし、真横に居る俺達を完全に無視してそのまま歩を進めていくグリーンマン。いや、認識していなかった…のだろうか?目があるか分からないが、俺とニルに顔を向けさえしなかった。
ズチャッ………ズチャッ………
離れていくグリーンマンの背中。
気が付くと、俺の腕に手を掛けて抱かれていたニルの全身が、小刻みに震えている。
俺が感じている恐怖を、彼女も感じているらしい。
………ズチャッ…………………
グリーンマンが手も使わず草を押し退けて進んで行き、やっと足音が消える。
全身の力を抜いて、ニルの口から手を離す。
「な、なんですか……あれは……?」
ニルは未だ恐怖を感じているらしい。
「詳しい事は分からないが、グリーンマンと俺達プレイヤーが呼んでいた存在だ。」
確か中世ヨーロッパの美術的なものに見られる存在に、そんなのが居て、そこから名前を取ったのだとか書いてあったが…詳しい事はよく分からない。
「可愛い響きの名前とは
他に誰も見た事が無かったし、ゲーム内の人々も何も知らなかったから、都市伝説だとか、
「どのようなモンスターなのですか…?」
「詳しい事は何も分からない。分かっているのは姿形だけだ。」
公開されていた情報には姿形だけ。それも都市伝説と言われる原因の一つになっていたのだろう。
「リスクを負って来たら凄いものに出会ってしまったな…」
「も、申し訳ございません……私が行きましょうと言ったばかりに……」
「別にニルが謝る事じゃないだろう。同意したのは俺だ。
俺とニルはパーティ。信頼出来る仲間だ。意見を交換して互いに納得した上で来たんだ。失敗だったなら、二人で反省して、成功なら二人で喜ぶ。
それが仲間だと思っていたんだが…俺が間違っているか?」
「……ご主人様……いえ!仰る通りです!私が間違っていました!」
ニルは自分が間違っていたと言っているのに、嬉しそうに笑う。
その頭にポンポンと手を乗せると、また笑う。
「さてと……一難去ったが、ジャングルを抜けたわけじゃない。またあのグリーンマンに出会う可能性もあるし、気を引き締めるぞ。」
「はい!」
ニルが胸の前で拳を握って頷く。
揺れも収まってきたし、上に戻って寝床をもう一度作り直そうかと立ち上がろうとした時、ふとグリーンマンの通っていた方に目をやると、不思議な物が見える。
グリーンマンの足が
見た事がない植物で、生えている場所が独特過ぎて、何か
プチッ…
ダイヤ型の葉を一つ切り取ってみる。軽くすり潰すと、数ミリの葉を潰したとは思えない程の量の液体が出てくる。出てきた液体は緑色で、梨を丸ごと一個潰した時に出てくる果汁の量くらいはある。
香りは
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