第22話 死聖騎士

怨嗟の炎は、死体の胸部へと辿り着くと、すぅっと胸の中へと入っていく。


突然ビクビクと体を痙攣させる死体。


「あ゛………ぉ゛……」


短い音を喉から出し、ゆっくりと体を起こし始める。


「僕の魔法を知っている…?」


俺が魔法を放つ前に怨嗟の炎だと言い当てた事に死聖騎士は驚いている様子だが、今は対抗措置を急がなければならない。


「イーサ!」


「任せろ!」


俺は魔法陣を描いていく。その間、イーサが俺のことを守ってくれる。


「……お前……その魔法は!」


完成した魔法陣が黒く光ると、青白い炎が別の死体へと飛んでいき、同じ様に体内へと入り込む。


ボボボッ!


目、口、鼻等、穴という穴から青白い炎が飛び出し、ジュウジュウと音を立てる。

死体の肉が蒸発し、骨さえも燃え尽きていく。


「ヌ゛ォォォォォ!」


嫌な響きの声が木霊する。


死体から作り出されたのは、ゾンビでもスケルトンでもなく、レイスだった。半透明な体と剣。どうやらランダムで色々なアンデッドになるらしい。


「僕の……………僕の信仰を汚すなぁーー!!」


生成したレイスがゾンビを屠り、死聖騎士に向かって行ったと思ったら、即座に消し飛ばされた。怨嗟の剣まで使えるらしい。


「なんだ?!」


「あ゛ぁぁぁ!汚す…汚さ…汚されるぅぅ!」


狂った様に全身を掻きむしり、声を上げる死聖騎士。


「死聖騎士様?!」


「う゛ぁぁぁぁぁ!」


ブシュッ!


近付いた団員の首が飛んでいく。


「な…なんだ?どうしたんだ…?」


「分からないが…ブチギレたって事だけは分かるぞ。」


「あ゛ぁぁ!僕の!僕だけの!僕の為の信仰がぁぁ!ころ…殺し…殺さ……殺すぅぅぅぅ!!」


ジャキンッ!


黒いローブの手元から、二本の曲剣が出てくる。


「あぁぁぁ!殺す…殺す…殺す殺す殺すころすころすころすコロスコロスコロスゥゥゥァァ!」


「死聖騎士様!おやめくださ」

ブシュッ!


近くに居る神聖騎士団の連中が次々と曲剣の餌食となり、切り刻まれていく。


「おいおい…味方を次から次へと殺しまくってるぞ。」


「目を見たら分かるだろ。あれはマトモとは真逆に居る存在だ。それに、あいつ、死聖騎士と呼ばれていただろ。」


「あぁ。死聖騎士ってのはなんだ?」


「神聖騎士団には位があり、色で分けられているって事は知ってるな?」


「赤、銀、金、黒だったか?」


「そうだ。その黒い刺繍を許された者達は数人しか居ないらしいが、その数人の事をこう呼ぶのだ。

聖騎士。」


「聖騎士…つまりあいつはその中の一人って事か?」


「噂にしか聞いた事が無かったが…こんな所で会うとはな…」


「ふひっ!ふひひひひひ!」


全身に仲間の血を浴び、黒かった服が赤黒へと変わっている。

その中で、不気味に笑う死聖騎士。


「どういう奴なんだ?聖騎士ってのは。」


「噂だが…神聖騎士団の中でも最も信仰心が厚く、更に、他を圧倒する力を持った者達らしい。」


「ふひひぃーひひひぃ!」


結局周りの神聖騎士団員を全て殺した死聖騎士が、血溜まりの中で狂気の笑声しょうせいをあげながらクルクルと回っている。

ぶっ壊れている。その表現しか出来ない。


「確かに他を圧倒する力を持った奴ってのは間違っていないだろうな…」


「力は本物だ…油断したら死ぬぞ。」


「分かっているさ。」


「ふひぃぃ…………」


楽しそうに回っていた体を止めると、首をこちらに捻り、気色の悪い目で見てくる。


「なんで……僕の魔法を使える…?」


「多分…お前と同じ所で手に入れた。」


「あー…やっぱり……だから早くあのダンジョンを抑えておきたかったのに……

まあ良いか。こいつを殺して、街の奴らを殺して…あの田舎街の奴らもぜーんぶ殺したら…解決だから。」


「…何故デルスマークを狙ってるんだ…?」


「何故って………あの御方からの指示だからだよ。

そんな事も分からないからダメなんだよ。信仰心が足らない。ダメダメ…ダメダメダメダメ…………

僕が導いてあげなきゃ。ねぇ?」


言葉が終わると同時に、フードの下に見えた口元がニヤリと大きく歪む。


「はぁぁぁぁ!!」


ガキンッ!


何が起きたのか全く理解不能だった。


突然、死聖騎士に横から攻撃を仕掛けた影。

死聖騎士の曲剣が、その影の攻撃を弾き飛ばす。


「……いきなりなんだよ?」


「リサ?!」


横から突撃してきたのはリサ。プリトヒュの護衛に就いていたはずでは…?


「貴様……貴様のその目……私は覚えているぞ!」


「………誰?」


死聖騎士は興味無さそうに答える。


「貴様が……貴様が姉さんの目をぉぉ!」


完全に怒りで我を失っているリサ。


「リサ!待て!」


「うおおぉぉぉぉ!」


「なんだよ面倒だなぁ…」


リサの力量では死聖騎士には歯が立たない!間違いなく殺される!


俺が走り出そうと腰を落とした時、既にイーサが飛び出していた。


ドンッ!


リサの真横から体をぶつけて吹き飛ばす。

リサの目がイーサを見た時、その顔に驚きと後悔の色が浮かび上がる。


ブシュッ!


リサに向けて振られた死聖騎士の曲剣がイーサの背中を這う。


鮮血が飛び散り、吹き飛ばされたリサの頬に当たる。


ドサッ!


「イーサ!」


「え……姉……さん…?」


「あれ?なんか違う方を斬っちゃったな。ま、どうせ皆死ぬから同じか。」


地面に落ちたイーサの背中から血が滲んでいる。


「姉さん!姉さん!」


取り乱したリサがイーサに駆け寄り肩を揺すっている。


「リサ!落ち着け!」


「姉さん!姉さん!」


「うるさいなぁ……うん。決めた。君を最初に、僕が導いてあげよう。」


カチャッと音を立ててリサに切っ先を向ける死聖騎士。


フッと消えた様に見えるスピード。


ガキンッ!


リサに振り下ろされた曲剣をなんとか止める。


「僕の…剣を防いだ…?」


直ぐに後ろへ飛び、俺と距離を取る死聖騎士。


「おい!リサ!落ち着け!」


背中に二人を庇って死聖騎士に剣を向ける。


「シンヤ!姉さんが…姉さんが!」


「落ち着け!傷は深いのか?!」


後ろも振り向けず、質問を投げかける。


「くっはは……っ!……大丈夫大丈夫…」


それに反応したのはリサではなく、イーサだった。


「姉さん!」


「大丈夫だっての…このくらい…っ!!」


立ち上がろうとしたイーサが、痛みに顔を歪める。


「動いちゃダメ!」


イーサは眉を寄せてから目を瞑る。


「姉さん!」


「リサ!傷薬は持ってきたな?!」


「う、うん!」


俺の言葉は届いているようだ。


「全部使ってもいいからとにかく傷口に塗りまくれ!」


「分かった!」


「僕の剣を…防いだ……」


目の前の死聖騎士は何かをブツブツと呟きながらじっとしている。時間稼ぎが出来るなら今はなんでもいい。


「……もう一度試してみなきゃ…偶然って事も有り得るからね……」


下を向いていた瞳がゆっくりと上がり、俺の顔へと向く。


ガギンッ!


一瞬で間合いを詰められたが、ギリギリ見えた首に向かってくる横薙ぎの軌道。なんとか反応して受け止めた刃の先が、俺の髪に触れ、切り離された髪が足元に落ちる。


「…また止めた……」


ブンッ!


俺が返しで払った剣を軽々と避けて後ろへ下がる死聖騎士。


「ダメなんだよ……止めちゃダメなんだ……ダメダメダメダメダメダメダメダメダメダメぇぇ!」


またしても全身を掻きむしり、叫び始めた。


「くそ…意味分からんキレ方しやがって!キレやすい若者か!」


「シンヤ!」


後ろからリサの声。イーサの処置が終わったらしい。


「リサ!イーサを連れて下がれ!」


「でも!」


「良いから下がれ!」


怒鳴った俺の声にビクリとして、イーサを連れて下がっていくリサ。


「っ……まさか、リサがあいつの事を覚えていたなんてね……」


痛みで起きたイーサが、顔を上げる。


ドゴッ!


「姉……さん……?」


ドサッ…


イーサの肘がリサの後頭部を捉え、リサが意識を失う。


「悪いね…あいつはあたしの因縁の相手だからな。」


リサを見下ろして力無く笑うイーサ。


「抜けたぁ!」


数人の兵士がアンデッドを突き抜けてこちら側へと抜けてきた。後ろは火が所々で燃え上がり、なかなか盛り上がっているらしい。


「悪いが、あんた達。リサをプリトヒュの所に運んでくれ。」


「なにっ?!なんで俺達がそんな事」

「良いから行きな!!」


「は、はいぃ!」


凄んだイーサに従順な兵士達だった。

倒れたリサを抱えた兵士達が抜けてきた道を戻っていく。


「っ……」


またしても痛みに顔を歪めるイーサ。


「下がれよイーサ。」


「嫌だね…あたしはそいつに借りがあるからね。譲らないよ。またリサを狙いやがって…許さない。」


「……」


イーサの体調は最悪だ。もう一度目で下がれと言ってみるが…


「そんな怖い目で見たって無駄さ。あんたに殺されたって戻ってやらないからね。」



どうやら聞いてはくれないらしい。


「兵士達には優しいくせに俺には厳しいのな。」


「あいつらじゃ即死さ。荷物運びがお似合いだよ。」


兵士達はてい良く逃がしたくせに、俺は逃げたらダメらしい。


「……」


「頼むよ…シンヤ。」


イーサの目はここから絶対に逃げない。と言っている。


「一瞬だ。」


「??」


「必ず一瞬だけ隙を作ってやる。一回で決めろ。」


「…くっははは!良いねぇ!博打は嫌いじゃないよ!」


両口角をグイッと上げて笑うイーサ。


「それまではそこで大人しくしてろ。」


「…分かった。頼むよ。」


「任せろ。」


口ではそう言っても、人一人守りながら戦うというのは想像以上に難しい。常に相手と守る対象の間に位置する様に気を付けなければならないし、当然自分よりも後ろへ攻撃される事は許されない。

本来ならばリサと同じ様に殴ってでも引き剥がすべきだろうが、今死聖騎士から目を離すのは危険過ぎる。

それに、イーサは色々なものを覚悟してしまっている。そんな奴を動かすのは難しい。

動かす事が無理ならば、大人しくしていてもらった方がまだマシだ。


「やってやろうじゃないか。二度と掴み損ねたりしないと誓ったんだ。」


もう一度、確かめるように剣の柄を強く握り込む。


「僕が…僕で…僕の信仰心が足りないから…?足りないからこんな事に…?信じている僕が弱い……?」


フラフラと左右によろけながら頭を抱える死聖騎士。


「そんな事…あってはならない…あって良いはずがないぃぃぃ!」


ガリガリと石畳を削りながら曲剣が襲い来る。

狂っている様にしか見えないのに、剣筋は鋭く、的確に急所を狙ってくる。


ギンッ!


曲剣を受ける度に目の前で火花が散る。

小さな体をしているくせに、力も強い。


「あ゛ぁあぁああぁ!!」


フードの奥に見える、真ん丸の目が血走り、瞳がブルブルと震えている。


ギンッギンッ!


ギリギリで見えている剣筋をなんとか防いでいても、怒涛の連撃全てを完全に防ぐ事は出来ない。

死聖騎士の振る曲剣の切っ先が皮膚を伝う度に鋭い痛みが走る。

全身に切り傷が刻まれていく。


「僕の信仰心がぁぁぁぁぁ!」


ギンッ!


二本の曲剣が並行に直剣を打つ。

力を入れて耐えようとするが、フワリと体が浮く。


「っ?!」


空中へと投げ出された俺はそのまま後方へと飛んでいく。


ドサッ!


衝撃と同時に体が横に回転し、石畳の上を転がっていく。


「シンヤ!」


「来るな!」


「っ!?」


思わず動きそうになったイーサを強い語気で止める。


「必ず隙を作る。その時を待っていろ。見逃すなよ。」


膝に手を当てて立ち上がる。


「僕の信仰心……僕の…僕のぉ……」


「信仰心だかなんだか知らないが、ネジが全部吹っ飛んでやがる。」


スピードもパワーも異常と言える程のレベルだ。

今のまま戦っても隙を作り出す事は出来ない。

もっと、シンヤの体を完璧に制御しなければ。

今までは全力を出すと制御が効かなかった。足がもつれたり、思った通りの動きが出来なくなる。

でも、それを無理矢理にでもやるしかない。


「確か…この魔法を使う事を嫌ってたよな。」


指先で魔法陣を描いていく。


「その魔法は僕の!僕が!僕だけのものだぁぁぁぁぁ!」


完成した魔法陣から青白い火球が飛び出し、死聖騎士に向かって飛んでいく。それを見た死聖騎士は避けるどころか、真っ直ぐに火球へと突っ込んでくる。


「許されないぃぃぃぃぃ!!」


火球に曲剣を振り下ろし、青白い炎を切り裂く。相手は炎だ。たとえ斬れたとしても、無傷では済まないはずだ。それに、剣を振り下ろした格好で俺の追撃する剣を受けるのは難しいだろう。


「らぁぁ!」


上段から真っ直ぐに直剣を切り下ろす。


その瞬間に視界が黒一色に染まる。


「っ?!」


死聖騎士が着ていた真っ黒なローブが視界を塞いだのだと気が付いたが、腕の動きは止められない。


ビリビリッ!


直剣はローブを切り裂いたが、死聖騎士の姿が見えない。


ザクッ!


ローブの影から突き出された曲剣の刃先が、ローブを突き抜け、左腕の肩口に刺さる。


「ぐっ!」


後ろに飛んで距離を取るが、傷口が痛み、じわじわと熱が広がっていく。

死聖騎士の曲剣に垂れ下がる黒いローブ。その刃先にヌラリと光る赤い血が、ポタポタと石畳の上に落ちていく。


曲剣を振り下ろし、血とローブが視界から外れると、死聖騎士本来の姿が目に入る。


真っ黒でボサボサな伸びきった髪。真ん丸の目に歪んだ口。

男とも女とも取れない中性的な体付き。


黒猫なのだろうか…頭の上に耳が見えるが、両方とも途中から引きちぎられた様に無くなっている。腰の辺りから伸びた黒く細長い尻尾は中程でブツリと切れている。


何より目を引くのは、顔から首元へ、そして袖の無い服から伸びる腕に繋がる酷い火傷の跡と、見える肌に隙間なく埋め尽くされる切り傷の跡。


「その体は…」


「やっぱり……僕が導くべきなんだね……」


話をするどころか、俺の声さえ聞こえていないらしい。


「ああ……僕の全ては貴方様の為に……」


うっとりとした目を空に向ける死聖騎士。


死聖騎士に何があったのか…それは分からないし、知りたくもない。

今、目の前に居るのはポポルを襲わせた張本人であり、こいつのせいでシルビーさんは死んだ。それだけが分かっていれば良い。


空は既に紫色へと変わった。アンデッドと兵士達の戦闘によって作られた炎がユラユラと揺れる度、俺と死聖騎士の影が動く。


「あの御方に……信仰を尽くせない者に……その力は要らないんだよぉぉぉぉ!」


炎の光を曲剣が反射する。


左腕が思う様に動かない。


ギンッ!


曲剣が直剣を打つと、体が後ろへと引っこ抜かれる。足がザリザリと石畳を擦り、踏ん張らなければ尻餅をついてしまう。

ここに来て死聖騎士の圧力が更に増した。


「導いてぇぇぇぇぇ!」


ギンッギンッ!


乱暴に打ち付けられる刃を受ける度に肩口からは血が吹き出し、受け止め続ける手が震える。


「あげるよぉぉおぉぉお!」


ギンッギンッ!


強い。


それが率直な感想だった。

型も何も無い、ただ乱暴に剣を振り回しているだけの剣なのに。


「ふひひひひひヒヒヒひひヒヒ!」


ギンッ!ガンッ!


炎が照らし出した死聖騎士の顔は醜悪な笑みを浮かべている。


冗談じみたアンケートに答えたらこんな所に来ていた。


別に最強になりたいとか、有名になりたいとか、そんなことは考えた事すら無かった。


シルビーさんが目の前で笑顔と涙の死を迎えるまでは強くなりたいとさえ思わなかった。ただ自分が楽しめればそれで良かった。


でも、俺は見てしまった。


ほんの数秒で、今の今まで俺に笑顔を向けてくれていた人が、二度と笑いかけてくれなくなる瞬間を。


俺は思ってしまった。


この手で掴めるものを二度と取り逃したくないと。


俺は望んでしまった。


誰かを守れる程に、と。


「あ゛ぁぁ!」


ガキンッ!


無理矢理振られた曲剣を弾き返す。乱暴に、力一杯に。


振った曲剣が大きく弾かれ、死聖騎士の左腕は後ろへと伸び切る。


バキバキッ!


踏み出した左足が石畳を砕き、捲り上げる。


「あ゛ぁぁぁぁぁ!」


痛む肩口を無視して、両手で直剣を横薙ぎに振る。


「僕がァァァァァァ!!」


俺の直剣を受け止めようと右腕の曲剣を振り下ろす死聖騎士。


バギィィン!!


曲剣に当たった鋼鉄の直剣が粉々に砕けていく。


それを受け止めた死聖騎士の曲剣と、右腕をも粉々に吹き飛ばして。


「ふひひ。」


後ろへと弾かれていた左腕が戻ってくる。


右腕が粉々に吹き飛んだというのに、一瞬も怯んだりしていない。


炎の光が、俺に向かってくる曲剣を赤く照らす。


カシャン!


満面の笑みを浮かべていた死聖騎士の顔面を、八本の刃が包み込む。


「っ?!」


死聖騎士の瞳が横へと動き、後ろを確認しようとする。


「左目と妹の借り。返させてもらうよ。」


背後から、両手の鉤爪で掴む様に死聖騎士の顔面を包み込んだイーサが呟く。


「僕の信仰がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


真後ろから引かれる刃が、死聖騎士の顔面へと食い込んでいく。


血が刃の下から溢れ出し、顔中を赤く染め上げる。

数滴の血が、俺の頬にも当たる。


ザシュッ!!


ーー・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー



昔……


顔すらも覚えていない親に、僕は捨てられた。


まだ小さく、世界の事を何も知らない僕の事を、両親は捨てた。


蒸し暑い日だった事だけは覚えている。


デルスマークの近くにある小さな村。

そこで僕は産まれたと思う。


僕は小さな頃から全く泣かず、全く怒らない子供だった。

それを気味悪がられ、僕は捨てられた…のだと思う。


そんな村から、子供一人では帰ることの出来ない程に離れた森の奥。鬱蒼うっそうと生い茂る木々の根元。そこに連れていかれ、置き去りにされた。


泣いて引き止めようとしたのか、ただ両親が去る背中を黙って見ていたのか。それは思い出せない。

でも、多分僕はただ黙って見ていたと思う。


何故泣くのか、何故怒るのか、何故喜ぶのか…僕にはよく分からなかった。その感情がなんなのか…知らなかった。


モンスターも居る場所で、子供が一人で生きていくのはとても大変なことだった。


小さな昆虫などの生き物を捕まえては口に入れ、空腹を凌いでいた。


数日なのか、数ヶ月なのか、それとも数年なのかは分からないけれど…その場所で行き続けていた僕は、ある集団に拾われた。


「ん?なんだ…?」


ある日、目の前に知らない顔をした男が現れる。


「………」


「うげっ!おかしら!ここにガキが居ますぜ!」


「ガキ?」


「見てくだせぇ!」


無理矢理に掴まれた腕は酷く痛むが、声を出す事はしなかった。


「……売るには小さ過ぎるな。放っておけ。」


「そうですか…」


「…………」


冷たい視線を向けられているとは思ったけれど、別にそれに対して何かを思うということも無かった。


「……」


「お頭?」


「お前。名前はあるのか?」


何故かお頭と呼ばれた男は、もう一度こちらを見て疑問を投げかけてきた。


「……ビビット。」


「………やっぱり連れていく。おい!ガキを荷車に乗せろ!」


僕は荷車へと放り込まれた。


僕を森から連れ出したのは、みすぼらしい格好の男達が数人の集団だった。


全員が獣人族で、俗に言う盗賊と呼ばれる類の連中だった。


頭とよばれていた男は、いつもサイズの合っていない鞘に剣を突っ込み、腰にぶら下げていた。


僕がこの男達に拾われてから、多くの事を学んだ。


特に大きな学びは、何かを得る為には、何かを殺さなければならないという事だった。


食べ物、飲み物、着る物。それは、必ず誰かが持っていて、欲しい時は、持っている者を殺さなければならないという事だった。


体が小さくて剣を持つ事さえ出来なかった僕に、頭が手渡したのは小さなナイフだった。


「誰も殺せない奴に、何かを得る権利は無い。欲しいなら殺して奪え。」


そう言って頭は抜き身のナイフを僕の手に乗せた。


尖っていて、鋭くて、鈍く光るナイフ。


それを指先に這わせると、鋭い痛みを感じ、その後真っ赤な血が指先からツーっと流れていく。


僕はそれを見た時、直ぐに理解した。


これこそが、何かを得る為に必要ななんだと。

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