第100話 命の宝庫

俺とニルがジャングルの中に足を踏み入れて直ぐに、まずは鑑定魔法を発動させる。

これだけよく分からない植物が群生しているとなると、不意に触った植物が危険な物かもしれないからだ。周りにワッと現れる植物の説明。多種の植物が群生しているため、表示されている名前の数が多い。

ただ、その表記に書かれている説明文は全て同じだ。例えば、一番目立っている、四メートルは有るであろう、地面から生える真ん丸の大きな草は…


【クレイジーグラス…密林に生息する植物の一種。】


となっている。


他の植物を見ても、密林に生息する植物の一種。これしか書いていない。


「どうでしょうか?」


「んー……今のところ危険そうな表記ひょうきは見えないな。どの植物も、説明文は密林に生える植物とだけしか書かれていない。」


「安全な植物ばかりということですか?」


「いや。鑑定魔法は表記が変わるからな…もしかしたら、この世界一般と、俺の知識を合わせても、ここにある植物に対しての知識が足りないから、その表記になっているのかもしれない。極力触らないように、危険そうなものには近付かないように進んでいこう。」


「はい。分かりました。」


ニルも理解したと頷いて、言った通り付近のものには触らないように前へと進む。

そして、俺達は、早速この地域の洗礼を受ける事になった。


「あ、歩きにくいですね…」


足を地面から離す度に、ぬちゃぬちゃと音がして、足を地面に置く度に、ぐにゅっと足が滑りながら沈み込む感触が伝わって来る。


「これだけで体力が奪われていくな…」


地面の状態に加えて、神経を尖らせる状況が周囲には広がっている。

周囲からは何かが動くような葉擦はずれの音や、鳥なのか何なのか分からない鳴き声。気温はそれ程高くは無いが、湿った空気は全身にねっとりと絡みつき、不快感をあおってくる。


嫌な場所だな…と思いながら先に進んでいると、大きな倒木とうぼくが目の前に現れる。

ニルが地面に横たわる倒木を乗り越えようとした時、ニルが手をつこうとした場所がモゾモゾと動いた。


「ニル!」


「っ?!」


俺の声にビックリして倒木に伸ばそうとしていた手を引っ込める。

こけに覆われた倒木と同じような色とがらを持った昆虫が、声に驚いたのかカチカチと独特の音を出しながら逃げていく。

見た目はサソリの尻尾が生えた蜘蛛くもだった。見たことの無い昆虫だったが、もし毒を持っていて、もし毒消しが効かない毒だったりしたら…考えすぎと思われるかもしれないが、こういう場所では気を付けて、気を付けという事は無い。


「ぜ、全然気が付きませんでした…」


「俺も動くまで全然気が付かなかった。こういう場所なんだ。出来る限り周りの物には触れないように行くぞ。」


「はい………ご主人様!!」


ニルが返事をしながら俺の方を見た時、目を丸くして盾を構えながら俺を引っ張る。


「シャー!」

カンッ!


後ろを振り返ると、真っ白な胴体に、真っ赤な水玉模様の蛇が、真上の枝から垂れ下がり、ニルの盾にぶつかっていた。


サイズ的には一メートル弱と、ワームを見た俺達からしてみれば小さめだが、どう見ても危険な色をしている。


俺を仕留められなかった、と枝の上にシュルシュルと戻っていったが、間一髪かんいっぱつだった。


「き………気を付けて進もうな…」


「はい……」


自分達は捕食される側であることを強く再認識した俺とニルは、警戒度をMAXに引き上げる。

俺は隠密おんみつが割と得意だ、なんて思っていたが、野生の生き物の隠密能力と比較したら、子供騙こどもだまし程度のもの。自尊心じそんしんなど完全に捨て去り、細心の注意を払いながら、足場の悪いジャングルの中を進む。


黒雲山の周囲を歩いていた時は、景色の変わらない状況に辟易へきえきしていたが、今は、進むたびに周囲の状況が目まぐるしく変わる状況に恐怖している。


「ご主人様。」


ニルが足を止めて後ろを歩く俺を振り返る。


「どうした?」


「………何か聞こえませんか?」


ニルの言葉に全身の動きを止めて耳を澄ましてみる。


相変わらず聞こえてくる葉擦れの音や、何かよく分からない鳴き声。

しかし、その奥に、確かに聞きなれない音が隠れている。


文字で敢えて表すならば、だろうか。金属の刃と刃を擦り合わせた時に鳴るような音だ。


「確かに何か聞こえるな。」


「どこから聞こえてくるのでしょうか?」


「分からないが……この音、近付いて来てないか?」


聞こえてくるシャリシャリという音が、徐々に大きくなっている気がする。

明確になってきた音は、俺達が進む進行方向、その右手の方から聞こえているようだ。


「どうしますか?」


「何か分からないが…音が移動してるってことは、生き物だろう。下手に近付かないようにして、やり過ごそう。」


「分かりました。」


ホラー映画の様に、みずから危険かもしれないものに近付く趣味は無い。シャリシャリ音の進行方向と被らないように移動を開始する。


シャリシャリ…


「…………」


シャリシャリ…


「…………」


シャリシャリ…


「………音が追ってきていませんか?」


「間違いなく追ってきているな…」


俺とニルは武器を構える。


「ニルは体が本調子じゃないから、あまり無理はするなよ。」


「はい。」


ニルはそう言いながらも、しっかりと盾を構えている。


シャリシャリ…シャリシャリ………


音が近くなったところで止まる。


緊張で飲み込んだつばが、ゴクリと喉を鳴らす。


バナナの木の葉のような、縦に長い葉っぱがしげっている辺りを注視する。

葉や木が作り出している影が濃く、よく見えない。


「…………」


「………」


いつの間にか、周囲に聞こえていたはずの騒々そうぞうしい音も、どこかへ消えてしまっている。


バキバキッ!


注視していた場所から、出て来たのは、巨大な……クワガタ…?

全長は約三メートル。頭の左右から二本ずつ生えているのは、湾曲した両刃の刀みたいな鋭い角で、一メートル以上はある。クワガタの角が刀になったような生き物だ。

かと言って、角が金属で出来ているという事は無さそうで、恐らく全身を覆っている甲殻こうかくと同じ素材だろう。その判断の基準となっているのは、鮮やかな緑色に黒の縞模様という色合いの全身と、全く同じ色をしているからだ。

クワガタ同様に角を開け閉め出来るらしく、動く度に四本の角が擦れ合い、シャリシャリと音を出している。甲殻とはいえ、硬度は金属並みと考えた方が良さそうだ。

胴体はクワガタと言うよりはカミキリムシに近く、細く長い。そこから六本の足が出ていて、先端は鉤爪かぎづめ状になっている。


「なんかヤバそうなのが出てきたな…」


俺の知らないモンスターだ。


周囲の音が消えたのは、このモンスターから他の生き物が逃げたからだろう。戦ったことも無いのに決め付けるのは良くないが…間違いなく強いはずだ。


角の付け根にある小さな触角しょっかくが、不規則にチラチラと動く。


シャリシャリ…


ゆっくり…ゆっくりと六本の足を動かして、俺とニルを牽制しながら近付いてくる。

人と違って、常に生きる為に自らの手で命を奪うモンスターや昆虫にとって、何かを襲って食うという行為は、常に自分が食われる危険性と隣り合わせ。

その辺の冒険者と向き合うより、ずっと純粋で洗練された殺意が放たれる。


ジャキンッ!


激しい音と共に大きく四本の角を開き、地面を蹴った巨大クワガタ。通り道にある植物は全てその角によって切り倒されていく。


「角には触れるなよ!」


「はい!」


ニルと俺は左右に別れて走り出す。ニルは角の下を滑りながら通り抜け、俺は跳び上がって角を避けてから、横にあった木を蹴って巨大クワガタの後ろへと回り込む。


「魔法いきます!!」


ニルが魔法陣を展開し、クワガタに中級風魔法、ランブルカッターを放ち、十を超える風の刃がクワガタの側面から襲いかかる。


ガリガリッ!


「ダメです!弾かれます!」


胴体を狙っていたが、風の刃が弾かれて、近くの木を切り倒しながら奥へと飛んでいく。


あしを狙え!」


俺の声に反応して魔法陣を足へと向けるニル。


ガギギッ!


当たってはいるが、ランブルカッターであの甲殻を貫通させるのは難しそうだ。細長い足でも軽く傷を付けただけに終わる。

防いでいるというよりは、受け流しているように見えるが、どちらにしても攻撃が効いていない。


ジャキンッ!!

「っ!!」


クワガタは体を百八十度回転させ、ニルに向かって角を横薙ぎの一閃のように大きく振る。


ニルが横に転がりながら角から逃れると、今度はそのまま俺の方へと向かってくる。


浮気性うわきしょうな奴だな!」


ザンッ!ジャキンッ!


角を巧みに使い、下がりながら隙を探す俺に向かって攻撃を繰り出してくる。

攻撃自体は速いというより、上手うまい。相手の逃げ道を潰す方法をよく知っている。


「ご主人様!」

ズカンッ!


ニルがウォールロックで援護してくれる。クワガタの足元から突き上げるように生成したウォールロックがクワガタを吹き飛ばし、俺との距離が一旦離れる。


シャリシャリ!

「浮気性って言ったの怒ってんのか?」


クワガタは魔法を使ったニルではなく、俺の方へと向かってくる。俺がリーダーだと本能的に悟ったからだろう。俺から狙いを外す気は無さそうだ。


ジャキンッ!

「足を貰うぞ!」


クワガタが大きく体を振ったタイミングで、側面へと回り込み、脚に薄明刀を走らせる。


ズバッ!


向かって左に生えていた三本のうち一本は根元かららもう一本は半分が切れて地面に転がる。


シャリシャリ!


四本の角を何度か小刻みに動かして、俺から離れる巨大クワガタ。深手ふかでを負わされた事で、警戒心が高まったらしい。


シャリシャリ……


半分を切り落とされた足がピクピクと動いている。


「硬いですね…」


ニルが斜め後ろに立って声を掛けてくる。


「硬さだけならまだいいが、体が、どこに攻撃を受けても受け流せる形になっている。それが厄介なんだ。」


全体的に湾曲したフォルムで、体の角度を常に変えている。相当上手く狙わなければ、遠距離攻撃はほとんど無効化されてしまう。


「ニル。アクアスピアで気だけ引いてくれ。」


「分かりました。」


ニルは数歩下がってからアクアスピアの準備を始める。


バカッ!


突然背中の甲殻を開き、透明で薄い羽を内側から出し、バタバタと羽ばたく。

煽られた風が付近の草や葉を押し退け、次々と倒れていく。まるでヘリコプターが飛び立ったような音と風だ。乗った事がないから知らないけれど…


「牽制します!」


ニルのアクアスピアがクワガタの胴に当たると、グラッと体勢を崩すが、撃ち落とすまでには至らない。


「それでいい!何度も撃つんだ!」


「はい!」


クワガタはそれでも俺のみを狙って動き回る。


ジャキンッ!

「っ!!」


上手く動き難い場所へと誘導されていってしまう。クワガタが大きく角を開き、俺の首を飛ばそうとする。


ガガガッ!


「ご主人様!」


超ナイスタイミングの援護!


ニルのアクアスピアによって体勢を崩し、クワガタの角が俺を殺す軌道を外れる。

その絶好のチャンスを逃すこと無く、俺の薄明刀が最初からそこに行くことが定められていたかのように、クワガタの角の間へと吸い込まれていく。


ザンッ!!


薄明刀はクワガタの頭部から尻までを真っ直ぐに切り開く。


バキバキッ!


空中で羽をばたつかせていたクワガタは飛んだまま左右に別れて、木々を薙ぎ倒しながら墜落ついらくする。


シャリ…シャリ………


数秒間、角や足を動かしていたが、直ぐに動きが止まり、ピクリともしなくなる。


「終わりました…でしょうか?」


「真っ二つになって生きてるって事はないとと思うぞ。」


「そ、そうですよね。」


未知のモンスターというのは、どんな特性を持っているか分からないから怖い。死んだと思って背を向けた瞬間に襲いかかってくる可能性も、ゼロとは言い切れない。


「強かったですね…」


「未知のモンスターとなると、対策も何も、情報自体が無いからな。」


「この先も未知のモンスターが出てくるでしょうか…?」


「むしろここはそういったモンスターの宝庫だろうな。人も来ないし、木々がしげるこの環境。モンスター達にとっては楽園だろうからな。」


巨大なクワガタを見下ろして自分の言っている事に寒気がする。この先、情報が一つも無い場所に、情報が一つも無いモンスターがワサワサ居るのを想像してしまった。


「い、行こう。」


「はい…」


恐怖にとらわれて動けなくなってしまう前に、足を踏み出す。


暫くジャングルの中を進んでいくと、嗅いだことの無い良い匂いが漂ってくる。無理矢理例えるならば、柑橘系かんきつけいさわやかな匂いと、砂糖をあぶったような甘い匂い、そしてその匂いの中に、僅かに感じる腐敗臭ふはいしゅう。本来ならば腐敗臭に不快感を覚えてもよさそうなものだが、何故かその臭いが見事に調和ちょうわしているように感じる。


「何の匂いでしょうか?」


「何か果実でも実っているのかもしれないな。」


匂いに引き寄せられるようにして足を進めると、少しだけ開けた場所に出る。

不思議な程に周囲数メートルに渡り植物が生えておらず、地面の泥濘ぬかるみが丸出しになっている。

その中央には、ススキのような形をした植物がまとまって生えている。高さは一メートルから二メートル程度のものばかりで、僅かに垂れ下がった先端部分には暗い紫色の実が、枝もたわわに実っている。


「あれが原因か…」


鑑定魔法の結果は他の植物と変わらず、密林に…となっている。しかし、どう見ても怪しい。この上なく怪しい。


「怪しいですね。」


ニルの感想も同じらしい。


「俺が居た世界にも、匂いで得物を引き寄せて捕食する植物がいたから、その類かもな。」


食虫植物しょくちゅうしょくぶつと言えばウツボカズラやモウセンゴケが有名なところだろう。

この世界には植物型のモンスターも存在しているし、目の前に生えている植物がそうだと言われても驚きはしない。触ったら絡みついてきて…とか。

迂回うかいしようと考えていると、少し離れた位置から、ブルータルウルフが数匹、地面の匂いをぎながら、不用意に泥濘に入って来る。


「ブルータルウルフのようなモンスターも生息しているのですね。」


「地上型のモンスターなら何でも生息していると考えた方が良いかもしれないな。」


ブルータルウルフの一匹が、問題の植物に近付いて行き、何度か穂先ほさきに鼻を近付け、クンクンと臭いを嗅ぐ。そして、バクッと実を口に入れる。おおかみといわれると、肉食というイメージが強いが、向こうの世界の狼でもブルーベリーなどの実も食べる事が知られている。狼の豆知識より、今はあの植物を気にしよう。


美味しそうに暗い紫色の実を口で引き千切っては食べているブルータルウルフ。

しかし、植物が動く気配はない。


俺の思い過ごしなのか…?


他のブルータルウルフ達も、次々と寄って来ては、実を頬張ほおばる。


「……動きませんね?」


「気にし過ぎだったか?」

バゴォォォン!!


思わず尻餅をつきそうになってしまった。


周囲の草が生えていない場所の外周、つまり俺達が覗き込んでいた目の前の地面から、格子状こうしじょうになった根のような物が高々と数メートル持ち上がり、ブルータルウルフ達を完全に閉じ込めてしまう。

待ち上がった根からビチャビチャと泥が落ちてきて、周囲に跳ねている。


音に驚いたブルータルウルフ達は、即座に植物から離れ、木々のある方向へと走り出すが、全周囲を包囲されてしまったブルータルウルフに、もう逃げ場はない。

持ち上がった格子状の根は、そのまま巾着きんちゃくのように閉じていき、閉じたままゆっくりと地面に戻っていく。

当然その中に閉じ込められていたブルータルウルフ達は、格子状の根と、中央の植物と共に、ゆっくりと地面の中へと引きずり込まれていく。

キャンキャンと声を上げながら、泥の中へと入っていくブルータルウルフ達。

声が消え、開けた場所に何も無くなった後、真ん中からゆっくりとまた良い匂いのする植物が持ち上がって来る。そして、目の前の地面の下から、格子状の根も地表まで上がって来る。

あの植物の周辺は、底なし沼になっていて、格子状の根が地表に有ることで、歩けるようになっていただけらしい。

つまり、この泥濘に足を踏み入れた時点で、あの植物には存在を悟られているというわけだ。地面に植物が生えていない理由も納得出来た。間違いなく、あれはモンスターと言える植物だ。


「………迂回しようか。」


「……はい。」


俺とニルはその場をそっと離れ、迂回した。


……このジャングル、怖すぎ……


ジャングルに入ってから数時間。そろそろ正午になろうかという時間になる。


「まだここがどんな場所なのか分かっていないし、早めに寝る場所を確保しておきたいな。」


「出来れば開けた場所が良いですよね?」


「出来ればそうしたいが…あの植物を見てしまうとな……」


「そう…ですね……」


二人で身震いしながら先程の光景を思い出してしまう。


「開けた場所が無理なら、高い場所でも良いかもな。」


俺が上を見ると、ニルも釣られて上を見る。


ジャングルの中には、背が高い木々も沢山生えていて、中には他の植物より頭一つ抜けて高い木もある。


「ここにはモンスターが山ほど居る。間違いなく夜行性のモンスターも居るだろう。そうなると、見通しの良い場所も安全とは言えないからな。」


「そうですね…どうしますか?今から準備しますか?」


「この先も背の高い木があるとは限らないからな…ニルの体調も万全ではないし、ジャングルの様子を見る意味でも今日は早めに寝床を確保しておこう。」


「分かりました。」


俺達が選んだのは、背が高く、太めの木で、見た目は杉に似ているが、杉より幹の凹凸が多く、葉が少ない。二十メートルはある幹の上の方には太めの枝が何本か横に出ていて、その上にならば簡単な足場を作って寝られそうだ。

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